JR尼崎事故

美川圭
No.3685

 昨日のJR尼崎での事故では、京女大の学生さん(西洋史?)がなくなったという話をさきほど聞きました。痛ましい限りで、ご冥福をお祈りいたします。現在までに聞いているところでは、その他同志社大学生2名も亡くなったとのこと。同志社行きの列車だったので、他にも多数の負傷者の学生さんがおられるようです。

 昨日は、私も関学の非常勤の日だったので、あの近くへ行くはずだったのですが、3日ほど前から風邪のため、ほとんど声がでなくなってしまい、やむなく2限目休講にしました。そのため、ほとんど1日自宅で刻々死者が増えてくるようすをテレビを見ていました。朝からインターネットで私の休講掲示が出ていたので、それを知って出かけず、事故に遭遇しなかった学生がもしかしたらいたかもしれません。まあ、あの線を利用して、西宮キャンパスに通う関学生はほとんどいないかもしれませんが。

とにかく、びっくりするような大事故でした。お知り合いに事故にあわれた方などはおられなかったでしょうか。

Re: JR尼崎事故

美川圭
No.3686

 レスがつかないので、自己レスです。

 今回のJR西日本の事故、最近の日航のミス、某巨大マスコミのていたらく

 などなど、最近の日本の巨大組織には、問題が噴出しているように思える。

 それぞれ、性格はちがうのだろうが、根っこのところで共通するのは、
人間が組織のなかに埋没していて、自由な批判も検証もゆるされない体質に、
陥っているのではあるまいか。

 JR西日本のあまりのスピード重視の危うさは、利用者ならば、
一度や二度は感じているのではないか。私はあまり利用していないが、
ときどき、こわいから、もっとゆっくり走ってくれよ、ということが、
ある。横揺れがものすごいのである。

 理論上は133KM以上でないと、
あのカーブで脱線しないと、幹部が記者会見でのべていたが、
ほんとうだろうか。根拠がいまひとつの置き石説をしつこく主張するなど、
どうも信用できない。
 あのぺらぺらの軽い車体で、ほんとうに実証したのだろうか。
 いつも電車に乗っている運転手や車掌は、きっとあぶないと感じていたに、
ちがいない。しかし、それを公にできない雰囲気が社内にあるのだろう。
 たしかに、関西で、JR西日本は、私鉄に勝った。しかし、それは、きわめて
危うい安全神話の虚構の上に立った勝利なのではあるまいか。
 
 私は、とうぶん出来る限り、JR西日本には乗らない。

少し前まで関係者でした。

No.3687

 半年ほど前まで、駅で働いていたので、社内の雰囲気というのは一応知っているつもりなのですが、「あぶない」という経験は、ほぼ毎日のようにあります。それを公にできないというよりも、多すぎてどうしようもないという状況です。

 働いていた当時の駅長がいつも「万が一でも、鉄道の場合は数千人になってしまう。億が一でも多いくらいや。とにかく事故はゼロにしないと、この仕事はつとまらん」といっていました。「安全」というのは、鉄道に関係する人間は必ず頭に置いて仕事をしているはずです。

 駅員と運転手とでは、やはり仕事の質がちがいます。利用者と常に接している駅員は、電車が1分遅れただけでも、強いストレスを感じます。(定刻でついた場合でも乗客に「早すぎる!」と怒られる場合も...)運転手の場合は、乗客の反応、ダイヤを遵守すること、いろいろなストレスがかかっています。
 
 言いたいことがまとまらないのですが、あの運転手が、とか、JR西日本が、というような問題ではないと僕は思います。逆に私鉄が安全かとも言えないでしょう。
 乗務員・駅員はロボットではないので、乗客の状況によっていらいらしたりうれしくなったりします。ストレス発散のために、駅員に八つ当たりする方も多くいます。今回の事故に関しては、あきらかにJR側の責任ですが、日ごろの「あぶない」というのは、運転する側・乗る側両方の行動が作用して減るものだと思います。

 信楽の事故はシステム上のミスでした。今回の事故は、JR西日本だけでなく、通勤列車が走る過密ダイヤがある路線ではどこでも起こりそうな内容です。身内の擁護にしかなりませんが、鉄道関係者は事故以来、以前にもまして慎重に業務しているはずですので、「JR西日本が..」という見方ではなく、日本人の鉄道の乗車スタイル自体を、この機会に考えていただきたいと、僕個人は思っています。

 P.S.列車が遅れて情報提供が少しでも遅れると、クレームがつく。電光掲示板で遅れを表示すると、いっそう強くなって、そういった不満が運転手へそのまま直結してしまう。私鉄に勝つとかではなく、乗る人の不満をどうやったら軽減できるか..という中で定時運転や回復運転の遵守につながっています。とても複雑な心境です。

Re: JR尼崎事故

No.3688

>鈴木さん
ありがとうございます。誰も関心がないのかと思って不安でした。
そういえば、駅でアルバイト?されてたんですね。

たしかに、全体的な都市圏の鉄道の問題、あるいは乗客の意識なども問題だと思います。
しかし、私は、それでもなお、JR西日本特有の問題があると思うのです。
(このあたりは元木先生がお詳しいと思うのですが)
つまり、私鉄に対して20年ほど前は圧倒的に、利用度が低く、私の印象では、
関西の「国鉄」はローカル線だけで成り立っている、と東京からきたとき思いました。
それが、民営化以後、スピードを最大の武器に、急成長。
私鉄は、線路が少なくて、これ以上のダイヤが組めないのですね。
ところが、JRは線路はたくさんあるし、貨物部門の縮小で、さらに線路は増えるし、
スピードが武器になった。そのために、かなり無理がかかったのではないか。
しかも、路線が複雑なので、一つの遅れが、全体のシステムに大きく影響する。
いろいろな面で、JR西日本特有の問題があり、それが今回の事故につながっていったのではないか。しろうと考えで、そんなことを思います。

