速報・廣政さん、卒業生総代に決まる!

No.1407

 昨日は、院試全員玉砕の報が入り、とても残念でした。しかし、三人からいただいた私信で、そろってこれを肯定的に乗り切っていこうとする姿勢をもっていることに、むしろ感動をおぼえました。
 また、田中さんの報告にたいする諸先生方の激励を拝見して、これは長い階梯の中の常道なのだなと思い至った次第です。
 思い起こせば、小生は恩師のお情けで修士課程も博士課程も簡単にクリヤーさせていただいたのですが、職など無くてODとなり、ようやく学位を取得しても、周囲から「日本一惨めな博士」と、同情の交じった嘲笑をかう有様でした。スタートがちゃんとしていた方が学問の王道を歩めるのかも知れません。
 それにいたしましても、先生方御自身の経験に基づくお話しは、とても貴重なもので、ありがたく拝読させていただきました。こんなに励ましと評価をいただいて、田中さんが羨ましい限りです。

 ところで、昨日にうってかわって、本日は朗報一件。タイトルの通りです。廣政さんはこの四月に、京都女子大学短期大学部から文学部国文学科に編入するのですが、短期大学部卒業生の総代とのことです。教師はダメですが、ゼミメンバーが優秀なので、このゼミは安泰です。

 ちなみに、その廣政さんは明日から中国旅行に出かけるのだそうですが、なぜかこれから家に帰ってNHK大河ドラマ『草燃える』のビデオを見るんだと張り切っていました。山本君の『吾妻鏡』は盛況が期待されます。

 それから、事務方の御厚意で研究室入り口横に掲示板が設置されました。このHPの掲示板は大盛況ですが、この本物の掲示板もおおいに活用してください。
 また、研究室のソファーも、もっと実用的な椅子に取り替えて、研究会などに使えるようにする予定です。山本君と長村君とが月曜日に勤労動員されることになりました。

Re: 速報・廣政さん、卒業生総代に決まる!

No.1410

総代...おめでとうございます。
僕は高校の卒業式の在校生代表はやったことありますが、
廣政さん、さすがですね☆
どんな事をするのかわからないのですが、体験談を聞かせてくださいね!!

掲示板つながりで、一つ情報です。
伊勢旅行中のこのホームページへのアクセスを調べてみました。
2月25日が、実質的にゼミ以外の人のアクセスと考えても良いと思いますが、予想に反してアクセス数はほとんど落ちませんでした。
 普段は訪問数150くらいが平均値ですが、25日は120でした。厳密なデータではないですが目安としてみても、ゼミ以外の方がご覧になっているのがとても多いことが、数字として出ました。(ちなみに、翌日27日のアクセスは普段の3倍ほどありました)
 掲示板は情報の更新が命です。リアルとバーチャル、両方の掲示板が盛況になればうれしいです。今後も、よろしくお願いします。

関幸彦著『北条政子』刊行

No.1416

 このHPへのアクセスがどこからなされ、曜日ごとの件数の変化はどのようなものか、などといったこと、実に興味深いものがあります。それにしても27日のアクセスが普段の三倍だったとは。
 いずれ、鈴木君にbbsに関わる分析の御報告をお願いしたいものです。
 ↓では、院試から、英語・入試のあり方にまで、話題が広がっていますが、小生もご多分に漏れず英語は大の苦手科目でした。青学に入れたのも、当時、史学科の配点が国語・英語各100、日本史200点だったからです。日本史は全部出来たと思います。英語は苦手でしたが、基礎的な問題をじっくりと解答するという出題形式なので、何とか答えられました。早稲田も受けましたが、当時は、予備校で、どうでもいいような知識とテクニックを身につけなければ受からないような設問ばかりでした。
 ちなみに、私が大学を受験したのは1969年、東大が紛争で入試を行わなかった年です。
 入試のあり方について、美川先生の仰ることはよくわかります。今の入試形態は、「本来の大学」の欲する人材を得るためのやり方ではなく、時間と労力の都合による便宜的・妥協的な方法だと思います。
 ちなみに、元木先生は、まだ入試業務でお忙しいのでしょうか。「コラッ」の書き込みが懐かしくなってきました。
 「書き込み」といえば、美川先生は、ここでもスゴイですが、諸方のbbsでお名前を見かけます。「鎌倉時代」「京大文学部同窓会」「後深草院二条」「東アジア怪異学会」などなど。『美川圭著作集』が刊行される暁には、こうした書き込みを集める必要がありそうですね。
 
 さて、昨日、標題の御高著を拝受いたしました。関先生、御覧になっていたら、あつくお礼を申しあげます。ミネルヴァ日本評伝選の第7回の刊行です。前回は元木先生でした。
 近藤先生の『源義経』、美川先生の『後白河天皇』にも、きっと先んじられてしまうだろうと思いますが、娘の政子に出遅れた今、小生も『北条時政』の執筆の準備を「粛々と」(保守政治家の好きな用語を敢えて使用)進めたいと覚悟を決めております。
 関先生のご本の中身は、まだ拝読していないのですが、ただ、参考文献欄に、現段階における北条政子研究の最先端の成果である、野村育代氏の『北条政子』(吉川弘文館 歴史文化ライブラリー)があげられていないことと、「野口実『源氏はなぜ三代で滅びたか』新人物往来社、二〇〇一年」という、タイトルも発行年も身に覚えのない本があげられているのが気になっています。

お疲れ様

No.1419

野口先生、美川先生、ゼミの皆さん、ご旅行お疲れ様でした。天候にも恵まれたようですし、充実したご旅行のようで何よりでした。土産話を楽しみにしております。美川先生、お祓い町入り口の岩戸屋尾置ける某大先生の鰻事件はご披露になりましたか。
当方も、年度末校務が終了し、これで一段落というところです。最近、特に視力が低下し、目を酷使する仕事は辛くなってしまいました。試験というのは、確かに酷いし、矛盾はあるし、向き不向きはあるし、どうやっても問題の残る制度ですね。学部、大学院、それぞれどのような試験がもっとも望ましいのか、常に厳しく検証を繰り返すべきだとは思いますが、反面、ころころ変えるのも受験生には酷ですし、このこと一つをとっても問題の深さが痛感されます。
当方は英語はさほど苦手ではありませんでした。大学受験のときも院入試でもさほど困ることはありませんでした。英語は日本前近代史や国文の研究者には不要、ともいえますが、英文和訳は、英語を媒介にした国語、文章力の鍛錬と悟ってしまえば、それなりに意味もありますし、乗り越える道もあると思います。
が、数学と理科はどうにもなりませんでした。現役の時、京大入試で社会は7割、国語、英語は6割強を得点し、同じ高校から受験した中でダントツでしたが、あとが無残な成績で、合格点に20点届かず(900点満点で520点がボーダー)、一年を棒に振りました。何で日本史を専攻すると決めているのに、数学と理科でこんな目にあうのかという、理不尽さに涙があふれました。何とか翌年はもぐりこめましたが、数学や生物の知識がその後、直接的に役立ったことはほとんどありませんでした。しかし、数学や自然科学のもつ論理性が、論文作成に有意義である等と言うことがうっすら分かってきたのは何本も論文を書いてからのことでした。
広範な可能性を試す学部入試と、院入試は同じレベルではありません。しかし、直接的な有益性のみではなく、学問の可能性や思考力の深さを試すという方針は同じではないでしょうか。無論、これは試す側の理屈でしょうが、かく申す当方、浪人時代に悟りました。この世の中は理不尽である。この先、どんな理不尽に遭遇するか分かったものではない。されば、理不尽を乗り越える精神力が必要である。だから数学と理科を勉強せねばならないのだ、と。
ミネルヴァ、関先生の御著書刊行で、毎月刊行が守られ手いるようですね。参考文献というと、かく言う当方も苦い思い出があります。昔さる本の参考文献欄で上横手先生の書名を間違えてえらくお叱りを頂戴してしまいました。本文の校正で精力を使い果たし、付録のころは心が浮ついていたためでした。今回も高橋昌明氏の書名に校正ミスがありますが、あれはチェックしたはずなんですがね。毎月二巻刊行が一巻となり、編集者も焦慮のようです。それが杜撰な校正につながった面もあるかもしれません。再校の時のこと、仕事納めに合せて編集側の校正を済ませ、正月5日に返すようにとゲラを送りつけてきたときは、さすがに腹が立ちました。売るために本を書くのではない、納得が行くように本は書くものであるという近藤先生の名言は、編集サイドも銘記してほしいものです。
ちなみに拙著、一時よく売れて、アマゾンで見ると井沢元彦と並んでいた時もあったようです。おかげで、現在在庫切れとのこと。多田源氏愛好会ご一同様にでもまとめ買いしていただいたのかいな。そう売れる内容ではないのですがね。内容も井沢某並だったりして。


