公開講座の全体テーマについて

No.19980

 昨夜、鎌倉の調査旅行から帰って参りました。一部、ゼミに参加している方たちと同行させて頂きました。詳細はFacebookの宗教・文化研究所ゼミナールのページに写真を添付して書き込みたいと思います。

 元木先生、私の誕生日に際してのお言葉、恐縮に存じます。先生も大変な激務の渦中におありの由、くれぐれも御健康に留意して頂きたいと存じます。

 また、公開講座の全体テーマに関する御提案もありがとうございました。、
 まったく、明快であり、ゼミの主要メンバーも大賛成とのことですので、ぜひ採用させて頂きたいと思います。
 市民向けの講座であることも配慮して副題に頼政と義仲の名前を加えて、
   「王権守護と自力救済─源三位頼政と旭将軍義仲─」
としたいと思いますが、如何でしょうか?
 ゼミ関係者諸姉兄、さらに何か御意見があれば、お知らせ下さい。

 ☆ 鹿児島国際大学の野中哲照先生より、新刊の御高著『後三年紀詳注』(汲古書院)を御恵送頂きました。
 歴史学の立場から、これによって、後三年合戦に関する研究が飛躍的に進展することを期待したいと思います。
 野中先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 川島(糟谷)優美子先生より、先生が分担執筆されている北条氏研究会編『武蔵武士を歩く 重忠・直実のふるさと 埼玉の史跡』(勉誠出版)を御恵送頂きました。
 武蔵武士関連の史跡を歩くには大変便利な本だと思います。
 川島先生にあつく御礼を申し上げます。
編集:2015/02/28(Sat) 09:38

心中領状、更無異議

元木泰雄
No.19982

 野口先生、ゼミの皆さん、お疲れ様でした。
 御旅行の御様子、Facebookで拝見するのを楽しみにしております。
 講演会のテーマ、当方の提案を参考にしていただき、嬉しく思います。
 もちろん異存などございません。千葉常胤の心境でございます。
 今から当日を楽しみにしております。

 当方、1976年に初めて鎌倉を訪れてから、しばらくは関東に行くたびに鎌倉で史跡見学をしたものでした。かなりの史跡を巡りましたが、妙本寺や東勝寺跡など、悲劇にまつわる場所が印象に残っております。なぜか妙本寺で時代劇の撮影に遭遇したことがあります。京都以外で時代劇というのも珍しいですね。
 よく考えると、京都でもまだ行ったことのない有名な社寺がたくさんあります。2年前、地方から来た友人にせがまれて、立命館大学の近くにある石庭で有名な某寺院を「案内」しました。実は私もここは初めての参詣だったのですが(笑)

2015年度公開講座の全体テーマを考えて下さい。

No.19978

 昨日、『紫苑』初校ゲラを印刷屋さんにお渡ししました。
 目下、年度末の事務的な作業が重なって、若干パニック状態に陥っております。
 鎌倉に行くチケットもまだ用意できていない状況です。

 ところで、本年6月27日(土)に開催される公開講座『東山から発信する京都の歴史と文化』最終回の講師の先生から、それぞれの御講演テーマをお知らせ頂きました。いつもは、二つの御講演のテーマに即して、当方で全体テーマを考えているのですが、今回は最後でもありますから、ゼミのメンバー・関係者諸賢の御意見を徴して決めたいと思います。宜しく御助力下さい。
 ちなみに、個別の講演テーマは下記の通りです。(講演順)

 長村祥知先生(京都文化博物館学芸員・日本史学)
            「木曾義仲と京都」

 櫻井陽子先生(駒澤大学教授・日本文学)
            「頼政の射たモノ -平家物語の内と外-」
 
++++++++++++++++++++++
 また、最終回になりますので、何か特別な企画とか趣向を考えてみたいとも思います。これについても、御意見をお寄せ下さい。

【追記】☆ 渡邊誠先生より、御高論「安芸国の国司神拝」・同「福山瀬戸町の損壊「木造阿弥陀如来坐像」(県重文)の現状」(『芸備地方史研究』第292号)を御恵送頂きました。
 渡辺先生に、あつく御礼を申し上げます。
 なお、後者で紹介された仏像の修理費用の募金に関する情報が芸備地方史研究会HP↓に掲載されています。
 http://home.hiroshima-u.ac.jp/geishi/bokin/index.html
編集:2015/02/24(Tue) 13:49

