やっと『義経』

美川圭
No.3641

仕事が進まないので、やっと2回分の『義経』見ました。

山田先生おっしゃる怪奇的な丹後の局。
笑った。血迷ったか。平幹さんの後白河、どうした。がんばれ。
怨霊におそわれる清盛の場面よりずっと怖いわ。

以仁王・頼政挙兵、頼朝挙兵から鎌倉入り。
これらを、ほとんどナレーターの解説で済ますんだから。
あのねえ。テレビってのは、映像が命でしょう。
きちんと、絵でみせてほしいですね。
飲み食いで合戦シーンへ金がまわらないのかな。

その割には、だらだら、単細胞の行家が令旨を伝えるシーン。

 飽きました。

今晩の『義経』から、義経合戦で大活躍か。
期待しましょう。

やはり、私は、まじめに原稿書きます。

Re: やっと『義経』

No.3648

途中から、今日の『義経』見ました。

なんだか、平氏が富士川で油断して、酒宴などして、寝込んでいたら、
水鳥の羽音に驚いて、逃げだしたという話になっていましたね。
平氏が白拍子を従軍させていて、義経と靜が偶然戦場で出合うという、
うちの娘でも「まさか」とのたまうような、あまりの「偶然」をつくる
ために、平氏に宴会をさせたようです。
油断していたのなら、水鳥の羽音ぐらいで驚くことはあるまいにねえ。
へんな人たちです。

上洛するか、上洛しないか、という鎌倉幕府成立に関する重大な
頼朝の決断も、まああっさりと。

それでいて、あの義経の変な家来たちが、やたらにまた地面を掘り返して、
いったいなんなんでしょうか。

松平弁慶、失策!

No.3649

頼朝本陣にたどりついた義経一行、平家の武者とまちがえられて頼朝軍の兵に取り囲まれます。その時に松平健さんの武蔵坊弁慶が言った言葉。「これは源氏の御大将・ウキョウノスケ頼朝さまの御舎弟、九郎義経さまでござる」。
耳を疑ってビデオを見直してみましたが、やはりウキョウノスケと発音しています。もちろん、頼朝は前右京亮ではなく、前右兵衛佐が正しい。あ~あ、松平健さま、失策ですね。
 義経の家来が土を掘り返しているのはいいのですが、そのうちのひとり(誰だっけ?)はどう見ても土掘り経験者とは思えないへっぴり腰ですね。あれでは1時間もしないうちにヘロヘロになります。
(と、一応は発掘調査で土掘りのしんどさを経験してきた山田の揚げ足取りでした・・・)

『自転車泥棒』。

No.3635

 昔、こういうタイトルの映画がありましたが、昨夜、これが当家にあらわれたようです。永富さんに差し上げる予定の自転車が盗まれてしまいました。もちろん、門の中、玄関前に置いておいたのですが。こどものころ、小生の三輪車が盗まれた経験がありますが、それ以来のことです。街中に駐輪していて、盗まれたという話はよくきいていましたが、まさか深夜の住宅街にまでとは。おそらく、わざわざ探しに回っている窃盗団がいるのでしょう。
 家族が大切にしていたものだけに、気分じつに不愉快です。悲しむべきことに、どうも当節、治安上、「性善説」は通用しがたくなったようです。
 この場に書き込むべき話でないとも思いましたが、これを教訓に、みなさまもどうぞお気をつけください。
 そう言う次第で、永富さん、申し訳ありません。

Re: 『自転車泥棒』。

美川圭
No.3638

朝よく見ているフジ系のワイドショーの司会者小倉さんが、
車(ランドクルーザー)を自宅から盗まれたそうで、
この前、自分でその一部始終を話していました。
あっという間に、ナンバープレートや、車内の物品が、
某所にまきちらされていたようです。車体を特定できないように。
それはそれは早業だそうです。
もう野口先生のところにあった自転車も、某国に入国しているのかなあ。

盗品=「ぬしの心わからざらんもの」。

No.3639

 ちょっとしたことですが、自分の身辺に起きると疑心暗鬼が生じて、家の前を歩く通行人が盗人のように思えて困ります。
 このところ(思うに高度経済成長期以後の社会)、自転車や傘など、平気で他人様のものを持ち去ってしまう手合いが横行しているようです。
 かつて人々は、他人の所有していた「物」には、所有者の魂が付着していると考え、そのために、一度それを神に返付してその付着を消去できる場である「市」の空間で、商いが行われたはずなのですが、そういう意識が人々の心から消え失せているのでしょう。そのうち、「遺品」とか「形見」とか、そんなものに心動かされる人もいなくなってしまうのでしょうか?
 そうなると、いよいよ前近代の歴史が理解できなくなる。故・網野善彦氏の指摘した、日本史上第二番目の分水嶺は予想以上に高く険しいものであったように思われます。
 
 ちなみに、小生の住む宇治市平尾台は山科の勧修寺まで徒歩で30分ほどのところですが、応永33年(1426)6月、勧修寺で竹を盗んだ醍醐小野の住民が「法に任せた」当然の処置として死刑に処せられています。

 ついでに、フランシスコ・シャヴィエルの1549年11月5日付け書簡
「窃盗はきわめて稀である。死刑を以て処刑されるからである。彼らは盗みの悪を非常に憎んでいる」(『大航海時代叢書』による)

〔参考文献〕笠松宏至「盗み」(網野善彦ほか編『中世の罪と罰』東大出版会、1983年) 

御愁傷様です・・・

鍜治 利雄
No.3640

自分も実家にいた時は、玄関先に置いていたにもかかわらず、
自転車が4~5台、挙句の果てにはバイクまで盗まれました。
(バイクは後日見つかりました。盗むためにかなりイジられてましたが…)

やり場の無い怒りを覚えるのと、少々心が傷つきます…よね。

Re: 『自転車泥棒』。

No.3651

野口先生>レスが遅くなりましてすみません。
自転車の件、残念ですが仕方ないですね。もう少し早く取りにいければよかったですね・・・すみません☆

まさか犯人はこの掲示板で情報を得て野口先生宅へ・・・なんてことはないですよね_(^^;)(笑)

美川先生>我が家の車もランドクルーザーです。父が乗っているものの他に部品取り用に庭に二台ほどほっぽらかしてます。でも残念ながら我が家は田舎なので誰もわざわざ盗みには来ないようです・・・☆いいのかわるいのか・・・これで本当に右京区なのか・・・