久々の緑の文字。

No.1420

 元木先生、入試業務お疲れさまでした。もう、こちらは伊勢のことなど遠い昔のことの如しです。実に目まぐるしい毎日が続いております。それにしましても、お久しぶりです。
 「理不尽云々」至言だと思います。小生、常に敵前逃亡ばかりで、高校時代も数学・物理に立ち向かう気力などはなく、早々に私学一本でした。そのあたりが、結果で大きな差をもたらすわけですね。
 さて、もう遠い昔のゼミ旅行ですが、見学による収穫のみならず、やはり三日間一緒にすごしたことで、メンバー相互に多大の認識の深まりがあったようです。小生は、メンバーの人間的優秀さをあらためて思い知らされました。
 伊勢内宮参道の岩戸屋には、大挙して昼食に立ち寄り、美川先生から鰻一件のお話しをうかがいながら、伊勢うどんを食しました。「やはり○○に限る」というところへは、小生のミネルヴァ担当巻の執筆取材のために近く訪れる予定ですので、そのさいに、その真偽を確かめて参りたいと思っております。
 それにいたしましても、近頃、鳥インフルエンザとやらで、そのうち焼き鳥の肉が、某先生の言われるとおりになる哉も知れませんね。未来を読む慧眼とでも申しましょうか。  

岩戸屋の変貌

美川圭
No.1429

某大先生の逸話に名をとどめし、岩戸屋なんですが、
すっかり、変貌しておりました。
かつては、土産物売り場の2階に、いかにもという食堂があったわけです。たしか、小学生の元木先生が、修学旅行で昼食を召し上がったところですよね。

(ここで、その情景をしばし想像し・・・)

そこで、カレーライスや親子丼などを食するのは、まあ常識的なのですが、そこで鰻丼を注文するというのは、かなりの勇気のいることでした。なにせ、お重はプラスチックでしたから。それゆえ、大先生といわれるかたのユニークさが際だつわけです。ましては、ご故郷の鰻の老舗との味を比較されるとは・・・。

それを思うと、このたびの旅行で訪れた岩戸屋は、外見こそ当時とそれほど変わりませんでしたが、食堂は1階に移り、食券購入というのが、かつての大衆食堂の雰囲気をいくらかのこしているとはいえ、かなりこざっぱり清潔感あふれるものになっておりました。たぶん、おかげ横丁の特徴ある飲食店に対抗して、岩戸屋なりの精一杯の経営努力の成果なのでしょう。といったことで、1500円の鰻丼を注文することに、それほど違和感をもちませんでしたが、けっきょく400円の伊勢うどんですませてしまいました。やはり、凡人は逸話をうめません。

岩戸屋の思い出

No.1434

美川先生、そうですか。岩戸屋も多少は変化したようで。以前、行ったときは伊勢うどんもなかったような気がしますが、如何でしょう。あの、たまり醤油の辛さはなかなか刺激的のように思います。
ちなみに、当方の修学旅行は1966年5月、西宮の夙川小学校6年の時でした。鳥羽で島巡りをして、真珠島を見学、二見浦の旅館に泊まって枕を投げて怒られました。翌朝、夫婦岩と朝熊山を経て、外宮、内宮に参詣したのち、岩戸屋で昼食でした。あれから40年近くを経た昨年の同窓会、その時、級長だった親友は救急医師、すっかり禿げ頭になってしまいました。少し胸をときめかした美少女が・・・どうなったかは言わぬが華ですかね。担任の先生の訃報に接したのは残念でした。まさに往時茫々です。
ところで、松坂ではどうなさいましたか。牛肉は堪能されましたでしょうか?そんなことより、史跡見学の成果を伺うべきでしょうが・・・。
野口先生とゼミ生諸君のキャッチボールとか、何か青春ドラマを髣髴とさせるシーンもおありの由、いずれ詳しくうかがう機会を楽しみにしております。

薗田さんへ

No.1397

レスを返す前に薗田さんのスレッドが次のページへと行ってしまったのでここにあらためて書き込ませていただきます。
薗田さんのお話は野口先生からうかがっておりましたのでこちらこそ先日の研究会でお会いできてよかったです。
私ごときに感動していただけるとは・・・お世辞でももったいないくらいです。
ありがとうございます。(*^^*)

また今後もよろしくお願いいたします。

Re: 薗田さんへ

長村祥知
No.1405

ご参考になるかわかりませんが、私の作成した資料でよろしければいくらでもお渡しします。
どうしましょうか?

ご報告

No.1386

 本日、神戸大院試の合否が出ました。
予想通り、不合格でした。とても残念ですが、1年間じっくり勉強するための時間が出来たと考えています。修論はもちろんの事ですが、それよりもその後の試問と、院試での面接試験がとても良い勉強になりました。3月の軍記と語り物での研究発表で意見を頂く事ができれば、総合してとても実りのある春になることと思います。また1年頑張りますので、皆様どうぞよろしくお願い致します。

Re: ご報告

No.1387

 とても残念でしたが、ここにズバッと書き込みをされたように、田中さんは、もう前向きに受け止めているようで、エライ!見習いましょうね。この性格は。
 はっきり言って、院試のとくにドクターは、研究職への登竜門ですから、同業者としては、そう簡単に入れるものにして欲しくない。でも、入ったからには矜持をもって欲しいという気持ちで、小生はいます。
 それから、入りたい側と受け入れる側の相性もありです。恋愛もあれば、見合いもある。じっくりつきあってというのもあれば、電撃もあるという次第です。だから、普通の入試とちょっと違う。
 まあ、田中さんなら、何処に置いてもどうにかすると思いますが、これから一年の成長を楽しみにしております。しつこいようですが、「年増」はプラスイメージなんですからね。

Re: ご報告

No.1391

佐伯真一です。
田中さん、残念でしたが、私も野口先生と同様の感想です。
その日のうちに報告の書き込みができるのは、偉いと思います。その調子なら、この一年を有意義に過ごせるでしょう。
軍記・語り物研究会のご発表、楽しみにしています。

Re: ご報告

美川圭
No.1400

田中さん、残念でした。
僕も院試、2度も落ちたんですよ
(ちなみに大学も2浪です)。
景観から言って、やっぱり落ち込むけれど、
僕でもなんとかやってるんだから、
あなたみたいなバイタリテイがあれば、
乗り切れるよ。だいじょうぶ、だいじょうぶ。
僕は、あなたの価値を、十分今回の旅行で認識しました。
ドンマイ、田中。

Re: ご報告

美川圭
No.1401

「景観」→「経験」です。もちろん。

Re: ご報告

源健一郎
No.1402

ご無沙汰しております。源です。
伊勢へのご旅行、充実したものであったようで何よりです。また、「紫苑」掲載の熊野旅行のコラージュには、僕たちファミリーまで載せて頂き、ありがとうございました。娘がお尻を向けていてスイマセン。
前置きが長くなりましたが、田中さん、本当に残念でした。
でも、勉強のために、東京へ、名古屋へと飛び回る田中さんのバイタリティからすれば、きっとまた道が開けると信じます。まずは3月の軍記の会での発表が、その第一歩となればいいですね。
どうか気落ちなさいませぬように。

人間万事塞翁が馬

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1403

みなさん、こんにちは。
美川先生が入試失敗の豊富(?)な経験をお持ちとは!
私も、大学院のドクターコースに進みたかったのですが、院試に失敗しました。それからしばらくは、研究者としてやっていく自信を失い、真剣に他の道を探ったことがあります。
とにかく一年間だけは平安博物館の発掘調査で過ごし、その後は教員採用試験を受けよう、と心を決めかけた時、偶然にも同博物館に採用していただけました。
だから、私は結局、ドクターコースには行っていません。私の学歴は「博士課程修了」ではなく、「博士課程前期修了」です。私の学位も、論文博士です(学位をとった時には、ドクターコースに行けなかった永年の劣等感から解放された気がして、正直嬉しかった)。