「あぶない」という経験が、ほぼ毎日のようにあり、それを公にできない、というか多すぎてどうしようもない、という現状はやはり、改善しなければならないのではないでしょうか。

Re: JR尼崎事故

No.3689

私が気になったのは、ミスが許されない、という体質です。オーバーランはそれはまずいでしょう。しかし、ある程度以上のオーバーランをすると、もうしません、という誓約書(?)を書かされるようなことが報道されていました。そんなものを書かされたら、まじめに申告して二度と運転できなくなるより、ちょっと誤魔化して……などと考えたくなるのが人情というもの。それが今回の事故に関係しているのだとしたら、やはり、責任は組織にあるのでは、と考えたくなってしまいます。編集者なら、誤植はつきものさ、などとうそぶいていられますが、彼らはそれだけ大変な仕事な訳ですから、そこに、なんらかの緩和措置がないと、人間が壊れてしまうように感じました。

本線とローカル線

No.3690

 美川先生の書き込みで思い出したのですが

 今回の福知山線は、どちらかというとローカル線です。結局問題なのは、ローカル線が本線(東海道線)をまたぐ形で通過している点です。
 やはりJR西日本は本線がドル箱であり重要ですので、数分でも遅らせることができません。

 働いていた奈良線でも東海道線に入る列車があるのですが、その列車の運行に関しては時間にシビアです。ただ、奈良線の場合は1日に数本ですので良いですが、福知山-東西-学研都市線については、ほとんどが本線を通過するので、もっとピリピリした状況だと想像できます。

 本線はATS-P(新)、ローカル線はATS-SW(旧型)ですので、スピード重視というよりは、ローカル線が本線をまたいでいる現状が、ミスを誘発したのではないかと思います。
 福知山線はあと数ヶ月で新型のシステムをいれる予定だったと報道で出ていましたが、遅すぎたという事ですね。
 私鉄がスピードを出せないのは、車両の問題ではなく、線形(カーブが多い)ためなので、比較的直線が多い阪急京都線はスピードが出てると思います。(最近、停車駅が多いのでそれほどでもないですが)

 先ほどニュースで、京都駅でのオーバーランで乗客が降りたというのがありましたが、電車の込み具合天気などで制動距離が変わるわけで、数mくらいは石浜さんの仰るとおりでよくあることです。

Re: JR尼崎事故

美川圭
No.3691

>石浜さん

ミスがゆるされない体質はたいへん問題ですね。
それよりも、人間はミスをするものである、という前提を認めない組織は、
最終的にこのようなとりかえしのつかない何万倍の大ミスをうみだす、
というべきでしょう。
少々のオーバーランや遅れは、どうということはない、と考えること。
語弊はあるかもしれませんが、ラテン的感覚が必要ですね。
大したことない1分半の遅れの取り戻しのために、
運転手は時速70km制限のカーブを100km以上出していた。
そのことこそが問題でしょう。

しかも、幹部は、133km以上でないと、計算上は脱線しない、
などと言い、置き石説を最初から主張していました。

これは、重大です。

つまり、133km以下なら、出しても大丈夫だと、言っていることになる。
制限速度オーバーについては、ペナルテイはないようです。
そうすると、運転手はどうするでしょう。むしろ無理なスピード出すでしょう。

しかも、過去に同じ程度のカーブを100km程度で脱線した例が、
いくつもあるようです。ですから、幹部の主張は、実効性に問題があります。

この事故の責任を、幹部は亡くなっているかもしれない運転手に着せようとするのでしょうが、それをマスコミが後押しするようなことがあれば、それこそ第二の同様の大事故をうみだしてしまうのではないでしょうか。これは組織の問題だと思います。

Re: JR尼崎事故

No.3696

 こんな事故が、鉄道安全システムが世界で一番進んでいたはずの日本でおこった衝撃は大変なものがあります。電車に乗るのは空気を吸うのと同じようなもの、と思っていたのですが・・・。
 我が家の近所の事故で、しかも「塚口」という地名が出たことから、多くの方々からお見舞いを頂いてしまいました。当方は阪急塚口ですので、日常的にJR福知山線を利用することはありません。でも三田市市史の仕事の帰りにはいつもあそこを通り、大阪に出ます。207系の快速もよく乗ります。とても他人事とは思えません。
 ありきたりの日常の中で、余りに理不尽な最期を迎えられた、あるいは人生を大きくゆがめられるような大怪我を負われた多くに方々のご無念は察するに余りあります。ご家族の悲しみや憤りは、想像を絶する思いです。
 前途有為な方々が多く犠牲になったことも、胸が張り裂ける思いです。こんなことが起こったことが、ただただ無念であり、悔しい思いです。

 事故の原因は素人が軽々に口にできることではありませんが、ニュースを聞く限りでは構造物と、人間の両方に問題があったということになるように思われます。
 福知山線は81年に電化、複線化されるまでは、本当のローカル線で、もっぱら周辺の工場から貨物を運ぶ路線でした。それが都市型路線になり、一躍脚光を浴びたのが東西線とスルー運転が始まり「アーバンネットワーク」の中心に組み込まれてからのことです。
 都市型幹線並みの運転頻度になり、最高速度も120キロ(東海道・山陽線の新快速は130キロ、阪急などは110キロ)に向上しました。
 ところが、ATSがローカル線時代のままだったことはもちろん、事故のカーブの内側に脱線防止の補助レールもない。補助レールは1963年の鶴見事故(すれ違う横須賀線電車の側面に貨物列車が脱線して衝突、電車同士がぶつかって下り電車の4号車が大破し、160名余りの乗客がなくなった)の教訓で設置されるようになったものです。
 しかし、これが行き渡っていないことは、先年の中目黒の地下鉄事故からも明らかです。ただ、あれは駅構内で、当時としては脱線など想定できなかったところですが、今度の場所は最高速度から急減速する場所であり、設置しなかったJRの不見識は厳しく問われるべきでしょう。
 あのカーブ、もとは尼崎港に向かって直進する福知山線から、東海道線に合流するために設けた側線のものです。カーブはそのときの形状が残り、カーブを緩和する補助曲線も十分確保されていなかったようです。
 結局、多くの列車が高速で通過する路線に格上げされたのに、設備はローカル線時代のまま、ということが最大の問題でしょう。
 だからJRはなってない、というのは簡単ですが、結局これは旧国鉄時代の、関西軽視の負の遺産以外の何者でもありません。儲からない関西にはほとんど設備投資をせず、都市周辺の幹線も、関西線のように長年非電化で放置したり、福知山、山陰線などのように単線のまま。その付けを、基盤が弱体なJR西日本に押し付けたのです。