Re: 『自転車泥棒』。

美川圭
No.3653

>永富さん
北海道でランドクルーザー盗難が、ものすごいようです。
ですから、油断は禁物と、お父上にお知らせください。

文教中にうちの娘の友人が2人入ったようです。
洛央小と六条院小の出身の子に聞いてみて。

え、論文博士廃止(暴挙)

美川圭
No.3632

山田先生が、詳しく触れておられますが、

http://heike.cocolog-nifty.com/kanwa/

中教審の大学院部会が、論文博士の廃止を答申したようです。
いったい、どういうことでしょうか。
私も、山田先生も、論博ですし、元木先生も。
野口先生もでしたよね。
まったく、この答申の意図がわからない。
博士課程に、人を集めるためでしょうが、
そんなに困っているということでしょうか。
あまりにも早急ですし、ある年代の研究者、
博士課程に進まないで、企業や研究機関に就職した
人たちを学位から閉め出す、暴挙だと思います。
まだ、学位を受けていない方々、声をいまあげないと、ひどいことになりますよ。

Re: え、論文博士廃止(暴挙)

No.3633

>美川先生

 まったく、文部科学省も中央教育審議会も、いったい何を考えているやらわかりませんね。大学院のドクター・コースを出ることが博士号取得の「王道」であることは認めてもよいですが、なぜ「論文博士」を廃止しなければならないのか、とんとわからない。新聞によると、「論文博士は研究の幅が狭い」なんてことを言っているそうですが、これは論文博士に対する侮辱もいいところです。

 私は、大学院博士課程前期(いわゆる修士課程、マスター・コース)しか出ていません。ドクター・コースには行っていないのです。しかし、コツコツと書きためた論文を30歳代後半に集大成し、論文博士をいただきました。私のように正規のコースをたどっていない者にとって、論文博士制度は干天の慈雨といったものだったのです。それを取り上げようというのですか?文部科学大臣様。

 私のやっている考古学では、研究者の大半は、学部出かせいぜいマスター出です。ドクター・コース出なんてのはめったにいない。それが、それぞれの現場(発掘現場や博物館など)でたたき上げられることによって、優秀な研究者に育っていくのです。そんな人たちによって考古学という学問は支えられています。そして、日々の仕事に追われながらも寸暇を惜しんで研究を積み重ねてきた彼ら(私も含めて)が、中年から老年にさしかかるころにやっとその果実を実らせ、博士号へと行き着くのです。それを遮断して何のトクがあるのですかね?

 論文博士廃止を決めた中教審のエライ先生や文部科学省のお役人さまの眼中には、企業や役所や末端の博物館や埋蔵文化財センターなんかに勤めていて夜や休日にコツコツ研究を進めている恵まれない研究者のことは、まったく入っていないのでしょうね。日本の学問が、エリート・コースをたどった士官候補生だけによって担われると思ったら大間違いだということがわかっていないんですね。

 >美川先生 ひとつだけお間違えです。野口先生の博士号は、『坂東武士団の成立と発展』の著者紹介によると、課程博士です。それも、恐れ多くも、「文学博士」です。
(私も「文学博士」号に憧れたのですが、それは取ることができず、私のドクターは「博士(文化史学)」です。)

歴史学では論文博士に権威あり。

No.3634

 中教審の大学院部会のメンバーに歴史学の研究者が入っているのかどうか。そこが知りたいところですね。
 小生は、すくなくとも日本史の世界では論文博士にこそ権威があると考えています。むしろ課程博士の方が肩書きとしての博士になりやすいものだと認識していました。ですから、中教審の答申はまったくピンときません。おそらく、理系など、違うジャンルの発想なのではないでしょうか。
 近年は大学院が至る所に設置され、正直に言って、ここで博士号を取得できるような研究が可能なのかと疑わざるをえないようなケースもあるので、むしろ課程博士の質の方が心配だと思うのですが。
 結局、これからは、同じ博士でも、どこの大学院で取得したか、あるいは指導教授は誰だったのか、ということで、その博士号の質を評価せざるを得ないことになるのではないかと思います。よほどの専門家でないと、その人のもつ博士号の評価は出来ないということになる。いよいよ「博士号鑑定団」が必要になりますね。「いい研究してますねぇ」とか言って。
 それにしても、日本史関係者には、博士課程に進学する必要もなく、大学や博物館に就職され、あるいは非常勤講師などを勤めながら、「いずれは博士号を」と意欲を燃やしている方が多いはずで、今回の答申は、そういう人たちに対してじつにヒドイ仕打ちだと思います。
 ちなみに、小生は課程博士です。1981年3月、1年間の審査を経て、青山学院大学から「文学博士」の学位をいただきました。青学の史学専攻では第一号のはずです。今の課程博士は論文の枚数も少なくて良いようですし、称号も「博士(○○)」、そして審査期間も短いようですから、小生の頃は過渡期だったのでしょう。高校の現役の教員が文学博士になったのは珍しいというので、勤務先の校長の手配で朝日新聞の地方版に写真入りで載せられたりいたしました。ただ、その直前の頃まで『日本歴史』に、学位取得者が紹介されるコーナーがあったのですが、小生の学位取得と軌を一にするかのように消滅したのは、これを学位の価値の消滅と日本歴史学会が評価された為なのかも知れません。 

学問と制限時間

No.3636

 あのニュースをみて、本当にはらわたが煮えくりかえる思いを抱きました。
 私はいま博士論文の作成に向けての研究を進めている最中ですが、逆に「課程博士」などという制度の方に疑問を感じます。
 大学教員への道が非常に狭くなり、アドバンテージだった課程博士号はスタートラインになっている現在。課程博士号の取得は、これから研究職を目指す私みたいな人間の至上命題となります。うちの大学も来年度から博士後期課程入学後6年以内に提出しないと、課程博士の資格自体がなくなってしまうそうです(現行は10年以内)。しかもそこには休学期間も含むそうでして…。
 昔から物事を焦ってやるとろくな事がないと言いますが、もしも自分で「急ぎばたらきだなぁ…」と思いつつ提出した博論で、万が一博士号をいただけたとしても、一生涯自分の博士号に誇りが持てないような気がします。私の周りでも「いっそ論文博士を目指そうか」という声もちらほら。依頼原稿の締切ならいざしらず(苦笑)、歴史学と制限時間は本来相容れないような…。とはいえ、小心者の私はせっせと博論作成に勤しんでおります。
 乱文ですみませんでした。
 

Re: え、論文博士廃止(暴挙)

