書評:大石直正著『奥州藤原氏の時代』

No.1957

 『歴史評論』6月号に上記書評を掲載していただきました。中世東北史研究の泰斗であられる大石先生の論文集の書評など身に余る仕事で、小生の非力ゆえの遅れと、提出後掲載まで時間を要したことで今に至ってしまいました。遅きに失したの感なきにしもあらずですが、ご笑覧いただければ幸いです。
 書評とはいえ、かなりの部分、これまで大石先生の御意見と相違する点について、発表するのに適切な場の得られなかったこと(私信などでは申しあげていましたが)を率直に展開させていただきました。すなわち、柳之御所遺跡で検出された折敷墨書の「人々給絹日記」の人名比定と「源頼俊申文」の「清原○衡」の○を貞と読むか真と読むかについての問題です。とくに後者については、投稿後のことでしたが、この掲示板で多くの方々から小生の見解に賛成する旨の御意見を頂き、美川先生をとおして田中倫子先生にもご判読いただいて、「貞」と読むべき事で決着したと考えているものです。
 最近では、東北の研究者の中にも、上記の2点について小生と意見を同じくする方が現れてきており、議論の高まりを期待したいところです。よろしく、御検討下されば幸いです。

研究発表について

No.1955

お知らせが遅くなりすみません。
次回(五月十二日)の研究発表は、私、永富絵里子が卒論にむけての経過報告という形で「三昧聖について~中世から近世の惣墓を中心に~」ということで発表させていただきます。
まだまだまとまっておらず、つたない内容で申し訳ないのですが、これから卒論を書くにあたりぜひみなさんからのご意見やアドバイスをいただけたらと思います。どうぞよろしくおねがいします。
場所は共同研究室で18:00からを予定しております。

主な参考文献は
細川涼一編『三昧聖の研究』 戒光祥出版 2001年
勝田至著『死者たちの中世』 吉川弘文館 2003年
です。よろしくおねがいします。

三昧聖と懸賞金。

No.1956

 プリンセスのご報告、楽しみにしています。ゼミメンバーにこの分野をとくに専攻している人がいないのが残念です。小生もまったく不案内ですが、昔、京都駅北側の中世「七条町」といわれた地域の発掘調査のさい、あのあたりが室町期に墓域化した際に三昧僧の活動が見られることを報告書に書いたような記憶があります。
 それから、三昧聖や惣墓については東京女子大学の高田陽介先生が精力的に研究をすすめられているようです。
 「中世の火葬場から」五味文彦編『中世の空間を読む』
 「戦国期京都に見る葬送墓制の変容」『日本史研究』409
 「三昧聖-畿内惣墓地帯の集団-」『近世の身分的周縁』1
などのご研究があります。

 ついでにて失礼ですが、昨日の演習や『吾妻鏡』の時間に紹介いたしましたように、ミネルヴァ書房では日本評伝選の刊行を記念してこのシリーズ既刊分にたいする読書感想文を募集しています。当然それなりの賞金も用意されています。そこで、提案・・・
 ☆ 元木泰雄先生著『源満仲・頼光』を読んで、懸賞金を獲得しよう。(もちろん、ほかの本でも良いのですが。)
 くわしくは、下記をごらんあれ。
http://www.minervashobo.co.jp/

 さらに、元木先生の御著作に関連して、『平清盛の闘い』の内容・記述の一部を某作家が盗用したという問題に関する資料は下記を御覧下さい。
http://members.at.infoseek.co.jp/shirohata1180/ikemiya3.html

『愚昧記』の翻刻と注釈の御紹介など。

No.1953

 ここ数日の間に、金井静香先生から「中世末期における近衛家と島津氏の交流-近衛政家・尚通・稙家-」、福島金治先生から「下総東禅寺と鎌倉極楽寺・称名寺」「災害より見た中世鎌倉の町」、高橋昌明先生から「エドワードJ.シュルツ氏の報告によせて」「御白河院と平清盛-王権をめぐる葛藤-」「平重盛の小松殿と小松谷」「キツネ・油揚げ・トンビ」「異界との接点・戻橋」「『愚昧記』安元三年(治承元)春夏記の翻刻と注釈(下)」、鹿児島県歴史資料センター黎明館から『鹿児島県史料・薩摩藩法令史料集一』『同・旧記雑録拾遺伊地知季安著作史料集五』の御高論・史料集などをいただきました。ありがとうございました。追って、お礼状を差し上げたく存じますが、とりあえずお礼かたがた拝受の御報告をさせていただきます。
 ところで、高橋先生からお送りいただいた『愚昧記』安元三年春夏記の翻刻と注釈は、すでに刊行されている治承元年秋冬記、安元三年春夏記に続くものですが、今回はとくに平家軍制に関する記事の多いところで、平家研究に資するところが甚だ大きいと思いますので、とくに御紹介させていただきます。小生のように、翻刻史料にのみ頼りがちな者にとっては、たいへんありがたい次第です。なお、申し遅れましたが、これは神戸大学大学院文化学研究科『文化學年報』第二三号に掲載されています。
 高橋先生はもとより、最近、神戸大学大学院に在籍された、あるいは在籍されている、栗山圭子氏や樋口健太郎氏が平家に関する優れた研究を続々と発表されている背景には、この翻刻と注釈作成への取り組みがあったのだと思います(後輩となった山本君・平田さんも頑張ってください!)。やはり史料をきちんと読み込む勉強をしなければいけませんね。
 当ゼミでは入門編として『吾妻鏡』の講読を行っていますが、夏休みにはまた写真版を使った勉強会を企画したいと思います。昨年は「鏑矢伊勢宮方記」を読みましたから、今年は同じく源義朝関連で「天養記」など如何でしょうか。ゼミメンバーからの御意見を徴したく存じます。
 なお、夏の史料講読会にはゼミメンバー以外からも、とくに中世成立期の東国武士団についてご関心のある方の参加を歓迎したいと思います。詳細は後日掲示します。

 ☆ ついでながら、明日(月)の演習ならびに『吾妻鏡』講読会出席のみなさんへ
 ・本年度の総合教育科目(Ⅰ・Ⅱ講時)演習参加者は実に意欲的で、報告が楽しみなのですが、履修者が多いために、報告の時間が十分にとれず、また2コマ別の演習が連続しているために、質問等に応じることが出来ず残念です。相談などあれば、別の時間においで下さい。また、授業時間の有効利用のため、レジュメの配布など段取りをよろしくお願いいたします。
 ・『吾妻鏡』講読会(12:30~)は共同研究室で行います(Ⅱ講時の演習もここで行っています)。直接ご参集ください。小生はしばし自室で休憩の後、参上します。
 
 >野口君。 南禅寺展は如何でしたか?