しかし、私はそれまで古墳時代の研究に没頭してきました。院試失敗→発掘参加→平安博物館就職(野口先生にも出会う)→平安京研究、という経緯で古代・中世の都市研究を始めたわけですから、もしあの時に無事にドクターコースに進んでいれば、就職も研究も、そして人生そのものも、まったく別の途をたどっていたかもしれません。
人間万事塞翁が馬、ですね。

英語なんて、このやろ

美川圭
No.1404

山田先生、こんにちは。

私は英語が苦手で、苦手で、まいりました。
大学入試のときは、1浪目でも予備校の模試で、
偏差値30台。ひどいもんです。2浪目はましになりましたが、英語の比重が高い私立大は、軒並み失敗しました。
暗記力に劣るので、英単語が覚えられないのです。

英語の分を、数学や理科でかせがなくちゃならないんです。

ですから、大学院入試の英語にもてこずりました。
そもそも、大学院で日本中世史やるのに、英語が入試科目にある「意味」がわからない。
某教授に問いつめたのですが、けっきょく、そういう制度になっているから、という回答しかえられなかったのを覚えています。
大学入試まで英語があるのは、わからんでもありませんが、
外国史やるわけでもないのに、英語が入試にあるのは、いまだに解せません。太平洋戦争でアメリカに負けたから?

大学の一般教養での英語も、あっさり廃止したらいいと思います。もう6年間もやってんだから。できれば他の初学言語、フランス語、とか中国語とか、スペイン語、ドイツ語をやりゃいいんです。

激励ありがとうございました

No.1408

 ゼミの皆さんに宛てて書いたはずの結果報告に、こんなにたくさんの先生方からのレスが返ってくるとは・・・!!身に余る激励の言葉に、とても勇気づけられました。先日、伊勢旅行をご一緒した美川先生にお褒めの言葉をいただいては、なんだか面はゆい感じがしますが、とても嬉しかったです。ありがとうございました。
 さて、来月の発表の準備で学校に来てはいますが、さっぱり進みません。どうしたもんでしょうか・・・・・(ーー; というわけなので、佐伯先生、あまり楽しみにはなさらないでくださいね。

Re: 英語なんて、このやろ

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1409

美川先生、こんばんは。
先生は、私と同類だったんだ!!!
私も外国語が苦手中の苦手。時々いまでも一念発起していろんな外国語に手を出そうとするのですが、続いたためしがない。結局、外国語はぜんぜんダメ。
しかし、世の中には「英語くらいできなくて研究者と呼べるか!」という常識があるようです。これまでその常識にどれだけ悩まされてきたことか・・・
もちろん、外国語ができるに越したことはありません。角田文衞先生なんかは英・独・仏・伊・露・羅・現代希・古代希(←皆さん、わかりますか? 羅はラテン、希はギリシアです)等ができるそうです。私の専門分野でも、外国の成果を参照できればすばらしいのは確かです。
しかし、少なくとも日本史や日本考古学の分野で外国語が必須かというと、そうは思えません。こんな私でも研究者でございという顔をして生きていますからね(でも、良い子の皆さんは真似をしてはいけません)。

英語嫌いが嵩じて、常々「英語帝国主義反対」を叫んでいる山田でした。

Re: 英語なんてこのやろ

美川圭
No.1411

山田先生、ほとんど同意見です。

外国語ができるにこしたことはないけれど、
できない人間には、日本史もやるな、というのは、
かなり酷です。
僕も、修士2度落ちたときは、リクルートに行って、
職探しをしました。
けっこう、これで悩んでいる人、いまでもいるんじゃないかな。
日本史(とくに前近代)だったら、古文・漢文は必須ですね。
私の職場に入学してくる学生で、これはと思う子もいるんですが、入試の国語にそれらが課されていない(つまり現代文のみ)ため、まずほとんど勉強していないので、少なくとも前近代史は本格的にやらせられない。史料がまず読めないのです。こっちのほうが困ります。

院入試で、日本史の前近代志望だったら、少なくとも活字史料
が読めなかったら、どうにもなりませんよね。

京大文の院は外国語が事実上1つだったけど、2つなんてのもけっこうあるわけですから、もうたいへん。英語以外にもう一つ外国語なんて、日本史の学生にとって、負担以外のなにものでもありません。どうして、もう少し合理的にものを考えられないんだろうか、大学ってところは。

語学

No.1412

美川先生・山田先生>
 語学については私も疑問を抱いておりましたが(「語学」というよりは「文法」が大嫌いなのです)、神戸大の受験の「語学」には「日本古典文」「古文書」が含まれます。募集要項でそれを見つけ、もちろん願書には大きな字で「日本古典文」と書きました。かなり「合理的」な大学なようです。

Re: 英語なんてこのやろ

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1414

>田中さん
すみません、あなたへの激励のつもりが、美川先生と勝手にもりあがっています。

>美川先生
勝手にもりあがりの続きです。まとめてみるとこういうことかな?

       必須   準必須※ 望ましい
          
前近代日本史 漢文   古文書  外国語
       古文
       現代文

日本考古学  発掘技術 漢文   外国語
       遺物観察      古文
       現代文       古文書
                 物理・科学

外国史    外国語
       現代文

外国考古学  発掘技術      物理・科学
       遺物観察
       現代文
       外国語

  ※準必須は「限りなく必須に近い」

いずれも、現代文(現代日本語)は必須です。人の文を読んで正しく理解し、自分の思想を正しく人に伝えられる日本語力を持つこと。あたりまえですけれども、意外にわかっていない人が多い。私は、自分の研究室の学生には常々、「君たちに一番大切なものは日本語の能力を磨くことだ」と言っています。

ちょっとトロい子

美川圭
No.1415

 田中さん、勝手に山田先生と盛り上がって、すいませんね。

年をとってくると、やたらに昔話をしたくなるもので、
古老の繰り言、ということで、もう少し我慢してね。

 山田先生、ぼくは入試というもの自体が苦手なんです。
実は、院入試に2度落ちたあと、上横手先生に、
同趣旨の話をしたら、先生は即座に、
京大入ってきたんだろ、と言われました。

 そこで、はたと気がついたのですが、
なんで京大はぼくを入学させたんだろ、ということです。

 ぼくは、東京のとある私立高校の出身です。
その高校では、毎年、第一志望は、
東大、一橋大、東工大、そして医学部、のどれか、
とほぼきまっておりました。

 一応、日本史が好きだった、ぼくは、
なにも考えず、東大をうけました。
ところが、当時、共通一次導入の前で、
東大には、足切目的の独自の一次試験がありました。
これが、英数国で120分(だったかな)とかいった形式の客観テスト。これがぼくには酷でした。

ぼくに会った人は、すぐ気がつくと思うんですが、
ものごとをてきぱきとこなすことができない。
いわゆるトロいんです。頭の回転が遅い。
(ふつうこういうのを世間では「頭が悪い」というのかな)
そのために、この手の試験では、時間切れ。
数学を最初にはじめると、それだけで70分かかっちゃう。
学力もなかったけれど、けっきょく2度とも足切りでした。
つまり、2次試験の論述試験に進めなかった。

2度東大1次試験で落ちて、とうぜん英語があれなので、
私立も全滅。

 そこで、思いついたのが、京大受験です。
京大の入試は、当時、東大とタイプがまったくちがい、
足切りのための客観テストがなかった。
3日間にわたって、各科目たしか150分、
つまり2時間半も時間があり、
しかも、その問題はどう見ても、難問ではなかった。
ようは、ゆっくり受験できるわけです。
これなら、トロいぼくでもなんとかなるか、というわけです。

 あたりましたね。
とても入試とは思えないゆったりした時間の流れ。
ちょうど、当日の京都は雪が降っていました。
教養部(現総合人間学部)の校舎で受験したのですが、
窓の外は、吉田山、その家並み、そして舞う雪。