美川圭
No.3637

>戸田さん

 私が博士課程修了したのは、1988年です。その頃は、まだ日本史では課程博士はほとんど考えられず、私も常識的に博士号取得せずに「指導認定退学」というやつをしました。当時は、実はこの名称も知らず、実際に10年後の1998年に論文博士になるまで、「単位取得」だと思いこんでおりました。
 実は私の博士号というのは、自分でも課程博士とどう違うのかわかりません。大学院以来発表してきた論文がたまり、機会をえて今年薗田さんの就職された臨川書店から論文集として出版できたのが、1996年。それだったら、論文博士もこれでとっておくか、ということで審査をお願いしたら、幸運にも学位をいただいた、という経過です。
 あとで聞くと、博士号をめぐっては、指導教授との関係とか、出身大学との関係とか、いろいろがトラブルがつきもので、ほんとうに神経をつかうものらしいのですが、私の場合ほんとうに幸運で、そういったことがある、ということをあとで知った次第なのです。ですから、「自分の出身大学では、そんなかたちでは論文博士認めてくれない」なんて話もよく聞きます。「既発表論文ではだめだ」「もう出版した本ではだめだ」なんてところもあるのですね。
 こういう経過を、時間を限定されてやれ、といわれたら、それこそ大変です。
ですから、今の若い人たちのおかれた環境には、ほんとうに同情します。

>大学教員への道が非常に狭くなり、アドバンテージだった課程博士号はスタートラインになっている現在。

 これその通りなんですね。私は、ずいぶん遅れたとはいえ、博士号なしで就職できた、最後の世代かもしれません。しかし、大学教員への道はほんとうに狭くなっています。
12年前に私が摂南大学につとめたときの担当科目と今年の担当科目を比較すると、実感できるかもしれませんので、一例としてあげておきます。

1993年 国際言語文化学部 所属
日本史学(通年) 歴史学(通年) 歴史学(薬学部)(通年) 歴史学(法学部)(通年) 文化演習(通年) 卒業研究(通年)

2005年 外国語学部 所属
国際文化概論(日本)(半期) 国際教養論(文化)(半期) 日本史学(半期)
日米関係史(半期) 日米比較文化(半期) 日米比較文化特殊講義(半期)
歴史学(工学部)Ⅰ(半期) 歴史学(工学部)Ⅱ(半期)
教養特別講義「社会と人権」(半期)
基礎ゼミ(半期) プレゼミⅠ(半期) プレゼミⅡ(半期)
文化演習(通年) 卒業研究(通年)

 12年前は、いま見ると牧歌的で、いわゆる全学教養科目も担当する日本史の教員というかたちです。
 ですから、日本中世史の上島有先生の退職後、私は採用されたわけです。
 いまは、セメスター制により、半期科目が大半になり、科目の種類が激増。
毎週、これの内容はどんなだったか、としばらく考えてから、予習に入ります。
まあ、今年から外国語学部に名称変更されたということもありますが、
この傾向は数年前からのことです。中堅以下の大学が、なんらかの資格などの
取得を目的にしないと(ちなみにうちではTOEICという英語実用検定)
学生が集められない(ほんとうかどうかわかりませんが)、ということで、
それをメインにし、それだけでは専門学校との差異化がはかれないので、
やむをえず「幅広い」教養の一つとして、私の担当するような科目もある、
ということなのです。あくまでも「幅広い」教養ですから、日本史でなくても、
かまわない。まあ外国語をやるには、日本のこともよく知っとかなくてはね、
ということです。本音をいえば、そういった教員の生首は斬れないしね、
ということなんだろうな、と私は内心ふてくされています。

 しかも、日本中世史の内容である必要がある科目は皆無。それどころが、
日本史である必要がある科目は、なんと日本史学(半期)のみ。
それどころか、日本中世史の内容ではぜったいできない科目、
日米関係史(半期) 日米比較文化(半期) 日米比較文化特殊講義(半期)
とその3倍もあるのです。

 それでも、専任の大学教員の職があるのは、非常にめぐまれているので、
いっしょうけんめい給料分は働いていますが、
ときどき、ひどく虚しく感じます。私でなくてもいいんだよね。これ。
というか、近現代史の人のほうが向いているし、
日米比較文化、日米比較文化特殊講義なんて、前は英語の先生がやっていた科目です。

 私の本務校は、まあ中堅のごく普通のまだ定員割れはしていない私大です。
 そこでの現状というのが、まさに日本史、とくに前近代史の前途を、
 ひどく暗くしている感がするのです。いかがでしょうか。

ちなみに、日米関係史は、ペリー来航から日中戦争期まで。
日米比較文化は、太平洋戦争 日米比較文化特殊講義は戦後占領期からベトナム戦争
を扱っています。そのフラストレーションのはけ口が「美川圭の辛口映画批評」です。

http://www.avis.ne.jp/~iwasaka/mikawacinema.htm 

『古代文化』特輯『平家と福原』遂に刊行!

No.3629

 『古代文化』第57巻第4号(特輯『平家と福原』)ついに刊行です。通巻の号でいうと第555号。執筆者の皆様にあつく御礼を申し上げます。とりわけ、元木先生、本当にありがとうございました。
 元木先生の平氏家人に対する分析や山田先生の「福原京想定復元図」、伊藤先生による伊勢平氏を素材にした斬新な「屋敷」論など、学界に大きなインパクトを与えるとともに、大河ドラマ『義経』の虚実に関心を寄せておられる一般の歴史愛好家にも存分に楽しんでいただける内容だと思います。
 構成は以下のとおり。

   特輯『平家と福原』によせて・・・・・・・・・・・・・・・野口 実(京都女子大学)
   福原遷都と平氏政権・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・元木泰雄(京都大学)
   『福原京』の都市構造・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山田邦和(花園大学)
   伊勢平氏と屋敷・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・伊藤裕偉(斎宮歴史博物館)
   平家の本拠をめぐって-立地空間の軍事的評価-・・・・・野口 実   
   『平家物語』における遷都
    -『延慶本平家物語』『山門奏状』の本文について-・・・近藤安紀(青山学院大学大学院DC)
   <図版解説>兵庫県神戸市 楠・荒田町遺跡・・・・・・・・・岡田章一(兵庫県教育委員会)

 頒価800円(本体 762円)。
 ご注文は、財団法人古代学協会(℡075-252-3000)まで。

☆ なお、古代学協会古代学研究所・関口先生からの情報で先般御紹介した『平安時代史事典』は、まだ
 Yahooオークションに8万円で出ているようです。全くの新本(箱入り)のごとしとのこと。

Re: 『古代文化』特輯『平家と福原』遂に刊行!