報告:南禅寺展

野口 洋平
No.1954

皆さんこんばんわ。先日京都国立博物館特別展南禅寺に行ってきたので簡単に報告させていただきます。この展示は南禅寺を開いた亀山法皇七百年忌を記念に南禅寺の全面協力のもと、国宝、重文を含む名宝の数々を公開しています。
代表的なものをいくつかあげますと、狩野探幽筆「群虎図」円山応挙筆「雪景山水図」などの障壁画。南禅院「亀山法皇坐像」三門「十六羅漢坐像」などの仏像。そして注目したいのは「実ミ卿記」や「亀山殿御逆修願文集」など南禅寺草創や所領関係の文書が多くみられる事です。ほかにも「惟康親王願文」や以心崇伝の「武家諸法度」などもあり、興味のある方は是非足を運んでみて下さい。
南禅寺展では普段公開していないような名宝を間近で見る事ができます。例えば亀山法皇坐像は現存最古の天皇の頂相彫刻ですが、普段は南禅院の本堂奥にお祀りされており一般の人がこのように間近で見れる事はまづありません。他にも今回初公開のものやおそらく最後になるかもしれない品もいくつかでています。どうぞ御見逃し無き様ご注意下さい。
最後になりますが南禅寺展のもうひとつの魅力をお伝えします。それは博物館の拝観券で南禅寺の方丈、三門、南禅院も拝観できるという事です。単純に三つの場所を観ようとすれば共通券でも千円かかります。それを今回は拝観券を見せるだけで無料で拝観する事ができるのです。博物館である程度知識をつけた上で実際お寺を見て廻ればまた違った見方ができると思います(あるいは逆でもいいのですが)
言うまでもない事ですが京都の歴史を考える上で南禅寺は極めて重要な意味をもっています。今回の南禅寺展では禅宗やお寺にあまり関心がないという人でも必ず何かを得る事ができるはずです。またこれを機会に興味がもてるかもしれません。
会期ももうあとわずかになってしまいましたが皆さんどうぞ一度足をお運び下さい。

追伸>南禅院は以前ガイドのバイトをしていたのでもし希望があれば案内しますよ

連休レポートその①

永富 絵里子
No.1941

先日(といっても連休前ですが)、高木さんに誘われ京都芸術劇場へ”創生「幽玄の観樂」”http://www.k-pac.org/theatre/koen/2004/sy040429/index.htmlを鑑賞しに行ってきました。
素晴らしいステージだったのでここにレポートを書かせていただきます。

たまたま高木さんと卒論の話をしていたら話がはずんで仏教と音楽の話になり、もし興味があるなら 聲明で有名な中山玄晋さんのステージがあるよ・・・ということで連れて行ってもらうことになったのです。
このステージはどういうものなのか簡単に説明するとツトム・ヤマシタという世界的な打楽器奏者(←彼は一時期より良いサヌカイトを求めて京北町へ来ていたらしい)が能楽師、観世榮夫さんと組んで「観樂」という新しい芸術を創生し、それは音と動きと謡いと物語を融合し「観ながら音楽を楽しむ」というものです。
そこへさらに、国際的に知られている横笛の赤尾三千子さんと声明の中山玄晋さんを迎え、幽玄の世界を創り出す・・・というものです。
ステージが開演すると、ツトム・ヤマシタのサヌカイト演奏からはじまり、次第にそこへ中山玄晋さんの声、観世榮夫さんの能、赤尾三千子さんの横笛・・・と徐々に要素が加わってゆき全部がそろった時ありきたりな表現ですが、まさに自分が今さっきまで座っていた劇場からどこかの世界へ飛んでいったような錯覚を受けました。(「普段から飛んでいってるじゃないか」というつっこみはナシですよ☆笑)
また、その幽玄の世界を表現する要素として大きく関わっていたのが照明効果でした。
いわゆる普通の赤や青に変わるスポットライトだけでなく、背景として現代を象徴する映像やCGが使われていたことも印象的でした。
ツトム・ヤマシタのステージは小学校に入るかはいらないかぐらいの頃に、一度黒田小学校(京北町)で催されているのを両親と見に行ったことがあったのですが、そのときは「きれいな音やな~」と思ったぐらいしか記憶がないので今回あらためて聴くことができたこともよかったです。

もしこのようなステージに興味があられる方、おられましたら五月二十九日にまた同じく京都芸術劇場で「 聲明(しょうみょう)と雅楽(ががく)でおりなす舞楽法会(ぶがくほうえ)」http://www.k-pac.org/theatre/koen/2004/sy040529/index.htmlという公演もありますので見に行ってみてはいかがでしょうか?

以上、レポートでした♪

立命館シンポレポート(全)

No.1947

 永富さんの連休レポートの間に失礼致します。
 >永富さん カラーボックス(木目調)2コ、研究室に持って参りました。お気に入りましたら「鈴木運送のカボチャの馬車」のお手配をどうぞ。

