複合権門都市としての「宇治」。

No.3433

 昨日のゼミ宇治見学会は27日に予定されている「明月記研究会」の宇治見学御案内の予行とはいえ、院政期政治史、とりわけ宇治の都市的発展に大きく関与した藤原忠実に関する御著書のある元木先生、院政研究の第一人者にして最近「権門都市」に着目されている美川先生、考古学の立場から巨大都市複合体としての中世京都都市圏の研究を提唱・推進されている山田先生の御参加をいただいて、たいへん得るものがありました。
 当初、天候が心配されましたが、徒歩の見学の間は、幸いにも降雨に遭遇せず、宇治陵の実態について山田先生から詳しい御案内をいただくことが出来ました。
 また、宇治市歴史資料館では、同館で発掘調査に携わっておられるすべての先生方から御教示を仰ぐ機会を得、また、27日の見学会についても積極的な御協力をいただけることをうかがって、本当に楽しく、かつ安堵の思いをさせていただいた次第です。あつく御礼申し上げます。
 近年、考古学的な調査の成果に基づく新たな情報が蓄積される中で、摂関家の権門都市宇治にたいする研究は、今後活況を呈することになると思います。昨日の見学会は、若いゼミメンバーも含めて、これからこの時代の宇治の都市史研究を牽引すべき人たちが、一堂に会した観があり、ある意味で記念すべき日となったのかも知れません。
 そのようなことと、見学会が無事に終了し、27日もどうやら御案内の手順が整ったようだし・・・といった安堵感が夜の宴会における小生の饒舌につなかったのだと思います(しかし、本日は寒いこともあって、さっそく腰痛にさいなまれております)。

>元木先生  お疲れの所、遅くまでおつきあい下さり、ありがとうございました。
>田中さん  例によって目的と参加者が多様化した宴会の幹事、ありがとうございました。なかなか、良いお店でした。
 ついでながら、研究室においてある本をお忘れなく。

『明月記』研究会の皆様へ。

No.3434

 27日の宇治見学会について、幹事の尾上先生に直接メールをお送りいたしましたが、あるいは既にご出発になっておられるかも知れず、また参加者の方には事前にお知らせしておいた方がよろしいかと存じますので、ここに同内容の情報を掲載させていただきます。
 昨日、上記のように、見学会の予定コースを回ってきました。JR六地蔵駅から浄妙寺跡・宇治陵などを経て京阪木幡駅まで、約2時間を要しました。木幡からはJRでは電車の本数が少ないので、京阪を利用しました。当初は宇治に着いてから宇治市街の遺跡を御案内してから歴史資料館に向かうつもりでしたが、27日は昼食の時間や歴史資料館までの移動方法の問題で、京阪宇治駅からタクシーで直接歴史資料館に向かうことに致します。
 歴史資料館では館員の浜中邦弘先生が資料を用意して御案内してくださり、さらに平等院など宇治市街の見学についても対応していただけるとのことです。歴史資料館から昼食のお店までは、タクシーを利用することになると思います。私はこの時点で失礼させていただきたいと思います。
 なお、気のついた点を列挙しておきます。
① 朝JR六地蔵駅集合後、徒歩で2時間ほど見学の間、トイレ休憩の場所がありま
せん。
② 27日は観光シーズンの日曜なのでタクシーがつかまりにくいかもしれません。
歴史資料館への往路は駅前で客待ちの車に順次乗車ということになりますが、帰路は
電話で呼ぶことになります。なお、運賃は片道一台800円くらいです。一台に4人
乗車としても7台必要です。
③ 当日は小生の助手役として当ゼミ所属の院生・学生2名ほどが同行させていただきますが、よろしくご了承下さい。

『中世の都市と寺院』などの御紹介。

No.3435

 高志書院から吉井敏幸・百瀬正恒編『中世の都市と寺院』が刊行されました。同書には山田邦和先生の「院政期王権都市嵯峨の成立と展開」や今回の見学会でたいへん御世話になった浜中邦弘先生の「宇治の都市的空間成立と平等院」をはじめ、福原・大宰府などをテーマにした興味深い論文が収録(満載)されています(本体2500円)。
 山田邦和先生の嵯峨に関するもうひとつの論文「中世都市嵯峨」は、京大の金田章裕教授を研究代表者とする平成14~16年度科学研究費補助金基盤研究得(A)(1)研究成果報告書「平安京-京都の都市図・都市構造に関する比較統合研究とデジタルデータべースの構築」に収録されています。
 昨日、上記の『中世の都市と寺院』および掲載御高論抜刷、「中世都市嵯峨」の抜刷をいただきました。また、前にこのbbsでご紹介させていただいた元木先生の御高論「伏見中納言師仲と平治の乱」も、直接頂戴いたしました。両先生にあつく御礼申し上げます。

東大史料編纂所の高橋・保立先生から。

No.3436

 先般の東京方面のゼミ旅行で大変御世話になった東大史料編纂所の保立道久先生と高橋慎一朗先生から御高論抜刷および御共著の書籍をいただきました。
 ・保立道久「都市王権と貴族範疇-平安時代の国家と領主諸権力-」(奈良女子大学「日本史の方法」研究会『日本史の方法』創刊号、2005年3月)
 ・五味文彦・櫻井陽子編『平家物語図典』(小学館)
    高橋先生は、第四章「『平家物語』ゆかりの地」を担当され、ここに山田先生御夫妻の作図(当研究所紀要17号掲載)をべースにした「六波羅、法住寺殿周辺図」を掲載されています。
 ちなみに、この本については山田ちさ子さんのblog「平家物語」に詳しく紹介されています。
 保立先生・高橋先生に御恵送をあつく御礼申し上げます。

『中世の都市と寺院』

No.3439

野口先生、皆様、昨日はありがとうございました。楽しかったですね。

拙稿の掲載された、吉井敏幸・百瀬正恒編『中世の都市と寺院』、ご紹介いただき、ありがとうございました。(ただ、岩田書院ではありません、高志書院です)。なかなか刺激的な論文揃いです。中世の奈良の考古学なんて、他ではちょっとお目にかかれません。

定価2500円+税。希望者が集まればご連絡いただければ、著者割引もききます。

お世話になりました

No.3442

 野口先生、ご心配頂き有難うございました。
 最近行事続きで飲みすぎたのと、少々ややこしいことでめげておりました。昨秋からの疲労がボディーブローのように効いて来たようです。
 もう自分の体力、気力と相談しな意図、仕事ができない年になったことを、痛感いたしております。何がショックといって、あの程度のビールで胃がもたれ、胸焼けがするとは・・・。
 
 それはともかく、宇治というと、どうも平等院周辺のイメージしかなく、今回のように宇治陵から宇治の旧来の市街地まで、歩いてみると、宇治に対する新しいイメージが得られたように思います。
 山田先生のご解説で、宇治陵の実態が良く分かりました。道長までの摂関家は、実に貧弱な墓所しか設けておらず、先祖崇拝と結びつくイエ観念が乏しさが実感されました。
 資料館の杉本、荒川両先生の懇切なご説明には本当に感謝しております。
 浄妙寺と離れた宇治川沿いに頼通が別業をつくり、少し離れた場所に師実の泉殿、忠実の富家殿が造営され、白河金色院が出現する。12世紀初期までの宇治は、浄妙寺、平等院、金色院、諸邸宅が散在する地域だったように思われました(荒川先生のご指摘のように、こうした理解は今後の発掘によって大きく変化する可能性も高いのですが)。
 ところが、大殿忠実の時に、平等院を中心として碁盤の目のような町並みが整備され、権門都市として、凝集と発展を遂げた様相が浮かび上がります。
 逆に、保元の乱後、摂関家の別業は、松殿、あるいは岡屋と、再び散在し、平等院付近は衰退するとのこと。
 まさに複合権門の時期に、宇治は都市として最も発達したことになります。
 美川先生のご指摘のように、王家では皇統の変化とともに、権門都市は移転するのですが、宇治が衰退し、別荘が散在せざるを得なかった所に、摂関家のおかれた状態が明瞭に示されているように思われます。

 田中さん、懇親会の幹事役お疲れ様でした。多彩で味付けもあっさりした、いい料理でしたね。近藤先生ならともかく、分量も適当でした。
 あそこは、レストランスターのチェーンとのこと。スターといえば、74年春、大学に入って初めてコンパをしたのが、当時四条木屋町にあったスターでした。外観が変わっても、古くからの店が健在だと少しうれしくなります。
 こういうのも、年寄りの繰言ですかね?
 
