つづき(こんな話で失礼。)
No.2466
「つづく」といいながら何も出てこず、大変失礼いたしました。次々に送られてくる原稿の山を前に、悲鳴をあげていた…と言えればいいのですが…。ただ、まじめに書こうとすると、意外に腰がひけてしまいそうになる、というのも事実です。恥さらし、でもありますし、内幕暴露でしかなかったりしますので。で、とにかく、つづきです。カバーのそでの文章がなぜ間違ったのか…。
まず、最初に先生に大学の研究室でお会いしたのが、01年の10月12日。その数ヶ月前の京女講演会後のお蕎麦屋さんで抜き刷りをいただいたのがはじまりだったかと記憶しています。その抜き刷りが面白かったので、編集部の会議にかくかくしかじかの内容でやってみたいと提出したのが、10月2日。タイトルは「日本人はどう戦ってきたのか」としていました。その企画書には、「戦いにおける日本人の本音と建前から、日本人の行動原理の本質に迫る」とありますので、それほど狙いを外していなかったような、微妙にずれているような。ただこの段階では、具体例については、平家しか意識していなかったのは、確実のようです。
内容構成については、2002年7月3日付けでいただいた構成案で概ね合意に達したようです。ほぼ序章から3章までは出来上がった本と同じです。ちなみに、序章・『平家物語』のだまし討ち、第一章・神話の戦争・征夷の戦争、第二章・フェアプレイの成立、第三章・掟破りの武士達。4章がまだ当時は「倫理的「武士道」の成立」になっていました。
同時に執筆も、私からすると順調に、先生は四苦八苦しながら進めていただいていたようです。7月にはすでに序章と1章ができており、翌03年5月の連休中には3章が、翌6月には4章が出来上がり、送られてきました。
それから、書き直しのお願いが始まりました。結局、1~2回書き直しをお願いしたかと記憶しております。それと同時に刊行時期をどうするかについても迷いはじめています。NHKブックス1000号記念フェアがあったりしましたし、自分の好きな月に出せるわけではなく、他の人との調整もしなければなりませんし。
とにかくその間、会社的な手続きを順調に進め、03年12月には正式な提案を行っています。その際、タイトルは『戦場の精神史~武士の行動原理を探る』となっています。
ここまでからすると、この本に関しては、かなり余裕をもって作っているように思われるかもしれません。そう見えてもしかたないかもしれませんが、ただし、著者に対しては余裕を見せていましたが、実はそれほどなかったのも事実です。その間にも、何冊かNHKブックスを出しましたし、当然、新たに企画が進行したものもあり、NHKブックス1000号記念フェアの準備もありで、実は、てんてこ舞いだったのです。この、余裕があるように見えて、実はまったくないというのが、味噌かもしれません。
それはともかく、12月に行った企画書中の企画意図には、
「…まず『平家物語』『太平記』『今昔物語』に数多く描かれる合戦シーンを緻密に分析し、例えば、降伏すれば助けると騙し、越中前司盛俊の首をとった猪俣則綱の行為や、和平を申し込んでおきながら、平維茂に夜討ちをかけ、逃げ出すものを皆殺しにした藤原諸仁の戦いから、正々堂々と戦い、だまし討ちを否定していたという武士像の虚偽を明らかにする。…」
という部分があります。それが、この企画書を基に04年3月末に書いた書店向けの「新刊案内」という小冊子では、
「武士道が唱える武士の潔癖な倫理・道徳。だが、武士は本当に正々堂々と戦い、卑怯な行いを嫌ったのだろうか。『平家物語』「越中前司最期」をはじめとする、数多くのだまし討ちシーンを分析することから、謀略と虚偽を肯定する戦場独特の倫理感覚を明らかにする。「武士道」の虚像を剥ぐ画期的論考。」
となっています。そしてこれをもとにカバーのそでの文章を書いたわけです。書いたのは3月なかばでしたが、『平家物語』はいいとして、『平家物語』以外ではどれが適切なのか、あまりちゃんと調べる余裕を失っていたように記憶しています。とにかく、『平家物語』以外にもう一つということで『太平記』を選んだのはいいとして、この本で先生が用いたどの挿話を使うかの選択は、杜撰だったといえるかもしれません。ゲラを繰っていって、そういえば、「阿保・秋山」の話は面白そうだなと単純に考え、深く考えずに選んだようです。よく考えれば、「阿保・秋山河原軍の事」がだまし討ちでないことはすぐわかるはずですが、一度書いてしまったものを、さらにあれこれしようという気はなかったようです。むしろ、この時期になると、頭はほとんど1000号記念フェアでいっぱいになっていました。その準備や、自分が出す本の用意で、かなり切羽詰っていたかもしれません。したがって、一度書いた文章をまともに見直す機会を逸したといえるでしょう。編集者というのは、ある程度はいい加減さを兼ね備えていないと、何冊も本を出せないようですが、いい加減さと緻密さのあわいをうまく加減しないと、先生方の信用を失ってしまうので、そうしながらも、そう見せない、その技の使いみちを間違えた、といえるかもしれません。
なぜ間違えたのかといった大げさなことではなく、間違えた私って、大変だったのよ、などという言い訳めいた話になってしまい、なぁ~んだと思われたかもしれません。全然参考にならないような話を延々と書いてしまい、申し訳なかったです。それでも、たまにはこんな話があってもいいではないかということで、お許しください。