 さて、昨日のシンポ「歴史と文学のはざま」には、主催者側のお立場で永井路子氏の送迎役をつとめられた滑川さんは別格として、田中・山岡・山内さん、山本・野口君が参集。終了後、花園大学の山田先生御夫妻とともに2時間ほど歓談にときをうつしました。
 さて、まず永井路子氏の基調講演ですが、タイトルは「歴史小説を書きながら-小説家、史料を読む-」というもので、『吾妻鏡』の曾我兄弟の仇討ちと源範頼・大庭景能・岡崎義実失脚に関する記事を提示して、仇討ち事件の背後にあるものを追究したお話しでした。すでに、多くは氏の著書で拝読したことのある内容でしたが、さすがに『吾妻鏡』を徹底的に読み込まれ、また東国武士団の動向に通暁されているだけに、たいへん面白く拝聴致しました。京都では東国武士団に関する細かい話は、する一方で、聞く機会はほとんどありませんから、その意味でも楽しかったのです。
 講演1は、大山喬平先生の「歴史の面白さ-その事実と叙述と-」。『峰相記』は地域史の歴史叙述として評価すべきこと、歴史は事実だから面白いこと、また、悪党と臨済禅の結びつきなどを指摘されました。
 講演2は、源健一郎先生の「歴史を物語る仏法-『平家物語』の作られ方・読まれ方-」。例によって実に明晰な論理展開でわかりやすく、延慶本は山門色、盛衰記は南都色が反映しているのに対して、覚一本は宗派的な偏向を排しており、それゆえに文芸作品として広く流布するに至ったというお話しでした。
 シンポでは、五味文彦先生の王殺し論にたいする永井氏の批判などがあって面白かったのですが、小生としては、永井氏の主張されるような通説的な北条氏小土豪論の克服に向けて、なによりも『北条時政』執筆の意欲をかき立てられました。
 平日の企画としては贅沢なもので、会場の立派さなど、さすが時代の先端を行く立命館だと思いました。
 
 当方主催、6月26日(土)の公開講座(NO.1717参照)は「大教室」が会場ですが、歴史学の高橋昌明先生・国文学の兵藤裕己先生という両大家をお招きしての開催ですから、おおいに充実したものにしたいと決意を新たにした次第であります。全国から多くの皆様が御参集されますことを期待いたしております。

立命館シンポ御礼

源健一郎
No.1950

昨日のシンポには、野口ゼミの皆さん、お揃いでお越しいただき、ありがとうございました。
何せ永井先生、大山先生という両碩学の間で緊張の極致にありましたので、壇上からお顔を見知った皆さんのお姿を「発見」した際には、何かしら心強く感じられ、多少は落ち着くことができました。とはいえ、聴衆に年輩の方が多かったので、ついついいつもカルチャーで喋っているような、くだけた話口調となってしまい、特に野口先生、山田先生には大変失礼をいたしました。ご容赦下さい。
また、滑川さんには当日、大変お世話になりました。この場をお借りして御礼申し上げます。
なお、御礼がすっかり遅くなってしまいましたが、「紫苑」第2号を野口先生から頂戴いたしました。ありがとうございました。野口ゼミの皆さんの今後ますますのご活躍を祈念いたしております。
6月26日の公開講座の方も、楽しみにしております。ご準備が大変かと存じますが、どうぞ皆さんご自愛下さいますように。

ありがとうございました。

No.1952

 源先生。御丁寧な御挨拶をいただき恐縮しています。やはり、壇上からわれわれ一団は識別できましたか。
 小生、右目はひどい近眼、左目は老眼で、合う眼鏡がなくなり、現在も古いフレームにレンズをセロテープで貼り付けた眼鏡をかけてパソコンに向かっているような有様ですから、シンポの当日もこちらからは講演者のお顔ははっきり見えず、ステージの上は照明が明るいが、客席は暗いからさらに見えないだろうと安心して、行儀の悪い格好で聴講しておりました。失礼をお詫び申しあげます。
 当日は午前中は授業の上、JRのダイヤが乱れていたとのことで、さぞ大変だったとことと思います。にもかかわらず、時間も正確に実に明快なよどみない御講演に感心いたしておりました。頭脳がフルに活動し、体力もおありになる、若い優秀な研究者こそ、市民対象の講演会などの講師にはふさわしいのだということを実感させられました。大学の授業も同じですね。
 小生、不勉強ゆえ研究会でのお話はついていけませんので、今回のような語り口のお話がちょうどよく、おおいに蒙を啓かれました。あつく、お礼申しあげます。
 今後とも、当ゼミへの御助力をよろしくお願い申しあげる次第です。

ゼミ例会発表

No.1938

山本さんの卒論発表が間近な今日この頃、昨年12月にゼミで卒論提出前発表をしていない長村です。
学校が変わったことによる不慣れや事務的な諸々で慌しかった毎日も一段落しそうです。

6月の例会、特に先約は入っていませんか?
もしよろしければ私に発表させていただけないでょうか?
第二週ですと9日、第四週ですと23日です。

なお、先生をはじめ一部の方に、5月26日に発表させていただきたい旨をお話ししておりましたが、参加させて頂いている歴史学入門講座の実行委員会があるので、その日は無理でした。
トップページでHP管理人様が気を利かして下さったのに申し訳無いです・・・

Re: ゼミ例会発表

永富 絵里子
No.1944

六月、とくに先約はございませんので今のところどちらの日でも大丈夫ですよ。先生のご都合はいかがでしょうか?

私は残念ながら教育実習中ですので、またレジュメをいただければとおもいます。よろしくおねがいします。

Re: ゼミ例会発表

No.1946

 6月は26日に公開講座が予定されておりますし、23日はその準備会になる可能性もありますので、長村君には9日にお願いしたいと思います。
 それより、長村君がキャンセルした今月26日に、どなたか報告する人はいませんか?
 あるいは、外部の方でお出で頂ける方はいらっしゃらないでしょうか?ぜひ、お申し出を!

お邪魔します。(^^ゞ

八井健太 from 名鉄
No.1930

部外者が書き込んでいいものかずっと思い悩んでましたが、この前田中さんに許可も頂いた(やんなぁ!?)ので、お邪魔させていただきます。誰やねん!?って方がほとんどでしょうが、昨年2月の鎌倉ゼミ旅行を手配させていただいた旅行会社の者です。ちなみに田中さんとは大学時代、門屋君とは中学時代からのお付き合いです。大学時代の専門は英語だったので、国文学や日本史は中途半端な知識しか持ち合わせておりませんが、鎌倉の件以来、何かのご縁と思って皆さんの書き込みを興味深く拝見しております。もともと地理は大好きなので、いろんな地名が出てくる度に「あ~、ここってこんな歴史があるんや~」と勉強させられることしきりです。

野口先生、今日は授業前にもかかわらずいろいろお話を聞かせてくださってありがとうございました。小城のお話、生粋の京都人(厳密には尾張の血が入ってますが)としてはかなり興味をそそられました。仕事ではなく、プライベートで行ってみたいと思いました。ゼミ旅行計画、お役に立てることがあれば何なりとお申し付けくださいね。

それでは、また突然現れるかもしれませんが皆様どうぞよろしくお願い致します。

おひさしぶり

No.1932

 先月の「セレブな日曜日」以来お久しぶり☆
更に気候も良くなってきたので、また鴨川で遊びませう。今度は鴨川でお昼というのも良いですな。
 こないだ言ってた平安京の地名の話は書き込みしていただけないのでしょうか?(って言ったら書き込む(笑)?)