No.3630

『古代文化』福原特集号、ウチにはまだ届いていません。早く見たいな・・・ サンタさんにお願いして、枕元におおきな靴下をぶらさげて寝ようかな?

『がんばれ!えりちゃん先生』

No.3625

 大昔の少女雑誌に掲載された読み物のタイトルみたいですね。
 今春、ゼミメンバーの多くが中・高の教壇に立つことになりましたが、永富さんは「えりちゃん先生」と呼ばれて中学生たちのアイドルになっておられるようです。
 ほかの皆さんも、「ゆきちゃん先生」や「あっちゃん先生」や「けんちゃん先生」などと呼ばれて御活躍のことと思います。一番大変そうなのは、抵抗勢力が多そうな「ジュンちゃん先生」でしょうか?
 そろそろ職場にも慣れはじめ、と同時に疲れがドッと出てくる時期なので、気分を引き締めてください。もうすぐやってくるGWは精神・体調の立て直しという意味で、良い時期にある休暇だと思います。
 皆さんのお話しを聞くと、小生、専任教諭として高校の教壇に初めて立った26年前のことが昨日のことのように思い出されます。
 一人一人の生徒それぞれに真摯に向き合って、充実した教員生活を過ごして欲しいと思っています。

疲れがドッときました

田中裕紀
No.3642

しばらくなりを潜めておりました。皆さまお久しぶりです。
非常勤講師としての怒涛の1週間が過ぎました。
「○○ちゃん先生」などとんでもありません。男子クラスでは「ゆうきー」と名前で呼ばれ、「あんたの彼女じゃないんだから!」とツッコミを入れる日々です。共学校なのですが男子クラス・女子クラス・男女混合クラスがあります。女子クラスは持っていませんが、男子クラスと男女混合クラスのカラーの違いに戸惑ったりしています。もう、話し出せば色々あるので、とにかくそんな感じです!と締めくくっておきます。
 今は、23・24日の研究会に参加すべく授業準備に精を出して・・・と言いたいところですが、色々とあってなかなかはかどらずにいます。25日には岩田師範の発表もあるので、何としても準備を進めておかねばと思っています。25日には久々に皆さんにお会いできる事と思います。岩田師範の発表共々、楽しみにしていますよー☆

ジャイアンツと違い貯金生産中

No.3644

 一週間経過しましたが、昨年度とのカラーの違いに未だ戸惑っております。
昨年度までは「もん(門)ちゃん先生」などと呼ばれていましたが、今年は「あっちゃん先生」なんてとんでもない!
 非常に厳しい戒律があり、言葉遣いなども非常に厳しいです。職員室に入ってくるときも「○年○組○○です。××しに来ました」という調子です。(当然声が小さいとやり直し)
 そんな調子なので授業は静寂です。(もう少し反応が欲しいところです)       週末を利用し貯金を作っています。(現在は先日学内でお見かけした鷲田清一氏の文章と格闘中)
 25日は少し遅刻すると思われますが、行くようにいたします。

勝率5割ライン上

No.3645

この流れできたら書き込まざるをえない(笑)

“新規参入”と“移籍”の2人と違い、“残留”の僕は比較的昨年と同じようなリズムで仕事させてもらってます。昨年仲良くなった生徒とは少し離れてしまったので、また新たな生徒たちと信頼関係を築いていかなければ、と思ってます。「緊急リリーフ」だった去年と違い、今年はアタマからなので、ちょっとずつ自分の授業スタイルも確立しつつ・・・。

生徒からの呼ばれ方は、少なくとも「けんちゃん先生」はないですね(笑)。昨年は「やっつん」なんて呼んでるヤツもいましたが。普通に「八井先生」かな? 「健太先生でもいい?」とか言われたりもしてますが。(^^;) 根は素直な生徒たちが多いので助かってます。

科目数が授業開始後に急遽増えることになり、門屋君と並びました(笑)。選択科目は連休明けから開始。本格的にバタバタし出すのはそれからになりそうです。それまでに貯金を作っておきます☆

内部事情いろいろ

No.3647

 週2コマずつのいわゆる“実技教科”を担当している影響で、どのように呼ばれているのか未だにわからない、鈴木先生です(笑)
 野口先生やその他の方から、いろいろメッセージをいただいていたのですが、先週いっぱいは返信出来ずじまいでした。すいません。

 最初の1週間は、長い会議やら校風の違いによる戸惑いなどで、何も仕事をしていないのにとても疲れて毎日を過ごしていたのですが、2週目に入ってある程度慣れてきて、結構ゆとりを持って過ごしています。
 (ご存じの方も多いとは思いますが)校風が自由そのものなので、教員にもかなりの自由が与えられています。その反面、何をしたらいいのかわからない...そんな事にも悩んでもいます(贅沢??)。

 『情報科』は始まったばかりで授業の実践例も少なく、また、僕個人としても『情報』という科目の授業を受けた経験が無いので、ほとんど手探り状態でのスタートとなりました。さらには初めての『情報科』専任なので、いきなり教科主任(たぶん、定年まで教科主任)になってしまいました。
 1クラス45人を、1時間寝させない授業が出来たときは、結構な達成感でした。お金が対価でなく、生徒の反応がすばやくフィードバックされて、自分の仕事内容が即座に評価される。なかなかやりがいのある仕事だと思いました。
 専門外の知識がどれぐらいあるかで授業の厚みが変わってくるのだなと、1週間働いてみて感じます。個人的な感想は『社会人って楽しい♪』です。

 P.S.賛美歌をがんばって歌っています。(一応真宗ですが...)

えりちゃん先生参上!

No.3650

おくればせながら参上いたしました。
ここ一週間は家に帰るとそのままベッドへ倒れこんでいるためしばらく平日は掲示板に登場できませんでした。すみません。

最初の授業は何をどうしていいやらわからなくて始まるまで腹痛に苦しみ、隣の席の先生に「帰りたい。」を連発しておりましたが、いざ前に立つと不思議とそんな不安はなくなりました。
中学生に最初の時間「歴史は好きか?」と一人一人きいてみると「おぼえることが多いから嫌い」という意見が圧倒的に多かったので、できるだけイメージをふくらませて絵を描いたり事件の原因を「考える」作業を中心とした授業をしています。この一年で歴史が嫌いだと言っていた子を一人でも歴史好きにさせるのが目標です。ちなみに明日は甲骨文字を解読させる予定です(笑)