信じられない美しい風景です。

ああ、これは川端康成の世界だ、と勝手に思いました。
その絶景にしばし見とれても、それでも時間が余る。余る。

ということで、運良く、京大に入りました。

いまの大学や大学院の入試には、そういうヴァリエーションあるのかな。とちょっと思います。やはり人間、いろいろなタイプがいるんですよ。

トロい子以前

No.1421

 京大文学部を三回受験して三回とも落ちた私はトロい子以前ですね。それと、國學院の博士課程の入試も一回落ちてます。しかし、京大合格に向け、一生懸命受験勉強したお陰で、自分で言うのも何ですが、英語の翻訳力だけは物凄く付きました。一時は翻訳の通信講座も受講していました。じつは國學院の院試も外国語ではなく、専門で落ちました(こっちの方が情けない)。その後しばらくは翻訳からもまったく離れ、英語力もまったく落ちてしまいましたが、最近、大好きなスタートレックシリーズの英文字幕(CCといい、アメリカのテレビでは耳の不自由な人のために英文字幕が入る)が掲載されているファンサイトを見付け、それをプリントアウトして毎日読んでいたら、また少しづつ英語力が復活し、学位審査の英語の審査も満点でした。趣味が身を助けました。そういう英語の勉強法もあると思います。
 なお、京大受験不合格の青春の蹉跌は、元木先生のご尽力で京大の教壇に立つことができて、やっと解消されました。元木先生には本当に感謝致しております。
 ですから、田中さん、一度の院試の失敗くらいで諦めてはいけません。これはいまだ専任の職のない自分への戒めでもあります。 

トロい子、旅に出る

美川圭
No.1427

近藤先生、こんにちは。

ぼくも、英語が役に立たなかったというわけではないですね。
人より4年も多くやったわけですから。
とくに、海外に行くことが苦にならない。
だいたい、いま英語がわかると、そんなに海外で不自由しません。とくに95年に学生を98人もアメリカに語学研修で引率したときには、たすかりました。
まあ、世の中、入試より理不尽なことがいっぱいで、
社会にでたときの、そっちのほうがたいへんではあります。
その寒風を、近藤先生はもろにうけられているわけです。

本はおろか、ろくに論文書かない大学教授あふれているのにね。ときどき、任期制も必要か、と思うのは、そういうときです。

英語なんてこの野郎!

No.1430

美川先生、こんにちは。

じつは、現在非常勤をしている神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科では、大学院(たぶん修士)の授業として英語が必修になるそうです。国際化を目指すということです。そのあおりか、私は非常勤を今年度でクビになります。自国のことも分からずに、何が国際化だと思います。その意味で、上のレスに反して、今の私にとっては切実に、「英語なんて、この野郎!」です。

Re: 英語なんてこの野郎

美川圭
No.1431

近藤先生、切実な問題ですよね。

私の職場でも、この4月から大幅に英語の授業をふやすため、講義科目とおおおきく削減です。ですから、英語の非常勤を増員し、それ以外の科目の非常勤の先生方は、さようなら、となります。大学院で英語必修、正気のさたじゃないよね。

さいきん、小学校で英語をやらせる話が、でてきています。言語道断。それくらいなら、もっと日本語やらせろ。日本語の本をよませろ。いったいこの国はどうなってんでしょう。

網野先生のこと

No.1382

本日の東京新聞夕刊によると、網野先生が亡くなられたとのことです(他の夕刊には出ていません)。残念なことです。巨星墜つとはこのことでしょうか。私が日本史を好きになったのは、網野先生のお陰でした。感謝の念は言葉に表せません。合掌。

メールで

No.1384

私は、知人からのメールで知りました。帰宅してからネットで調べましたが、オウム裁判と鳥インフルエンザのニュースで、詳細は分からないままです。どちらにしても、とても残念な事には変わりありません。ご冥福をお祈りします。

『東と西の語る日本の歴史』

No.1388

 小生が、千葉→京都→鹿児島と渡り歩いて、いろいろな事態に遭遇していたとき、網野先生の標題のタイトルの本によって、カルチャーショックの理屈付けをはかることができました。
 『武家の棟梁の条件』に書いた東西比較の武士論や鹿児島論も網野先生の研究から受けた大きなインパクトに基づくものです。
 前任の大学で教えた学生には、網野先生の追っかけのようなことをやっていた人がいましたが、なんか、学問という枠を越えてファンのできる稀有の魅力ある歴史学者だったと思います。
 20年ほど前に千葉大学で講演をされたときに、そのテープ起こしを担当したことがありますが、お声が素晴らしかったこと、それから、録音を文字に起こすと、それがそのまま論文になってしまうことに魅了されたり、驚かされたりした経験があります。
 信念に基づいて勇気ある発言の出来る、情熱に満ちた魅力ある日本中世史の支え手が、また一人失われてしまいました。
                    学恩に感謝して合掌

無題

No.1392

鈴木君からの電話でこのニュースを知りました。
私も網野先生の「日本中世の非農業民と天皇」や「無縁・公界・楽」などの数々のご著書を読み、民衆の視点からとらえた独自の歴史観にかなり影響を受けておりました。
ご冥福をお祈りいたします。

Re: 網野先生のこと

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1393

網野先生がお亡くなりになったこと、まさに「巨星墜つ」だと思います。
しばらく前から体調を崩されており、最近はまたお悪いということを聞いていました。
数年前の研究会で壇上に立ち、自らの病気のことを語り、「命ある限り学問を追究する」と淡々と語っておられたのに強い感銘を受けた覚えがあります。
もちろん学問である以上、「網野史学」には批判もあります。しかし、あれほど強烈な吸引力をもった歴史学を展開できる学者がめったにいない、ということを否定する人はいないでしょう。
私たちに与えられた使命は、網野史学を正しく評価し、継承するべきところは正しく継承した上で、いかにそれを乗り越えるか、というところにあるのだと思います。
合掌・・・

Re: 網野先生のこと

土屋光裕
No.1395

 久しぶりにこの掲示板を覗いて運が良かったというか、何というか、ショックな情報を仕入れてしまいましたね。
 私が網野先生を初めてお見かけしたのは、大学1回だったでしょうか?一乗谷のシンポジウムに足を運んだとき、背の高い、そしてとても低くて重みのある声の紳士だと思いました。もちろん、中世史を志す者として、網野先生の多くの著書に触れましたので、かなり動揺を隠せません。私のような者が発言するのもおこがましいですが、学説云々はともかく、中世史学界や一般的な歴史好きの人に与えた影響は計り知れなく大きいと思います。
 ご冥福をお祈りします。

土屋君も一仕事を。

No.1398

 土屋君、お久しぶりです。貴兄も網野先生の学恩に応えるべく、中世の佐渡をテーマに独自の歴史像を構築してください。ちなみに、来年度のことはどうなったでしょうか。
 すでに滑川さんなどから、お知らせがあったことと思いますが、先日、日本史研究会の中世の部会報告で、関学大院DCの生駒孝臣さんという方が「鎌倉時代の滝口」という報告をされました。小生は出席できなかったのですが、すぐれた御報告だったようです。ただ、おそらく、事実の解明という点においては、貴兄の未発表論文「滝口の武士、その創設と中世的展開」と内容的に重複するところがあったのではないかと思います。研究の積み上げという意味からも、貴兄の論文は早急に発表されるべきだと思いますが、いかがでしょうか。
 もっとも、小生がこの研究会に参加できなかったのは、ゼミ主催のカラオケ歌合せが、以前から予定されていたからで、多少逡巡があったのですが、御自分の結婚披露宴で熱唱されていた土屋君なら、是非もなく・・・などと考えてもおりました。
 それはともかく、網野先生もお亡くなりになってしまった今、これからの日本中世史の研究は若い貴兄達が引き継いでいかなければならないのですから、ぜひそれを形で示していただきたい思っているのです。北面の論文の方も、近いうちに発表して、貴兄の存在を学界に示してください。

Re: 網野先生のこと

美川圭
No.1399

もう、先週に意識がない、という話を聞いておりました。
再発したということでしたので、来るべき日が来たか、という感想です。私は、京大での集中講義をうけたので、まさに「先生」でもあります。10年以上前、名古屋の中世史研究会で、丁重なごあいさつをうけたのも、記憶にのこります。いろいろな意味で、歴史学に大きなインパクトをあたえつづけた歴史家でした。石井先生がなくなり、網野先生で、やはり一つの時代が終わりましたね。個々の論点では、いろいろ批判すべき点は多かったのですが、全体として網野学説は魅力的でした。ここのところ、ずっと一回生の入門の授業は、網野説を使っているのです。ご冥福をお祈りいたします。でもやっぱり寂しいなあ。

