口頭試問終了!

田中裕紀
No.1250

 先ほど、修論の口頭試問が終了しました。50分強でしたが、それはもう様々なつっこみがありました。主査一人、副査二人でしたが、全先生につっこまれたのが「タイトル」。
 「これはねえ~~~~~~(渋)」
を皮切りにまたつっこまれ・・・。思ったほど、散々な結果ではなかったのですが(先生も救う所を作ってくださっているので)、副査の先生の一人が言われたのが
 「君の修論、引用するならどこをとる?」
という一言でした。続けて「まだまだ、引用する側の立場で書いてるんだよね。」「先行研究に丁寧である必要はあっても、遠慮する必要は無いんだよ」と言われたのが、とても印象的でした。終わった後も先生方とお話していたので、合計2時間半も修論や今後の研究、論文執筆についてしゃべっていましたが、やっぱり学生として、先生方には明るい未来を語っていただきたいです。確かに現実は見据えないといけないのですが、「まだ若いんだから、これからだよ!!」と言われる事の方が、何よりも強いエンジンになるような気がします(それは勉強のエンジンだけではなく)。都立大に関する書き込みのあれこれを読んでいると、そんな事を言っている場合ではないのですが、最近そんな事を思います。

軍記と語り物研究会 第359回例会

No.1256

 本日、タイトルの案内が届きました。ここで、田中さんは「『平家物語』の建礼門院」なる御報告をされます。時は3月21日(日)13時~、ところは早稲田大学国際会議場4F第7共同研究室。
 http://www5e.biglobe.ne.jp/~gunki/
 
 口頭試問が終わって、次こそ一番大事なDCの院試。これは厳しいでしょうが、すでにこんな学会報告の依頼をいただけるだけのステイタスを学界で築いておられるので、まあ、ふだんの実力さえ発揮できれば・・・と思って、応援しております。
 兵藤裕己先生によると猛勉強中の門屋君も、ぜひとも東下りの成果をお見せ下さりたく。四月からは、田中さん共々、こちらのレギュラーメンバーに復帰されることを、待望しているという次第です。
 なお、お二人とも健康管理には十分ご注意ください。

Re: 口頭試問終了!

No.1259

私も先日試問を追え帰って来ております。
猛勉強との評価がどのようにしてなされたのか
反対に不安を感じてしまいますが、試験は頑張ります。
研究会には4月からきっちり復帰させていただきたいと思います。。
よろしくお願いします。
来月の発表は前日に卒業式などで東京に確実に行きますので、
田中さんは嫌な顔をしそうですが、行こうと思っております。

逃亡者の戯言。

No.1246

 採点に疲れて、また、ここに逃避に来ました。明日、院試の結果が出る方は、さぞ落ち着かない時間をおすごしのことと思います。それにしても、この、BBSも大学に関するシビアな議論と宴会・カラオケの話が同居していて妙に落ち着きませんね。
 日本における大学の現状は本当に深刻です。科学も学問も思想もない新設大学がどんどん出来て、大学が専門学校化しつつあることは前から指摘されていましたが、まさか都立大のような理想的な大学で、かかる事態が発生しようとは思ってもいませんでした。
 都知事や横浜市長の大学にたいする発言に、拍手を送る人たちが多いことは厳然たる現実なのですから。あの、大学立法粉砕などと叫んでいた世代はどこに消えたのでしょうか。もっとも、鹿児島に住んでいたとき、大学紛争のような経験をしたのは同世代でもごく僅かなんだと言うことを実感させられたことがあります。
 都立大の先生方は、今「絵踏み」をさせられている。研究者としての良心と生活の板挟みになっている方も多いことと思います。実に残酷な話です。小生には都立大の先生方を励ます資格はありません。
 現在、小生の知人で地方の私立大学の教授・助教授の地位にある方たち4名(中には学部長経験者もおられます)もが、自らの解雇撤回の裁判闘争を続けています。あまり、マスコミは取り上げませんが、そういう現実のあることも研究者や研究者を目指す若い人たちはよく知っておくべきだと思います。
 未来には希望を語りたいものですが。
 小生がこの現状にたいして出来ることと言ったら、美川先生の言われるように、正統な学問の魅力を語り続けること。真の学問を志向する優秀な若い人たちを、優れた第一線の研究者のもとに託すこと。そんなことくらいだろうと思っています。

