箱根に行ってきました。

No.2403

遅くなってしまいましたが、学習院大・兵藤ゼミの旅行で箱根に行ってきました。(22-24日)関西からは唯一の参加で共有できない旅行記なので簡潔に。
22日:ぽっぽ的には貴重な、初めて小田急の特急に乗り現地へ。その日は曽我兄弟の墓・六道地蔵と箱根神社に行きました。兄弟の墓から箱根神社までは当初バスの予定が、徒歩に変わるなど、いかにも兵藤ゼミなスタートでした。箱根神社宝物館は非常に興味深かったです。個人的には曽我兄弟を描いた浮世絵に興味を持ちました。その後海賊船で芦ノ湖を渡り桃源台に行き宿泊。

23日:晴れたのは初日のみ、以降悪天候。仙石原に移動して、まず箱根湿生花園で穏やかなひと時。(まだ曇り)兵藤先生は植物を思わず購入。(何かわかりませんでしたが、エビナとかそういう系統の植物のようでした)その後天候悪化にも関わらず金時山登山。
悪天候もあり、なかなか厳しい登山に。途中で下山する人もいる中、無事登頂してきました。凍える体で旅館に戻り、温泉(本物との注記あり)で温まりました。特筆すべきはこの日の夜先生とのカラオケ大会が開催されたことです!(初めて先生の歌声を聞きました)「長崎は今日も雨だった」などを先生は熱唱されました。

24日:午前中からポーラ美術館組と大涌谷組に分かれて行動。門屋は大涌谷に行きましたが、悪天候で蒸気と霧の区別がつかず。帰り際に霧が晴れ(日頃の行いでしょう)なんとか蒸気を認識しました。黒タマゴ購入。最後箱根湯本に戻り正眼寺に行き解散しました。この日の特筆は、またまたぽっぽ的ですが、箱根登山鉄道でスイッチバックを堪能できたことです。長年の念願が叶いました!
以上簡単に記しましたが非常に楽しい旅行でした。

また、帰阪して、26日には大阪にゼミ旅行で滞在中だった学習院大・神田龍身ゼミ(中古:源氏物語がご専門の先生です)の夕食に参加させていただきました。(於:道頓堀 今井)この夕食で一部では有名な学習院大・院M2年の中丸氏と再会し、楽しいお話(話題は相変わらず)をし、これまた有意義な時間でした。
食事の後一生あり得ないはずであった、グリコをバックにした記念撮影にも巻き込まれ(これに関してはかなり拒否した)、一生に一度の体験もしました。
この一週間学習院一色で、有意義な時間をすごすことができました。結局長くなってしまい、申し訳ありません。

26日より高校の授業が早くも始まりましたが(野口先生がそうだったように恐れながら授業に)、夏休みで劇的に変化した若者はなく、案外普通でほっとしました。まだ、行ってないクラスもあるので安心はできません。。

電気イス。

No.2404

 門屋君、御報告ありがとうございます。箱根は何度か行ったことがあるので、様子が想像できました。兵藤先生のカラオケはやはり中世的音調(これは長村君が得意とする)でしたでしょうか?
 これから道頓堀に行くと、グリコのランナーの顔が門屋君に見えそうです。そういえば、グリコや森永製菓の創業者は佐賀の出身でしたね(ゼミ旅行で得た知識)。
 9月1日からはじまるオソロシイ「大学」の存在を知っていますが、8月中から授業開始というのも大変ですね。もっとも鹿児島の高校にはゼロ時間目というのがあり、朝、暗いうちからバスは高校生でいっぱいでした。
 中丸君、懐かしいですね。まだ『台記』に取り組んでおられるのでしょうか?
 3日の懇親会は、どなたがお出でになるのか楽しみです。「電氣食堂」というのは面白いですね。「電気イス」なんかもあるのでしょうか?以前、平家物語研究会の帰りに、兵藤先生たちと浅草の神谷バーで電気ブランというのを飲んだことがありますが。

♪貧しさに負けた

No.2408

兵藤先生は中世的音調ではなくバッチリ対応しておられました。自身では既に記した「長崎は今日も雨だった」のほかに「昭和枯れすすき」などを入れられましたが、学生が入れたABBA「Dancing Queen」や兵藤先生が着メロにされているらしいサザン「TUNAMI」などは口ずさんでおられました。
全体で「地上の星」「世界に一つだけの花」「浪漫飛行」を合唱した際も一緒に歌っておられました。
 以上、「ちゃんと近代化されてます」報告でした!
追伸
①中丸氏は相変わらず漢文日記を読んでいるようです。
②お疲れ会に八井氏の参加が決定いたしました。

鎌倉幕府の本拠は六波羅にあったか?

No.2399

 目下、法住寺殿と六波羅に忙殺されているのですが、鎌倉時代の六波羅の評価について最近の論文にとても面白いものがあるのに気づきました。熊谷隆之氏の「六波羅探題考」(『史学雑誌』113-7,2004)です。六波羅には鎌倉幕府将軍の本邸(六波羅御所)があり、それゆえに、ある一面においてという限定付きながら、鎌倉幕府の本拠は六波羅にあったというのです。まさに権門体制論。
 この論文の眼目は「探題」や「守護」の概念に対する再検討にもあるのですが、なにしろ熊谷氏は六波羅探題についてこれまで緻密な研究を積み重ねてこられた方で、そうした成果に基づいて提出されたこの仮説には、ある種のつよい説得力を感じざるを得ません。
 鎌倉幕府の本拠が六波羅にあったというのは、関東の研究者には面白からざる事でしょうね。そんな論文が『史学雑誌』に「研究ノート」として発表されたのも面白い。
 一方、当ゼミにとっては、「六波羅短大」なんて語呂合わせを言って遊んでいる場合ではないわけで、六波羅直近の地元大学の史学研究組織としての立場から、鎌倉時代の六波羅についてもいよいよ照準を合わせなければならないことになったわけです。
 さ~て、史料講読会を目前に控えてはおりますが、とりあえず長村君と山本君には、この論文を精読してもらって御感想をうかがわなければなりません。
 元木先生・美川先生はどう評価されておいででしょうか?

後嵯峨院の御所「亀山殿」の遺構発見。

No.2405

 上の件についてまだコメントをいただいていないのですが、もう一件注目すべきニュース。
 本日の京都新聞の報道によると後嵯峨上皇造営の「亀山殿」の遺構が京都市埋蔵文化財研究所の天龍寺における発掘調査で出土した由です。
 記事には山田邦和先生のコメントが掲載されています。残念ながら現地説明会は行われない模様です。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=p2004082700244&genre=M2&area=K1H
↑ 文化・芸能をクリックして該当項目を探してください。

Re: 鎌倉幕府の本拠は六波羅にあったか?

No.2407

すいません。まだ読んでおりません。
今度学校行った時にコピーします。

六波羅・法住寺殿・九条末。

No.2409

 今日は4時半起きで早朝の京都の街をドライブしてまいりました。頭の中が12世紀末なので、その地名に従いますと、六波羅の南側から法住寺殿蓮華王院の北を抜け、八条院御所の辺りから戻ってふたたび鴨川を渡り、最勝光院の西に出て九条末から宇治方面に向かい、木幡の浄妙寺をへて寓居に戻るというコースであります(翻訳:京都女子大学文学部前の渋谷通りから女坂に出て、京都国立博物館の前を京都駅に向かい、そこから西に戻って鴨川の塩小路橋を渡り、龍谷大学の前の道を南下して六地蔵を経、木幡小学校の脇を通って、京阪東御蔵山団地へ)。
 目下執筆中の論文(山田邦和先生に地図のご協力をいただくなどしながら、ようやく完成に近づきつつあり)に、資するところ、少しばかりあったようです。ちなみに、このエリアにはゼミ生がかなりお住まいですね。
 さて、長村君、熊谷氏(研究科は異なりますが、長村君の院の先輩にあたるのではありませんか?)の論文、そんなに急がなくても構いませんので、お読みになったらぜひ感想をきかせてください。それにしても、身内をほめるようでいけませんが、貴兄の『紫苑』2号掲載の論文は、『六代勝事記』と『平家物語』の関係性について論じたものながら、法住寺殿合戦に関する史実の解明という点でも実にすぐれたものだと、いまさら感じ入っています(脱帽)。その後、論文の執筆は進んでいますか?
 