王権守護と自力救済

元木泰雄
No.19979

 野口先生、23日はお誕生日でしたね。
 まことにおめでとうございます。
 遅ればせながら、お祝い申し上げる次第でございます。
 昔は還暦を超え、60も半ばともなると、すっかり心身ともに「おじいちゃん」でしたが、今では周囲を見回してもまさにご壮健というべき方々ばかり。
 先生もますますご健勝にて、後進をご指導くださいますようにお願い申し上げます。
 早いもので、来年は御定年をお迎えとのこと、さびしい限りです。しかし物は考えようで、現在の我々にとって最大のストレス要因は、大学の「雑務」以外の何物でもありませんから、御定年後は体調も回復され、これまで以上に研究、執筆が進まれることと思います。
 ただ、我々の時代に関する書物はそう爆発的に売れるわけではないので、著述業だけで悠悠自適というのは若干難しいかもしれませんが・・・。
 
 さて、今年度の公開講座には「長村先生」が登壇とのこと。いつまでもかわいらしい感じ(失礼!)がするのですが、彼も身分も学識も、ともに立派な先生ですね。彼に限らず、去年の岩田君をはじめ、野口ゼミの諸兄姉もよく勉強し、成長してくれたと思います。
 昔なら、若い奴らにはまだ負けない、とか思ったのですが、大学雑務の荒波に飲み込まれて、すっかり疲弊してしまい、そんな気力もなくなってしまいました。当方は、定年後のことは一切心配しておりません。今のままなら定年前に死にそうですから・・・

 さて、今年のタイトルは、源義仲と頼政。まさに、王朝権威に歯向かったとされる義仲、鵺退治で帝王の身を守ったとされるように、王権を守護した頼政という対照的なイメージの武将ですね。むろん、義仲も王権を否定したわけではありませんが、『平家物語』に描かれる義仲像は、まさにバーバリアン。それだけに、頼政と対比し、義仲の実像を明らかにすることは、大きな意味があると思います。
 武士、武士政権を考える上で、不可欠の二つの側面、王権守護と自力救済。それを体現する題材のように思いました。テーマも、こうしたことを前提にお考えいただいてはいかがでしょうか?
 ちなみに、2月に入って当方が参加した会議は12件、通算19時間半(もちろん、試験・修論・卒論関係の一般業務以外ですよ!)。人使いの荒い大学です、ほんと。会議手当でもくれないかな・・・
 これがもう一年続きますから、もうまさに衰老の身は万死に一生です。

鎌倉旅行についての再度の確認

No.19977

 すでに、>>No.19927でお伝えしてあるように、25~27日の鎌倉研究旅行は、ゼミメンバーを中心とした形をとりますが、公式行事としてではなく、現地集合・現地解散で任意の個人旅行の形で行われます。参加形態は自由ですが、その代わりに全てそれぞれの責任になりますから、その点はしっかりと確認しておいて下さい。
 私は調査と並行する形になりますが、出来るだけ同行させて頂きます。

栃木の調査から戻って参りました。

No.19976

 20~21日、栃木県の小山市から下野市、宇都宮市、さくら市にかけての寺院・神社・城跡・博物館の調査・見学に出かけてきました。もちろん、栃木県立博物館で開催されているテーマ展『中世長沼氏の軌跡-皆川文書の世界-』も初日にしっかりと見学。
 中世前期における宇都宮氏や小山氏の文化的事蹟と、その遺産・伝承に対する近世以後における当該地域社会の自己認識と対応についての情報をたくさん集めることが出来ました。また、中世武士の展開における河川水系の規定性についても多々考えさせられるところがありました。地元の方々の御親切にもたすけられて、大きな成果をあげることが出来たのですが、常ならぬ疲労感に加齢を自覚せざるを得ませんでした。
 25日からは、鎌倉で、ゼミに参加してくれている院生の方々たちに出来るだけ同行しながら調査を行うつもりでいたのですが、こんな調子では、私なりの日程とコースを考えなければならないでしょう。
 さて、栃木から帰宅すると、お送り頂いた沢山の素晴らしい本が私を待ち構えておりました。

