新年度ゼミ活動に関する連絡事項の確認

No.3610

☆ 山内さんから今年度のゼミの大まかな活動内容について
 
  ① 例会:基本的には第二・第四水曜日に行います。
   但し発表者の都合や人数の都合に合わせて臨機応変に発表の日時は変更致します。
  ② 『吾妻鏡』講読会:昨年度と同じく、月曜日に行いたいと思います。
   但し開始時間は、少し遅れて三時半から行う予定です。
  ③ ゼミ旅行:夏のゼミ旅行はとりあえず鹿児島に行く予定です。
   また冬休みは例年のゼミ旅行違って、京都近辺の日帰りを二回ほど行う予定です。
   (これもあくまで予定なのでまた変更するかもしれません)
  ④ 『紫苑』:第三号での編集の手腕をまた存分に発揮してもらうため、昨年度に引き続き山岡さんに担当
   していただく事になりました。
  ⑤ 今年度第一回目の例会は、4月25日(月)・6時・共同研究室で行います。
   発表は、岩田さんにしていただく事になりました。発表内容はまた後日お知らせ致します。
   ※ また例会でわれこそは!という方がいらっしゃいましたら、山内まで御連絡よろしくお願い致します。
  
☆ 山本君から『吾妻鏡』講読会について 

『吾妻鏡』講読会についてですが、岩田さんとのトップ会談の結果、4月18日(月)・3時半から行う事になりました。従って11日は、お休みです(春休みができなかったので、なるべく早めにしたかったのですが)。
 講読範囲は、昨年度の『吾妻鏡』の続きから行います。
 日時:4月18日(月)・3時半
 場所:共同研究室
 範囲:承元4年(1210)①2月10日条・②2月21日条・③3月13日条・④3月14日条
    ⑤4月19日条・⑥4月22日条の以上です。
 また前回好評だった岩田さんの古文書講座も行う予定です。それも決まり次第連絡致します。

☆ 山内さんから『百錬抄』の講読会について 

  三回生主体の史料講読会について詳細が決定致しましたのでお知らせします。

 日時:第二、第四水曜日の午後4時~
    初回は4月27日(水)です。
 範囲:『百錬抄』第九、安徳天皇
    初回の範囲は最初の1ページです。
 担当:山岡さん
 
 <野口からの補足>
 例会の前の時間に設定してありますので、3回生以外でも多くの方の参加を期待しています。
 『百錬抄』安徳天皇~は、ちょうど、治承・寿永内乱期の面白いところです。
 テキストは吉川弘文館の新訂増補国史大系本を使います。普及版で出ています。ない人はコピーを用意しておいて下さい。
 『百錬抄』は、ほとんど貴族の日記の抄録ですので、記録読解の入門になると思います。
 部屋は人数に応じて共同研究室か小生の研究室か決めたいと思います。
 一応、参加希望者は山内さん、または野口まで御連絡下さい。
 
☆『古代文化』特輯「平家と福原」書評会の実施日について

 第一候補は5月11日(水)、第二候補(第一候補日に元木先生の御都合がつかない場合)は6月4日(土)でお願いいたします。

☆ ゼミ旅行・見学会について

 門屋君・八井君が検討してくれています。行き先などの希望がありましたら、門屋君に御連絡下さい。
 なお、ゼミ旅行については夏に鹿児島に行く案が浮上しています。

四月の例会について

No.3611

 大変遅くなりましたが、次回のゼミ例会を担当します岩田です。次回の例会についてお知らせします。
 >>No.3544で山内さんや上の野口先生からのご案内でお知らせいただきましたとおり、次回のゼミの例会は4月25日(月)の18:00~です。通常は水曜日に開催のところ、報告者の都合により日程を変更していただきました。

 岩田が担当いたします題は『十世紀の院家について(仮)』です。主に十世紀の「院」の存在形態から、当時の社会情勢を展望してみたいと思います。

 主な参考文献ですが、最近のもので分かりやすいと思われる
  吉川真司「院宮王臣家」(『日本の時代史5平安京』吉川弘文館.2002.)
 を挙げたいと思います。ただし報告自体は、より論点の狭い話になるであろうことをご了承下さい。
 拙い報告になること必至ですが、どうぞよろしくおねがいします。

 >山内さん 発表内容の告知が遅くなってしまってすみませんでした。
 >山本さん そういうことですので、四月中に古文書講読を行うのは難しくなりました。来月からでもいいですか?
 >元木先生 遅ればせながら、先日はありがとうございます。関学の院生はみな先生のお話に大いに触発されたようです。出席者として、きちんとした準備をして臨まなければと思いを新たにいたしました。