 >末松さん 御教示ありがとうございました。日蓮宗は、合理的というか商売上手というか。しかるがゆえに経済活動を事とする京都の町衆にうけいれられた訳ですね。
 日親さんは教条(理想)主義的で妥協はしない。宗門内部でもエライ人をだいぶ手こずらせています(誰かに似ている)。

Re: 鎌倉幕府の本拠は六波羅にあったか?

No.2411

野口先生
満足いくレポートを書くのはとても難しいことだと、身にしみて感じる学期末の今日この頃であります・・・
そういえば、昨年の8月25日に学習院の皆様の前で発表させてもらってから、もう一年経つんですね。

熊谷さんとはソフトボールのチームでご一緒したこともありますよ。
・・といっても、たった一度、文学研究科日本史研究室の前期打ち上げの日にまぜてもらっただけですが。

亀山殿跡を見学してきました

No.2414

さきほど、発掘担当者のご厚意で、亀山殿の跡を見学してきました。
場所は、嵐山の渡月橋から、桂川(大堰川)左岸をやや遡ったところ。嵐亭という料理屋の北側です。
川を左に見て、歩いていくと、正面が嵐亭です。
手前にもう一つ発掘現場があるので、間違えない様に。
というのも、私、間違えて、親切にも案内していただいたわけです。
ちなみに、このあたり川は東西に流れ、渡月橋は南北に架かる。

さて、現場のなかですが。
北側に一カ所、掘っ立て柱の建物の柱穴が出てきています。
それから、南東の方向に、土地が下がっていき、庭園の遺構があります。つまり、庭石がかなり、発見されています。
ただし、池は見つかっていないようです。
全体に、平安京の道路のような礫で舗装というか、突き固められているようです。

それから、もっとも興味深いのが、遺構の真ん中、ほぼ南北に大きな堀が発見されています。どうも亀山殿がつくられたころ、一気に埋められたようで、それほど時代をさかのぼるものではないそうです。軍事用か?。ともかく、深さ3m近くあります。

あとは、謎として、9世紀の遺物が多く出土しているのですが、13世紀のものは、ほとんど今のところ出ていないようです。不思議ですね。

まだ、よくわからないところが、多いのですが、幸いにして、埋め戻され、保存される予定とのこと。
上には、任天堂がお金を出す小倉百人一首伝承館とかいうのが再来年正月に建つそうです。

もう少しゆっくりと見学したかったのですが、
今日の昼過ぎ、ものすごく暑かったので、ふらふらしてしまいました。

明日から、中国の黄土高原に、1週間ほど木を植えに行ってきます。

天龍寺門前の都市。

No.2416

 美川先生、ありがとうございました。無粋な小生には、庭園よりも南北を走る堀というのが気になりました。たしか、嵯峨あるいは天龍寺門前の都市的空間については、山田先生が、最近、奈良大学で研究成果を発表されたのだと思いますが、いろいろうかがってみたいところです。それにしても、これまで見過ごされてきた鎌倉時代の京都がいろいろな角度から明らかになりつつあるようで楽しみなことです。
 美川先生は、これから中国に御旅行の由、くれぐれも御健康に御留意下さい。楽しい旅となりますよう祈念いたしております。

 >山田先生 台風直撃だったのではないかと思いますが、加悦町の石造物調査の方はどうでしたか?それから、週末に例の原稿を発送したいので(後日、差し替えということでも構わないと思うのですが)、できますれば地図の方よろしくお願いいたします。

 >プリンセス 博物館実習はいかがですか(でしたか)?
 実習に行くと、学芸員はきわめて専門的な素養が必要な職業であるとともに、かなりオールマイティでないと勤まらないことが分かると思います。プリンセスを含めて、当ゼミの何人かのメンバーには、実に向いている職業でしょう。
 >全国の博物館の人事担当の皆様 お探しの人材はここにいます。

亀山殿と丹後の中世墓地と台風直撃

No.2423

みなさん、こんばんは。
◎亀山殿の本格的発掘調査、嬉しいことです。私は最近、「亀山殿とそれを中核とする“中世都市嵯峨”こそは、白河・鳥羽殿・法住寺殿の正統な後継者としての“院政王権都市”である」という論を唱えています。秋には論文にまとめるつもりですので、乞ご期待(?) ところで、美川先生は中国で植樹とは、よくわかりませんが、とにかくお気をつけて。
◎丹後の中世墓地
昨日今日は、京都府加悦町の福井遺跡という中世墓地の石造物調査に行ってまいりました。鎌倉後期~室町中期頃の中世墓地をそっくりそのまま見ることができるという稀有な遺跡です。でもとにかく、写真をとりまくり、疲れた・・・・
◎ご承知のように、台風が日本海側を直撃しました。心配していたのですが、丹後を通ったのはなんと運のよいことに夜の夜中。今日の明け方にはすっかり雨があがり、調査にはまったく支障がありませんでした。これも日頃のおこない(?) でも、旅館の非常ベルが誤動作し、夜中にけたたましく鳴り響くというアクシデントあり。まあ、人間万事塞翁が馬というやつのようです。
◎>野口先生 週末、陵墓研究会で泊まりがけになりますので、ちょっとまにあわないかも・・・ 

お疲れ様会開催日決定!

No.2397

決定が遅くなりましたが、小城旅行(羊羹ツアー)お疲れ様会は9月3日に開催することにします。今からでも参加を希望される方がいらっしゃれば門屋までお知らせ下さい。

門屋君、 お疲れ様。

No.2398

 門屋君、箱根から戻ったばかりなのに御苦労様です。小生、低カロリー・低脂肪・少量・短時間にてお付き合いさせていただきます。ただし、月末締切の原稿が済んでいない状態も想定され、そうなると、いろいろな意味でおそろしいものがあります(小心)。
 それから、もし可能なら旅行顧問の八井さんもお誘いしたら如何でしょう。新しい人生のスタート祝いも兼ねて。
 それにしても、久しぶりにメンバーの顔を見るのが楽しみです。しかし、夏休み明け(正確にはまだですが)の学生さんに会うのは一面恐いような気もいたします(高校教員時代のトラウマ)。

 >山岡さん 19の夏ですか・・・。小生の19の夏は1970年にありました。もう、歴史学の対象ですね。手帳(自筆原本につき、私的重要文化財指定)を探して見てみたら、ちゃんと勉強をしていた形跡はありません。
 ところで、プリンセスも忙しそうですし、山岡さんに後期のゼミ例会の日程調整をお願いして宜しいでしょうか?

 >ふたたび門屋君 兵藤ゼミのゼミ旅行は如何でしたか?

集合時間など

No.2402

お疲れ様会の場所が決まりましたのでお知らせ致します。
日:9月3日(金)
時間:6:30~
場所:中京区木屋町四条上ル鍋屋町 
   電氣食堂 こいのぼり
予算:3-4000円

集合は当日6:15に四条河原町、阪急百貨店の前にします。
時間厳守でお願いします。
あとからこられる方は以下のページに地図があります。
http://r.gnavi.co.jp/k375701/
では、当日時間厳守でお願いします。遅れたら罰ゲームです。(笑)

野口先生>八井くんに今、是非参加してくれるように言っております。

伝承文学研究会へのおさそい

末松憲子
No.2394

ごぶさたしております。
来る9月5日(日)に学会デビューすることになりました。
宗文研のなかでは異色の分野ですが、もしよろしければご来場ください。
目下レジュメ作りに四苦八苦しているところです。

伝承文学研究会大会
日時:9月4日(土)、9月5日(日)
会場:大谷女子大学(大阪・富田林)博物館201教室

9月4日(土)講演会(13:30~17:00)
闇に光を求めて            岩瀬博
和泉陶邑をめぐる神話伝承       中村浩
中世歌謡の世界ー海辺と田植・善と悪ー 真鍋昌弘

9月5日(日)研究発表会 午前(10:00~12:30)
少名彦伝承小考            大鳥壽子
清水冠者物語の一考察         和田京子
近世日蓮宗における略縁起の成立背景ー相州『正宗稲荷大明神略縁起』を中心にー 末松憲子
       研究発表会 午後(13:30~16:50)
信頼御霊の行方ー『平治物語』の記述をめぐってー 二本松泰子
朝比奈三郎義秀の高麗渡航伝承についてー龍頭山神社のことなどー 徳竹由明
高良タユウ・継子の雪払い       中村史
炭焼藤太の旅             菊池仁

