お疲れさま会決定

No.3377

 火曜日になりましたので、一応締め切らせていただきました。
 集計したところ、24日(木)が一番参加者が多いようですので、この日に決定します。「メールの返信を忘れていた」という方も、予定が合えば参加してくださいませ。
「ゼミ旅行に参加してないのに・・・!」と余計な遠慮をしている方も同様です。
ただし、この場合は3日前くらいまでに連絡をして下さいね。
 卒業式&送別会シーズンですので、思っているお店の予約が取れるかどうか分かりません。また詳細は追ってご連絡致しますが、一応の予定としましては
   3月24日(木) 18時半頃から 四条河原町近辺
で考えております。ご参考までに。
 

宇治歴史散歩も24日とします。

No.3378

 ☆ 今日は京都女子大学の卒業式です。当ゼミのメンバーでは、史学科の永富絵里子さんと短期大学部の國方茉伊さんが御卒業です。おめでとうございます!!

 ところで、「お疲れ様会」が24日に決まりましたので、自動的に宇治歴史散歩も同日に行うことに決定致しました。

 13:00JR六地蔵駅改札口集合 それから徒歩にて浄妙寺跡・宇治陵(摂関家墓域)・松殿別業跡・京極殿別業跡・木幡観音院跡(頼政道近く)・許波多神社を見学の後、電車で宇治に出て、市街地遺跡の現場確認の後、バスまたはタクシーにて、宇治市歴史資料館。その後は、お疲れ様会開始時間との兼ね合いで(平等院・宇治上神社・宇治川合戦関係史跡etc)・・・という日程を考えています。一応、資料を作る予定なので、参加希望者は御連絡下さい。
 
 元木先生・美川先生・渡辺貴代さん、御都合がつけば、よろしくお願い申し上げます。

Re: お疲れさま会決定

No.3381

 宇治見学会、24日の由、確かに承りました。
 ちょうどピンポイントで空いている日に当たりました。
 誠にありがたいことです。喜んで参加させていただきます。
 先日、市内某所で宇治の発掘担当の方々とお会いする機会がありました。これも、何者かが当方を宇治に呼び寄せている予兆かも?
 冗談はともかく、当日は京大の卒様式(仮装大会?)ですので、役職上、急に呼び出されることもありえます。もちろん、どなたかの携帯に連絡しますが、そのときはご容赦ください。
 好天を祈っております。

 ところで義経、敵中元服(なんで長田が支配する内海荘にのこのこ出かけるか?)だの、経典を読んだから「義経」とか、何とも奇妙な演出の連続で、呆れてしまいます。
 先日も「夢の都」に失望したという兵庫県、神戸市関係の方々の怨嗟の声を耳にしましたが、今度の平泉もCGでも使ってもっとそれらしく描けばいいのに。すべてが中途半端な感じです。
 義経の人間像は、オーソドックスな大河ドラマの善人のイメージで、安心できる面はあります。それにしても、家来はよりによってお笑い系ばり(マツケンも含め)で、これではリアリティーを出せという方が無理です。家来の集め方はまさに桃太郎、出来上がった集団は、女性も含めた水戸黄門一行みたいなものですかね。家来はいずれも伝説上の人物だが、中にまともな人物も入れないと、真面目な義経が浮き上がってしまいます。
 平氏一門も、清盛以外は間抜けの集団のようです。無論、史実としてあの段階で、頼朝や牛若を警戒することはなかったのですが、本当に危険視したなら殺害することもできたはず。源氏の御曹司の助命がやんごとなき筋からの圧力だったとでもしておけば、殺したいが殺せない必然性が説明できたのに。また、一門の公卿と並んで家司に過ぎない盛国が座るのもおかしな話。まあ、これは演出上の都合でしょうけれど。
 史実はもちろん、原作まで捻じ曲げて、ちっとも面白くもわかりやすくもならず、おまけに物議までかもす有様には、首を傾げざるを得ません。一言で言えば、脚本家がアホですね。
 間違いが多いと、講演のネタが増えるので宜しいのですが、反面ドラマの人気がなくなると講演の依頼自体が消滅しますので、それはそれで困るのですが・・・。
 ↓で指摘された「ナンバ」歩行については、近藤先生よりご説明をお願いいたします。
  
 

悪口雑言

美川圭
No.3382

24日なら、私も行けます。宇治の歴史散歩、楽しみにしています。
それにしても、義経、元木先生のおっしゃるように、

「脚本家がアホ」につきますね。

自分で創作やフィクションがつくれる才能があると思っているとしたら、
身の程知らずというべきでしょう。努力しても無理なレベルでしょう。
あんな程度の脚本を書いたらみっともないと思うから、
私も脚本を書かないだけなんですが。
「悪貨が良貨を駆逐する」典型です。
でも、これだけみんなが見ているのですから、
これからも話題提供をお願いしたいですね。

Re: お疲れさま会決定

No.3383

↓のようなナンバの理解は、間違いとはいえませんが、左右の手足が同時に出るということだけが強調されると、大きな誤解を生みます。ナンバの基本は、専門的にいえば、股関節のか外旋位による二軸動作ということです。詳しくは、現在のナンバ研究の最先端を行くhttp://www.namiashi.com/hihoukan/ このHPや、手近なところでは、吉川弘文館のPR誌『本郷』55号(2005年1月)に掲載された拙稿「歴史的身体運用法」を御覧下さい。

ところで、今週の『義経』では、藤原の子息達が的を射ていましたが、矢が的に刺さっていました。これは征矢を使用しているからですが、的を射るためには、征矢ではなく、的矢を用います。的矢には、鏃ではなく、先端が扁平で的に当たるだけの、平題(いたつき)や神頭(じとう)などを取り付けます。的に矢が刺さっていては、的がいくつあっても足りませんね。

また、秀衡から義経へ送られた白い毛の馬を、「白馬」と表現していましたが、あれは「葦毛」というべきですね。

さらに義経の家人達が、お笑い系なのはともかく、彼等が、出家している弁慶はいいとしても、その他の人々がいずれも烏帽子を被っていないのは、おかしいことです。それでは全員が童です。どのような身分であれ、当時は成人男子ならば、烏帽子を被ったはずです。また、方言の話しも出ていますが、駿河次郎だけ方言(駿河弁)を話すのもおかしい話ですね。

もっといえば、これは今回の『義経』に限らないことですが、秀衡等が狩りの時に被っていた笠を綾藺笠といいますが、それが真ん中でふたつに折れる形でした。しかし、本来の綾藺笠はふたつに折れる形ではありません。円盤状の笠に巾子形(髻を入れるための中央の突起部分)がつくわけです。

当時の会話はいったい如何に…

No.3389

駿河の人間、京の人間、奥州の人間等々が集まると、会話はどんなふうになったのでしょうか。そういったことを言語学的に検証することはできるのでしょうか。誰かやっていないのでしょうかね。
 ちなみに、駿河次郎をやっているうじきつよしはミュージシャン、喜三太をやっている伊藤敦史は俳優です。まあ、すべてがお笑いではないにしても、うじきつよしは「お笑い系」ですかね。人物造形までふくめて、あまりにも単純で、類型化されすぎている、ということでしょう。義経が三蔵法師にしか見えなくて、困っています。

今日の『義経』もよろしく。

No.3368

 この掲示板。ご覧になっている方の範囲(地域も含む)は想像を絶する勢いで広がっております。ゼミ生の郷里の御家族が、この掲示板で京都にいる娘さんの勉学や生活の様子を見て安心して下さっているという話をうかがったこともありますが、小生自身についても、世界中にいる友人たちがこれを見ていてくれるようです。
 そのうちの一人、現在、東京は池袋で税理士事務所を開いているピーター・セラーズ(本人によれば、アラン・ドロン)によく似た高校時代からの親友から、この掲示板についてメールが届きました。
 すなわち、・・・大河ドラマ『義経』にたいする諸先生方によるコメントがじつに面白い。歴史の素人としては義経放送後の掲示板が楽しみである。・・・さらには、「ほりえもん」に頑張ってもらって、義経放送と同時並行で掲示板のやりとりを双方向で流してもらいたい。・・・などという、要望までございました。
 おそらく、多くの「視(聴)者」の方々も同様にお考えのことと思いますので、これまで御登場の先生方、それにNHK関係者の石浜さん、ゼミメンバー諸姉兄、なにとぞ「よしなに」お願い申しあげます。
 そのうち、当掲示板の書き込みからどこぞの大学の入試問題が作成されることになるかも知れませんね。
  わが親友云わく、「掲示板を見る楽しみが又一つ増えた」。