Re: 網野先生のこと

長村祥知
No.1406

僕が網野善彦氏の名前を知ったのは、高校生の頃でした。隆慶一郎の小説のあとがきで網野氏の研究を参照されたとあったのです。
大学に入り、いろいろな事を学びたかったので、田辺校地にある歴史資料館の収蔵庫で開かれていた学生の自主的な勉強会に参加させてもらいました。そこで鋤柄俊夫先生のご指導もあって、考古学と文献史学・文学の接点を求めて、網野氏の著書をいくつか読みました。
氏の主張の一つに、「百姓」は農民ではない、というものがあります。また、中世都市論や単一国家観の見直し・地域の独自性、アジール論等、興味深いものばかりでした。
ただし、自分には戦後の中世史全般の大きな流れの中でその意義を理解すると言うことが出来ませんでした。今出来ているかと問われても、自信は持てません。世代の違いと言うだけで片付けられないものがありますが、1980年代生まれの自分が戦後史学を受け継ぐにあたって、今後も同様の感覚を持つ事が多くあるでしょう。
先行学説の批判は後進に課せられた義務であり、同時に後進は研究の進展を活用できる権利を有します。
網野氏と同じ時代を共有し研究に従事された、戦後すぐ生まれ世代の先生方の、氏に対する批判的な意見だけを継承するのではなく、氏の研究史上の意義を正しく評価する事が、我々孫世代の学生にとって必要であると思われます。

Re: 網野先生のこと

美川圭
No.1413

網野先生については、その学問とはなんだったのか、
という議論が、続けられると思います。

その点で、西山克先生の主宰される怪異学会の掲示板、
とくに西山先生の書き込みが興味深いです。

西山先生は、大学院の先輩でもあるのですが、
そういうことだったか、と妙に納得しました。

ぜひご覧下さい。

http://bbs2.ardor.jp/?0200/kaiigakkai

Re: 網野先生のこと

No.1418

 この掲示板での石浜さんの書き込みで、網野先生がお亡くなりなった事を知りました。正直ショックと驚きがごっちゃになった気持ちです。偉大な先生がお亡くなりなった時に、こういう事を述べるのは、不謹慎なのかもしれませんが、一学生の意見として自分なりの意見を述べたいと思います。
 自分は、一番最初に読んだ網野先生の本は、『無縁・公界・楽』でした。しかし自分にそのスケールの大きさを受け止める力量がなっかたせいか、ショックを受けると言うより、妙な違和感みたいなものを感じたのを憶えています。それは、話が抽象的だったせいもあります。また何かの書評で「学界に衝撃を与えた歴史書」とあって、その衝撃の意味すら分かりませんでした。読んだ後に、自分には中世史を勉強する感性みたいのものが欠けているのではないか?と少し悩んだ事があります。また周囲の人(特に考古学専攻の人)は、先生の著書を絶賛しているのを聞けば聞くほど、なぜそこまで心酔できえるのか分かりませんでした。ただ、『無縁・公界・楽』を読んで思った事は、近代=管理と抑圧の時代との対比で、中世=自由の時代という、何か中世にユートピア的なものを求めているのではないかという事でした(あくまで主観的な感想ですが)。自分には、その点が納得がいかなくて上手く理解できなかったんだと思います。従って、自分の中では、網野先生は歴史学者と言うより、思想家だと思っています。ただ何冊か読んだ本の中で、『中世荘園の様相』だけは、自分の中で理解でき、石母田正の『中世的世界の形成』のように、「太良荘」という一個の小宇宙を活き活きと叙述していて、吸い込まれるように読んだ事を憶えています。ただ家永三郎氏や石井進氏などのように自分にダイレクトに影響を与えた歴史学者とは違うので、正直複雑な気持ちです。また上手く吸収できないことは、今だにあまり変わっていません。それは自分の興味の対象とも関係するのかもしれませんが、網野史学には、やはり「中世史」という枠組みでは捉え切れないスケールの大きさと重みがあるのだと思います。ご冥福をお祈りいたします。

Re: 網野先生のこと

美川圭
No.1426

山本さん。こんにちは。

 ラストサムライの議論もそうだけど、自分の率直な思いをなんとか、文章にしようとされる態度。ぼくは大好きです。遠慮することないから、もっとやって。

 ぼくは、学部時代に、石母田正の『中世的世界の形成』を最初に読みました。中世史のバイブルみたいにいわれていた本ですから。でも、衝撃をうけませんでした。自分とは別世界、というか自分の歴史好きとは、まったく違い、そのよさがよくわからなかったのです。とにかく、くらーい気分になりました。きっと、戦時中に書かれた作品ということもあるんでしょうね。でもほんとうのところはよくわかりません。一度、上横手先生にたしか3回生のころ「石母田さんという人は、あんなこと(領主制論?)本気で考えていたんですか」という愚問を発し、「なにをいうんだ、あれが石母田さんの本質だ」と怒られたことがあります。それほど、違和感があった。

 網野さんの『無縁・公界・楽』は、楽しめました。というよりは、なにか歴史に光がさした。歴史をやりたいな、と思わせる魅力がそこには満ちていたのです。山本さんと違い『中世荘園の様相』はきちんと読んだ記憶がありません。あまり、新しい感じがしなかった。

なぜ、そういう印象をもったのか、これから、少しずつ考えていこうと思います。

Re: 網野先生のこと

No.1437

私がはじめて日本史に接したのは、網野先生と鶴見先生の対談『歴史の話』でした。この本を読んだのは、なんと会社に入って数年たってからで、ということは、それまで日本史とは無縁の生活を送ってきたわけです。高校では、世界史がメインでしたので、大学入試も世界史と何かだったと記憶しております。ただし、『無縁・公界・楽』については、思想史(それもラテンアメリカの)をやっている人から、すごいらしいよと聞かされていました。ですが、どうせ難しいのだろうくらいの考えで、敬して遠ざけていたのが実情です。けれども、『歴史の話』は面白かった。こんなに面白い世界だったのかと、網野先生のご著書をむさぼり読んだものでした。『無縁・公界・楽』も、読んでみれば結構面白いじゃないかと、不遜にも思ったものです。
網野先生の本は、出せば売れるという評価が出版社側にはあったようで、うちの編集者もさかんに出入りしていたようです(結局、実りませんでしたが)。
宮本常一先生のところにも大勢の編集者が詣でていたようで、人間大学で宮本先生のことを取り上げたときに、担当の編集者がお借りしてきたのを見せてもらったのですが、編集者の名刺が山のように残っています。その中に、やはり当社の人間の名刺が同じものが何枚も残っており、熾烈な争奪戦のようなものがあったのではないかと想像されます。
今後、そうした網野先生のお名前がどう消費されていくのかが心配です。例えば、進化論について何か本をつくるときには、とりあえず「ダーウィンを超える」と謳っておくと受けそうだといったことがあるようなので、そうした使われ方が網野先生に対して行われないことを願います(自分がつくったりして)。

異端?網野

美川圭
No.1438

京大に集中講義で、網野先生が来られたのは、
いつだったか、いまひとつ記憶がさだかではありません。
80年代で、たぶん、『無縁・公界・樂』が出たことでしょうか。元木先生なら正確にご記憶だろうと思います。

講義には、もう大学に就職された先輩たちが、
ずらっと聴講にならぶ、というちょっと異様な光景でした。
そのため、網野先生も、やや構えられたのか、
とても学生向けの講義、というよりは、学会報告、
といった感じで、緊張して授業をされたので、
われわれ学生には、やや難しすぎる、という印象でした。

とにかく、典拠となる史料を、これでもか、これでもか、とあげられるので、正直言って、退屈といっても過言ではないものでした。

ということは、かなり「警戒」をしていたのではないか。
つまり、当時の、反網野の風は、関西を中心に、かなりのものであったように、記憶しています。
某サイトで、大山喬平先生の網野批判の話が、出ております。
しかし、ぼくの印象では、すでに亡くなったK先生の批判は激烈をきわめるものでした。というのも、拙稿をK先生にお送りしたところ、そのお返事は、ほとんど網野批判で埋め尽くされておりました。その批判は、かなり感情的ともいえるものでして、網野が歴史学をだめにする、といった感じでした。いわゆる危険思想扱いですね。K先生も網野先生もマルクス主義者でしたから、そこには一種の深刻な路線闘争があったようです。

