送り火の後に来た夏の日に。

No.17056

 大学の夏季休日の期間が終わりましたので、今日は研究室で「お仕事」です。
 閑散とした大学の様子はFacebookで。
 研究室旅行のみなさんには、好天でよかったと思います。普段の心がけがよいのか、今回は「雨男」もしくは「雨女」の参加がなかったのか? 
 いずれにしても、充実したご旅行と道中のご無事を祈念いたします。

 ☆ 立教大学の佐藤雄基先生より、御高論「中世の法と裁判」(『岩波講座日本歴史』第7巻)・「朝河貫一と入来文書の邂逅-大正期の地域と歴史をめぐる環境-」(河西英通ほか編『グローバル化のなかの日本史像-「長期の一九世紀」を生きた地域』岩田書院)・「大江広元と三善康信(善信)~京・鎌倉をむすぶ文士のつながり~」(平雅行編『中世の人物 京・鎌倉の時代編 第三巻 公武権力の変容と仏教界』清文堂出版)・「書評 富田正弘著『中世公家政治文書論』」(『日本史研究』621)・「『薩藩旧記雑録』の「譜」とその周辺-島津義久・天正年中日々記・古今伝授-」(『東京大学日本史研究室紀要 別冊「中世政治社会論叢」』)を御恵送頂きました。
 佐藤先生にあつく御礼を申し上げます。

ご無沙汰しております。

山本陽一郎
No.17026

 ご無沙汰しております。福井県の山本陽一郎です。
かなり前になるのですが、『紫苑』12号と野口先生の抜刷を送っていただき、ありがとうございます。
頂いた時にお礼の書き込みをすればよかったのですが、今年から定時制の高校と全日制の高校の2つを掛け持ちになり、4月から5月がバタバタしていて、お礼の書き込みができませんでした(謝)。
 生来一つの事に目を奪われると、他の事まで器用に手がまわらない癖がまたでました(泣)。
特に今年度は、定時制を受け持ったのですが、日曜日が通勤日なので、何か変な感じです。
ただ定時制の高校に、以前福井県史の編纂に携わった先生がおられまして、思わず歓迎会の時に平安遺文と戸田芳実先生の話で盛り上がりました。
 今年度は、日本史と世界史、そして2学期からは地理も担当になるので、正直てんてこ舞いの日々ですが、いろいろ勉強&経験になっています。ただどうしても分からないのが世界史必修で、地理と日本史が選択という現状です。過去の歴史にどのようなスタンスを取るのかは各個人の自由ですが、最低限の歴史的知識や思考が、日本史に関してはなおざりにされているのが本当に理解に苦しみます。先日テレビで終戦の日を知らない若者がいたのを見る度に日本史必修化を痛感しています。
 
 今回の『紫苑』でもう12号になるんですね。自分がゼミにお所属していた時はまだ2号~4号だったことを考えると、隔世の感があります。同志社の授業後に喫茶店で野口先生といろいろ歓談できたことがつい先日のことのように感じます。また自分が始めた『吾妻鏡』購読会が現在も継続しているのは、岩田さんの存在があったればこそです。本当にありがとうございます。岩田さんには足を向けて寝れません。

 歴史と向き合う関係でおかしいと思う点がもう一つあります。我が福井県は県の政策で「歴史の見える街作り」というのがあるのですが、福井県立郷土歴史博物館の改装や史跡に関する説明版の設置など、外見上はそれなりに進んでいると思うんですが、肝心の史跡である福井城に県庁が建っているのが自分には理解出来ません。普通は松江市みたいに史跡公園にするものですが、何故か福井県は県庁の建物を建ててしまい、福井城跡は、市民の憩いの場ではなく、権力の象徴の場になっている次第です。これも歴史に謙虚に向き合っていないのではないかと思っています。
 
 ついつい愚痴を書いてしまいましたが、誰かの言葉で「歴史や文化を大事にしない民族は衰退する」というのがあったと思うんですが、今の高校での歴史教育や城跡にある県庁の建物を考える時、他人事とはおもえません。
 あと僭越ながら、野口ゼミの自由な雰囲気を今後も守っていって欲しいと思います。あの自由な雰囲気で勉強できたことは、今考えるとすごく贅沢な時間だったと思います。
 長々と書きましたが、また近況に変化があったら掲示板に書き込みたいと思います。
 PS:ゼミ旅行で平泉に行くことになったら、鎌倉武士の「いざ鎌倉へ」ではありませんが、馳せ参じたいと思います。  
編集:2014/08/17(Sun) 18:40