以上のような構成になっています。
私の発表は、タイトルのとおり、近世の日蓮宗の略縁起作成の背景を探る、というものです。中世と異なり、近世の特に日蓮宗においては、略縁起作成にあったって、芸能など文化背景を強く受けた形で作り出される、という論旨にしようと考えています。

いつか、研究会の発表者が不足している時にでも発表させて頂けたら、とも考えております。
よろしければ御一考下さいませ。


☆学会デビュー!!おめでとうございます。

No.2395

 末松さん。このところ、どうされているのかな~?と思っていたのですが、やっぱり猛勉強されていたのですね。
 学会デビュー(それも本格的な場への)、おめでとうございます。自信をもって臨んでください。
 なかなか、面白そうなテーマで、日蓮宗というと小城でも布教活動を行った日親の「鍋かむり」の伝承が成立したのも近世になってからのようですから、そんな辺りもうかがいたくなりました。
 小生は、9月4・5日の頃は、夏休みの宿題が終わらなかった小学生時代と同じように、今月末締切の原稿が完成しないで泡を食っている時期だと思いますが、国文専攻あるいは民俗学や宗教史に少しでも関心のあるメンバーは積極的に参加させていただいたら良いと思います。
 それから、>末松さん 例の叡電主催の文化講演会(10月10日)ですが、いよいよ本決まりになりましたので、何卒よろしくお願いいたします。堤邦彦先生にもどうぞよろしく、お伝え下さい。
 当ゼミでの、御報告はいつでも大歓迎です。後期の研究会日程の決定にさいしては、予定をお知らせ下さい。ところで、これについての担当者はどなただったでしょうか?

野口先生ありがとうございます!

末松憲子
No.2406

精一杯がんばりたいと思います。

「鍋かむり」の伝承は私も知っていましたが、近世になってからの伝承とは知りませんでした。
これはおそらく私の発表とも絡む問題なのだと思います。
 近世の日蓮宗は、江戸時代の各宗派の中でもっとも開帳に力を入れた寺院だと言われています。
特に近世後期、他宗が江戸での出開帳から、本拠地での居開帳に切り替えていった後でも、日蓮宗だけは江戸で多くの開帳を行っています。
 江戸時代の開帳は、教線拡大の他に現金収入を大きな目的としていました。鈴木良明氏の指摘によれば、日蓮宗の中でも、特に鎌倉は由緒の割に寺領が少なく、開帳での収入にかなりの期待を寄せていたようです。その為、同じ鎌倉の日蓮宗内で、日蓮の聖跡の本場争いも起こったといいます。
小城ではどうだったのかわかりませんが。
 また、開帳に際しては、略縁起といって1枚から9枚綴りくらいの簡略な縁起が出されることが多く、そこには本縁起にない、新たな物語が綴られることがしばしばありました。
 この新たな物語の一つが、私の研究している稲荷の物語であったりするわけですが、おそらく「鍋かむり」の伝承もその一つなのではないかと考えられます。
 とはいえ、「鍋かむり」というと、たしか京都にも日新創建の寺があり、そこの伝承も「鍋かむり」だったな・・・という程度の知識しかないので、断定は全く出来ませんが・

叡電の講演会よろしくおねがいします。当日はお手伝い出来ると思います。
ゼミで来場される方へ。当日は日曜なので、スクールバスは運休と思われます。地下鉄国際会館からみえる方は、駅からタクシー(ワンメーターほど)に乗るか、叡電岩倉駅(徒歩10分)に乗り換えになります。
とはいえ、叡山電車の講演会なので、京女方面からみえるかたは是非叡山電車でおいで下さい。

ゼミ発表は前期同様の水曜日でしたらいつでも大丈夫です。いつでも声をかけて下さい。

頑張ってください!!

No.2410

末松さん、お久しぶりです!
伝承文学研究会の大会発表、内容を聞く限りとても聞きに行きたいのですが、行けるかどうか分かりません。行けなかったら、また研究会で聞かせてくださいね。私ももう一度論文をまとめなければいけないのですが、なかなか進みません(>o<)末松さんの学会デビューに、「私も頑張らなければ!!」と思った次第です。とにかく、たくさんのいい結果が得られることを心からお祈りしておりますので、頑張ってください!

Re: 伝承文学研究会へのおさそい

末松憲子
No.2415

田中さん

ありがとうございます。
頑張ります☆

国宝・古文書・播磨

No.2383

流行にのって三語連ねてみました。
というわけで、8月20・21の見学会旅行についてご報告いたします。
8月20日は、元木先生をはじめ、関東から参加される三名・和歌をご専門とされる先生・この掲示板では有名なカリスマ編集者・龍谷・立命(どっちもR大学ですね。後述参照)・関学・京都府立・京大の講師院生(名前明かしていいのかな?)という18名が10時に西明石駅前のコンビ二に集合し、その後小型バスをチャーターして
→太山寺(本堂が国宝)
→三木城跡
→浄土寺(浄土堂・木造阿弥陀三尊立像が国宝)
→朝光寺(本堂が国宝)
→三草山合戦跡
→清水寺
→一乗寺(三重塔が国宝)
の順で見学しました。ここには国宝指定のみを書きましたが、勿論他にも見ごたえのある建造物や仏像は数多くあります。
いずれも素晴らしい!!の一言でした。
後白河天皇らの行幸があったとされる太山寺の、奥の院は小川を渡ったところにある二つの小さなお堂です。そこから見える心落ち着く風景は待ち合わせ時間を忘れるほどのものでした。
昼からは晴天に恵まれたことも見学会をより良いものとした要因かと思います。
浄土寺の堂内に差し込む光が阿弥陀像(の後光に見える)を荘厳し、朝光寺では堂内やその周囲の空間を日の光がやわらかく包み込んでいました。
清水寺は山岳寺院と呼ぶに相応しく、境内からの眺望は絶景です。いずれも、一度行かれてご自分の目で確認される事をお勧めいたします。最高です。
浄土寺は東大寺領大部荘経営の拠点だったところで、地域支配に必要な威厳を備えた宗教施設であることが実感できました。
朝光寺は周りが木に囲まれている事もあり、古寺の魅力に溢れていました。
清水寺にあった祇園女御の建立と伝える大塔跡(現在は敷石のみ)は、来年の大河ドラマで再建なるか興味しんしんです。また、駐車場東にあるとされる赤松「切腹石」。墓石・石碑はありましたが「石」はいずこ??謎は残ります。
三木城跡は土塁や堀などが残り、天守跡から周囲を見渡すと軍事拠点としての意味が少し分かったような気になりました。弓・鉄砲の狭間(復元?)もあり、R大学の先輩・同回生の方々と、かつて熱中した「信長の野望」を思い出していました。『武将風雲録』では「機動力」が重要です(先生方・京女の皆様にわかるかな・・・すいません)また、別所長治公銅像というものが建てられており、そこには史実に基づくものではない旨が注意書としてかかれてありました。教育的配慮でしょうか(笑)天守跡には長治辞世の歌碑もあり、同行の三木周辺ご出身の先輩によると、小学校時代に覚えたそうです。地域的英雄の何たるかについて色々と考えさせられました。
三草山はゆっくり登っている時間がなくバスから降りてほんの少し歩いただけでしたが、「山」ということがよく分かりました。
そして一乗寺では夕焼けのなか三重の塔を観て、小さな山の中を歩きました。最後に記念撮影。原観光のバスの運転手さん、お疲れ様です。ありがとうございました。

夜はホテルでディナーバイキング。ステーキフェアという魅力的なフレーズつきでした(このHPを欠かさずチェックしているというR大学の貴方、僕がステーキとプリンをどれだけ食べたかは内緒ですよ・笑)
その後15階のラウンジで二次会。夜景を見ながらの語らいは楽しさのあまりあっという間に時間が過ぎ、店を後にする時も僕はライトアップされた姫路城を観ていました。

