玉稿お礼、にかこつけて

No.2817

拝啓 野口先生

 広島の下向井です。この場をお借りしてお礼させていただきます。先日は御懇書、玉稿「鎌倉武士の心性」、奥様の玉稿「閑院内裏の空間領域」、またゼミ機関誌『紫苑』をお贈り下さり、まことにありがとうございました。

 いずこも同じ雑事に紛れ、未だ拝読できておりませんが、いずれじっくりと読ませていただきます。といいつつ、傍にはつんどくの抜刷の1年分の山。年賀状でまとめてお礼ということになりそうです。

 『紫苑』、すてきです。楽しいゼミの雰囲気が伝わってきます。学生諸君、楽しく学んでいますね。巻末のデジカメゼミ旅行記がよかったです。私もゼミ機関誌『史人』を2号(1998年)まで出しましたが、私の病気を口実にして何年も休刊中です。貴誌に刺激されて復刊をめざそうと思います。

 広島大学そば出身学生がいらっしゃるとか。私の所は教育学部ですが、私は高校日本史教員育成・日本史研究者育成を目標に、授業・自主ゼミ(SHIMOKEN塾)を開いています。
学部授業は「悲劇のプリンスたち」「戦争と平和に関する史的研究ー日本古代の国家と軍制」「平安時代の地方支配と武士の形成」「史料演習(希望テーマに関する史料を私が探して。そのまま卒論テーマになる場合あり)」。大学院は『小右記』(今は長保元年)演習など。SHIMOKEN塾読書会は、卒論修論読書会(文・総合科学・教・放送大学の院生・学生、社会人 12人)、プレ読書会(文・教2・3年中心、いま河内さん『古代政治史における天皇制の論理』7人)、プレ卒論史料講読会(教3年 2人)。これとは別に広島市基町クレドカルチャー教室「源氏物語の舞台裏ー『小右記』を読むー」に学生をアシスタント名目で参加させています。
 
 そこで野口先生、お礼にかこつけて、(徒労に終わることは承知の上で)引き抜きの宣伝をさせていただいていいでしょうか。京都の平安時代史研究とはだいぶ傾向が違いますが、お膝元からではなく地方から中央をみるのもまた視点が変わって面白いかもしれません。皆さん私の所の大学院で平安時代の勉強をしてみませんか。後期の試験は2月です。「社会科教育学」の試験科目もありますが。

 野口先生、これからも変わらずおつき合い下さい。

広島大学大学院、ぜひ宜しくお願いします

No.2819

 下向井先生、書き込みありがとうございました。当ゼミ学部生の多くは、広島県・山口県・愛媛県・福岡県など、まさに平家の勢力圏に重複する地域を出身地としておりまして(六波羅に祗候した平家家人の子孫なのかも知れませんね?)、いずれ必ず広島大学大学院への進学を希望する人も現れることと思います。その節は、どうぞ、宜しくお願い申しあげます。
 ちなみに、広島大学直近に実家を持つメンバーというのは、現在3回生で、研究意欲旺盛、実に優秀で将来が楽しみな人です(「推薦状」はすぐにでも用意します)。
 広島県で教育委員会所管の機関に職を得て日本史の研究を続けることを希望する人にとって、下向井先生の研究室に所属するのは理想に近いことなのではないかと存じます。
 また、いずれ安芸の宮島など、ゼミ旅行で訪れたいと存じておりますので、その節はゼミ生同士の交流の機会も得られれば幸いとするところです。
 
 下向井先生は、かつて広島修道高校の教諭をされておられましたが、そのころ、小生も千葉県の公立高校の教諭をしておりました。同じ高校教員の立場(いっぱしの研究を続けるのには実に大変な環境です)で成立期の武士を研究しているということで、ともにシンパシーを感じ、抜刷の交換を致しておりました。はじめてお目に掛かったのは1985年の日本史研究会の大会(於、立命館大学)、中世の部会で元木泰雄先生が御報告をされた時だったと記憶します。
 その後、武士成立史にたいする見解で、いささか意見の分かれるところも生じておりますが、その理由の一端は下向井先生が律令をきちんと勉強され、古代から時代を下る形で御研究を進められているのにたいし、小生は12世紀末の東国から地域を広げつつ遡る形で、それを行っていることに起因するのではないかと考えております。「武士論」については、いずれ胸襟を開いて議論を深める機会を得られればと思っております。
 それはさておき、下向井先生の御担当の講義・演習のタイトルを拝見しますと、当ゼミメンバーにとっては垂涎の的となるものばかりのように思えます。
 
 なお、こちらからも下向井先生にお願いですが、先般、上横手雅敬先生・入間田宣夫先生と小生の連名でお送り申し上げた『源義経 流浪の勇者』(文英堂)ですが、地方書店にはなかなか行き渡っていないようですので、ぜひ大学ないしカルチャーセンターなどにおける御講義のさいに宣伝して頂けると幸いです。

☆☆はじめまして☆☆

No.2820

下向井先生>はじめまして。京女四回の永富絵里子と申します。当HPの管理人をしております。どうぞよろしくお願いいたします。

『紫苑』、お褒めに預かることが出来、光栄です。
巻末の旅行記は去年の今ごろ、同じく当HPの管理人である鈴木君と「あーでもないこーでもないと」我が家で一晩”合宿”をして完成させた物です。
堅苦しい文章ばかりの旅行記では見る人も楽しくないし、書くほうもしんどい(←こっちが重要!)だけだと思い、某ファッション雑誌の1ページをモデルにレイアウトを考えました。(技術面では鈴木君が頑張ってくれました)

私は創刊号、第二号と編集に携わってまいりましたが、最初の頃の予想よりも多くの方々に読んでいただき、反響がある事はとても幸せなことだと思います。
原稿執筆も含め、完成まで先生や仲間とともに試行錯誤した経験は私の学生生活にとってかけがえのない体験です。
これも野口先生の暖かいご指導があったからこそだと思います。(野口先生、ありがとうございます♪)