紀伊国根来寺から

阪本敏行
No.3609

宣伝させてください。

和歌山地方史研究会 連続講座「根来を知ろう!!」のお知らせ

 このたび和歌山地方史研究会では、これまで数十年にわたって行われてきた根来寺旧境内遺跡の発掘調査成果や建造物調査の成果、あるいは門前町の町並み調査の成果などを、地元住民の方々をはじめ、ひろく一般市民向けに分かりやすくご紹介する連続講座を企画しました。
 根来寺は、日本中世の3大遺跡などとも言われ、遺跡の価値は「国指定史跡」級と言われながらも、なかなかそれを一般市民の方に向けて分かりやすくアピールする場がなかったのですが、この機会にぜひ、多くの方々に来て頂き、根来に対する親しみをもっていただければと思います。

 【連続講座 『根来を知ろう!!』】
第1回 4月16日(土) 13:00~15:00
 根来寺遺跡発掘調査の成果
 講師:村田弘 氏(県文化財センター)
 場所:岩出町立民俗資料館2階大会議室
第2回 5月15日(日) 13:00~15:00
 根来大工と根来の建築
 講師:鳴海祥博氏(県文化財センター)
 場所:未定
第3回 6月5日(日) 13:00~15:00
 根来の門前町を歩く
 講師:鈴木徳子氏(県文化財センター)
 場所:未定(天気がよければ現地見学ツアーもあり)
第4回 7月3日(日)
 根来寺古伽藍の絵図
 講師:大河内智之氏(県立博物館)
第5回 8月6日(土) 13:00~15:00
 根来寺の石造物
 講師:北野隆亮氏(和歌山市文化体育振興事業団)
 場所:未定

ふたたび『義経』の話題にて。

No.3604

 「もう、義経の話はしないのか」という苦言が殺到していますので、少しばかり。
 昨日の放送で取り上げられた時期は、これまでの小生の研究の主要部分に該当します。とくに頼朝の挙兵の政治・社会的背景や安房上陸から鎌倉入部の経過などがそれなのですが、サラッと扱われてアッという間に話が終わってしまい、これは文句を言う筋合いではありませんが、さみしい思いを致しました。
 ただ、三浦一族の軍事力を三千といっていたのは、何か軍記物にでも記事があるのかもしれませんが、前に北条氏の軍事力を数騎としたのに比しては多すぎでしょう。
 丹波哲郎いや源頼政も、橋合戦もないままにアッという間に討死にを遂げてしまいましたが(※)、あの場面に出てきた武士の着用していた大鎧の甲(かぶと)の「しころ」(首の後ろ側を防御するための扇のような形をした部分)は12世紀末のものにしてはやや広がりすぎているように思えました。近藤先生のコメントを期待いたします。
 それから、義経が頼朝のもとに参向した際に率いていた兵力ですが、事実ではとてもあんなに少ないとは考えられません。『源平闘諍録』には「二十騎ばかり」、古態本の『平治物語』には、何と「其の勢八百騎」と見えます。

 ※ 拙宅至近のバス停は「頼政道」。この地名は、以仁王を奉じた源頼政の一行が三井寺から南都に向かう逃亡路だったことに由来します。

Re: ふたたび『義経』の話題にて。

美川圭
No.3605

すいません。先週から2回分見ていません。ビデオには録ってあるのですが、
新学期はじまったばかりで授業の準備もあるし、書かねばならない原稿はあるし、
読みたい本はあるし。
話題のネタに見ておいた方がいいとは思いつつ、楽しくないので、見たくない。
楽しくなくても学ぶところがあればいいのだが、それもなさそうなので。
つらいなあ。なんとか、そのうち、と思いながらも、根が不真面目なので、
苦痛なことはやりたくないのです。やはり野口先生はえらいです。
元木先生も、けっきょく先週は御覧になっていたし。
前の中世舞台の「北条時宗」はほとんど第1回で挫折したので、
それよりもがんばった方なのですが。

とにかく苦痛だあ。

Re: ふたたび『義経』の話題にて。

No.3607

確かに笠じころでしたね。それだけでなく、袖に笄金物付いていたり、化粧板に八双金物が付いていたり、みな南北朝期以降の様式です。しかし、それは仕方のないことです。前にも書いたように、甲冑一領を製作するのに一千万も懸かるわけですから、新たな甲冑など簡単に作れません。こういうのは、業界用語で「アリモノ」と言って、既存のものを使用するしかありません。

そんなことよりも、問題なのは、今回のドラマでは、武将すべてが乱髪になえ烏帽子を被り、鉢巻をしていたことです。これも前にも書きましたが、源平時代にはあり得ない風俗です。これでは室町時代です。甲冑ばかり考証しても、こういう直そうと思えば簡単に直せる部分の考証がいい加減では、どうしようもありませんね。

義経一行については、兵力の少なさはともかく(私自身は少なかったと思っていますし)、問題なのは、戦闘員だけということでよ。兵粮や、また義経は小具足姿で甲冑を着ていませんでしたが(その点は良い)、その義経の甲冑は、誰が運んだのでしょうか?私はそれが気になりました。

