明日の「基礎演習Ⅱ」「演習Ⅱ」&研究所ゼミの鎌倉旅行について
No.19916
明日の「基礎演習Ⅱ」「演習Ⅱ」はこれまでの報告内容を振り返って、お互いにレポートにまとめる上での問題点を指摘しあって、執筆のための参考に供したいと思います。
レポートと一緒に提出していただく評価表を持参して下さい。
とはいえ、新年最初のゼミですし、二回生は新成人も多いことですから楽しくやりましょう。
なお、研究所ゼミでは2月の後半に鎌倉への旅行を計画しています。現地集合・現地解散で途中参加も可。お友達の同行も歓迎します。「基礎演習Ⅱ」「演習Ⅱ」の履修者で、同行希望の方がおられましたら申し出て下さい。
この件、現在定期的に出席しておられない、研究所ゼミ古参メンバーの方も同様です。
【追記】基礎演習Ⅱは仲瀬さんの報告がのこっていましたね。テーマは「心の病」とのことです。
成人の日
No.19912
明日は成人の日。「演習Ⅱ」を履修している2回生には成人式に出かける方も多いかと思います。
私たちの世代は何事につけても反体制でしたので、すくなくとも同世代の大学生はそんな形式的な行事は忌避する傾向が強かったのですが、今となっては「晴れ着を着た若いときの写真が一枚も残っていないので、出席して記念写真でも撮ってくればよかった」、なんて後悔している方もおられます。
しかし、まったく年寄りの発想ですが、例年浦安市がデイズニーランドで成人式を開いているニュースがテレビで報じられのを見たりいたしますと、果たしてこれで「成人式なのか」と些か疑問に思ってしまったり致します。
いずれにしても、おめでとうございます。
「成人」ということで、もう人生の行く末までが決まってしまったような気分になっている人もおられるかも知れませんが、まだまだ先が長い。いまからでも一からやり直しのきく年齢ですから(本当にそうなんですよ!)、世間の風潮に流されることなく、大きな気持ちで世の中に対峙してもらいたいと思います。
言っておきますけれど、人生って本当に一度しかないのですよ。不本意な形で大事な一生を費やさないように!
次回の『吾妻鏡』のご案内
No.19913
成人式で久しぶりに再会され、旧交を温められるというのも良いと思います。小学→中学→高校→etc.と進むにつれ、お互いご近所に住んでいても案外に会えなくなっていったりする場合も多いようですから。
ところで、前回(1/8)のゼミの時間にも少し相談させていただきましたが、今年の二月下旬頃にでもゼミで鎌倉へ二泊三日程度のお出かけをしようかと思います。
追って詳しい日程を調整させていただきたいと思いますので、二月下旬頃でみなさんのご都合の良い日・悪い日を各自チェックしておいていただければ幸いです。
次回の木曜日と土曜日の『吾妻鏡』のご案内です。
◆次回の木曜日のご案内◆
日時:2014年1月15日(木)15:30頃~(予定)…14:00すぎからぼちぼち集まっております。
場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
範囲:建暦二年(1212)五月七日、六月七日・八日・十五日・二十日・二十二日・二十四日、七月二日・七日・八日・九日、八月十八日・十九日・二十七日、九月二日・十五日・十七日・二十一日、十月十一日・十九日・二十二日、十一月八日・十一日・十三日・二十一日、十二月十一日・二十一日・二十四日・二十九日の各条
建暦三年(建保元年、1213)正月一日・十二日、二月一日・二日・十五日・十六日・十八日・二十日・二十五日・二十六日、三月二日・六日・八日・九日・十日・十六日・十七日・十九日・二十一日・二十三日・二十五日・二十八日・三十日、四月一日・二日・四日・七日・十五日・十六日・十八日・二十日・二十四日・二十七日・二十九日、五月二日・三日・四日・五日・六日・七日・八日・九日・十日・十七日・二十一日・二十二日、六月二日・八日・十二日・二十五日・二十六日、七月九日・十一日・二十日・二十三日、八月一日・三日・六日・十四日・十七日・十八日・二十日・二十六日、九月八日・十日・十二日・十九日・二十二日・二十六日、閏九月十六日・十九日、十月二日・三日・二十九日、十一月五日・十日・二十三日・三十日、十二月一日・七日・十五日・十八日・十九日・二十日・二十一日・二十八日・三十日条
※木曜日の『吾妻鏡』ですが、新年1月は15日・22日に開催予定です。
◆次回の土曜日のご案内◆