 JRは、ただでさえ人口が減少する関西の通勤輸送を基盤とするだけに、平行する民鉄から乗客を奪取せざるを得ません。そのために、強引な速度上昇、高密度ダイヤ、各線のスルー運転を実施してきました。それが大きな成功を収めたことは疑いのないことです。
 それが、設備不十分なまま、高速・高密度運転を強いる結果となったのは言うまでもありません。
 また同時に、運転士以下の乗務員や、幹部に至るまで大きなプレッシャーとなったことは疑いありません。まして、急激な運転本数の増加に対応するために、経験の浅い運転士を大量に起用することにもなり、それがオーバーランなどを誘発する原因にもなったようです。極論すれば、経験未熟な運転士に、曲芸のような運転をさせた、ということになりまししょうか。
 JR西日本の体質は、一言で言えば、まさにトップヘビーです。その問題の根は、極めて深いものであり、単に幹部の責任というだけではなく、国鉄分割民営化に立ち返って、再検討するべき問題だろうと思います。
 
 207系は乗り心地もよく、居住性にも優れ、高速運転も可能な、まさにJR西日本を代表する電車でした。その最新鋭車両の車体が、まるでアルミ缶のように捻じ曲がった姿には、激しい戦慄と深い悲しみを禁じ得ませんでした。
 さらにそこから、JR西日本と関西の置かれた厳しい悲劇的な状況もみえてきたような気がしてまいりました。

Re: JR尼崎事故

美川圭
No.3697

 熱烈な鉄道フアンでもある
(その鉄道への愛情が、今回の事故におけるショックを倍加された
こともよくわかりました)元木先生の書き込みを待望して、
怒りにまかせて、いろいろ好き放題のことを書いてきたのですが、
総括的な説明をしていただいて、ほんとうによかったです。
JR西日本のおかれた立場、のみならず、現在の関西、
というものまで論じていただいて、たいへん勉強になりました。
 私のような東京生まれ育ちにとっては、まったく気がつかない
視点でもありました。
 ありがとうございました。

年度はじめの例会

No.3682

 昨日はみなさんお忙しい中、拙くまとまりのない報告をお聞きいただきまして、誠にありがとうございます。諸先生方に囲まれて、けっこう緊張しました。
 また、あまり考えずにみなさんのご都合が悪い日をわざわざ選んでしまいまして、すみませんでした。

>山岡さん 『吾妻鏡』をお休みしてしまってすみませんでした。この埋め合わせはまたいずれ。
>山本さん どうぞお大事に。『太平記』の二巻目は山岡さんにお預けしました。

お疲れ様でした

山岡 瞳
No.3683

>岩田さん
昨日はお疲れ様でした。自分の興味に引き付けた質問しかできず、申し訳ありませんでした。
また、ビデオありがとうございます。早速にも見たいと思います。ちょうどいいときに連休が☆

明日は『百錬抄』講読会です。

No.3684

 岩田君、昨日はありがとうございました。本当に出席者はほとんど「先生」ばかりでしたね。
 日本史研究会の部会と重なったために、すこし人数が少なかったのが残念でしたが、小生もよい勉強をさせていただきました。
 次の例会は、京大院生の辻君に御報告をお願いすることになっているようですが、日程や報告テーマなどの告知について、山内さん、よろしくお願いいたします。ついでに、トップページの月間予定の更新も気をつけてください。間違える人がいますので。
 なお、明日から『百錬抄』の講読会を開始します。「安徳天皇」から。主に京都女子大の学部生を対象にした講読会ですから、卒論で中世前期をやろう、とか、源平内乱期に関心があるという人がいたら、メンバー以外でも積極的に御参加下さい(もちろん、御指導いただける院生・他大学の方の参加も大歓迎。明日は京女の卒業生で神戸大学院生の平田さんが来てくれるはずです)。
 16時から研究所共同研究室(L校舎3F)です。 

ありがとうございました

No.3692

レスが遅くなりすみません。
岩田さん、月曜日はありがとうございました。
勉強不足のため何やらとんちんかんな質問をしてしまいすみませんでした。しかし、ちょうど授業で高校生に同じ時代の話をしたばかりだったため私自身とても勉強になりました。ありがとうございました。
岩田師範のように私もわかりやすい説明ができるように頑張ります。

花摘む義経

No.3676

『義経』見ました。

平宗盛が、父の意に反して、幽閉中の後白河に呼び出され、
てなづけられる。あの、「幽閉」って、こういうことが出来ないように、
する処置なはずです。外部との連絡を遮断して、政治的活動を封じる。
これでは幽閉したことになりません。
脚本家が、高倉上皇が還都を主張した話とごっちゃにしたのでしょうか。

また、後白河に逢ったあとの
宗盛が、自分は清盛と時子の子ではなく、後白河の落胤で、母も時子ではない、
と疑い、そのことを時子に投げかけるという話が出てきます。
清盛が白河落胤という話から、つくった「虚構」なのでしょう。
見ている普通の人は、そういう話があったのか、と思いますよねえ。
でもそんな人物を、清盛が自分の後継者に指名するはずがないのですが。