21日は、パンを買ったコンビニの前でお会いした某先輩とバス停に座って朝食の間、鳩に囲まれるという経験をしました。襲われたのは先輩ではなく私でした。格の違いでしょうか。
午前中は加古川の鶴林寺に行きました。突然にもかかわらずお寺のご好意で(本来なら要予約の)、あるお堂(国宝)を拝観させて頂きました。宝物館には、白鳳期の聖観音立像が飾られていました。別名「アイタタ観音」といい、度々の受難を経験されたそうです。R大学の某先輩が持って帰りたいと言うくらい大変美しい仏様です。
その後、元木先生は学会準備のため先に博物館に向かわれ、他の参加者は広峰神社と姫路城に分かれて見学しました。
私は姫路城に登り、天守からさわやかな風をうけて城下を見渡しました。その時の某先輩の目の輝きは、さながら「信長の野望」を始めた頃の子供の如しでした(「野望」ネタ、少々くどい・・・)
そしてお菊井戸を観て、修士論文・レポートで「一枚足りない」なんてことになったらどうしよう・・・などと談笑しながら兵庫県立歴史博物館に着きました。
広峰神社に行かれたゼミ関係者がもしいらっしゃれば、書き込んでくださると嬉しいのですが、どなたが書き込まれても本HPの趣旨やゼミ員の学問と無関係ではないですし、削除される事は無いと思います。というわけでこれをご覧になった方はよろしくお願いします。
博物館に何をしに言ったかというと、古文書学会の見学会です。学芸員の前田先生の解説を頂き、中世瀬戸内の流通と交流について興味深く見学した後、館蔵の古文書を見せていただきました。実物をガラスケースなしに見る機会はそう多くないので、貴重な経験でした。
帰りの電車で電気系統のトラブルとかなんとかで尼崎に二十数分間留め置かれた以外はさしたるトラブルも無く家に帰り着きました。

二日間という短い時間でしたが、これまでお目にかかったことの無い方にも親しくお話をさせていただいたこともあり、見学先についてもここには書き尽くせないくらい充実した見学会でした。
最後になりましたが、今回の素晴らしい見学会のルート設定やバス会社との交渉など様々にお手を煩わせご指導頂いた元木先生にお礼を申し上げねばなりません。
そして道中拙い幹事である私を手伝ってくださり、ご配慮頂いた皆様にも感謝申し上げます。
どうもありがとうございました。

バッテリーあがりを防ぐために。

No.2384

 長村君。見学記をありがとうございました。先般の一ノ谷・壇ノ浦のときと同様、興奮が伝わってくるようです。見学先はもちろんですが、最近とみに胃腸の弱くなった小生としては、それにも増して貴兄の食欲がうらやましい(体調の不調を口に出している奴ほど図々しく長生きをするという有力な「学説?」もありますが)。「食」に制約があると、旅行も宴会も楽しさ半減ですから。
 それにしても、浄土寺とか三草山など、これから是非行ってみたい所です。先日、愛車を6ヶ月点検に出したところ、バッテリーのためにも、もっと乗ってくださいと言われましたので、今秋は日帰りで近江・丹波・播磨・大和・伊賀・伊勢・紀伊のあたりを走破したいと考えております(ちなみに、この書き込みのタイトルは、階級闘争史観華やかなりし頃の論文タイトル<あるいは副題>みたいですね)。
 長村君、こっちの方でも幹事をよろしく。
 
 なお、兵藤ゼミの箱根ツアーに参加している門屋君からも、箱根神社・曾我兄弟の墓・芦ノ湖など見学の報告が届いているようです。

Re: 国宝・古文書・播磨

No.2385

 長村君、詳細なレポート有難うございました。付け加えることはないのですが、裏事情や、今度ご旅行される方のための情報などを記しておきます。
 
今回の旅行は天候にも恵まれ、本当に充実した旅行でした。旅行に際しては、大手前大学(元県立博物館学芸員)の小林基伸氏のご尽力が大きく、コース選定のアドバイス、バス会社のご紹介を頂きました。
 また県立博物館の前田徹さんの懇切なご案内、貴重な古文書の展示といったご尽力がなければ、今回の企画自体がなかったと思います。小林・前田両氏に心よりお礼を申し上げたいと存じます。

 今回は東京からの参加者をお迎えする意味もあって西明石集合としましたが、太山寺は神戸地下鉄の名谷駅が最寄です。車で行かれるなら、近隣の山田の里(無動寺、六条八幡、箱木の千年家)、優れた三重の塔や平安の仏堂のある如意寺、高い三重の塔のある石峰寺などを回られると良いでしょう。
 ちなみに太山寺は、「伊豆国在庁時政法師子孫の東夷等」で始まる護良親王の倒幕の令旨を所蔵していることで有名です。予め手続きを踏めば見学も可能なはずです。他に、播磨守護梶原景時の地頭補任状などもあり、中世文書の宝庫といえます。

 三木城跡は景色の良い丘の上。あの長治像は「銅像」ではなく、割とちゃちなコンクリートでした。それにしても歴史的実態とは無関係と開き直る説明版には苦笑させられましたね。これからこういうのが増えそうです。なお、三木出身の伊藤君は長治の辞世を「小学校で覚えさせられた」との事でした。
 
 ついでに余談。原観光と最初に交渉した時、食事は小野市内のレストランを推薦してきました。しかし、そこに立ち寄ると見学先一箇所の割愛を余儀なくされるとの事。向こうは三木城の割愛を勧めて来ましたが、そこは「今回は史跡見学であり、グルメツアーではない。見学先をカットして美味い者を食するは本末転倒」と拒否いたしました。というわけで、昼食はバス内で買い込んだパン、弁当ですませる羽目に・・・。まさに断腸の思い?集合場所前のファミリーマートの弁当が出尽くしてしまいました。なぜかシーチキンおにぎりだけがたくさん残っておりました。

 浄土寺のすばらしさは申すまでもありません。当日は快晴の午後、西日が入りそれなりの趣がありました。西の蔀戸から入る陽光が、三尊を空中に浮かぶかのように見せるさまは夕方がすばらしいようです。真西に日が沈む秋分の日の夕刻が狙い目かも。この浄土寺の西一帯が大部荘でした。京にあっても仰天させられる、こんな見事な仏像を見た農民が「大仏の寺奴」になるのも当然かも。
 寺の周辺には小さな食堂もあり、小人数の旅行なら食事は問題ありません。また、12時から1時間、昼休みとの事で見学は出来ないようです。ご注意ください。

 朝光寺は本当に森の中に忽然とあらわれる国宝建築で、寺の由緒も今はよく分からないとか。しかし無防備で国宝が放置されて、放火でもされやしないかと不安になりました。場所はわかりにくく、行かれる時は地図をよくよくご確認ください。
 なお、その途中に義教の首塚のある安国寺もあります。

 三草山はとくに何もなし。古戦場については『宝塚市史』のように摂津能勢説もあり、痕跡がないのも致し方ないのかも。ちなみに反対側のふもと、清水寺の帰りに通った国道372号線には、源平合戦を模ったコンクリートのモニュメントがあります。ちなみに、5月ごろ行くと、西は赤、東は白のツツジが咲き誇っているそうです。

 清水寺は、祇園女御をはじめ、清盛、後白河、頼朝が建物を寄進した伝承があり、京からも注目されていたようです。残念ながら明治末、大正初期の二度の大火で古い建物は失われ、新たに再建された建物ばかりです。しかし、あの景色の雄大さは山岳寺院ならでは。心が洗われました。たまたま編纂所に持ち出されて火災を免れた古文書に、但馬から摂津まで寺領だったとあるのも、むろん事実ではありませんが、あの景色を見ると分かる気がします。なお、同寺には坂上田村麻呂寄進と称する直刀3本があります。近藤先生のご意見を聞きたかったところです(展示は写真のみ)。
 赤松の石碑を見ようと、何名かの者が自動車専用道路を突っ走り、結局徒労に終わったようです。実は、あそこから一乗寺は遠く、道路事情が悪くて、時間がぎりぎりだったのです。あのような勝手なことをする不埒な奴らは、山に放置し、修行させるという手があったのですが。
 というわけで、清水出発は10分余り延。そこから山を降りるのが大変な上に、加西に通じる国道372号線は途中で社町の中心部で曲がりくねり、用地買収を拒む家のために一車線の箇所もある始末。地図では近い距離ですが、車でも1時間は見ておく必要があります。
 なお、途中には住吉神社があり、重文の社殿もあります。同社の勢力が及んだことを物語ります。時間があればぜひお立ち寄りください。また、加西では北条の石仏、古法華の石仏など、優れた石仏が多数あります。一乗寺とともにぜひ見学したいところです。