集中講義の学生を中心とする懇親会では、ややリラックスした先生と談笑する機会をえました。先生は、自分は「異端」だということをくりかえし、のべられておりました。当時、すでに学生から見ると、学界の主流派の中心をなそうとしていた網野先生でしたから、その言はたいへん違和感のあるものでした。しかし、先生は「四人組」などといるレッテルをかなり気にしておられるご様子でした。

もはや、そんな雰囲気は、皆無なのかもしれませんが、当時の雰囲気の一端でもお伝えできたら、と存じます。

楠・荒田町遺跡保存へ

No.1379

 今日の神戸新聞にタイトルの記事が載っています。神戸大学附属病院敷地に建設予定の駐車場の杭の一部を移動して、設計変更するようです。
 山本君と平田さんが4月から御世話になる、神戸大学の高橋昌明先生の提出した要望書に大学当局が応じたものです。
 遺構は埋まったままで保存ということになりますが、これを機に福原(当時の!)の実態や平家に関する研究が盛りあがれば、とてもうれしいことです。
 なお、新聞の記事は以下で見られます。
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou04/0227ke15890.html

おつかれさまでした

No.1373

先ほど帰宅いたしました。
 伊勢詣は実は初めてだったのですが、伊勢神宮や多気郡河田をはじめとしてとても幅広く良い勉強をさせていただきました。二日目に行った古市が、実は私は楽しみにしていて、歓楽街における芝居や浄瑠璃といった芸能の発達は、とても興味深く、伊勢の「裏の顔」を覗く事が出来て、本日の金剛証寺もあわせて、「伊勢詣」を完了したかな・・・と思っております。とても楽しかったです(^^)
 さて、東海道を通っての帰京は、水口あたりから渋滞に出会い、永富パパ直伝の抜け道を通って名神竜王ICから高速で京都東ICに抜けました。時間がない中での運転でしたが、山本さん・鈴木くん本当にお疲れ様でした。今回の旅行では車の運転も出来たし(安全運転を心がけていましたが、怖い思いをさせていたらごめんなさいです)、念願の伊勢詣も出来たし、大満足でした。永富さん、鈴木くん、ワガママな集団をまとめる事はとても大変だった事と思います。今日はゆっくりと休んでくださいね。
 美川先生、お疲れ様でした。今まで直接お話する機会が殆どなかったので、旅行でご一緒できてとても楽しかったです。また、お会いすることはもちろん、掲示板でお話できる事を楽しみにしております。
 そして野口先生も、愛車とはいえ、長時間のドライブでお疲れのことと思います。旅行中は案外お話できませんでしたが、清盛塚での大冒険(笑)、伊勢平氏や雲出島貫遺跡のお話など、とても勉強になりました。今日はとにかくゆっくりお休みください。
 一人一人にいろいろ「ありがとう」がありますが、それはまた今度会ったときに(^o^)とにかく皆様おつかれさまでした☆

ありがとうございました。&お疲れ様でした。

No.1375

 何とか無事帰還しました。
 いつもゼミ旅行を終えて思うんですが、今回の3日間も、時間の経つのが本当にあっという間でした。それは、それだけゼミ旅行の内容が充実していたことの証拠だと思います。今回の旅行で、いろいろ見聞(伊勢神宮・斎宮関係・伊勢平氏関係などはもちろん、カーナビの操作の仕方なども)して勉強になりました。しかし個人的には、むしろこのゼミの事をいろいろ考えるキッカケを与えてくれた事が、今回の旅行で得た事だったと思います。院試があったとは言え、HPの管理からゼミ旅行・『紫苑』の編集まで、永富さんや鈴木君に一切を任せてしまっていたことは猛反省すべであるし、一番年上のゼミメンバーとして自分はどのように活動したらいいのか、また新しく入ってきた1・2回生のことなど、当たり前に享受している今の環境と今後のゼミの在り方みたいなものをもっと真剣に再考するべきだとつくづく考えさせられました。
 そして、念願の伊勢平氏発祥の地を自分の眼で実際に確認できた事は、中世武士論を勉強している今の自分にとっては、何ものにも代え難いものでした。伊勢平氏がどのように京都と在地とを行き来していたか、実際に車で走ってみて体感できたこと、実際に自分の眼で確かめる事で、長村君の事前勉強会の発表で得た伊勢平氏関係の知識が点と線で結ばれたような感じがして、本当に勉強になりました。また事前勉強会で掴んだ漠然とした伊勢国のイメージが、その地を実際に行って自分の眼で確認する事で、壊される事は、本当に面白いし、ある意味快感・醍醐味です。今回で得たことを自分のこの先の勉強に活かそうと思います。このようなキッカケを「ゼミ旅行」という形で作ってくれ、また去年の夏の「熊野ツアー」に引き続き、連続で幹事をしてくれた永富さん・鈴木くんには、ありきたりな言葉ですが、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。平田さんと話をしていたんですが、来年度のゼミ旅行(夏)は、自分と平田さんが幹事を行いたいと思いす。よろしく御願いします。
 美川先生には、いろいろなお話を聞かせていただき、大変勉強になりました(特に地ビールの店での話)。また旅行などで
御一緒してお話をお聞きしたいです。また下のレスの題名は凄いです。
 実は、ここ半月で、弾き語りから始まり今回のゼミ旅行(長村くんとの野球シーンなど)まで、野口先生に対するイメージも大きく壊されました。
 最後に、「山本号」のご乗車のお客様(田中さん、末松さん、野口君、平田さん)、安眠を妨げるような運転で申し訳ありませんでした。無事に帰還できたということでとりあえずホッとしています。それと永富パパ様ありがとうございました。とにかく本当にお疲れ様でした。

夕焼けの加太越え(注、ドラマ風の文字を想像する)

長村祥知
No.1376

永富さん、ドライバー様(私にとっては特に野口先生)、みなさま、おつかれさまでした。
旅行中とはいえ、本郷先生が書き込みをされ、近藤先生・元木先生との会話が掲示板上でなされるなど話題は尽きていませんね。
下の箱に書かれてある、そしてこれから書かれるであろう楽しかった思い出と感謝の気持ちは、私も皆様同様であることを確認して省略し、私的な感想を一・二述べたいと思います。

1運動、付けたり擬制的父子関係。
 朝、二日にわたって、野口実パパと野口洋平兄貴にキャッチボール(フリーバッティング??)して遊んでいただきました。
朝日に照らされた我々の姿は、家族のごとく人の目に映ったことでしょう(笑)。次はゼミ野球(ソフトボール)大会をしたいものです。
山岡さんはバドミントンがお好きなようなので、そちらも今度遊んでください。
竹居先生もバドミントンがお好きだそうですよ。

2朝・昼・晩ご飯、付けたり赤福
 お酒の事はわからないのですが、いろいろと美味しい物を食べる事が出来てうれしかったです。
 特記すべきはおかげ横丁でのお昼ご飯。ご存知の方にはお馴染みの「岩戸屋」で伊勢うどんを食べました。
 京都でも売ってる赤福・・・
でも五十鈴川を眺めながら本店で。美味しく感じる舞台装置に、お茶で乾杯!

3道先案内人(なびげいたあ)
 自分にできるのは、在地系(?・笑)の裏通りをお知らせするくらいということがわかりました。先生方の仰ったように、元木先生は凄すぎる!!