かと思うと、北条政子が亀の前の家を焼き払わせる話。
これは、『吾妻鏡』に出てくる話が、かなり歪められています。
このドラマでは、治承四年のようですが、

『吾妻鏡』では、寿永元年11月10日条。つまり8月に政子は頼家を生む。
なんで、頼朝が浮気したかわかりますねえ。
しかも、政子は亀の前が住まわせられていた伏見冠者広綱飯嶋家を、
牧三郎宗親に命じて破却させた。ところが、頼朝が怒り、宗親の髻が切られるは、
政子の怒りで、広綱は遠江に配流されるは、たいへんな騒ぎ。
しかも、北条時政も、牧宗親に対する頼朝の処置に怒り、伊豆へ。

ドラマでは、ただの恐ろしい政子、を印象づける事件に変わっていました。
しかも、亀の前と頼朝との関係をさぐりに来た政子。どういうわけか、
亀の前の家の廻りで花を摘んでいる義経。政子と義経、はちあわせ。
よりにもよって、義経、摘んだ花を政子に。

こういう虚構をつくると、とうぜん、政子は、義経が媒したと疑うはず。
しかも、家を焼かれた亀の前は、義経にかくまわれている。
こうだと、さらに義経の疑い必定。義経と北条氏との対立に発展。
これほど、北条氏の覚えが悪い義経は、とてもじゃないが、
平家追討軍の大将などには選ばれるはずもない。
ところが、このドラマでは、そうはならないんですね。不思議ですね。

それにしても、なんで義経、あそこで花を摘んでいたんでしょうか。
もうようわからん。

Re: 花摘む義経

No.3677

美川先生、皆様、こんばんは。

宗盛が清盛と時子夫婦の実子ではないというのは、
『平家物語』の諸本の中で『源平盛衰記』(巻43)にだけ載録されている所伝です。
『盛衰記』では、壇ノ浦での時子が、「実は宗盛は私と清盛様の実子ではない。だから、重盛にも似ておらず、情けない者であるのは当然なのだ。私が妊娠した時に、清盛様が「男の子が良い」といった。しかし生まれたのは女の子だったので、清水寺の北の坂で唐笠を張って売っている僧のところの男子と取り替えたのだ」と語ったことになっています。ショック! まさに「衝撃の告白!!!」とでもいえる週刊誌ネタです。(もちろん、これは史実ではありません。お間違えのないように)。

ただ、それでも、宗盛が後白河法皇の御落胤だという話は聞いたことがありません。これはまったくの虚構ですね。

それとも、次のようなストーリーはいかが?
宗盛「私は法皇様の御落胤では?」(強く母に迫る)
時子「今まで隠していてすまなかった。確かにあなたは私の実子ではない。実は、清水寺の笠張りの僧の息子なのだ」(涙ながらの告白)
宗盛「(絶句・・・)」
〈翌日、絶望のあまり自害した宗盛の遺体発見。清盛、涙にくれる。〉。

あまりにむちゃくちゃかな・・・

Re: 花摘む義経

No.3678

>山田先生

>『盛衰記』では、壇ノ浦での時子が、「実は宗盛は私と清盛様の実子ではない。だから、重盛にも似ておらず、情けない者であるのは当然なのだ。私が妊娠した時に、清盛様が「男の子が良い」といった。しかし生まれたのは女の子だったので、清水寺の北の坂で唐笠を張って売っている僧のところの男子と取り替えたのだ」と語ったことになっています。ショック! まさに「衝撃の告白!!!」とでもいえる週刊誌ネタです。(もちろん、これは史実ではありません。お間違えのないように)。

これは、気がつきませんでした。ご教示ありがとうございます。
しかし、この『盛衰記』の話も、あまりにも「情けない」話ですね。

うわなりうち

No.3679

 昨夜の『義経』は、「ドラマだから楽しめばよいのだ」とおおらかな気持ちで見ることはとても出来ませんでした。以前の美川先生同様、いささか苦痛を感じましたので、チャンネルをかえました。

 一昨日は「平家物語研究会」(九段高校)、昨日は「軍記・語り物研究会」(早稲田大学)に出席させていただきました。「平家研」では、慈光寺本『承久記』について報告をさせていただきました。実に緊張感のない発表態度で若い方たちの顰蹙をかったことは相違ないと思っておりますが(田中さん、如何でしたか?)、でも兵藤先生に面白がって頂いたので良かったと思っております。講談社の横山さんからも励ましをいただいて『承久の乱』執筆の意欲が湧いてきました。
 「軍記研」では、樋口大祐先生の為朝論にたいへん触発されました。帰途、御一緒した樋口州男先生も同じ感想をお持ちでした。鹿児島の持躰松遺跡が阿多忠景(為朝の舅)との関係が指摘された頃から、この問題に国文学の研究者がなぜ関心を持ってくれないのだろうかと訝しく思っておりましたが、樋口先生が近年の武士論研究の成果を踏まえた上で、この点に論及されたことは「我が意を得たり」の心境でした。
 ところで、「平家研」では、学習院大学大学院生の重政誠君から『学習院大学大学院日本語日本文学』創刊号をいただきました。重政誠「『平家公達草子』「青海波」成立に関する小考」をはじめ、中丸貴史「『江談抄』壺切剣に関する一考察-書かれた口伝をめぐって-」・勝亦志織「『いはでしのぶ』の一品宮-「一品宮」の降嫁-」など、当ゼミメンバーにもお馴染みの方たちの玉稿が掲載されています。「軍記研」では、東北大学の佐倉由泰先生から御高論『『将門記』を読む』(『国語と国文学』第82巻第5号抜刷)をいただきました。また、帰宅すると神戸大学の髙橋昌明先生から御高論「清盛家家政の一断面-備後国大田荘関係文書を手がかりとして-」(笠井昌昭編『文化史学の挑戦』思文閣出版出版、抜刷)、(財)とちぎ生涯学習文化財団埋蔵文化センターの津野仁先生から「毛抜形太刀の系譜」(『國學院大學考古学資料館紀要』第21輯抜刷)が届いていました。以上、あわせて、あつく御礼申しあげます。
 なお、御紹介が遅れましたが、福田豊彦先生から、福田先生や佐伯真一先生等が参加された千葉妙見説話に関するシンポジウムの記録が掲載された千葉市立郷土博物館『研究紀要』第11号の御恵送をいただきました。あつく御礼を申し上げます。