 明日の義経、見たいような、見て血圧が上がるのも怖いような。

24日の宇治歴史散歩はこうします。

No.3429

 まさに天に見放されたらしく、京都府南部の24日の天気は午前中は晴天にもかかわらず、昼を過ぎるといきなり雨とのこと。白河上皇なら「雨水の禁獄」必定。
 とはいえ、本日(23日)、単騎、伊予国から応援に駆けつけてくれた山岡さんと、家内制手工業で一生懸命に作成した資料もあることですから、予定通りに敢行の所存です。 ただし、雨量や気温の具合で、徒歩による見学は多くを割愛に委ね、宇治市歴史資料館・平等院鳳翔館・源氏物語ミュージアムなど、屋内施設中心の見学への変更を考慮したいと考えています(入館料を御用意下さい)。
 ということですので、それでは面白くない、お金がかかるのは困る・・・と判断される方は、不参加もやむなしと考えます。まあ、歴史散歩が雨と寒さの地獄でも夜の宴会で極楽気分になっていただければ幸いとするところであります。
 小生が閻魔大王、否、ヒラの鬼なら、田中さんは天女といったところでしょう。
 いずれにせよ、JR六地蔵駅改札口前13:00集合、即スタートします。

 >石浜さん  またNHKブックス(石原千秋『評論入門のための高校入試国語』)を頂戴して、恐縮です。
 ちなみに、小生も山田邦和先生との共著で『原典作者には絶対正解のわからない大学入試国語』という本が書けるかも知れません。

野口先生絶好調

美川圭
No.3432

昨日の宇治歴史散歩、なんとか天気も予想ほどの崩れはなく、
野口先生の行き届いたご解説とご案内、
山田先生の宇治陵でのご解説などで、
たいへん有意義な見学ができました。
とくに、小生、浄妙寺跡、宇治陵、松殿山荘周辺、許波多神社など、
行ったことがない遺跡が目白押しで、楽しかったです。
とともに、宇治の平等院、市街地遺跡などとの関係を、
どう考えたらいいか、という難しい課題の重要性を、
認識できたと思います。
また、準備をしていただいた幹事長の田中さん、山岡さんにも、
深くお礼申し上げます。

また、宇治市歴史資料館で解説をしていただいた、
杉本先生、荒川先生にも、たいへん感謝しています。

なお、当日の詳細については、ゼミ生のどなたか、
まとめて報告してください。
勉強になりますよ。

と堅い話はここまでにして。

夜の宴会はたいへん盛り上がりました。
とくに、野口先生は最近にないほど絶好調。
その理由は、どうも、前に座られたお美しい2人の先生、
とお見受けしました。
まあ、野口先生、その先生方に、しゃべる、しゃべる、しゃべる。
最近、ちょっと、お疲れ気味かな、と心配していたのですが、
やはり、野口先生も・・・・とたいへん、ほほえましく思えました。

Re: 24日の宇治歴史散歩はこうします。

No.3437

 昨日はありがとうございました。
 初参加でしたが、淨妙寺跡や松殿山荘など、野口先生、山田先生の懇切な資料プリント付のご解説もあって、大変興味深く、有意義な一日を過ごさせていただきました。特に、研究熱心な若い方々とご一緒できまして、久方ぶりに清新な気分を味わえました。
 夜のお疲れ様会も、楽しく過ごさせていただいて本当にありがとうございました。

 >野口先生、このところお疲れ気味であったとか?お腰の具合は大丈夫でいらっしゃいますか? 孝子さまにはいつもお世話になっています。お心遣い、感謝申し上げます。
 >幹事長の田中さん、お疲れ様でした。ありがとうございました。

 来年度はどうなるかわかりませんが、また参加させていただける機会がありましたら、よろしくお願いいたします。

24日の宇治歴史散歩の写真。

No.3455

 「ぼんやり夫人」こと山田ちさ子さんのblog「平家物語」・・・ではなく、ラン2さんのHP「平安京探偵団」に、24日の見学会の時の写真がupされています。植村先生・山岡さんらしき後ろ姿あり。

 ちなみに、このところ人気blogランキングでは、山田御夫妻のトップ独占は変わらないものの、1位がこの「平家物語」、2位が「平安京閑話」と逆転の形勢。これでは「婦唱夫随」です。

「お疲れさま会」参加者の確認

No.3417

タイトルの件、最終確認です。
 野口実先生・野口孝子先生・元木先生・美川先生・山田先生
 植村先生・高重先生・山内さん・山岡さん・長村くん・門屋くん
山田さん・永富さん・末松さん・鈴木くん・鍛冶くん・田中
以上17名です。今日・明日中にお店に最終の連絡をしなければ
なりませんので、間違い等ありましたらお手数ですが上記のメール
アドレスまでご連絡下さい。

山田先生御夫妻の健闘に拍手。

No.3418

 田中さん、面倒な幹事役をありがとうございます。田中さんの「お疲れ様会」もやらねばならなくなりそうです。
 ところで、前に「人気blogランキング」(歴史ジャンル)というのを御紹介いたしましたが、先程覗いてみたところ、山田邦和先生の「平安京閑話」が第一位、ちさ子さんの「平家物語」が第二位とトップを御夫婦で独占されていました。「夫唱婦随」(死語?)とはこのことを言うのでしょう。まずは、おめでとうございます。
 「平安京閑話」は、無論歴史学・考古学(さらには国文学)に関する山田先生の新鮮な御見解のみならず、第一線に立っている研究者の生活を知る上で後進にとってはとくに貴重なものと思えますし、「平家物語」はまさしく『平家物語』関連の情報(それも、学問的な枠組みを踏まえながらも楽しみつつ)の山が構築されています。ぜひ、末永く上位を独占してほしいものです。
 これに肉薄している中村武生先生の「歴史と地理な日々」のご健闘も祈ります。

 小生も本日は研究室で「宇治歴史散歩(六地蔵・木幡編)」のレジュメ作りに「健闘?」しておりましたが、途中、「弁慶」云々で朝日放送「探偵ナイトスクープ」の担当の方から電話があったりいたしました。後で調べてみたら、この番組はずいぶん視聴率が高いようです。ちなみに、当bbsも諸先生方の『義経』評のためか、日に400件もアクセスがあったりして驚いています。

 ところで、山田さんと言えば、ゼミ旅行に参加してくれた千葉の山田さんはお元気ですか?
 