4体力
 去年の鎌倉は明け方まで起きていられたのですが、今回は適度なところで寝てしまいました。たった一年で体力は落ちるということを痛感しました。不摂生を改めねば・・・

5現地の伝承
 それを知りえるのは現地のみということを実感しました。信憑性や史料的価値とは別の意義があると考えるので、色々と楽しむ事が出来ました。
どうでもいいことですが、ここ数日「在地」という言葉が魅力的です(笑)。色んなところで使いました・・・(笑)。一緒に盛り上がって下さった方に感謝感謝。
なお、現代の研究概念としては不快に思われる向きもあろうかと存じますが、旅行中の昂揚した気持ちで、史料用語を濫用することにはしゃいでいると、善意に解釈してくださることを願うばかりです。それ以上の意味は全くありません。たぶん在家(←これは史料用語ではありません)数日で、そういった語使用はしなくなると思います。

6次は
 元木先生・近藤先生主催の屋島・壇ノ浦です。
若輩者で、しかも何の役にも立ちませんが、宜しくお願いします。


伊勢詣

平田樹理
No.1380

 野口先生、美川先生、ゼミの皆様、本当にお疲れ様でした。
そして、ドライバーの皆様、お忙しい中幹事をしていただいた永富さん、鈴木君(内助の功)、本当にご苦労様でした。感謝の気持ちでいっぱいです。どうもありがとうございました。ふつつかながら、夏の旅行は幹事をさせていただきますね。野口先生とも少しお話していたのですが、次回はついに九州上陸(?)との計画もちらほら出ていたので、張り切って幹事兼案内役を務めたいと思います。
 いつもゼミ旅行に来て、実際に目で見、歩き、確認することの重要さを痛感しますが、今回は伊勢平氏発祥の地ということで、自分にとってとても勉強になりました(上の山本さんとほぼ同様の思いです)。伊勢神宮、金剛証寺(最後に寄った近長谷寺も)に行けたことも大きな収穫でした。今後の自分の糧にしたいと思います。
 とにかく、皆様本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

アテンション・プリーズ

No.1385

山本さん>
 おや。私は「客室乗務員」ではなかったのでしょうか???
ま、次回はナビの修行のため、運転はなしですよ(笑)

ええじゃないかツアー終了!

No.1389

書き込み&お礼が遅くなり申し訳ございません。
昨夜は帰りのバスに乗ってからの記憶がほとんどなく、気が付けば周山に着いており毎度のことながら運転手のおっちゃんに「おい!ついたで~ねぇちゃん起きや~」と起こされ家に帰りそのままベッドでした。
先ほど(夕方五時ごろ)目が覚めて携帯を見ればメールが、また掲示板を開くとみなさんからのたくさんの書き込みあり、なんだか”ねむり姫”というより”浦島太郎”気分です☆笑

あらためまして野口先生、美川先生をはじめドライバーを務めてくださった田中さん、山本さん、また事前学習会を務めてくださった長村くん、そしてプランニングからしおり、カメラ、またドライバーなどフルサポートしてくれた鈴木君、そして旅行に参加してくださった皆様お疲れ様でした、そしてありがとうございました。
このゼミは一人一人専門、興味の対象も違う分、なかなかみんなの欲求を同時に満たすプランを作るのは難しいのですが、終わったあと皆様から「参加してよかった!!」との感想をきくことが出来たことは幹事としましても嬉しい限りです。
二日目の晩に地麦酒を飲みながら一回生の山内さんに「幹事とはどういうものなのか」ということをきかれそれを話す中で結局は幹事は自分で何でもするというのではなく、その場その場の状況を読んで周りの人にお願いして動いてもらう、そういうものだということを話つつあらためて皆様の支えがあってこそこの旅行が成功できたのだなあと思いました。
また、今までは自分がゼミの中で一番最年少でしたので上を見上げてばかりいたのですが、一回生と話していると今度は見られる立場というのはどういうものなのかということを考えさせられました。「先輩」になった分しっかりお手本になれるよう自分も意識改革をせねばと思いました。
また個人的にはこれからの進路についても先輩方にたくさん相談にのってもらいアドバイスをいただけたのでこれからそれを踏まえてじぶんの歩むべき道を定めてゆきたいと思っております。
ありがとうございました。
家に帰ると大学から来年度のオリエンテーションのスケジュールなどが届いていました。
春は山本さん主催の吾妻鏡の購読会も始まるし、また新一年生も入ってくるかと思います。桜が咲いたら夜桜見学でもしたいですね♪

「先輩」

No.1396

永富さん>しっかりしているので、「先輩」としてもしっかりやっていける事と思います。(っていうか、もうすでにやっていると思うのですが・・・・)怖いのは、気が付くと自分が一番上になっていること。私が既にそうなのです。入ったときは、たくさん上のお姉さま方がいたのですが、気が付くと私が女の子(子・・?)の中では一番年上でした。意識改革をする意識があれば、心配はいらないでしょう。とにかく、しばらくはゆっくりと休憩してくださいな。改めてお疲れ様でした。

皆さんお疲れさまでした!

末松憲子
No.1370

家がネット環境にないので、帰宅途中のバスから携帯で書き込みます。皆様お疲れさま!特に永富さん鈴木くん、幹事お疲れさまでした。おかげで収穫の多い旅行になりました。 野口先生、美川先生、昨夜の飲み会とても楽しかったです。また今度ご一緒させてください。 では、そろそろ降車駅なのでこのへんで!楽しい旅行でしたo(^-^)o

Re: 皆さんお疲れさまでした!

No.1372

 今、無事に家に着くことができました。
 初日から、だんだんと行程にも無理が出てきて、最後の帰路はとてもハプニングの多いものになってしまいましたが、
 でも、道を間違えたり怒られたり喧嘩したり夜更かししたり、先生とお話で盛り上がったりと、ゼミでの研究とは違う分野の人間としても、とても楽しく3日間を過ごすことができました。普通、修学旅行などの集団での旅行の場合、時間が短く感じることが多いと思うのですが、ゼミ旅行は1ヶ月くらい行っていたように感じてしまいます。それだけ濃いものでした。
 やはり疲れたので、詳しい内容は幹事にお願いしたいと思います。ごめんなさい(m_m)(ずっと怒らせてばっかりだったので...)

 本当にみなさまお疲れ様でした、そして、楽しい旅をありがとうございました。

Re: 皆さんお疲れさまでした!

No.1390

末松さん>お疲れ様でした。
こちらこそありがとうございました。伊勢神宮での刀のお話をはじめ末松さんにはたくさんお話をきくことができ私としましてもとても収穫の多い旅行とまりました。
またゆっくりお話しましょうね!!

鈴木くん>そんなに怒ってないですよ~!!多分お互いに忙しいとイライラしてしまうのでぶつかってしまっただけでしょう☆こちらこそごめんなさい。そしてありがとう。
「忙」という字は心を亡くすと書きますがそのとおりですね・・・反省反省!!

伊勢ゼミ旅行、お疲れさまでした。

No.1369

 先ほど、永富さんから、レンタカー2台、京都駅に無事到着との御連絡を頂きました。源義経上洛軍のコースをたどったプレミオは、すでにその2時間ほど前に、宇治橋を渡っておりますので、全員無事に入京を果たしたことになり、かくして本年度最後のゼミ旅行も無事に大団円を迎えることが出来ました。ゼミメンバー諸姉兄ならびに特別に御参加くだされた美川圭先生にあつくお礼申しあげます。
 それにしても、いろいろご多用の中で、『紫苑』の編集に引き続いて、とても頑張ってくれた幹事の永富さんには、心からお礼を申しあげます(内助の功の鈴木君にも)。帰りの車中で、こうした先輩の活躍をなんとか引き継ぎたいという1回生山岡さんからの力強い一言も頂いて、小生、心強い限りです。
 今回の旅行では、もう一人の一回生山内さんも、一歩大きな前進をとげ、多くの先輩の知遇を得たことと思います。山岡さんと共に、ゼミのこれから(長村君も言うように、山内さんには研究面でおおいに期待するところがあります)を、よろしくお願いいたします。

 旅行の一日目は雲出島貫遺跡や多気郡河田で伊勢平氏関連の遺跡や伝承地を回って大きな収穫を得ることが出来ましたが、斎宮博物館で、伊藤裕偉先生にお目にかかることが出来たことは、特記すべき「嬉しいこと」でした。とても役に立つ資料もご提供下さり、伊藤先生、本当にありがとうございました。
 河田では、「清盛の馬乗り石」という新たな発見もあり、地元の方の親切な案内を頂いたり、たった二日前の事ですが、思い出話は尽きません。
 
 これ以外のこと二日目以後のことについては、ゼミメンバーの書き込みを期待したいと思います。
 
 擬制的父子関係を締結した長村君や野口君との浜辺でのキャッチボールは、とても心和む思い出になりました。それから、山本君・長村君、「孫の手」をありがとうございました。
 
 田中さん・野口君、明日、うまくいっていることを念じています。もちろん、門屋君もだ。

Re: 伊勢ゼミ旅行、お疲れさまでした。

No.1371

野口先生・美川先生・ゼミの皆さん、お帰りなさい。皆さんが旅行の間、元木先生ともどもこの掲示板の留守居を勤めておりました。乱入者を名乗る訪問者にしかと対処しておきました。これで、お役御免ですな(笑)。