『古代文化』「平家と福原」書評会の日程

No.3665

 『古代文化』特輯「平家と福原」の書評および山田邦和先生の研究報告「福原遷都の混迷と挫折」をもって構成される『台記』研究会・当ゼミ例会合同研究会の実施日程について、紛糾を重ねて参りましたが、仮に予定していた第一候補の5月11日も元木先生の御都合が悪くなりました。したがいまして、この研究会の実施は第二候補の6月4日に確定することになりましたのでお知らせいたします。
 6月4日は土曜日ですので、当初案のように開始時刻を午後1時とし、時間をかけて議論を深めることが出来れば幸いと考えます。『台記』研究会のメンバー以外でも当該『古代文化』御執筆の先生方、元木先生のゼミや講義を受講されている京大・龍谷大・関学大の院生・学生のみなさんの御参加を歓迎いたします。当ゼミメンバーも、平家・福原に関心をお持ちのお知り合いの方がおられましたら、ぜひ参加をお誘い下さい。
 
 ☆ <確認>『古代文化』特輯「平家と福原」の書評および山田邦和「福原遷都の混迷と挫折」研究発表会→6月4日(土)午後1時より 京都女子大学宗教・文化研究所共同研究室(L校舎3F)にて。(懇親会については、どなたか?指名を待つまでもなく、別途御検討下されば幸いです)     

『自転車泥棒』続報。

No.3666

 本日は、一人で書き込んでばかりで申し訳ありません。
 先に御報告いたしました今月15日深夜から16日早朝の間に当家庭先より盗まれた自転車ですが、奇跡的に、カギは破壊されてはいますが、ほとんど無傷で戻って参りました。
 木幡駅近くに放置されていたのを付近の方が警察に通報され、宇治警察署の担当官が防犯登録をもとに当家に連絡をしてくれたばかりか、わざわざ大型の車に載せて届けて下さいました。このとき小生は、高校時代、我が親友がパトカーで帰宅したという故事を思い出しました(この親友は目下、立派な教育者として周囲の尊敬を集めています)。
 さて、犯人は故買を目的にするような組織のメンバーではなく、ただのイタズラか出来心でやったもののようです。となると、犯人は六地蔵・木幡エリアに住み、深夜に徘徊するような人物ということになります。
 「深夜徘徊」という言葉は、小生が高校教諭をしていた時の日常用語です。こんな言葉を思い出すと「生徒指導部の教師魂」が目を覚ましそうです。でも、徹夜での張り番は今は無理です。京都教育大出身にして木幡在住の岩田君、いかがでしょうか?
 
☆ そういうわけで、自転車が戻りましたので、永富さん、差し上げます。カギはそちらで取り付けてください。鈴木君、よろしく。

Re: 『自転車泥棒』続報

No.3667

ここのところ良いニュースがなかったのですが、吉報ですね。
これで、いろいろなことが、よい方向に向かっていくことを祈ります。
なお、6月4日(土)楽しみにしております。

深夜徘徊

岩田慎平
No.3669

 木幡は案外ぶっそうなところもあって、今回の野口先生の自転車の件は言うに及ばず、いろいろと用心が肝要のようです(もちろん木幡に限りませんが)。
 「六地蔵・木幡エリアに住み、深夜に徘徊するような人物」というのは、府道沿いのセブンイレブンや東御蔵山のアンスリーなどによく集まっているようですが、僕も怖いので夜はあんまりこれらのお店には行きません。よって、僕にとってはこれらのお店は「コンビニ」ではありません。ローカルな情報ですみません。
 そんなていたらくなので、夜番には不向き(役立たず)でありましょう。怖い目に遭ったら「助けて下さ~い」と叫びながら逃げることで、防犯ベルの役割くらいならできるかのしれません。

 ところで、『古代文化』特輯「平家と福原」号、入手しました。しっかり勉強したいと思います。

深夜に俳諧の会というのは。

No.3671

 なるほど徘徊者はコンビニに集まるのですか。さすれば、近隣中・高の国語科の先生方と協力して「深夜俳諧の会」でも開催するというのも妙案かも知れませんね。満月の夜など、当地はなかなか風情のあるところですから。
 それにしても、治安の悪化は当地のみならず。千葉県茂原市の近くに住む教え子によれば、そのあたりでは農業用の機械の盗難が頻発しているとのこと。また、ご本人も、買って半年もしない愛車のドアガラスを蜂の巣のようにされたことがあるとのことです。
 いよいよ「自力救済の時代」でしょうか。

 本日、源健一郎先生より御高論「巴に求められたもの-源平盛衰記の女武者像」掲載の『国文学 解釈と鑑賞』第70巻3号、同じく「巴の変貌-大力伝承の共鳴-」掲載の『日本文藝研究』第56巻第4号および御高論「平家物語の汎仏教性-寺院における歴史叙述生成との連関-」(『佛教文學』第28号)・「『源平盛衰記』と天台圏-青蓮院門跡関与説の検証-」(『中世文学』第49号)の抜刷を御恵送いただきました。あつく御礼申しあげます。

おかえりなさい~自転車さん♪

No.3675

自転車戻ってきたんですね~♪
よかったよかった♪ d(⌒o⌒)b♪
また盗まれないうちに今度こそ早めに取りに伺うようにいたします。

古文書学会春の見学会に行く人は?