 >永富さん  路上に出れば、免許取得まであと僅かです。

探偵ナイト・スクープ

美川圭
No.3420

>野口先生
24日はよろしくお願いします。
ところで、探偵ナイトスクープからどんなお電話?
あの番組、ここのところ、『義経』以外で唯一私が毎週見ている番組です。
たしか、野口先生もよくご存じの在東京の歴史家(もと在関西)
もこの番組を欠かさず見ているという話を聞きました。
実にくだらないのですが、そのくだらなさがなんとも心地よい番組です。
うちの娘もいっしょに見ているので、私をねたに応募するかも知れないと、
さいきん戦々恐々としているのですが。

Re: 山田先生御夫妻の健闘に拍手。

No.3422

>野口先生
「人気blogランキング」(歴史ジャンル)のお話、ご紹介いただいて恐縮です。でも、なんか恥ずかしいので、もうこのランキングから撤退しようかと、家で話し合っています。急に消え去ってもご不審に思われないでくださいませ。
でも、こういう形で自分の記録を残しておくのは悪くないと思います。遠い将来の文献史学は、紙に書かれた記録よりも、あちらこちらのメイン・サーバーに埋もれているデジタル文字情報を「発掘」するのが中心的な仕事になるという予感がいたします。明るい未来なのか悲惨な未来なのかは知りませんが・・・・

年寄のぼやき

美川圭
No.3423

>山田先生
>「人気blogランキング」(歴史ジャンル)のお話、ご紹介いただいて恐縮です。でも、なんか恥ずかしいので、もうこのランキングから撤退しようかと、家で話し合っています。急に消え去ってもご不審に思われないでくださいませ。

「人気blogランキング」(歴史ジャンル)1位2位独占。やー驚きです。
私など、自分の日記さえ、いつも半月遅れで、電子手帳の予定をながめながら、
時間のあるときに書いているぐらいですから。

さて、インターネットが一般に本格化したのは、1995年(異論もありましょうが)。
ウインドウズ95が出た年だったと思います。
私は、その年の夏、学生を98人も引き連れて、
シアトルのワシントン大学に行ったのですが、
シアトルはいわずと知れたビル・ゲイツの本拠。
インターネットの段違いの普及に目をみはり、
ホリエモンじゃないけれど、
これからは、このメデイアが世界を支配すると確信しました。
その後の10年間、予想通り、インターネットの普及はものすごい。
でも、私は、もうかなり冷めているところもあります。
裏もずいぶん見てしまったから、95年のころのような、すべてバラ色、
ではありません。しかも95年のアメリカも輝いていた。
なにせ、部外者にとてもやさしかった。
ワシントン大学の図書館の本が、書庫まで入れて、自由に読めたのは、
感激でした。あれから、アメリカもずいぶんと変わりました。

>でも、こういう形で自分の記録を残しておくのは悪くないと思います。遠い将来の文献史学は、紙に書かれた記録よりも、あちらこちらのメイン・サーバーに埋もれているデジタル文字情報を「発掘」するのが中心的な仕事になるという予感がいたします。明るい未来なのか悲惨な未来なのかは知りませんが・・・・

しかし、紙とちがって、電子(デジタル)情報はもろいですからね。
テレビは残っているとしても、昔のものはすべて磁気情報でした。
これもフィルムより弱い。あっというまに消滅するのです。
記録媒体の問題は、歴史家にとっても、総合的に考えてみる必要があります。

前にウイーンの街で、建物の外壁をはがして、
何百年前の建物を「発掘」するのを目にしました。
考古学は、地下を掘るだけではないのですね。
日本で言うと木造古建築の解体修理のときの調査にあたるんでしょうか。

昔の大河ドラマが、ほとんどといっていいほど、
もう消えてしまっています。
あの、私の将来を決めた1965年「太閤記」など、本能寺の変しか、
残っていないのではないでしょうか(詳細は拙著『院政の研究』あとがき)。

それから、大河ではないですが、
やはりNHK、1971年の「天下御免」。山口崇が平賀源内を演じた歴史ドラマ。
早坂暁の脚本は冴えまくり、あのわくわくする史実を離れた創作には、
毎回、熱中しました。とんでもないドラマでしたが、とにかくおもしろかった。
たしか、最後、源内はフランス革命のさなかのフランスへ行くんじゃなかったかな。
今年の「義経」チンギスカンにさえ、ならんだろう。
歴史家をコケにして、史実をふみはずすんだったら、そこまでやらなかったら。

当時中学生だった私は、東京六本木が通学路だったのですが、
あるとき、テレビ朝日のまえの交差点で、源内の恋人役を演じていた
デビューしたばかりの中野良子さんにすれちがったときは、
狂喜乱舞したのを覚えています。
このドラマももうほとんど消えてしまって、
山口崇が自分で個人的に家庭用ビデオで録っておいた1回分のビデオしかありません。
民放のドラマの方が保存されているようですが、それにしても、
1970年代のテレビ作品でもこのありさまです。
そのおかげて、今年の「義経」程度のできでも、みな喜んで見ているのかも。

若い皆さん、昔のNHKの歴史ドラマはおもしろかったんですよ。

Re:年寄のぼやき

No.3424

>美川先生
完全同意です。

理系(特にコンピューター関係)の連中や、文系でもやたらにコンピューターを使いたがる連中は、これからはすべてデジタル情報の時代だ、といいたがりますが、彼らは情報の保存ということにまったく興味がない。
理系では論文を公表するとき、紙媒体ではなくインターネットで流すことがもはや常識となっていて、文系でもそれに追随する方向性があるようですが、しかし、その論文の「保存」は誰が保証してくれるのか? 紙媒体であれば、少なくとも近代のものであれば、探しまくればどこかには保管されているだろう。しかし、電子情報は、世界中のどこにでも瞬時に流せる代わりに、気が付いてみたら世界中のどこにも残っていなかったということが起こりうるのです。日進月歩で過去の論文などすぐにゴミになる理系ならばいざしらず、何十年・何百年先を見透さなければならない文系の学問としては、これでは困るのです。

さらに、コンピューターの場合、情報が残っていても、それを読むことのできるアプリケーションが使えないということがありうる。コンピューターやソフトの技術者は未来ばかりを見ていますから、そういうことをまったく考慮しないのですね。
私の論文や図面のかなりの部分は、古い古いソフトで作られています。ソフト会社がなくなっていたり、会社は残っていてもそのソフトは見放されているのです。今、手元にあるパソコンではなんとかそのワープロや図面ソフトが動くのでまだ安心なのですが、パソコンを買い換えたら、それらはもう動かないかもしれない。そうなると、せっかく蓄えてきた資産がパーになるかもしれないのです。

コンピューター関係者にそう愚痴ると、今のソフトに対応できる形式に変換すりゃいいじゃないか、と言って一顧だにしてくれません。しかし、数限りないデータをいちいち変換するのは考えただけでも気が遠くなりそうな作業です。図面データにいたっては変換すらできません。
ですから、最近では、文字情報はテキストファイルで、写真はJPEGでとにかく残すようにしています。この両者とていつまで持つか安心はできませんが、栄枯盛衰の激しい他の形式に比べるとまだしもだろう、ということです。(しかし、テキストファイルは漢文の返り点がちゃんと打てないという別問題がでてくる)。困るのは図面。将来を考えると薄氷を踏んでいるような気がします。

とにかく、文系が一致して、コンピューター業界の暴走を食いとめる方法はないものでしょうかね。

Re:??年寄のぼやき2

No.3425

>美川先生
書き忘れた。山口崇の「天下御免」、私も子供の頃見ていました。とにかく楽しかった~っ。テーマソングの断片を今だに覚えています。たしかに、今から思い出しても、あれだけハチャメチャならば、逆に歴史学研究者は文句のつけようがありませんよね。

パソコンの功罪、手書きの効用。

No.3426

 >山田先生  人気blogランキングは、ベストセラーのランキングみたいなものですから、あえて撤退の要はないかと思います。
 それから、元木先生や美川先生・山田先生までが老人とか年寄りと自称されるのは困ります。小生、身の置き所がありません。
 先日、16歳の伊藤さんからの書き込みをいただきましたが、このbbsに書き込んだ最高齢者はひょっとすると・・・?