晴れの服装

No.3371

 『義経』のことははじめて書きます。
 今日は藤原秀衡が登場したのですが、その初登場シーンで秀衡が両腕を大きく振ってのしのし現れましたね。個人的な感想と言われればそれまでなのですが、洋服と違って袖が大きい狩衣を着て、腕を大きく振るとなんだかとてもみっともなく見えました。当時の人はあんな歩き方をしたのでしょうか。僅かワンシーンだったのですが、着崩れしないかと心配にもなりました。
 スーツなどの洋服は大きく腕を振って歩いても様になって見えると思うのですが、袖が大きい狩衣や直垂は腕の振りが小さい歩き方のほうがいいのではないかと思いました。陸上選手の末続慎吾さんが取り入れて話題になった「ナンバ」というのが、これに当たるのかどうかはわかりませんが。
http://hc2.seikyou.ne.jp/home/jcfa-osakanisi/taikyokuken/nanba.htm
 今週・来週は各地で卒業式が行われ、和服を着る人も多いと思いますが、どうぞ着崩れにはお気を付けください。卒業式に狩衣や直垂を着る人はいないと思いますが。

本日の『義経』、付、宇治歴史散歩。

No.3372

 本日は突っ込みどころが少なかったのですが、藤原基成を登場させれば、歴史的事実に即した形で、よりストーリーを面白く、分かりやすく展開出来たのではないかと思いました。また、平泉藤原氏の一族と家人が居並ぶ場面では、やはり例の柳の御所跡から出土した折敷墨書を思い出さざるを得ませんでした。きっと、岡田清一先生もそうだったと思います。
 ちなみに、今回の制作者は馬に気を遣っておられるようで、外来種ではないように見えますが、実のところ、もう今では純国産種の馬などはいないのだろうと思います。
 義経は平泉で、妻(佐藤継信・忠信兄弟の姉妹か?)を娶り、子(娘)もなしていますから、かなりよい待遇をうけていたのではないかと考えています。ちなみに、保立道久先生は『義経の登場』において、この娘(源有綱の妻となる)を義経の年齢から「妹」と解しておられますが、その必要はないのではないかと小生は思っています。

 ところで、当ゼミの宇治の歴史散歩ですが、設定された日に御用がなければ、元木先生も参加していただける由。朗報です。これまで、平安時代の宇治については、源氏物語的発想からか、道長・頼通・寛子の時代にのみ関心が向けられていた観がありますが、「権門都市」として完成を見たのは忠実の時代でありましょう。かかる観点からすれば、元木先生は宇治を語るに際して、第一に御登場願うべき研究者なのです。さらに「権門都市」と言えば、美川先生。御都合が宜しければ美川先生も是非とも。

 >岡田清一先生  みやぎ県民大学のテープ起こし原稿に基づく講演録、おそくなりましたが、昨日添付ファイルにて送信させていただきました。

昨日の義経

美川圭
No.3375

昨日の義経、奥州での生活が主でしたが、
あの弁慶をはじめとする義経の家来たち、
いったい、何をしているんでしょうか。
一応、畠をつくって、自給自足らしいのですが、
また、ちょこっと土地の庶民との交流?
もっとほかにやることあるんでは?
たとえば、藤原氏の人々との関係を密にするために、
奔走するとか。
あれでは、まったく下宿の居候です。

それから、奥州藤原氏の雰囲気が希薄です。
まるで関東のどっかの武士団のようです。
何か装束とか、立ち振る舞いとかに特徴はだせないのでしょうか。
このあたりは、私も奥州のことがわかりませんので、
どうのこうのいえませんが。
あの地域の豪族の特徴を出すくふうが必要です。

それから、ドラマ全体にそうなのですが、
季節感が希薄ですね。
とくに東北にきたのに、いつも夏のようです。
京都も冬寒いですが、それに較べると、
やはり一段ときびしい気候なはずです。
そういうことを描くことを、すっかり忘れてしまっているのでは。

うつぼ、という女の子が、京都からやってきましたが、
まるで隣村から来たみたいな雰囲気です。
もっとデイテールというものにこだわらないと、
どうせ奥州での話は90パーセント以上が虚構なのですから、
いくら虚構でも、それらしいリアリテイがうまれません。

あと泰衡が狩りではぐれたそうですが、
そうすると命が危ういんですかね。
何か、別の勢力に命をねらわれているのか。
夜になると寒いので凍えてしまうのか。
その辺がまったく描かれていないので、
これもまったく危機感がありません。
義経が一人で探しにいくようですね。
ここでも、いったい家来はどうなっているのか。
自分で行かずに、家来を派遣してやるほうが、効果的では。
ろくに現地を知らないのに、やみくもに探してもだめで、
そのへんは秀衡の言うとおり。
それでも、義経は超人で、探し出すらしい。

まあ、
泰衡を義経がたすけて、仲良しになるようなストーリーらしいですが、
それだと、なんだか、もう幼稚園のお芝居みたいで。
もうひとひねりを期待しましょう。

>野口先生
ぜひ宇治の歴史散歩、参加させてください。もちろん、予定があえば。
よろしくお願いいたします。

言語学的見地から見た「義経」の疑問

No.3376

何やらたいそうなタイトルをつけてみましたが・・・。
長らくROM(Read Only Member?)してたので、久々にネタ提供します。

僕は歴史学には素人なので、毎回見終わった後に皆さんの掲示板のやりとりを読んでフラッシュバックする、
って感じなのですが、僕の専門分野であった言語学(厳密には英語言語学でしたが・・・)に照らし合わせて
「ん~?」と思うことがあります。それは、登場人物の使う「ことば」。

日本語は、当時の日本の中心であった京都から、同心円状に日本列島に広まって行ったと考えられています。
したがって、現在東北や九州など、京都から遠く離れた地域で使われている言語の源流は、
かつて京都で使われていたものと考えられます。「義経」の時代の京都で使われていた言葉は、
今の「京都弁」とは違うもののはずなのですが、ドラマで京の町衆(って言うのかな??)が
それに近い言葉で話しているのを見ると「ホンマかいな~?」と思ってしまうわけです。
もちろん、ドラマの演出上の理由はあるでしょうけど。

逆に、義経や弁慶、平家の面々はどのような言葉を話していたのだろう?といった興味も湧いてきて、
それはそれで面白いんですけどね(笑)。機会があったら日本語学の本でも読んでみます。

長文(戯言)失礼致しました。

なんだかんだで、やっぱり見てしまう「義経」

No.3379

 以前、新歓コンパ的に開催された陰陽師ツアーで、「陰陽師Ⅱ」を劇場で見ましたが、その時も京都と出雲の国が、数時間の距離で結ばれている錯覚に陥るようなストーリー展開でしたが、今回の義経も似たような感じでした。
 オープニングには、時代考証・風俗考証・建築考証・衣装考証と名前が出ていますが、考証という仕事はどういう内容なのでしょうか。

 高校の時、大河ドラマで御所ことば監修などをされていた堀井令以知先生が社会人講師として授業に来られた事がありました。当時の言葉をそのままテレビでオンエアすると、視聴者が意味が分からなくなるし、役者さんがきっちりとした発音が出来ない時もあったり、状況に応じて現代風にアレンジする必要が出てくる、という話でした。
 
 製作側にもいろいろと訳があるのだと思いますが、議論の必要は大のようですね。

 最初、義経専用掲示板をつくろうかと考えていましたが、ページを分散してしまうと、お客さんが減ってしまうという過去の経験がありますので、このままで行こうかと考えています。(大河ドラマ終了後に、関連した投稿をまとめたページでも作ろうかと考えています)

