平安衣装

No.268

今日レポートの息抜きに旅行ガイドをみてて知ったのですが、二日目に行く予定の大門坂茶屋というところで千円からの値段で平安衣装(旅装束などかと思いますが?)の貸し出しを行っているそうです。

ただ、夏場は土日しか営業していないらしいのですが、せっかくなので「団体でいくからあけていただけませんか?」と駄目モトで電話して交渉してみようかと思うのですが皆様どう思われますか?

私としてはおもしろそうなのでぜひ着て見たいとおもうのですが、希望者が少なく「そんなことしたくない」という人が多いのであればこの案は却下し、交渉もしないでおこうかとおもうのですが・・・
皆さんのご意見きかせてください。
(交渉しても駄目な確立のほうが高いですが。。。)

講演会&雑感3

No.258

何故か夏バテ(?)気味で、行動がいまいち遅いです。
そのせいで最近書き込みしていませんでした。
今日、花園大学の講演会に聞きに行ってきました。
京楽真帆子さんの講演だけですが、牛・牛車という当時の日常の生活用具・道具をめぐる当時の人的ネットワークの結びつきや政治的ページェントの場としての平安京という視点がとても刺激的でした。牛車=貴族がゆったりと乗る乗り物というイメージしか湧か
なかったですが、その牛車の中やそれが集まる道なども政治的舞台装置として活用していた道長の政治力には脱帽です。
あと牛を贈与することによる家司や武士などとの主従関係など
にも触れていました。ただ当時の上級貴族と武士との主従関係は、荘園制などの荘官職や諸国の受領などを通して形成されるだけでなく、同じ空間を共有することでも形成されるものなのか少し疑問でした。あくまで副次的なものなのではないかなと思います。
あと野口先生の奥様もお見えになっていました。挨拶しようとおもったら、京楽先生の方へ行かれてしまい、挨拶しそびれました。
それにしても、研究者同士の夫婦って意外と多いんですね。
平安時代だけでなくそういう方の現代の「人的ネットワーク」の結びつきの方も勉強しないといけいないなと痛感した一日でした。
>野口先生
この前の事前学習会でお聴きしたい事があったでんすが、
夏休み中は大学には普通どおり来ていらしゃるんでしょうか?
あと先生、時代劇ネタ(下の先生の『頭が高い・・』など)が通じるのは自分を通じて年配方だけのような気がします(笑)。
(例外・滑川さん)
>高木さん
前回の事前学習会の曼荼羅の絵解きはとてもおもしろかったです。
住職を立派に継承できるんじゃないんでしょうか?
あと補陀楽山寺にある「泰澄」の墓の件よろしくお願いします。
>長村くん
史料もう集めちゃったの?あとでコピーさせて下さい。
だんだん清盛没後の宗盛みたいになってきた。うわー。
長村くんが平安遺文で集めたのなら、市町村史ので集めようかな。
>田中さん・野口くん
先日の史跡見学会行けいなくてゴメンナサイ。
『真如堂縁起絵巻』は模写だったの?
実はかぼちゃは大好物なんです。それの方がすごく残念です。
この書き込みいろんな人が書き込みして見ているのでうかつなこと
書けませんね。(例・京楽真帆子さんは美人だったなど)
ながくなりましたが、このへんで。


講演会

No.260

京楽真帆子さんの講演会行きたかったんですが、この1ヶ月間の過酷な肉体労働(どうやら月間120時間を超える労働をしていたようです)で8月の旅行etc...の為の荒稼ぎをしていたツケが回ってきたのか、昼まで家でのんびり本を読み、昼から学校に行って熊野のお勉強という実におとなしい一日を過ごしてまして、行くのを辞めてしまいました。もはや一日休んだくらいでは完全回復は出来ませんが・・・そろそろ長老の仲間入りですかね??・・・熊野で若さをアピール出来れば良いか(^v^)
 また今度会ったときに詳しいお話を聞かせてください。
 さて、先日の真如堂見学会ですが、模写だったのですよ。絵の横に座っていたお坊さんがおっしゃってたので、これは確実です。それにしても、そのお坊さんは「応仁之大乱」って詞書に書いてある絵を長い棒でさして、「これが応仁の乱です」・・・わかってます。という感じでした。安楽寺のカボチャはかなり美味しかったですよ☆(←ただの自慢)安楽寺でHPを作っているという人から4人の写真を撮られました。今度URLを書き込んでおきますね。「たぶん載ります」って言ってたので。