 コンピューターの件は、理系の鈴木君からコメントをいただきたいところですが、小生が問題にしたいのは、手書き論文の消滅によって学問そのものが如何なる影響を受けているかということです。
 手書きとパソコン入力とでは、脳の活動にだいぶ差がある由。我々の世代は、院生の頃までは論文を手書きで書いていました。拙著『坂東武士団の成立と発展』など、全部手書きで、索引はいちいちカードを作って、たいへんな時間を要して完成させたものです。
 史料からの検索など、今ではパソコンで済ます人が多いようですが、かつては、これも本をめくりながらカードやノートを作成してという方法でした。しかし、その作業の過程で、予期せぬ多くの発見や思考の整理がされたり致しました。
 いまの院生等若い方たちの論文を読むと、データはびっしりなのに、変な表現ですが、血の通った論旨が伝わってこないものに出くわすことがあります。
 論文が手書きからワープロやパソコンで書かれるようになってからの変化、プラス・マイナスについて、そろそろ考えるべき段階に来ているのかも知れません。
 パソコンを使えないと生きてはいけない時代ですが、これからは手書きやアナログが再評価されるようになると思います。やはり、研究者たる者は、すべからく、家に大きな書庫を持ち、本の重さを体感しながら、学問に打ち込まざるを得ないでしょう。
 小生も能書の山岡さんから毛筆の手ほどきを受けたいと思っております。ちなみに、近刊の『紫苑』第3号の題字は、山岡さんの手になるものです。

 >美川先生  小生も『天下御免』視ておりました。林隆三がよかったです。
 ほかに、あのころのNHKでは、柴俊夫と西田敏行の出ていた『坊ちゃん』の愉快さも忘れがたいです。たしかに、昔のNHKはまともでした。大河ドラマでも美川先生の人生を決した『太閤記』や『龍馬がゆく』など、じつに少年の心を捉えるようなインパクトがありましたね。

『天下御免』の田沼意次像

美川圭
No.3427

『天下御免』についてもう少し。
実は、はちゃめちゃなドラマに見えて、きちんと歴史学の成果も受け入れて、
作られていたということを思い出します。
学校の教科書などでは、田沼意次は賄賂政治の権化で、ひどい扱いをうけていたのですが、ドラマの中では、源内を支持する準主役級で、非常に魅力的で清新な政治家として登場していました。
江戸時代の商業流通経済の発達に見合った、あるいはその流れを積極的に推進した政治を行った政治家という、意次再評価の流れを受容したドラマ作りがなされていたのだと思います。ということで、最近の大河ドラマなどの、歴史学説のつまみ食い、本質無視の姿勢とは、はちゃめちゃドラマといっても、その性格が大きく異なっていたのです。
ひとこと付け加えておきます。ただし、なにせ中学の記憶ですから、間違いの可能性もありますが。

白河のきよき流れに耐えかねて・・・

No.3428

 美川先生の『天下御免』における田沼意次像の御指摘、その通りでした。たしか仲谷昇が演じていたはずです。今は秋野太作と名を変えている津坂匡章も稲葉小僧という役で出ていて、これも良かった。

デジタルにおける情報の保存について

No.3430

 電子化、高度情報化におけるメリット・デメリットというのは、新しい処理手段が出てくる時にかならずついてくる問題でもありますが
 やはり、便利だからこれだけ普及するのだと思います。

 山田先生のご指摘の、理系人間は情報の保存に興味がないとの事ですが
 僕個人としては、理系の人間ほどデータのバックアップに細心の注意を払っているのでは、と感じています。
 大学の情報処理センターのバイトでも、学部生・院生の場合で、論文をフロッピー一つで管理しているような危うい状態の人は、国語・社会の学科の人間が多かったです。
 コンピュータの雑誌等でも、企業向け広告の3分の1は、バックアップ関連製品でもあったりします。大量に情報を扱うような業務の場合は、情報の管理や保存はとてもシビアにやっていると思います。

 情報の「保存」の保障は、自分でやらなければならないと思います。紙媒体でも地震や災害に対しては全く太刀打ちできません。コピーを取ろうと思うとお金もかかります。逆にデジタルデータは、全く同一内容のものを瞬時に複製できます。面倒ではありますが、いろんな場所に複数のコピーを作成するのが、鉄則です。

 東大史料編纂所の感想にも書いたように思うのですが、大きな所でも予算などの関係上、離れた場所への遠隔バックアップなどはまだまだ整備されていないのが現状です。紙媒体の保存にくらべて、電子情報に関することもまだまだ理解されていないからだとも思います。メディアの特性にあった管理方法さえきっちりしていれば、紙も電子データも有意さは変わらないと僕は思います。

 逮捕者がでたファイル共有ソフトのWinnyですが、自分の持っているファイルを他の人のディスクへ分散させて保存し、データの散逸を防ぐという機能もあったりします。不正コピーはだめですが、コミュニティ全体で情報を共有しデータも相互に持ち合うという仕組みは、↑にあるようの管理方法の新しい形を示していたとも言えます。

 安くコピー出来てしまうだけに、面倒だったり高価なバックアップサービスは敬遠されてしまうのですが、対価を払わない限りはやはり安全性は保障されないのは、紙媒体もデジタルデータも同じだと思います。

P.S.僕自身は、プログラムを書くときなど、紙に印刷してチェックすることがほとんどです。パソコンの中で完結してしまうのは、未だに怖いです。
 こういった、メディアの違いによるメリット・デメリットをきっちり把握して、適切な手段を選ぶことができるような、そういう勉強のできる「情報」の授業を4月からやっていきたいなと考えています。(不安でいっぱい☆)

情報の発掘に関して

No.3431

情報の保存に関しては、いろいろと問題があるのですが
発掘に関しては、もうあと数年で解決しそうな感じです。

来年あたり、トレンドになるのが「デスクトップ検索」という機能です。
ホームページの検索については、ここ数年でめざましい進歩をとげて、とても便利になりました。その技術を個々のパソコンへ応用しようとするものです。
[参考]http://www.google.co.jp/intl/ja/press/desktopsearch.html

また、Windowsの次のバージョンでは、ファイルの検索をすばやくするための仕組みが、はじめから導入されて、「デスクトップ検索」も標準装備の予定です。

ジャストシステムなどの研究によって、日本語の文脈解析などは使い物になるようになってきていますし、「○○についての資料」というキーワードだけで、過去に収集したハードディスク上のワードファイルを探しだしてくれる...みたいな事はもう少しで実現されそうです!!

Re: デジタルにおける情報の保存について

No.3438

?>鈴木 潤様

 ちょっと議論がすれ違っていますね。私は、個人個人のデータのバックアップを問題にしているわけではないのです。情報を、未来永劫、人類社会がどう保持してくか、ということを心配しているのです。

 紙媒体が万全でないことはいうまでもありません。しかし、その万全でない紙媒体を人間は数千年使い続け、試行錯誤しながら、そこに載せられた情報を永久保存する方法を開発してきました。それが、図書館や文書館、文庫、土蔵、(敦煌の石窟や正倉院も含まれるかも)といった設備です。もちろんこれらにしても、保存される紙媒体は九牛の一毛にすぎないかもしれません。しかし、そうした設備は、「情報を未来に伝えよう」という、人間の熱い思いの結晶だということができます。

 それに比べて、電子データはどうでしょう。人間は、電子データの永久保存について紙媒体のような苦闘の歴史を持っていません。たとえば、インターネットに流される情報はほとんど無限大に近い。しかし、その情報のすべてを永久保存するシステムは、世界のどこにおいても存在しないはずです。

 そもそも、電子データは刻々と変わるものです。掲示板などはリアルタイムで成長するし、ホームページも毎回更新されます。その点では、電子データを固定し、保存するというのは論理矛盾なのかもしれない。しかし、日々刻々と変わるということは、ある日突然なくなってしまう、ということもありうるのです。それは、個人的なバックアップの範囲を遥かに超えている問題であり、全社会的な課題であるはずです。