 ☆ 山本幸司先生より、先生の御編になる『網野善彦対談集2─多様な日本列島社会』(岩波書店)を御恵送頂 きました。
 山本先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 荒竹賢一朗ほか編『日本史学のフロンティア2 列島の社会を問い直す』(法政大学出版局)を御恵送頂きました。
 市村高男「古代中世における自然大災害と社会の転換─復旧・復興過程に着目した視点の提示─」、大田壮一郎「中世仏教史の〈分水嶺〉─ポスト「顕密体制」を探る─」などの論文が収録されています。 
御恵送に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 戸川点先生より、新刊の御高著『平安時代の死刑 なぜ避けられたのか』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 武士論においても重要なテーマです。
 戸川先生にあつく御礼を申し上げます。
 
 ☆ 専修大学の湯浅治久先生より、先生の御高論「惣村と土豪」の収録された『岩波講座 日本歴史中世4』を御恵送頂きました。
 湯浅先生に、あつく御礼を申し上げます。

三月の『吾妻鏡』

No.19975

 来週(2/25~2/27)は鎌倉へゼミ旅行に出かけますので、『吾妻鏡』はお休みです。
 次回は三月に入る木曜日の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2014年3月5日(木)14:00頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』建暦三年(建保元年、1213)三月二日・六日・八日・九日・十日・十六日・十七日・十九日・二十一日・二十三日・二十五日・二十八日・三十日、四月一日・二日・四日・七日・十五日・十六日・十八日・二十日・二十四日・二十七日・二十九日、五月二日・三日・四日・五日・六日・七日・八日・九日・十日・十七日・二十一日・二十二日、六月二日・八日・十二日・二十五日・二十六日、七月九日・十一日・二十日・二十三日、八月一日・三日・六日・十四日・十七日・十八日・二十日・二十六日、九月八日・十日・十二日・十九日・二十二日・二十六日、閏九月十六日・十九日、十月二日・三日・二十九日、十一月五日・十日・二十三日・三十日、十二月一日・七日・十五日・十八日・十九日・二十日・二十一日・二十八日・三十日条

 ※木曜日の『吾妻鏡』ですが、3月は5日・12日・26日に開催予定です。

 『吾妻鏡』講読会は、基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。
 春恋しい季節に何か新しいことをはじめてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

当ゼミの長男が帰ってきました。

No.19971

 古参ゼミメンバーにとっては懐かしい山本陽一郎君が戻ってきてくれました。
 これまでは、ときどき、この掲示板に書き込んでくれる程度でしたが、これからはFacebookでいつでも連絡がとれます。
 Facebookを使っておられる方は、検索をかけて探してみて下さい。私の知っている限りの方には「紹介」をさせて頂きました。すでに田中さんや滑川さんとはお友達のようです。
 もうすぐ、ゼミは終末を迎えることになりますが、ここで作られた「御縁」は大切にしていきたいと思っています。
編集:2015/02/16(Mon) 16:54

フェイスブック始めました&ハマりそうです。

山本陽一郎
No.19973

 野口先生のおっしゃるように、この度遅ればせながら、フェイスブックを始めました。まだシステムをいまいち理解していない面があるので、挨拶などがおくれてしまいましたが、野口先生をはじめ、たくさんのゼミのみなさんに友達登録していただきありがとうございます。それにしてもすごい時代になりましたね。フェイスブックのおかげで中学や予備校の時の友達とも連絡つきました。
 デザインは、我が愛猫の写真と我が愛すべきもはや宗教と言ってよいガンダム、そして映画(特にかなり頑張りました)と趣味が全面に出てしまったものになりましたが、徐々に他も充実させていきたいと思います。今後ともよろしくお願いします。
編集:2015/02/17(Tue) 00:05

