千本ゑんま堂大念仏狂言へのお誘い

No.3712

 皆さま、ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしょうか。
 さて急な話ですが、職場の先生からご招待を頂いたので、明日の13時から行われる
「千本ゑんま堂大念仏狂言」に行く事になりました。興味のある方がいらっしゃれば、
一緒にいかがでしょう?
 大念仏狂言・・・壬生狂言とか見た事ある方は想像がつきやすいかと思うのですが、
ご存じない方もいらっしゃると思うので、詳しくはこちらをどうぞ。
「千本ゑんま堂保存会HP」http://www.geocities.jp/e_kyogen/
私と一緒に行くと、1名様に限りお茶接待が受けられます。

地獄極楽、閻魔様こわい。

No.3714

 田中さん、大念仏狂言はいかがでしたか?
 ゑんま堂のご主人の閻魔様で思い出しましたが、この前のゼミ旅行のとき、佐倉の国立歴史民俗博物館(近世のコーナー)にあった「のぞきからくり」の地獄極楽を、みなさん、ちゃんと御覧になったでしょうか?

 ☆ 本日、高知大学の市村高男先生から『中世土佐一条氏関係の史料収集および遺跡調査とその基礎的研究』(2002~2004(平成14~16)年度科学研究費補助金 基盤研究(C)(2))研究成果報告書をいただきました。
 土佐一条氏というのは、中世後期に前関白一条教房が所領荘園にのりこんで、その子孫が戦国大名化したという実に興味深い存在で、その本拠こそ山口・小城と並ぶ本物の「小京都」土佐中村です。小生がこの地を訪れたのはちょうど30年前の夏でした。現地で購入した分厚く重い『中村市史』を大事にかかえながら旅をしたことを思い出します。
 本格的な研究の現れることを待望していた(30年前は自分でやりたかった)のですが、東国地域の中世史研究で大きな業績のある市村先生がいよいよ着手されたことを知って、うれしい限りです。それも文献と考古の両側面から。ということで、さらなる成果(科研費が新たな企画に対しても採択されたとのこと)に期待したいところです。
 市村先生、ありがとうございました。
 それにしても、小生も科研費を申請しているのですが、京都に移ってから5年連続で不採択。情けない限りです。

行ってきましたゑんま堂狂言

No.3715

 ちさこさんと千本閻魔堂に行ってきました。
 今回見たのは昼の部で、演目は「えんま庁」「伯母ヶ酒」「靫猿」「芋汁」「舌切雀」「にせ地蔵」「土蜘蛛」の7つ。休憩を挟みながら、全部で4時間の舞台でした。「靫猿」は”念仏”が付かない狂言でも子役の初舞台に選ばれる演目で、小さな子供が演じる小猿がとても可愛らしかったです。最後の「土蜘蛛」も圧巻でした。一番前の席で見ていたので、蜘蛛の精が投げた糸が飛んできましたよ。災難や盗難よけになるというので、しっかり一部持って帰ってきました。
 その他の演目も、とても面白く興味深く見てきましたが、日光に当たったのと板ベンチに4時間座り続けたので、思いの外疲れました。今度の芸能鑑賞は6月1日・2日の薪能の予定。今年は義経特集ですので(それはそれで疲れそうです。食べ物でも「~づくし」はよくない!)興味がある人は足を運んでみてはいかがでしょうか。

おかげさまで先着1名

No.3717

田中さん、先日はありがとうござした。
おかげさまで先着1名の柏餅とお抹茶セットを賞味し、久々に大念仏狂言を堪能することができました。

歳とともにフットワークがにぶくなり、出無精になっています。
でも今回ゑんま堂大念仏狂言を鑑賞したことで、せっかく京都にいるんだから、どんどんと機会があるごとに、見ないと損だと思うようになりました。
京都で学ぶ若いみなさん、お祭りや伝統行事を積極的に見に行きましょう♪

そうだ、京都行こう

野口洋平
No.3709

皆様こんにちは。ご無沙汰しております。愛知の野口です。
先日おりからの好天と花の香りに誘われて上京しました。なるべく控えようと思いつつも実家の霧島躑躅と牡丹が咲いてるのをみてつい我慢できなくなり、仕事が休みなのをいいことに気づいたら電車に乗ってました。
こんな時上記JRのCFが頭に浮かんできます。僕のようなものにはピッタリな詞です。改めて名古屋と京都の近さを実感してしまいました。

どうでもいい事だと思いますがせっかくなんでその日の僕の行程を勝手ながら紹介します(管理人さんごめんなさい)
朝七時の電車に乗り九時半に京都到着(今まで何とも思わなかった駅ビルをとても懐かしく感じました)どこに行こうか特に考えてなかったためとりあえず霧島躑躅を求め長岡天神に。ほぼ満開状態の躑躅を堪能した後、牡丹の名所乙訓寺へ。牡丹は七割咲きながら種類と数が多いため充分楽しめました。
因みに長岡天神は菅原道真が京都を離れる際にこの地で別れを惜しんだとされる場所で、別名見返り天神と呼ばれています。境内地の八条池周囲は霧島躑躅が咲き誇ります。京都に住んでるなら参道の躑躅トンネルを一度は体感すべきです。
また乙訓寺は推古天皇代創建とされ、早良親王が幽閉された古刹。この時期境内にはもと長谷寺より寄進された約二千株の牡丹が咲き乱れます。

長岡の地には他に国史跡長岡宮大極殿公園や熊谷直実ゆかりの光明寺などもあり散策するにはいい場所だと思います。躑躅と牡丹は連休辺りがちょうど見ごろだと思うので興味ある方は是非行ってみて下さい。

乙訓寺を堪能して次は山吹を見に松尾大社にでも行こうかと考えていましたが、緊急コールにより泣く泣く京都を離れることに。ほんとはその日に開かれる百錬抄の購読会にも参加させていただこうかと考えていたのですがそれも無に帰しました。久しぶりに皆さんにもお会いしたかったのですが残念です。まあ仕方ないですね。次はお土産の賞味期限がきれる前には参上できたらと思います。また機会がありましたらご面倒とは思いますがどうぞよろしくお願いいたします。

長々とつまらない文章を書いてしまい申し訳ありません。最近ようやく自分の仕事も含めて家の方も落ち着き、ネットの方も自由に使えるようになったので思わず書き込んでしまいました。

追伸
僕が上京したのは先月27日です。それから高温続きで雨も降ったのでもしかしたら霧島氏はもう散り始めてるかもしれません。うちのキー君もこころなしか元気なさげです。乙訓寺の牡丹はまだ大丈夫と思いますがもし行かれる方おられましたら充分お気をつけください。蛇足ながら霧島氏みるなら青蓮院もお勧めです。こちらは夜間拝観もやっているはずなのでデートにはいいですよ。

めざせ本能寺!

