行ってよかった仏教史学会例会
No.18289
Facebookでお伝えしたように、昨日は仏教史学会例会に平雅行先生の研究発表「日本中世における出家入道」を拝聴に出かけました。
ちょっと時間的に無理かな、と出席を諦めていたのですが、前日の夜に、以前、先生から頂いた「出家入道と中世社会」(『大阪大学大学院文学研究科研究紀要』53)をあらためて拝読したところ、これは行かずばなるまいと思いました。とくに、本文の最後に書かれた「中世仏教史を寺院と僧侶の歴史から解き放たなくてはならない」という一節のインパクトは大きく、一挙に優先順位が上昇したという次第です
この論文は、家督を保持したまま出家入道するという、世界史的にも奇異な日本中世の風習とその背景について考察し、浄土教が中世社会に与えた影響の大きさを論じたものですが、今回の御報告は、膨大な出家事例を分類・類型化した成果を踏まえて、なぜ中世社会で出家が盛行したのか、その原因を探ることを目的とされたものでした。
その内容をここでお話しするわけにはまいりませんが、私が痛切に思い至ったのは、平先生御自身も指摘されていることなのですが、近親者や主人の出家に家族・従者が追随する例などを見ると、これは主従制の研究や家制度の研究に還元できるし、出家した者が院や大殿などとして最高権力者の地位にあることは、日本中世における政治権力論、さらには日本人の心性や社会構造のあり方にも及ぶ、とても重要なテーマであるということでした。
具体的な事例のお話しも面白く、某貴人が出家を完了するまでの潔斎には大いに頑張ったのに、それが過ぎると途端に大々的に博奕や大酒を再開し、女色にふけるといった事例など、今日のダイエットブームを彷彿とさせるものがございました。それから、「一蓮托生」の意味とか、なぜ近世から「心中」が盛行するようになったのかといったことも分かりました。まだまだ面白い事実が紹介されておりましたが、それら個々のお話しは来年の教養科目の講義などで大いに使わせて頂こうと思っております。
それから、「出家入道」の意味を考えるに、現代社会において言うならば、まさに大学こそが、そうした存在が身を置くところであるべきだということに思い至りました。
何を言っているのだろうとお思いの向きも多かろうと思いますが、まぁ少し考えてみて下さい。
ともあれ、京女から会場の龍谷大学(七条大宮)までテクテクと歩いていった甲斐は大いにございました。平先生が楽しそうに御研究に取り組んでおられる様子を拝見したことで、私自身の研究に対するモチベーションも高めることが出来ました。
会場では下石君と御一緒させて頂きましたが、仏教史の名だたる研究者がたくさんお見えのようでした。
さて、本日は27日の講演レジュメを作成しています。ほかにもたくさん、書類を書いたりしなければならないことがあるのですが・・・、
かくして貴重な日曜の午後も過ぎていくのでした。
それから、申し遅れましたが、院試を受けたみなさん、お疲れ様でした。朗報をお待ちしています。
もし駄目であっても気落ちすることなかれ。君たちの実力をもってすれば、春にはいくらでも逆転することが可能です。
木曜日は、15時に史料講読会が始まる前、14時から一時間ほどは、研究(卒論・修論・博論)や進学についての相談に乗りますよ、とお伝えしたところ、早速お申し込みを頂きました。御役に立てそうなことがあれば、どうぞ御遠慮なく。
ちょっと時間的に無理かな、と出席を諦めていたのですが、前日の夜に、以前、先生から頂いた「出家入道と中世社会」(『大阪大学大学院文学研究科研究紀要』53)をあらためて拝読したところ、これは行かずばなるまいと思いました。とくに、本文の最後に書かれた「中世仏教史を寺院と僧侶の歴史から解き放たなくてはならない」という一節のインパクトは大きく、一挙に優先順位が上昇したという次第です
この論文は、家督を保持したまま出家入道するという、世界史的にも奇異な日本中世の風習とその背景について考察し、浄土教が中世社会に与えた影響の大きさを論じたものですが、今回の御報告は、膨大な出家事例を分類・類型化した成果を踏まえて、なぜ中世社会で出家が盛行したのか、その原因を探ることを目的とされたものでした。
その内容をここでお話しするわけにはまいりませんが、私が痛切に思い至ったのは、平先生御自身も指摘されていることなのですが、近親者や主人の出家に家族・従者が追随する例などを見ると、これは主従制の研究や家制度の研究に還元できるし、出家した者が院や大殿などとして最高権力者の地位にあることは、日本中世における政治権力論、さらには日本人の心性や社会構造のあり方にも及ぶ、とても重要なテーマであるということでした。
具体的な事例のお話しも面白く、某貴人が出家を完了するまでの潔斎には大いに頑張ったのに、それが過ぎると途端に大々的に博奕や大酒を再開し、女色にふけるといった事例など、今日のダイエットブームを彷彿とさせるものがございました。それから、「一蓮托生」の意味とか、なぜ近世から「心中」が盛行するようになったのかといったことも分かりました。まだまだ面白い事実が紹介されておりましたが、それら個々のお話しは来年の教養科目の講義などで大いに使わせて頂こうと思っております。
それから、「出家入道」の意味を考えるに、現代社会において言うならば、まさに大学こそが、そうした存在が身を置くところであるべきだということに思い至りました。
何を言っているのだろうとお思いの向きも多かろうと思いますが、まぁ少し考えてみて下さい。
ともあれ、京女から会場の龍谷大学(七条大宮)までテクテクと歩いていった甲斐は大いにございました。平先生が楽しそうに御研究に取り組んでおられる様子を拝見したことで、私自身の研究に対するモチベーションも高めることが出来ました。
会場では下石君と御一緒させて頂きましたが、仏教史の名だたる研究者がたくさんお見えのようでした。
さて、本日は27日の講演レジュメを作成しています。ほかにもたくさん、書類を書いたりしなければならないことがあるのですが・・・、
かくして貴重な日曜の午後も過ぎていくのでした。
それから、申し遅れましたが、院試を受けたみなさん、お疲れ様でした。朗報をお待ちしています。
もし駄目であっても気落ちすることなかれ。君たちの実力をもってすれば、春にはいくらでも逆転することが可能です。
木曜日は、15時に史料講読会が始まる前、14時から一時間ほどは、研究(卒論・修論・博論)や進学についての相談に乗りますよ、とお伝えしたところ、早速お申し込みを頂きました。御役に立てそうなことがあれば、どうぞ御遠慮なく。