第三号の編集には私は携わってはおりませんが、後輩の山岡さんが編集を頑張ってくれております。きっと今までのものよりさらにバージョンアップした「紫苑」をお届けできるかと思いますので、そのときにはまたコメントとご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

↑で野口先生もおっしゃっておられますが、いつか広島へゼミで旅行した際には「SHIMOKEN塾」の学生さん方と交流できればと思います。
もし京都御上洛の際にはぜひ当ゼミへお立ち寄りくださいませ(^ー^)

お返事ありがとうございます

下向井龍彦
No.2822

野口先生
Uターン御希望の方に、是非是非、お願いします。
20数年前の共通体験。純粋に、かつ不純に、研究に情熱をぶつけていたころが懐かしいです。
『源義経 流浪の勇者』(文英堂)のお礼、ゴメンナサイ。後遺症が・・・。早速、学生たちに宣伝しておきました。

永富絵里子さま
宮島ゼミ旅行、お待ちしています。私が産湯をつかった音戸瀬戸にも是非。遣唐使船の倉橋島にはおすすめ民宿もあります。

はじめまして、よろしくお願いします。

No.2823

 はじめまして。野口先生の不肖の弟子で、神戸大学M1の山本陽一郎といいます。大学院入学以前の聴講生の時からですが、コツコツと中世武士論を勉強しております。自分のテーマは、利仁流藤原氏の末裔である越前斎藤氏(院政期から鎌倉時代)をテーマとしています。先生の上記の書き込みを拝見しますと、社会・歴史教育と歴史学との連携がテーマであるように、お見受けいたします。この両分野の接点が現実の歴史教育・社会教育に反映しにくいのが現状ではないかと思っています。戦前の歴史教育では、軍国主義イデオロギーの「神話」として利用された事例を考える時、中世武士団は単なる過去のヤクザ集団では片付けられない問題があると思います。イラクへの自衛隊派兵など、きな臭い今日、武士論・戦争と現場の歴史教育との関連性は重要な問題だと思います。このような現代の問題とどのように関連させておられるのか、お聞かせいただけたら幸です。
 また先日当ゼミでは、六条八幡社や西八条第など、京都における武士の拠点を探訪致しました。京都に住んでいますと、六波羅と西八条が近いので、どうしても「平氏の拠点」というとこの2つばかりに目が行き過ぎますが、もう一つの拠点である厳島神社も一度訪れたいと思います。それでは長くなりましたが、失礼致します。

Re: 玉稿お礼、にかこつけて

No.2824

下向井先生

はじめまして。
『紫苑』二号に小文を掲載させていただきました長村祥知です。拙いものですがご批評賜れば幸いに存じます。

不肖の師匠です。

No.2825

 山本君の質問は、とても重大な問題ですから、その御回答はこの掲示板などでは言い尽くせないと思います。いずれ、私的な場で、直接おうかがいする機会をえるべきでしょう。
 ちなみに、ゼミの皆さん。小生には、面と向かってそんな難しい質問はしないで下さいね(笑)。普段の言動及び著書から汲み取っていただければ幸いです。

 >鍛治君 なにしろ「主体的に」動くことが大切だと思います。ただし、自己中心的にならないようにね。そのうち、また昼飯に一緒に行きましょう。

 >野口君 靴は買いましたか?
 本日の史跡散歩、人生の先輩達が楽しみにされていますから、どうぞよろしく。それにしても、貴兄の「足跡」には参りましたね(笑)。
 
 >「足跡」の現場を見たどなたか 『紫苑』に「野口君の足跡」というタイトルで一文を寄せてくれませんか?
 ちなみに、この場合の「足跡」は、「そくせき」ではなく「あしあと」と読みます。 

どうお答えしましょう。

下向井龍彦
No.2826

 私は教育学部で歴史教育を担当しているのではありません。日本古代中世史の授業(「日本史内容学」と言うそうです)を担当しています。中学高校で日本史を教えていくうえで不可欠の歴史学的な・社会科学的な歴史のとらえ方と、授業構成に役立つ内容を、私の授業(「古代の軍事と戦争と外交」「武士成立論」「奈良朝政治史」)を通して学んでほしいと思っています。
 さて山下さん。そもそも「中世武士団は単なる過去のヤクザ集団」ではありません。他の諸身分・諸集団と共通する属性を捨象した武士の「(左記の意味で)本質的」属性は、国家の軍事力、です。ここのところを抑えたうえでしっかり研究してください。
 「戦前の歴史教育で、軍国主義イデオロギーの「神話」として利用」したのは戦前の支配層であり、彼らに奉仕した教育者・文化人集団であり、それを下支えし、講談本に血湧き肉躍って楽しんだのは「帝国臣民」です。中世武士には近代軍国主義に対してまったく責任はありません。責任はこの国の「近代」(「近代日本人」)にあります。近代思想史として、民衆意識史として(さらに中世以降のこの国の歴史意識の問題として)取り扱うべき「武士」像と、客観的研究対象としての平安鎌倉時代の武士がごっちゃにならないように研究をすすめて下さい。そのうえで平安鎌倉時代の武士の軍事力(行使)が、当時の「戦争と平和」に対していかなる意味を持っていたか、また今日の非暴力主義に立つ平和の理論と行動に対していかなる教訓と素材を提供しうるか、それが武士研究・軍事史研究の今日的課題だろうと思います。
 陳腐な意見にガッカリしたでしょうが、以上が、今私が答えうる意見です。こんな陳腐な意見しか持ち合わせていません。

 私は1年後期の講義「戦争と平和に関する史的研究ー日本古代の国家と軍制」の冒頭でベンジャミン・フランクリンの次の言葉を紹介します。

 どんな理由を付けたにしても、正しい戦争というものがあるはずがない。またどんな平和でも、悪い平和というものがあるはずがない。

 後段はともかく、前段は、真理です。また藤木久氏が著書で引用された次の東北地方のことわざも、そこで紹介します。

 七度飢餓に遭うとも、一度の戦に遭うな

 これらの「ことば」をはじめて読んだときの衝撃は、忘れられません。神戸と広島、そう遠くはありません。講義に出ませんか?