熊野詣ツアーへの提言

No.255

野口さん、初めて投稿します。近藤です。たまに覗かせて貰っています。ところで、熊野ツアーの計画書を拝見しました。現在、私は、歴博の仕事で、速玉大社の古神宝類に関わっており、先週も速玉大社に2度目の出張をし、ついでに那智と本宮にも廻ってきました。その経験から、余計なお節介かもしれませんが、新宮について少しアドバイスをしたいと思います。まず、徐福公園は、まあ行ってみれば分かりますが、行く価値はまったくありません。ただ、行ったとしても、見学に5分と掛かりませんが。それよりも、速玉大社の摂社である阿須賀神社に行き、そこに併設されている歴史民俗資料館に行かれることをお勧めします。発掘品ですが、多数の御正体鏡(懸仏)が展示されていて、そのなかに平安時代に遡るものもあります。また、神倉神社が予定されていますが、そこに至る石段は私でも這い登るほどの急勾配の石段で、女性では登るのが無理な人が出るかもしれません(野口さんでも無理かも)。少なくとも、ハイヒールやサンダルでは登るのは無理かと思います。なお、新宮は狭い町なので、駅を起点としてどこでも大抵は徒歩で行けますが、ただ、到着がお昼なので、計画を全部消化するとなると、かなり時間が掛かると思います。そうなると、紀勢本線は本数が少ないですから、帰りの電車の時刻をしっかり確認したうえで、計画を立てたほうが良いかと思います。
以上、余計なお世話を申しあげましたが、ご参考までに。

提言お礼。

野口実
No.256

 近藤さん、貴重な情報をありがとうございました。國學院御出身の歴史研究者はやはり、神社には詳しいのですね。青学出身者は教会ということになるのでしょうか? 
 ところで、みなさん、すでにお気づきのことと思いますが、この近藤さんは、あの箱入りの(余計でした)大著『中世的武具の成立と武士』の近藤先生ですぞ。武士論を志す山本君、「頭が高い控え居ろう・・・」です(時代錯誤)。
 それにしても、阿須賀神社の歴史民俗資料館は一見の価値がありそうですね。ということで、永富さん(今回は本当にご苦労様です。レポートがんばってください)、初日の日程を再検討してみたら如何でしょうか。もっとも、野口は伊勢路から車で参りますので、新宮に着くのは何時になるか分かりません。美川先生のご一行も、この日はどこに行かれるのでしょうか。
 神倉神社の石段というのは、挑戦してみたいですね。そういえば、タイのある寺院の石段もひどい急傾斜でした。史跡巡りも若いうちです。
 近藤さん、また何かありましたら、書き込みをお願いいたします。それにしても、今夏、御上洛がないのが残念です。

元木先生からの提言。

野口実
No.257

 近藤先生から貴重な御提言を頂きましたが、実は7月9日にメールで、京大の元木先生からも、熊野旅行についてのアドバイスを頂いていたので、ここにご紹介いたします。(私信の公開で、元木先生には恐縮ですが)意味深いものですので、今回は生かせないと思いますが、本宮の見学も含めて次回の参考にさせて頂きましょう。 元木先生からのアドバイスは以下の通り。
  「できれば勝浦の島巡りをされるとよろしいかと存じます。も  ちろん、景色も素晴らしいのですが、同時に海上から見た那智  の山並みも面白いし、外洋に出るあたりの波の激しさは、補陀  落渡海の苦行を彷彿とさせます。一部外洋に出たあたりに維盛  入水の伝承があるのもむぺなるかなと思いました。」

控え居ります

No.259

いつもお話にお伺いしている近藤好和先生からのカキコミなんて!!と、いまパソコンの前で大騒ぎしていたら、母を驚かせてしまいました。
 近藤先生、はじめまして。同志社大学大学院(国文)M2の田中裕紀(タナカユウキ)と申します。貴重な御提言、本当にありがとうございます。「這い登る」ほどの石段とは・・・心と体の準備をしていきます。
 2月の鎌倉旅行の時に痛感したことですが、行ったことのない土地を巡る計画を立てるというのは、本当に難しいことです。(最初に私がたてた計画は、岡さんにケチョンケチョンにされてしまいました(泣))そういう意味でも、永富さん今回は本当にご苦労様です。さて、しつこいようですが「這い登る」ような石段だそうですよ。・・・称名寺(ーー;を思い出しますが・・・皆さんスニーカーに両手の空けられるカバンで行きましょうね。

Re: 熊野詣ツアーへの提言

No.261

はじめまして。今回の熊野ツアーの幹事を担当させていただいております京女史学科三回の永富絵里子です。貴重な情報をありがとうございました。やはり土地観のある方からの情報はとても有難いです。
初日のコースについては先生からの情報を踏まえて早急に再検討したいと思いますので、また決まりましたら訂正版の日程表をここにアップさせていただきたいと思いますのでまたよろしくおねがいいたします。