旅行担当顧問。

No.1943

 八井さん、書き込みありがとう。当ゼミはいろいろな方たちのご支援で成り立っていますので、ぜひ「顧問」にご就任下さい。「ただし、無給」(小生もこんな但書の付いた辞令を某協会からいただいております)。部内者として、ぜひともよろしくサービスのほどを。
 ここでCM。「旅行に関係することで、お困りの方は名鉄観光京都支店営業掛の八井健太さんまで。℡075-255-2211(代表)」
 
 >田中さん 「ですな。」なんて書くと、せっかくの姫君のイメージが帳消しになって、また「田中くん」と呼ばれてしまいますよ。

ありがとうございます☆

八井健太 from 名鉄
No.1948

>野口先生
 宣伝していただいて恐縮です。京女大のトラベルサロンには負けてられません!(失礼)
 さらに“部内者”認定まで・・・(^^;) ゼミ史上初の“社会人メンバー”ですか?(笑)
 これはサービスしなくては!
 

>田中様
 平安京の地名話は文章化するとかなり長くなりそうなので、
 整理できたら書き込んでみます。って、素人丸出しの考察に
 なりそうやけど・・・。

私も社会人!

No.1949

八井くんへ
 こら。今年は私も門屋氏も社会人です!

「社会人」以上。

No.1951

 掲示板で「こら」の文言を見るのは久しぶりですね。
 田中さんの「社会人」へのこだわり、よく分かります。一般に、学生は親がかりの半人前。就職して自分の食い扶持をかせいで一人前。それが社会人という認識があり、院生などは世間の人からは奇人扱いされるとともに半人前の待遇を余儀なくされるので、こだわる気持ちはよく分かります。
 しかし、小生は思うのです。これはせいぜい20世紀後半以降の発想ではないかと。また、ここでいう「社会」の概念は物質的な生産活動の空間にのみ限定されていておかしい。
 このゼミに集まって来てくれた、主にすでに学部を卒業した面々の生活を拝見すると、ちゃんとアルバイトをしながら一応は自立した生活を営んでいる。しかも、ここからが大事な事なのですが、学問・文化の継承・発展という明確な人生の目的をもってその実現のために努力している。かかる君たちは自らを「世間」(この言葉にもいろいろ問題がありますが)の物差しにあてはめて卑下する必要は毛頭ありません。君たちは立派な「社会人以上」です。

Re: お邪魔します。(^^ゞ

平田樹理
No.1973

>八井様
 こんにちは。お久しぶりです。昨年二月(もうそんなに経つんですね)の鎌倉ゼミ旅行では、つたない幹事でご迷惑をおかけしました。またお世話になることも多々あると思いますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。

防御性集落。立命シンポ。ゼミ旅行。

No.1929

 昨日の朝日新聞に青森県八戸市の林ノ前遺跡から前例のない数の鉄のやじりと縛られた人骨などが出土したことが報じられ、10世紀後半~11世紀の東北地方は激しい戦乱社会で、従来の安倍氏による平和という認識は覆されたというコメントが付されていました。ただし、現在の盛岡市より南にはそのような遺跡は検出されていないようでもあり、東北南部と北部を分けて考えるべきなのでしょうか。防御性集落については、斉藤利男先生の「軍事貴族と辺境社会」(『日本史研究』427)をもう一度読みなおす必要がありそうです。明日の同志社での講義で、前九年合戦を取り上げるに当たって、この問題、ちょっと考えさせられております。
 
 明日といえば、午後に立命館大学人文学科開設記念のシンポジウムが予定されています(NO.1792)。永井路子氏の『吾妻鏡』論も聴けそうですから、『吾妻鏡』講読会参加者は出来るだけ聴講にお出かけ下さい。

 >田中さん  本日、久しぶりに名鉄観光の八井さんが研究室にお見えになりました。これからの観光について意見交換したり「小京都小城」の紹介やらで一時間ほど話しこんでしまいました。九州旅行のフリープランがいろいろあるようですので、ゼミ旅行担当者や平田さんとともに、小城・久留米方面のゼミ旅行について、ぜひ御検討いただければと思います(笠さんのおられるうちに)。
 
 また、平泉や鎌倉(前回参加していない2回生から)についても希望が出ていますので、希望者は率先して原案づくりをして頂ければと思います。事前勉強をしっかりやって、おおいに見聞を広めたいものです。

 ☆ トップページのアクセス数が本日、30000を突破したようです。管理人のご両人にはお手数をおかけいたしますが、掲示板以外も、みんなで協力して充実を期したいものですね。

私も興味があります。

No.1933

 青森県八戸市の林ノ前遺跡の記事、私も読みました。10世紀後半~11世紀という時期は、まさに武具が中世化する時期ですから、どんな鏃の形状なのか是非調査してみたいものです。野口先生、良かったら、ツアーを組みますか?八戸まで、東京からですと、「はやて」が開通して本当に早くなりました。

 なお、渤海などの北方アジア地方の鉄鏃や北東北の防御性集落の鉄鏃との関連から日本での鉄鏃の中世化の過程を考察した論文に、津野仁「中世鉄鏃の形成過程と北方系の鉄鏃」(『土曜考古』25号 2001年5月)があります。