「東山にJR新駅設置の計画」

No.3359

3月1日付け(だったと思う・・)京都新聞によりますと、JR西日本は京都市内に新駅を設置することを検討しているそうです(昨年9月に京都市議会で請願が採択済み)。
 場所はJR東海道本線と東大路通とが交差する付近です。と、いうことは、京都女子大学から徒歩10分ほどの距離のところだということになります。京女はますます便利となり、野口先生ほか京女関係者の皆様にはご同慶のいたりでございます。
 なお、新駅の名称にはぜひ「法住寺殿駅」を採用していただきたいものだと愚考しておりますので、JR西日本関係者の皆様はご一考くださいませ。

JR新駅の駅名私案。

No.3362

 もしJR新駅が設置されることになると、それは法住寺殿の域内に駅舎が建設されるということになるでしょう。場合によっては発掘調査ということも考えられますね。となれば、いよいよ山田先生の出番ということになります。その際には、ついでに建春門院陵もお願いしたいところです。
 新駅名の候補としては、小生も「法住寺殿」がベストだと思いますが、一歩妥協して「今熊野」もしくは「蓮華王院」、わかりやすく「三十三間堂」というのも考えられます。あるいはズバリ「京都女子大学」。
 最近流行の地名表記法によれば、京都駅の東ですから「東京都」というのも。「西東京市」なんてのがあるくらいですから。
 
 ☆ 山田先生はもとより、元木先生にも御執筆いただいた『古代文化』第57巻第4号(特輯『平家と福原』)は、いよいよ『古代文化』次号ということになりました。目次を掲げると以下のとおり。

   特輯『平家と福原』によせて・・・・・・・・・・・・・・・野口 実
   福原遷都と平氏政権・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・元木泰雄
   『福原京』の都市構造・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山田邦和
   伊勢平氏と屋敷・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・伊藤裕偉
   平家の本拠をめぐって-立地空間の軍事的評価-・・・・・野口 実   
   『平家物語』における遷都
    -『延慶本平家物語』『山門奏状』の本文について-・・・近藤安紀
   <図版解説>兵庫県神戸市 楠・荒田町遺跡・・・・・・・・・岡田章一
  

 >山田先生  16日の研究会の御案内、ありがとうございました。嵯峨のお話はぜひともうかがいたいので、参加の方向で考えております。

 >山田ちさ子様  「平安京探偵団」トップページの最上の場所に広告を掲載してくださり、あつく御礼申しあげます。感謝です。それにいたしましても、「中世の国家と天皇」御発表の後、上等の焼肉で晩餐とのこと。「学問」も「食」も究めた何処かの王家のごとき贅沢な生活ぶりかと存じます。

Re: 「東山にJR新駅設置の計画」

No.3366

地元の今熊野・一橋自治会や商店街、市会議員などの働きかけにより、計画が進行している形です。
地元では新駅『東大路駅(仮称)』というふうに呼んでいます。 建設場所としては、JR東海道本線と東大路通がクロスしている所から、少し山側にかけての部分が候補にあがっています。
駅名については、一橋校区と今熊野校区のど真ん中ですので、『今熊野駅』とするのは、自治会的に反対が出そうな気がします。どこかの町村合併と似たような感じです。

補足...

http://210.235.76.199/utsumi/club/index.php?page=14

団体名その物が『JR東大路駅新設推進の会』でした...。

お疲れ様会

No.3357

 論文読み会も今日で終わり。皆様本当にお疲れ様でした。
「発表は勘弁して下さい!」と泣きを入れて発表を免除してもらったにも関わらず、
きちんとしたコメントも出来ずに申し訳ありません。読んだ事がある論文でも、
いざ読み直してみると読み違えていたり、今回の勉強会で初めて読んだ論文もあり、
発表を聞いて分かったこともありました。全部の発表は聞けませんでしたが、私にとって
は、きちんと知りたいことが分かった、とても収穫の多い四日間でした。
改めまして、企画や発表に携わった皆さんにお礼申し上げます。

で、色々と終わったところで、少し遅くなりましたがゼミ旅行のお疲れ様会をしたいと
思います。みんなで、幹事の山内さんの労をねぎらいましょう☆で、毎度の事ながら、
こうなったら今回の論文読み会の打ち上げも、卒業する皆さんのお祝いも、(自分で言い
ますが)合格祝いも、ぜーんぶまとめておめでたくやりたいと思いますので、
3/17~26の間で都合の悪い日を教えてください。
(皆さんの「都合のいい日」を聞くと収集がつかなくなりますので)
短気ではないのですが、こういうのはちゃっちゃと段取りをしてしまいたい性格ですので
申し訳ありませんが、週明けの月曜日までにご連絡くださいませ。

お疲れさまでした

No.3358

タフな論文との格闘と女坂の往復で疲れたみたいで、帰った来たら
スグにスヤスヤと眠りに付けました。

論文講読会に参加された皆様、本当にお疲れさまでした。
色んな意味で勉強になったし、皆さんのコトを色々知れてとても面白かったです!

野口先生・岩田師範のお褒めにあずかり光栄です(笑)
でも自分の報告やレジュメは少々荒いなと思いました。
あと研究動向の踏まえ方も不十分だったと反省しております。

少し休んだら、今回の反省を生かしてまた自分なりに勉強して行こうと思います!
では「お疲れ様会」楽しみにしてますね。

「権門体制論」上横手先生からの啓示。

No.3360

 今回の論文講読会における議論の中で、ひとつの重要なテーマになったのは石井進氏による黒田俊雄氏にたいする批判でしたが、このことについて上横手雅敬先生が『石井進著作集』第六巻の月報に、講読会での議論を聴いておられて、その回答を用意してくださったかのようなお話を書かれています(「石井進氏の軌跡」)。小生、著作集を購読しているのですが、この月報には気づかずにおりましたところ、本日、上横手先生から御恵送にあずかりました。先生にあつく御礼申しあげます。史料講読会出席の諸賢もぜひ、読んでおいて下さい。それにしても、上横手先生が「石井氏と私との交友は、氏の生涯を通じて続き、氏は私のもっとも敬服し、信頼する友人であった」と書かれているのには、たいへん心動かされるものがありました。こういう友人がいたら大切にし、いないのなら持てるように努力しましょう。
 同じ月報掲載の石井紫郎氏「石井さんの「信用」のお蔭で」には、史料講読会で話の出た『法制史研究』20号に発表された共同研究「日本中世初期権力構造の諸問題」が成立した背景が記されています。ちなみに、この共同研究による掲載論文は、
 戸田芳実「国衙軍制の形成序説」
 石井 進「院政期の国衙軍制」
 上横手雅敬「主従結合と鎌倉幕府」
です。ぜひ熟読・精読してください。

 >田中さん  見つけましたよ。収集→収拾
 
 >永富さん  修了検定は如何に?

私事ですが・・・。

山岡 瞳
No.3365

 論文講読会お疲れさまでした。自分の発表でいっぱいいっぱいになってしまい、他の論文をゆっくり読むことができませんでした。これからもう一度読み返していきたいと思います。お疲れ様会楽しみにしています。

 パソコンの調子が悪いため、明日から修理に出すつもりです。何かありましたら、携帯のほうにお願いします。

 紫苑は最終段階まできました。あとは印刷するのみです!!