 長村さん、論文読ませていただきます。

ゴメンナサイ 

下向井龍彦
No.2827

山本さん。ゴメンナサイ。「山下さん」と書いていました。

ありがとうございました。

No.2830

 中世史の勉強だけでいっぱいなので、近代思想史まで範囲が広がってしまうと未知の分野ですが、がんばりたいと思います。もちろん先生の指摘する中世武士と近代の創った「武士」像をごちゃまぜにすることは無いと思いますが(世代な意味で)、テレビやマスコミが創るものや、また軍記物語からのイメージには注意を要すると思います。時代は変わっても、「武士」に英雄的なイメージを扶植して、創造する営みは、ありますから。ありがとうございました。

下向井先生、はじめまして

No.2831

 HPの技術担当をやっています、京都教育大学情報教育専攻4回の鈴木潤です。
 (教育大学は規模的に弱小ですので、“教育学部”という文字をみるとうれしくなってしまいました)

 当初の想定よりもたくさんの書き込みがあり、わかりにくくなっていますが、記事の投稿時に「暗証キー」を設定すると、後から削除、修正が可能になります。ページの下の方に投稿Noと暗証キーを入力する欄があります。
 投稿内容に訂正がある場合、削除したい場合など(こっそりと)ご利用ください。

 情報・技術教育が専門なので、野口ゼミの学問的な内容には貢献できませんが。ゼミ旅行の運転手やカメラマンなどでお手伝いしています。(旅行記は、地図の著作権関連が一番大変でした...)今後ともよろしくお願いいたします。

>山本さん
 僕の主観的なイメージなのですが、今の学校現場(主に中学校)での歴史教育は「武士」や「英雄」など、じっくり取り組める状況ではないような感じがしました。鎌倉時代も2,3時間ですっとばしている内容でした。
 問題は社会・歴史に興味をもった生徒・学生が、次のステップとして利用する本や教材が少なすぎるということだと思います。
 歴史に限らず、情報や技術に関しても言えることですが、授業以上の内容を調べようとすると、今はインターネットなので得たいの知れない「ニセ情報」が手に入ってしまう。武士に関する曲がったイメージもこのあたりから入り込んでいるような気がします。
 専門的な内容を小中学生にわかりやすく解説できる(質のよい)文献や人間が、必要とされているのではないでしょうか?
 京大の院生が科学技術の生徒向け解説本をつくったっていうニュースが最近ありました。まさしくこういった活動が足りてないんじゃないか?と僕は思います。

はじめまして。

平田樹理
No.2839

 下向井先生、はじめまして。
 今春に京女を卒業しまして、今は神戸大学の高橋先生のところでお世話になっています修士一回の平田樹理と申します。

 祖母の家が広島市内にあるものですから、広島には今もたびたび訪れています。宮島が夏に大きな被害をうけましたが、今現在はどのような状態なのでしょうか。心配です。
 
 野口先生もおっしゃる通り、近いうちに京女のゼミ旅行で広島へ訪れることができたら、と思います。どうぞよろしくお願い致します。

鈴木さん、平田さん、野口先生ゼミの皆さん

No.2861

鈴木さん
京都教育大の学生さんですか。懐かしいです。「学校教育学部」(広島大には最近まで教育学部が2つありました。今は合併して1つ)に赴任して2年目の10年前、はじめて大学院の門を叩いてくれたのが、京都教育大のIYくんでした。平安時代の海賊について立派な修論を書いてくれました。今は地元に帰って公立高校の先生をしています。

平田さん
私は「中区吉島」の住人です。広島にお越しの節は、研究室に寄ってください。

野口先生のゼミ生の皆さん。いくつものお便り、ありがとうございました。ほとんど誰も書き込まない「下向井研究室」掲示板があります。覗いてみてやって下さい。

☆プリンセスのお誕生日ですね☆

No.2801

☆★☆山岡さん、ハタチのお誕生日おめでとう☆★☆
 野口ゼミの2回生も、次々と成人していきますねえ。皆さん色々なことに興味があるようで、見ていて飽きません(笑)ハタチの心意気(!?)については、山内さんの時に言った通りで変わりありません。勉強も遊びも頑張りましょう☆
 次回の研究会の時にでも何か作って持っていきたいと思います。お楽しみに♪

>野口先生
「すばらしいパワーを与えて貰えること請け合いです」とは、過分なお言葉を・・。私に出来ることがあればいいんですが。

お誕生日おめでとう。

No.2802

 「お誕生日、お誕生日」と大騒ぎするのは幼稚園みたいだという観もございますが、しかし、生誕20年周年は法的にも大きな節目。権利と義務を明確に自覚して、前進してください。
 山岡さんは、これぞと思ったら、後には引かず。しかし、誤りに気が付くと、リスクを怖れずに方向修正を果敢に行う人で、その生き方は端から見ていても気持ちがよい。おおいに応援したくなる人です。
 「見ていて飽きません」といわれる田中さんの御意見に同感です。山岡さんのこれからの、ますますのご成長を楽しみにしています。 

お誕生日おめでとうございます!

平田樹理
No.2803

>山岡さん
記念すべきハタチの誕生日ですね。おめでとうございます!
(前回書いてなかったので…→)山岡さんと比べると、二十歳の頃の私は、野口先生にもまだ出会っておらず、山田君の勉強を日々横から見ていただけでした。何という違い…(トホホ)。
遊びも勉強も、と欲張って、青春を謳歌してくださいね!