いまざっと考えてみたのですが、徐福公園と新宮城をはぶいて阿須賀神社の歴史民俗資料館を速玉退社の後に入れるというのはいかがでしょうか?
皆様からのご意見お待ちしております。(ここにレスしていただけると助かります)

野口先生>今日は突然お邪魔しましてすみませんでした。お土産、しっかりいいものを選んでまいります。美川先生御一行の6日の予定については、後で連絡をとってみて分かりましたら先生にお知らせいたします。
田中さん>称名寺・・・名前をきいただけであの悪夢がよみがえります(*_*)岡さんに「今度までに体を鍛えておけ」と言われたものの、私は相変わらず何もしておらず運動不足のままなのでちょっと心配です。今から豊国廟の階段で鍛えておくべきでしょうか・・・☆(たぶんやらないけど)
ゼミ旅行にスニーカーは必須ですね!あと日焼け止めもお忘れく!!

控え居ります2

No.263

はじめまして。同志社大学の山本(陽一郎)と申します。
先生はご記憶に無いかと存じますが、以前京大の集中講義で中世の武器・武具論の授業に野口先生のコネでもぐらせてもらったものです。あの時は部外者のものでしたけど本当にお世話になりました。
ナイトメアー2か。称名寺再びですね。
でも図録が無い分マシでしょう(希望的観測)。




Re: 熊野詣ツアーへの提言

美川圭
No.264

美川です

美川一行は、私の一存で、勝浦の島巡りを考えておりました。
別に、元木さんのような立派な動機から、というより、私が舟が好きである、とか、波が荒いとさらに喜ぶとか、いった理由からです。
元木さんの「学問的」裏付けをえて、その予定が確固としたものになりつつありますが、「反対」で挫折することも考えられます。

島めぐり観光船

No.266

せっかくの元木先生からいただいた情報なのですが、http://www.kumanogenki.com/osusume/taiji/index.html
にあるように紀の松島めぐり観光船は現在営業を停止してしまっているようです。(詳しくはhttp://www.google.co.jp/searchq=cache:ddKGCgpsvi0J:www.nankai.co.jp/company/keiri/pdf/030425b.pdf+%E7%B4%80%E4%BC%8A%E5%8B%9D%E6%B5%A6%E8%A6%B3%E5%85%89%E8%88%B9&hl=ja&ie=UTF-8
鈴木君とも観光船がいまも営業していたら三日目の朝にコースに追加できたのにねと話しておりました。
残念です。

やはり島巡りはつぶれてました

美川圭
No.267

永富さん。美川です。
貴重な情報、ありがとうございます。
さっき、ホテル浦島に電話したら、やはり遊覧船は5月31日でなくなったようです。30年も昔に、勝浦に行って、島巡りしたのですが、あのころは勝浦、とてもにぎわっていました。10年ほど前に行ったときは、もう閑古鳥が鳴いていました。今はもっとさびれているのでしょうね。巨大ホテル路線温泉の失敗例といえましょう。ホテル浦島は30年前にも泊まったのですが、当時は夢のような豪華温泉旅館でした。それがどんな変貌をとげているのか。
とにかく、6日の予定を考え直してみます。

熊野詣ツアー実施計画書

No.253

旅行の暫定的な行程表ができました。
http://donkun.ath.cx/~sion/event/kumano.pdf
へアップロードしましたので、
各自ダウンロード&印刷をお願いします。

レポート締切。

野口実
No.252

 京女の野口担当演習履修生の皆さん、いよいよレポート締切日になりました。NO220・227でご確認下さい。
 ところで、熊野詣で盛り上がっている昨今ですが、京女の近くにも熊野があるのをご存じですか。今熊野神社はよく知られていますが、そのことではありません。その東南にある泉涌寺に隣接して今熊野観音寺という寺がありますが、この山号は那智山というのです。
 安元二年四月、後白河院は「法住寺殿内東南山上」に九間三面の精舎を建立し、千手観音像を安置しています。戸田芳実氏は観音寺こそ、その後身と考えています。今熊野社を本宮とし、東南の山を那智山に見立てたという見解です。くわしくは、同氏『中世の神仏と古道』を参照してください。
 しかし、そうなると法住寺殿内に営まれた熊野信仰の空間は想像以上に広大なものであったことになります。たしかに、今熊野宝蔵町など、気になる地名がこのあたりには広がっていますね。 
 戸田氏の説かれる「歩いて学ぶ歴史」に共鳴して、私も昨日、今熊野観音寺を訪れてみました。京女から南へ歩いて20分ほどで、目的地にたどり着きました。本堂の横には平安時代の古石塔があり、墓地には藤原忠通・慈円・長家のものと称する三基の墓塔ものこされていました。
 さて、ほんものの熊野ですが、先日、都立大の川合先生からメールで直接伺ったところでは、川合先生のゼミは来年の三月に熊野参詣を挙行するそうです。中辺路の滝尻から近露(近露泊)、近露から本宮(湯の峯泊)というコースで二泊三日くらいで歩くのだそうです。流石ですね。
 なお、昨日はパソコンのことで、また鈴木君にご迷惑をおかけしました。ありがとうございました。