おつかれさまでした

No.3369

講読会お疲れ様でした。
皆様それぞれ大いに収穫があったようで何よりです。
今回は参加できず残念でしたが、またこのような企画がある際にはぜひ参加させていただきたいと思います。

田中さん>「お疲れ様会」企画ありがとうございます♪
田中さん幹事の飲み会はいつもおいしいお店にあたるので今回も楽しみにしております(笑)

山岡さん>紫苑編集お疲れ様です。完成を楽しみにしております。
昨日テレビを見ていたらレオナルド・ダ・ビンチが所属していた秘密結社の名前が「シオン修道会」だったと知り、関係ないですが「シオン」という名前に反応しておりました☆
「紫苑」も、もう秘密・・・とはいきませんが、シオン修道会のように世の中に対し、何か大きなメッセージを伝えるような任務を担う雑誌に発展するといいですね。(笑)

野口先生>無事仮免許GETできました。
就職してしまうと時間がとりにくくなるので三月中に終わらせたくてほぼ毎日つめつめで頑張っております。
免許が取れた暁には「恐怖のドライブ」にお付き合いくださいね♪
明日から本願寺参拝に帰敬式、卒業式・・・と予定が詰まっているため、しばらく教習はお休みです。その間に感覚を忘れてしまわないようにしなくては_(^^;)

★近々自動車免許を取得したいと思っておられる方、おられましたらご一報ください。
紹介割引制度があるので私が教習所にいる間に言ってくだされば割引料金で免許が取得できます。

おつかれさまでした

No.3370

 遅くなりましたが、みなさんの講読会へのご協力、本当にありがとうございました。

 熟睡したり、上等の焼肉であったり、或いは担当が済んだ後の晴れやかな表情を見るに付け、我ながら他人様に大層なプレッシャーを掛けたものだと思いますが、それをものともせず、意欲的に参加してくださってありがとうございます。また、当初の方針(「一人一言は発言しないと帰さない」)に自ら反して、自分が喋りたいだけ喋ってしまい失礼しました。入院中にずっと無口だったので、ここぞとばかり口を開いたということにしておいてください。

 野口先生による『石井進著作集』第六巻月報のご指摘にもありますように、過去において大きな問題提起が為され、それが今なお継続するものであること、更にそれを読み直すことで新たな課題の掘り起こしができることを実感できたことが、今回の自分の収穫でありました。
 昨今の銀行業界の再編に伴い、四条烏丸に隣り合って建っていた三和銀行と東海銀行はどちらもUFJ銀行に名を変えました。いまその旧・東海銀行は取り壊され、跡地には何やら新たな建物が建設中です。交差点向かいの東京三菱銀行(だったかな)は改築中。京ではいまも、政治的・社会的動向とリンクした〈創造と破壊のダイナミクス〉が進行中なのだなぁとぼんやり考えました。
 それはともかく、今年度は大学で学部三回生のゼミにお邪魔させて頂いて、そこで今回のような論文の批評を半年間ほど経験しました。こういうことは継続性が大事だと思うので、今後もまたこのような勉強会を開催できればいいと思うのですが、一方で参加者のみなさんの身体的・(特に)精神的負担が大きそうなので、あんまり頻繁にやるのも考えものですね。これはまた新年度に考えましょう。

>鈴木くん、永富さん、野口先生、ゼミのみなさん
 提案なのですが、トップページの「宗教・文化研究所ゼミについて」のコーナーを更新しませんか。今年度の活動を踏まえて、新年度へ向けての宣伝や、その後のゼミ旅行で新たに増えた写真等も加えられるといいと思うのですが。またご意見をください。

岩田師範の提案について。

No.3373

 ゼミの様子もだいぶ変わってきましたし、小生の研究業績も古いままだし、在室状況に至っては未更新だし、『紫苑』も3号が近く出ることだし、管理人のお二人も四月から忙しくなることだろうし、ゼミ旅行の写真も集めておいた方がよいと思いますし、・・・HP全体に拡大して岩田師範の提案に賛成です。でも、鈴木君と永富さんに負担を強いることになるので、お二人のご意向次第だと思います。

 なお、『紫苑』第3号の編集については、山岡さんが実によくやってくれました。お陰様で身の置き所を失うような失敗を免れた方もおられるようです。3号は本当にゼミの方向を指し示すものになったと思います。

 >永富さん  仮免、おめでとうございます。いよいよ一般道路での教習がはじまるわけですね。昔のことですが、路上教習と称して教官と花見に出かけてしまった人がいるのを存じております。千葉でのことですが。なお、同乗は、一年くらいしてからにさせていただきます。経験からすると、免許取り立てのドライバーの助手席。その恐怖感は、ジェットコースターの比ではありません。

平治の乱・源義朝の練兵場と抜刷御礼

No.3354

 元木泰雄先生の『保元・平治の乱を読みなおす』168ページに、このような一節があるのをご存じでしょうか。
 「信頼は父譲りの馬芸を磨いていたことになるが、彼自身の訓練もさることながら、京周辺に所領を有さない義朝が、東国から上洛させた軍勢を隠匿し密かに訓練させた可能性も高い」
 これは、平治の乱で藤原信頼と最後まで行動をともにした源師仲の伏見の所領について述べたものです。「京都周辺における武士の拠点」を研究課題の一つとする小生にとって看過できない指摘であるわけですが、このたび、元木先生がその師仲とかれの伏見の所領に関する専論を発表されたので御紹介いたします。
 「伏見中納言師仲と平治の乱」(伏見稲荷大社『朱』第48号、平成17年3月)

 保元・平治の乱といえば、本日、名古屋学院大学の早川厚一先生より御高論「『保元物語』の諸問題」(『名古屋学院大学論集』人文・自然科学篇41-2,2005年)・「『平家物語』の成立-一谷合戦をめぐって-」抜刷を御恵送いただきました。早川先生にあつく御礼申しあげます。なお、各数部余分にお送りいただきましたので、必要な人は申し出てください(国文専攻の院生を優先)。
 また、南山大学の青山幹哉先生から、御高論「<顕す系図>としての氏系図-坂東平氏系図を中心に-」(『伝承文学研究』54号、2004年)抜刷をお送りいただきました。中世前期の研究に於いて系図を史料として活用する際、あるいは系図を歴史叙述として評価する場合に必読の文献だと思います。青山先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ ↓にも書きましたが、今週は月曜以来「論文講読会」が続いています。岩田師範の御指導よろしきを得て、また佐伯智広君など優れた院生諸姉兄の御協力により、じつに有意義かつ白熱した勉強会になっています。とりわけ、学部2回生(山岡さん・山内さん・鍛治君)の発表の充実ぶりは目を見張らせるものがあり、小生、見張った後の目を細めております。明日は最終日、また楽しみです。

第20回宇治市発掘調査報告会

No.3356

 「論文講読会」はみなさんのご協力により順調に日程をこなしております。言い出しっぺとして、参加者のみなさんにはただただ感謝するばかりです。参加者あっての勉強会ですから。僕のいやらしいプレッシャーをものともせず、山岡さん・山内さん・鍛治くんはそれぞれの個性を発揮した発表を行ってくれて、本当に感謝しています。

 ところで、3/12(土)に、宇治市の中央公民館展示集会室で、〈第20回宇治市発掘調査報告会〉というのが行われます。 

http://www.city.uji.kyoto.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&WIT_oid=icityv2::Contents::1658

 宇治市街遺跡・浄妙寺跡・菟道遺跡の発掘成果報告と、国立歴史民俗博物館教授の広瀬和雄氏の講演が行われるそうで、申込不要・入場無料だそうです。
「教育委員会 教育施設 歴史資料館」
TEL 0774-39-9260/E-Mail shiryoukan@city.uji.kyoto.jp

 木幡の浄妙寺跡の話があるというので行ってみたかったのですが、この日はバイトが入ってしまったので行けなくなってしまいました。残念。
 そういうわけで、みなさんにもお知らせを共有したいと思います。

行ってきました。宇治の史跡散歩をしよう。

No.3361

 岩田師範の御教示を受け、ちょうど講演記録のテープ起こし原稿の修正作業が終わって、仕事に一区切りついたということもあり、宇治の歴史資料館に行ってきました。宇治市街地遺跡と浄妙寺遺跡については、現説にも行っていたので、発掘成果がよく理解できました。資料館の研究員の方々のお話をうかがって、新参ながら、宇治市民として、いよいよ「権門都市」宇治の評価を高めていかなければならないと再確認した次第です。
 広瀬和雄氏の講演「前方後円墳とはなにか」も大変面白かった。時に、専門外の分野のお話をうかがうのも大いに意味のあることを痛感させられました。本題から離れたところで、いろいろ研究上のヒントを得ることも出来ました。
 そして、本日、資料館に行った最大の収穫は、いつも宇治市内の発掘調査に参加されている京都女子大学考古学研究会の代表である渡辺貴代さんに久しぶりに会えたこと。渡辺さんには27日、『明月記』研究会の宇治見学の際に案内を手伝ってくれるようにお願いすることができました。これで大安心。
 その予行演習を兼ねて、今度のゼミ旅行打ち上げ同日の昼間、宇治の歴史散歩を企画したいと考えているので、これにも参加を願いたいと思っています。もっとも、渡辺さんがこれまで何回か当ゼミ例会に参加したことは、ご存じの通り。「渡りに船」とはこのことです。