No.3710

 尾張に去られてみると、一種の超俗性をもって京都のあらゆる観光スポットに通じていることなど、当ゼミにおける野口君の独特な存在価値が思いやられて、寂しく思っていました。先週も新幹線の往復で名古屋を通過するたびに、仕事は落ち着いただろうかと心配していましたので、安心しました。
 まあ、信長ほどのことはしなくても再上洛は可能だと思います。ぜひ上洛を果たし、本能寺のリベンジを果たして下さい。
 小生、中味を考えずに「資格」を追い求めることには賛成しませんが、野口君にとって学芸員資格は実に相応しいものと思いますので、早々に実習の決着をつけてください。

1969年7月25日。

No.3707

 昨日の朝日新聞の読書欄に、この日(タイトル)に東大の構内で撮影された東大総長加藤一郎氏による告知文の写真が掲載されています。
 これには衝撃をうけました。本文をここに引用するとインパクトが小さくなりますので、ぜひ写真で御覧下さい。

 読書欄にあったのは、美術史家・山下裕二氏による平沢豊著『OTHER VOICES 東大全共闘・68-70』という写真集の紹介記事ですが、ここに引用された「あの時代に生きたすべての人達の真剣で生き生きとした姿の一端をとらえたものだ」という著者の言葉は、まさにその通りだと思いました。

 この年、小生は青山学院大学文学部史学科の一年生。この年の手帳に貼り付けてあったクラスの名簿を見ると、小生の上に「夏目房之介」氏の名前がありました。

主上のお供をしなさい!

No.3702

 恒例の「義経」ネタです。
 今日は福原から平安京への還都でした。元木先生が怒り心頭になられそうなシーンがいっぱいでした。そのあたりは元木・美川両先生におまかせするとして・・・
 還都というのに、平家の皆さん、えらくのんびりした出発ぶりでしたね。だいたい、みんな三々五々に福原を出立しているのはなんとしたことか。頼盛は三日前、宗盛は昨日、知盛は本日出立します、などと呑気に語っていました。これはいけませんね。これは、個人の引っ越しでもなければ単なる物見遊山の旅でもありません。恐れ多くも主上・新院・法皇揃っての還御であらせられるのですよ! 公卿たるもの、まずは天皇の行列に供奉するのが第一であって、個人的なことは後回し、後回し!
 史料的に言っても、宗盛・知盛・時忠・清経は確実に還御の列に加わっているはずです(『吉記』)。特に。宗盛は前右大将としての資格で数千の軍兵を率いて行幸の警護にあたり、知盛は百メートルほど離れて後陣を勤めています。だから、知盛さん、宗盛より1日も遅れて出立したら完全に職務怠慢になってしまいます。
 そもそも、福原から平安京に帰る主体は、あくまで天皇・上皇でなくてはなりません。したがって、出立前に知盛が清盛に挨拶に行くのは結構ですが、清盛「主上の警護に手落ちなきように」、知盛「心得ております」くらいの会話がなくては話になりますまい。このドラマの脚本家は、平安時代の宮廷社会をどのように考えているのか、よくわかりません。

 あと、気づいたこと。鎌倉の街造りが始まり、頼朝の前に鎌倉の図面が広げられていました。面白かったのは、小町小路や今小路は見えたのですが、若宮大路が描かれていなかったことです。若宮大路の造営は寿永元年ですから、演出家がそこまで勉強した結果としてわざと同大路を書かなかったとすると、それは賞賛に値します。でも、治承4年末の段階ですから、着工はしていなくても、若宮大路の計画くらいはないとおかしいとは思いますが・・・

お母さんと一緒

No.3703

 山田先生、お怒りはごもっとも。
 でも、あの前半を見ていれば、もう怒ってもしょうがないですよ。
 笑うしかない、といいたいところですが、あの弁慶ネタでは、もう笑う気にもなりません。
 昨今の詰まらんトレンディードラマの方がまだリアリティーもあり、ストーリーも面白いのではないでしょうか(物によりけりですが・・・)。
 見ている方が恥ずかしいとはこのようなドラマを言うのでしょうな。
 もう何を言ってもアホらしいという気分です。
 弁慶に伊勢の三郎が男女の話をするくだりは、表記の番組の一場面でしょうかね。
 少なくとも「ブー・フー・ウー」の方がずっとアイロニーもあり、大人に通用する教訓もあって面白かった!
 
 これならこれで、子供向きお笑い路線を徹底するなら、それなりに面白いのですがね。
 美川先生ご推薦の「弁慶サンバ」を、義経主従やオセロはもちろん、静にうつぼ、朱雀のおきなにお徳、ついでに政子も後白河も入れて踊れば一見の価値はありそうです。
いっそ静が鎌倉から持ち帰った新作の今様とか何とか言うことにして、弁慶登場とともに後白河があの丹後局と打ち興じればこれは誠にインパクトがある!
 
 さもなくば、昼ドラ風に改変する。
 たとえば、兄嫁が実直で人柄の良い弟をいじめたおす、その裏には不倫を迫って断られた屈辱に対する怨念が・・・(小沢真珠に交代させろ)。
 一方、頼朝も実は、母と不遇のころの雅仁親王との不倫の子、それを弟に知られたために骨肉の愛憎ドラマが・・・。
 あるいは父義朝が出世のために、妻にして絶世の美女を即位した後白河に差し出した。それを知った兄は、弟の任官に激しい嫉妬と怨念の炎を燃やす・・。
 平氏は平氏で、宗盛は後白河と時子との軽い過ちの子、それがばれて指導力を発揮できない、信じていた父に都落ちで裏切られる、資盛もやはり後白河の落胤、それがわかって小松殿一門は平氏の中で孤立する。かくして疑心暗鬼の平氏は内紛でがたがた、後白河は昔の淫行をかくそうと、平氏滅亡の謀略をしくむ・・・。
 と言ったところで如何ですかね。
 
 今回のようなざまなら、『水戸黄門』のほうがずっと面白いしためになる。印籠が出れば、少なくともカタルシスがあるし、誰も史実と思う心配もない。
 NHKは大河ドラマをどうするつもりか知りませんが、一言「恥を知れ」とだけ申しておきましょう。
 
 それはともかく、66年の「源義経」で、山田先生ご指摘の宗盛=笠屋のせがれ説が取り上げられておりました。
 夏川静江扮する時子が、失策を重ねた東千代介扮する宗盛にこういった言葉を投げつけておりました。多分、都落ちのあたりだったと思います。
 本当に傘屋の子供だったというのではなく、そのざまだからそんな噂を立てられるのだというものだったように思います。
 
 

美川先生は旅行中?