 一乗寺は本堂が工事中、三重の塔を写すベストスポットも立ち入り禁止でした。これが今回の旅行唯一の失望でした。ともかく、承安の年紀を持つ塔は見ものです。宝物館もありますが、公開していないようです。

 姫路の宿は、杉橋先生に教えていただいたインターネットの予約サイト「旅の窓口で」調べ、予約しました。小林氏によると、駅北のサンルートは老朽化しており、駅南のOは安いが危険だそうです。
 我々が泊まったサンガーデンは姫路では高級な宿で、本来は安くありません。ところが旅窓で予約すると、5~6000円!さすがに姫路城の見えない方角でしたが。また、隣室の音が聞こえ、唖然とさせられました。
 
 鶴林寺は加古川からタクシーで1200円ほどです。歴史散歩に徒歩20分とありますが、歩いていたら大変でした。
 国宝の本堂の前にやはり国宝の太子堂、常行堂が並ぶ姿は見事です。また宝物館も名宝が多く見逃せません。ただし、入山量のほかに別途入館料金をとられますのでご注意ください。
 今回は所用があったので急いで姫路に帰りましたが、南に歩いて尾上神社等、高砂の史跡を見学するのもお奨めです。

 最後の古文書学会の見学会。42名もの参加者があり、誠に盛会でした。東京から古文書学会の中尾会長以下立正大の方々、旅行にも参加された軍忠状研究の漆原徹さんやご友人の方々、また三重の岡野友彦氏や鳥取の日置氏なそ各地の研究者が多数詰め掛けられたのには驚かされました。博物館の日ごろからの活動が評価されたのでしょう。もし、閑古鳥が鳴いたらどうしよう、という杞憂を吹っ飛ばしてくれました。 
 承暦の年号を持つ文書をはじめ、安積、肥塚(広峯神社)の軍忠状や新規購入の後鳥羽院庁下文写し、政宗書状など、見応え十分でした。参加各位はぜひ、感想、興味を引かれた文書などを紹介してください。

 実は今回の旅行、10日前のぎっくり腰が完治せず、前日山道を歩いたのが応えたらしく、博物館で長時間立ったまま説明を聞いているうちに痛みがぶり返してきました。さりとて説明して頂いているのに座るわけに行かず、もう古文書どころではありませんでした。
 またバス旅行も色々な方々が18名も集まり、折角お越しいただいた方のお相手もせねばならず、かなり気を使いました。

 しかし、多くの方が集まっただけに、研究者相互の新たな絆もできたようですし、何よりも参加者が深く感動されたようで、多くのお礼のメールなどを頂くと、痛みも疲れも忘れる思いがします。
 何より、今回の成功の大きな要因は、パンフつくりを担当し、当日の幹事役として活躍してくれた長村君の尽力にあります。心から賛辞を送ります。
 この調子で論文もご健闘ください。

 という次第です。野口先生、播磨にお越しのときはご一報ください。

 なお、10月30日土曜に近藤先生と、河内源氏の史跡見学を予定しております。興味のある方はぜひ御参加ください。
 夕食は、190センチ100キロ、パンチパーマ、柔道黒帯、大阪工大高でラグビーフォワードだったというすごい親父の、うまい焼肉屋に行く予定です。ムフフフ・・・ 酒呑童子より。
 興に任せてえらく長くなりました、申し訳ない。
 

Re: 国宝・古文書・播磨

No.2386

野口先生
是非お供させてください。幹事は、させていただくたびに駄目っぷりを発揮しておりますが・・・、承りました。
お礼がおくれましたが、下の大庭御厨関連でもご教示いただきありがとうございます。、

元木先生
私が古文書学会で興味深かったのは後鳥羽院庁下文です。案文とは言え実物を見たのは初めてで、『鎌倉遺文』未収録ですから、院政期に関わりある院生(野口先生がうつってしまいました・・・)である私は、ほとんどの時間にらめっこしていました。

10月30日の河内源氏見学会も是非参加させて下さい。
焼肉屋さんも楽しみです。ムフフ

お礼・近況・お願い。

No.2387

 元木先生、ありがとうございました。「播磨の中世を歩く」とか題して、どこかの出版社に売り込みたくなるような、楽しくて役に立つお話しに感謝します。
 ところで、小生、姫路のサンガーデンに所定の料金で宿泊したことがあります。チェックアウトの時、隣で支払っていたビジネスマンの料金が半額に近いので、これはホテルの系列企業の人か何かではないかと考えて無理に納得したことを思いだしました。
 
 >管理人のプリンセスと王子様 当掲示板には著名な研究者による評論や、学説にたいする批判など、重要な内容をもつ書き込みがしばしばなされますので、その著作権についても検討が必要かも知れませんね(ゼミの資金源になったりして?石浜さん如何でしょうか)。

 などと言って、ゼミメンバーの楽しい書き込みに制約をくわえようとするものではありません。♪や☆、はたまた(爆)のようなメール符号のついた書き込みもドシドシお願い致しますよ・・・(こればっかりを、楽しみにしている「視聴者」もおられますし)。

 目下、法住寺殿と平家をテーマにした論文に取り組んでいます。行き詰まったとき、必ず助け船を出してくれるのが元木先生の論文です。こんなところで恐縮ですが、あつくお礼申し上げます。ゼミメンバーの院生の諸君もちゃんと元木先生の論文を読み込んで頭脳に刻み込んでおくこと!

 河内源氏の史跡、壺井八幡宮や通法寺にはまだ行ったことがありません。小生もぜひ機会を見て訪れたいと考えています。
 ただ、「ムフフ」の方は、残念ながら我慢しなければならない身の上です。こればかりは、胃腸も頭脳も強健な長村君に一切お任せ致します。

 執筆中の論文が終わったら、つぎは『慈光寺本承久記』に見える東国武士の人名に関わる論文にかかる予定です。要するにこの本の史料としての評価を目的にしたものですが、国文学御専攻の方で、この問題について参照すべき先行論文をご存じの方がおられましたら御教示いただきたくお願い申し上げます。

 ※ 小城ゼミ旅行(人呼んで「羊羹ツアー」)の報告書、本日提出致しました。幹事さん御苦労様でした。

播磨の旅・補遺

No.2388

まずは、バラシから。私は長村さんがステーキの三枚目を平らげるところを目撃しました。
で、廣峰神社ですが、姫路駅からタクシーで30分程。麓までバスで行けるそうです。(実際に、麓までバスで来、そこから神社まで歩いて登ったという法政大学の院生に出会いました。彼によると、徒歩10分だそうですが…。)神社からは播磨平野から家島諸島が一望できました。天気がよければ、淡路島なんかも見えるようです。まるで姫路城の後の堅めといった感じのロケーションです。ただ、どなたかが話しているのを小耳にはさんだのですが、城郭といったものはない云々ということでした(勘違いかもしれません)。

播磨の旅・御礼

平田樹理
No.2389

 私は21日のみ参加させていただきました。
 元木先生、先日は大変お世話になりました。幹事の長村君にもご迷惑をおかけしました。この場をお借りして、御礼を申し上げたいと思います。鶴林寺、廣峰神社(←姫路駅から遠く、山が険しいため足を運びづらい)に行けたこと・前田先生の解説付きで特別展示を見学できたこと・生の古文書を見せていただいたことなど、貴重な体験をすることができ、有難く思います。本当にありがとうございました。

播磨の旅 ご苦労様でした。

No.2391

 小城旅行以来、卒論モードになかなか戻れない鈴木潤です。

 とても長い書込みから、旅が有意義なものだったのだと伝わってきました。みなさんお疲れ様でした。
 小城旅行であまった18切符があるので、それを利用して揖保川町や龍野市をぐるっとまわって、プリンセスにゆかりのある「永富家住宅」等を観光しようかなと計画中です。掲示板は播磨あたりがブームになりそうですね☆
 
 素泊まりなどは、やはり「旅窓」が基本ですね。小城旅行の宿も旅窓での検索での結果だったと思います。キャンセル料も前日まで取られないのと、旅行会社への割当てと別口なのでローソンのLoppiやみどりの窓口でもダメな混雑時でも空室があったり、よく利用します。
 窓口でのやりとりが「超」苦手な僕にはとてもありがたいシステムです。