Re: ふたたび『義経』の話題にて。

No.3608

 当方もビデオで見ました。何ともあわただしい話でしたね。

 それにしても、何で頼政は敵のまん前に立ってすぐに討たれるのですかね。何とも間抜けですな。それを知盛が射てるのを誰も気づかないというのも御伽噺ですな。ついでに言えば、彼がこもった建物はどこなんでしょうか。
 よく見てもいませんでしたが、頼朝が以仁王が討たれたのに、ことさら生きていることにして挙兵するのも説明不足でしょう。それに、いきなり「目代」なんて言葉が出てくるのもどうかな。
 瑣末な研究に没頭して、授業では学生のレベルも関心も考えないで、学術用語を濫用する学者みたいな感じですね。
 以仁王令旨だけで挙兵が成功したかのような描き方も、あまりに単純化しすぎです。
せめて、東国でも平氏方の横暴に多くの武士が怒っていたといった説明がほしいところですね。
 いきなり梶原景時が、平家の満月にかげりが出たと言って頼朝を助けるのも唐突過ぎます。土肥実平が舟を手配することを、どうして景時が頼朝に伝えるのでしょうね。まあ、折角有名人が演じているのと、あとのからみで出番を多くしたのでしょうが。

 福原遷都後の飢饉は何のことでしょう?養和の飢饉は翌年ですがね。たしかに福原遷都後に日照りは起こりますが、直ちに飢饉になるわけではありません。
 そういえば、『その時歴史が動いた』でも、還都の原因は飢饉であり、帰京後に頼朝の挙兵が起こったという、信じがたい再現ビデオとナレーションが流れておりました。それよりはマシですが、飢饉重視に変わりはありません。
 NHKの歴史番組のネタはどこにあるのでしょうか。せめて、年表くらい見ろ!
 

怪奇!妖怪丹後局!

No.3612

 繰り返しかもしれないが、夏木マリの丹後局、どんどん怪奇になってきている。後白河法皇が丹後局に膝枕をしてもらっているシーンがありましたが、どう見てもこの
法皇サマ、魔性のモノに憑かれて正気を失っているようにしか見えません。大河ドラマはいつからホラー映画になったんでしょうか? この丹後局ならば、正体が九尾の狐か“ろくろ首”だったとしても全然驚きませんね。

養和の飢饉

佐伯真一
No.3618

 あわただしかったですよね、先日の義経。
 早く義経の活躍場面に入りたいから、この辺はもうすっ飛ばす、という感じがはっきり出ていました。橋合戦なんかセットを作って撮影したら大変だというのはわかりますし、史実かどうかは怪しいからいいのですが、頼政の最期は、元木先生がおっしゃるとおり、あんまりだと思いました。頼朝の挙兵も、先日は慎重だった頼朝が、何で突然その気になるのか、わかりませんでした。理屈はどうでもいいや、というところでしょうか。
 ところで、養和の飢饉は、治承四年にはもう始まっていたのではないでしょうか。延慶本『平家物語』(第三本=巻六―廿五)では、治承四年に飢饉が始まって餓死者が多く、翌年は立ち直るかと思ったら、疫病まではやって飢死・病死数を知らず…と描いています。治承四年の干魃は、やはりその年の収穫に影響を与えたのではないでしょうか。飢饉が福原遷都の原因だというのは、明らかに無理だと思いますが。

紫苑御恵与いただきまして有難うございます

山口博史
No.3598

野口実先生
 この度は、『紫苑』並びに玉稿「慈光寺本『承久記』の史料的評価に関する一考察」を御恵与下さり、誠にありがとうございました。「源義経の奥州下向」を拝読いたし勉強させていただきました。
 また、昨日は歴史グループ早雲の例会に野口先生のパートナーである野口孝子先生、ゼミ生である山岡瞳さんが来られグループの雰囲気を感じていただけたと思います。昨日の京樂真帆子先生のお話は、あまり研究が進んでいない分野を披露してくださったように感じました。
 さて、小生は体調が悪く、事務局を他の方にお願いしておりますが、歴史グループ早雲のホームページは、私が少しずつ更新をしたいと思っております。今後とも歴史グループ早雲を宜しくお願いいたします。
 

くれぐれもお大事に。

No.3600

 山口さん、御無沙汰いたしております。
 拙文をお読み下さり、ありがとうございました。
 御体調の方、心配いたしておりましたが、昨日、早雲の学習会にお出でになられたと聞いて少し安心いたしました。しかし、くれぐれもお大事になさって下さい。
 歴史グループ早雲のHPも掲示板が復活されて、良かったと思います。以前、当ゼミの永富さん・鈴木君・末松さんが書き込ませていただいたことがあったように記憶します。
 早々に御体調を快復されて、歴史グループ早雲の活動をさらに広げていただきますことをお願い申しあげる次第です。
 昨日の学習会には当ゼミメンバーの山岡さんが初参加させていただきました。