佐伯先生がこれを読んで何と思われるか…なんといい加減な奴だと叱責の声が聞こえてきそうで…。
なお、お知らせですが、BSブックレヴューという番組がありますが、19日の放送で『戦場の精神史』を取り上げてくれるそうです。よろしければ、ご覧ください。
まず、最初に先生に大学の研究室でお会いしたのが、01年の10月12日。その数ヶ月前の京女講演会後のお蕎麦屋さんで抜き刷りをいただいたのがはじまりだったかと記憶しています。その抜き刷りが面白かったので、編集部の会議にかくかくしかじかの内容でやってみたいと提出したのが、10月2日。タイトルは「日本人はどう戦ってきたのか」としていました。その企画書には、「戦いにおける日本人の本音と建前から、日本人の行動原理の本質に迫る」とありますので、それほど狙いを外していなかったような、微妙にずれているような。ただこの段階では、具体例については、平家しか意識していなかったのは、確実のようです。
内容構成については、2002年7月3日付けでいただいた構成案で概ね合意に達したようです。ほぼ序章から3章までは出来上がった本と同じです。ちなみに、序章・『平家物語』のだまし討ち、第一章・神話の戦争・征夷の戦争、第二章・フェアプレイの成立、第三章・掟破りの武士達。4章がまだ当時は「倫理的「武士道」の成立」になっていました。
同時に執筆も、私からすると順調に、先生は四苦八苦しながら進めていただいていたようです。7月にはすでに序章と1章ができており、翌03年5月の連休中には3章が、翌6月には4章が出来上がり、送られてきました。
それから、書き直しのお願いが始まりました。結局、1~2回書き直しをお願いしたかと記憶しております。それと同時に刊行時期をどうするかについても迷いはじめています。NHKブックス1000号記念フェアがあったりしましたし、自分の好きな月に出せるわけではなく、他の人との調整もしなければなりませんし。
とにかくその間、会社的な手続きを順調に進め、03年12月には正式な提案を行っています。その際、タイトルは『戦場の精神史~武士の行動原理を探る』となっています。
ここまでからすると、この本に関しては、かなり余裕をもって作っているように思われるかもしれません。そう見えてもしかたないかもしれませんが、ただし、著者に対しては余裕を見せていましたが、実はそれほどなかったのも事実です。その間にも、何冊かNHKブックスを出しましたし、当然、新たに企画が進行したものもあり、NHKブックス1000号記念フェアの準備もありで、実は、てんてこ舞いだったのです。この、余裕があるように見えて、実はまったくないというのが、味噌かもしれません。
それはともかく、12月に行った企画書中の企画意図には、
「…まず『平家物語』『太平記』『今昔物語』に数多く描かれる合戦シーンを緻密に分析し、例えば、降伏すれば助けると騙し、越中前司盛俊の首をとった猪俣則綱の行為や、和平を申し込んでおきながら、平維茂に夜討ちをかけ、逃げ出すものを皆殺しにした藤原諸仁の戦いから、正々堂々と戦い、だまし討ちを否定していたという武士像の虚偽を明らかにする。…」
という部分があります。それが、この企画書を基に04年3月末に書いた書店向けの「新刊案内」という小冊子では、
「武士道が唱える武士の潔癖な倫理・道徳。だが、武士は本当に正々堂々と戦い、卑怯な行いを嫌ったのだろうか。『平家物語』「越中前司最期」をはじめとする、数多くのだまし討ちシーンを分析することから、謀略と虚偽を肯定する戦場独特の倫理感覚を明らかにする。「武士道」の虚像を剥ぐ画期的論考。」
となっています。そしてこれをもとにカバーのそでの文章を書いたわけです。書いたのは3月なかばでしたが、『平家物語』はいいとして、『平家物語』以外ではどれが適切なのか、あまりちゃんと調べる余裕を失っていたように記憶しています。とにかく、『平家物語』以外にもう一つということで『太平記』を選んだのはいいとして、この本で先生が用いたどの挿話を使うかの選択は、杜撰だったといえるかもしれません。ゲラを繰っていって、そういえば、「阿保・秋山」の話は面白そうだなと単純に考え、深く考えずに選んだようです。よく考えれば、「阿保・秋山河原軍の事」がだまし討ちでないことはすぐわかるはずですが、一度書いてしまったものを、さらにあれこれしようという気はなかったようです。むしろ、この時期になると、頭はほとんど1000号記念フェアでいっぱいになっていました。その準備や、自分が出す本の用意で、かなり切羽詰っていたかもしれません。したがって、一度書いた文章をまともに見直す機会を逸したといえるでしょう。編集者というのは、ある程度はいい加減さを兼ね備えていないと、何冊も本を出せないようですが、いい加減さと緻密さのあわいをうまく加減しないと、先生方の信用を失ってしまうので、そうしながらも、そう見せない、その技の使いみちを間違えた、といえるかもしれません。
なぜ間違えたのかといった大げさなことではなく、間違えた私って、大変だったのよ、などという言い訳めいた話になってしまい、なぁ~んだと思われたかもしれません。全然参考にならないような話を延々と書いてしまい、申し訳なかったです。それでも、たまにはこんな話があってもいいではないかということで、お許しください。
佐伯先生がこれを読んで何と思われるか…なんといい加減な奴だと叱責の声が聞こえてきそうで…。
なお、お知らせですが、BSブックレヴューという番組がありますが、19日の放送で『戦場の精神史』を取り上げてくれるそうです。よろしければ、ご覧ください。