 山本君、お久しぶりです。

No.17027

 山本君、お元気そうで何よりです。
 『吾妻鏡』講読会の時に、「山本君と読んでいた時はこんなことがあったなぁ~」などと岩田君と思い出話をしたりしておりますから、貴兄の存在は現メンバーの間でも有名です。
 
 ちなみに、ゼミのFacebookを作りました。ここに昔の写真をたくさん貼り付けてありますので、貴兄もぜひ登録して御覧下さい。
 個人的には岩田君・田中(現、丸山)さん、それに鈴木御夫妻(鈴木君と永冨さん)・薗田(現姓、黒岩)さん・滑川さん、それに私もFacebookにページを開いています。そうそう、生まれたときに男だったら貴兄と同じ名前になるはずだった山本さんも開いていますよ。
 
 高校の日本史必修の問題はまったく同感です。また、地域の歴史認識に対する地方自治体・行政の取り組みは、たいてい何処でも同じような問題に直面しています。
 それから、科目の担当は自分の勉強だと思って楽しんでがんばってください。私も高校教員時代、地理・世界史・現代社会・日本史を担当しました。もっとも教科指導より生徒指導でテンヤワンヤでしたが。
 でも、あの頃の経験はマイナスもありますが、けっこう大学教員として生きる上で、役に立っていると思います。貴兄の人生にとっても大きなプラスになるはずです。

 平泉に行ければ良いのですが、来年の二月・三月頃がみんなでゼミ旅行に行く最後のチャンスになるのではないかと思います。平泉でなくとも、山本君の行きたいところがあれば、古参のみんなも誘って、お互いの都合のよいときに出かけられればと思います。現メンバーとの親睦を図れれば、さらに有意義なことになるでしょう。
 また、京都に来ることがあったら、研究室に立ち寄ってください。

 それから、そう言えば、あしたから、京大の元木研究室の研究室旅行が若狭方面のコースで行われるとうかがっています。岩田君も行っていますから、どこかで待ち伏せするのも面白かろうと思います。

 最後に、余計なお世話ながら、「同志社の生んだ偉大なる3Y」で、未婚者は一人になったことをお伝えしておきます。

ジェネラル芋粥の古里探訪

No.17169

>山本陽一郎さん おくればせながら、書き込みをありがとうございます。野口先生のご案内のとおり、18日から三日間、元木先生の研究室旅行のお供で福井・敦賀を見学してきました。地元の英雄である山本さんに一言も断りを入れずにいて、申し訳ありません。なお、現役のメンバーに陽一郎さんではない山本さんもおられますので、冒頭はフルネームで呼びかけさせていただきました。ご了承ください。

 今年度は定時制のご担当にてご活躍の由、お慶び申し上げます。日本史のお話しができる先生が身近におられるのも大変結構ですね。
 しかし、日本史に関する(われわれからすると常識に属するような)事柄についての知識も覚束ないような学生さんのご指導にも苦労されているご様子、お察し申し上げます。ここはひとつ山本さんの熱意で、学生さんたちの目を日本史の(欲を言えば中世前期の)楽しさに向けさせていただきたいと思います。

 『紫苑』もご覧いただいてありがとうございます。順調に号を重ねていますが、これも、『吾妻鏡』の講読会をはじめられるなど草創期に活躍された山本さんたちのご尽力の賜物です。レールを新たに敷くよりも、敷いていただいたレールを走ることのなんと楽なことか。いまでもときどき講読会で山本さんのお名前を出しますが、山本さんたちがはじめた講読会があるから自由な雰囲気で勉強できると現メンバーにはお伝えしています(※多少ニュアンスは変えています(笑))。そうすれば現メンバーも山本さんの存在を感じて、次に何かを伝えてくれると思います。

 8/18~20の福井旅行では、丸岡城・称念寺(新田義貞墓所)・東尋坊・瀧谷寺・みくに龍翔館・燈明寺畷新田義貞戦没伝説地、柴田神社・永平寺・一乗谷・織田劔神社、敦賀市立博物館・気比神社・金ヶ崎城跡・西福寺・敦賀鉄道資料館(旧敦賀港駅舎)などを見学しました。当地の豊かな自然や文化に触れる貴重な機会でした。山本さんのご指摘にもあるような課題もあるようですが、これら豊かな自然や文化をうまく教育・普及活動にも反映できればすばらしいと思います。山本さんにかかる期待は大きい!