再会で再開を期待します。

No.19974

 かつて好評だった美川先生との映画論議。ここでもFacebookでも、どちらでもかまいませんから再開を期待しています。
 それにしても、山本君が登場したら、この掲示板のアクセス数が一日で70件も増えたのには驚きました。スゲェ人気者なのですね。

2月21日(土)の『吾妻鏡』講読会は休会にさせて頂きます。

No.19969

 下に岩田君から土曜日の講読会の案内を告知して頂きましたが、2月21日(土)は当方大学に不在のため、講読会は休会とさせて頂きたくお願い致します。勝手な事で恐縮です。
 なお、せっかく予定をされていたのですから、たとえば京博などの見学などに振り替えて頂けたら幸いです。

『紫苑』第13号の初校ゲラが出ました。

No.19967

 入稿の遅れにも拘わらず、印刷屋さんの御厚意で早々に初校ゲラを出して頂くことが出来ました。執筆者各員一層奮励して校正につとめて下さい。提出締め切りは19日(木)です。 

 昨日の『吾妻鏡』講読会には坂口太郎先生も参加して下さり、いろいろ御教示を得ることが出来ました。興味深かったのは女院の実名に関する中世に作られた史料の存在。その文献によると、かの建礼門院こと平「徳子」は「ちかこ」とのこと。

 故・須田春子先生の旧蔵書の継承問題についても、おおよそ目途が立ってきたように思います。徐々に作業を進めていきたいと思います。

 ☆ 熊本中世史研究会より、工藤敬一編『中世熊本の地域権力と社会』( 高志書院)を御恵送頂きました。同会の50周年を記念して企画された論文集とのこと。
  工藤敬一先生・小川弘和先生をはじめ同会の皆様にあつく御礼を申し上げます。
  中世前期武士論研究の立場からすると、小川弘和「府官系武士団と肥後国」・中村一紀「筑紫の乱における菊池隆直と阿蘇惟泰」など、さっそく読ませて頂きたい論文です。
編集:2015/02/13(Fri) 18:18

次回は旅行の準備です

No.19968

 来週木曜日は、2/25~27のゼミ旅行(鎌倉)の事前学習会の予定です。準備を担当してくださっているみなさん、よろしくお願いいたします。
 見学先について少しでも知見を深めてから現地入りできると良いですね。
 開始時間は14:00ですのでご注意ください。

 日時:2014年2月19日(木)14:00頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 内容:ゼミ旅行の事前勉強会

 ※それとは別に、次回以降の木曜日の『吾妻鏡』の今後の講読範囲は以下の通りです。
  木曜日の『吾妻鏡』ですが、3月は5日・12日・26日に開催予定です。

 範囲:建暦三年(建保元年、1213)三月二日・六日・八日・九日・十日・十六日・十七日・十九日・二十一日・二十三日・二十五日・二十八日・三十日、四月一日・二日・四日・七日・十五日・十六日・十八日・二十日・二十四日・二十七日・二十九日、五月二日・三日・四日・五日・六日・七日・八日・九日・十日・十七日・二十一日・二十二日、六月二日・八日・十二日・二十五日・二十六日、七月九日・十一日・二十日・二十三日、八月一日・三日・六日・十四日・十七日・十八日・二十日・二十六日、九月八日・十日・十二日・十九日・二十二日・二十六日、閏九月十六日・十九日、十月二日・三日・二十九日、十一月五日・十日・二十三日・三十日、十二月一日・七日・十五日・十八日・十九日・二十日・二十一日・二十八日・三十日条

 『吾妻鏡』講読会は、基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。
 2015年から何か新しいことをはじめてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