No.3662

 先般、元木先生より下記のような御案内をいただきました。小生は車で出かけようかと考えております(朝出発して周辺の史跡なども見学)。もしセミメンバーで参加者がお出でになれば御連絡下さい。とりまとめて、元木先生に御連絡いたします。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
来る5月22日日曜日、13時より、宮津市の丹後歴史資料館にて、古文書学会の春の見学会を開催いたします。ふるってご参加ください。
 見学する展覧会は、『古代中世の宮津』展です。
 主な展示品は以下の通りです。

 「青龍3年銘方格規矩四神鏡」(京丹後市)重文
 「海部勘注系図」(海部氏蔵)国宝(展示換えあり)
  六波羅探題などの制札(金剛心院)重文
  丹後国宣(籠神社)府指定文化財
  足利高氏証判の日置末清着到状(百舌講文書)など
 
 入場料、資料代が必要です。
 当日は13時に1階ロビーで集合。
 学芸員の辰巳氏に解説をお願いしております。

 参加希望の方は元木までメールで御連絡ください。
  
 宮津市歴史資料館の場所、連絡先は以下の通り。
〒626-0041
 宮津市鶴賀2164
 みやづ歴史の館内
 北近畿丹後鉄道宮津下車 徒歩10分
 電話0772-20-2164
以上です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
☆ 新たに元木先生の御講演についてお知らせいたします。これも都合がつけば行きたいものです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 先人に学ぶガレリアフォーラム
 「頼政と義経」―源平争乱の光と影―

  亀岡市で生誕もしくはゆかりのある人物をテーマとした「先人に学ぶガレリアフォーラム」。今年度は、源平争乱の口火を切った頼政と、決着をつけた義経の二人を
取り上げ、その背景について検証します。

  日時  平成17年5月7日(土)13時30分~ 
  会場  ガレリアかめおか 2階 大広間

  内容  基調講演  元木 泰雄(京都大学大学院人間・環境学研究科教授)

  シンポジウム
   パネリスト      朧谷 寿(同志社女子大学教授)
                元木 泰雄(京都大学大学院人間・環境学研究科教授)
               黒川 孝宏(亀岡市文化資料館館長)
    コーディネーター 上田 正昭(京都大学名誉教授)

    入場無料
    *補聴器誘導磁気ループ・保育サービス(0歳児~就学前・要予約)を行います
    *要約筆記・手話通訳が必要な方は4月27日(水)までにお申し込みください

先生方からのメッセージと御恵送の御礼。

No.3663

 『紫苑』第3号にたいして、山下克明先生から「若い学生諸氏の論文・ゼミ活動記を拝読すると、失いかけている真摯な気持ちが甦る思いです」という御感想をいただきました。また、鈴木彰先生からも、ゼミメンバーに宛てて、『紫苑』をお読み下さった上でのメッセージのお葉書をいただきましたので、研究室前に掲示しておきました。御覧下さい。
 その鈴木先生から、御高論「『鍛冶名字考』所載の保元・平治の乱関連説について-中世刀剣伝書にみる『保元物語』『平治物語』の位相-」(『古典遺産』第54号、2004年)・「軍記物語にみる日本海」(『国文学 解釈と鑑賞』第69巻11号、2004年)・「近世・近代の後醍醐天皇」(佐藤和彦・樋口州男編『後醍醐天皇のすべて』新人物往来社、2004年)の抜刷を頂きました。
 また、宇都宮の松本一夫先生からは、御高論「「茂木文書」調査報告」(『栃木県立文書館研究紀要』第九号、2005年)、仙台の佐藤健治先生からは、御高論「中世初期の醍醐寺と年中行事書」(羽下巻徳彦編『中世の地域と宗教』吉川弘文館、2005年)の抜刷を頂戴いたしました。
 そして、時間が前後しますが、東大史料編纂所の尾上陽介先生から、五味文彦先生を研究代表者とする研究『『明月記』『吾妻鏡』の写本研究と古典学の方法』の報告書(2003年)をお送り頂きました。
 本年四月に同志社大学に着任された植木朝子先生から、御高論「今様-平安末期の新興歌謡」掲載の『国文学』第50巻第4号を頂きました。
 先生方にあつく御礼申しあげます。

Re: 古文書学会春の見学会に行く人は?

No.3674

  PCの不調やら何やらで書き込めず、失礼しました。
 野口先生、わざわざ古文書学会のご案内を頂き、またガレリア亀岡の宣伝まで書き込んでいただき、誠に恐縮です。
 当方は、人・環の研究室旅行の一環として、22日出発、その晩は城崎あたりで一泊する予定です。23日月曜は久美浜、出石、玄武洞などを見学の予定です。
 特別に合流を希望される方がおられましたら、幹事の佐伯君に御相談ください。
 なお、古文書学会の件ですが、宮津歴史資料館の入場料は、大人400円です。また、展示以外にも館蔵の文書なども若干拝見できます。

 最近の展覧会では、大阪城天守閣の『秀吉の貌』展が出色です。見慣れた肖像画にもいくつか系統があること、唐冠の肖像の厳つさは、見慣れた高台寺のそれと大きく違うこと、肖像画が封印された近世の絵本太閤記の秀吉像の奇抜さ、イメージの一人歩きなど、歴史イメージがどのように生まれ、展開するかを知る興味深い内容になっております。
 大阪歴史博物館では阪神タイガース展(こちらはどうでも良い)も開催中です。ともに8日まで。

 ついでに、以前ご紹介した姫路の兵庫県立歴史博物館の義経展、5月28日オープンです。29日、当方の講演もあります。なお、他の講演会など、関連行事の詳細については、「兵庫インターキャンパス」のHPをご覧下さい。

 今日の義経、いかがでしたか。当方、家族にTVを占拠され見ておりません。見ない方が良かった?