>山岡さん  パソコンの修理中で、書き込みにくいかも知れませんが、お暇があったら歴史グループ早雲学習会の感想など、お願いいたします。

お礼

京樂真帆子
No.3593

野口さま
 昨日は、山岡さんにお会いし『紫苑』も頂戴いたしました。ありがとうございました。また、玉稿「慈光寺本『承久』の史料的評価に関する一考察」も頂戴し恐縮でございます。昨日は思わぬ「伏兵」(あるいは貴ゼミの最終兵器でしょうか?)にもお出あいし、うれしくも緊張の時間を過ごしました。嬉しさのあまり時間を忘れて遅くまでおしゃべりをしてしまいました。よろしくお伝え下さいませ。
 また、大阪の某案件、ご迷惑をおかけいたしましてもうしわけございません。一部には新聞に載った私の写真が悪かったのでは、とささやかれておりますが。別の見方をすると、ある種の「歴史学の危機」の表れかとも思います。この掲示板で議論になっていますテレビ番組のあり方にも象徴されるように、「歴史学」への(歴史的事実や日本史や楽しい歴史などではなく、歴史「学」への)リスペクトが社会から消えつつあるのだと危機感を抱いております。

大阪の某案件をめぐって。

No.3594

 >京樂先生  大阪の某案件は、明らかに京樂先生のお写真が原因ではありません。じつは、主催者の異なる別の某案件についても中止に追い込まれたという事実がございます。小生にとっても主催者にとっても、かかる事態は初めてのことで、お互いにそれぞれの立場から当惑した次第です。
 博物館を民間委託に委ね、テーマパーク化を図ろうとする行政のみならず、個々の市民レベルでも科学・学問への忌避が急速に進行しているのではないかという懸念を感じております。これはおそらく、出版の世界にも及ぶのではないかと存じます。
 私ごときが申し上げるのは僭越なことなのですが、このところ歴史学の世界も長い研究蓄積の上に築き上げられた従来の枠組みが取り払われ、なにか魑魅魍魎の世界に迷い込んでしまっているような感想をもっています。平安時代は陰陽師が裏の世界を取り仕切り、戦国時代は忍者が勝者の帰趨を決定したというような、テレビゲーム的歴史認識に、研究者までが、結果的に加担しているのではないか感じることがあるのです。
 大河ドラマの『義経』もそうですが、正当な真摯なものに対する謙虚さが失われた文化状況が確実に進行している。それも、かなりの速度をもって。そう、思わざるを得ません。某案件もその一環の現象だと考えています。
 一方、行政主体の無料の「某案件」にはたくさんの人たちが押し寄せます。もちろん主体的意志をもって参加されている方が大半だと思いたいのですが、一部には「暇の消化」を目的とする方もおられるようです。こうした状況を総合すると、御指摘のごとく、恐ろしいことになりそうに思います。
 かかる状況に対処するためにも、正当な「歴史学」を継承してくれる若い人たちの育成は急務だと思います。学問を志す若い女性にとっては、元気で情熱に満ちた同性の研究者の活躍は大いなる励みになることと思います。当ゼミに於いても「老廃物のごときオヤジ」たる小生の指導には自ずから限界が御座います。ときに当ゼミ生にたいする御指導をお願い申しあげる所以です。今後とも、なにとぞ、よろしくお願い申しあげます。 

ありがとうございました。

山岡 瞳
No.3602

>京樂先生
昨日、今日とお世話になりました。

「平安時代の建築指図」というお話でしたが、こういった分野には全くと言っていいほど触れたことがなく、私にとって新鮮でした。指図が当時の人々の記録となることや、故実の蓄積になるなど大変興味深いお話でした。また、先日、見学会で訪れた浄妙寺(跡)がお話のなかにでてきたときは、おもいっきり反応してしまい、なぜか浄妙寺に親近感を持っていることに気付きました。

御所の隣に住んでいながら、今日初めて御所に足を踏み入れました。日曜日ということもあり、人の多さには疲れましたが、場所毎に起きる山口さんとの問答で、抱いた疑問が一つ一つ解決していきました。
家に帰ってテレビを見ると、今年一番の暑さだったとか、日焼け対策を怠ったことを後悔しましたが、本当に有意義な時間を過ごすことができました。お誘い頂き本当にありがとうございました。
また、大変丁寧なレジュメをありがとうございました。


土曜日は以前薗田さんが書き込まれた府立大のシンポジウムにも参加しました。
自分に理解できるか心配でしたが、どの先生もわかりやすいお話で、紫式部の時代がどんなものであったのか、様々な視点から見ることができるものでした。
特に、朝廷が夜化していった背景について考えさせられました。当時の時間感覚については全く考えたことがなかったので…。
移動をご一緒させて頂いた野口孝子先生からは、講義で読むことになっている本のおもしろい着目点を教えて頂き、講義で生かしたいと思います。ありがとうございました。

お久しゅうございます。

No.3603

京樂先生、お久しゅうございます。お元気そうなご様子で、大変嬉しく存じます。あまり多くを語ることなく、本日はご挨拶のみで、失礼させていただきます。

Re: お礼

京樂真帆子
No.3616

石浜様
 ひ~い!どろんどろん(消える音)