『明月記』研究会の見学会

No.3363

野口先生>『明月記』研究会の見学会の件につき、ご配慮いただき、ありがとうございます。また、多大なご負担をお掛けしているようで、大変恐縮に存じております。私は研究会の代表でも見学会の幹事でもありませんが、会と野口先生との窓口となった者として、御礼とお詫びを申し上げます。同時に、当日は、よろしくお願いします。

渡辺様>初めまして。野口先生に見学会の件を依頼したろ『明月記』研究会の近藤好和です。見学会のお手伝いをいただけるようで、ありがとうございます。お手数ですが、当日はよろしくお願いいたします。

野口ゼミの皆さん>見学会には、みなさんにも参加してもらっても良いかなと私自身は考えていたのですが、研究会のメンバーそのものの人数も多く、あまり人数が増えても不都合であるという、会の代表の五味文彦先生のご意向もあり、今回は野口先生だけにお声をお掛けしました。ご了承下さい。

宇治

渡辺貴代
No.3364

野口先生>昨日はお疲れ様でした。お力になれればと思います。
近藤様>はじめまして京都女子大学の渡辺と申します。昨日の宇治発掘調査報告を聞いて改めて宇治を掘る楽しさを感じました。
今回、宇治にいらっしゃるとのことで、微力ながらお役に立てればと思っております。

渡辺さんありがとう。山田先生、よろしく。

No.3367

 渡辺さん、ありがとうございます。
 渡辺さんは、京都市埋蔵文化財調査センター副所長の梶川敏夫先生に御指導いただいている京都女子大学考古学研究会の代表で、今年度前期には小生の総合教育科目演習の受講生でした。そのときのレポート(承久の乱に関するもの)で取り上げた人物(ここでは内緒)はとても興味深い存在で、さすがに考古学で頑張っておられるだけあって、文献史料からの発掘もなかなかの腕前だと感心したことがあります。
 浄妙寺跡や宇治市街地遺跡の発掘調査に積極的に参加されていて、やがてこの方面(地方自治体における埋蔵文化財の調査・研究)での活躍が期待されます。今回も即、快諾してくれたように、「気持ちよく積極的」な渡辺さんを、ぜひ考古学の大先輩である山田邦和先生には紹介しなければならないと思っているところです。

 ☆ ゼミ旅行お疲れ様会開催の前(昼間)に時間のある人たちで、「宇治歴史散歩」を行いたいと考えています。できれば渡辺さんにも参加してもらい、お疲れ様会であらためてゼミメンバーに御紹介できればなどと計画しています。
 > 田中さん  そこで、お疲れ様会の日程が決まりましたら、すぐに早急に即、お知らせ下さいますよう、お願い申しあげます。

講座『歴史に見える義経』の御案内。

No.3339

 本日放送の大河ドラマ『義経』は如何でしたでしょうか。そろそろ、美川先生ほか皆様の書き込みを期待したいところですが、小生は下記の講座などで、ぜひ話題に取り上げたいので、このさい出し惜しみに徹しようかと思っております。
 ところで、その講座ですが、
   
     『歴史に見える義経-判官びいきの背景-』
 平氏追討にあたって、武将としての天才を発揮した源義経は、後に兄頼朝にうとまれ、奥州・平泉で悲劇的な最期を遂げました。義経を愛惜する人々の心情は「判官びいき」を生み出しましたが、それだけに義経については伝説的な部分も多い。講座では、義経の生涯について真実と虚構との別を明らかにしていきます。
 【開講日】第2・4火曜 15:15~16:45
 【会場】毎日文化センター(大阪梅田・毎日新聞ビル2F)
 【講師】京都大学名誉教授・皇學館大学教授 上横手雅敬 
      京都女子大学教授            野口 実
 【内容】4/12,26 義経についてのさまざまな見方(上横手)
     5/10,24 平治の乱後の政情と雌伏期の義経(野口)
     6/14,28 義経の合戦と政治(野口)
     7/12.26 後白河・頼朝・義経(上横手)
     8/ 9,23 逃亡する義経とその支援者たち(野口)
     9/13,27 「判官びいき」とその背景(上横手)
 
 申し込み・お問い合わせ 毎日文化センター (お早めに)
Tel:06-6346-8700
Fax:06-6346-8703
E-mail:info@maibun.co.jp
URL:http://www.maibun.co.jp/
 
☆ すくなくとも、上横手先生の御講義については、義経関係では学問的に最高水準で、最高に面白いものだと思います。義経ファンのみならず、史学・国文専攻の学生さんにも広くお勧めいたします。

本日の義経

美川圭
No.3340

野口先生のお呼びなので。

うーん今日の義経は、とくに言うこともないのですが、
なんだか、桃太郎伝説に似ている。
太平洋の航海があっけなさすぎますよね。
船に乗ったことがないはずの義経は、
もう少し、船酔いになってもよさそうだし。

やはり、元服があれでいいのか、というのが気になります。
こういうところは、近藤先生のご教示をあおぎたいところで。

それから財前さんの政子。
1171年という設定だとすると、
現在の満年齢で13か14歳。
うちの12歳の娘が「おばさんやな」といっていたのですが、
かなりあの「潮騒」みたいなシーンには違和感が。
少なくともあんなに大写しにしないほうが。

桃太郎

No.3341

こんばんは

詳しいことはわかりませんが、桃太郎というのは同感です。一人二人ならまだしも、家来が三人となると...やはり桃太郎にしか見えません。

元服の場所に関しても、結局は今回のストーリー展開上、あの場所にしか持ってこられなかったからではないかなと思いました。(時間的にもちょうど開始30分くらいだったと思うので)

元服の時に、自分で勝手に名前つけてしまってもいいのかな??
素人としてかなり気になっています。

僕からも、近藤先生に詳しいお話をお聞きしたいです。

なるほど。

No.3342

 出ないと言ったのに出てきてしまいました。
 なるほど、「桃太郎」ですね。カニもお供というわけで、「猿蟹合戦」の要素もあったのかも?
 元服ですが、諱(いみな)をつける儀式だと思うのですが、「九郎」まで書いていましたね。しかも、「義經」でなくてよいのでしょうか?
 それから、塩竃で下船していましたが、海上から平泉に行く場合、北上川の河口から遡上するのだと思っていました。いい加減な知識の再確認が求められて、いろいろと勉強になります。
 それにしても、義経が平泉に行ったのは自主流刑みたいなもので、平家としては大歓迎だったのではないかと思うのですが。如何なものでしょうか?
 
 美川先生のお嬢様、ぜひ数年後には当ゼミに参加してください。

桃太郎+孫悟空、付け足り財前直見のこと

No.3345

一見桃太郎なんですが、人物造形からすると、プラス孫悟空ではないかと言いながら、うちでは見ておりました。私も航海がいやにあっさりしているなと思いました。伊豆にはいろんな水軍がいたのではないかと思うのですが、そこへの言及がないということは、鎌倉武士を陸の存在としか見ていないのかなと思った次第です。
頼朝と政子のシーンは、不倫中の中年カップルのようで、なんだか見ていられませんでした。政子さんはあんなところで何やってたんでしょうね。ただし、個人的には財前直見はファンなんですが。(おまえは何でもいいのかと言われてしまいそうですが。)

佐賀県に「小城市」誕生!!