私もまた興味あります

No.1934

 朝日新聞の記事は未読です。取り急ぎ図書館で読んでみたいと思います。昨夏以来、うちは京都新聞に乗り換えましたので。

 ところで、弓箭の技術というのは高度に特殊なものなのか、或いは誰でもそこそこ扱えるものなのでしょうか。
 たとえば伊賀国黒田庄の「住人」が、国使に矢を射掛けるという史料がありますが、そこでいう「住人」とはどういった人物を想定すべきなのか。普段は農業(或いは非農業)に従事している人間がいざというときは弓を手にするのか、もしくは弓箭の達者な者をいざというときのために雇ってあるのか。
 弓道の試合では、百発百中に近い命中率でないと「試合にならない」と聞いたことがありますが、黒田庄の紛争でもそうだったとすると、とても素人には手が出せそうにないように思います。ただし、弓道で使う的は反撃してきませんから、ここでの技術は所謂クローズド=スキルということになるので、敵が反撃してくる実戦での撃ち合いのなかでの技術(オープンド=スキル)とは単純に比較できないんですが。
 みなさんのご意見を頂戴したく存じます。

 MLを使うべきなのでしょうが、次回5/10(月)の『吾妻鏡』の講読会は岩田が担当します。範囲は、既に山本さんからお知らせ頂いたとおりです。どうぞよろしくおねがいします。

 神護寺ツアーに参加できず残念しきりです。
 去年、大学院の授業で「文覚起請文」を読みました。文書後半の抑えの利いた規定の数々に比べ、前半の情念に満ちた文面が印象的でした。那智の滝に打たれる荒行の末、瀕死の状態から不動明王によって甦生したとされる文覚が、あの高雄の山奥でなにを思ったのか。僕も現地でいろいろ考えてみたかったんですが。

Re: 補足

No.1935

 立命館のシンポジウムには、宗文研メンバーの中からもたくさんの方が参加され、いろいろとお話があったようですね。また詳しく教えてくださいね☆

 ところで朝日新聞ですが、ほとんどの記事はインターネットで見ることが出来ます。(土曜版のBeも読めます)
 →http://www.asahi.com/culture/update/0505/002.html
該当記事はこれでしょうか?

 弓箭の技術について>
 僕自身弓道は経験がないので、詳しい話は田中さんにおまかせですが...。
 猪とか鹿を捕らえるときに弓は使ったのでしょうか?
 近代の話にはなるのですが、京北町ゆかりの山国隊は戊申戦争時に、銃の扱いに関して“いわゆる”武士にくらべて、数倍上の命中力を発揮したらしいです。普段から獣を捕まえるために使っていたから、というのが要因のようです。それと関係はあるのかな?と想像してみました。

P.S>弓と獣で、もののけ姫を思い出しました☆馬じゃなくてヤックルですが...

中世の弓箭のことなど

No.1936

 現在の弓道で、前近代特に古代・中世の弓箭戦のことを類推するのは大きな間違いです。そもそも弓・矢そのものが異なりますし、弓射姿勢も異なります。また、弓道のように固定の的を射ることをいくら訓練しても実戦では役に立ちません。やはり動く標的で訓練しなければなりません。その意味で、騎射・歩射問わず、弓箭の訓練には狩猟が一番です。これは炮術でも同じです。不動の的ばかりを撃っていた江戸時代の炮術の師範が、狩猟では獲物に当たらなかったという史料もあるようです。
 そうしたなか、黒田荘の「住人」が具体的にどういう立場の人間であるかは難しい問題ですが、百発百中だけが弓箭の使用法ではありません。敵に当たらなくても、攪乱したり、敵を近付けないようにもでるわけです。その点が飛び道具の利点ですね。それに、弓箭や刀剣などの武具は、現在人の考えが及ばないほど身近なものであったと思います。農業従事者だから武具が使えないというのは、現代的な感覚だと私は思います。

弓箭について再び

No.1939

 みなさんすごく早い応答をありがとうございます。

 鈴木くん>朝日新聞の記事はきっとこれですね。ありがとうございます。

 近藤先生>飛び道具は敵に当たらなくても、攪乱したり、敵を近付けないようにもできるわけですね。なるほど。
 反撃しない固定の的を相手にすることと、動きもすれば反撃もする敵を相手にするのでは、必要な技術が違うというのは兼ねてから私も考えていたことでした。弓道の例を引いたのは軽率でしたが。近藤先生も仰るように、弓箭や刀剣などの武具が現代人の考えが及ばないほど身近なものであったとすれば、そのなかで更に武具の扱いに関して「専門性」を持つ人たちとはどういうものなのか、また史料をみながら考えてみたいと思います。

弓箭について再び

No.1942

だからこそ、武士という存在の定義が難しいわけです。

武士論研究者は武士。

No.1945

 近藤先生、旅行のお誘いと、津野さんの御高論の御教示ありがとうございました。小生は武器そのものというより、地域の状況について関心があります。ただ、今秋、東北福祉大学の岡田清一先生のお招きで仙台に行く機会がありますので、そのおりに余裕があれば行ってみようかとも思っております。
 それから、上記の議論は、儀礼としての武芸と実戦でのそれに関する騎射をめぐるかつての論争と共通する問題だと思います。この論争の当事者は、近藤先生をはじめ、川合康先生・元木泰雄先生・高橋昌明先生・下向井龍彦先生といった錚々たる武士論研究者で、その頂点は、もうかれこれ10年ほど前、近藤先生が日本史研究会の大会報告をされたときだとうかがっております。
 小生、残念ながらこのときは出席できなかったのですが、近藤先生は大判の封筒を大鎧の袖に見立てて実演をされ、質問者はみな大柄なマッチョ風の人が多く、白熱した議論の応酬はまさに戦闘そのものであり、「武士論研究者こそ職能人としての『武士』そのものだ」という神話は、このときに成立したと漏れうけたまわっております。
 なお、小生も同じ本に執筆していますので、宣伝を兼ねて、川合先生の御高論「中世武士の武芸と戦闘」(馬の博物館編『鎌倉の武士と馬』名著出版)を紹介させていただきます。

神護寺いいなぁ・・・

No.1925

私も関西に住んでいたならば、参加させていただくところでしたが・・・
神護寺、結局行ったことが無いんですよね。

ところで、私事ではございますが、
先日3日に結納を行いました。
式は10月に、身内で簡素に挙げます。
一応来年3月までは久留米で仕事をしますが、
来年4月には北海道へ移住します。
以上、報告でした♪(・-・*)

おめでとうございます!