高校生はどのクラスも全部三年生なので、好きも嫌いも言ってる場合ではないのでビシバシしごいております☆
五年前は「二度と見たくない」と思ったセンター問題を毎日嫌ほど見る仕事に就いてしまうとは・・・何という皮肉なのか、また夏季補習で私の夏休みがなくなるなんてひどい(T-T)などなどと思っておりましたが、真剣な顔で「先生、私何でもするから私を〇〇大へ入れてください」と相談に来る子や、毎時間職員室へ来ては大学生活の話をききたがる子・・・それぞれ目指す道やレベルは違うけれど一人でも多くの子に来年の春桜の木の下で笑ってもらうため私もできる限り全力でサポートすることに決めました。
と、いうわけで今からまた問題の解説準備に戻ります・・・☆

あ、ちなみに女の子が多いだけあって生徒からのファッションチェックはなかなか厳しいです_(^^;)おしゃれにも気が抜けません(笑)

中世文学会シンポジウムのお知らせ

佐伯真一
No.3617

突然ですが、中世文学会の創設50周年記念シンポジウム「中世文学研究の過去・現在・未来」のお知らせをさせてください。隣接諸分野にも関わって、多彩な内容になると思います。一般来聴歓迎ですので、ぜひお越しください。

5月29日(日曜)於青山学院大学
 分科会(九‥三〇~一二‥三〇) 
第一分科会「中世文学と資料学―学問注釈と文庫をめぐる」
(コーディネーター)名古屋大学 阿部泰郎氏
中世の冷泉家の蔵書をめぐりて  京都府立大学 赤瀬信吾氏
称名寺聖教と金沢文庫蔵書の歴史的意義 金沢文庫 西岡芳文氏
地域寺院と資料学        信州大学 渡辺匡一氏
(コメンテーター)和光大学 山本ひろ子氏
   東京大学 月本雅幸氏
 第二分科会「中世文学とメディア、媒体―絵画を中心に」
(コーディネーター)立教大学 小峯和明氏
文学メディアとしての『十界図屏風』と『箕面寺秘密縁起絵巻』 
学習院女子大学 徳田和夫氏
絵画史料と文学史料     武蔵大学(非常勤) 斉藤研一氏
室町時代の政権と絵巻制作―「清水寺縁起絵巻」と足利義稙の関係を中心に―
大和文華館 高岸 輝氏
(コメンテーター)金沢美術工芸大学 太田昌子氏
   広島大学 竹村信治氏
第三分科会「中世文学と身体、芸能―世阿弥以前、それ以後」
   (コーディネーター)大谷女子大学 小林健二氏
南都寺院の儀礼・芸能と形成期の猿楽能―世阿弥以前の身体を考える
国立歴史民俗博物館 松尾恒一氏
芸能の身体の改革者としての世阿弥   東京大学 松岡心平氏
室町後期の芸能と稚児・若衆    大阪学院大学 宮本圭造氏
(コメンテーター)東京大学 五味文彦氏
   早稲田大学 竹本幹夫氏
学習院大学 兵藤裕己氏
第四分科会「中世文学の人と現場―慈円とその周辺」
(コーディネーター)金沢大学 山本 一氏
歌壇における慈円―承元期以降を中心に― 国文学研究資料館 田渕句美子氏
慈円から慶政へ―九条家の信仰と文学における継承と展開―   天理大学 近本謙介氏
慈円の住房               京都大学 山岸常人氏
全体討論(一三‥三〇~一六‥〇〇)(司会)東京大学 三角洋一氏
山形大学 菊地 仁氏

Re: 中世文学会シンポジウムのお知らせ

No.3619

>佐伯先生  お久しぶりです。入試問題の件ですが、青学から、学長名の挨拶状と500円の図書カードをいただきました。そして、つい昨日、例の赤本屋さんから、掲載許可依頼が届きました。今度は印税・千数百余円でした。
 
 中世文学会のシンポジウム、いずれの分科会もすごい豪華メンバーですね。それぞれの会場は正門あたりに掲示されるのでしょうか。
 長村君など、第四分科会には是非行きたいところでしょう。門屋君は恩師がコメンテーターをつとめる第三分科会でしょうね。
 じつは小生、この前日に横須賀市で「三浦氏と京都-義経の時代を中心に-」と題する講演をさせていただく予定があり、ちょうど関東におりますので、行きたいとは思うのですが、たしか28・29の両日は歴史学研究会大会も行われておりまして、やはり職務上?歴史の方に行くべきかなどと悩んでおります。
 結局、起床後の体調の都合に合わせて、宿泊先に近いところなどという安易な結果に落ち着きそうです。

Re: 中世文学会シンポジウムのお知らせ

美川圭
No.3620

佐伯先生、ご無沙汰しております。
中世文学会シンポのおしらせ、ありがとうございます。
うーん、困りましたねえ。これだけ、4分科会に分かれ、
どれも聞きたい。
とくに私の興味からすると、第一と第四でしょうか。
分科会に分かれて午前中の報告があったあと、
全体討論が午後あるということでしょうか。
聞いている報告がちがうと、いったい全体討論、
どういう風にされるんでしょう。

補足説明

佐伯真一
No.3624

野口先生、美川先生、さっそく熱心な反応、有り難うございます。
当日、大学の教室の大部分は、いつもの日曜日のように、
どこかよその団体に貸し出すようで、シンポジウムは9号館だけでやります。
教室の割り振りは、発表者の方々の機器の使用の都合と、参加者(会員)の人数を見て決め、当日、会場付近に貼りだそうと思っています。
また、午後の全体討論は、各分科会のコーディネーターが今度はパネラーの形になってまず15分ぐらいずつ分科会について報告、
その後、質問票などを利用しつつフリー・トーキングといった形になろうかと思います。
宗教史・美術史・芸能史など、かなり多くの分野にまたがりつつ、「文学研究とは何か」という問題に関わる議論になりそうで、
また、コーディネーターやパネラーが、だいたい団塊の世代から下ぐらいですので、
一言言わねばならじと手ぐすね引いている大家も何人もいらっしゃることと思います。
どんな討論になるか、ちょっと予測できません。
是非、生の現場をご覧いただきたいと思います。
いつもよりはお金をかけたポスターも、昨日発送しました。
あちこちで話題にしていただければ嬉しく存じます。

Re: 中世文学会シンポジウムのお知らせ

No.3627

行きます、行きます、行きます。どれにしようかな、困っちゃう状態です。こういう場合、飲み屋なら、素直にお勧めはどれですかと訊くのですが、今回は……。

Re: 中世文学会シンポジウムのお知らせ

No.3628

慈円がテーマとは。しかも、横須賀市で野口先生のご講演があり、歴史学研究会の大会まで。すごい二日間ですね。
いずれも是非行きたいのですが、諸々の事情と相談して、しばらく悩むことになりそうです・・・