No.3346

 >石浜さん  堤先生にも先を越されそうで、小生は立つ瀬がありません。鎌倉武士が決して陸ばかりの存在でなかったことを論じたNHKブックス、早々に上梓すべく努力したいと存じます。
 ちなみに、今年6月25日(土)の研究所公開講座の講師は、この堤邦彦先生(京都精華大学教授)と、先日お世話になった東大史料編纂所の助教授の高橋慎一朗先生です。御講演も懇親会も楽しみですね。

 >05年夏、小城ゼミ旅行に参加したみなさん  あの思い出深い小城町が、3月1日から小城市に生まれ変わりました。お世話になった歴史資料館の古庄秀樹さんは小城市教育委員会文化課文化財保護係と学芸係(歴史資料館)の2つの係長に就任されたとのことです(お給料も2人分?)。
 若い町長さんはどうされたのか知りたいところですね。
 小生、小城には年に一度は(美味しい羊羹につられて)訪れたいのですが、佐賀の高校から出張講義にでも呼んでくれないものかと思っております。ちなみに、今月は18日に島根県出雲市の高校に行きます。

Re: 講座『歴史に見える義経』の御案内。

No.3349

「義経」はビデオに撮ってあとで見ているので反応が遅くなります。

元服で重要なのは、髻を作ることです。それを理髪といいますから、髪を整えてきちっと作らなければならない。それは自分ではできませんね。その上で、冠や烏帽子などの被り物を被せるわけです。ドラマの場面では、義経が腰刀で自ら垂髪を切るだけ、理髪をちゃんとしていませんね。あれでは出家みたいです。

また、烏帽子も折烏帽子でしたが、折烏帽子の場合は、元服ならば、下にも書いた頂頭懸でなければならないと思います。しかし、烏帽子を頭にのせただけで、頂頭懸はおろか、風口の緒さえも結びませんでしたね。やはり烏帽子の構造が分かっていないということですね。烏帽子といえば、頼朝が立烏帽子なのは私には違和感があります。貴種であることを示したいのでしょうが、折烏帽子の方が妥当でしょう。

とはいえ、歴史や風俗の誤りは差し引いて、今回の「義経」、ドラマとしては、けっこう私は楽しく見ているのですが。

元服と傘卒塔婆

美川圭
No.3350

>近藤先生
前のご教示のおかげで、烏帽子の付け方がおかしいことは、見ている最中にわかりました。
それから、あの元服シーンで、一瞬「切腹?」と思ったのですが、
もちろん、まあ、すぐありえない、と思いました。
歴史を知らない娘は「パパ、これから切腹するんじゃないだろうね」
と質問してきました。
奇しくも、二人とも、義経の目前の腰刀が気になったわけです。
髪を切るのなら、確かに「出家」ですね。ご教示の通り。
他人による理髪だと、本人の目の前には腰刀を置かないのでは、と思うのですが、
いかがなんでしょうか。それとも垂髪を切るのは、やはり本人ですか。
でも、こういう風俗の問題は、こういう映像を題材にして、教えていただくのが、
非常によくわかります。その点で、これからも「義経」にこだわりたいです。
>石浜さん
海上交通の軽視。その通りですね。奥州の傘卒塔婆をみせるために、
塩竃で上陸というかたちにしたかったような気がします。
でも、これからしばらく奥州でしょうから、傘卒塔婆はそこでいくらでも見せる機会があったんだから、ここは太平洋をどういうふうに当時の船で航海するかを見せてほしかった。
ここ勉強してやっておくと、それが伏線になって、頼朝挙兵後の安房への渡海のシーンでもそれが生きてくると思うのですが。

頼朝はどうやって渡海するのか

No.3351

近藤先生のご教示は、いつもためになります。そのうち、授業料を払わないといけないかもしれませんね、みなさん。元服があんなにカンタンにできるのか、名前を自分で決めちゃってもいいのかなどの疑問点は、今後このドラマを見ていくための原動力になりそうです。
美川先生のおっしゃるとおりで、安房への渡海シーンにも生かせたはずですよね。このまま行くと、中井某が、ドラマのままに、えへらえへら笑いながら海を泳いでいったりして。それで、安房国で、「やあ、これで助かったぞ」などと笑顔で言われた日には…。

歴史学と大河ドラマ

No.3353

 いろいろなところで、大河ドラマの『義経』が話題にされていますが、歴史学を専門にする者がどういうスタンスで大河ドラマを考えるべきか、ということについて、参考になる資料を御紹介します。
 
 ○ 「太平記ウォッチング」(『歴史学研究会月報』1991年4月~12月号掲載)・・・中世内乱史研究会南北朝部会による大河ドラマ『太平記』の検討です。
 
 ○ 入間田宣夫「「炎立つ」(ドラマ)と歴史学の間で」(『中世内乱史研究』NO,15、1994年)

 それにしても、細かく見ていきますと、いろいろ分かっていないことが明らかになってきて、勉強になりますね。
 石浜さんの観察はなかなか鋭くて面白い。自著の編集というのは如何でしょうか?

 >永富さん  ゼミ旅行の「感想大論文」楽しみにしています。第一段階パスの曉にはぜひよろしく。

 ☆みなさま ゼミメンバーは目下、岩田師範の御指導のもとで論文講読会に「集中」(一部熱中)中です。

Re: 講座『歴史に見える義経』の御案内。

No.3355

野口先生>先日はありがとうございました。
「大論文」・・・と言われるようなものを書けるかはわかりませんががんばってみます☆
修了検定が土曜にあるのでもうしばらくかかりそうです☆すみません

まだまだ先だと思っていたのですが気づけばもう卒業式まで5日を切っていました。
本当に早いものです☆

ゼミ旅行

No.3333

 皆様、二泊三日のゼミ旅行本当にお疲れ様でした。
 幹事であるにも関わらず、掲示板への書き込みが遅れてしまい本当に申し訳ありません。初めて幹事を務めさせていただき、正直に言っていっぱいいっぱいでした。皆様にもご迷惑をお掛けしたことも多々ありましたが、最後までお付き合いいただき感謝の言葉もありません。本当にありがとうございました。
 私は25日の夜に夜行バスで山本さん、荒木さん、山岡さんと東京に発ちました。しかし気分が高揚し、バスも揺れていたためかなかなか寝付けず、結局ほとんど眠ることが出来ないまま東京駅に着きました。東京駅を出ると見たことのないような高層ビルが立ち並び、おのぼりさん丸出しで「すごい!すごい!」と4人ではしゃぎ、写真をとりまくっていました。その後、いわくつき(?)の「将門塚」に立ち寄って、地下鉄に乗って上野駅に向かいました。上野では西郷さんの像の前で写真を撮ったり、リニューアルオープンした東京国立博物館を見学しました。ここでは『男衾三郎絵巻』や頼朝坐像、有名な一休の肖像画などを目にすることが出来、とても面白かったです。特に『男衾三郎絵巻』は当時の人々の様子が生き生きと描かれていて、武士の姿や当時の醜女がどういう人だったのかを知ることが出来て興味深かったです。頼朝坐像は以前神護寺で見た頼朝の肖像画の印象とはまた違うものがありました。その後、金龍寺では野口先生のかつてのご学友である並木優記さんのもとにお邪魔させていただき、かつての学生がいかに学問に対して貪欲であったかをお聞きして正直とても驚きました。そしてそれが許される時勢であったということもうらやましく思いました。その後、柴又帝釈天や浅草寺に向かい下町の風情を満喫しました。特に日が落ちてライトアップされた雷門やきらびやかな仲見世は圧巻でした。夕食時にはかつてのゼミ生であった八木さんやNHK出版の石浜さんも合流し、楽しい時間を過ごすことも出来ました。
 ゼミ旅行の二日目は、千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館を見学しました。ここでは野口先生のかつての教え子でいらっしゃる山田敬子さんも合流されました。ここは高校時代に大好きだった歴史の資料集の世界を立体化したようで本当に楽しかったです。再現された中世の町並みや武士の館、日記や文書の複製はとても興味深く、大正時代のカフェーも再現されていてまるで宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』のような世界で、タイムスリップしたような気分になりました。そしてその後、千葉市に向かい野口先生の案内のもと千葉氏関連の史跡を巡り、郷土博物館に向かいました。ここでも郷土の方の千葉氏に対する熱い思いを感じることが出来ました。その日の夜は佐伯真一先生も合流され、田中さんに予約していただいたお店で夕食をいただき、宿に帰ってからは有名な電気ブランもいただきましたが……私もビリビリしました(笑)
 三日目は朝から東大の史料編纂所を保立道久先生、高橋慎一朗先生にご案内いただきながら見学をさせていただきました。書庫には、吉川本の『吾妻鏡』など様々な史料を目にすることもでき、とても感動致しました。その後は始めての鎌倉に向かい、鶴岡八幡宮や頼朝墓などを巡りました。