 さらに、前項で指摘しましたが、電子データだけを残していても、それを読むことのできるアプリケーションが使用不能になる、という危険は、バックアップをとることによっては決して解決されません。ある研究者は、すべての情報はテキストファイルかHTMLかPDFに変換して保存すべきだ、と主張しています。確かに、無数にある電子データ形式の中では、この3者はまだしも信頼に足るかもしれない。ただ、本当は、この3者でさえ未来永劫かといわれると、首をかしげますね。

たとえば、この掲示板の情報、千年後に残すためにはどうしたら良いか、それを真剣に考えるべきだと思います。
(電子データが不便だといっているわけではないし、電子データ不必要論を唱えているわけでもない。紙媒体の方が電子データよりもすべての局面で優れているといっているわけではない。そのあたりのことを誤解しないでください)

 

Re: 「お疲れさま会」参加者の確認

No.3440

山田先生

 僕自身、感情的になっている所もありましたので、その点についてはお詫びいたします。
 千年の保存という点では、先生の仰る通りで、電子データに勝ち目はないと思います。
 ただ、図書館や文書館も「情報を未来に伝えよう」という思いの根元には、持っていると価値がある、身分が保証される、「かっこいい」等の、保存する側のメリットが存在するから、行われていた行為だとも思います。その分、電子データについては容易に複製が聴くために、所持している事自体へのメリットはあまり無いでしょう。
 このあたりは、CDのデジタル複製についての議論とも同じだと思いますが。

 銀行や役所でも、電子化はしていても情報を持っている事自体の価値があるために、マイクロフィルムやプリントアウトなどの、いわゆる物理的な媒体への複製は行われています。結局は、再利用(つまりコピー&ペースト)するための利点は無くなりますが、現状でも保存については印刷するしかないのだと思います。

 電子データ、特にインターネットは、声の同じような特性のものだと思います。結局は他人とやりとりする回線でしかないと。固定するためには、やはり変換が必要です。
 インターネットに関しては、発信者側が保存する努力をする、という事しか対処が出来なさそうです。

 50年くらい先の事を考えると、電子データも“電子”ではなく、物質的にガラスみたいな材質のものに、ホログラムとして記録するという事が可能になるはずです。
 電子データはかなり若いメディアです。数年もすると、古文書演習の授業のように、古データ形式解析演習のような授業も出てくるかもしれません。
 コンピュータ業界の暴走という表現になるのが残念なのですが、情報の価値、媒体の特性をきっちり理解されているような、世の中になって欲しいと思います。

『歴史に見える義経』の御案内

No.3413

毎日文化センター講座の御案内を再掲します(もう一度くらいする予定です)。

     『歴史に見える義経-判官びいきの背景-』
 平氏追討にあたって、武将としての天才を発揮した源義経は、後に兄頼朝にうとまれ、奥州・平泉で悲劇的な最期を遂げました。義経を愛惜する人々の心情は「判官びいき」を生み出しましたが、それだけに義経については伝説的な部分も多い。講座では、義経の生涯について真実と虚構との別を明らかにしていきます。
 【開講日】第2・4火曜 15:15~16:45
 【会場】毎日文化センター(大阪梅田・毎日新聞ビル2F)
 【講師】京都大学名誉教授・皇學館大学教授 上横手雅敬 
      京都女子大学教授            野口 実
 【内容】4/12,26 義経についてのさまざまな見方(上横手)
     5/10,24 平治の乱後の政情と雌伏期の義経(野口)
     6/14,28 義経の合戦と政治(野口)
     7/12.26 後白河・頼朝・義経(上横手)
     8/ 9,23 逃亡する義経とその支援者たち(野口)
     9/13,27 「判官びいき」とその背景(上横手)
 
 申し込み・お問い合わせ 毎日文化センター (お早めに)
Tel:06-6346-8700
Fax:06-6346-8703
E-mail:info@maibun.co.jp
URL:http://www.maibun.co.jp/
 
☆ 源義経について、その人物、背後の政治・社会情勢について、現在、世界中で一番理解されておられるのが上横手先生だと思います。義経ファン必聴!
 のみならず、史学・国文専攻の方たちにも広くお勧めいたします。

また『義経』です。

No.3400

 この掲示板に書かれた、大河ドラマ『義経』に対するコメントをもとにして、さらにコメントを付したサイトのあるのを見つけて驚くとともに、これはいい加減な発言は出来ないと思い、今日は放送前に今までの放送で気になったことを先に述べておきたいと思います。
 ① 元木先生が講演会で速射砲のように指摘されたように、制作者に中世前期の各層における女性の存在形態に関する認識に欠けるところが大きく、近世・近代的な日本女性のあり方が再生産されている。あるいは、意図的にでしょうか?
 ② 「武士」と「貴族」に対する理解も同様の旧態依然たる認識に基づいていて、それに立脚することによって、実は大変面白くできるはずのストーリーを単純化している。これもまた、あるいは意図的にでしょうか?

 これらは、大河ドラマが国民の歴史認識を形成する上で、あるいは学校教育以上の威力を有している現状を踏まえるならば、いささか問題とせざるを得ません。
 なにしろ、この国では高等学校で自分の国の歴史が必修科目になっていないのですから。
 
 義経の家来については、みなさんの言われるように、桃太郎・三蔵法師や水戸黄門の家来を思い出してしまいます。
 伊勢三郎は、実在が確認できて「侍身分」を有した存在と考えられるますし(拙著『武家の棟梁源氏はなぜ滅んだのか』参照)、金売り吉次のモデルは、当時、列島規模の遠隔地交易に携わっていた摂関家あるいは院の御厩舎人であることが五味文彦氏によって指摘されているのですから(同氏「日宋貿易の社会構造」参照)、ちょっとやり過ぎという印象をもっています。

Re: また『義経』です。

No.3402

こんばんは

>これらは、大河ドラマが国民の歴史認識を形成する上で、あるいは学校教育以上の威力を有している現状を踏まえるならば、いささか問題とせざるを得ません。
とのお話ですが...実際に影響を与えている例を見つけてしまいました。

アルバイトの関係上、同志社香里中の過去問を数年分のぞいていたのですが
 社会の問題で、大河ドラマのタイトルとテーマ・時代と放映年における主な出来事を表に示して、虫食いの穴埋めという形式で出題されていました。
 もちろん、ドラマの内容に関する出題では無いですが、このような形で取り上げられるとなると、小学生や中学生の受験生達もニュース同様に大河ドラマを見なければならない状況だとも言えると思います。

 確かに、大人からみれば「おもしろい問題」ですが、受験する彼らにとってはシャレにならないので難しい所ですね。

 P.S.福岡・佐賀の方で大きな地震があったようですが、野口ゼミ関係者にも震源地近辺にお家があるという方もたくさんおられたと思います。大丈夫でしたか??
 松山市内の友達にきくと、愛媛でもかなり揺れたとの事でした。(NHKでは、80周年記念番組をずっとやっていましたが...)

Re: また『義経』です。

No.3403

なんと、母校がそんな入試問題を・・・(^^;)
社会科の先生方は個性的だったからなぁ。

小学生時代に通っていた塾の先生は「大河ドラマを見て勉強しよう」
なんて言ってたような気がしますが、果たしてちゃんとした歴史認識が
あっての発言だったのかどうかは定かではありません。

香里の歴史の先生にはテレビ番組の歴史認識に電話で抗議した、なんて
誇らしげに言ってた人もいましたが・・・ねっ、門屋くん!(笑)

「ほうじゅうじでん」は困ります。

No.3404

 今日の放送は、「ドラマはドラマ」と雲の上から高みの見物というわけにはいきませんでした。
 ドラマがはじまる前の「解説」?で、「家人と家礼」の説明がはじまり、「おっ、佐藤進一説の紹介」かと思いきや、「家礼には恩賞がないが複数の主人に仕える権利があり、家人は一人の主人しか仕えられないが恩賞がもらえる」というような変な解説がされていたと小生には受け取られたのですが如何でしたか?これは、マズイのではないでしょうか。明らかに嘘でしょう。
 そのうえ、ドラマでは、あの気持ちの悪いナレーションで「ほうじゅうじでん」とやられては堪りません。これから、講演や授業で「法住寺殿(ほうじゅうじどの)」と話すと、かならず「先生、それは『ほうじゅうじでん』と読むのではないですか」という人が出てきて、「いや『ほうじゅうじどの』です」と答えると、疑わしそうな目つきで「でも、大河ドラマでは『ほうじゅうじでん』って言ってましたよ」・・・という場面が想定される訳であります。なにしろ、NHK大河ドラマの権威はたいそうなものなのです。
 ところで、山田先生も同志社香里の御出身でしたよね?