 今回はご都合を伺うことすらできませんでしたが、またどこかでお目にかかることができれば、武士や幕府のことなどたくさんおしゃべりしましょう。
編集:2014/08/21(Thu) 18:04

「ジェネラル芋がゆ」の子孫は斉藤さんとか富樫さんとか?

No.17176

 「ジェネラル芋がゆ」とは、なかなかの命名ですね。
 「これは誰を指すと思うか」という設問は入試にも使えそうですね。

 受験勉強をガチガチにやった高校生よりも、 こういうのがパッとひらめく高校生の方が本当の学問を究められるのではないかと思います。
 

本日の一句:「晩節は自ずと汚れるものだ、と野口言い。」

No.16990

 那須行きの件。最近は夏休みの期間が短くなっていますし、関西からですと旅費もかかりますから、くれぐれも無理のないようにお願い致します。目下、参加希望者は一人もいません。
 みんなで行くには、かなり以前から計画しているものでなければ、近場で一泊とか日帰りがよいのかも知れませんね。そもそも私自身が体力的に厳しい状態です。
 それにしても、10年ほど前は、なんであんなに次々とゼミで遠方に旅行が出来たのか不思議でなりません。あのころに、平泉など行っておけばよかったと反省しております。

 昨日は某学術雑誌の編集会議に出かけたのですが、地下鉄の駅の階段で躓いた際に、右手の中指を突き指してしまい、今日になって腫れてまいりましたので、PCの使用に支障をきたしております。
 24日のレジュメを作成中なのですが・・・。
 もっとも、指だけではなく、頭脳の方も回転が遅くなっており、こちらの方が深刻です。

 本日のお昼、京都は大雨で、警報が出たり、電車が止まったりしております。九条の現説はどうなったことか。「五山の送り火」は行われるのでしょうか?いろいろ気になります。

【緊急連絡】 那須方面の史跡見学について

No.16926

 先にお話ししましたとおり、9月6日(土)に栃木県大田原市の「那須与一伝承館」で下野の武士団に関する講演を頼まれました。その翌日、学芸員の前川辰徳先生(先年、茨城大学で開催されたシンポの際にもお世話になりました)が周辺(大田原・那須方面)の史跡案内をして下さるとのことですので、ゼミメンバー・関係者・本学学生で関心のある方をお誘いしたいと思います。

 あえて私の講演を聴講する必要はありません。御案内頂くのは、9月7日(日)の午前から夕刻までの日程になると思います。それ以外、往復の旅程などは各自の自由です。
 最寄り駅は東北新幹線の那須塩原駅で、東京から1時間12分を要するとのことです。

 どのくらいの人数になるのかあらかじめお知らせしておいた方がよいと思いますので、参加希望の方は16日くらいまでにお知らせ頂きたくお願い致します。もちろん、それ以降になってもからでも構いませんが、宜しくお願い致します。

 ☆ 那須与一伝承館の前川辰徳先生より、同館で発行した特別展図録や大田原市関係の史跡・文化財に関する報告書・リーフレットなどをたくさんお送り頂きました。
 前川先生にあつく御礼を申し上げます。

 なお、上記見学旅行に参加される方には、一度事前に集まって頂いて、このリーフレット類をお渡しする機会を作りたいと考えています。

『御堂関白記』講読会の思い出

No.16838

 8月の第3週といえば、かつて古代学協会で御堂関白記の講読会が開かれていたことが思い出されます。講師は山中裕先生。横浜のカルチャーセンターで山中先生の講座を受講されている山中先生ファンの御婦人たちや、鹿児島で御堂関白記を講読している一般の方たちをはじめ、当時東大や京大の大学院に在籍していた歴史学者の卵たちが一堂に会して、大変な盛況ぶりでした。歴史学のみならず国文の研究者も多数参加。角田文衞先生・山中裕先生の広い御活躍ぶりが反映されたイベントでもありました。
 京大の関係者では西山良平さんとか吉川真司さんも出席されていたように記憶します。
 思文閣会館で開かれていた頃には、会が終わって、みんな一緒にレストランで昼食を済ませ、それから鴨川まで歩いて、下鴨神社の納涼古本市に出かけたりしました。すると、かならず、同志社大学の竹居明男先生にお目にかかれたものでした。
 最終日の夜は大文字の送り火を鑑賞。
 山中先生もことし6月に亡くなられてしまいました。さみしい限りです。