三回生主体の史料講読会について

山内 梓
No.3587

三回生主体の史料講読会について詳細が決定致しましたのでお知らせします。

日時:第二、第四水曜日の午後4時~
   初回は4月27日(水)です。
範囲:『百錬抄』第九、安徳天皇
   初回の範囲は最初の1ページです。
担当:山岡さん

※場所はおそらく共同研究室か、先生の研究室になると思いますが、確認が取れ次第、追って連絡致します。

『百錬抄』講読会について。

No.3588

 例会の前の時間に設定してありますので、3回生以外でも多くの方の参加を期待しています。
 『百錬抄』安徳天皇~は、ちょうど、治承・寿永内乱期の面白いところです。一昨年度、同志社大学の演習でやったところですから、当時の受講生である田中さん・長村君・野口君・山本君たちの作ってくれたレジュメを、ありがたく活用させていただきたいと思います。
 なお、テキストは吉川弘文館の新訂増補国史大系本を使います。普及版で出ています。ない人はコピーを用意しておいて下さい。
 『百錬抄』は、ほとんど貴族の日記の抄録ですので、記録読解の入門になると思います。
 部屋は人数に応じて共同研究室か小生の研究室か決めたいと思います。
 一応、参加希望者は山内さん、または野口まで御連絡下さい。

薗田さんへ

No.3586

返信遅くなってごめんなさい!
全然オッケ~です。参加という事で名簿に加えさせてもらいますね~。

桜が強敵

No.3595

 >末松さん
 お手数おかけしてしまい、申し訳ありません<(_ _)>
 仕事で近世文学の史料にふれる機会も多く、遅まきながら勉強していきたいな♪と思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたしますね。 
 
 さて、先日お伝えしました府立大学文学部講演会。天候がよく桜も満開ということで会場のにぎわいを心配しておりましたが、盛況のうちに終えることができました。
 お忙しいところ足をはこんでくださったみなさん、ありがとうございました。

 >野口孝子先生
 だいじなご本をありがとうございました!ひとりの時間にじっくりと味わっております。

紫苑届きました

国方茉伊
No.3577

お久しぶりです。皆さんお元気ですか?
春の京都を特集した番組をよく目にする今日この頃。京女周辺は観光客で溢れかえっているのでしょうか。
私は自宅と会社の往復だけで1日が終わるといった感じの日々を過ごしております。そのうち慣れるかなぁ…。
今日仕事から帰ると、机の上に紫苑が!!ありがとうございます。
皆さんとても学術的なことを書かれているのに、私の活動記録といったら…あぁ~(ToT)
恥ずかしいです。
瞳ちゃんおつかれさま!新生活、お互い楽しみましょう♪
宗教文化ゼミのますますの発展を四国から応援しておりま~す。
それでは、また。


Re: 紫苑届きました

No.3579

 國方さん、こんばんは。
 小生、今日は同志社の新年度初講義だったのですが、烏丸今出川のあたりは御所見物や花見の人たちでいっぱいでした。まさに「都の春」です。
 お仕事、慣れるまでは、すこし大変かも知れませんが、國方さんなら、すぐに克服されて、職場で大活躍される事と確信しています。
 『紫苑』の國方さんの書いてくれた旅行記ですが、↓にも書きましたように、先日、小城の村岡総本舗の社長さんからお電話があり、大変喜んでおられました。河上神社で撮った写真をみると、あの時のことをはっきり思い出せますね。
 ↓に書いたのと同じことを言いますが、また、御上洛の時はお立ちより下さい。こちらからも、香川に出掛ける機会を作りたいものです。それでは、お元気で。

 ☆ 明日、小生の畏友である山口博史さんが事務局を担当されていた「歴史グループ早雲」の例会があります。以前、大阪市立大学の仁木宏先生が講師をされた時に、永富さんと鈴木君が参加させていただいたことがありましたね。今回は仁木先生のパートナーである京樂真帆子先生のお話です。府立大のシンポに行く人も、その後にお暇があれば、ぜひ参加されたらよいでしょう。以下に詳細を記します。  
 
   <例会〉 平成17年4月9日(土)
    テ ー マ: 平安時代の建築指図
    講  師 :京樂真帆子氏(滋賀県立大学助教授)
    時  間 :午後6時15分~8時15分
    場  所 :ラボール京都6階の会議室(京都市中京区四条御前角)
    参 加 費:800円(資料代)

Re: 紫苑届きました

京樂真帆子
No.3580

野口様
 ひ~ぃ!今資料を作っています。明日(あ、今日だ)はコピーしたてのほかほかのレジュメを使うことになるでしょう。徹夜はお肌に悪いので避けたいのですが。

なにとぞ、よろしくお願いいたします。

No.3581

 京樂先生、こんばんは。
 学習会には当ゼミから山岡瞳さん(同志社大学3回生・元京都女子大学2回生)が参加の予定です。どうぞ、よろしく、お願い申しあげます。
 そういえば、17日には仁木先生と山田邦和先生が中心になって進めておられる中世都市史研究会京都大会の準備委員会が予定されていて、事前報告をしなければならないのでした。分不相応のことをお引き受けしたので、こちらは徹夜で何とかできるものでもありません。とるべきみちは居直りのみです。