No.3704

 『日曜美術館』に藤原新也氏が出ていたので、ちょっと迷いましたが、例年GWに美川先生が家族旅行をされるので、「代打」の必要ありと思い、『日曜美術館』をビデオにとって『義経』を見ました。
 最初の、いつも問題の多い「歴史解説」はちゃんと見られなかったのですが、今回は大丈夫でしたでしょうか?なにやら当時の結婚の話をしていたようですが。
 『水戸黄門』との比較については>>No.3526で述べたとおりで、元木先生とも意見の一致を見て祝着至極です。
 驚いたのは、炎上する東大寺大仏殿が現存するのものと同じ建築だったこと。奈良時代建立のものの復元はいろいろなされているのですから。
 http://www.cvl.iis.u-tokyo.ac.jp/では、立体映像で紹介されています。
 12世紀末に破風つきの大仏殿はマズイ。還都=後白河への政権返上のようなナレーションといい、「教材に誤りあり」では、「おかあさんといっしょ」にも使えません。
 
 さてさて、美川先生の厳しい御批評は、今回は期待できないのでしょうか?

仮面ライダー響鬼が焼き討ち!

前川佳代
No.3705

みなさまご無沙汰しております。
昨日の義経ですが、とうとうあの日がやってまいりました。東大寺焼き討ち・・・・。重衡役の俳優さんは、日曜の朝8時から民放で「仮面ライダー響鬼」の主役をつとめる人。毎回、義経は3歳になったばかりの息子と一緒に見ています。息子は弁慶好きなので、話はわからないものの弁慶が出てきたら(特に僧兵の格好をしていたら)、大変喜びます。弁慶についで注目するのが、「仮面ライダー響鬼」の重衡です。それゆえ、焼き討ちの場面が出てきたら、どう説明しようかと悩んでました。
何も悪者(まかもうという妖怪)をやっつける仮面ライダーを重衡役にしなくても・・・教育的配慮を!と思うのは私だけ?なのでしょうか。これから生け捕りになって斬られるのですよね。やっぱり見させないほうがいいのでしょうか。
政子があんなにイケズで義経をいじめまくるなら、私のほうから見たくない。赤の打ち掛けがあんなに似合わない人も珍しいような・・・。

野口先生、菱沼氏の論文は土曜に立命で読みました。『日本歴史』にタイトルに義経とつく論文がのるなんて、私が先生の門戸を叩いた時分には考えられないことですね。

世に義経ファンは多けれど。

No.3706

 前川さん、早朝の書き込みをありがとうございます。子育てと家事と研究の毎日。頭が下がります。
 ここで一句。
 
 「世に義経ファンは多けれど、前川佳代に勝るものなし」

 歴史や歴史上の人物が「大好き」、「とっても関心がある」などと言いながら、最初から学問的な追究を放棄する人が多い中で、博士論文を執筆するところまで頑張ってくれたのですから。
 それにしても、悠太朗君は本当に「お母さんと一緒」に『義経』を見ているわけですね。しかし、重衡は『平家物語』の世界では、やはりヒーローなのではないかと思います。
 政子については、近年、多くの研究者が肯定的な評価を加えているのに対してNHKの制作者は反感でも持っていらっしゃるのでしょうか。「変な」描かれ方をしていることは間違いありません。

 ☆ 東京大学史料編纂所(ゼミ旅行でお世話になった保立先生が所長に就任されました)で助手(古代・中世分野、10月採用)を公募しています。当ゼミメンバーには、まだ早過ぎるでしょうか?

 ☆ 佐伯真一先生から、御高論「「馳組戦」考」掲載の『同志社國文学』第62号(加美宏教授退職記念号)を御恵送いただきました。佐伯先生の御高論は「馳組戦」の語義に対する検討によって、源平合戦期の戦闘形態に関する研究に大きな一石を投じたもので、歴史学の側として学ぶべき所多大でした。ほかにも、田中さんや門屋君の先輩にあたる諸先生方の『平家物語』や軍記物などに関する玉稿がたくさん収められていて、ありがたい一冊です。佐伯先生に、あつく御礼申しあげます。

入間田先生の『略々年譜・著作目録』

No.3701

 この3月で東北大学を定年退官された入間田宣夫先生より、先生御自身の編集・発行になる『略々年譜・著作目録』と御高論「黄金貿易が支えた国際都市 平泉藤原氏(彼の人に学ぶ第七一回)」掲載の『ABC(朝日生命経営情報マガジン)』5月号をいただきました。前者は入間田史学を検索するための大きな手がかりとなるもので、同時に収載された「仙台で歴史を学ぶ意味」などの御論考は、先生の歴史学への姿勢を直截に示すものといえます。『紫苑』をお送りした山岡さんへのお手紙も同封されていました。
 入間田先生にあつく御礼を申し上げるとともに、御退官後もさらなる御活躍をお願い申しあげる次第です。

 小生が学生・院生だった頃、まさに若手研究者として学界をリードされていた先生方が、定年という時代になりました。自らを顧みるに、「これから、これから」と思っているうちに、いよいよ耄碌。とくに視力の低下は著しく、左右のガチャ目が老眼と近眼の進行でさらにヒドイものとなり、目下4種類の眼鏡を持ち歩いているという有様です。カメラではあるのに、どうして自動焦点の眼鏡が出来ないのか?多少格好が悪くても、出来たらすぐにでも購入したいところです。
 ちなみに、若い頃、眼鏡をかけているのにすれ違っても挨拶もせずに無視されて怒ったことが何度か有りましたが、今になって、眼鏡をかけていてもそれが読書用のものであれば見えないということが分かりました。若い方は誤解無きように。
 とはいえ、明らかに視力には問題がないはずなのに挨拶しても無視されることは、今でも時々経験することです。小生が相当嫌われているのか、その方(男性ばかりです)が異常にシャイなのか、心を病んでおられるのか、余計な詮索をしてしまいます。

