レポート締切。
野口実
No.252
京女の野口担当演習履修生の皆さん、いよいよレポート締切日になりました。NO220・227でご確認下さい。
ところで、熊野詣で盛り上がっている昨今ですが、京女の近くにも熊野があるのをご存じですか。今熊野神社はよく知られていますが、そのことではありません。その東南にある泉涌寺に隣接して今熊野観音寺という寺がありますが、この山号は那智山というのです。
安元二年四月、後白河院は「法住寺殿内東南山上」に九間三面の精舎を建立し、千手観音像を安置しています。戸田芳実氏は観音寺こそ、その後身と考えています。今熊野社を本宮とし、東南の山を那智山に見立てたという見解です。くわしくは、同氏『中世の神仏と古道』を参照してください。
しかし、そうなると法住寺殿内に営まれた熊野信仰の空間は想像以上に広大なものであったことになります。たしかに、今熊野宝蔵町など、気になる地名がこのあたりには広がっていますね。
戸田氏の説かれる「歩いて学ぶ歴史」に共鳴して、私も昨日、今熊野観音寺を訪れてみました。京女から南へ歩いて20分ほどで、目的地にたどり着きました。本堂の横には平安時代の古石塔があり、墓地には藤原忠通・慈円・長家のものと称する三基の墓塔ものこされていました。
さて、ほんものの熊野ですが、先日、都立大の川合先生からメールで直接伺ったところでは、川合先生のゼミは来年の三月に熊野参詣を挙行するそうです。中辺路の滝尻から近露(近露泊)、近露から本宮(湯の峯泊)というコースで二泊三日くらいで歩くのだそうです。流石ですね。
なお、昨日はパソコンのことで、また鈴木君にご迷惑をおかけしました。ありがとうございました。
ところで、熊野詣で盛り上がっている昨今ですが、京女の近くにも熊野があるのをご存じですか。今熊野神社はよく知られていますが、そのことではありません。その東南にある泉涌寺に隣接して今熊野観音寺という寺がありますが、この山号は那智山というのです。
安元二年四月、後白河院は「法住寺殿内東南山上」に九間三面の精舎を建立し、千手観音像を安置しています。戸田芳実氏は観音寺こそ、その後身と考えています。今熊野社を本宮とし、東南の山を那智山に見立てたという見解です。くわしくは、同氏『中世の神仏と古道』を参照してください。
しかし、そうなると法住寺殿内に営まれた熊野信仰の空間は想像以上に広大なものであったことになります。たしかに、今熊野宝蔵町など、気になる地名がこのあたりには広がっていますね。
戸田氏の説かれる「歩いて学ぶ歴史」に共鳴して、私も昨日、今熊野観音寺を訪れてみました。京女から南へ歩いて20分ほどで、目的地にたどり着きました。本堂の横には平安時代の古石塔があり、墓地には藤原忠通・慈円・長家のものと称する三基の墓塔ものこされていました。
さて、ほんものの熊野ですが、先日、都立大の川合先生からメールで直接伺ったところでは、川合先生のゼミは来年の三月に熊野参詣を挙行するそうです。中辺路の滝尻から近露(近露泊)、近露から本宮(湯の峯泊)というコースで二泊三日くらいで歩くのだそうです。流石ですね。
なお、昨日はパソコンのことで、また鈴木君にご迷惑をおかけしました。ありがとうございました。