 昔は、このように、夏休みに全国の研究者が一堂に会して一週間にわたって、史料を読み親睦を深めるようなことをする余裕がありました。
 今はどうかといえば、なにしろ私など、未だに研究室でレポートの採点に取り組んでいる有様ですから・・・。
 
 ☆ 神戸大学の樋口健太郎先生より、御高論「藤原忠実と宇治」(『古代文化』66-1)・「摂関家九条流における「氏寺」の継承と相論』(『神戸大学史学年報』29)を御恵送頂きました。
 樋口先生にあつくお礼を申し上げます。

出羽清原氏の出自に関する新事実(野中哲照先生より)

No.16740

 鹿児島国際大学の野中哲照先生から、とても重要な研究成果をお送り頂きました。
 出自が判然としなかった出羽山北清原氏と吉彦秀武の出自が、これまで見過ごされていた系図(『諸系譜』巻一四所収)を検証したことによって判明したというのです。
 野中先生はこれまで長く前九年・後三年合戦について精力的に研究を進めておられ、また国文学者として書誌は御専門ですから、この「発見」の意義は大きいものと思います。
 清原氏の血統は「思いがけないほどの貴種に属する」とのこと。これは近年、私達が進めてきた武士論研究の成果とも整合する事実だと思います。
 「下から」とか「在地」を強調する史観の相対化という意味においても重要でしょう。

 野中先生が、清原氏・吉彦氏の系譜に関する御研究の結論として示されたなかで、とくに私が注目したいのは、
  ① 清原氏が俘囚の管理を含む辺境警衛にあたっていたこと。
  ② 清原氏の山北入りが意外にも遅く、光頼・武則兄弟の父の時代であったこと。
  ③ 吉彦氏が移民系の俘囚で、北奥の蝦夷鎮定に活躍していたこと。
  ④ 吉彦氏が(外)従六位下郡司少領だったこと。
  ⑤ 清原武則の妹が橘氏に嫁して貞頼を生んだこと。
などの点です。
 この御研究に東北地方の古代中世史を専門にされている歴史学の研究者の方たちが、どのような対応を示されるのか注目してまいりたいと思います。

 そういえば、以前、この掲示板で清原「貞」衡と「真」衡の問題で議論になったことがありましたね。

 今回、野中先生から御恵送頂いた御高論は以下のとおりです。野中先生に、あつく御礼を申し上げます。また、軍記語り物研究会大会でお目にかかれることを楽しみに致しております。
 ☆ 「出羽山北清原氏の系譜─吉彦氏の系譜も含めて─」(『鹿児島国際大学国際文化学部論集』15-1)
   「後三年の戦後を読む─吉彦一族の滅亡と寛治六年清衡合戦─」(『鹿児島国際大学大学院学術論集』5)
   「吉彦秀武の系譜-二人の「荒川太郎」の関係を軸に-」(『鹿児島国際大学国際文化学部論集』14-1)
   「もう一つの後三年合戦像─公戦・私戦判定をめぐる軋轢から─」(『古典遺産』62)
   「『後三年記』序文の偽書性」」(『鹿児島国際大学国際文化学部論集』13-4)

夏休み気分のしない夏休み

No.16725

 ゼミメンバー諸姉兄の多くはすでに帰省中のことと思います。
 当方、このところ諸事重畳で、レポートの採点はもとより、講演レジュメも、月半ば締め切りの校正、月末締切の原稿、それに紀要の論文もまったく捗っておりません。そのため、「暑中見舞い」どころか、夏休み前にお送りしなければならなかった拙文抜刷なども未送のものが多く、各方面に非礼を重ねております。
 この場を借りてお詫び申し上げる次第です。