No.1926

笠さんへ
 お久しぶりです。今日の神護寺は、昨日の雨のおかげでぴかぴかとした清々しい新緑でした。
そんな良い季節に結納を行ったんですね。おめでとうございます☆「結納」も「結婚」も私には遠い話のように思えますが、同い年なんですよね~。笠さんなら、しっかりした素敵な夫婦生活を送れると確信しています(笑)また、京都に遊びに来てください。(こちらから行く計画も進行中(!?)です)

神護寺ツァー、よかったなぁ・・・!

No.1927

 笠さん、ついに御公表ですね。おめでとうございます。北海道に移られる前に、ぜひとも九州を訪れたいものです。ゼミ旅行の担当者ならびに福岡・佐賀をルーツとする平田さん・田中さんの御健闘を期待します。
 本日は雨上がりの好天に恵まれ、14人の参加者をもって恒例の神護寺虫払いツアーが実施されましたこと、大慶に存じます。参加の諸姉兄は、伝・源頼朝像や北条政子書状をじっくり鑑賞することが出来たことと思います。御感想は如何?
 今回は高山寺・西明寺も見学でき、清滝川の渓流沿いでの昼食、食後のレクリエーションも楽しゅうございました。
 さらに、京北町でプリンセスの御家族にお目にかかれたことは、とても幸いでした。おもてなし、ありがとうございました。ゼミメンバーもそれぞれ多くのことを学び、考えさせられたことと存じます。
 最後になりましたが、早朝からレンタカーの用意をしてくれた山本君、そして面倒な幹事役を率先して引き受けてくれた田中さんに感謝したいと思います。

おめでとうございます。

No.1928

笠さん>
年末のさりぶみでの忘年会&カラオケ大会ではあまりお話はできませんでしたが、“おめでとうございます!!”

神護寺ツアー参加者のみなさん>
 僕のわがままでみなさんを京北町まで引っ張ってしまいましたが(帰りはご一緒しなくて申し訳ありません)、三尾で1日中楽しめるとは考えもしなかったくらい、僕自身もはしゃいでました。
 4台連ねて行くことになるので、どうなることやらと不安はありましたが、お昼の場所も確保できて(かわらけ投げと飛び石も最高でした)道は混雑もなく行けたので、良かったと思います。
 住んでいる人には失礼ですが...「なんだここは?トンネル抜ければ別世界?」というのが僕の京北町へのイメージです。“遠くは無いけど市内とはちょっと違う”雰囲気は味わえました?
 慣れない山道なので、ドライバーの方はご苦労様でした。今日は参加させてもらって、本当に楽しい一日を過ごせました。みなさま、ありがとうございます。

京北ドライブ

No.1931

>鈴木くん
 神護寺ツアーでは相談にも乗っていただいて、ありがとうでした。いつも先を読んで色々気を使ってくれるので、私としてはとてもありがたいです。京北ドライブは山道が苦手な私にとっては少々難関でしたが、帰りにはすっかり慣れてしまいました。根本的に運転が好きなようで(^^;京北町は・・・「あ、近い朽木や」というのが感想でした。京都(府)は縦に長くて、舞鶴の海から丹波の山、や保津川の渓谷、京都市の中心部等々いろいろな場所があって、どこでもかなり楽しめるのがお気に入りです(^^)

神護寺

No.1937

田中さん鈴木君、幹事ありがとうございました。私はまたしても野口先生の車に乗せていただきました。先生と野口カーには感謝感謝です。

そして笠さん。
鎌倉はご一緒したはずなのに、ほとんどお話しをする事も無く、その後もお会いする機会が無いまま今日に至っております。何はともあれ、おめでとうございます

Re: 神護寺いいなぁ・・・

永富 絵里子
No.1940

笠さん>遅くなりましたが、おめでとうございます~!!
先日の九州方面への研修旅行では、バタバタしていてろくにお話もできなくて申し訳ありません。三日に結納・・・ということはもしや観世音寺でお別れだったのは結納のためだったんですね?!きゃ~
笠さんの花嫁姿の写真、ぜひぜひ見たいです!!
写真、もしよかったら送ってくださいね~

神護寺ツアー参加者様>三尾散策で疲れていたにもかかわらず、はるばる山国荘までおいでくださいましてありがとうございます。うちの家族ともども、多くの方々に展覧会を見ていただくことができ喜んでおりました。ありがとうございます。
また機会がございましたらぜひ遊びにいらしてくださいね♪

それにしてもみんなそろって「こんなとこから通ってるの?!」とか「ありえない」とかいわれっぱなしでしたね~
案外近いことを実感してもらうつもりが逆効果だったのかしら。。。☆

おめでとうございます!

平田樹理
No.1972

 レスが遅くなってすみません。また改めて個人的にご連絡致しますが、笠さん、ご結婚おめでとうございます。高校・大学の先輩である笠さんがご結婚なさるということで、本当に嬉しいです。心よりお祝い申し上げます。
 今年の夏のゼミ旅行は、よいよ九州上陸?なので、この機会にお会いできればと思います。

神護寺

No.1917

こんばんは。
神護寺についてです。
 5月5日(水)
 集合時間:10時
 集合場所:七条大和大路上ル 豊国神社付近
という事にしたいと思います。
プランについては主に鈴木くんと協議中ですが、今年は神護寺・高山寺・西明寺の三尾全部を回ろうと思います。車は市営の(?)無料駐車場に入れて、そこから歩いて回ろうかと考えています。こうすると、お昼は持参する事もできます。例年、野口先生と行くように、もみじ家さんに車を置いて行く事もできますが、今回の参加者が先生を入れて総勢14名になり、全員でお店に入るというのは少々厳しいかと思うのです。移動は田中カー・鈴木カーに山本カー(レンタカーです)、野口カーがありますので大丈夫なのですが、現在お昼などの詳細については検討中です。名案があれば募集します(いまさら!?)
 お天気は、週間天気予報によると4日に降るのではないかと言っていました。毎年晴れているので、今年も大丈夫だと期待したいですね☆