紫苑ありがとうございました

笠 露子
No.3570

一昨日手元に届いた紫苑ですが、早速
本日発送する荷物に潜り込ませてしまいましたので
引っ越し後、落ち着いてから拝読いたしますm(_ _)m

>山岡さん
どうもお手数をおかけしました。

『紫苑』第3号の列島大移動。

No.3574

 京都を発して九州は久留米にたどり着いた『紫苑』第3号は、今度は北海道に旅立つわけですね。

>伊藤千春さん  古墳探検はいよいよ本格化しそうですね。高校2年生の時の休日というのは人生で一番価値のある「時」なのかも知れません。おおいに楽しんでください。
 古墳については、だんだん学術的な話になってきているので、山田先生、御専門の立場から今後とも御指導をよろしくお願いいたします。

☆ 本日、千葉県夷隅町の夷隅町史編さん室から『夷隅町史 通史編』をお送りいただきました。中世を担当された滝川恒昭先生・遠山成一先生などの御配慮によるものと存じます。夷隅町内の城館跡の紹介など、日頃の着実な御研究の成果が反映していて素晴らしい内容だと思いました。御厚意にあつく御礼申しあげます。
 ただし、古代の部分ですが、平忠常系を「房総平氏」と呼ぶのは不適切です。忠常系の分布はほとんど上総・下総に限られます。すこし奇異な名称ながら小生が「両総平氏」と呼んでいるのはそのためであり、一応、学界の了解も得られていると思っています。
 
☆ 国文学の清水眞澄先生からは、御高論「音の信仰-妙音天をめぐる人と場-」(聖徳大学言語文化研究所『論叢』12、2005年)をいただきました。妙音院師長が、あの『台記』の記主・藤原頼長の子であることから、頼長領の伝領について詳細な考察が加えられており、歴史学の論文かと見まがうばかりです。多くのことを学ばせていただきました。あつく御礼申しあげます。
 ちなみに師長(御白河院の近臣にして琵琶・箏の奥義を究めた)の住んだ妙音堂が法住寺殿内新日吉社の近隣(すなわち京都女子大の辺り)に所在したことは、昨年、京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』第17号に、山田邦和先生との共著で発表した論文において指摘したところです。

 例会の報告者ですが、長村君が学友の辻君(京大院)に依頼したところ、快諾を得たという報告をいただきました。長村君・辻君、ともにありがとうございます。日程については、山内さんの方で調整をしてください。
 なお、長村君からは、ほかにもお申し出がありましたが、御紹介は保留にしておきます。

Re: 紫苑ありがとうございました

No.3576

山内さん
辻君は基本的にいつでもよいとおっしゃっているので、発表者未定の例会の日を私のほうにお知らせください。ご本人にお伝えいたしますので。

福原特輯号批評会提案

No.3567

>>野口 実>>No.3546 ?
>>例会については花園大学の山田先生から、
>>『古代文化』の福原特輯号が刊行後、
>>その掲載論文の批評会をやらないかという御提案を
>>頂いております。

提案者の山田です。
 福原特集号、せっかくの好企画ですから、打ち上げを兼ねた(ホントはそっちがメインだったりして・・・)批評会をやるのはどうかと思います。野口先生、元木先生、私がマナイタの上に載ると、さて包丁を振るうのはどなたになりますか? 美川先生かな?
 その際、附<つけたり>で結構ですので、私にも報告の時間をいただければと希望しています。特集号では福原の都市構造の復元を扱うにとどまりましたが、これを書いた副産物として、福原遷都の経緯について少しばかり従来の学説とは違った考え方に至りました。これも原稿にしたのですが、その公表前に皆さんに聞いていただきたいものです。特に、元木・美川両先生に厳しくご批判いただけるなら、大変ありがたいと思っております。


>野口先生
 >>No.3562で私のblog『平安京閑話』平成十七年四月四日条(キャハ! 貴族の日記の引用みたいだ!)を紹介いただき、ありがとうございます。博物館に対する暗雲がどんどんとたちこめています。とにかく、博物館の集客施設としての側面だけが強調され、調査研究・資料収集という側面が軽視されるという流れができてしまっています。もちろん、観客がひとりもいない博物館などというものは意味がないのですが、調査研究・資料収集をおろそかにする博物館はもはや博物館ではなく、単なる催し物会場にすぎません。
 しかし、この流れをいかにしたら食いとめることができるのか・・・ 昨今の状況を見るにつけ、暗澹たる思いがします。
 これからを担う若い人たちのご意見をいただければ幸いです。

博物館だけではないかも

No.3568

山田先生、大変なのは、博物館だけでなく、美術館もだそうです。美術館も単なる貸し会場と化しつつあるようで、作品収集や企画などにはあまりお金を割けなくなっているとか。特に、都関係がひどいようです、あの知事のせいで。

福原掲載号の批評会、なんとか参加したいものです。まあ、6月には京女の講演会もありますので、そんなに何度も遊びに……勉強しに……取材しに行けるのか、心許ないところなのですが。