紫苑

天理大学研究生 大原瞳
No.3613

野口先生
 ご無沙汰しております。天理大学考古学専攻研究生大原瞳です。
 この度は紫苑をいただき、ありがとうございました。
 ますます興味が沸き、大学で文献等の講義を聴講してみようと思いました。
 来週より新現場が始まります。もしお時間あれば現場にお越し下さい。

山岡さん
 紫苑、ありがとうございます。字がとても綺麗ですね。花粉症は治りましたか?
 私は現在手続き中ですが、同大の聴講生になる予定です。これからもよろしくお願い  します。

宇治のエキスパートを目指してください。

No.3615

>大原さん 先日も申しましたように是非、宇治のエキスパートを目指してください。
 『佛教藝術』279号の特集「宇治の考古学・藤原氏別業の世界」を読んで、考古学の最新の知見を得ることが出来ましたが、宇治については文献史料もじつに豊富です。おそらく、文献からの研究が進められて考古学の成果と整合させる作業が進められれれば、平泉や鎌倉に匹敵するような(あるいは、それ以上の)成果が上がるものと考えられます。
 宇治市では立派な通史が出されていますが、史料編はありません。本格的な研究はこれからだと思います。幸い元木泰雄先生が忠実期の摂関家を複合権門と評価され、その拠点としての宇治の再評価を試みようとされておられますし、「権門都市」の概念を提示された美川圭先生も宇治には大いに関心をもっていらっしゃいます。
 鎌倉では、岡陽一郎氏のように、本来文献史学が専門の研究者が発掘を担当して大きな成果をあげています。関西でも、平安京・京都さらに福原などで、山田邦和先生が文献史学に越境して御活躍なのはよくご存じの通りです。
 宇治の市民であり、研究者の卵として前途洋々たる大原さんには、考古学と文献史学を総合しうるような実力を身につけていただいて、「権門都市」宇治研究のエキスパートに成長していただきたいと期待しています。ご近所の誼(岩田君と同じ町内)でおおいに応援いたします。
 ちなみに、小生も同志社で↓のような講義を担当しています。

http://syllabus.doshisha.ac.jp/syllabus/html/2005/5121180.html

 京女のゼミでも『百錬抄』や『吾妻鏡』の講読会がありますし、例会では院生クラスの溌剌たる研究報告もなされていますから、こちらにも、どうぞ御参加下さい。
 新しい現場はどちらでしょうか。渡辺貴代さんも一緒でしょうか?
 浜中邦弘先生に、よろしくお伝え下さい。

木幡民です

No.3621

>大原さん はじめまして。野口先生にもご紹介いただきました、関西学院大学博士課程の岩田です。宇治市木幡南山(東宇治高校の近く)に住んでいます。
 先日は市民会館の講座にも伺いたかったのですが、機会を得ず残念でした。院政期の頃を中心とした宇治の都市的機能に注目が集まっているという話を伺うにつけ、地元に対する関心だけは高めておりますが、勉強はまだまだこれからです。

 ところで、このところ引きこもり気味の生活をしていたのですが、京橋ツインタワーの古本市でこんなことがありました。↓

http://2next.net/swf/R3_temp.swf?inputStr=%96%EC%8C%FB%8E%C0%81w%92%86%90%A2%93%8C%8D%91%95%90%8Em%92c%82%CC%8C%A4%8B%86%81x%83Q%83b%83g%81I

お買い上げ恐縮です。

No.3623

 岩田君、拙著をお買い上げ下さってありがとうございました。いくらで売られていたのか。どこから流れてきたのか。知りたいところです。
 正誤表を作ってあるので差し上げます。忘れたら請求してください。また、この本の書評は、元木先生が『日本史研究』に、峰岸純夫先生が『歴史学研究』にお書き下さいました。
 ちなみに『坂東武士団の成立と発展』(>山田ちさ子様 「展開」ではなくて「発展」です)と同様にこの本も早々に絶版となっています。そして同じ様に、本を出してくれた出版社もなくなってしまったようです。もうとっくに、第三論文集を出せるだけの蓄積が出来ているのですが、どこからもお声がかからないのは、その所為でしょうかねぇ?
 しかし、パソコンを使うと、このような芸当が出来るのですね。岩田君、君は使える!
 ところで、拙宅も東宇治高校から徒歩5分のところにありますから、そのうち大原さんと岩田君とで連れだって遊びに来ませんか?
 「木幡歴史学会」でも立ち上げましょう。 

>山田先生  イメージも「ハハハハハ」と笑っているように見えます。 

すみません!

No.3626

☆野口先生、たいへん失礼いたしました。
先生の本のタイトルを間違うなんて、なんたる不手際。
さっそく訂正(._.)φ

☆大原さん はじめまして。山田ちさ子と申します。
ぜひ講読会でご一緒いたしましょう。

☆山本さん 吾妻鏡、今年度もよろしくお願いします。
☆山内さん 水曜日は仕事なので残念ながら参加できませんが、がんばってくださいね。

木幡歴史学会お茶くみ係

No.3631

>大原さん くだらないネタでおさわがせしました。
>山田邦和先生 シンプルに受けて下さってありがとうございます。大笑いして下さった山田先生を拝見したかったです。
>野口先生 「ルパン三世風タイトルメーカー」というページ
http://2next.net/swf/R3_temp.html
から、このような小細工ができますよ。じつはあんまり難しくないので、先生もルパン三世風に語ってみてください。

 『中世東国武士団の研究』ですが、京橋ツインタワーの古本市で恠異学会の戸田さんが見つけられたのを岩田が聞いて、その翌日に入手しました。どこの古本屋さんが出品していたのかは、伝票をむしり取られてしまったのでおぼえていません。すみません。
 お値段は3000円でした。破格の安さです。
 第Ⅰ部第1章・第2章と第Ⅳ部第1章、索引の平国香・維幹・繁盛・致光といったところに激しく赤ペンの跡がありますから、以前の持ち主さんは平氏に興味をお持ちだったのでしょうか。本自体は全体的にきれいです。

 ちなみに、同じ古本市で買った日本古典文学大系『義経記』には、ずいぶん丁寧な字でずいぶん丁寧な書き込みがされておりました。1972.12.18.の日付でp.170に「早く終わんないかな!面白くないね!」と(丁寧な字で)書き込まれてあったのはご愛敬でありましょう。ほかの落書きからも察するに、以前の持ち主さんは女性の方でしょうか。こちらは800円で売りに出されていたのを買い求めました。