ちなみに野口先生以外の参加者は
 谷垣・山内・山岡・矢野・嶋村・平田・永富・鈴木・山田・野口(洋)・山本・長村・田中です。ゼミ旅行規模ですね。

神護寺ツアーの件など。

No.1918

 小生も「牧の方」の仰せに従い、午前10時に豊国神社前に参向することにいたします。プレミオへの御乗車、歓迎いたします。ただ、5日は午前中の天候が心配ですね。数年前、まだゼミの草創期、八木さん・滑川さん(ともに立命館)・岡崎さん(京女・大現)と訪れたときは、しっかりと雨でした。
 30年ほど前、バスで神護寺に行って、洛北三尾を歩いて回ったときには、まったく疲労したという記憶はないのですが、今回はさぞかし疲れるだろうな。
 それにしても、14名とは大軍になりましたね。12世紀末における畿内近国の武士団の武力は、こんなものでしょう。そして、今回は、「牧の方」の動員力によってか、初陣のメンバーが多く、これは喜ばしい限りです。
 それにしても、人数が集まるとすぐに武士団と短絡してしまうのは病気ですね。なにしろ、高校生のころ、古典の時間に「平常服」を「たいらのつねふく」と読んだ人間ですから、お許しあれ。ちなみに、小生がそのころハマっていた「千葉氏」は桓武平氏で、平安末までは代々「常」の字を名の通字に使っていたのです。

 ☆ 末松さんから、差し上げた全自動洗濯機が快調に働いており、御家族から喜ばれたというお知らせをいただいて、ホッとしています。
 なお、一部予約済みカラーボックスのほか、高さ180・幅90センチほどの新品同様の書架や多少傷ありの机なども余っているのですが、欲しい人はいませんか?取りに来ていただけるのならご連絡下さい。  

プリンセスご帰還

No.1921

  タイトル通りです(^O^)v

 さて、神護寺ですが
 やはり問題は、お昼ご飯についてでしょうか?
 10時出発ということで、11時過ぎには現地の市営高雄駐車場へ到着できると思います。(栂ノ尾なので、高山寺→西明寺→神護寺の順or逆順が良いと思います。)

 もみじ家・河鹿茶屋等で昼食をとっても良いとは思いますが「観光地料金」なので、もしよければ京北町まで足を伸ばすとというのはどうでしょうか?
 お昼の時間は少し遅くはなりますが、周山界隈にはおいしいお店がたくさんありますし、京北町は遠くはないですよ。(バスで行くと中川郷を遠回りするので時間がかかってしまうんです)
 周山街道の運転のしにくさについてですが、高雄近辺がコースの中で一番道が細くなっています。そこをすぎれば快適です☆、朝熊山スカイラインより気持ちの良いドライブを保証します!!

 と、宣伝してしまいましたが、ご意見よろしくお願いします。

P.S.
野口先生>JR東海の京都キャンペーンの記事、僕も読みました。GW最終日なので、ある程度はましになっているかな?とは思ってはいるのですが、市営高雄駐車場については少し不安になってきました...
[参考]http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040503-00000002-kyt-l26

 

そうだ、京都へ行こう

No.1922

京都新聞読みましたよ!!
「そうだ、京都へ行こう」というのは、関東の人たちの旅行意欲を刺激するキャッチコピー&ポスターですが、生まれてこのかた京都に住んでいる私としては来んでいい!!」という感じです。観光シーズンは道も街中も混んでいて、出かける気をなくす時があります。
 で、話題の高雄はどうなんでしょう。GW最終日にしたのは、行楽客は僻地を最後に回すことはないだろうという目論見によるものでしたが、私の想像を遥かに超えるものかもしれません。これは行ってみないと分からないでしょうね。どっちみち出来るだけ早く到着するというのが一番良いでしょうから、遅刻は厳禁です(私が一番不安(--;)。
 お昼ごはんについては・・・天候等をかんがみて当日決定しますので(考えても決まらないもん)、皆さんちゃんと考えてきてください。私としては京北町案が魅力的ですが、皆さん次第です。少々お昼が遅くなっても大丈夫なように、軽食もしくはお菓子を持参するというあいまい案でいかがでしょうか?

「へ」は抜きです。

No.1923

 まずもって、プリンセスの無事御帰還祝着至極です。何処の博物館で何を見学し、どう考えたか?等々、根掘り葉掘りうかがいたいものです。
 つぎに、「そうだ、京都行こう」ですが、これは「そうだ、京都へ行こう」ではありません。「へ」のないところが、このキャッチコピーのキャッチコピーたる所以です。「へ」については、「平成」に絡んで今朝の朝日新聞に丸谷才一氏が面白い記事を書いておられます。
 関東人の京都憧憬は今に始まったことではありませんが、なぜか中世の武士を研究対象にしている御仁の一部には、反京都感情が極端に強い方がおられるのも事実です。好き嫌いは仕方のないことですが、しかし武士論も都市論も京都無視では成り立ないことは明らかです。
 話がそれてしまいましたが、京都在住のわれわれは、何も連休に観光に出かける必要はないので、目的はあくまでも年に一度の「虫払い」の見学にあることを再確認したいと存じます。
 駐車場は心配ですが、有料ならどこかあるでしょう。なお、小生、時間厳守で参向したいと存じますが、帰省ラッシュに巻き込まれて遅延のおそれもあります。豊国神社前には一度必ず行くつもりですが、先に行ってくださって構いません。手帳にメモのある、どなたかのケータイに連絡します。
 お昼ご飯は、気候の良い時期なので、手作りのお弁当持参というのが小生の理想とするところです。ただし、あくまでも「理想」であります。

「へ」は抜きでした。

No.1924

☆神護寺虫払いツアー参加の皆様☆
 連絡など、いろいろ急ですみません。明日は時間厳守でお願いします。すみませんついでですが、人数が多いこともあるので、掲示板を見たり、メールが届いたりという時にはちょっとでいいのでアクションをいただけるとありがたいです。このスレッドを見ても、野口先生と私と鈴木君しか書き込みをしていません。メールの返事もないとなると、皆さんの希望を聞きたくても聞くことができません。よろしくお願いします。

>野口先生へ
 新緑の中で手作りお弁当を食べる・・・私にとっても理想的です☆でも、私の連絡も遅かったので、お弁当はまた今度におあずけということになりそうです。天気も持ちそうなので、少々味気ないですがどこかでお弁当を買うというのも有りだと思っています。それは皆さん次第で行きたいと思います。
 

スライド書棚設置

No.1914

野口先生宅の書架の設置が終了したようですが、我が家も本日、スライド書棚を設置してもらいました。

カタログでは1300冊収納可とありますが、一冊が1.5センチ厚計算なので、当然我々の本では、公表の半分以下も入りませんし、もちろん一台では、私の少ない蔵書でもその一部しか収納できませんが、しかし、宣伝通り、狭いスペースを有効に使えるのは確かです。

連休は仕事の傍ら本の整理になりそうです。体力があるとはいえ、私はまったく1人での作業です。お手伝いのいらっしゃる野口先生が羨ましい。

それにしても、価格が定価よりも10万円も安いというのはどういうカラクリでしょ?