 今日も今日とて、関東の博物館見学の予定があり、台風接近による交通事情の心配がありますが、決行中。帰りは予定を早めて20:08に京都に着く「のぞみ119号」に乗る予定ですが、どうなることやら。
 帰宅してから、ここに書かなければならない「頂いた論文」のことなど、書かせていただく予定です。

『紫苑』原稿募集のお知らせ

No.16668

 毎日暑い日が続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

本日は『紫苑』の原稿募集についてのお知らせです。『紫苑』の第十三号に原稿を書いて下さる方を募集しております。積極的な参加をお待ちしております。

原稿を執筆して下さる方は池嶋(上記PCアドレスもしくは携帯)までご連絡下さい。

『紫苑』の投稿規定も掲載しておきます。

《投稿規定》
枚数:
 注を含め四〇〇字詰原稿用紙に換算して七十枚以内とします。但し、分量については適宜相談に応じます。

原稿:
 ・種類は、論文・研究ノートなど。縦書き・完全原稿とします。
 ・ワープロ原稿の場合は、四〇〇字の倍数、縦書きで打ち出してください。投稿の際は、原稿を保存したメディア(フロッピー、CD-R、など)一部を添え、使用ワープロの機種名・ソフト名を明示して下さい。
 ・手書き原稿の場合は、四〇〇字詰または二〇〇字詰原稿用紙に、本文・注とも一マス一字、縦書き、楷書で、鉛筆書きは不可とします。
 ・注は本文末に一括して、(1)、(2)、…のように付けて下さい。
 ・年号を用いる場合は、なるべく西暦併用でお願いします。
 ・図表・写真(いずれも鮮明なものに限ります)の添付は刷り上がり時の大きさを勘案して字数に換算します。これらを添付する場合は、おおまかな掲載場所を指示してください。
 ・編集作業の迅速化のため、住所・氏名(ふりがな)・目次を記した別紙一枚を添えて下さい。

採否:
 編集担当者が掲載の可否を審査いたします。

著作権・公開の確認:
 本誌掲載の論文・研究ノート等の著作権は著者に帰属するものとします。ただし、宗教・文化研究所ゼミナールは、本誌に掲載された論文・研究ノート等を電子化または複製の形態などで公開する権利を有するものとします。執筆者はこれに同意して、投稿されるものとします。やむをえない事情により電子化または複製による公開について許諾できない場合は、採用が決定した段階で宗教・文化研究所ゼミナールにお申し出ください。

参加の締め切り:九月三十日(火)※原稿の締め切りではありません。
 
 備考:
 ・他誌への二重投稿はご遠慮ください。
 ・掲載後一年以内の他への転載は控えていただきます。

では宜しくお願いします。

 今年も8月がちゃんと来ましたね。

No.16659

 先月末締め切りの原稿が漸くできあがりました。拙速で書いた文字通りの拙文です。タイトルは与えて頂いたものなのですが「京都のなかの鎌倉」です。タイトルにそぐわない内容になってしまいましたので、「空間構造と東国武士の活動」という副題を付しました。
 ちなみに、この論文には、下総・伊賀守護であった千葉介の鎌倉末期における在京宿所が何処にあったかを明確に示す史料を紹介致しました。坂口太郎氏の御教示によるものですが、千葉氏研究にとっては注目すべき発見だと思います。
 
 出版社には研究室から添付ファイルで送信しようと思っていたのですが、送信先のアドレスが自宅のPCにしか入っていないのを忘れていましたので、まだ送れていません。まったく日々迂闊の連続です。

 これからはしばらくレポートの評価に時間を集中しなければならないのですが、さまざまな用件が重なっていますので、例のごとく自転車操業の夏休みになりそうです。否、今年は自転車では済まないかも知れません。

 さきほと、大学の購買にボールペンなどを買いに行ったのですが、お店の人に「これからお休みですね」みたいなことを言われたので、「とんでもない、これからが本当の仕事です」というようなことを大声で息巻いてしまいました。まったく、人間が出来ていません、後味の悪いこと限りなしです。
 しかし、ほんとうに当節の大学研究者は、夏休みでさえ、「本務である研究」に没頭する余裕がないのです。大学教員の本務は研究とそれを踏まえた教育なのですゾ。