>野口先生
ご配慮ありがとうございます。利用させていただきます。
何より、京女生が有効に活用し、知識・理解を深め、平安時代に関心を持ってくれたらいいなと思います。

ありがとうございます。

No.2804

 皆様、お祝いのお言葉ありがとうございます。
勉強も遊びもまだまだの私です。これからもいろいろとご教示ください。
昔は二十歳というとものすごい大人だと思っていましたが、実際なってみると大人というには程遠い私です。大人であることをしっかりと認識して、毎日少しでも成長できるように頑張りたいと思います。

お誕生日おめでとう☆

山内 梓
No.2805

 瞳ちゃん、ハタチのお誕生日おめでとう!
 瞳ちゃんの行動力、熱心さ、エネルギーには同回生ながらいつもいつもすごいなあと心から感心しています。ほんとにそのパワーは分けてもらいたいです…。私は二十歳になったからといって少しも成長していないのでこれからも色々と迷惑をかけることもあると思うけど、共に頑張っていきましょう☆

オメデト~ございます!

鍛冶 利雄
No.2806

お誕生日オメデト~ございます!!

多分今日お会いしたの…かな??(まだメンバーの方の全員のお名前覚えてません。ごめんなさい)
もしそうなら、直接お祝いのお言葉送れなくてスミマセン!

これから徐々に皆様のお名前覚えますんで、よろしくお願いします

♪Happy birthday♪

No.2807

遅くなりましたがお誕生日おめでとうございます♪ d(⌒o⌒)b♪
今日エレベーターで「二十歳になると急に体力が・・・」とか言ってましたがそんなことはありません!まだまだ山岡さんはピチピチですよ!!勉学はもちろん、ますます女に磨きをかけて素敵な女性になっていってくださいね!!
「東洋の魔女」ならぬ「東洋史の魔女」としてミラクルパワー(?)で史学科に君臨してください(笑)
そしていつか世界をあっと言わせてくれることを期待しています♪

-----------
鍛冶さん>こんばんは。今日初めてお目にかかりました永富です。京女史学科四回生です。(鍛冶さんのななめ前あたりにピンクのワンピで座っていた者です☆)今日はゆっくりとご挨拶もできずすみませんでした。
またこれからどうぞよろしくお願いします♪

おめでとうございます

岩田慎平
No.2812

 遅くなってすみません。山岡さん、お誕生日おめでとうございます。
 山岡さんは物事への取り組みが真摯なので、一緒に勉強するのにとてもやり甲斐を感じます。二十歳を迎えて更に自信を付けて、一緒に勉強する僕らにより刺激的なプレッシャーを掛けてください。

☆おめでとう☆

尻池由佳
No.2813

 遅くなりましたが、瞳ちゃんお誕生日おめでとう!私は二十歳になって約半月経つにもかかわらず、どこに行っても「高校生?」と訊かれるので、外も内も大人へと成長している瞳ちゃんがうらやましいです。これからも多々迷惑をかけるかと思うけど、見捨てないでくださいね。また、京博の土曜講座などに一緒に出かけたりしましょう!

お誕生日おめでとうございます。

No.2815

 お誕生日おめでとうございます。いよいよ二十歳ですね。というよりまだ二十歳なんですね(羨)。うらやましい限りです。二十歳というと、はるか彼方(スターウォーズのオープニングの「A long time ago」)です(泣)。『吾妻鏡』講読会では、逆に教えられる事も多く、勉強になります。これからも、着実に一歩一歩進んで行って下さい。

遅くなりましたが

No.2821

お誕生日おめでとう♪

 山本さんの書き込みをみると「今は昔」みたいに思えてしまいますが(^^ゞ
 僕にとって、19歳→20歳の間はチャレンジの期間だった気がします。ロボットの大会に出場するために、免許取り立て3ヶ月で夜の東名高速をぶっ飛ばしたり...。大学に仕組みにもしきたりにも慣れてきて、やりたいことをいろいろやりました。

 やりたいことと出来ることのバランスもとれるようになってきて、力もついたはずなので、山岡さんはそのエネルギーを利用してグイグイ先に突き進んでいってくださいね☆

(野口先生の書き込みをみると、経営者の条件にも見えます☆)
ということで、山岡さんにとって充実した20歳になりますように!!

中世都市研究会2005京都大会の予告

No.2800

来年のことをいうと鬼が笑うといいますが、中世都市研究会2005京都大会の御案内をいたします。


関係者のみなさんへ 2004年11月
 中世都市研究会2005京都大会が、2005年9月3日(土)・4日(日)、開催されます。会場は、花園大学(JR嵯峨野線〈山陰本線〉円町駅より徒歩8分)を予定しています。

 本大会は、考古学、文献史学、建築史(都市史)など、さまざまな視角からなされてきた、《中世京都研究のこれまでを総括し、これからを展望》することを目的としています。そして、《京都研究から全国の中世都市研究に発信》したいと思います。
 これは、京都を相対化する試みでもあります。京都しかみないのではなく、京都をより深く理解することで中世都市の本質を明らかにしようとするものです。
 報告は、8~10本を予定しています。テーマは、院政期から豊臣政権期におよびます。
   ○権力と都市、都市王権論
   ○都市空間の広がり・構造と町屋
   ○豊臣期京都の復元
   ○全国流通の中の京都
   ○洛外論~都市と近郊
   ○描かれた京都
   ○都市と自然   (以上、あくまで案です)
 報告者の専攻にかかわらず、それぞれが学際的な研究姿勢・方法を採用することとします。いずれも、すでに一定の研究蓄積があるテーマですが、従来の議論の読み替え、複数のテーマ・方法の融合などを通じて、問題提起的な報告を準備したいと思います。
 9/4には、〈総括と論点提示〉報告のあと、十分な時間をとって、討論をおこないたいと考えています。
 なお、9/3の午前中には、恒例の現地見学会も予定しています。
 大会会場には、中世京都にかかわる図書を刊行している出版社などにもお集まりいただき、まさに、《中世京都研究のこれまでを総括し、これからを展望》するとともに、《京都研究から全国の中世都市研究に発信》する「空間」を演出し
たいと考えています。
 来年1月くらいには、大会テーマ、報告者・タイトルの入った案内を差し上げます。参加申込の受付は、来年春以降を予定しております。
 どうぞ、来年9月には、多数のみなさんが京都にお集まりいただけますよう、いまから御予定、お願い申し上げます。
 ◆中世都市研究会2005京都大会 実行委員会
   委員長  高橋康夫
   副委員長 百瀬正恒
   委員   河内将芳  中村武生  仁木 宏  野口 実  福島克彦  山田邦和  山本雅和
◆問合先  E-mail;niki@lit.osaka-cu.ac.jp(仁木職場)
                     以上
     ▼▼▼ この情報は転送自由です ▼▼▼