 ☆ 自転車の件の続報
  GWの間、永富さんは大事な所用があるため、昨日、鈴木君が愛車(日産の新車)にて、自転車を受け取りに来てくれました。例によって、当家パソコン関係の懸案の解決と使用方法の御指導をいただきました。鈴木君、遅くまでありがとうございました。

 ☆ 土佐房による義経襲撃は頼朝の意図したものであったのか?
  ・・・という問題を再検討された菱沼一憲氏の論文が『日本歴史』5月号に掲載されています。義経周辺の問題がようやく「歴史学」の俎上にのせられる時代が到来したように思います。菱沼氏には「源義経の政治的再評価」(『國史學』179)という画期的な論文もあります。義経ファンを自負される方は是非御一読下さい。

5月11日

No.3694

5月11日は、『古代文化』書評会がなくなりましたので、辻浩和氏にご報告をしていただくこととなりました。タイトル・参考文献は以下の通りです。

報告者:辻浩和氏
タイトル:「後白河院と「都市民」」
参考文献:①棚橋光男『後白河法皇』講談社選書メチエ,1995
     ②筧雅博「中世王権の周辺をめぐって」(『思想』893所収、1998)
     ③仁藤智子「「都市王権」の成立と展開」(『歴史学研究』768所収、2002)

今後の例会のことなど。

No.3698

 長村君、ありがとうございました。
 辻君、お引き受け下さいましてありがとうございます。辻君は京都大学大学院人間・環境学研究科MC在籍で、長村君の学友です。
 「都市王権」というキー概念は、保立道久先生のよく用いられるところです。辻君は芸能論のような側面が御専門のようですが(したがって、国文専攻の方の積極的な参加を期待します)、出席者は保立先生の「都市王権と貴族範疇-平安時代の国家と領主諸権力-」(『日本史の方法』創刊号、2005年)なども読んでおくとよいと思います。
 辻君からのコメントもあれば、よろしくお願いいたします。
 なお、今後の例会予定については山内さんから告知があると思いますが、5月第4週(普段は水曜ですが、曜日は未定とのことです)は門屋君(大阪大学大学院DC)、6月は第2週の分が、4日(土、13時より)の『古代文化』福原特輯号の書評会に振り替え、第4週(22日)は公開講座(25日)の事前学習会とする予定です。
 事前学習会の報告者については、堤邦彦先生の御講演に関連するテーマで末松さん、高橋慎一朗先生の御講演テーマに関しては山内さんにお願いしたいと思うのですが如何でしょうか?あるいは、自分が報告したいという方がいらっしゃったらお申し出下さい。
 なお、今後の例会については、神戸大学大学院 DCの樋口健太郎君にお願いし、御了承をいただいております。

 ☆ なお、日本学術振興会特別研究員の栗山圭子さんから御高論「中世王家の存在形態と院政」(『ヒストリア』193抜刷)、東北福祉大学の岡田清一先生から『我孫子市史 通史編(中世)』の抜刷を御恵送いただきました。あつく御礼申しあげます。
 
 ☆ また、神戸大学の髙橋昌明先生から、先生が監修・執筆された神戸市文書館発行のパンフレット『福原遷都-清盛の海の都-』や兵庫県立考古博物館先行展「春の夜の夢のごとし 平清盛と福原京の考古学」図録、すでに、このbbsでも紹介されたシンポジウム「福原(和田)京」の謎を解く」資料をそれぞれ複数部いただきました。例会の際に配布して、すでに品切れのものもありますが、残部のあるものもありますので、必要な方は申し出てください。
 高橋先生、お心遣いに感謝いたします。
 
 >岩田君 先日古本市でお買い上げいただいた拙著の正誤表の用意が出来ておりますので、忘れずに請求してください。

受贈お礼。

No.3700

 東北福祉大学41番研究室 岡田ゼミナールから『平成16年度 岡田ゼミナール研究年報第27輯 福島県浪江町調査報告書-地域研究の方法と課題- 』、神戸大学文学部地域連携センターより『平成16年度事業報告 歴史文化に基礎をおいた地域社会形成のための自治体等との連携事業(3)』、また、鹿児島県歴史資料センター黎明館の林匡先生から御高論「薩摩藩記録所寸考(三)」(『黎明館調査研究報告』16)・「同(四)」(同17)・「戦国期の大隅国守護代本田氏と近衛家」(同17)・「薩摩藩記録奉行得能氏について」(『鹿児島史学』50)の抜刷を御恵送いただきました。あつくお礼申し上げます。

本日の古本

No.3708

>野口先生 正誤表、恐れ入ります。また後日、伺いに上がりたいと思います。
 ところで今日は、京都市勧業会館(みやこめっせ)で5/5まで開催中の古本市に行ってきました。
 目に付いたところでは、『京都市の地名』『京都府の地名』(平凡社歴史地名大系、各8000円程度)、『京都府』(角川地名辞典)、『平安時代史事典』(三冊揃10万円)、『中右記』(史料大成、揃2万円程度)、『吉記』『山槐記』『左経記』『長秋記』『台記』『兵範記』『勘仲記』(いずれも史料大成、揃値段忘れた)といったところでしょうか。広かったのであまり丹念には見られませんでしたが。

本の購入について。

No.3711

 岩田君、情報をありがとうございます。
 昨年は山岡さんの御尽力により、百万遍の古本市で『平安時代史事典』を購入いたしましたが、もしゼミの史料講読会などで活用できるような本がありましたら、研究室で購入するように努力いたしますので、遠慮なく御連絡下さい。
 古本市、山田先生御夫妻もお出かけになられたようです。小生は、研究室の段ボール箱の中にある本の整理が先決です。

数江教一『源義経-義経伝と伝説-』

No.3716

 タイトルの本(アテネ新書)は小生も推薦する名著ですが、絶版で、しかも、なかなか古書店にあらわれません。それが、北九州門司区のある古書店で、たった700円で売りに出されています。欲しい方は、このお店を探して注文されると良いでしょう。すぐ見つかるはずです。ちなみに、このお店には山田邦和先生もいらっしゃったことがあります。