 ★ 北九州の地震ですが、福岡県の平田さん・笠(旧姓)さんの御実家、佐賀県の田中さんの御親戚やゼミ旅行でお世話になった小城市の方々のことが心配です。
 大丈夫だったでしょうか?

不可!

No.3406

 野口先生、お怒りはごもっとも。家人・家礼の解説は全く話になりません。
 最近は見るたびに腹が立つので、見るものかと思っていたのですが、本日の『義経』、たまたま食事と重なり、最初から見たところが、あの珍妙な「家人」と「家礼(来)」の解説。ドラマの中なら、所詮はフィクションですから多少でたらめも許されますが、今回は冒頭の解説ですから、いい加減な解説は許されないはずです。
 仮に試験で、家人と家礼について本日のように説明した答案があれば、ためらわずに不可をつけます。こんな誤謬がどうしてまかり通るのでしょうか。
 どこの馬の骨やら分からんということになっている義経の従者連中が、どうして主君に対し自立的性格を持った「家礼」なのでしょうか。「家礼」は同盟軍的であるがゆえに、主君から尊重されるのであり、恩賞ももらえないとは、よく言ったものです。 
 大河ドラマの国民に対する影響力を考慮すると、由々しき事態です。
 
 また、鹿ヶ谷事件では、重盛が法皇処罰を言い出すとの事。『平家物語』で周知の挿話をどうして珍妙な形にデフォルメするのか、やはり意味が分かりません。
 今回のような事態を目の当たりにすると、毎回きちんとチェックする必要があると思い直しました。
 それにしても、『義経』、回が進むにつれてだんだんひどくなるようです。
このような無法がまかり通るなら、もう受信料は払いません!!

10時からの再放送

No.3407

 やっと見れました。
 そして「ほうじゅうじでん」には、音速でツッコミを入れました。「清涼殿」「紫宸
殿」の並びだとでも思っているのでしょうか?
 そして時子の「もしも姫が生まれても、私は男として育てます」というような発言には
「んんん??」と。嫌な予感がしてきました。まさか「姫」として生まれてきたり・・・
しませんよね?
 義経周辺の話では、えらく軽装で船に乗り込んだうつぼを見た母が「こんな軽装でいい
の?」と怪しんでいました。更に、うつぼを見送る人たちを見て、平安時代の人たちは手を振るときには前後に振っていたの?と。ぜひ先生に聞いて欲しいそうなので、書いておきました。

 今朝の地震、佐賀県に住む祖母にすぐ連絡をしたところ、幸いにも「こけし」が二つ倒れただけで済んだようです。この地震で祖母が得た教訓は「こけしは高いところに置いておくと危ない」まるで落語のような祖母です。ご心配ありがとうございました。

Re: また『義経』です。

No.3408

 皆様、こんばんは。
 田中さんおっしゃる通り、松坂慶子さん演ずる時子さまのセリフに仰け反りましたね。何を言い出すかと思ったら、「もし姫宮ならば、男の子として育てる」って・・・ オイオイ、このドラマ、それで押し通すつもりじゃねぇだろな・・・
 確かに、安徳が実は男子ではなく女の子だったという「俗説」はありました。出所は『平家物語』(巻3、公卿揃)に、「后が御産の時には御殿の棟より甑<コシキ>を落とす風習がある。皇子誕生の時には南へ、皇女誕生では北へ落とす。それが、安徳誕生の時には最初に北へ落とし、あわてて南へ落とし直した」という記事です。
 無責任な江戸時代の連中はこれを囃し立て、まことしやかに安徳=女性説を言いふらしました。川柳には「檜扇子<ひおうぎ>の 御手を清盛 笏にさせ(女の子の持つ檜扇を、男の子用の笏に無理矢理持ち替えさせた)」、「人の見ぬ 方へ二位殿 ししを遣り(時子は安徳におしっこさせるのに、人の見ていない方にさせた)」などというのが残っています。(いささか品のない話ですみません)。
 でも、それでこのドラマを作ってしまうと、たぶん収拾がつかなくなるでしょうね。でも言い出してしまったからには、まったく意味のないセリフにするわけにもいかないだろうし・・・ どうするんでしょうね?

 ただ、平家の女人がみんなで泥塔を作っていたのは、ちょっと面白かった。モデルは六波羅蜜寺の本堂下から出土した泥塔群(国指定重要有形民俗文化財)かな? 六波羅蜜寺のよりも少し大きめに見えましたがね。ただ、どっちかというと「円塔」(空飛ぶ円盤のような形の土製品で、緑釉をかける)の方がふさわしいような気もするんですが・・・

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野口先生、ご明察の通り、同志社香里高校は私の母校です。

毎週楽しみにしてます

重政 誠
No.3409

ご無沙汰しております。学習院の重政です。
毎週日曜更新のこのコーナー楽しく勉強しながら拝見させていただいております。
数日前、田中さんにもその旨伝えた所なので、今回は初めてコメントを。

嗚呼.....「安元御賀」!青海波を舞うのが維盛と資盛だなんて.....。
成宗とは言わないまでも、せめて隆房あたりでお願いしますよ......。
私、そのあたりの論文をこの前書いたばっかりなので非常に気になりました。
摂関家を押しのけて平家二人で青海波を舞えるほど、平家の権勢が強かったと言う事でしょうか?
『花揃』が使われてたのは面白かったですけどね、変な所でマニアック!

野口先生、次回の平家物語研究会を楽しみにしております。

完全に、出遅れました

美川圭
No.3410

義経10:00からのBSで見たのですが、出遅れて、冒頭の解説は未見です。

ばかばかしいので、今日借りてきた
名匠山本薩夫監督の『白い巨塔』(田宮二郎主演)のDVDを見始めたら、
とまらなくなり、さっき見終わったところです。
原作は、続編が蛇足ですが、この映画は、財前勝訴で終わります。
はじめて見たのですが、傑作です。原作を凌駕する映画といえましょう。
俳優もすごいです。こんなにすごい俳優が昔はいたのか、と改めて。

ということで、義経評に完全に出遅れました。
というより、ああいう映画を見た後だと、
義経のような学芸会並みのドラマ(小6娘の評)はもういいということで、
今回はコメントなし。

老人の繰言?