 今回の旅行では始めての幹事を務めさせていただきましたが、私自身、とても貴重な体験をさせていただいたと思っております。本当にありがとうございました。それと同時に今回の体験は自分の不甲斐なさを嫌というほど感じさせられたものでした。自分ではきちんとやっているつもりでも必ず何か抜けていたし、行動も遅い。そしてそのせいで野口先生を始め多くの方々にご迷惑をお掛けしてしまいました。そのことは本当に申し訳なく思っておりますが、自分の欠点を身にしみて感じざるを得なかったことで、その欠点をどのように克服すれば良いかということを考えるきっかけになりました。また、色々な人と話が出来たことも良い思い出です。普段ゼミに来られている方はもちろんのこと、ほとんど会う機会のない方とたくさんお話できたことは、本当に楽しかったです。最後になりましたが、今回のゼミ旅行をずっと影で支えていてくださった八井さん、お邪魔させていただいた金龍寺の並木さん、東京で旅行に合流してくださった八木さん、山田さん、ご夕食で楽しい時間を過ごさせていただいた石浜さん、佐伯真一先生、東大史料編纂所の見学を快く了承してくださった保立道久先生、高橋慎一朗先生、ゼミ旅行に協力してくださった皆様方、本当にありがとうございました。


「御台様」はパーフェクト。

No.3334

 今回のゼミ旅行は今までとは勝手の違う旅行で、人の出入りも激しく、幹事さんはさぞや大変だったと思います。これをまだ2回生の山内さんがテキパキとこなしてくれたのですから、素晴らしい。自分が同じ年齢だった時のことを思い起こすと、まったく脱帽です。先輩方のバックアップもありましたが、本当によくやったと思います。山内さんは「謙遜屋さん」ですが、おおいに自信を持つべし!
 
 今回のゼミ旅行でゼミメンバーから山内さんに奉られたニックネームは「御台様」。いずれ、かならずや惹起されるであろう「承久の乱」に際しては、きっとゼミ結束の大演説で乗り切ってくれることでしょう。山内さんはゼミ旅行のたびに大成長をとげているように思います。
 ちなみに、二日目は佐倉の歴博が先で、それから千葉でしたよ。

幹事さん、本当にお疲れ様でした

No.3335

 野口ゼミの旅行は、参加者が同じ学校にいないこと等などの事情から、普通の大学の
ゼミ旅行に比べても結構大変です。(その辺は兵藤ゼミ幹事も勤めた門屋くんに聞いて
下さい)それに加えて今回のゼミ旅行、勝手は違うし人の出入りは多いし、永富さんと
「これまでになく過酷な幹事」と言っていた位ですので、まだ二十歳の山内さんに何食
わぬ顔でこなされては、私の立つ瀬がありません(笑)幹事というのは、色々な人の手助
けを得て初めて成立するものですし、そうやって手助けをしてくれる人がいる幸せも
痛感しますよね。それだけでも、今回の幹事は大成功だと思いますし、野口先生の仰る
通り十分にテキパキとこなしていたと思います。(大体幹事をしてもらっている段階で
「迷惑」と思うワケがない!)
 明治大学のラグビー部の故北島監督の座右の銘に「前へ」というのがあって、大好き
なのですが、この言葉を私は「何があっても前進することが重要である」という風に
解釈しています。今回の幹事で、山内さんは大きく一歩進めたのではないでしょうか。
謙遜する必要はない。「前へ」ですよ☆

Re: ゼミ旅行

No.3337

 山内さん、ありがとうございます。上の書き込みを拝見して、改めてまこと見事にゼミ旅行を締め括って下さったと感動しました。

 意味もなく「サイドに展開」してばかりの僕のような人間からは、山内さんの「前へ」の突破力は羨ましくさえあります。しかもその若さ(=可能性に溢れている)ですから。
 反省は反省として、この度はその突破力に更に磨きがかかったということで、遠慮なく自信を持っていただければと思います。

Re: ゼミ旅行→御台様へ

No.3344

山内さん、飲み会に遅刻してしまい、すいませんでした。田中さんのおっしゃる通り、野口ゼミは先生の人望故に参加される方が多種多彩なので、大変だと思います。それでもきっと何かいいことがありますよ、きっと。
なお、6月の講演会は堤邦彦先生とのこと。是非参加します。またその際には、よろしくお願いします。というのも、先日、四谷の駅ビル上の喫茶店で3時間近く堤先生とお話させていただきました。面白い本ができそうです。なにやら堤先生には情報参謀がいらっしゃるそうで。京都は面白いところだと改めて認識した次第です。

桃の節句

No.3327

 世間ではインフルエンザが猛威を奮っているようで、佐伯先生も山田啓子さんもご体調を崩されたとの事。ちょうど東京に行っている間は東名高速が凍結するほどの寒さだったので、長時間の見学にお疲れが出たのではないかと心配しておりました。
東京から帰って来ると、家には色々な書類が届いていて、来月の頭までは種々の手続きに追われそうです。来週の勉強会の準備もしなければいけませんし、やる事がたくさんあります。やる事がある方が時間を大事にするので、それもまた良しですが☆
 管理人さんのご配慮あって、壁紙もおひな様。今日は桃の節句ですね。今日は田中家でもちらし寿司と山菜の天ぷらが出ました。勿論お供は、東京から持って帰ってきた電気ブランです(笑)(岩田くんが「ビリビリする」と言っていましたが、そこが『電気』たる所なのですよ) 

>佐伯先生
 この週末はまた寒くなるようですので、ご自愛ください。

Re: 桃の節句

佐伯真一
No.3338

 田中さん、有り難うございました。おかげさまで回復しました。山田さんのウィルスが、私から行ったものでなければよいのですが…。
 復学前の3月とは、一番いい時期ですよね。学生時代の有り難みを知った上で、それに戻る直前というわけですから…。準備万端しっかり整えて、4月からは新しい環境でばりばり活躍してください。加美先生にも、新しい先生にも、どうぞよろしく。

宗教・文化研究所『研究紀要』18号刊行

No.3323

 京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』第18号が刊行されました。本号には、
 
 拙稿「慈光寺本『承久記』の史料的評価に関する一考察」
 
 <宗教・文化研究所公開講座講演録>
 源健一郎「『平家物語』と風景-清盛の見たもの/清盛を見る者-」
 川合 康「治承・寿永の内乱と伊勢・伊賀平氏-平氏軍制の特徴と鎌倉幕府権力の形成-」
  
などが掲載されています。お近くの所蔵機関(大学)をご確認の上、御覧頂ければ幸いです。

 ☆ なお、当ゼミ機関誌『紫苑』第3号は、目下、山岡瞳編集長のもとで二校校正中です。当初の思惑通り、サークル誌から学術誌への脱皮の段階にさしかかったように思えます。刊行にご期待下さい!!

「幽玄亭」と「平安京閑話」の御紹介

No.3329

 『紀要』・『紫苑』の御紹介のついでのような形にて恐縮ですが、ここでHPサイトと日記blogを紹介させていただきます。

 まず、『幽玄亭』というHPです。ここには、院政期の政治と文化に関する情報がなかなか手際よく整理されていて、以前偶然に発見(美川先生の論文集のタイトルから)したときには驚いたものです。しかも、管理人が一般の方であることに、さらに驚かされました。院政期関係の論文集の紹介や、『六代勝事記』に関する管理人の御見解、さらには『三長記』の現代語訳まで、院政期・鎌倉時代に関心を持つ史学科の学生さんなどにはお勧めの内容です。最近、拙著『坂東武士団の成立と発展』の復刊について宣伝してくださっているという情報を得て、久しぶりに覗かせていただいたところ、近くHPを閉鎖されるとのこと。これは勿体ない話しだと思います。それこそ、復刊ならぬ継続をお願いしたいところです。この書き込みをご覧の皆さんに、ぜひ、御一読をお勧めいたします。
   http://homepage2.nifty.com/yuhgentei/index.htm