吾妻鏡講読について

No.3693

 山本さん不調につき(シーズン当初のスタートダッシュ失敗か!?)、次回の『吾妻鏡』講読会について岩田が代わってご案内します。講読範囲は前回の続きから行います。
 日時:5月9日(月)・15時半
 場所:共同研究室
 範囲:承元4年(1210)①5月14日条・②5月21日条・③5月25日条・④6月3日条の以上です。

 今週予定分(去4/25)は急にお休みにしてしまいまして、すみませんでした。
 また、講読にお付き合いいただける方(メンバー)も随時募集しております。
 当掲示板をご覧の方で、『吾妻鏡』や中世前期に興味をお持ちの方のご来訪をお待ちしております。よその大学の学生である岩田が言うのも変ですが、当ゼミは京都女子大のゼミですから、特に京女の学生のみなさん、いかがですか~。

楽○と呼んで下さい・・・。

No.3695

 岩田さん、サポート&厳しいツッコミ(?)ありがとうございます。
上記の予定で『吾妻鏡』講読会を行いたいと思います。
試行錯誤の段階ですが、次回は担当者を決めずに、各自予習してきて史料を読み合って
進めて行く形式で行いたいと思います。
また講読する記事も、京都の記事中心に読んで行くのも面白いかもしれません。

>岩田さん
 先日の研究会は出席できなくて申し訳ありませんでした。
それにしても『太平記』は面白いの一言に尽きますね。『義経』と比較して、なんでこんなに面白いのでしょうか?。吉川英治の原作の作品としての素晴らしさなのかはわかりませんが(『新平家物語』も面白かったので)、今後考えたいと思います。とにかくまた再び『太平記』を視聴できるとは思いませんでした。岩田さん今後ともよろしくお願いします。

JR尼崎事故

美川圭
No.3685

 昨日のJR尼崎での事故では、京女大の学生さん(西洋史?)がなくなったという話をさきほど聞きました。痛ましい限りで、ご冥福をお祈りいたします。現在までに聞いているところでは、その他同志社大学生2名も亡くなったとのこと。同志社行きの列車だったので、他にも多数の負傷者の学生さんがおられるようです。

 昨日は、私も関学の非常勤の日だったので、あの近くへ行くはずだったのですが、3日ほど前から風邪のため、ほとんど声がでなくなってしまい、やむなく2限目休講にしました。そのため、ほとんど1日自宅で刻々死者が増えてくるようすをテレビを見ていました。朝からインターネットで私の休講掲示が出ていたので、それを知って出かけず、事故に遭遇しなかった学生がもしかしたらいたかもしれません。まあ、あの線を利用して、西宮キャンパスに通う関学生はほとんどいないかもしれませんが。

とにかく、びっくりするような大事故でした。お知り合いに事故にあわれた方などはおられなかったでしょうか。

Re: JR尼崎事故

美川圭
No.3686

 レスがつかないので、自己レスです。

 今回のJR西日本の事故、最近の日航のミス、某巨大マスコミのていたらく

 などなど、最近の日本の巨大組織には、問題が噴出しているように思える。

 それぞれ、性格はちがうのだろうが、根っこのところで共通するのは、
人間が組織のなかに埋没していて、自由な批判も検証もゆるされない体質に、
陥っているのではあるまいか。

 JR西日本のあまりのスピード重視の危うさは、利用者ならば、
一度や二度は感じているのではないか。私はあまり利用していないが、
ときどき、こわいから、もっとゆっくり走ってくれよ、ということが、
ある。横揺れがものすごいのである。

 理論上は133KM以上でないと、
あのカーブで脱線しないと、幹部が記者会見でのべていたが、
ほんとうだろうか。根拠がいまひとつの置き石説をしつこく主張するなど、
どうも信用できない。
 あのぺらぺらの軽い車体で、ほんとうに実証したのだろうか。
 いつも電車に乗っている運転手や車掌は、きっとあぶないと感じていたに、
ちがいない。しかし、それを公にできない雰囲気が社内にあるのだろう。
 たしかに、関西で、JR西日本は、私鉄に勝った。しかし、それは、きわめて
危うい安全神話の虚構の上に立った勝利なのではあるまいか。
 
 私は、とうぶん出来る限り、JR西日本には乗らない。

少し前まで関係者でした。

No.3687

 半年ほど前まで、駅で働いていたので、社内の雰囲気というのは一応知っているつもりなのですが、「あぶない」という経験は、ほぼ毎日のようにあります。それを公にできないというよりも、多すぎてどうしようもないという状況です。

 働いていた当時の駅長がいつも「万が一でも、鉄道の場合は数千人になってしまう。億が一でも多いくらいや。とにかく事故はゼロにしないと、この仕事はつとまらん」といっていました。「安全」というのは、鉄道に関係する人間は必ず頭に置いて仕事をしているはずです。

 駅員と運転手とでは、やはり仕事の質がちがいます。利用者と常に接している駅員は、電車が1分遅れただけでも、強いストレスを感じます。(定刻でついた場合でも乗客に「早すぎる!」と怒られる場合も...)運転手の場合は、乗客の反応、ダイヤを遵守すること、いろいろなストレスがかかっています。
 
 言いたいことがまとまらないのですが、あの運転手が、とか、JR西日本が、というような問題ではないと僕は思います。逆に私鉄が安全かとも言えないでしょう。
 乗務員・駅員はロボットではないので、乗客の状況によっていらいらしたりうれしくなったりします。ストレス発散のために、駅員に八つ当たりする方も多くいます。今回の事故に関しては、あきらかにJR側の責任ですが、日ごろの「あぶない」というのは、運転する側・乗る側両方の行動が作用して減るものだと思います。

 信楽の事故はシステム上のミスでした。今回の事故は、JR西日本だけでなく、通勤列車が走る過密ダイヤがある路線ではどこでも起こりそうな内容です。身内の擁護にしかなりませんが、鉄道関係者は事故以来、以前にもまして慎重に業務しているはずですので、「JR西日本が..」という見方ではなく、日本人の鉄道の乗車スタイル自体を、この機会に考えていただきたいと、僕個人は思っています。

 P.S.列車が遅れて情報提供が少しでも遅れると、クレームがつく。電光掲示板で遅れを表示すると、いっそう強くなって、そういった不満が運転手へそのまま直結してしまう。私鉄に勝つとかではなく、乗る人の不満をどうやったら軽減できるか..という中で定時運転や回復運転の遵守につながっています。とても複雑な心境です。