No.3411

 美川先生、『白い巨塔』の映画をごらんの由ですが、あれはテレビと異なり、短い時間にストーリーが凝集されているだけに、緊張感と迫力のある作品でしたね。
 田宮はまだ若いのですが、財前のぎらぎらした野心をよく表現していたし、医学部長の狡猾で小役人的ないやらしさを見事に演じた小沢栄太郎、学者馬鹿を絵に描いたような大河内役の加藤嘉は、ともにのちに78年の田宮版のテレビでも同じ役を演じただけに、まさに当たり役でした。
 ただ、里見の田村高広は、善人ではあるが弱弱しい感じで、78年の山本学に及ばなかったように思います。
 しかし、映画の出演者で白眉は、やはり東大船尾教授役の滝沢修でしょう。
 東教授(東野栄治郎、名優だがどうも水戸黄門のイメージがつきまとうようです)の後任をめぐる人事にさいして、東大系のポストを守るためになりふり構わず、耳鼻科学会会長のポストをえさに耳鼻科教授(加藤武)を篭絡しようとする裏工作も平然と行ったかと思えば、財前の医療裁判では今度は国立大学の権威を守るためと称して、突然煮え湯を飲まされた財前の弁護に回る。 
 船尾豹変の背景は、裁判後の大阪空港の場面に見事に描かれておりました。東京に帰る船尾を三拝九拝して見送る医学部長。つまり、船尾は東の後任ポストは奪われたが、財前を弁護することで難波大学医学部そのものを屈服、従属させたことになる・・・。
 滝沢は、何ともえげつない学界ボスを、たなんる悪党ではなく、社会的名士であり、堂々たる貫禄の持ち主として見事に演じておりました。あの姿と、京大の某総長が重なって見えたものです。
 
 昔の大河ドラマは、歌舞伎、時代劇映画(多くは歌舞伎の流れ)といった時代劇の型をもった俳優と、長年新劇で鍛え上げられた俳優が中心でした。だから、ドラマは品格があり、表現も芸術的でした。
 ちなみに滝沢修は、64年の『赤穂浪士』で、子供心にも恐ろしい吉良を演じ、当方恥ずかしながら本当の悪人と思い込んでおりました。それが66年の『源義経』では、まさに威風堂々として、義経には慈父のごとき秀衡を演じ、前のイメージをすっかり忘れさせてくれました。ついでに言えば、72年の『新平家物語』では、まさに権謀術数の後白河。領主制論のイメージを見事に演じきっておりました。
 近年はそういう力量のある俳優が減少してしまったこと、それに中心人物にアイドル・お笑い系の連中を多数起用して、様々な層に迎合しようとする無理が重なって、ドラマとしてのレベル低下は目を覆うばかりです。
 しかし、今回の最大の問題は、脚本のお粗末さ、とくに、清盛中心の原作を無理に義経中心に変えたために、義経周辺の珍妙な話題をかき集めなければならなくなったことも、無理が多いストーリーになった一因でしょうね。
 それに、今回の「解説」の出鱈目さからも分かるように、制作側にまともな歴史知識もないのですから、ドラマに品格とリアリティーが欠如するのも当然でしょう。NHKの杜撰さには呆れるとともに、憤慨を禁じえません。
 『その時歴史が動いた』の制作姿勢といい、あまりに学問を軽視してはいないでしょうか。
 受信料を制作に使わず遊興に使った結果でしょうかね。

義経にもマツケンサンバを

美川圭
No.3412

往年の名画といったら、この人、という元木先生。
白い巨塔劇場版についての詳細な書き込みどうもありがとうございます。

アマゾンの書き込みなどを見ると、この映画はヒットしなかったようで、
これが一つの原因で大映が倒産に向かったとのこと。
田宮二郎の大映内での評判が悪く、宣伝がろくになされなかったとか。
その辺の事情の真偽は、私にはよくわかりません。

でもこの映画(というか山本薩夫の作品が)、社会派作品といわれていますが、
私は非常に良質な娯楽大作だと思います。
人物は、大多数の悪人と、里見のような弱々しい善人とではっきり区分けされてます。
それぞれの人物の内面描写なんて、ほとんどなきに等しい。
そのなかで、田宮が1回目の教授会投票のあとにみせる、ガラスのような弱々しい内面が印象的です。あれ演技に見えません。こちらが田宮の最後を知っているからかもしれないのですが。あれだけの名優のすごい演技のなかにあって、若い田宮の迫力。私のようなクイズ・タイムショックの田宮の印象が強い人間にとっては、衝撃的です。いやあ、語り継がれているだけあります。

うちの家内は、手術や解剖シーンがあまりにリアルでいやだ、と目をそむけました。私は、あれは白黒ゆええがけるので、カラー作品だったら、撮れないんだと妙なところで感心しました。しかしそんなところが拒絶反応をよんだ可能性もあります。

それから、小川真由美の愛人は、あまりにも薄っぺらで嫌ですね。その後のテレビリメーク(田宮主演)では太地喜和子。どうなんだろう。ここだけはやはり、最近のテレビ版での黒木瞳がいい。たしか原作では医学部出身(中退?)のマダムという設定だったはずです。黒木瞳はあれだけ貧弱な体でしかも知的なのに、演技でエロスを見せられる希有の女優です。小川も太地もむっちりで痴的ではあるが、あまり知的な感じではないので、ここはかないません(といっても太地喜和子の愛人よく覚えていませんが)。

それにしても、この映画を見ると、滝沢修がどれほどすごい俳優かが実感できます。
最後の裁判での証言から大阪空港までの存在感、思わず笑ってしまうほどです。
私、なんども滝沢の舞台をみたのですが、私が未熟だったのか、うまいうまいといわれるほどに、舞台上ではそれを実感できたことがありませんでした。

最後に、義経についてちょっと。
せっかくマツケンが出ているんだから、
毎回、どっかで「突然・マツケンサンバ」を入れると視聴率あがるのにな。
今回でいえば、だれきった義経とうつぼの学芸会シーンの間とか。
あるいは、おざなりの鹿ヶ谷事件の最中に、脈略なく突然とか。

娯楽だったら、もっと視聴者楽しませなけりゃ。
今回は、どのタイミングでマツケンサンバがあるか、
と少なくとも根が不真面目な私は期待します。

実は去年の末の紅白、マツケンサンバだけ見ました。

地震のこと

平田樹理
No.3415

野口先生>ご心配ありがとうございます。
昨日は地震発生から二時間近く実家と連絡がとれなくて心配しましたが、家族・家ともに何事もなかったようです。
ただ、余震はずっと続いているらしく(二十分前にも震度三のものがきたようです)、皆不安気に過ごしています。
九州北部は百余年ほど大規模な地震はなかったので(私自身も地震の体験はほとんどありません)、今回の地震は本当に驚いています。

ゼミ関係者にたいする御礼と御連絡です。

No.3397

 >永富さん  謝恩会でいただいた薔薇の花は、大切に持ち帰って玄関に飾ってあります。ありがとうございました。記念品をお渡しいただいた服部さんにも宜しくお伝え下さい。
 このゼミにおいて永富さんの果たした役割は、とてつもなく大きいものがあり、小生としても感謝するところ多大なものがあります。卒業されて相対的に近くにおられなくなるのは残念ですが(でも、まあご近所ですよ)、ゼミメンバーであることは変わりなく、今後ともなにとぞ宜しくお願いいたします。
 さらにこれからは、京都文教中学・高校で、永富さんのように賢くて、センスが良く、しかも行動的な生徒をどんどん育ててください。永富さんの教え子が当ゼミを担う時代の来ることを楽しみにしています。

 >高重久美先生  御高著『和歌六人党とその時代』の御上梓、おめでとうございます。また、当方にまで御恵送にあずかり、恐縮いたしております。まことに、ありがとうございました。また、お暇な折、見学会・例会などに御参加下されば幸いです。
 この高重先生の論文集には「後朱雀朝歌会を軸として」という副題が付せられておりますが、われわれ武士論を専攻する者にとっても、摂津源氏に関する詳細な追究におおいに蒙を啓かれるところがあります。古典文学の老舗である和泉書院からの刊行です。

 ☆ 24日の宇治史跡見学会の参加者の確認です。
  元木先生・美川先生・山田先生・植村先生・野口先生・山田さん・長村君・山岡さん・平田さん・門屋君・田 中さん・末松さん
から、参加の申し込みをいただいています。植村先生は神戸学院大学で国文学を教えておられる植村真知子先生で、今回初参加です。永富さんと鈴木君も研究室で参加の御意向をうかがったような気がするので、含めておきますが、そのほかで参加希望を伝えたのに名前がないと言う方がおられましたら、ご面倒をお掛けしますが、メールでお知らせ下さいますようにお願いいたします。