 掲示板の著作権に関しては、投稿者それぞれに投稿内容に関する権利があります。(掲示板の内容をまとめて勝手に出版した著者&出版社は訴えられ敗訴が確定しています。)ということなので、いわゆる「おカネ」にはなりにくそうです。
 一般的に、投稿者の許諾を得ることができれば、掲示板の内容の出版は可能らしいです。(もし、ここに内容が勝手に転載または出版されていれば、著作権の侵害です☆)

 胃腸虚弱に関してですが、野口先生と同い年(だったと思いますが)の僕の学科の教官が、先生と似た症状で苦しんでおられました。学校の検診で軽い十二指腸潰瘍が見つかったそうです。
 たまたま来られた先生が、京女の前の専売病院の先生で胃腸の専門家だったそうで、その後人間ドック&数日の入院で、食欲不振やその他もろもろが嘘みたいに治ったとの事でした。先生にも、ゼミ旅行などでおいしいものをたくさん食べていただきたいので、参考事例として書いておきます。
(ちなみに、この先生は「教育大なんていてられるかー」と今は宮崎大学工学部に転勤されました...。)

 P.S.プリンセスは大津市歴史博物館で博物館実習中です。

催促・慫慂・羨望・私用。

No.2392

 >石浜さん お久しぶりです。『編集者は見た!!』ですね。ところで、「催促」できる立場でないことは、重々承知しておりますが、書籍出版に際して発生するミスの原因についてのお話のつづき、楽しみに致しておりますので・・・。

 >平田さん 見学会で見聞を広められ、おおいに研究意欲を高められたことと思います。「天養記」講読に際して、たとえば相模国守に白河院の直属武力を構成する藤原盛重・源重時があいついで補任されたり、同国の二宮河匂庄が仁安の頃に相模守に在任した藤原盛頼の縁者だった京極局(俊成の娘)から八条院に寄進されているなとどいった、御研究に関連のある興味深い事実がありますので、出来ますれば、こうしたことについても報告の際に関説していただければと思います。

 >鈴木君 ご心配をいただいて、ありがとうございます。小生の場合、食欲はなくはないのですが・・・。佐賀では、しっかりと、本当に美味しい海の幸や牛肉、それに羊羹を堪能させていただきました(田中さんの御家族および村岡総本舗の村岡さんの御配慮に感謝します。)。ただ、長村君のようにステーキを3枚もたいらげたりすると(長村君の年齢の頃には、5枚は軽く食べられたと思うのですが)、あとで大変な事態となります。これが非常に苦痛なわけですね。いろいろ問題はあるのですが、いずれにしても食事の量には気を遣わなければなりません。
 京都教育大はとても良い大学だと思うのですが、宮崎の自然も素晴らしい。小生は鹿児島在住の頃、週一度、宮崎産業経営大学に出講のために愛車(当時はカムリ、ついでビスタ)を駆って霧島高原を横切る宮崎自動車道を疾走しておりました。都城あたりから臨む高千穂はまことに神々しく、往復三百数十キロのドライブは実に爽快なものがありました。また、日南海岸のドライブも最高。湘南海岸なんて・・・っていう感じでした。宮崎大学に異動された先生も、素晴らしい自然に囲まれて体調万全のことと思います。
 小生の場合は、やはり京都が研究環境としては最高です。ただ、季節によって転地学問が出来たら、と思うことはありますね。ドイツのデュッセルドルフにある工学系の大学の教授に知人がいますが、この人によるとドイツの大学は一年のうち約半分が授業期間で、この間はしっかり学生の指導にあたりますが、残りの半分はすべて自分の研究と充電に使えるそうです。ですから、彼はこの間に日本に旅行に来たりして、先般は、ニュージーランドで妻とおちあうとかで、成田からウェリントンに飛び立っていきました。見送りに行くと、ビジネスクラスのゲートに並んでいましたっけ。
 理工系はインターナショナルですから、鈴木君もそのうち一旗揚げて、ドイツの大学にでも行ってみたらどうでしょうか?
 さすれば、プリンセスもお慶びのことでしょう。
 そのプリンセスは、博物館実習ですか。小生は1972年の夏に鎌倉市立鎌倉国宝館で実施。いろいろ失敗をしでかして、指導に当たってくださった学芸員の三浦勝男先生(のちに、館長)に大変御迷惑をおかけしたことを覚えています。そんな小生がのちに「主任学芸員」などというポストに就いたのは人生のジョークというほかありません。
  
 博物館で思い出しましたが、
 >元同僚の山田先生 メールを再度ご確認下さいますようお願いいたします。

 >2回生諸姉 お元気ですか?秋にはアルバイトをお願いしますから。 

10/30河内ツアー計画

No.2393

 先般は長々と失礼致しました。他人の旅行話は余り聞いても面白くないもので・・・。
 それはともかく、10月30日土曜に近藤好和先生との河内見学、野口先生にもぜひ御参加いただきたいと存じます。誉田八幡が土曜のみ宝物公開との事で、曜日が土曜に限定されますが、日程はまだ暫定的なものです。野口、近藤両先生のご都合を勘案して最終的に決定したいと思います。
 参加者で運転できる方が多ければ、レンタカーを利用して付近を回っても良いですし、10名を超えるようならバスをチャーターする方が良いかもしれません。
 車を利用するなら、少し駆け足になりますが、河内観心寺、金剛寺など、南北朝の史跡見学も出来るかと思います。また改めてご相談したいと思います。
 コンパは大阪市北区堂山町の焼肉味楽を予定。タン、ハラミのうまさは抜群。

19の夏。

山岡  瞳
No.2396

>野口先生
 ご無沙汰しております。小城旅行以来でしょうか?今まで確実に一週間に一回はお会いしていたので、その感覚のまま今日になってしまい、すっかりご無沙汰してしまいました。
 ここ最近は猛暑にも負けず、といってもクーラーの部屋なのですが・・・、天養記の予習に励んでいます。辞書とにらめっこ(格闘もしつつ)しながら予習中です。図書館と家との往復がつらいです。特に女坂!!途中で休憩を入れたくなります。そんな感じで元気に毎日過ごしています!!!
 
 アルバイトの件よろしくお願いします。

>永富さん
 博物館実習頑張ってください。後でいろいろ聞かせてください。(今のところ2年後行く予定です。)
 

独身最後の夏

笠 露子
No.2400

↑に、皆様とご一緒に小城旅行へ参加させていただいたわけですが、
7・8月にかけて石橋美術館で小学生・中学生相手に絵の解説をする
トークボランティアをやってまして、今日で私の出番は終りでした。
私が担当したのは青木繁の「海の幸」です。
幼稚園児から中学生まで幅広い年齢層の子どもを前に苦悩したり、
大人数の小学生団体を前に声を張り上げたり(苦笑)
毎回毎回勉強になることだらけでした。

先日は博物館実習に来てある学生さんが見学されてました。
トークが終り、実習生の方にも様々な意見を頂戴しました。
そんな実習生の話に耳を傾けながら、2年前に実習したときのことを
懐かしく思い出しました。
ちなみに永富さん。私も大津市歴史博物館で実習でしたよ♪
琵琶湖汽船のポスター調書を作成したり、
仏像に関する熱い講義を受けたりしました(笑)

それから30年目の夏。デンデケデケデケ♪

No.2401

 笠さん今晩は。小城に行ったのは、もうだいぶ昔のような気分になってしまいましたね。
 青木繁の「海の幸」は石橋美術館にあるのですか。あの絵はわが故郷の千葉県の房総半島の先端、館山市の近くの布良海岸の情景を描いたものと聞いたことがあります。絵も肥前千葉氏みたいに西遷しちゃっていたのですね。
 独身最後の夏ですか?小生のそれは1974(昭和49)年でしたね。修士課程の2年の時。このころは、少しばかり勉強をしていたようです。例の重要文化財の手帳によりますと、この夏の8月24日(土)、奇しくも小生は、某人と布良の海岸に行っております。あとは進学塾でバイト三昧だったようです。
 昭和は遠くなりにけり・・・、であります。

 ところで、団塊世代の青春時代に関心があり、夜更かしで、暇をもてあましているという関西在住の方は、今夜の深夜2時25分から毎日テレビで放映される映画「青春デンデケデケデケ」(監督・大林宣彦)を是非御覧下さい。舞台は香川県の観音寺。小生よりちょうど一年上の世代の話ですが、あのころの若者の気持ちをよく伝えている作品だと思います。
 実は小生も大学に入ってからですが、バンドに参加していたことがあるのですよ。