研究室に『平安時代史事典』配架しました

No.2799

 >ゼミメンバーのみなさん 学習・研究におおいに御活用下さい。
 >平田さん 京女在学中には間に合いませんでしたが、どうぞご利用下さい。

 卒論・修論・院進学など、いよいよ天下分け目の決戦(注:こういう例えをしてしまうところに、自らの限界を感じてしまいます)の時期が近づきつつありますね。
 今は一年中で最も頭脳の働きの良い季節ですから、先延ばしにせずに、しっかり取り組みましょう(自らも!)。
 
 ☆ 国文学専攻の、とくに新しくメンバーに加わった皆さんへ 当該ジャンルのリーダー的存在である田中裕紀さんが、これまでより、多少時間的に自由になりました。それを利して、いろいろ御指導を頂いて下さい。すばらしいパワーを与えて貰えること請け合いです。
 >田中さん なにとぞ、よろしく。
 
 ※ 下に紹介した『ラグビー 全国大学選手権の歴史』ですが、遠方から入手希望の方がおられましたら、メールにてお知らせ下さい。
 
 なお、ただ今受信した情報によると、角田文衞先生が東京大学で開かれている史学会の大会に御出席とのことです。10日ほど前にポンペイから御帰国になられたばかりとのことで、本当に御高齢にもかかわらず自ら動いて学問に取り組んでおられる姿勢には頭が下がります。

Re:

No.2808

先生、暖かい応援メッセージありがとうございます♪
天下の「分け目」にまだいるのであればよいのですが、すでに分かれて下降線をたどっているのではないか・・・という不安を抱えております☆(>_<)ヽ

気が付けばもう11月も半ば・・・京都駅ビルのツリーもきらびやかな光に包まれております。
はやく卒論を無事提出して楽しいクリスマスを迎えたいと思います☆☆☆
(院試でバレンタインまで苦しむ予定なんじゃないの?!というつっこみは覚悟しておりますよ。もちろん・・・(・・,)グスン)

『ラグビー 全国大学選手権の歴史』

No.2796

 小生の義兄で元早稲田大学ラグビー部監督・小林正幸氏から「ラグビー好きのお父さんをお持ちの学生さんへ」、ということで『朝日新聞で見る ラグビー 全国大学選手権の歴史(40年史)』(朝日新聞社)をたくさん頂きました。お父さんに限らず、ご本人はもとより、御家族・友人にラグビーファンがおられる方には、差し上げますので、研究室にお出で下さい(数に限りがありますから、先着順です)。

Re: 『ラグビー 全国大学選手権の歴史』

No.2797

ごぶさたしております。早速ですが、1冊頂けますでしょうか?
僕はそれほどでもないのですが、父が重度の“ラグビーオタク”なもので・・・(^^;)
本当は僕をラガーマンに育てたかったようですが、根っからの文化系に育ってしまいました。
体格だけはラガーマンに近づいてしまいましたが・・・(完全に見掛け倒しです)。

というわけで、また研究室に頂きにあがりますので、よろしくお願いします!

八井君のラガーマン、似合いそうです。

No.2798

 なるほど、八井君が自ら同大ラグビー部出身と言えば、みんな納得しそうですね。他の大学のラガーマンには見えないところがミソです。
 野球やサッカーと違ってラグビーは大学が一番だと思います。小生は、大学選手権の決勝戦で、早稲田と同志社が顔合わせということになるのを楽しみにしているのですが。
 息子をラガーマンにしたくなる父親の気持ちはよく分かります。
 八井君、たしかに、予約確認いたしました。また、近々、調査旅行についての御助力をお願いすると思いますが、その節はよろしく。

『ラグビー 全国大学選手権の歴史』

岩田慎平
No.2811

野口先生>今日は表題の本を下さいまして、ありがとうございます。ラグビーは父が好きで(観るだけですが)、お正月前後の土日の午後はテレビでラグビーというのが定番でした。
 実は僕はあんまりラグビーはわからないのですが(「ラ式」ではなく「ア式」のほうが好きです)、新聞の紙面がそのまま転載されていますので、その他のスポーツの動向も見えるところが嬉しいです。
 自分が学部生だった頃は大学スポーツの会場へは殆ど足を運ばなかったんですが、運営の大部分を学生さんの手弁当に頼りながら、これほどまで整然と行われてそこそこお客さんも集めてきた学生のスポーツというのは、世界でも稀なんじゃないでしょうか。

岩田様

島田起理子
No.2793

15日の月曜日4限の古文書の講読会に、友達と二人で「一度、見学させて頂きたいね」と話しているのですが・・・よろしいでしょうか?