Re: JR尼崎事故

No.3688

>鈴木さん
ありがとうございます。誰も関心がないのかと思って不安でした。
そういえば、駅でアルバイト?されてたんですね。

たしかに、全体的な都市圏の鉄道の問題、あるいは乗客の意識なども問題だと思います。
しかし、私は、それでもなお、JR西日本特有の問題があると思うのです。
(このあたりは元木先生がお詳しいと思うのですが)
つまり、私鉄に対して20年ほど前は圧倒的に、利用度が低く、私の印象では、
関西の「国鉄」はローカル線だけで成り立っている、と東京からきたとき思いました。
それが、民営化以後、スピードを最大の武器に、急成長。
私鉄は、線路が少なくて、これ以上のダイヤが組めないのですね。
ところが、JRは線路はたくさんあるし、貨物部門の縮小で、さらに線路は増えるし、
スピードが武器になった。そのために、かなり無理がかかったのではないか。
しかも、路線が複雑なので、一つの遅れが、全体のシステムに大きく影響する。
いろいろな面で、JR西日本特有の問題があり、それが今回の事故につながっていったのではないか。しろうと考えで、そんなことを思います。

「あぶない」という経験が、ほぼ毎日のようにあり、それを公にできない、というか多すぎてどうしようもない、という現状はやはり、改善しなければならないのではないでしょうか。

Re: JR尼崎事故

No.3689

私が気になったのは、ミスが許されない、という体質です。オーバーランはそれはまずいでしょう。しかし、ある程度以上のオーバーランをすると、もうしません、という誓約書(?)を書かされるようなことが報道されていました。そんなものを書かされたら、まじめに申告して二度と運転できなくなるより、ちょっと誤魔化して……などと考えたくなるのが人情というもの。それが今回の事故に関係しているのだとしたら、やはり、責任は組織にあるのでは、と考えたくなってしまいます。編集者なら、誤植はつきものさ、などとうそぶいていられますが、彼らはそれだけ大変な仕事な訳ですから、そこに、なんらかの緩和措置がないと、人間が壊れてしまうように感じました。

本線とローカル線

No.3690

 美川先生の書き込みで思い出したのですが

 今回の福知山線は、どちらかというとローカル線です。結局問題なのは、ローカル線が本線(東海道線)をまたぐ形で通過している点です。
 やはりJR西日本は本線がドル箱であり重要ですので、数分でも遅らせることができません。

 働いていた奈良線でも東海道線に入る列車があるのですが、その列車の運行に関しては時間にシビアです。ただ、奈良線の場合は1日に数本ですので良いですが、福知山-東西-学研都市線については、ほとんどが本線を通過するので、もっとピリピリした状況だと想像できます。

 本線はATS-P(新)、ローカル線はATS-SW(旧型)ですので、スピード重視というよりは、ローカル線が本線をまたいでいる現状が、ミスを誘発したのではないかと思います。
 福知山線はあと数ヶ月で新型のシステムをいれる予定だったと報道で出ていましたが、遅すぎたという事ですね。
 私鉄がスピードを出せないのは、車両の問題ではなく、線形(カーブが多い)ためなので、比較的直線が多い阪急京都線はスピードが出てると思います。(最近、停車駅が多いのでそれほどでもないですが)

 先ほどニュースで、京都駅でのオーバーランで乗客が降りたというのがありましたが、電車の込み具合天気などで制動距離が変わるわけで、数mくらいは石浜さんの仰るとおりでよくあることです。

Re: JR尼崎事故

美川圭
No.3691

>石浜さん

ミスがゆるされない体質はたいへん問題ですね。
それよりも、人間はミスをするものである、という前提を認めない組織は、
最終的にこのようなとりかえしのつかない何万倍の大ミスをうみだす、
というべきでしょう。
少々のオーバーランや遅れは、どうということはない、と考えること。
語弊はあるかもしれませんが、ラテン的感覚が必要ですね。
大したことない1分半の遅れの取り戻しのために、
運転手は時速70km制限のカーブを100km以上出していた。
そのことこそが問題でしょう。

しかも、幹部は、133km以上でないと、計算上は脱線しない、
などと言い、置き石説を最初から主張していました。

これは、重大です。

つまり、133km以下なら、出しても大丈夫だと、言っていることになる。
制限速度オーバーについては、ペナルテイはないようです。
そうすると、運転手はどうするでしょう。むしろ無理なスピード出すでしょう。

しかも、過去に同じ程度のカーブを100km程度で脱線した例が、
いくつもあるようです。ですから、幹部の主張は、実効性に問題があります。

この事故の責任を、幹部は亡くなっているかもしれない運転手に着せようとするのでしょうが、それをマスコミが後押しするようなことがあれば、それこそ第二の同様の大事故をうみだしてしまうのではないでしょうか。これは組織の問題だと思います。

Re: JR尼崎事故

No.3696

 こんな事故が、鉄道安全システムが世界で一番進んでいたはずの日本でおこった衝撃は大変なものがあります。電車に乗るのは空気を吸うのと同じようなもの、と思っていたのですが・・・。
 我が家の近所の事故で、しかも「塚口」という地名が出たことから、多くの方々からお見舞いを頂いてしまいました。当方は阪急塚口ですので、日常的にJR福知山線を利用することはありません。でも三田市市史の仕事の帰りにはいつもあそこを通り、大阪に出ます。207系の快速もよく乗ります。とても他人事とは思えません。
 ありきたりの日常の中で、余りに理不尽な最期を迎えられた、あるいは人生を大きくゆがめられるような大怪我を負われた多くに方々のご無念は察するに余りあります。ご家族の悲しみや憤りは、想像を絶する思いです。
 前途有為な方々が多く犠牲になったことも、胸が張り裂ける思いです。こんなことが起こったことが、ただただ無念であり、悔しい思いです。

