書評:大石直正著『奥州藤原氏の時代』
No.1957
『歴史評論』6月号に上記書評を掲載していただきました。中世東北史研究の泰斗であられる大石先生の論文集の書評など身に余る仕事で、小生の非力ゆえの遅れと、提出後掲載まで時間を要したことで今に至ってしまいました。遅きに失したの感なきにしもあらずですが、ご笑覧いただければ幸いです。
書評とはいえ、かなりの部分、これまで大石先生の御意見と相違する点について、発表するのに適切な場の得られなかったこと(私信などでは申しあげていましたが)を率直に展開させていただきました。すなわち、柳之御所遺跡で検出された折敷墨書の「人々給絹日記」の人名比定と「源頼俊申文」の「清原○衡」の○を貞と読むか真と読むかについての問題です。とくに後者については、投稿後のことでしたが、この掲示板で多くの方々から小生の見解に賛成する旨の御意見を頂き、美川先生をとおして田中倫子先生にもご判読いただいて、「貞」と読むべき事で決着したと考えているものです。
最近では、東北の研究者の中にも、上記の2点について小生と意見を同じくする方が現れてきており、議論の高まりを期待したいところです。よろしく、御検討下されば幸いです。
書評とはいえ、かなりの部分、これまで大石先生の御意見と相違する点について、発表するのに適切な場の得られなかったこと(私信などでは申しあげていましたが)を率直に展開させていただきました。すなわち、柳之御所遺跡で検出された折敷墨書の「人々給絹日記」の人名比定と「源頼俊申文」の「清原○衡」の○を貞と読むか真と読むかについての問題です。とくに後者については、投稿後のことでしたが、この掲示板で多くの方々から小生の見解に賛成する旨の御意見を頂き、美川先生をとおして田中倫子先生にもご判読いただいて、「貞」と読むべき事で決着したと考えているものです。
最近では、東北の研究者の中にも、上記の2点について小生と意見を同じくする方が現れてきており、議論の高まりを期待したいところです。よろしく、御検討下されば幸いです。