歌舞伎へのお誘い再び

末松憲子
No.3659

かなり以前になりますが、お知らせしておりました『歌舞伎鑑賞教室』へのお誘い、再びです。
日程はかなり差し迫っておりまして、4月24日(日)、今週末となっております。
演目は、八百屋お七を描いた『櫓のお七』です。(チケット代2000円)
時間は十一時からの部ですので、十時半に南座前集合とさせて頂きたいと思います。
終了後、下京散策を堤邦彦先生他ゼミ生と行う予定ですが、こちらの方は参加自由です。
近世江戸時代の京都及び伝承に興味のある方は、是非ご参加下さい。
学内の方のチケットのとりまとめがスムーズにいかず、こんな遅くのお知らせとなってしまいました。すみません。
現在チケットが5枚ほど余っております。
参加希望の方は、こちらの掲示板に書き込むか、私の方まで直接ご連絡下さい。
よろしくお願いします。

>薗田さん
連絡遅くなってごめんなさい。先日連絡先を交換しておくべきでした。
十時半に南座前です。全席自由席なので、朝は全体では集合をしません。なので演目が終わってから、先生にご紹介しますね!

>ちさこさん
先日はご連絡頂いたのに参加できなくてごめんなさい。懲りずにまた何か誘って下さいませ。もし東京行き組に入っていなければ、歌舞伎見ませんか~?

>山岡さん
掲示板の方でお知らせすることができました。もしよろしかったらご一緒しましょう。

Re: 歌舞伎へのお誘い再び

No.3660

末松さん この間は急に無理を言ってごめんなさい。
時間が合わず残念でした。

そして歌舞伎鑑賞、お誘いありがとうございます。
興味があるのですが、その日は東京組とは別件で東京へ映画を見に行きます。
神田の岩波ホールで、映画「山中常盤」が上映されるのです(4/23~29)。
映画「山中常盤」は、羽田澄子監督のドキュメンタリー映画で、岩佐又兵衛の「山中常盤絵巻」を記録したものです。

Re: 歌舞伎へのお誘い再び

末松憲子
No.3661

それは残念です。
また何かご一緒いたしましょう。

Re: 歌舞伎へのお誘い再び

No.3668

了解しました!体力が余っておりましたら、下京散策にも加わりたいと思います。
 最近『重宝記資料集成』なる本の製作作業に携わっているので、近世の文化も勉強したく思っておりました。(『重宝記』は主に江戸期に出版された実用的な生活情報をまとめた本で、料理のハウツーから眉毛の書き方、実用模範文例集にいたるまで幅広く庶民の生活を網羅したものです。)
鑑賞会のあとは芸能関係の記事が楽しく読めるだろうな~♪と楽しみにしております。

Re: 歌舞伎へのお誘い再び

末松憲子
No.3670

チケット完売しました。ありがとうございますo(^-^)o

まさに「めざましテレビ」

No.3655

今朝の「めざましテレビ」のコーナー「めざまし調査隊」に、山田邦和先生が電話出演されていました!
テーマは「大阪の人が東西南北を使って道案内をするのはなぜ?」というもの。
先生のお声で朝から癒されました。

それでは行ってきます!

わー!

田中裕紀
No.3656

薗田さん、本当ですか!?
というよりは、ここでは山田邦和先生に直接お尋ねした方が速そうです。
山田先生本当ですか!?
見たかったです。いや、聞きたかったです。
今度出演される時には、ぜひお知らせ下さい。
私も行ってきます!

Re: まさに「めざましテレビ」

No.3657

え~~~っ!
知らなかった!
本人も忘れていたようです。

Re: まさに「めざましテレビ」

No.3658

仕事に出る前に見ていたのに...
気づきませんでした。あぁ、残念

やっぱりそうなんや!

笠 露子
No.3664

ちょうどその日めざましテレビを見ていたのですが、
お名前がテロップで出ていたのを見て「もしかして、掲示板で拝見する先生?」
と思ったのでした(ご本人にはお会いしたことがないのですが)。

実家にいたころは「めざまし調査隊」をやってる時間帯には起きていませんでしたが
今週からは↑の時間には活動していなければならなくなりました。
今日ようやくネット環境も整いカキコしている次第です。

ということで、今後ともよろしくお願いいたします♪

遅くなりましたが…

新地 浩一郎
No.3654

 野口先生、皆さん、こんばんは。遅くなりましたが、『紫苑』を送っていただきありがとうございました。4月から勤務場所が変わり荷物の移動と業務引継ぎのため、いまだに公民館と役場を行ったり来たりの生活で、今日やっと自分宛の郵便物を確認することができました。落ち着いてからゆっくり読ませていただきたいと思います。

 鹿児島のおすすめの場所として、さっき思い出したのですが、現在は薩摩川内市になってしまった入来文書で有名な旧入来町はいかがでしょうか。中世から近世まで入来院氏(渋谷氏)が本拠を構えた地域で、特徴的な石塔群もありますし、武家屋敷の玉石を積んでつくられた石垣もよく残っています。少し走れば薩摩国分寺跡や新田神宮のある旧川内市域も近いです。
 その他の鹿児島県内の主要な史跡と博物館(資料館)についても、鹿児島市からの距離と所要時間は大体頭に入っていますので、お越しの折はナビとして活用してください。

 それでは。

THE DOCUMENTS OF IRIKI

No.3672

 新地さん、旧入来町の御紹介、ありがとうございます。
 「入来院」というと、大学生時代に、ある知ったかぶりの後輩が「にゅうらいいん」と言っていたのを思い出します。
 旧入来町は、1993年の中世史サマーセミナーの見学地でした。そういえば、あの時は仁木先生・京樂先生もお見えでしたね。暑い一日でした。
 入来町は薩摩川内市になったのですか。川内市(せんだいし)は仙台市と訓みが同じで、しばしば混乱することがありましたから、「薩摩」をつければ解消という訳でしょうか。
 ところで「入来文書」は朝河貫一氏によって英訳されていて欧米の研究者にも有名です。かつて大阪市立大学では河音能平先生がこの英訳を使ってゼミをされていたと聞いたことがあります。当ゼミでもやりましょうか。須田春子先生の遺してくださった旧蔵書の中に、この本を見つけました。
 「古文書大好き、英語大嫌い」という人の、英語克服には最適かも知れません。