不定期開催の土曜日の『吾妻鏡』ですが、新年初回は1/17(土)です。
国文学を専攻される方が主なメンバーとなりますが、そのほか従来の木曜日開催分にはご都合が合わなかった方もぜひ積極的にご参加いただけましたら幸いです。
なお、こちらのほうも所属大学や国籍等に関係なく、お気軽にご参加ください(※新たにご参加を希望される方は、野口先生か岩田まで、事前にご連絡をいただけると幸いです)。
今後も、参加者の都合を勘案しながら、月に一回か二回程度のペースで開催していきたいと思います。
日時:2014年1月17日(土) 13:00~
場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
範囲:配付済みの史料を随次読んでいきます
(『吾妻鏡』建久元年(1190)十一月九日条、建久六年(1195)三月四日条、建永二年(1207)八月十七日条、建保六年(1218)十二月二十六日条など)
『吾妻鏡』講読会は、基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。
2015年から何か新しいことをはじめてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。
古参メンバーからの来信
No.19909
Facebookの個人ページに書きましたように、今年の研究所ゼミは昨日から始まりました。
今年は年賀状でしばらく音信不通だったゼミの古参メンバーと連絡がとれたのが幸いでした。ただし、すべて男性。
男の方が義理堅いのか?女性は過去のことなど考えていられる余裕などないのか?
それはさておき、かの同志社の3Y君たちのお二人までが結婚。のみならず、愛知のY君には御子息が御誕生の由。おめでとうございました。
それから、ともに高校の先生になられた「しろくまツアー」こと鹿児島ゼミ旅行の立役者お二人(これまたともに同志社)からも近況の御報告とFacebook の友達申請を頂きました。かつて旅行会社にお勤めだったY君も御結婚の由。これまた、おめでとうございました。
いよいよ世代交代が進行中。いよいよ、このゼミも後継者を得られずに閉店か?
かくいう小生、年末年始は必ず胃腸の具合を悪くするのですが、このお正月は泌尿器系と腰の具合が悪く、そればかりで済むかと思っていたのですが、松の内が過ぎてから、その症状が出始めました。まったく歳はとりたくないものです。
☆ 帝塚山大学の杉崎貴英先生より、御高論「浄土宗(玉桂寺旧蔵)阿弥陀如来像とその像内納入品の研究のために-関連書誌および結縁交名比定・論文一覧-」(『京都造形芸術大学紀要』18)を御恵送頂きました。
杉崎先生にあつく御礼を申し上げます。
帰洛いたしました。
No.19899
先ほど、満席の新幹線に乗って残雪の京都に戻って参りました。
明日から、再び日常生活に戻ります。
☆ 大阪大学の平雅行先生より、御高論「末法思想と澆季観」(安冨信哉博士古稀記念論集『仏教的伝統と人間の生』法蔵館)・「善光寺と女人罪業観」(鈴木則子編『歴史における周縁と共生 女性・穢れ・衛生』思文閣出版)を御恵送頂きました。
平先生にあつく御礼を申し上げます。
☆ お茶の水女子大学歴史資料館の染井千佳先生より、御高論「十世紀から十二世紀半ばにおける武官の追捕」(『お茶の水史学』57)・「書評 森公章著『在庁官人と武士の生成』」(『白山史学』50)を御恵送頂きました。
染井先生に、あつく御礼を申し上げます。
☆ 千葉県文化財保護協会の早川正司先生より、御高論「清澄寺石憧と六十六部廻聖」(『歴史考古学』70)を御恵送頂きました。
早川先生に、あつく御礼を申し上げます。
平成二十七年(乙未)もよろしくお願いいたします-次回の『吾妻鏡』-
No.19902
昨年もゼミの活動にご協力・ご理解をいただきまして誠にありがとうございます。
本年も倍旧のご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。
新年初回は今週1/8(木)ですが、田口さんに卒論発表(『紫苑』の準備報告)を行っていただきます。
…発表のあと、もし時間が余るようでしたら、冬休みの間のことなどを自由に話し合いましょう。
◆次回の木曜日のご案内◆
日時:2014年1月8日(木)15:30頃~(予定)…14:00すぎからぼちぼち集まっております。