『古代文化』 福原特輯号批評会について

No.3569

 元木先生・山田先生に御執筆いただいた『古代文化』第57巻第4号(特輯『平家と福原』)の内容は以下のとおりです(月内近刊)。

   特輯『平家と福原』によせて・・・・・・・・・・・・・・・野口 実(京都女子大学)
   福原遷都と平氏政権・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・元木泰雄(京都大学)
   『福原京』の都市構造・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山田邦和(花園大学)
   伊勢平氏と屋敷・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・伊藤裕偉(斎宮歴史博物館)
   平家の本拠をめぐって-立地空間の軍事的評価-・・・・・野口 実   
   『平家物語』における遷都
    -『延慶本平家物語』『山門奏状』の本文について-・・・近藤安紀(青山学院大学大学院DC)
   <図版解説>兵庫県神戸市 楠・荒田町遺跡・・・・・・・・・岡田章一(兵庫県教育委員会)
  
 山田先生の御提案に対して、元木先生・美川先生、御意向はいかがでしょうか。
 時間の設定については、『台記』研究会と当ゼミ例会の合同ということになると水曜の夕刻からということになりますが、場合によっては土曜の午後などに設定するのもよいかと思います(小生、5月は7日くらいしか空いていませんが)。場所は当方の共同研究室を用意いたします。
 批評の他に山田説の検討が大きなテーマになるものと思いますが、石浜さんも御出席いただければ幸いですし、ほかの執筆者の方で御参加下さる方がいらっしゃれば大いに議論は盛りあがることと思います。

Re: 福原特輯号批評会提案

美川圭
No.3575

喜んで参加させていただきます。
5月7日(土)でもけっこうですし、
5月は今のところ水曜日の午後は予定が入っていません。、

Re: 福原特輯号批評会提案

No.3578

>みなさま
すみません、5月7日はキャンパスプラザでの講義がはいってしまっています。五月の土曜日が結構つまっていて、14日も21日も先約です。言い出しっぺが申し訳ありません。4月30日でしたら空いているのですが、連休中ですね・・・・

Re: 福原特輯号批評会提案

No.3582

 お返事遅れて申し訳ありません。
 5月7日は先約がございます。
 水曜は、いまのところ11日か25日なら一応空いております。
 しかし、日程未定の委員会があり、場合によっては潰れるかもしれません。
 全学委員三つ、学内委員二つ(一つは委員長)という殺人的役職状況です。大して実務能力もないのにどうしてこんなことになるのでしょうか?
 結構ミスはするし、時間は遅れるし、挙句は会議を忘れたりしているのですが、その甲斐もなくこのざまです・・・。
 というわけで、当方の予定に構わず、お決め願えればと思います。
 
 久しぶりに関学に行き、仁川から歩いて、情けないことに息が切れました。
 95、6年度に伺った時には全く苦にならなかったのに・・・。加齢と衰えを痛感しました(二日酔いもあるが)。
 戸田君、岩田君はじめ、皆さんにご挨拶頂き恐縮です。
 次はポプラに行きましょう。その次はリュータンに行きましょう。

福原特輯号批評会日程、仕切り直し。

No.3583

 山田先生は水曜は御無理なのでしょうか。だとすれば、実現は6月以降にずれ込みそうですね。なお、6月25日(土)は宗教・文化研究所の公開講座です。
 
 >元木先生  大学のお仕事、「名門の出でありながら実務にも通じ・・・、やがては・・・」みたいなことになりそうですね。
 批評会については、山田先生の新稿「福原遷都の混迷と挫折」の事前報告にたいする元木先生からの御意見を小生も是非うかがいたいので、元木先生抜きでの日程設定は無意味と考えています。  
 

6月の土曜日

No.3584

 そこまで言っていただけるなら光栄です。
 水曜が可能なら、会議日程がはっきりしたところで連絡します。
 6月の土曜は、11,18以外は空いております。
 校務は入りませんので、先に抑えれば問題ありません。
 大分先になってしまいますが・・・。
 連休中ですが、山田先生も触れられた4月30日は如何でしょうか。もっとも原稿に追われてかなり厳しいのですが・・・。
 
 昨日はハードな会議で、本当にへとへとになりました。
 このほかゲバ学生の相手や、奨学金の返還免除者の選定(本来は文科省の所掌を大学が押し付けられた。下手をするとうらまれる・・・)、所属部局の同窓会の立ち上げ委員会の委員長(事務方が雑務に追いまくられ、こっちに仕事が押しつけられる)などなど、ややこしい業務が山盛りです。
 どうもお前のようなくだらない研究者は「研究」などせずに、雑用に専念せよということのようです。トホホ・・・

4月30日か6月になってから。

No.3585

 美川先生、4月30日のご予定はいかがですか?御都合が宜しければ、この日で決定。不可なら、山田先生の御都合がよけれぱ、5月の水曜。駄目なら6月ということにいたしましょう。
 それにしても、年度末も年度初めも、本当に忙しいですね。