その岩田です

岩田慎平
No.2794

 お呼びに与りました岩田でございます。島田さん、はじめまして。
 島田さんもお友達もどうぞお出で下さい。あんまりたいそうなことを出来る自信は無いのですが、がっかりされないように頑張ります。

 ところで、「古文書の勉強」に対する需要・みなさんの関心の高さは、大変なものですね。主催者がいちばんびっくりしております。

古文書学入門講座(岩田師範担当)開講

No.2795

 来週15日(月)は3講時『吾妻鏡』(源義経所見条の輪読)、4講時、古文書学講座(第一回)ということになります。たいてい5講時も延長戦が続いておりますので、関心のある方は、何講時からでも遠慮なくご参加下さい。
 岩田君、よろしくお願い致します。

 ☆ なお、あたらしくゼミに参加された京都女子大の学生さんは、MLにメールアドレスを登録しておくと便利ですので、永富絵里子さんにご連絡下さい。

古文書講読お疲れ様でした

No.2809

岩田さん>今日の古文書講読会、どうもありがとうございました。解説も詳しく、丁寧でわかりやすくていい勉強になりました。
来週もどうぞよろしくお願いいたします。m(._.)m

島田さん>こんばんは。永富です(今日の研究会でピンクのワンピを着ていた者です。おぼえてくれましたか???笑)
野口先生もおっしゃっているようにこのゼミの主な連絡はML(メーリングリスト)を使って行っています。もちろん登録しなくてもHP上から内容を閲覧することも可能ですが、登録しておくと島田さんのメールアドレスへ直接連絡が届くので何かと便利かとおもいます。もしご希望であればこちらで登録いたしますのでお手数ですが、名前とメールアドレスを記載の上私のアドレス(↑の名前のところをクリックしていただくとOKです)まで送信していただけますでしょうか?
よろしくお願いします。



お粗末でございました

岩田慎平
No.2810

 今日は拙い話のために実に多くの皆さんにお集まりいただきまして、本当にありがとうございました。内容の拙さもさることながら、時間配分等についての配慮も足りませんで、ご迷惑をお掛けしました。
 これに懲りず、また来週(11/22)の同じ時間も今日の続きを行いたいと思いますので、ご参加いただけます方はどうぞ今日お配りした資料をお持ちの上お越し下さい。

永富さん>帰り路で山本さんや山内さんともお話ししたんですが、今日のようにゆっくりではなく、一度にまとめてたくさん読む練習も必要だろうと思います。そういう機会も、必要とあらば用意しましょう。

岩田さん、お疲れ様でした。

No.2814

 岩田さん、今日は古文書学講座ありがとうございました。
またいつもの『吾妻鏡』講読会のメンバーだけでなく、新メンバーの方も居たので、大盛況でした。自分も今年になってから、古文書学をコツコツと勉強しているのですが、なかなか頭に入らなくて、右往左往していました。今日は、自分も一生徒として聞き入ってました(お手伝いできなくてすいません)。引き続き来週もよろしくお願いします。
またスターウォーズのパンフありがとうございます。来年はいよいよエピソードⅢ(シスの復讐)が公開なので、こちらの方も勉強しないといけませんね。
>平田さん
 すいません。黄門さま借りてます。

岩田さん、ありがとうございました。

No.2816

 古文書の講読会は本当に勉強になりました。いつもいつも岩田さんは私たちのためになることばかり言ってくださるので、毎回多くのことを吸収して帰ることができています。準備は大変だと思いますが、2回、3回と続けばいいなと思っています。これからも良き師範でいてください。
 
 また、山本さん同様、スターウォーズのパンフレットありがとうございました。新たな謎が次々と・・・。勉強会が開かれるときはぜひ参加させてください☆

巡礼記研究会 第一回研究集会のご案内

No.2790

初めまして。慶應大学にて『平家物語』等を研究しております大橋直義と申します。
とつぜんの書き込みにて失礼いたしますが、12月18日(土)に慶應大学(三田)で行います巡礼記研究会の告知をさせてください。

巡礼記研究会 第1回研究集会 共催 慶應義塾中世文学研究会

会場  慶應義塾大学三田キャンパス 西校舎1階512番教室
交通  JR山手線田町駅/都営浅草線・三田線三田駅徒歩10分 
日時  2004年12月18日(土) 午後1時~午後5時45分

〈研究発表〉
高橋悠介氏 東京大学大学院
   比叡山の巡礼記の一齣から ――根本中堂前の竹台をめぐって――

舩田淳一氏 佛教大学大学院
   中世南円堂言説の世界  

牧野淳司氏 日本学術振興会特別研究員
   寛治二年白河院高野御幸をめぐる言説の諸問題

〈講演〉
近本謙介氏 天理大学
   治承の南都回禄をめぐる〝うごき〟


研究会趣旨  
寺社とそのネットワークにおける聖教・外典注釈・縁起等の言説は、日本文学研究の現状での一焦点である。この中で、霊地を「巡礼」する営為、およびそのテクストとしての「巡礼記」を検討・定位することは重要な課題のひとつである。それは、中世の世俗社会とその権力のあり方ともかかわりつつ、同時に〈南都〉〈高野〉〈熊野〉〈四国遍路〉〈西国三十三所〉といった宗教空間をくみこんでいる世界観の把握につらなってゆく問題でもある。本研究会は、このために、文学・史学・思想史学・美術史学といった既存の学問的枠組みにとどまることなく、日本中世におけるその他の領域を横断・結合し、主に中世諸巡礼記の視座から、日本中世の知の解明の一端をになうことを期している。


連絡先
108-8345 港区三田2-15-45 慶應義塾大学文学部 岩松研吉郎
TEL:03-3453-4511 内線 23093 ダイアルイン 03-5427-1175
FAX:03-5427-1578
MAIL:naohashi@k2.dion.ne.jp(大橋直義)

お忙しい時期とは存じますが、会場準備の都合から、ご参加いただける場合には大橋宛にメールにてご連絡をお願いできればと存じます。
なお当日は、研究会会誌『巡礼記研究』第一集をお配りする予定でいます(内容は、大橋・内田澪子氏による『建久御巡礼記』新出伝本翻刻各一篇、さらに藤巻和宏氏と恋田知子氏による論考各一篇等となっております)。