場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
内容:卒論準備報告会
15日・22日は通常通り『吾妻鏡』を読む予定です。
範囲:建暦二年(1212)五月七日、六月七日・八日・十五日・二十日・二十二日・二十四日、七月二日・七日・八日・九日、八月十八日・十九日・二十七日、九月二日・十五日・十七日・二十一日、十月十一日・十九日・二十二日、十一月八日・十一日・十三日・二十一日、十二月十一日・二十一日・二十四日・二十九日の各条
※木曜日の『吾妻鏡』ですが、新年1月は8日・15日・22日に開催予定です。
◆次回の土曜日のご案内◆
不定期開催の土曜日の『吾妻鏡』ですが、新年初回は1/17(土)です。
国文学を専攻される方が主なメンバーとなりますが、そのほか従来の木曜日開催分にはご都合が合わなかった方もぜひ積極的にご参加いただけましたら幸いです。
なお、こちらのほうも所属大学や国籍等に関係なく、お気軽にご参加ください(※新たにご参加を希望される方は、野口先生か岩田まで、事前にご連絡をいただけると幸いです)。
今後も、参加者の都合を勘案しながら、月に一回か二回程度のペースで開催していきたいと思います。
日時:2014年1月17日(土) 13:00~
場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
範囲:配付済みの史料を随次読んでいきます
『吾妻鏡』講読会は、基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。
2015年から何か新しいことをはじめてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。
お正月の少しの間の連絡について(お願い)
No.19896
用事か発生したため、正月の始めの少しの間、本貫地に戻ります。
お急ぎの御用のある方はケータイまたはこの掲示板で御連絡下さるようにお願い致します。
日本古文書学会研究会のご案内
元木泰雄
No.19892
野口ゼミの皆さん、お久しぶりです。
京大の「雑用係」の元木です。
このところの会議の繁忙はすさまじく、ついに先日は6時間半(14時50分から21時20分まで)のロングランも体験致しました。新幹線開通前の、151系特急「こだま」「つばめ」などの、東京-大阪間の所要時間と一緒です(笑)。
ちなみに、NHKのBSの取材も、ディレクターさんの熱心なご質問に、思わず熱弁をふるったこともあって、実に4時間。その結果が「あれ」・・・。
実に徒労感にさいなまれる毎日です。
といったことで、還暦を迎え、心身ともに疲弊しております。
それはともかく、下記の要領で日本古文書学会の研究会を開催致します。
今回は、東寺百合文書のデジタル化についてのご講演と、WEBを用いたデモンストレーションです。百合文書の実物は拝見いたしません。
しかし、文書のデジタル化は、現在の重要な課題であり、その意義や今後の課題などを考える良い機会と思います。質疑応答の時間も予定しています。上島有先生もお越しになり、ご質問くださることになっております。
ふるってご参加ください。
なお、参加費は、案内発送などの費用の一部を負担していただくために、日本古文書学会が徴収するものです。よろしくご了承ください。
場所 京都府立総合資料館(地下鉄北山駅下車)
2階会議室
日時 2015年1月24日 土曜日
14時~15時半頃 (受付は13時45分から)
集合場所 資料館玄関前
参加費 500円程度
報告者とテーマ
(1) 小森浩一氏(京都府立総合資料館)
「東寺百合文書のデジタル化について」
(2) 岡本隆明氏(京都府立総合資料館)
「『東寺百合文書WEB』のつかいかた」
東寺百合文書のデジタル化に関するご講演と、WEBを用いたデモンストレーションが行われます。終了後、質疑応答も予定しております。ふるってご参加ください。
参加希望の方は、下記までハガキにてお申し込みください。
1月19日(月)必着でおねがいいたします。
申し込み先
〒606-8501京都市左京区吉田二本松町
京都大学大学院人間・環境学研究科 元木研究室
元木先生、お知らせありがとうございました。
No.19895
元木先生には本年も大変お世話になりましたが、来年もまた、当ゼミ一同何卒宜しくお願い申し上げる次第です。
