また『義経』です。
No.3400
この掲示板に書かれた、大河ドラマ『義経』に対するコメントをもとにして、さらにコメントを付したサイトのあるのを見つけて驚くとともに、これはいい加減な発言は出来ないと思い、今日は放送前に今までの放送で気になったことを先に述べておきたいと思います。
① 元木先生が講演会で速射砲のように指摘されたように、制作者に中世前期の各層における女性の存在形態に関する認識に欠けるところが大きく、近世・近代的な日本女性のあり方が再生産されている。あるいは、意図的にでしょうか?
② 「武士」と「貴族」に対する理解も同様の旧態依然たる認識に基づいていて、それに立脚することによって、実は大変面白くできるはずのストーリーを単純化している。これもまた、あるいは意図的にでしょうか?
これらは、大河ドラマが国民の歴史認識を形成する上で、あるいは学校教育以上の威力を有している現状を踏まえるならば、いささか問題とせざるを得ません。
なにしろ、この国では高等学校で自分の国の歴史が必修科目になっていないのですから。
義経の家来については、みなさんの言われるように、桃太郎・三蔵法師や水戸黄門の家来を思い出してしまいます。
伊勢三郎は、実在が確認できて「侍身分」を有した存在と考えられるますし(拙著『武家の棟梁源氏はなぜ滅んだのか』参照)、金売り吉次のモデルは、当時、列島規模の遠隔地交易に携わっていた摂関家あるいは院の御厩舎人であることが五味文彦氏によって指摘されているのですから(同氏「日宋貿易の社会構造」参照)、ちょっとやり過ぎという印象をもっています。
① 元木先生が講演会で速射砲のように指摘されたように、制作者に中世前期の各層における女性の存在形態に関する認識に欠けるところが大きく、近世・近代的な日本女性のあり方が再生産されている。あるいは、意図的にでしょうか?
② 「武士」と「貴族」に対する理解も同様の旧態依然たる認識に基づいていて、それに立脚することによって、実は大変面白くできるはずのストーリーを単純化している。これもまた、あるいは意図的にでしょうか?
これらは、大河ドラマが国民の歴史認識を形成する上で、あるいは学校教育以上の威力を有している現状を踏まえるならば、いささか問題とせざるを得ません。
なにしろ、この国では高等学校で自分の国の歴史が必修科目になっていないのですから。
義経の家来については、みなさんの言われるように、桃太郎・三蔵法師や水戸黄門の家来を思い出してしまいます。
伊勢三郎は、実在が確認できて「侍身分」を有した存在と考えられるますし(拙著『武家の棟梁源氏はなぜ滅んだのか』参照)、金売り吉次のモデルは、当時、列島規模の遠隔地交易に携わっていた摂関家あるいは院の御厩舎人であることが五味文彦氏によって指摘されているのですから(同氏「日宋貿易の社会構造」参照)、ちょっとやり過ぎという印象をもっています。