長々と失礼いたしました。

恩師の至言。

No.2791

 大橋さん、貴重な情報をありがとうございました。大橋さんには小生をはじめ、田中さん・門屋君が平家物語研究会でいつも御世話になっております。
 田中さん・門屋君はもとより、歴史専攻でも都合のよい人は出席されたらよいと思います。
 小生の恩師・貫先生が下に紹介した論文(『鎌倉』84号掲載)にこんな事を書いておられました。
 「私が本当に問題としたいのは、国史学者また国語・国文学者が相互に相手の業績に無頓着なことである」。
 至言だと思います。

 ☆ 山岡さんはじめ、ゼミのメンバーのみなさん  待望の、大枚をはたいて購入した『平安時代史事典』3冊、本日到着致しました。目下、事務サイドで登録作業をしていただいていますので、配架まであと少しお待ち下さい。

いつもお世話になっております

No.2792

 大橋さん、いつもお世話になっております。掲示板へのご登場をお待ちしていました☆これからもどうぞお越し下さいませ。今回は無理かもしれませんが、出来るだけ都合を付けて参加させて頂きたいと思います。他にも研究会を立ち上げられた研究者の方から、こうした書き込みが増えるようになればいいですね。
 それにしても貫達人先生の
>「私が本当に問題としたいのは、国史学者また国語・国文学者が相互に相手の業績に無頓着なことである」
とは、本当に至言だと思います。そして、この掲示板が密かに有名な理由なのだと思います☆(この掲示板のヘビーユーザーである研究者の皆さまが、密かに多いという話を良く耳にします。私としてはそうした方々からもっとたくさん書き込んで頂きたいと思います。特に国文の研究者の皆さま、よろしくお願い致します☆)

源氏史跡見学。山本君お疲れさまでした。

No.2785

 本日は京都六条から九条に点在する源氏関連史跡の見学を実施。好天に恵まれて、有意義な一日でした。
 先ず第一に、とくに拝観をおゆるしいただいた大通寺様にお礼を申し上げなければなりませんが、この見学会の実施に当たっては、日程や資料作成など雑事を一手に引き受けてくれた山本君の活躍が大きかったと思います。資料作成に御協力いただいた山田ちさ子さんもありがとうございました。
 初参加の大内さんや大川さん、如何でしたでしょうか?
 
 ☆ 今度は田中さんの御案内で、歴史資料館にも行ってみましょう。
 
 ☆ 以前御紹介した、角川源義・高田実『源義経』(角川新書、1966年)ですが、講談社から文庫本で近く再刊されることになりました。これは、たいへんすぐれた内容の本ですので、大いに御期待下さい!

Re: 源氏史跡見学。山本君お疲れさまでした。

No.2787

山本さん、皆様おつかれさまでした。

私は見学会後、早々に失礼いたしましたが、懇親喫茶の会ではお話弾んだことでしょうね。次回もあれば楽しみにしております。

どうもありがとうございました&お疲れ様でした。

No.2788

 みなさん、今日はお疲れ様でした。幸にも天気にも恵まれて、絶好の史跡探訪日和(?)でした。以前から行きたかった六条八幡宮社や大通寺さん、そしてそこでご対面できた源実朝公。今日一日本当に有意義に過ごせ、京都で歴史を勉強する醍醐味を味わった一日でした。拙い幹事でしたが、大通寺さんの御住職をはじめ、その拝観の機会を作っていただいた野口先生、詳細な地図作成(負けました)から道案内まで助けていただいた山田さん、そして国宝である西本願寺唐門の案内や裏道を教えていただいた坂口さんなど、本当にご協力いただきありがとうございました。また遠方よりお越しいただいた高重先生や大内さんや大川さんなど3回生をはじめ、参加していただいたみなさん、本当にありがとうございました。
 今日まわった場所は、『吾妻鏡』だけでなく、当然『平家物語』の舞台でもありますので、これからの勉強や講読に役立てていただければ、幹事冥利につきます。
 次の企画は、今日お昼を食べた梅小路公園の芝生でバトミントン大会か何かしたいです(個人的感想)。

元木先生、自著を語る。

No.2770

 『ミネルヴァ日本評伝選通信』8(2004.11.1)に、「殺生放逸 朝家の守護 元木泰雄氏『源満仲・頼光』を語る」が掲載されています。元木先生ファンは必読でしょう。本屋さんで貰えると思います(山岡さんにお願いする?)。
 なお、この号にはミネルヴァ日本評伝選読書感想文コンクール選考結果も掲載されています。元木先生の『源満仲・頼光』の感想文が一等賞と佳作に2点入っていて、計3点は最多です。読者数もインパクトもそれだけおおきかったのだと思います。

 ☆ 本書、増刷される由、流石です。

足利尊氏建立の後醍醐天皇の霊廟遺構

No.2765

 京都市右京区嵯峨の天龍寺旧境内で足利尊氏が建立した後醍醐天皇の霊廟「霊庇廟」と見られる遺構が確認されたという報道に接しました。現地説明会は明7日、午前10時より。
 詳細は↓を御覧下さい。

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2004110500246&genre=M2&area=K1H

Re: 足利尊氏建立の後醍醐天皇の霊廟遺構

No.2768

野口先生
京都新聞には触れていないようなのですが、朝日新聞の朝刊には、後嵯峨上皇がつくった亀山殿の桟敷殿跡らしき遺構が発見されたともありまして、西山良平先生のコメントが載っています。てっきり前の嵐亭脇と思いこんでいたのですが、違うのですね。明日は推薦入試で行けないので、明後日行く予定です。後醍醐霊廟=亀山殿桟敷殿なんでしょうかね。だいたい桟敷殿というのをよく知りません。明日現地説明会に行かれた方、情報をください。
しかし、京都の発掘は風雲急を告げている感じで、なかなか追いつけません。もう一度、来週宇治にも行く予定です。前の部分の南側が気になるのです。