 最近、巷に出回っている大学をテーマにした書籍や大学教授の特集を載せた総合誌などを見ると、大学は変わったのだという論調が目立ちますが、大学の存在価値は企業などとは異なる価値観に基づいた社会批判や遠い未来まで見通した研究を行うところにあるのであって、突き詰めた言い方をすれば、そうでない機能を要求しているのに「大学」という看板を出させる方がおかしいのだと私は考えています。
 ・・・などと息巻いておりますと、余計暑さが増して参ります。

 ゼミの方も一ヶ月あまりのお休みになりますが、学問研究にお盆休みはありませんから、ゼミメンバー諸姉兄におかれましては「楽しく」研究を進めて下さい。
 そして、いうまでもありませんが、猛暑の候、くれぐれも健康にはお気をつけ下さい。 

【追記】☆ 青山学院大学の藤本頼人先生より、御高論「源頼家像の再検討-文書史料を手がかりに-」(『鎌倉遺文研究』33)を御恵送頂きました。
 藤本先生に、あつくお礼を申し上げます。
 当方のゼミでも、頼家・実朝期の評価については、議論白熱中。とくに岩田君や山本みなみさんが研究成果をどしどし形にされつつあります。
 藤本先生の御意見をうかがえる機会があれば幸いとするところです。
編集:2014/08/02(Sat) 17:00

中断期間-次回の『吾妻鏡』-

No.16660

 夏休みといいますか、伺っているとその間にも研究発表や実習などが立て込んでいる方も多いようで、“休み”という様子ではないように見えますね。「夏の中断期間」は『吾妻鏡』も中断致します。再開に向けて良い準備をしておきたいと思います。

 再開は9月11日(木)ですが、その日は大島さんに『中世の人物』第二巻の書評をシテいただく予定です。しっかり熟読しておきたいと思います。

 日時:2014年9月11日(木)15:00~(予定)

 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 内容:書評「野口実.編『中世の人物 第二巻 治承~文治の内乱と鎌倉幕府の成立』」
 担当:大島佳代氏(奈良女子大学)

 ※『吾妻鏡』のほうももう少し“振り返り”を続けていきますが、それが終わった後の範囲は以下の通りです。
  “振り返り”にもようやく終わりが見えてきたような。

     承元四年(1210)正月一日、二月五日・十日・二十一日、三月十四日・二十二日、四月九日・十九日、五月六日・十一日・十四日・二十一日・二十五日、六月三日・十二日・十三日・二十日、七月八日・二十日、八月九日・十二日・十六日、九月十一日・十四日・三十日、十月十二日・十三日・十五日、十一月二十二日・二十三日・二十四日、十二月五日・二十一日の各条
     承元五年(建暦元年、1211)正月十日、閏正月九日、二月二十二日、三月十九日、四月二日・十三日・二十九日、五月四日・十日・十九日、六月七日・二十一日・二十六日、七月四日・十一日、九月十二日・十五日・二十二日、十月十三日・十九日・二十日・二十二日、十一月二日・三日・四日・二十日、十二月一日・十日・十七日・二十日・二十七日の各条

 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。
 夏真っ盛りの季節に何か新しいことをはじめてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞご自由にご参加ください。京都女子大の方限定ではありませんよ。

勉強はできるうちに、しておいたほうがいい・・・♪

No.16645

 久しぶりに森高千里を聴きながら、車を走らせております。

 本日は、昼から夜までの大『吾妻鏡』講読会! 
 従来の解釈に決定的な誤りのある条も発見。
 あいかわらず、老人が一人、戯言ばかり発していて迷惑をおかけしておりますが、それなりに得るところの多い講読会を続けております。
 
 私の方、Facebookにも書きましたように、ついに原稿の締切破りをしでかしてしまいました。昔なら夏休みの佳境の時期なのですが、こんなに忙しい7月末は初めてかも知れません。しばらくは諸事重畳。時間と体力との闘いです。
 しばらくどころか、死ぬまででしょう。覚悟を決めないといけないのですが・・・。
 
 ☆ 立命館大学の谷昇先生より、御高論「藤原定家─歌の切り棄て「かた腹いたや」」(平雅行編『中世の人物』第三巻、清文堂)を御恵送頂きました。
 谷先生に、あつく御礼を申し上げます。