史料講読会(「天養記」)の参考文献。

No.2373

 来る9月7・9・10日に行う史料講読会の参考文献について問い合わせがありましたので、とりあえず思いつくところをお知らせいたします。
 石井進「相武の武士団」『鎌倉武士の実像』平凡社選書
 五味文彦「大庭御厨と「義朝濫行」の背景」『院政期社会の研究』山川出版社
 安田元久「源義朝と関東武士」『日本初期封建制の基礎研究』山川出版社
 元木泰雄「源義朝論」『古代文化』54-6
 中澤克昭「大庭御厨にみる十二世紀の開発と武士」(浅野晴樹ほか編)『中世東国の世界2南関東』高志書院
 野口実「院・平氏両政権下における相模国」『坂東武士団の成立と発展』弘生書林
 史料を読解することはもちろんですが、①源義朝による相模武士団の統合、②院政期東国における荘園の成立-が講読会のテーマになると思います。「天養記」所収文書は『平安遺文』や『神奈川県史 資料編』に収録されています。
 小生、月末締切(および締切を過ぎた数多く)の原稿に追われて、目下動きがとれない状況にありますので、長村君を中心に準備方よろしくお願いいたします(なお、上記の他にも、適切な参考文献がありましたら掲示してください)。

補足 大庭御厨の参考文献。

No.2374

 蛇足ながら、上記の先生が挙げられた参考文献の他に補足いたします(一冊だけですが)。
 ※石井進・網野善彦編『講座日本荘園史-東北・関東・東海  地方の荘園-』(吉川弘文館・1990年)
 この本は関東の荘園を国ごとにまとめてあり便利です。その中の相模国の項の中に「大庭御厨」があります。それも併用するといいと思います。

史料講読会(「天養記」)の分担

No.2375

合宿は幹事のお二人をはじめ、みなさまお疲れ様でした。
例の如く、学ぶところ多く、楽しく美味しい旅だったようで、参加できなかった事が残念です。羊羹おいしそう・・・

さて、次は、荘園史料の輪読です。お互いがんばりましょう。

野口先生、お忙しい中、参考文献のご掲示有難うございます。

合宿で何もお役に立てなかった私からは、輪読の担当を連絡させていただきます。

9月7日
【総論】
 中央・在地の政治的情勢、伊勢神宮のことなど:山本・長村
【輪読】
 平安遺文2312・2445:山本

9月9日
【輪読】
 同2544:長村
 同2545:山田
 同2546:山内
 同2547:山岡

9月10日
 【輪読】
 同2548:岩田
 同2551・2552・2553:平田

一応の担当ですので、変更等は、各自で交渉してください。

輪読史料は以上のとおりですが、鎌倉遺文614・32866、「吾妻鏡」養和二年2月8日条なども、関連史料としてご使用ください。

レジメは、本文の訓読・語釈・解釈を基本にしたいと思います。
訓読については、書き下し文を打ち込んでくださってもかまいませんが、それが面倒だと言う方もおられるかと思うので、史料本文を拡大コピーして返り点・送り仮名を付す形式も可とします。語釈以外にも、ご自身の興味にひきつけた解釈を付してくださることを期待しております。

また、参考としまして、歴博の日本荘園データベースを挙げておきます。
http://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/getdocrd.pl?tn=2&ti=1507003&h=./history/1092640658_8763&ch=1&p=param/soue/db_param&o=1&k=20&l=&sf=0&so=

史料講読会参考文献の追加。

No.2378

 藤沢市教育委員会 博物館建設準備担当編『大庭御厨の景観-博物館建設準備調査報告書 第4集-』1998年

 ※「天養記」のほとんどの文書が収録されている『平安遺文』第6巻、研究室蔵書は平田さんに貸し出してありますので、六波羅近隣居住の2回生は平田さんにコピーをとらせてもらっておいて下さい。
 >平田さん ついでに後輩に予習の指導もお願い致します。

Re: 史料講読会(「天養記」)の参考文献。

No.2379

蛇足を重ねて申し訳ありませんが、こんなのもいかがかと。

西岡虎之助『莊園史の研究 下巻一』1956.
藤沢市史編さん委員会『藤沢市史 第四巻通史編』1972.

やや古い文献ですが、研究史の回顧という意味でも有意義ではないかと思います。

参考文献 ←研究史とおっしゃるなら。

No.2380

 黒田紘一郎「関東武士団の存在形態-とくに大庭氏を中心として-」(『東山学園研究紀要』第11集、東山学園学芸研究所、1966年)
 
 山本君や長村君の大先輩による、まさに、幻の名論文です。 関東などでは、なかなかコピーすら入手困難ですが、京都在住の諸君なら可能だと思います。

Re: 史料講読会(「天養記」)の参考文献。

平田樹理
No.2381

>野口先生
私がお借りしていました、申し訳ありません。
明日後お返しに行きます。
>2回生の方々
私でよければ、分かる範囲でお答えしますので、どうぞいつでもご連絡下さい。

史料講読会の参考文献。

No.2382

 >平田さん 郷里から戻られましたか?『平安遺文』六巻は、夏休み中ですから、まだ返却しなくて構いません。2回生は大学に行くより、平田さんの六波羅邸の方が近いでしょう。 御指導宜しくお願い致します。

 「天養記」の講読会ですが、たとえば山本君は相模の在地武士団、長村君は源義朝の東国進出、平田さんは当時の相模守と院・摂関家との関係、岩田君は・・・といったように、それぞれの関心に沿った形で予習を進めておいて頂けたら、ありがたいと思っています。これを機に川端新さんや高橋一樹さんの荘園研究にチャレンジしてみるのも良いと思います。そして、御教示のほど。
 
 ところで、今日・明日は東北大学で軍記・語り物研究会の大会があり、関西では古文書学会の見学会(付、元木先生のグルメの会?)、また、学習院兵藤ゼミの箱根旅行もそろそろでしょうか?箱根旅行には門屋君が参加されるはずです。
 籠居中の身としては、いろいろ出かけられたメンバーから(もちろん以外からも)の土産話を期待しております。

Re: 史料講読会(「天養記」)の参考文献。

平田樹理
No.2390

>野口先生
 どうもありがとうございます。
この勉強会を機に、たくさんのことを学べたらと思います。
今後ともご指導の程、宜しくお願い致します。

ゼミ旅行お疲れ様会&懇親会

No.2372

 皆様そろそろ旅行の疲れも抜けた頃でしょうか?
すでにMLではお知らせしましたが、旅行の余韻が冷めないうちにゼミ旅行お疲れ様会&懇親会を開催しようと思います。
 現在今月29日(日)で日程の調整をしています。この日でまとまらない場合9月上旬で再調整いたします。
 今回の企画はゼミ旅行お疲れ様を発端にしていますが、最終的には単なる懇親会です。ですから、まとまって話す機会を得た旅行メンバー以外の参加をお待ちしております。
 少しずつ人数も増え、大所帯になるにつれ「全体で」というのが難しくなっていますが、一人でも多くの参加をお待ちしております。
 参加希望者(もしくは参加したいけどその日は…)という方は門屋までメールを下さい。急で申し訳ないのですが明日までにお返事をいただけると幸いです。
 なお、時間は18時頃から(このあたりは調整します)場所は四条河原町近辺になると思います。

追伸:先日MLでお知らせした旅行代金清算ですが、実際はもう少し時間がかかりそうです。今しばらくお待ち下さい。  

日程の再調整

No.2376

先日から29日の予定を頂いているのですが、もう一つ日がよくないようです。ですので、9月一週目(1-5日)でうまくいけばそこにしたいと思いますので、9月一週目の予定をお教え下さい。とりあえず、明後日までに予定をお教えください。よろしくお願いします。