古文書学会の研究会。日程的に私立大学は期末試験や入試の期間に重なるところが多いと思いますが、都合のつく方は是非出席して下さい。今後の研究に大いに資するところがあると思います。
☆ 広島なぎさ高校の加栗貴夫先生より、御高論(参加記)「就実大学吉備地方文化研究所二〇一三年度歴史シンポジウム「古代地域史フェスタⅢ~歴史考古学の現在~」」掲載の『岡山地方史研究』132ならびに古代・中世史研究会『実隆公記』を読む会「〈史料紹介〉『実隆公記』文明九年(一四七七)閏正月~十二月条 注釈」を御恵送頂きました。
加栗先生に、あつく御礼を申し上げます。
異端者の年末雑感
No.19886
Facebook(野口実)にも書きましたが、出たばかりの『古代文化』第6巻第3号に大島佳代さんが執筆された拙編著『中世の人物 京・鎌倉の時代編 第二巻 治承~文治の内乱と鎌倉幕府の成立』(清文堂)の新刊紹介が掲載されています。ぜひお読み下さい。
大島さん、ありがとうございました。
年末なので、どこもお正月の準備に忙しいらしく、迷惑メールすら届かなくなりました。
一般の家庭では大掃除などに追われていることと思います。しかし、御承知のように当方は「普通」ではありませんので、主体的な時間使用が可能になるこの時期は世間の方たちとは異なった行動を選択することになります。しかし、残務処理が多すぎて、未だ論文執筆の開始には至っておりません。
当初の計画では冬休み明けまでに論文一本、それに論文一本に相当する論文集の序章を執筆し、研究紀要掲載論文の再校を終わらせるという手筈だったのですが、なかなか思うようには参りません。まだ、年賀状を書いている段階です。
年賀状など・・・と思われる向きも多いかも知れませんが、去年頂いた年賀状を再読することは、日頃意識にのぼらなくなっていた大切な古い知人たちの存在を再確認するよい機会になります。
宛先もすべて手書きで書く、もちろん自署も。久しぶりの万年筆がひどく心地よく感じられます。毛筆なら尚更でしょうが、私は毛筆書きが苦手なのです。
暇が出来るようになったら書道でも始めたいものです。
☆ 金澤正大先生より、御高論「「奥州合戦」に於ける鎌倉幕府軍の構成」(『政治経済史学』574)を御恵送頂きました。
金澤先生に、あつく御礼を申し上げます。
☆ 愛知大学の山田邦明先生より、新刊の御高著『敗者の日本史8 享徳の乱と太田道潅』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。
山田先生に、あつく御礼を申し上げます。
「相模台の戦い」と山田先生について
No.19993
はじめまして。松戸在住の郷土史愛好家です。松戸の「相模台の戦い」に関心を持って色々調べているのですが、『葛西城とその周辺』(たけしま出版)の中で山田先生が書かれている「総論:室町・戦国時代の東国社会」の記述に、「通説」とは異なるような考えをされていることを知りました。
本来は、愛知大学の山田先生の研究室に問い合わせしたいのですが、メール等の連絡手段が不明ですので、勝手ながら、野口先生のこのサイトをお借りさせてもらいました。ご容赦下さい。
さて、山田先生の「通説とは異なる」との記述とは、上書40頁『伊勢宗瑞も江戸のそばまで攻め込んでいますが、その後継者の北条氏綱は、1524年にとうとう江戸城を奪取することに成功します。葛西は上杉方の拠点としてしばらくふんばっていますが、1538年の国府台の戦いで北条氏が勝つと、葛西もこらえきれず翌年落城します。そして葛西は北条氏よって掌握されます。』の部分です。
ここで山田先生が「葛西」と書かれているのは、大田氏が支配していた「葛西城」を中心とした「葛西地域」という意味のようにも思われます。一般的には、葛西城は『快元僧都記』に拠って「氏綱が葛西城を攻め落とし、さらに岩付城近辺を放火する。国府台合戦』(同書249頁)の順となっていますので、山田先生が「葛西もこらえきれず翌年落城します」と書かれると、どことなく「違和感」が残ります。
私は、第一次国府台合戦(相模台の戦い)に関心を持っていますが、正直、地元の人間として『快元僧都記』の記述内容には「疑念」を持っております。特に「猿ケ又」を迂回して松戸(渡し)に進軍するという記述は、些細な「進軍路」の問題ではありますが、この戦いに関して僧快元は単に「伝聞」を書き留めたに過ぎないと思ってしまうのです。
