平安京検非違庁址顕彰碑建立
山田邦和(花園大学・考古学)
No.1767
野口先生、皆様、こんにちは。
既にご紹介いただいたとおり、一昨日、「平安京検非違庁址」顕彰碑を建立し、そのお披露目をおこないました。
自分の家の前に自分で石碑を建てるとはなんと酔狂なこと、と自分でも思いますし、話題が大きくなってしまって気恥ずかしいのも確かです。しかし、幼い頃から京都の史跡に親しみ続けた私にとって、これはぜひやりたかったことなのです。
歴史学にたずさわる私たちは、もちろん、学界の最先端をいく「難しい」研究成果を常に出していかなくてはなりません。しかしそれとともに、講義、講演、非専門家向けの文章の執筆、マスコミ出演、展覧会の開催、などによって、たくさんの人たちに歴史の重要性を認識してもらうことはたいへん重要なことだと思います。
そう考えた時に、史跡に顕彰碑を建てるというのは、限りなく有効な市民への訴えかけの手段です。私の家の前は人通りの少ない道ですが、それでも一年に通る人々の数は相当なものでしょう。そのうちの0.01パーセントでも顕彰碑に目をやる人が出てくれれば、ここにこんな歴史が秘められているんだ、ということを知ってもらうことができます。しかも、机上の空論ではなく、「土地」に密着した形で訴えかけることができるのです。
もうひとつ。講義や講演や展覧会は一過性ですし、文章も(「古典」となるような名著を書かない限り)永く読み続けられることはなかなか難しい。しかし、石碑は、未来永劫とはいわないまでも、はるかに永い期間にわたって人々に語りかけることができます。
しかし、研究者の中で、顕彰碑建立といった仕事に関心を持つ人は決して多くありません。その点では、角田文衞先生は早くからいろいろな史跡に顕彰碑を建立されてこられました。先生に聞くと、京都で20基くらいはあるかな、ということです。私は、やはり角田先生は偉い、と思います。
もちろん角田先生の御業績にはおよびもつきませんが、私も機会ごとに、こうした活動をおこなっていきたいと思います。
お近くをお通りの節は、ぜひ「平安京検非違庁址」顕彰碑をご覧になってください。
既にご紹介いただいたとおり、一昨日、「平安京検非違庁址」顕彰碑を建立し、そのお披露目をおこないました。
自分の家の前に自分で石碑を建てるとはなんと酔狂なこと、と自分でも思いますし、話題が大きくなってしまって気恥ずかしいのも確かです。しかし、幼い頃から京都の史跡に親しみ続けた私にとって、これはぜひやりたかったことなのです。
歴史学にたずさわる私たちは、もちろん、学界の最先端をいく「難しい」研究成果を常に出していかなくてはなりません。しかしそれとともに、講義、講演、非専門家向けの文章の執筆、マスコミ出演、展覧会の開催、などによって、たくさんの人たちに歴史の重要性を認識してもらうことはたいへん重要なことだと思います。
そう考えた時に、史跡に顕彰碑を建てるというのは、限りなく有効な市民への訴えかけの手段です。私の家の前は人通りの少ない道ですが、それでも一年に通る人々の数は相当なものでしょう。そのうちの0.01パーセントでも顕彰碑に目をやる人が出てくれれば、ここにこんな歴史が秘められているんだ、ということを知ってもらうことができます。しかも、机上の空論ではなく、「土地」に密着した形で訴えかけることができるのです。
もうひとつ。講義や講演や展覧会は一過性ですし、文章も(「古典」となるような名著を書かない限り)永く読み続けられることはなかなか難しい。しかし、石碑は、未来永劫とはいわないまでも、はるかに永い期間にわたって人々に語りかけることができます。
しかし、研究者の中で、顕彰碑建立といった仕事に関心を持つ人は決して多くありません。その点では、角田文衞先生は早くからいろいろな史跡に顕彰碑を建立されてこられました。先生に聞くと、京都で20基くらいはあるかな、ということです。私は、やはり角田先生は偉い、と思います。
もちろん角田先生の御業績にはおよびもつきませんが、私も機会ごとに、こうした活動をおこなっていきたいと思います。
お近くをお通りの節は、ぜひ「平安京検非違庁址」顕彰碑をご覧になってください。