いまくまの

No.254

同じ時間に投稿ですね...>野口先生

新熊野神社、今熊野観音寺、
どちらも私の父の同級生のいるところらしいので
もしなにかあれば、いつでも呼んでください。

>なお、昨日はパソコンのことで、また鈴木君にご迷惑をおかけしました。ありがとうございました。
接続不良の件は、ニュースにもなっていたのですが、
プロバイダのOCNの回線障害が原因でした。
無事解決してほっとしました。


Re: レポート締切。

No.262

今熊野観音寺、そんなところがあるなんてすぐ近くにいながら全然知りませんでした。レポートが無事提出できたら一度行ってみたいと思います。
河合ゼミの熊野詣もなかなかハードそうですが、いつか機会があれば我がゼミでも「熊野古道を歩くツアー」が実施できればいいですね。今回は日程の都合上本宮大社へは行けませんが、ぜひ熊野三山を制覇すべくいつか行きたいものです。

相馬御厨+α

長村祥知
No.251

山本隊長、『平安遺文』の該当個所のコピー完了しました。

No230で呼ばれたようなので、能楽ネタを少々。
(学問と直接関係無いですが、現代に伝わる中世文化の一端なので、是非一度ご覧になられることをお薦めします)
私が狂言やってる同志社の長村です。同志社EVE能が、
11月28日に開かれます。能3曲に、狂言2曲(うち一曲は僕が主役させてもらいます)、他仕舞・舞囃子多数。
我々出演する側は真剣で、しかも無料なので、どんなもんか観てみたいと言う方にはちょうど良いかも、です。
詳細が分かり次第また連絡させてもらいますね。

Re: 相馬御厨+α

No.265

こんにちわ。はじめまして。
長村さんって同観能で花月の間狂言だった方ですか??
間違ってたら御免なさい↓

能楽ネタ再び

長村祥知
No.271

はい。花月のアイやらせてもらったのは私です。
観に来てくださったんですか、ありがとうございました。
あのときは相当体調が悪かったので、まともに演じられていたか不安です・・・
そうそう、11月28日に僕が出すのは、「朝比奈」です。
かの和田義盛と巴の子という伝説があり、『吾妻鏡』には和田合戦で死んだとも、逃れて行方不明ともある人物です。

真如堂報告

No.248

 本日、真如堂→安楽寺→法然院→金戒光明寺→下鴨神社と、野口くん、末松さんそして私と私の友達と4人で回ってきました。メインは真如堂・安楽寺・下鴨神社で、それぞれ暑気払いの「びわ湯」(苦くて甘くて不思議な味でした)や中風封じの「鹿ヶ谷かぼちゃ」(これはとても美味しかったです☆)、無病息災を祈る御手洗川への足付け神事と、題して「無病息災3点セット」(笑)。真如堂はお宝の宝庫でしたし、安楽寺でも松虫・鈴虫の剃髪の図や九相図なんかもあり、かなり充実した時間をすごしました。特に真如堂には後醍醐天皇の寄進した仏舎利とその事を書いた綸旨や、狩野探幽の掛け軸なんかも出ていて、見応え十分という感じでした。明日は土用の丑の日です。イベントも楽しいですが、暑さに負けないようにウナギを食べて頑張りましょう。
 →野口先生。
 今日は、名乗るのをすっかり忘れてお電話してしまいまして、本当にすみません。ところで、今日真如堂で「伊勢守貞國」の図像を見ました。着物の柄に向かい合わせの蝶が描かれていました。先日の講演会での一般の方の質問も合わせて、伊勢平氏の一族かと思って先生にお伺いする前に調べてみると、ビンゴ!室町幕府政所執事を世襲するようになって3代目の伊勢氏でした。系図はニガテですが、「面白いかも」と思った出来事でした。
 →山本さん
 真如堂の縁起は写しでした。残念でしたが、他に見るものがいっぱいでしたよ。