24日の宇治歴史散歩の参加者確定。

No.3405

 宇治歴史散歩の参加者が確定しました。バイトがあって無理なのかなぁと思っていたゼミ代表の山内さんからも申込みがあって、小生も含めて総勢14名と、ほとんど「お疲れ様会」参加者と同数に近くなりました。
 尻池さんは帰省中でしょうか?よかったら、どうぞ。
 宇治の歴史資料館では渡辺貴代さんが紹介してくださったおかげで、白川金色院などの発掘調査を担当された浜中邦弘さんから、直接、お話をうかがえるかも知れません。
 
 ☆ ところで、23日の午後に研究室で24日と27日の見学会資料の印刷をする予定なのですが、もし暇のある方がおられましたら、ぜひ援軍をお願いいたします。

ありがとうございます

No.3416

野口先生>お礼が遅くなりすみません。
教習所をなんとか三月中に終えるべく毎日朝から晩まで車に乗っているため最近家に帰るとパソコンの前にすわる気力がなくてすぐ寝てしまうのです☆
今まで授業がないのをいいことにぼーっと夜更かししたりしてついてしまった怠け癖を四月までにたたきなおすには絶好の機会かもしれません(笑)
ただ忙しすぎて授業のネタづくりがまったく進んでいないのが心配なのですが・・・☆

あらためまして卒業式・謝恩会の日はありがとうございました。
その時の写真が印刷できましたのでまたお渡ししたいと思います。
私自身が「賢くて、センスが良く、しかも行動的」かというとちょっと持ち上げられすぎな気がしますが、一人でも多くの生徒に歴史のおもしろさを教えられるよう頑張ります。



国際熊野学会の設立について

No.3396

すみません。国際熊野学会の設立について,貴掲示板で宣伝させてください。もし,宣伝がダメであれば,削除していただいてもかまいません。

国際熊野学会が2005年3月27日(日)に和歌山県新宮市で設立されます。
国際熊野学会は,宗教,文学,歴史,民俗・風俗,環境,海洋,観光,人材交流・国際交流などのすべての面に渡って,世界遺産としての熊野をインターナショナルに考えていこうという趣旨の下に設立される学会です。
呼びかけ人の代表は明治大学教授の林雅彦氏です。
当日,講演会(元高野山大学教授・日野西真定「山岳霊場としての高野・熊野・大峯山」)と交流会があり,翌日,記念イベントとして熊野三山巡りと熊野川船下りがおこなわれます。
興味のある方は奮って御参加下さい。

なお,詳細は以下の新宮市熊野学情報センター準備室の国際熊野学会事務局にお尋ね下さい。
  郵便番号:647-8555
  住所:和歌山県新宮市春日1-1
  電話番号:0735-23-3369

以上,宣伝でした。

島根県立出雲高校の皆さんへ。

No.3395

 昨日は出張講義「武士の都としての平安京・京都」を、とても熱心に聴いてくださってありがとうございました。伯備線で島根県まで出掛けたのは、じつに約30年ぶりのことだったのですが、みなさんのようなとても将来楽しみな高校生の存在を実感できて、たいへん嬉しく思っています。
 帰りに駅までお付き合いいただいた3人の一年生には、とくに御礼を申し上げます。彼女たちは、とても高校1年生・16歳とは思えない、しっかりした知識をもち、意志も明確で、将来が非常に楽しみです。2年したら京都の大学に進学して、ぜひ当ゼミに遊びに来てほしいものです。
 最後になりましたが、進路指導部の先生ならびに講義を聴講してくださった先生方に、あつく御礼を申し上げます。

先日はありがとうございました。

No.3398

こちらでははじめまして。
あの時の伊藤です。
先日はありがとうございました。
学校の授業とは一味も二味も違う授業が聞けてとても楽しかったです。

今日も、部活の時間に昨日の講義の話を大國さんとしていました。
『5つの鎧が見つかったって書いてあるけど、結局人は埋まってたの?』
という疑問が浮上し、部活中にも関わらず二人で頭を抱えていました。
結局はどうだったのでしょう?

電車の時間さえなければもっとお話をしたかったのですが、残念です。
最近、進路の授業なども増えていて将来について考える事も多かったのですが、先生のアドヴァイスやお話を聞く機会を持つことができて、本当に良かったと思います。
ありがとうございました。

法住寺殿跡出土の武将墓について。

No.3399

 >伊藤千春さん  こんばんは。本当に昨日は時間が無くて残念でしたね。
 ところで、5つの鎧が見つかった武将の墓ですが、じつは昨日配ったプリントの図面に波線で示してあるように、南北に棺が一つ置かれていた痕跡があり、歯も一つだけ残っていたのです。ですから被葬者は一人。この重要なお話をする時間がありませんでした。
 では、その被葬者は誰なのか?そして、どうしてあのような埋葬形態がとられたのか?ということが次の問題になるわけですね。・・・・・どう、思いますか?
 その答、というより、私の考えは、昨日御紹介した『武家の棟梁の条件』(中公新書)に書いてありますから、ご覧になって下さい。講義を聴講してくれた日本史の先生が、学校の図書館にあると仰っていましたよ。
 
 この掲示板には、院政期政治史研究の第一人者である京都大学大学院の先生や業界のカリスマ編集者をはじめとする、その道の「権威」から、今月は大学生だけど来月から中学・高校の先生になるという前途洋々たる「新人」まで、なにしろ今、学問・文化の世界の最前線で活躍している方たちが、ご覧になったり書き込まれたりしていますから、もし進路のことなどで聞きたいことがあったら、遠慮なくドンドン書き込んでアドバイスを求めて下さい。そういえば、伊藤さんは出版・編集に関心があると言っていましたね。
 大國さんや秦さんにも宜しくお伝え下さい。君たちとは本当に良いご縁が出来たと思っています。本当に一人くらい京都の大学に来てほしいものです。

 ところで、高校1年生の伊藤千春さんは、おそらく、この掲示板に書き込んだ人の中で最年少の新記録を樹立されたのだと思います。スゴイ!!

『年報中世史研究』18号。

No.3392

 研究室架蔵の上記の雑誌が行方不明になっています。お心当たりの方、よろしくお願いします。

詳細決定

No.3391

お疲れさま会の詳細が決定しました。
 日時:3月24日(木)18時半~
 場所:京都ダイニング 市場小路 寺町店
   (京都市中京区寺町通四条上ルWITH YOUビルB1
    http://www.star-kyoto.co.jp/shop/i-teramachi/i-teramachi.html
前の書き込み(>>No.3388)から数時間で、「ジャンク」からはちょっと方向が変わりました。が、「小洒落度アップ」はしても、決して「よりジャンク」になった訳ではないのでご安心を(笑)
現在参加者17名の大所帯で、これ以上人数が増えると大変狭くなってしまうそうなので、追加申し込みは先着1名までとさせて頂きます。あと、コース料理を注文しておりますので、当たり前ですがどたキャンもご遠慮下さい。

Re: 詳細決定

末松憲子
No.3393

お疲れ様会の先着一名はもう締め切られましたか?
まだでしたら参加させて下さい。

あれれ?

No.3394

末松さん、最初から参加になってますよっ!
一応、現在聞いている参加者のお名前を挙げておきます。(集計間違いで16人でした)
野口先生・元木先生・美川先生・山田先生・孝子先生・山田さん
鈴木くん・永富さん・長村くん・山岡さん・山内さん・末松さん
平田さん・鍛冶くん・門屋くん・田中
以上です。「参加の返事をしたのに入ってない」というような事がありましたらご連絡下さい。

Re: 詳細決定

末松憲子
No.3401

あっそうでしたか!
参加可能日をロングメールで送信しなかったので、着いてないかな~?と思ってましたo(^-^)o
では参加でよろしくおねがいしまーす。