 事故の原因は素人が軽々に口にできることではありませんが、ニュースを聞く限りでは構造物と、人間の両方に問題があったということになるように思われます。
 福知山線は81年に電化、複線化されるまでは、本当のローカル線で、もっぱら周辺の工場から貨物を運ぶ路線でした。それが都市型路線になり、一躍脚光を浴びたのが東西線とスルー運転が始まり「アーバンネットワーク」の中心に組み込まれてからのことです。
 都市型幹線並みの運転頻度になり、最高速度も120キロ(東海道・山陽線の新快速は130キロ、阪急などは110キロ)に向上しました。
 ところが、ATSがローカル線時代のままだったことはもちろん、事故のカーブの内側に脱線防止の補助レールもない。補助レールは1963年の鶴見事故(すれ違う横須賀線電車の側面に貨物列車が脱線して衝突、電車同士がぶつかって下り電車の4号車が大破し、160名余りの乗客がなくなった)の教訓で設置されるようになったものです。
 しかし、これが行き渡っていないことは、先年の中目黒の地下鉄事故からも明らかです。ただ、あれは駅構内で、当時としては脱線など想定できなかったところですが、今度の場所は最高速度から急減速する場所であり、設置しなかったJRの不見識は厳しく問われるべきでしょう。
 あのカーブ、もとは尼崎港に向かって直進する福知山線から、東海道線に合流するために設けた側線のものです。カーブはそのときの形状が残り、カーブを緩和する補助曲線も十分確保されていなかったようです。
 結局、多くの列車が高速で通過する路線に格上げされたのに、設備はローカル線時代のまま、ということが最大の問題でしょう。
 だからJRはなってない、というのは簡単ですが、結局これは旧国鉄時代の、関西軽視の負の遺産以外の何者でもありません。儲からない関西にはほとんど設備投資をせず、都市周辺の幹線も、関西線のように長年非電化で放置したり、福知山、山陰線などのように単線のまま。その付けを、基盤が弱体なJR西日本に押し付けたのです。

 JRは、ただでさえ人口が減少する関西の通勤輸送を基盤とするだけに、平行する民鉄から乗客を奪取せざるを得ません。そのために、強引な速度上昇、高密度ダイヤ、各線のスルー運転を実施してきました。それが大きな成功を収めたことは疑いのないことです。
 それが、設備不十分なまま、高速・高密度運転を強いる結果となったのは言うまでもありません。
 また同時に、運転士以下の乗務員や、幹部に至るまで大きなプレッシャーとなったことは疑いありません。まして、急激な運転本数の増加に対応するために、経験の浅い運転士を大量に起用することにもなり、それがオーバーランなどを誘発する原因にもなったようです。極論すれば、経験未熟な運転士に、曲芸のような運転をさせた、ということになりまししょうか。
 JR西日本の体質は、一言で言えば、まさにトップヘビーです。その問題の根は、極めて深いものであり、単に幹部の責任というだけではなく、国鉄分割民営化に立ち返って、再検討するべき問題だろうと思います。
 
 207系は乗り心地もよく、居住性にも優れ、高速運転も可能な、まさにJR西日本を代表する電車でした。その最新鋭車両の車体が、まるでアルミ缶のように捻じ曲がった姿には、激しい戦慄と深い悲しみを禁じ得ませんでした。
 さらにそこから、JR西日本と関西の置かれた厳しい悲劇的な状況もみえてきたような気がしてまいりました。

Re: JR尼崎事故

美川圭
No.3697

 熱烈な鉄道フアンでもある
(その鉄道への愛情が、今回の事故におけるショックを倍加された
こともよくわかりました)元木先生の書き込みを待望して、
怒りにまかせて、いろいろ好き放題のことを書いてきたのですが、
総括的な説明をしていただいて、ほんとうによかったです。
JR西日本のおかれた立場、のみならず、現在の関西、
というものまで論じていただいて、たいへん勉強になりました。
 私のような東京生まれ育ちにとっては、まったく気がつかない
視点でもありました。
 ありがとうございました。

年度はじめの例会

No.3682

 昨日はみなさんお忙しい中、拙くまとまりのない報告をお聞きいただきまして、誠にありがとうございます。諸先生方に囲まれて、けっこう緊張しました。
 また、あまり考えずにみなさんのご都合が悪い日をわざわざ選んでしまいまして、すみませんでした。

>山岡さん 『吾妻鏡』をお休みしてしまってすみませんでした。この埋め合わせはまたいずれ。
>山本さん どうぞお大事に。『太平記』の二巻目は山岡さんにお預けしました。

お疲れ様でした

山岡 瞳
No.3683

>岩田さん
昨日はお疲れ様でした。自分の興味に引き付けた質問しかできず、申し訳ありませんでした。
また、ビデオありがとうございます。早速にも見たいと思います。ちょうどいいときに連休が☆

明日は『百錬抄』講読会です。

No.3684

 岩田君、昨日はありがとうございました。本当に出席者はほとんど「先生」ばかりでしたね。
 日本史研究会の部会と重なったために、すこし人数が少なかったのが残念でしたが、小生もよい勉強をさせていただきました。
 次の例会は、京大院生の辻君に御報告をお願いすることになっているようですが、日程や報告テーマなどの告知について、山内さん、よろしくお願いいたします。ついでに、トップページの月間予定の更新も気をつけてください。間違える人がいますので。
 なお、明日から『百錬抄』の講読会を開始します。「安徳天皇」から。主に京都女子大の学部生を対象にした講読会ですから、卒論で中世前期をやろう、とか、源平内乱期に関心があるという人がいたら、メンバー以外でも積極的に御参加下さい(もちろん、御指導いただける院生・他大学の方の参加も大歓迎。明日は京女の卒業生で神戸大学院生の平田さんが来てくれるはずです)。
 16時から研究所共同研究室(L校舎3F)です。 

ありがとうございました

No.3692

レスが遅くなりすみません。
岩田さん、月曜日はありがとうございました。
勉強不足のため何やらとんちんかんな質問をしてしまいすみませんでした。しかし、ちょうど授業で高校生に同じ時代の話をしたばかりだったため私自身とても勉強になりました。ありがとうございました。
岩田師範のように私もわかりやすい説明ができるように頑張ります。

花摘む義経

No.3676

『義経』見ました。

平宗盛が、父の意に反して、幽閉中の後白河に呼び出され、
てなづけられる。あの、「幽閉」って、こういうことが出来ないように、
する処置なはずです。外部との連絡を遮断して、政治的活動を封じる。
これでは幽閉したことになりません。
脚本家が、高倉上皇が還都を主張した話とごっちゃにしたのでしょうか。

また、後白河に逢ったあとの
宗盛が、自分は清盛と時子の子ではなく、後白河の落胤で、母も時子ではない、
と疑い、そのことを時子に投げかけるという話が出てきます。
清盛が白河落胤という話から、つくった「虚構」なのでしょう。
見ている普通の人は、そういう話があったのか、と思いますよねえ。
でもそんな人物を、清盛が自分の後継者に指名するはずがないのですが。