2人目の逃亡者

美川圭
No.1247

 私も、論文の修正とか、時雨亭叢書の校正から、逃亡して、ここにきてしまっています。

 昔、大学院受験用に英語で読んだE.H・カーの『歴史とは何か』のなかに、現在や未来を知るために、歴史を知らなくてはならない、といった内容の記述があったように記憶しています。私は、このいいかたが、どうしても好きになれません。なんだか、非常に功利主義的なとらえかたで、それこそ足下をすくわれる気がするのです。

 実学か否か、という問題があります。実学の反対は、虚学ですかね。歴史学は虚学であり、世の中の役に立たない、という方が真実に近い。だからこそ価値があるのだ。

 この考え方は、前に上横手先生が「歴史をやったって、現在や未来を知ることにはならないよ。歴史はおもしろいからやってるんですよ」という趣旨(たぶん言い方については不正確です)のことをいわれたのを覚えていた、その影響が強いのです。

 こういう考え方が、人間にとっては、社会にとっては、ほんとうに重要なんだ。役に立たないことをやる人間がたくさん生きている、あるいは生きられる社会をわれわれは作らねばならない、とかなり真剣に考えています。



お久しぶりです

山口博史
No.1249

 野口先生が元木先生の新著「源満仲・頼光」を紹介されていましたので、早速手に入れて拝読いたしました。源満仲・頼光には興味がありましたので興味深く読ませていただきました。
 このシリーズのなかには、野口先生も美川先生も書かれるようですので楽しみです。特に、美川先生の「後白河天皇」は特に個人的には興味があり、楽しみにしております。
 先生方にもいろいろとご苦労がおありの様子、掲示板で読ませていただいておりますが、早く出版されることを希望します。
 私たちのような歴史愛好家はテレビに左右されます。今年は新選組が人気で関連の著書が爆発的に売れているようですが、来年は義経です。それも楽しみです。

3人目の逃亡者

No.1251

英語の原文を日本語のゲラとつけあわせて、訳のおかしいところを直していく…という仕事がいやになって、ここに逃げてきました。
 それとは別に、いま国吉康雄という画家の本を作っています。彼は、前世紀の初頭にアメリカに渡り、アメリカ人画家として名を成した人で、去年が没後50年にあたります。まだ没後50年ですので、歴史、というほどのこともなく、史料も日本とアメリカの両方にあるわけですが、アメリカというのはすごい国で、国吉に関する史料は、紙切れ一枚にいたるまで大切にスミソニアン協会アーカイブス・オブ・アメリカン・アートに保管されていて、誰でも閲覧できるらしいのです。
 ところが、日本では、海燕という雑誌をかつて出していた出版社が作品なんかをかつて買い集めたらしいのですが、自分で維持管理できなくなると、地元の美術館に全部寄贈してしまったそうです(一応、委託だそうです)。それで、そんなにたくさん学芸員のいない美術館では、整理もままならず、いろんな史料が眠っているも同然らしいです。
こうした話は、いろんな分野であると思います。私としては、国や企業がこういうところにお金を使えばいいのにと思うのですが。それを若い研究者が調べに来る。そしてなんらかの形で発表する。美術館も、その研究に基づいて展覧会をやる。そうやって、みんなで面白いもの、面白そうなものを見つけていくのが、学問なんじゃないかなと思うのですが。別に、社会に役立たなくたって構わないというか、そういうことを面白がれる余裕のある社会がうらやましいですよね。

かぼちゃ人間1号

美川圭
No.1252

さっき、NHKのクローズアップ現代で、
遺伝子組み換え動物の話をやっていました。

なかでも、豚にほうれん草の遺伝子を組み込んだ、
「ほうれんそう豚」には唖然としてしまいました。
近大でつくったそうです。「ほうれんそう豚」の顔を見ていたら、なんだかもの哀しくなってきました。
豚とほうれん草を両方食べればいいことじゃないか。
こういうのが「実学」の極地でしょうね。

思い浮かんだのは、自分に植物の遺伝子が組み込まれたら、
なにがふさわしいかな、ということです。
なんか、かぼちゃかな。かぼちゃ人間第1号。

みなさんも、自分に、すいかとか、トマトとか、青ネギとか、
タマネギとか、スイカとか、ゴボウとか、そら豆とか、インゲンとか、だいこんとか、サツマイモとか、じゃがいもとか、チューリップとか、レンコンとか、組み込まれたことを想像して、しばし、わらってみましょう。