 ★ 大学の危機に関する問題について、先日、東京都立大学の川合康先生から、初見基氏「ある大学の死」(岩波書店『世界』5月号、2005年4月8日発売)が、現在の状況をリアルに描いているとのお知らせをいただきました。

Re: 福原特輯号批評会提案

美川圭
No.3589

すいません。
4月30日は冷泉邸での明月記紙背文書研究会が、
先約で入ってしまっています。
前回の書評会、出られなかったので、
今回はぜひ出たいのですが。

元木先生が、それほど忙しい委員をやらされているとは・・・。

ところで私、今年度、少し学内委員が減りました。しめしめ。
私、年男なのですが、法人誌の「今年の抱負」という欄に
以下の文章を書いたのが、ちょときいたかな、とほくそ笑んでいます。

http://www.oit.ac.jp/japanese/sinpo/flow/007/11-14.pdf

ま、書くだけではなく、1年に一回は会議で机をたたいて、
実践もしているのですが。
いちおう、ご参考までに。

火の玉のように

No.3591

美川先生>読みました。同じ年男として同感です。

Re: 福原特輯号批評会提案

No.3592

みなさま、こんばんは。
私がこんなことを言い出したばっかりに、お忙しい先生方にご心痛をおかけしているようです。
土曜でしたら、5/28、6/11が空いています。しかし、土曜にこだわるとズルズル延期になりそうですね。5月中の水曜ということでも結構です。野口・元木・美川各先生の御都合の良い日にあわせてくださいませ。

福原特輯号批評会日程(仮)の御提案。

No.3596

 5月28日(土)は小生が、6月11日(土)は元木先生が不可です。したがいまして、山田先生の御提案にしたがって5月の水曜で行きたいところですが、当ゼミの史料講読会・例会(第2・4)で第4水曜日(25日)の方はすでに例会報告を希望されている人がおられるようですし、第3水曜日(18日)は元木先生にご用がございますので、とりあえず第2水曜の11日に設定したいと存じます(当ゼミの史料講読会は休会、例会は書評会とします)。
 すでに、個々の論文に対する書評担当を懸念する(不届きな)ゼミメンバーの声を聴いておりますが、特輯号そのものについてはフリートーキングで行い、その後、山田先生に「福原遷都の混迷と挫折」の御報告をいただいて、さらに討論という段取りで如何でしょうか。『台記』研究会のメンバーをはじめ、日ごろ元木先生の研究会に御参加の京大や龍大の皆様にもふるって御出席をお願いしたいと思います。
 場所は京都女子大学宗教・文化研究所共同研究室(L校舎3F)
 開始時間は15:30くらいで、元木先生よろしいでしょうか。
 もし、この日に元木先生の御都合が悪くなった場合には、今のところ不都合の重なっていない6月4日(土)に回したいと存じます。
 
 これでも、まだ問題があれば、御連絡下さい。こうなったら、開催実現まで執拗にやりたいと思います。
 以上、よろしくお願いいたします。

Re: 福原特輯号批評会提案

No.3597

 5月4週目の例会発表を希望した本人です。先日お伝えしていなかったかもしれませんが、私水曜日は大学院の授業が4・5限にあり、水曜日以外の日を設定したいただくことになると思います。
 ですので、5月4週に研究会連発でも構わないとのことであれば、25日に開催してくださっても結構です。
 ますます事態をややこしくしてしまうかもしれませんが、よろしくお願いします。
 

第一候補5月11日(水)、第二候補6月4日(土)

No.3599

 門屋君、ありがとうございました。5月第四週ですが、小生は週末に関東に行きますので、月~木の間で、できるだけメンバー以外でも、国文学専攻の方が多く出席していたたげる日に設定するように、山内さんと御相談下さい。
 同じ週に研究会を二度というのは、避けたいと思いますので、書評会はあくまでも、第一候補は5月11日(水)、第二候補は6月4日(土)でお願いいたします。

Re: 福原特輯号批評会提案

No.3601

 色々ご面倒をおかけしております。
 5月13日に予定されていた学生部委員会が、急遽変更になったのですが、その日が前になるのか後になるのかも分からず、困っております。
 11日も候補のため、歯切れの悪いお返事しかできません。ご容赦ください。
 京大では、委員は互選、部局長の指名、客観的な基準による順送りのいずれかでまわってきます。今回の「惨状」は、全く別の論理でまわってくる委員が、偶然当方の重なってしまったことにより発生したものです。
 したがって、これは文句を言っても仕方ありません。ただ、委員が増えた背景には、奨学金の件のように、明らかに文科省の問題があります。文科省に右往左往させられているのは事実です。このため、事情をご存じない京大教授のなかには、「大手の私学がうらやましい」などと仰る方もおられます。野口先生、ご経験上、その意見は如何なものでしょうか。
 ともかく、お誘いいただいても、時間の関係で参れないことも多いと思います。ご容赦ください。時間は拘束されますが、まあ当方マイペースで参ります。
 これでも、自身の痛切な経験からすれば、天国です・・・。