亀山殿の桟敷殿跡に霊廟造営ですね。

No.2769

 美川先生、御無沙汰しております。今回の遺構は、先生が嵐亭の隣接地の現場に出かけられたときに、先に行かれた現場から検出されたもののようです。
 小生、このところ出不精になり、明後日の史跡見学会のように連れて行ってもらわないと、なかなか出かけなくなりました。今回も時代が関心よりもすこし後なのと遠方なことから、明日は机上の仕事に専念するつもりです。美川先生同様、行かれた方の情報提供を期待いたします。

Re: 足利尊氏建立の後醍醐天皇の霊廟遺構

No.2773

大阪在住の大村と申します。野口・美川両先生、ご無沙汰しております。本日の説明会に行って参りました。
亀山殿桟敷殿は文献からの比定で、鎌倉後期の整地層と若干の遺物が出土したのみです。なお遺物に小ぶりの瓦があることから檜皮葺き建物が存在していたとされます。なお柱穴はありません。
霊庇廟は「山城国臨川寺領大井郷界畔絵図」からの比定で、柵列と柱穴一つが出土したことから、絵図に描かれている柵列と鳥居の一部ではないかと推測されています。
なお記者発表で後醍醐を祀るとしたのは誤りで訂正して欲しいとの説明が当日ありました。
説明会資料は京都市埋蔵文化財研究所で公開されると思います。

Re: 足利尊氏建立の後醍醐天皇の霊廟遺構

美川圭
No.2775

大村先生、ご無沙汰しております。玉稿の亀山殿について、参考にさせていただいており、ありがとうございます。
今回も情報をありがとうございます。
ということは、後醍醐を祀っているかどうかは、不明ということですね。とにかく、明日行ってみます。

都市的空間としての中世嵯峨の評価。

No.2776

 大村先生、書き込みをしてくださり、ありがとうございました。現説に行く人がいたので、先生の御高論「中世嵯峨の都市的発展と大堰川交通」(『都市文化研究』3号、2004年)を事前学習用に紹介したところでした。
 現説で後醍醐を祀るとしたのは誤りで訂正をされたというのは、なにか意味深ですね。「祀る」ということの評価(意味)の問題でしょうか?この辺りについて、もうすこし知りたいと思いました。
 なお、本日の現説に行く人に参考資料として渡したのは、上記の大村先生の御高論と、もう一つは、山田邦和先生が本年度の前近代日本都市論研究会で報告された「中世都市嵯峨の展開」のレジュメです。「巨大都市複合体」としての中世京都を構成する最重要の衛星都市として嵯峨(天龍寺門前、上嵯峨・下嵯峨)を評価されたものです(これは復元地図がスゴイ)。
 交通機能に着目された大村先生の御研究と、嵯峨を後嵯峨・亀山皇統の院政王権都市として評価された山田先生の御研究は、中世都市(都市的空間)嵯峨に対する今後の研究のベースをなす車の両輪になるものと思います。
 >永富さん  大村先生の御高論は角倉了以の保津川開削の話で締めくくられています。

 >みなさま  当ゼミ機関誌『紫苑』第1号(2003年)には、永富絵里子「角倉了以について」が掲載されています。

 >大村先生  これからも、どうぞ宜しくお願い申しあげます。京女へも、ぜひお出かけ下さい。

 >美川先生  明日の調査レポート期待いたしております。

亀山殿と中世都市嵯峨

No.2778

野口、大村、美川各先生、こんばんは。
今日は日本考古学協会の大会で広島に行って呑んだくれていたので、天龍寺・亀山殿の現説に行けず、残念。

>大村先生  埋文研が「霊庇廟が後醍醐を祀る」と言っていたのを撤回したのですか。やっぱりね~。おかしいと思っていたよ~。霊庇廟は天龍寺の鎮守八幡宮ですから

>美川先生  亀山殿の桟敷殿は、『増鏡』に「河に臨みてさじき殿造らる」、『五代帝王物語』に「大井河嵐の山に向て桟敷を造て」とあるものです。後嵯峨法皇は嵐山に吉野の桜をいっぱい移植してきたということですので、桟敷殿から大堰川を隔てて嵐山の桜を見るのは、それは綺麗だったでしょうね。

>野口先生  中世都市嵯峨の研究は、いくつかに分けて公表するつもりです。第一弾は、「院政王権都市嵯峨の成立と展開」(吉井敏幸・百瀬正恒編『中世の都市と寺院』所収予定、東京、高志書院、2005年3月刊行予定)で、ここでは亀山殿時代の都市嵯峨の復元とその意義を論じました。室町期の嵯峨については稿を改めるつもりです。乞ご期待?

Re: 足利尊氏建立の後醍醐天皇の霊廟遺構

No.2781

山田先生、おはようございます。
さっそく的確なコメントをありがとうございます。
「桟敷殿」と「霊庇廟」についての根拠となる史料を調べようと思っていたところなので、こう書いていただいて、ほんとうに助かりました。おかげで、後醍醐云々、などの問題の疑問も氷解しました。山田先生の玉稿を首を長くして待ちたいと思います。これで、私も鎌倉後期の仕事にも復帰できそうです。
これから、現地に行ってきます。

Re: 足利尊氏建立の後醍醐天皇の霊廟遺構

No.2783

野口先生
過分な紹介をしていただいてありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。

山田先生
当方の説明不足を補っていただきありがとうございます。霊庇廟について先生のような意見があり、撤回されたようです。

Re: 足利尊氏建立の霊庇廟遺構

No.2784

今朝、現地へ行ってきました。
詳しくは、京都市埋文のHPを御覧ください。
http://www.kyoto-arc.or.jp/

印象では、霊庇廟の遺跡であることは、ほぼ確実です。
ただ、亀山殿の遺構ではあると思いますが、桟敷殿であるかどうかは、わかりません。大堰川を隔てて嵐山の桜がきれいなのは、あの場所に限定できないですから。何か、桟敷殿である根拠があるのであれば、ご教示をお願いいたします。私には、今のところ、よくわかっていません。