 美川圭著『後白河天皇』(ミネルヴァ日本評伝選)読了。

No.19966

 美川先生の『後白河天皇』を読みおえました。久しぶりに一気に読み進めたくなる内容の本に出会えました。後白河院の人物のみならず、保元の乱前の頃から幕府成立にいたる政治過程も、元木泰雄先生の御研究をさらに敷衍、具体化されたようで、さらに美川先生独特の視角からの考察が加えられていて、大変勉強になりました。いくつかの点で、まさに目から鱗が落ちる思い。
 治承・寿永の内乱に関心のある方には是非お読み頂きたい。
保元の乱のあたりでは、武士が官職を必要とする具体的な理由とか、為義の東国における家人の問題、崇徳上皇の配流に際してその護送にあたった武士の人選、要人の死によるポストの空席によって生ずる問題。
 平治の乱では、すでに元木先生が指摘されていることながら、藤原信頼による信西排除の意図が明確に示されている点、そして、これまた山田邦和先生も着目された藤原忠通の再評価。二条親政派だった平清盛の後白河支持への転換の事情、。
 内乱期に入ってからでは、後白河と頼朝の間での秘密裡の交渉、木曾義仲上洛過程に於ける篠原合戦の評価、元来頼朝が院の近臣にほかならない存在であったこと、通常の院とは異なって、後白河が二条の存在によって王権を保証されていたこと、後白河院およびその近臣である藤原頼輔の一族と豊後・陸奥の関係、奥州合戦に関する川合康先生の御研究の整理、建春門院の陵墓の位置についての山田邦和先生説への賛意など。
 平治の乱後のある時期から、それまで暗主そのものであった後白河が、結果的にではあれ無類の政治的力量を示し始めるのはなぜなのか、その辺りが些か釈然としませんでしたし、もちろん細かい点で御意見を申し上げたいところはあるのですが、やはり、美川先生は後白河院のことを一番わかっている研究者であろうことが、よく分かりました。
 分かっていても、それを文章で表現するのは大変な作業なのですが、それを見事に達成された先生に感謝しなければならないと思っています。
 私など、自分で納得したことをまたくどくどと文章で説明するのが面倒になってしまって、困ったものです。いくらちゃんと書いたつもりでも分かってくれなかったり、いつの間にやら、ほかの有名な方の説になっていたりするので、馬鹿らしいという気持ちに苛まれたりしてもおります。そんなことは、つまらない問題だ、もっと学問全体の発展を考えなければいけません、と仰っておられた大先輩の顔が浮かぶのですが・・・。
 どなたか、ゼミで書評をやってくれないかなぁ。

じっくりお読みいただき恐縮しております

美川圭
No.19970

 野口先生。じっくりお読みいただき、過大の評価に感謝しております。
 ご指摘のように、肝腎の暗主からの脱皮問題については、けっきょくよくわかっていません。ほんとうに脱皮できていたのかも含めて、謎は謎として残っております。このままでは、いくら時間がかかるかわからないので、この辺が出版の踏ん切りだと思い、えいや、と出してしまいました。問題点は多々あると思いますし、不勉強による研究の見落とし、誤読なども限りなくあると思います。そのあたり、厳しいご指摘をいただきたいと思います。50代の後半になってくると、1冊本を出すことは難行苦行になってきますが、読んでいただける方がおられるのが、とてもうれしいです。あと何冊かの出版の約束も、何とかはたして行きたいと思います。ただ、しばらくは、後白河とも、この時期の歴史とも、少し離れたいと思います。
 とにかく、野口先生、ありがとうございました。

鬼怒川水系を遡り、京都に戻ってから鎌倉、そして薩摩へ

No.19965

 例によって2月後半から3月はじめにかけては調査出張で忙しくなりそうです。年度末の道路工事のようだとお叱りを受けそうですが、当節、夏休みも短く、研究に没頭できる期間というのは本当に極僅かな期間なのです。
 
 ようやく入稿できた『紫苑』第13号ですが、結局、構成は下記のようになりました。
**************************************************************
 論 文
実朝室周辺の人々をめぐって ―鎌倉前期公武関係史に関する一考察―・・・・・岩田慎平

元末明初雲南謫居僧とその周辺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・真鍋亜衣

 研究ノート
平安初期の相撲儀式の奏楽―相撲司と近衛府を中心に―・・・・・・・・・・・・田口愛実

 巻末寄稿
吉田近衛の史的変遷─福勝院を中心に─・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 野口 実
 **************************************************************
 ※ 真鍋さん・田口さんは京都女子大学の学部生です。

 ☆ 髙橋昌明先生より、御高論「西行と南部荘・蓮華乗院」(『西行学』第5号、2014年)を御恵送頂きました。
 高橋先生に、あつく御礼を申し上げます。