世界遺産登録記念「祈りの道~吉野・熊野・高野の名宝~

No.2371

 タイトルの特別展(於 大阪市立美術館)に行ってきました。丁度一年前に、熊野に行った事を思い出しました。と、下のアドレスをご覧下さい
http://osaka-art.info-museum.net/special016/inorinomichi/special_inori.html
この千手観音、どこかで見たことありませんか?
 お気づきになった方もおられると思いますが、青岸渡寺がご住職を兼任されている、補陀落山寺でわざわざ開扉していただいた、あのご本尊の千手観音です。まさか、大阪の美術館で再び会えるとは思っていなかったので、感慨もひとしおでした。
 ちょうど一年前に、高木さんを先達に詣でた熊野でしたが、あの頃はまだ2回生の皆さんもゼミには来ていなかったし、我らがお兄ちゃん:山本さんもフリーターでしたし、私もまだ修士論文も書いていなかったし・・・と考えると、1年って短いようでやっぱり長いんだと改めて思いました(なんて当たり前な!)。あの時は、新宮の駅で源先生ファミリーともお会いしましたし、私にとっては美川先生と初めてお近づきになれた旅行でもありました。今回の旅行もたくさんの出来事がありましたが、毎年2回のゼミ旅行は想像以上の影響を自分にもたらしているのだと思います。・・・ますます手が抜けません(笑)
 ま、ゼミ旅行以外にもたくさんの影響力のある出来事や場所、人がいたことは勿論言わずもがなです。みなさん、フットワークですよ☆

おつかれさまでした

古庄秀樹
No.2365

みなさん無事に京都に帰られたようですね。酷暑の中、ゼミ旅行おつかれさまでした。小城の印象はいかがでしたでしょうか。掲示板の書き込みを見て、今回のゼミ旅行がみなさんにとって有意義なものであったようで安心しました。みなさんのますますのご活躍を祈念しています。

日本中世史研究の宝庫としての「小城」。

No.2369

 古庄さん、このたびのゼミ旅行では、たいへんお世話になり、ありがとうございました。小城は何度行っても、素晴らしいところです。でも、その都度、地元の古庄さんたちに御迷惑をおかけしているようで、恐縮です。江里口町長さんにもくれぐれも宜しくお伝え下さい。
 今回は猛暑のため、千葉氏の居館跡と想定される北浦や妙見社のあたり、さらには千葉城跡に足を踏み込むことが出来ませんでしたが(小生がドライバーをつとめた車に乗ったメンバーには、以前、中央公民館長をされていた眞子雅允さんから教えていただいたことの受け売りですが、小城高校正門など、「男はつらいよ」撮影地も含めてガイドさせていただきました)、ゼミメンバーのとくに諸姉たちは、清水の滝などで大いに楽しませていただいたようです(ほとんど幼稚園生でした)。
 景観・古文書・寺社・仏像など、小城には日本の中世の政治・社会・宗教を解明するための(それも、東国・京都・九州をグローバルに考えることが出来る)一級の史料がそろっており、まさにタイトルに示したようなところだと考えています。
 ほんとうに図々しい話しですが、これからも何度でもお邪魔させていただきたいと思っておりますので、なにとぞ宜しくお願い申しあげます。ゼミメンバーに、小城をフィールドにした卒論なり修論を書く人が出てもよいと思っています。
 いずれ、資料館で「小城と中世京都の文化」といったようなテーマの企画展の実現を期待しています。その節は、ゼミおよび小生の京都の研究仲間たちをあげて協力させていただきたいと思います。
 町長さんにも申しあげましたように、小城の皆さまには、中世の小城の人たちのように京都の文化をもっと知っていただきたいと思っています。そのために、中学校の修学旅行先に京都を固定したり(独自の見学プランを策定する)、小城の若者が京都の大学にどんどん進学してくれればよいと思っています。
 それから、ぜひ古庄さんも(調査出張で)京都においでください。お待ちいたしております。
 ほんとうに、ありがとうございました。

 >ゼミメンバー諸姉兄 小城の感想など、ぜひ古庄さんにお伝え下さい。

SAGAさが!

No.2370

 古庄さん、事前のメールから現地での見学に至るまで、本当に色々とありがとうございました。良き先達を得て、本当にたくさんの収穫を得たと思います。
 充実した旅行であったと共に、須賀神社や千葉城跡、妙見遺跡などなど、宿題のたくさん残る旅行でもありました。きっと何回行っても、たくさんの収穫を得られるのが小城なのだと思います。同世代の従兄弟たちと話をしていても、佐賀についてあまり良さを感じていないというのは、昔から感じていました。私が今回「小城にゼミ旅行に行く」と言ったところ、みんな驚いたくらいです。京都に住んでいる私が「小城ってスゴイ!」と思っているのに、実際に佐賀に住んでいる若者がその良さを感じないというのは、とても勿体ない事ではないでしょうか。同じようなことは京都にも言えますが、京都はイヤでも古い物が目に付く土地です。佐賀の若い人たちにもっと自分たちの地元について知ってもらいたいと思います。素晴らしい歴史資料館もあることですし、もっともっと小城が発展することを、心から祈っています。本籍地を小城郡に持つ私にとって、これは他人事ではありません。幸運(?)にも、これからも何回も小城に行く機会を持っていることですし、また何度でも行ってみようと思っています。本当にありがとうございました。そして、ぜひこれからもよろしくお願い致します。

『図説 安倍晴明と陰陽道』刊行さる!!

No.2364

 タイトルの本が、河出書房新社のビジュアルな「ふくろうの本」シリーズの一冊として、出版の運びとなりました(本体1600円、近日中に店頭配架)。
 監修の山下克明さん(大東文化大学東洋研究所兼任研究員)は、小生の大学の後輩で、おそらく今日の歴史学レベルにおいて陰陽道研究の第一人者でしょう。山下さんは当宗教・文化研究所の公開講座にも講師としてお招きしたことがあります。
 編集・執筆を担当された大塚活美さんは京都文化博物館の学芸員で、小生や花園大の山田先生の元同僚。中世の在地社会における鉄火起請にかんする論文を発表されている研究者です。そうそう、研究対象の近いプリンセスに紹介するお約束になっていましたよね。
 そして、この本の中で「陰陽道の歴史[中世]」等の章の執筆を担当されている中村晃子さんは、まさしく当ゼミ草創期の有力メンバーだった方です(「虹色の湖」を歌った方ではありません←中高年対象の注)。現メンバーでご存じなのは、小生が担当した同志社の大学院での演習を一緒に受講していた山本兄くらいでしょうか。中村さんは、現在も同志社大学大学院DCにご在籍です。
 近年、陰陽道とか安倍晴明に関する本はたくさん出ていて、そのなかにはトンデモ本やいかがわしい内容のものが多いのですが(もちろん山田邦和先生が担当されたものは別格です)、この本は上記のように全面的に信頼に値する最高水準の執筆者によってなされたものでありますから、小生が責任をもってこのHPをご覧になっている皆さまに御推薦申しあげます。
 ゼミのメンバー諸姉兄にとっては、先輩が執筆されている上に、6月のフィールドワークのさいに、山田先生が御案内下さった長仙院の安倍晴明像が詳しく紹介されているとなると、手に入れざるをえないと思います。
 貴重な史料が鮮明なカラーで紹介されており、これを読まずして、陰陽道も安倍晴明も語るなかれ、といったところでしょう。この本は、2003年に京都文化博物館等で開かれた『安倍晴明と陰陽道展』の成果がベースになっています。このとき図録を入手できなかった人にとっては再度のチャンス到来の意味もありましょう。
 
 >山田ちさ子さん ぜひ、「平安京探偵団」でも、御紹介をお願い申しあげます。

『吉野・高野・熊野をゆく』刊行さる!!

No.2366

 続いてもう一冊。
 日本史研究会の代表で和歌山大学名誉教授・帝塚山大学教授の小山靖憲先生が、朝日選書の一冊としてタイトルの本を出版されました(本体1000円)。
 世界遺産登録に因む出版ですが、昨年夏のゼミ旅行で熊野を訪れたゼミメンバーには、やはり必読でしょう(とくに地元の高木さんには)。世界遺産指定後の課題についてのご指摘には、考えさせられるところがありました。

呪術?

山田ちさ子
No.2367

みなさま こんばんは。山田ちさ子です。
山下克明先生ご監修『図説 安倍晴明と陰陽道』、わたくしも本日拝見しました。
晴明本はたくさん収集しましたが、この本は格別だと思います。
宗教・文化研究所の公開講座で、山下先生の講演を聴き、大興奮したことを思い出しました。
先生の研究により、安倍晴明の邸宅跡が確定したのでしたね。
もちろん平安京探偵団で紹介させていただきますとも★

今日は、亀岡まで晴明伝説の地を探偵してきました。
家に帰ったらこの本が届いていたので、ダンナさんと晴明さまの呪術?と顔を見合わせていたところです。