しかし、山田先生が「葛西は翌年落城」と書かれると、状況は大分変わってきます。つまり、氏綱軍主力は江戸城を出て、浅草、奥戸方面に進軍しながらも、他の後北条方勢力が北の岩付方面からやってきたことも考えられます。そうすると「猿ケ又」云々の話は単なる「伝聞」とばかりは言えなくなってきます。
ともあれ、山田先生の正確なお考えは、上書では多少「あいまい」なものがあるように感じてしまいます。勝手ながら、野口先生がこの辺りの研究者の方々のお考えをどのように捉えられているかをお教え頂けると幸いです。
小山シンポジウム「中世小山氏の成立と発展」報告
No.19882
23日に小山で行われたシンポジウムは大盛況でした。私も含めて講演者の全員が単著を出したことのある出版社が会場に出店したのですが、宅急便で送った本が殆ど売れて、持ち帰りは6冊で、学会などよりよく売れたというお話でした。
このシンポの内容に即した本はこの出版社から刊行されることになりました。本が完成するのは再来春くらいになるでしょうか。
今回痛感させられたのは、『吾妻鏡』、とくに源氏将軍期の史料批判の必要性と東国武士研究における記録(日記)の読み込みの不足です。後者は中央の政治史や王朝権威秩序にたいする理解にもつながります。残念なのは、戦前から戦後歴史学に継承された「武士対貴族」「東国対西国」「地方対京都」の図式が未だに払拭どころか相対化すらされていないことです。
一部に根強い旧態依然とした「土地制度史を前提とした武士論」を如何に克服していくのか、その辺りも大きな課題だと思いました。また、中世前期と後期の研究スタイルの相違もしっかり踏まえる必要があるでしょう。
関西で中世前期を専攻されている若い方々も大いに東国武士研究に介入して頂きたいと思います。
それに致しましても、現地では講演や司会を担当された先生方はもとより、市役所のみなさんに大変お世話になりました。また、会場で久方ぶりにお目にかかれた方も多く、たいへん充実した一日を過ごさせて頂くことが出来ました。
心残りは思川の畔で暮らすノラネコさんにご挨拶できなかったことくらいでしょうか。
尊勝寺の九体阿弥陀堂
No.19880
20日の研究会で、今年のゼミの活動はすべて終了しました。新年は1月8日に再開です。
『紫苑』に原稿を提出される方は冬休みを有効にお使い下さい。
かくいう私もゆっくりと過ごす訳にはいきそうもありません。年賀状もいつ取りかかれることやらといった有様です。
それから、20日の午前に現地説明会の行われた尊勝寺の九体阿弥陀堂跡(京都市左京区岡崎最勝寺町の旧象彦跡地)ですが、見に行かれた研究者のお話によると、近来稀に見る素晴らしい遺構が検出されていたそうです。
阿弥陀堂の規模は木津川市にのこる浄瑠璃寺のそれの4倍とのこと。しかし、保存はされず、ここにはマンションが建ってしまうという話です。
☆ 弘前大学の斉藤利男先生より、新刊の御高著『平泉 北方王国の夢』(講談社選書メチエ)を御恵送頂きました。
斉藤先生にあつく御礼を申し上げます。
明日はいよいよ滑川さんの研究発表です。
No.19865
公開研究会にいたしますので、ゼミメンバー以外の方もお誘い下さって構いません。ふるって御参集下さい。。
開催要領は以下のとおりです。
報告者: 滑川敦子氏(宮城県立東北歴史博物館学芸員)
報告テーマ:「摂関期貴族社会における陸奥国の位置づけ」
日時:12月20日(土)14:00~17:00頃終了予定
会場:京都女子大学宗教・文化研究所共同研究室(L校舎3F)
※ 報告者からのメッセージ:今回の研究報告は、来年1月に開催される平泉文化フォーラムの準備報告を兼ねさせて頂きたく存じます。これまで平泉文化研究は、文献史学・考古学・建築史学・美術史学などさまざまな分野から、平泉文化の研究が行われてきましたが、当文化の形成・発展をめぐる時代的環境を明らかにした研究はあまり見受けられないように思います。そこで、具体的に平泉文化が開花した時期(11~12世紀)において、当該期における貴族の日記から陸奥国に関連する記事を博捜・抽出し、その分析を通して平安貴族が陸奥国についていかなる関心を抱いていたかを明らかにしようと、平泉文化共同研究にて取り組んでまいりました。今年度(3年のうちの初年度)は、『小右記』・『御堂関白記』・『権記』など10世紀末期~11世紀初期の日記をもとに、摂関期の貴族社会のなかで、陸奥国がいかなる位置づけにあったかを考えてみたいと思っております。陸奥守の任官記事に焦点を当てて考えようとするものです。