かと思うと、北条政子が亀の前の家を焼き払わせる話。
これは、『吾妻鏡』に出てくる話が、かなり歪められています。
このドラマでは、治承四年のようですが、

『吾妻鏡』では、寿永元年11月10日条。つまり8月に政子は頼家を生む。
なんで、頼朝が浮気したかわかりますねえ。
しかも、政子は亀の前が住まわせられていた伏見冠者広綱飯嶋家を、
牧三郎宗親に命じて破却させた。ところが、頼朝が怒り、宗親の髻が切られるは、
政子の怒りで、広綱は遠江に配流されるは、たいへんな騒ぎ。
しかも、北条時政も、牧宗親に対する頼朝の処置に怒り、伊豆へ。

ドラマでは、ただの恐ろしい政子、を印象づける事件に変わっていました。
しかも、亀の前と頼朝との関係をさぐりに来た政子。どういうわけか、
亀の前の家の廻りで花を摘んでいる義経。政子と義経、はちあわせ。
よりにもよって、義経、摘んだ花を政子に。

こういう虚構をつくると、とうぜん、政子は、義経が媒したと疑うはず。
しかも、家を焼かれた亀の前は、義経にかくまわれている。
こうだと、さらに義経の疑い必定。義経と北条氏との対立に発展。
これほど、北条氏の覚えが悪い義経は、とてもじゃないが、
平家追討軍の大将などには選ばれるはずもない。
ところが、このドラマでは、そうはならないんですね。不思議ですね。

それにしても、なんで義経、あそこで花を摘んでいたんでしょうか。
もうようわからん。

Re: 花摘む義経

No.3677

美川先生、皆様、こんばんは。

宗盛が清盛と時子夫婦の実子ではないというのは、
『平家物語』の諸本の中で『源平盛衰記』(巻43)にだけ載録されている所伝です。
『盛衰記』では、壇ノ浦での時子が、「実は宗盛は私と清盛様の実子ではない。だから、重盛にも似ておらず、情けない者であるのは当然なのだ。私が妊娠した時に、清盛様が「男の子が良い」といった。しかし生まれたのは女の子だったので、清水寺の北の坂で唐笠を張って売っている僧のところの男子と取り替えたのだ」と語ったことになっています。ショック! まさに「衝撃の告白!!!」とでもいえる週刊誌ネタです。(もちろん、これは史実ではありません。お間違えのないように)。

ただ、それでも、宗盛が後白河法皇の御落胤だという話は聞いたことがありません。これはまったくの虚構ですね。

それとも、次のようなストーリーはいかが?
宗盛「私は法皇様の御落胤では?」(強く母に迫る)
時子「今まで隠していてすまなかった。確かにあなたは私の実子ではない。実は、清水寺の笠張りの僧の息子なのだ」(涙ながらの告白)
宗盛「(絶句・・・)」
〈翌日、絶望のあまり自害した宗盛の遺体発見。清盛、涙にくれる。〉。

あまりにむちゃくちゃかな・・・

Re: 花摘む義経

No.3678

>山田先生

>『盛衰記』では、壇ノ浦での時子が、「実は宗盛は私と清盛様の実子ではない。だから、重盛にも似ておらず、情けない者であるのは当然なのだ。私が妊娠した時に、清盛様が「男の子が良い」といった。しかし生まれたのは女の子だったので、清水寺の北の坂で唐笠を張って売っている僧のところの男子と取り替えたのだ」と語ったことになっています。ショック! まさに「衝撃の告白!!!」とでもいえる週刊誌ネタです。(もちろん、これは史実ではありません。お間違えのないように)。

これは、気がつきませんでした。ご教示ありがとうございます。
しかし、この『盛衰記』の話も、あまりにも「情けない」話ですね。

うわなりうち

No.3679

 昨夜の『義経』は、「ドラマだから楽しめばよいのだ」とおおらかな気持ちで見ることはとても出来ませんでした。以前の美川先生同様、いささか苦痛を感じましたので、チャンネルをかえました。

 一昨日は「平家物語研究会」(九段高校)、昨日は「軍記・語り物研究会」(早稲田大学)に出席させていただきました。「平家研」では、慈光寺本『承久記』について報告をさせていただきました。実に緊張感のない発表態度で若い方たちの顰蹙をかったことは相違ないと思っておりますが(田中さん、如何でしたか?)、でも兵藤先生に面白がって頂いたので良かったと思っております。講談社の横山さんからも励ましをいただいて『承久の乱』執筆の意欲が湧いてきました。
 「軍記研」では、樋口大祐先生の為朝論にたいへん触発されました。帰途、御一緒した樋口州男先生も同じ感想をお持ちでした。鹿児島の持躰松遺跡が阿多忠景(為朝の舅)との関係が指摘された頃から、この問題に国文学の研究者がなぜ関心を持ってくれないのだろうかと訝しく思っておりましたが、樋口先生が近年の武士論研究の成果を踏まえた上で、この点に論及されたことは「我が意を得たり」の心境でした。
 ところで、「平家研」では、学習院大学大学院生の重政誠君から『学習院大学大学院日本語日本文学』創刊号をいただきました。重政誠「『平家公達草子』「青海波」成立に関する小考」をはじめ、中丸貴史「『江談抄』壺切剣に関する一考察-書かれた口伝をめぐって-」・勝亦志織「『いはでしのぶ』の一品宮-「一品宮」の降嫁-」など、当ゼミメンバーにもお馴染みの方たちの玉稿が掲載されています。「軍記研」では、東北大学の佐倉由泰先生から御高論『『将門記』を読む』(『国語と国文学』第82巻第5号抜刷)をいただきました。また、帰宅すると神戸大学の髙橋昌明先生から御高論「清盛家家政の一断面-備後国大田荘関係文書を手がかりとして-」(笠井昌昭編『文化史学の挑戦』思文閣出版出版、抜刷)、(財)とちぎ生涯学習文化財団埋蔵文化センターの津野仁先生から「毛抜形太刀の系譜」(『國學院大學考古学資料館紀要』第21輯抜刷)が届いていました。以上、あわせて、あつく御礼申しあげます。
 なお、御紹介が遅れましたが、福田豊彦先生から、福田先生や佐伯真一先生等が参加された千葉妙見説話に関するシンポジウムの記録が掲載された千葉市立郷土博物館『研究紀要』第11号の御恵送をいただきました。あつく御礼を申し上げます。