Re: 真如堂報告

野口実
No.249

 伊勢氏の家紋が向かい合わせの蝶であることは『見聞諸家紋』に出ています。伊勢氏は伊勢平氏の子孫ですが、平家か揚羽蝶の家紋を用いたかどうかは分かりません。系図は面白いですよ。実は私は系図オタクのなれの果てなのです。高校生の頃は、源平嫡流は言うに及ばず、下総千葉氏も桓武天皇から天正18年の滅亡まで、覚えていました。今は人の名前は忘却あるのみです。だから、学問をするには旬があるというのです(説教)。
 今日は一日研究室に居ましたが、村井さんをはじめ、千客万来でした。夕方、朝日カルチャーセンターの史跡見学の講師を終えられた花園大の山田邦和先生が来室され、歓談に時をうつしました。

夏休みを前に。

No.246

前期試験も終わりに近づき、レポートも提出して、いよいよ夏休みに入りますが、この時期になると、とくに1・2回生の学生さんから、研究の仕方とか、古文書が読めないがどうすればよいかとか、学芸員になるにはどうすればよいのか、などというご質問を頂きます。私なりの考えもあるのですが、これらについて参考になるHPがありますので、紹介しておきます。是非、御覧になって下さい。
 名城大学 伊藤俊一先生のHP
  http://toshiito.cside.ne.jp/
立命館大学文学部日本史専攻のHP
  http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/jh/

Re: 夏休みを前に。

滑川敦子
No.250

立命の日本史専攻のホームページは、2001年以来更新されておりません(大根田氏@阪大がまだ3回生)ので、文学部のホームページにリンクされているものの、忘れ去られてしまった存在です。ウチの大学の学部生でも知らない人が多々います。研究入門のページを見る分には差し支えないかと思いますが。
教員紹介は画像付きです。ご一覧あれ。
自主ゼミコーナーのページもヨロシク♪
因みに私は中世史料研究会・町触研究会に所属しています。
学外の方も歓迎しておりますので、興味有る方は気軽におっしゃって下さいね。最近、立命の自主ゼミは新入生がなく存続危機にさらされています(涙)。
先生がウチの大学のホームページを紹介していらっしゃいましたので、ついつい嬉しくなって書き込みしました。失礼しました。

事前学習会の日の訂正

No.240

メーリングリストでもお知らせしたのですが、
先日、誤って26日とお伝えしましたが、
30日の誤りです。場所と時間はおなじです。
(30日・ガスト烏丸丸太町店・午後6時)
ゼミのみんなさん本当にごめんなさい。

Re: 事前学習会の日の訂正

末松
No.242

すみません。その日は無理なので欠席します。
携帯で返信できなかったので、こっちに書きました。

Re: 事前学習会の日の訂正

滑川敦子
No.243

ワタクシ、もしかしてエライ勘違いをしていたかもしれません!!
先日、日本史研究会の中世史部会終了後に山本さんと長村君と三人で話し合っていたのは確かですが、30日に報告するという事になってたのでしょうか?てっきり報告順番を決めるのが30日かと思っていましたが…。その辺りを確認させて頂きたいのですが…。

Re: 事前学習会の日の訂正

No.245

30日の件は、ゼミのみなさんに報告というのではなく、
あくまで、三人で決めたパートの経過です。
それに参加できる人はして欲しいの意味で上記のこと
を書き込みしました。誤解を招くような文章だったかもしれません。ゴメンナサイ。

真如堂寺宝展

野口実
No.239

野口洋平君、真如堂寺宝展の見学について、集合場所や日程を、ここに書き込んでいただければありがたいと思います。私も出来れば参加したいと考えております。

Re: 真如堂寺宝展

末松
No.241

野口君ではないですが・・・
真如堂は一時に現地集合・雨天中止ということらしいですよ。
自転車で回るはずです。多分。

気をつけて。

野口実
No.244

 自転車で、ということになると、残念ながら私は参加は出来ませんね。野口君主催の見学会として、気をつけて実施してください。
 本日、老野口の方も思い立って、鈴鹿市の伊奈富神社を見に行きました。治暦3年、伊勢平氏がらみの殺傷事件が起きたところです。往路は斎宮の伊勢下向ルート、復路は義経軍の上洛ルートをたどりました。6月28日の公開講座で川合先生がお話になった壬生野郷の旧地など通りました。伊賀というのは、なるほど要地ですね。鎌倉時代における千葉氏の伊賀守護職世襲についての評価を考え直さなければならないと思いました。