 

新年度ゼミ活動に関する連絡事項の確認

No.3610

☆ 山内さんから今年度のゼミの大まかな活動内容について
 
  ① 例会:基本的には第二・第四水曜日に行います。
   但し発表者の都合や人数の都合に合わせて臨機応変に発表の日時は変更致します。
  ② 『吾妻鏡』講読会:昨年度と同じく、月曜日に行いたいと思います。
   但し開始時間は、少し遅れて三時半から行う予定です。
  ③ ゼミ旅行:夏のゼミ旅行はとりあえず鹿児島に行く予定です。
   また冬休みは例年のゼミ旅行違って、京都近辺の日帰りを二回ほど行う予定です。
   (これもあくまで予定なのでまた変更するかもしれません)
  ④ 『紫苑』:第三号での編集の手腕をまた存分に発揮してもらうため、昨年度に引き続き山岡さんに担当
   していただく事になりました。
  ⑤ 今年度第一回目の例会は、4月25日(月)・6時・共同研究室で行います。
   発表は、岩田さんにしていただく事になりました。発表内容はまた後日お知らせ致します。
   ※ また例会でわれこそは!という方がいらっしゃいましたら、山内まで御連絡よろしくお願い致します。
  
☆ 山本君から『吾妻鏡』講読会について 

『吾妻鏡』講読会についてですが、岩田さんとのトップ会談の結果、4月18日(月)・3時半から行う事になりました。従って11日は、お休みです(春休みができなかったので、なるべく早めにしたかったのですが)。
 講読範囲は、昨年度の『吾妻鏡』の続きから行います。
 日時:4月18日(月)・3時半
 場所:共同研究室
 範囲:承元4年(1210)①2月10日条・②2月21日条・③3月13日条・④3月14日条
    ⑤4月19日条・⑥4月22日条の以上です。
 また前回好評だった岩田さんの古文書講座も行う予定です。それも決まり次第連絡致します。

☆ 山内さんから『百錬抄』の講読会について 

  三回生主体の史料講読会について詳細が決定致しましたのでお知らせします。

 日時:第二、第四水曜日の午後4時~
    初回は4月27日(水)です。
 範囲:『百錬抄』第九、安徳天皇
    初回の範囲は最初の1ページです。
 担当:山岡さん
 
 <野口からの補足>
 例会の前の時間に設定してありますので、3回生以外でも多くの方の参加を期待しています。
 『百錬抄』安徳天皇~は、ちょうど、治承・寿永内乱期の面白いところです。
 テキストは吉川弘文館の新訂増補国史大系本を使います。普及版で出ています。ない人はコピーを用意しておいて下さい。
 『百錬抄』は、ほとんど貴族の日記の抄録ですので、記録読解の入門になると思います。
 部屋は人数に応じて共同研究室か小生の研究室か決めたいと思います。
 一応、参加希望者は山内さん、または野口まで御連絡下さい。
 
☆『古代文化』特輯「平家と福原」書評会の実施日について

 第一候補は5月11日(水)、第二候補(第一候補日に元木先生の御都合がつかない場合)は6月4日(土)でお願いいたします。

☆ ゼミ旅行・見学会について

 門屋君・八井君が検討してくれています。行き先などの希望がありましたら、門屋君に御連絡下さい。
 なお、ゼミ旅行については夏に鹿児島に行く案が浮上しています。

四月の例会について

No.3611

 大変遅くなりましたが、次回のゼミ例会を担当します岩田です。次回の例会についてお知らせします。
 >>No.3544で山内さんや上の野口先生からのご案内でお知らせいただきましたとおり、次回のゼミの例会は4月25日(月)の18:00~です。通常は水曜日に開催のところ、報告者の都合により日程を変更していただきました。

 岩田が担当いたします題は『十世紀の院家について(仮)』です。主に十世紀の「院」の存在形態から、当時の社会情勢を展望してみたいと思います。

 主な参考文献ですが、最近のもので分かりやすいと思われる
  吉川真司「院宮王臣家」(『日本の時代史5平安京』吉川弘文館.2002.)
 を挙げたいと思います。ただし報告自体は、より論点の狭い話になるであろうことをご了承下さい。
 拙い報告になること必至ですが、どうぞよろしくおねがいします。

 >山内さん 発表内容の告知が遅くなってしまってすみませんでした。
 >山本さん そういうことですので、四月中に古文書講読を行うのは難しくなりました。来月からでもいいですか?
 >元木先生 遅ればせながら、先日はありがとうございます。関学の院生はみな先生のお話に大いに触発されたようです。出席者として、きちんとした準備をして臨まなければと思いを新たにいたしました。

紀伊国根来寺から

阪本敏行
No.3609

宣伝させてください。

和歌山地方史研究会 連続講座「根来を知ろう!!」のお知らせ

 このたび和歌山地方史研究会では、これまで数十年にわたって行われてきた根来寺旧境内遺跡の発掘調査成果や建造物調査の成果、あるいは門前町の町並み調査の成果などを、地元住民の方々をはじめ、ひろく一般市民向けに分かりやすくご紹介する連続講座を企画しました。
 根来寺は、日本中世の3大遺跡などとも言われ、遺跡の価値は「国指定史跡」級と言われながらも、なかなかそれを一般市民の方に向けて分かりやすくアピールする場がなかったのですが、この機会にぜひ、多くの方々に来て頂き、根来に対する親しみをもっていただければと思います。

 【連続講座 『根来を知ろう!!』】
第1回 4月16日(土) 13:00~15:00
 根来寺遺跡発掘調査の成果
 講師:村田弘 氏(県文化財センター)
 場所:岩出町立民俗資料館2階大会議室
第2回 5月15日(日) 13:00~15:00
 根来大工と根来の建築
 講師:鳴海祥博氏(県文化財センター)
 場所:未定
第3回 6月5日(日) 13:00~15:00
 根来の門前町を歩く
 講師:鈴木徳子氏(県文化財センター)
 場所:未定(天気がよければ現地見学ツアーもあり)
第4回 7月3日(日)
 根来寺古伽藍の絵図
 講師:大河内智之氏(県立博物館)
第5回 8月6日(土) 13:00~15:00
 根来寺の石造物
 講師:北野隆亮氏(和歌山市文化体育振興事業団)
 場所:未定