固定式書架設置。

No.1916

 こちらは本の配架がようやく一段落したところです。長い間死蔵されていた本たちが息を吹き返しました。なによりも、すべての本が見渡せるのがありがたく、これからは、本探しで一日を無為に費やすなどという馬鹿げたことをしないで済みそうです。

 書架は高さ2400・幅833ミリのものを12基、書斎と玄関に4列にして配置しました。このうち2列は両面から本を入れることがてきるものなので、全部で5000冊程が収納できます。

 この書架は厚さ21ミリのベニヤ合板製で、棚は点ではなく線で固定するので重量のある本でも安心です。また、一つ一つの棚は、ぼほ『大日本史料』がすっぽりと収まる高さですので無駄がありません。もちろん上下も可能で、A4サイズの本を入れることも出来ます。家具屋で売っている装飾目的で実用性に乏しいものとも、実用一点張りのスチール製のものとも異なります。木の柔らかさ、温かさを感じさせつつ、コンクリート打ち放しのモダン建築的な感じのする書架です。

 歴史学や国文学研究者のために用意された書架という評価が適切かも知れません。設計された木下洋さんには、収納と利用の矛盾に悩んでいる研究者は多いので、相当な需要が見込めるのではないかとお話ししておきました。御紹介いただいた箕浦尚美先生にはあらためてお礼申しあげる次第です。

 宣伝のようになっしまいましたが、ご関心のある方は下記にお問い合わせ下さい。
 キノシタ建築研究所 〒546-0024 大阪市東住吉区公園南矢田1-28-18-105
 ℡06-6697-0205

 研究者を志す人たちにとっても本の収納は死活問題だと思います。すでに、ゼミメンバーからは見学希望が殺到しておりますが、これには出来うる限りお応えしたいと思っています。
 千葉→京都→鹿児島→千葉→京都と人並みはずれた引っ越し代(ほとんど自弁)と腰痛という対価を払って移動を続け、ようやく活躍のための安住の場を得た本たちを活用して、おおいに研究に励みたいと思っています。

☆ そのほかの用件
 >元木先生  卒論報告会の思い出のお話、ありがとうございました。斯界の第一人者から激励をいただいた山本君がうらやましい限りです。
 小生など、院生時代に本格的な他流試合の経験が全くないままに、一応研究者もどきのポストに就いたという経歴ですので、今でも研究会などでの論戦はまったく苦手です。そもそも他人と話しをするのも下手ですし、頭の回転が遅く、切り返しがうまくない。理屈よりも感情や気合いに押されるという負い目もあります。したがって、誰もやらない事実の解明をコツコツと進めるという自己満足の世界に浸りがちでした。
 研究会・学会における元木先生の斬り込みには、いつも感心しています。元木先生は学界の「名将」にして「猛将」です。山本君も長村君も大いに見習ってください。さらに、巴御前のような女性の勇将の登場も待望されます。

 >須田牧子様  御懇書ならびに御高論「中世後期における赤間関の機能と大内氏」抜刷、ありがたく拝受いたしました。前の『歴史学研究』に御発表の御高論同様、おおいに学ばせていただきました。とくに、山口と赤間関は旅行したばかりでしたので、血となり肉となったという感じです。当ゼミには史学科で東洋史専攻に属しながら日本中世史にせまりたいという山岡瞳さんという2回生がおり、いつも須田さんの御研究をお手本に勉強を進めるように指示しています。すこし、時代は遡るのですが、機会がありましたら御指導をおねがいできれば幸いです。ますますの、御研究の進展を祈念いたしております。とりあえず、この場を借りてお礼を申しあげさせていただきました。
 それにしても、都立大の院生の方々は皆さん素晴らしい研究をされておられ、当ゼミ生の羨望の対象になっております。
   
 >田中さん  神護寺ツアーの集合時間などお知らせ下さい。小生、また、「もみじ屋」さんに駐車して昼食をとってから、お寺に参りたいと存じております。今年は文覚のお墓は遙拝ですませ、土器投げだけにしたいと思っています。ただ、天気が心配ですね。

 >プリンセスの永富さん  九州はいかがですか?

被普請給畢、幸甚々々

No.1919

>野口先生  書架の設置、お疲れさまでした。至近の在住でありながら、馳せ参ずることができず申し訳ありませんでした。お手伝いの皆さんもおつかれさまでした。良き書架を設置されたようで、何よりでございます。
 私は結局のところずっと小遣い稼ぎをしておりました。東山区の祇園ホテル一階、某コーヒーチェーン店で観光客のお相手をしておりました。

祇園ホテルの屋上から。

No.1920

 書架の設置は済みましたが、部屋の様子がすっかり変わって落ち着きません。本格的に仕事に取りかかるには、まだ環境整備が必要なようです。
 岩田君のバイト先の祇園ホテルは四条通に面し、八坂神社の至近にあるホテルです。祇園祭の日の夕刻に屋上のビアガーデンに行ったことがありますが、東山一望、まさに絶景でした。岩田君、そのうち拙宅に遊びにお立ち寄り下さい。
 ところで、今日の京都新聞にJR東海の「そうだ京都、行こう」のキャンペーンに関する記事が出ていましたが、目下の宣伝素材は神護寺とのことで、あの、よく時代劇のロケに使われる石の階段の写真が掲げられていました。5日はこれにつられて沢山の観光客が・・・という可能性もございますね。
 神護寺ツアー参加の諸君。すくなくとも、神護寺と高山寺の沿革や寺の所蔵する文化財について事前勉強をしておいて下さい。感動は、そのうえに訪れますから。