最後の「日本人」

No.3673

新地さん>
 こんばんは。勤務地が変わったとのこと、教育関係の職場の辞令は年度末ギリギリですし、大変だったかと思います。お疲れ様でした。
 私も学部生時代にゼミ旅行で北薩めぐりをしました。入来町は甫場整備が進んでいないため、中世の景観が残っている希有な地域ですよね。私はゼミで扱った相論の舞台で、下地中分線が確認できてワクワクしました。ほかにも北郷(ほんごう)氏の墓地、川内市の近世の船着場も海岸線が特殊でおもしろいと思います。食べ物は「アラカブ」がおすすめです。
野口先生>私は古文書の授業でどうしても言葉の意味がわからないときに、こっそり「入来文書」の英訳本と文書を比較して活用しておりました。英訳をされた朝川貫一氏は歴史学者ではないのに、文書の意味を的確に把握して訳をされていますよね。たいへん御世話になった本です。

 ちなみに朝川氏に関しては『最後の「日本人」』(阿部善雄著 岩波書店)という伝記もありますので、興味のあるかたは是非に。以上、ご当地PRでした♪

4月19日、結婚記念日おめでとう。

No.3652

 ◇ 4月19日は、当ゼミ草創期の牽引役の一人であった土屋君の結婚記念日です。
 今日は本年度最初のゼミ史料講読会が開催されましたが、その席で、土屋君の滝口ならびに北面の武士に関する研究が話題になりました。論文の御公表を待望する次第です。
 土屋君の故郷、佐渡にもいずれ、うかがいたいものです。

 ◇ 第一回ゼミ旅行参加のメンバーには思い出深い神奈川県立金沢文庫で「頼朝・範頼・義経-武州金沢に伝わる史実と伝説-」という企画展が6月9日(木)~8月7日(月)の会期で開催されるとのことです。
 注目されるのは「範頼」の取り上げ方と評価です。

 ◇ 山田ちさ子さんのblog「平家物語」に『古代文化』特輯「平家と福原」が写真入りで紹介されています。
 山田邦和先生のblog「平安京閑話」にも、本号の紹介と、山田先生が考古学の世界から『平家物語研究』の世界に(侵)出するに至る経緯が記されております。ちなみに、小生、「教養」はあっても、他人様に「強要」をいたしたことなどございません。

  『古代文化』のバックナンバーには、特輯「平泉,京都,鎌倉-平安末期都市史研究-」(第45巻第9号、1993年)、特輯「武門の台頭と地域権力の創出」(第54巻第6号、2002年)、特輯「11~15世紀における南九州の歴史的展開-万之瀬川下流域における交易・支配・宗教-」(第55巻第2・3号、2003年)などの特輯号や、美川圭「崇徳院生誕問題の歴史的背景」のような興味深い内容の論文を掲載した号がたくさんありますから、それらも併せて購入されるとよいと思います。1冊700~800円。
 ご注文は財団法人古代学協会 ℡075-252-3000まで。

 >えりちゃん先生  生徒さんたちに優れたファッションセンスを涵養することも、中・高の教師の重要な職務だと思います。

中世都市研究会京都大会の助っ人募集。

No.3646

 本日は中世都市研究会京都大会の実行委員会で京大に行きました。さる駐車場に愛車を置いて出掛けたのですが、会議が予定より一時間半以上も長引き、駐車場の閉鎖時間が心配になって、会議終了を待たずして退席させていただきました。駐車場はセーフでしたが、帰宅は9時近く。
 会議参加の諸先生方、決して『義経』を見に帰ったわけではございませんので、誤解なきように。ちゃんと見逃しました。
 ところで、この大会の案内状発送の作業が、5月9日(月)に山田邦和先生邸(「宅」にあらず、豪邸です)で午後6時から行われるので、ゼミメンバーでお手伝いに参加できる方を募集します。特典はなんと言ってもあの市町村立図書館なみの書庫と、ここにしかない貴(寄)本・珍本だらけの蔵書、さらに山田先生の寵愛する二匹の愛犬(マック・クィール)の無料拝観が叶うことです。すでに京女の学生さんもお世話になり、この四月から奈良大学にうつられた河内将芳先生にもお目にかかれるはずです。
 ぜひ、よろしく!
 
 >田中さん  じつに相応しい雰囲気です。荒々しい東国武士の心をつかんだ北条政子を彷彿とさせます。政子の筆跡を見に、神護寺の虫払いに今年も行きますか?

 >門屋君  高校もいろいろでしょう?大学も然りなのです。 

 >八井君  「ケンちゃん先生」じゃ、ちょっとね。志村けんの演じるような先生を想像してしまいます。そういえば、古い話ですが、昔のテレビ番組に「ケーキ屋ケンちゃん」というのがありました。

 >鈴木君  小生も高校に採用早々、社会科主任でした。さらにクラス担任。公務分掌は生徒指導部(先生というより刑事の如し)。バスケットクラブ顧問(貴重な日曜日が・・・)。通勤片道二時間半。担当科目「地理」(日本史で博士課程まで行ったのに)。科目だけで授業は週18コマ。学校は荒れ放題。管理教育のまっただ中。
 あの時の小生が、今の鈴木君に会ったとしたら、さぞかし羨ましがるであろう。わが身の不遇を嘆くであろう・・・と思います。
 しかし、たいへん得難い人生の勉強をすることが出来ました。また、素晴らしい教え子や同僚たちに出会うことも出来ました。
 さて、鈴木君、泥棒さんのお蔭で自転車運送の用は無くなってしまいましたが、家の者のパソコンを見て貰いたい用がございますので、お暇なとき、遊びがてら、よろしくお願いします。

 >研究室宛にメールをお送りいただいた方へ  小生、生活にメリハリをつけるために、研究室に送られたメールを自宅パソコンで開ける設定をしておりませんので、本日は御返事を差し上げることができません。ご容赦下さい。