Re: 伊勢ゼミ旅行、お疲れさまでした。

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1374

野口先生、美川先生、そして皆様。
おかえりやす。
みなさんおげんきなようで、安心いたしました。
原稿とにらめっこを続けていた山田でした。

2発の迎撃ミサイル命中

美川圭
No.1367

ただいま伊勢御幸から帰京いたしました。

本郷先生、2発の強力な迎撃ミサイルの威力はいががだったでしょうか。当方の守護は万全のはずですので。

冗談はさておき、乱入、もとい、ご来訪、歓迎いたします。
今後も、よろしく、お願いいたします。

史料編纂所の他の先生方も、読んでいるだけではなくて、
ぜひ、書き込んでくださいね。

そこにいるあなたのことですよ。念のため。

Re: 2発の迎撃ミサイル命中

本郷和人
No.1377

野口先生、美川先生、ゼミの皆様。無事にお帰りになら
れて何よりです。きっと沢山の収穫があったのでしょうね。

当方安月給ながら公務員でございまして、なんだか
倫理規定とかいうのがございます。勤務時間中(平日
9時から5時)に、ペンネームで情報を発信すると
厳しく怒られちゃうんですよね・・・。
史料編纂所員はみんな真面目だから、(わたしのように
いい加減な人間はごくごく少数です)
そういうこともあって、なかなか書き込めません。
どうぞお許しを。

今後ともどうぞ宜しくご指導ご鞭撻を賜りますように。

眼前の六波羅。

No.1378

 本郷和人先生。わざわざお葉書をいただき、恐縮しています。今朝、研究室にて拝受致しました。
 小生をテレビで御覧になられたというのは、千葉テレビでしょうか?本郷先生のお姿は、鎌倉遺文研究会で、瀬野精一郎先生、早稲田御退任直前の御発表の折に、拝させていただいたことがございます。
 それにいたしましても、千葉には、中世前期を専攻されている史料編纂所の先生方が、沢山お住まいですね。
 小生は「千葉氏」からこの世界に入ったのですが、地元では、子ども時代から制約を受け続けてきた「おかしな地域の歴史認識」は一向に変化せず、事大主義・地域的皇国史観のようなものが再生産され続けているようです。地元には、県史編纂などで活躍されている何人かの若手の優れた研究者もおられますが、さらに千葉在住の本郷先生をはじめとする東大の先生方に中世前期地域史への介入をお願いしたいもの、と念じております。
 なにとぞ、小生の故郷の歴史をよろしくお願い申し上げます。
 本日、眼前の六波羅の向こうには、冠雪した北山が連なっています。 今日は一日、ゼミ旅行の後始末に終始しそうです。

初めまして

No.1381

 本郷先生、はじめまして。
 管理人の鈴木潤と申します。
 このページの管理は、いろいろと過去の書き込みにもありますように、永富と二人で行っています。運営上の管理は永富で、技術的なものは私がしています。
 先生方のお話の中でも、いろいろな場所のたくさんの方にこのページをご覧いただいていると聞いています。
 勤務中の私的なインターネットの利用は、制約を受ける(たぶん禁止でしょうか?)事がほとんどだと思いますが、プライベートの時にでも是非、閲覧だけでなく書き込みのほうも、機会がありましたらお願いしたいと思います。
 また、ここの掲示板は某巨大匿名掲示板群とは違い、匿名での投稿は禁止しております。自身の発言に責任を持つという事と、初めて見た人への理解を助けるために、行っています。
 そのせいかわからないですが、あまり掲示板が荒れるということは起こっていません。
 美川先生もかかれていますが、今後ともよろしくお願いします。

 P.S.旅行日程が1日遅れていたら、鈴鹿峠は吹雪いていたようです。(永富パパ談)
 やはり、天の岩戸で踊った成果があったのでしょうか?

 

本郷先生、はじめまして

No.1394

本郷先生、はじめまして。
口先だけの管理人(?)の永富です。
旅行中に携帯で掲示板を確認していたところ本郷先生からの書き込みがあり、またそれにしっかり近藤先生と元木先生のレスがついていてびっくりしました。
このHPを開設した当時はほんのゼミ員の交流と連絡程度の目的で作ったものだったのですが、知らぬ間にどんどん輪が広がり、東西また分野を問わずたくさんの方々に閲覧していただけるようになったことに本当に驚くばかりです。
今後もよろしくお願いいたします。

鈴木くん>踊った成果、ありましたね♪さすがに胸をはだけて踊るまではいきませんでしたけど・・・☆顔がおかめそっくりだからOKだったのかしら?
それにしても今回の旅は焼肉屋情報、道路情報、また斎宮博のレプリカまで大半うちの父がかんでましたね・・・。
父万歳です 笑

忘れた頃にこっそりと

本郷和人と申します
No.1449

みなさま、暖かいお言葉を賜り、まことに有り難う
ございます。野口先生を中心とした温かな交流、
読んでいてほのぼのと致します。
ぼくはかつて朝廷の政治史をこころざしていたのですが、
ダメですね、やっぱり。肌で京都をしっているのと、
机上で知った気になっているのとは、やはり違います。
というわけで、いまは「千葉のはじっこで、愛じゃないや、
武士を探求して」おります。
どうぞ今後とも宜しくお願いいたします。

突然の乱入、お許し下さい

史料編纂所の本郷和人と申します
No.1363

>野口先生
このたびは御論稿を賜りまして、まことに有り難うござい
ました。早速拝読いたしましてが、とても勉強になりました。
また、今回は掲示板への突然の乱入お許し下さいませ。
>元木先生
ご高著を賜りまして、まことに有り難うございました。
まったく不案内の分野でございます。こんど入来院に
出張に行くのですが、ホテルにて早速に拝読いたし
まして、勉強させていただきます。
>美川先生
『赤い月』、ものすごく怒ってらっしゃいますね(笑)。
ぼくは以前ゼッフィレッリを語るなかにし礼さんを
教育テレビで見たときに、「自身の固まりのような方
だなあ」と思い、なんとなく近寄りがたく思っております。
そうですか、原作はいいのですか。読んでみようかな。

殺伐とした関東の田舎武士でございます。どうぞ今後とも
ご指導を賜りますよう、お願いいたします。

げ!凍らせてしまいましたか。

本郷和人
No.1364

上の「自身→自信」です。

あのう、先生方にお礼だけ申し上げられれば
所期の目的はOK、ということですので、
みなさま、どうぞ無視して盛り上がってくださいませ。

Re: 突然の乱入、お許し下さい

No.1365

本郷先生、ご無沙汰してます。私がお伝えするのも何ですが、野口・美川の両先生は、本日よりゼミ旅行で伊勢に出張中なんですよ。26日にお帰りの予定です。お帰りになれば、レスが入るでしょう。

Re: 突然の乱入、お許し下さい

No.1366

本郷先生、こちらこそ先日は玉稿の抜きずりや恵子さんの語著書を頂戴致し、恐縮しております。お返事も出さないうちに拙著を御送りすることとなり、まことに失礼いたしました。
近藤氏のレスのごとく、野口ゼミ一行はゼミ旅行中で、当然書き込みもないはずと思いながら覗いてみると、思わぬお客様の到来で驚いた次第です。今後とも宜しくご厚誼のほど、お願いいたします。
それにしましても、この掲示板も、ますます書き込みの輪が広がるようですね。

不在にて失礼いたしました。

No.1368

 本郷和人先生。このたびは、当HP掲示板への書き込みをありがとうございました。先生ならびに本郷恵子先生の御研究からは小生はもとより、ゼミメンバー一同も、日頃から多大な学恩を蒙らせていただいておりますので、たいへん嬉しく、かつ恐縮に存じております。
 トップページの月間予定に示しましたように、当ゼミはちょうど伊勢方面に大挙してゼミ旅行に出かけており、御返信が遅くなりましたことをお詫び申しあげる次第です。今後とも、なにとぞ、よろしく御願い申しあげます。

>元木先生・近藤先生
 先ほど、車3台にて、美川先生を含む総勢14名、無事、京都に帰還いたしました。当ゼミの離京中に御高配をたまわり、あつくお礼申しあげます。