 「平安京閑話」は、以前たしか『古代文化』誌上で角田文衞先生が連載されていたエッセー(実質的には研究論文)のタイトルであったと思うのですが、その角田先生をこよなく敬愛する山田邦和先生が、御自身の日記ブログに命名されたものです。すでに歴史のジャンルにおける人気ブログの2位にランキングされており、中村武生先生の「歴史と地理な日々」と首位を争う勢いです。それでなくとも広すぎる山田ワールドがさらに拡張されたという次第。こちらもぜひ御一読ください。
   http://heike.cocolog-nifty.com/kanwa/

 >山田ちさ子様  昨日は「平安京探偵団」開設5周年だったとのこと。おめでとうございます。京都の文化観光振興にたいへん貢献されていると思います(ちょっと手抜きの学生さんたちのレポートにも<笑>)。ちなみに、当家の白ネコ(名前はペ<半濁音>ン)も昨日、9歳の誕生日を迎えました。上総生まれ、下総育ち、なかなか容姿端麗な?雌ネコです。

「平安京閑話」その他

No.3336

野口実先生、みなさま、こんばんは。

私の、たかが風邪ひきに過分のお見舞いのお言葉を頂戴し、恐悦至極に存じます。おかげをもちまして少し回復しました。まだゲホゲホやっておりますが・・・

青山学院大学の入試問題に野口先生の御著書の文章が引用され、その中に私の文章が引用されている、という(他の人が聞いたならばなんのこっちゃらわからないでしょうが)こと、まことに光栄です。もし野口先生のところに入試問題がありましたら、末代までの語りぐさにぜひ見せていただきたいと思います。たとえそうでなくても、来年度の青山の「赤本」が出版された際には必ず購入し、家宝として子々孫々まで伝える所存であります(とはいっても私には子供はいないのですが・・)。

私のブログの題名が、角田先生からのパクリであること、さすがにお見通しで恐れ入ります。しょーもないものではありますが、 時々は覗いてやってくださいませ。

御礼、御礼

No.3347

>野口先生
青山学院大学の入試問題と、京女宗文研『研究紀要』第18号、たしかに拝受いたしました。ありがとうございました。前者を見せていただいて感激はひとかたならず、末代までの誉れでございます。研究紀要所収の御論文「慈光寺本『承久記』の史料的評価に関する一考察」も勉強になりました。軍記物などは、あるひとつの本だけ見ていてもダメで、やはり諸本の比較研究が重要だということがよくわかります。ありがとうございました。

人気blogランキング第1位!祝山田先生

No.3348

 上の御紹介の直後から、山田先生の日記blog「平安京閑話」が人気blogランキング歴史部門のトップに躍り出て、2位以下をどんどん引き離しております。各所で活躍されている山田先生の人気は流石である、と感心させられます。のみならず、「歴史好き」の方々の選択眼の確かさにも、歴史を職業とする者として安堵させられております。
 ただ、気がかりなのは、以前トップの座にあった山田先生のパートナーのblog「平家物語」が、このところ低迷気味であることです。これは平家諸本の解説まであって内容充実。僭越ながら「平安京閑話」とともに当ゼミ推薦blogとさせていただきたいと思います。メンバーの皆さん、いいですよね?
 山田ご夫妻のネット上でのさらなるご活躍を期待するものです。

Re: 宗教・文化研究所『研究紀要』18号刊行

No.3352

 野口先生 
 名前を呼んでいただき、遅ればせながら出てまいりました。

 山田先生のブログのランキングアップは本当に見ものでした。
 どんどん伸びていかれて、絶対抜けないと思っていた首位を追い落とし、堂々首位を守っておられます。すごい。
 私はいつ奥様に抜かれるかとおびえつつ、ほそぼそ更新を続けたいと思います。

 さて先日は角川源義・高田実『源義経』をご紹介下さりありがとうございました。
 さっそく購入して拝読しました。
 野口先生の解題も大変読みやすくありがたかったです。同書への野口先生の思い入れがとても強く感じられ、気持ちのよいことでした。

 お勧めのとおり、角川氏の伝承への視点は大変勉強になります。
 史実としては、鞍馬をめぐる話そのものを認めにくいとされる厳しさも、ほーっという思いでした。
 あえていえば、京都の伝承地への言及がほとんどなかったのが残念なことでした。

歌舞伎鑑賞ツアーのお誘い

末松憲子
No.3314

ご無沙汰しております。末松です。
本日は、来る4月の歌舞伎鑑賞教室へのお誘いです。

4月24日(日)に堤ゼミと共同で観劇会をしませんか?
南座の『歌舞伎鑑賞教室』(桂九雀氏の「南座と歌舞伎」を聞いた後、「櫓のお七」を鑑賞)観劇後、下京散策→飲み会
というコースです。
予算2000円(観劇費のみ含)、11時からの公演です。


今回の散策の企画は、精華大の新カリキュラムで、三年生のゼミ生が企画実行する事になっております。
その為、普段中世を専門とされておられる皆様にはなじみのない所を散策する事になると思います。
以前ゼミで発表させて頂いた時に、今度何か合同企画を、、、という案が出ましたので、提案してみました。
もちろん宗文研の方以外でも参加OKです。
歌舞伎鑑賞教室のみでもOKですよ。
京都にて江戸時代を想像する機会はなかなかありませんので、いかがでしょう?
お返事はこちらの掲示板かメールでお願いします。


田中さん
合格おめでとうございます!



歌舞伎鑑賞ツアー

No.3317

ステキな提案ですね☆
 歌舞伎鑑賞教室は一度行ってみたいと思っていました。が、4月24日は軍記・語り物研究会に行くかもしれないので、予定がまだわかりません。予定が合えば是非、ご一緒させて頂きたいと思います。
 野口ゼミの皆さんも、せっかく京都に南座があるのですから、歌舞伎の観劇もされてはいかがですか?歌舞伎鑑賞教室は入門編ですし、「櫓のお七」はストーリーも分かりやすくて、かなり取っつきやすいと思いますよ。しかも解説あって¥2000で歌舞伎が見られるなんてお得!ああ・・行きたい!

追記
 お祝いありがとうございます☆

Re: 歌舞伎鑑賞ツアーのお誘い

末松憲子
No.3324

田中さん

宣伝ありがとうございます!
軍記・語り物研究会とは強力なライバルですね。
でも、待ってますよ!(笑)
以前言っていた近世をやっているご友人も、良かったら誘って下さい。
京都で近世芸能史をやっている人はあまり知らないので、是非お知り合いになりたいです。

ほかの方も是非おいで下さい!
今のところ四月の中旬頃の締め切り予定でいます。

歌舞伎鑑賞ツアーのお勧め。

No.3330

 この企画は、とても価値のあるものです。小生は残念ながら4月23・24日は江戸に参府の予定があって行けないのですが、合同企画ということにして頂けるというのは実にありがたいことです。当ゼミの芸能史ジャンル研究の中心的存在は門屋君ですが、門屋君もこの日はお江戸で学会参加かも知れません。
 堤先生にはこの6月の公開講座の講師をお願いしていることでもあり、ゼミメンバーには、この機会にぜひ、歌舞伎鑑賞をお勧めいたします。精華大の堤先生のゼミ生の皆さんとも交流を深める絶好のチャンスだと思います。
 末松さんも当ゼミでは、いよいよ古参でありますから、何卒よろしく。

歌舞伎鑑賞ツアー

No.3331

 末松さんご無沙汰しております。ぜひとも参加したい・・・のですが先生も書いてくださったようにお江戸かもしれません。歌舞伎になかなか足を運ぶことのない方にはいい機会だと思いますので、是非行かれてはいかがでしょうか・・・。解説付きで歌舞伎を見れば確実に魅力を感じることができると思います。私自身はチケットがどれるかどうかわからないですが、中村勘三郎襲名披露(7月:大阪松竹座)は是非行きたいと思っておりますので、一緒に行ける仲間がこの機会に増えることを楽しみにしております。末松さんよろしくお願いします。
(ついさっきまで金曜エンタテイメント『涙の襲名完全密着 勘九郎から勘三郎へ!!家族の絆 試練と挑戦 18年全軌跡 』を見ておりました)

十八代目勘三郎襲名披露に関してはこちらのサイトで。
http://www.shochiku.co.jp/play/kanzaburou/index.html