『御堂関白記』講読会の思い出
No.16838
8月の第3週といえば、かつて古代学協会で御堂関白記の講読会が開かれていたことが思い出されます。講師は山中裕先生。横浜のカルチャーセンターで山中先生の講座を受講されている山中先生ファンの御婦人たちや、鹿児島で御堂関白記を講読している一般の方たちをはじめ、当時東大や京大の大学院に在籍していた歴史学者の卵たちが一堂に会して、大変な盛況ぶりでした。歴史学のみならず国文の研究者も多数参加。角田文衞先生・山中裕先生の広い御活躍ぶりが反映されたイベントでもありました。
京大の関係者では西山良平さんとか吉川真司さんも出席されていたように記憶します。
思文閣会館で開かれていた頃には、会が終わって、みんな一緒にレストランで昼食を済ませ、それから鴨川まで歩いて、下鴨神社の納涼古本市に出かけたりしました。すると、かならず、同志社大学の竹居明男先生にお目にかかれたものでした。
最終日の夜は大文字の送り火を鑑賞。
山中先生もことし6月に亡くなられてしまいました。さみしい限りです。
昔は、このように、夏休みに全国の研究者が一堂に会して一週間にわたって、史料を読み親睦を深めるようなことをする余裕がありました。
今はどうかといえば、なにしろ私など、未だに研究室でレポートの採点に取り組んでいる有様ですから・・・。
☆ 神戸大学の樋口健太郎先生より、御高論「藤原忠実と宇治」(『古代文化』66-1)・「摂関家九条流における「氏寺」の継承と相論』(『神戸大学史学年報』29)を御恵送頂きました。
樋口先生にあつくお礼を申し上げます。
京大の関係者では西山良平さんとか吉川真司さんも出席されていたように記憶します。
思文閣会館で開かれていた頃には、会が終わって、みんな一緒にレストランで昼食を済ませ、それから鴨川まで歩いて、下鴨神社の納涼古本市に出かけたりしました。すると、かならず、同志社大学の竹居明男先生にお目にかかれたものでした。
最終日の夜は大文字の送り火を鑑賞。
山中先生もことし6月に亡くなられてしまいました。さみしい限りです。
昔は、このように、夏休みに全国の研究者が一堂に会して一週間にわたって、史料を読み親睦を深めるようなことをする余裕がありました。
今はどうかといえば、なにしろ私など、未だに研究室でレポートの採点に取り組んでいる有様ですから・・・。
☆ 神戸大学の樋口健太郎先生より、御高論「藤原忠実と宇治」(『古代文化』66-1)・「摂関家九条流における「氏寺」の継承と相論』(『神戸大学史学年報』29)を御恵送頂きました。
樋口先生にあつくお礼を申し上げます。