ふたたび『義経』の話題にて。

No.3604

 「もう、義経の話はしないのか」という苦言が殺到していますので、少しばかり。
 昨日の放送で取り上げられた時期は、これまでの小生の研究の主要部分に該当します。とくに頼朝の挙兵の政治・社会的背景や安房上陸から鎌倉入部の経過などがそれなのですが、サラッと扱われてアッという間に話が終わってしまい、これは文句を言う筋合いではありませんが、さみしい思いを致しました。
 ただ、三浦一族の軍事力を三千といっていたのは、何か軍記物にでも記事があるのかもしれませんが、前に北条氏の軍事力を数騎としたのに比しては多すぎでしょう。
 丹波哲郎いや源頼政も、橋合戦もないままにアッという間に討死にを遂げてしまいましたが(※)、あの場面に出てきた武士の着用していた大鎧の甲(かぶと)の「しころ」(首の後ろ側を防御するための扇のような形をした部分)は12世紀末のものにしてはやや広がりすぎているように思えました。近藤先生のコメントを期待いたします。
 それから、義経が頼朝のもとに参向した際に率いていた兵力ですが、事実ではとてもあんなに少ないとは考えられません。『源平闘諍録』には「二十騎ばかり」、古態本の『平治物語』には、何と「其の勢八百騎」と見えます。

 ※ 拙宅至近のバス停は「頼政道」。この地名は、以仁王を奉じた源頼政の一行が三井寺から南都に向かう逃亡路だったことに由来します。

Re: ふたたび『義経』の話題にて。

美川圭
No.3605

すいません。先週から2回分見ていません。ビデオには録ってあるのですが、
新学期はじまったばかりで授業の準備もあるし、書かねばならない原稿はあるし、
読みたい本はあるし。
話題のネタに見ておいた方がいいとは思いつつ、楽しくないので、見たくない。
楽しくなくても学ぶところがあればいいのだが、それもなさそうなので。
つらいなあ。なんとか、そのうち、と思いながらも、根が不真面目なので、
苦痛なことはやりたくないのです。やはり野口先生はえらいです。
元木先生も、けっきょく先週は御覧になっていたし。
前の中世舞台の「北条時宗」はほとんど第1回で挫折したので、
それよりもがんばった方なのですが。

とにかく苦痛だあ。

Re: ふたたび『義経』の話題にて。

No.3607

確かに笠じころでしたね。それだけでなく、袖に笄金物付いていたり、化粧板に八双金物が付いていたり、みな南北朝期以降の様式です。しかし、それは仕方のないことです。前にも書いたように、甲冑一領を製作するのに一千万も懸かるわけですから、新たな甲冑など簡単に作れません。こういうのは、業界用語で「アリモノ」と言って、既存のものを使用するしかありません。

そんなことよりも、問題なのは、今回のドラマでは、武将すべてが乱髪になえ烏帽子を被り、鉢巻をしていたことです。これも前にも書きましたが、源平時代にはあり得ない風俗です。これでは室町時代です。甲冑ばかり考証しても、こういう直そうと思えば簡単に直せる部分の考証がいい加減では、どうしようもありませんね。

義経一行については、兵力の少なさはともかく(私自身は少なかったと思っていますし)、問題なのは、戦闘員だけということでよ。兵粮や、また義経は小具足姿で甲冑を着ていませんでしたが(その点は良い)、その義経の甲冑は、誰が運んだのでしょうか?私はそれが気になりました。

Re: ふたたび『義経』の話題にて。

No.3608

 当方もビデオで見ました。何ともあわただしい話でしたね。

 それにしても、何で頼政は敵のまん前に立ってすぐに討たれるのですかね。何とも間抜けですな。それを知盛が射てるのを誰も気づかないというのも御伽噺ですな。ついでに言えば、彼がこもった建物はどこなんでしょうか。
 よく見てもいませんでしたが、頼朝が以仁王が討たれたのに、ことさら生きていることにして挙兵するのも説明不足でしょう。それに、いきなり「目代」なんて言葉が出てくるのもどうかな。
 瑣末な研究に没頭して、授業では学生のレベルも関心も考えないで、学術用語を濫用する学者みたいな感じですね。
 以仁王令旨だけで挙兵が成功したかのような描き方も、あまりに単純化しすぎです。
せめて、東国でも平氏方の横暴に多くの武士が怒っていたといった説明がほしいところですね。
 いきなり梶原景時が、平家の満月にかげりが出たと言って頼朝を助けるのも唐突過ぎます。土肥実平が舟を手配することを、どうして景時が頼朝に伝えるのでしょうね。まあ、折角有名人が演じているのと、あとのからみで出番を多くしたのでしょうが。

 福原遷都後の飢饉は何のことでしょう?養和の飢饉は翌年ですがね。たしかに福原遷都後に日照りは起こりますが、直ちに飢饉になるわけではありません。
 そういえば、『その時歴史が動いた』でも、還都の原因は飢饉であり、帰京後に頼朝の挙兵が起こったという、信じがたい再現ビデオとナレーションが流れておりました。それよりはマシですが、飢饉重視に変わりはありません。
 NHKの歴史番組のネタはどこにあるのでしょうか。せめて、年表くらい見ろ!
 

怪奇!妖怪丹後局!

No.3612

 繰り返しかもしれないが、夏木マリの丹後局、どんどん怪奇になってきている。後白河法皇が丹後局に膝枕をしてもらっているシーンがありましたが、どう見てもこの
法皇サマ、魔性のモノに憑かれて正気を失っているようにしか見えません。大河ドラマはいつからホラー映画になったんでしょうか? この丹後局ならば、正体が九尾の狐か“ろくろ首”だったとしても全然驚きませんね。

養和の飢饉

佐伯真一
No.3618

 あわただしかったですよね、先日の義経。
 早く義経の活躍場面に入りたいから、この辺はもうすっ飛ばす、という感じがはっきり出ていました。橋合戦なんかセットを作って撮影したら大変だというのはわかりますし、史実かどうかは怪しいからいいのですが、頼政の最期は、元木先生がおっしゃるとおり、あんまりだと思いました。頼朝の挙兵も、先日は慎重だった頼朝が、何で突然その気になるのか、わかりませんでした。理屈はどうでもいいや、というところでしょうか。
 ところで、養和の飢饉は、治承四年にはもう始まっていたのではないでしょうか。延慶本『平家物語』(第三本=巻六―廿五)では、治承四年に飢饉が始まって餓死者が多く、翌年は立ち直るかと思ったら、疫病まではやって飢死・病死数を知らず…と描いています。治承四年の干魃は、やはりその年の収穫に影響を与えたのではないでしょうか。飢饉が福原遷都の原因だというのは、明らかに無理だと思いますが。