三匹の逃亡者。

No.1253

 いやはや、逃亡仲間がお二人も加わってくださって本当に心強い限りです。
 小生、昔のことですが「主任学芸員」という、何が「主任」なんだか分からない肩書きで京都の博物館に勤務していたことがありますが(もっとも千葉県のある博物館には「上席研究員」という人がいる。この「上席」というのは、まさか上等な椅子ということではあるまい?)、最近の博物館の場合は「実利」と言いましょうか「収益」に毒されているようです。
 いくら内容の優れた展覧会を企画しても、客の入り(要するに儲け)が評価基準。客の入りが悪いと、学芸員のせいにされる。
 ひところは、地方公共団体の博物館でも、館長に形だけでも研究者を置くところがあったのですが、このところは事務職あがりの人が多くなり、収益のことばかり考えているらしい(もちろん、事務職の人の中に、学問・芸術・文化に理解深い方がおられることも事実ですが)。「文化は遊び」です。金に換算できないものを人に与えるものですよ。人は金儲けのタネになるからと文学作品を読んだり、音楽を楽しんだりしますかね?
 文化の分からない自治体の博物館による学芸員の人事というのは、上層部にとって管理しやすい程度の履歴で、それほど個性的で学究肌でない人間を採るようです。だから、博物館はすこしも良くならない。
 かと思うと、学芸員の資格をとれば学芸員になれるかのような錯覚に陥っている学生さんが多いのも困る。適当な数の単位を取れば誰でも頂ける資格なんて、役に立つのは車の免許に如かずですよ。学生さんには、それぞれ余人をもって代え難い実力を磨いて欲しいものです。
 この国の文化環境を、少しでも良い方向に向けるには、山口さんたちのような、ほんものの学問の成果を学習しようとされている市民の方たちの力が大きく作用すると思うのですが。
 それにしても、やはり逃げてばかりではいけませんね。原稿用紙の鎧を身につけてうって出なければいけません。・・・と「躁」状態になったとき、また本一冊の執筆を引き受けてしまいました(石浜さん、すみません)。
 「うって出る」で思い出しましたが、数日前の京都新聞に日文研の笠谷和比古先生が『ラスト・サムライ』を、とても高く評価した一文を寄稿されていましたが、どなたかお読みになりましたか?

Re: 逃亡者の戯言。

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1254

美川先生、野口先生、こんばんは。
なんか、身につまされる話が続いていますね。とにかく、学問研究にたずさわる部分(大学も博物館も研究所も埋蔵文化財センターも)の全体が、「大氷河期」にはいりつつあるのは確かです。この厳しい時代をどのようにして生き残るべきか、真剣に考えねばならないでしょうね。

17日の件

長村祥知
No.1217

2月17日の計画です。
夕食
17時45分~19時45分 和楽食宴座 囲や
  http://r.gnavi.co.jp/k006416/
   〒604-8032京都府京都市中京区河原町三条下ル
         京都・あじびる河原町5F
   電話075-223-1431

カラオケ
20時~23時  シダックス
  京都市中京区河原町三条下ル山崎町237番地

参加予定者は、野口先生・元木先生・美川先生・山本氏・平田氏・永富氏・鈴木氏・長村の八名に、カラオケ途中から佐伯さん参加です。ドタキャンはなしですよ。

予算は、食事の方が飲み放題つきでクーポン使って3400円ほどのはずです。
あ・・カラオケの値段聞くの忘れました・・・

補足

No.1219

長村君>SHIDAXの料金はおそらく平日夜なので一時間あたり460円だとおもいます(学生は学割でいくらか安かったはず)
でも三時間ならフリータイムのほうがお得ですよ。何時間いても960円なので・・・
どのコースで予約されたかはわかりませんが、お酒やジュースもカラオケで飲まれるなら飲み放題のコースも色々とあるので検討してはいかがですか?
以上、補足でした。

Re: 17日の件

長村祥知
No.1221

フリータイム・・・
そんなモノがあったんですね。コースのことは何も知らなかったので単に時間を言っただけです・・・

飲み放題にするかどうか聞かれたのですが、そちらは当日決めても良いとのことでしたのでそうしました。

補足その2

No.1224

長村君>今SHIDAXのページを調べました。また見て参考にしてください。http://www.shidax-community.co.jp/

幹事のお仕事は当日が勝負ですね!!がんばってください

17日不参加となりました

美川圭
No.1229

17日、急に会議が入ってしまいました。
夜まで、長引きそうなので、参加ができません。
楽しみにしていたのですが、残念です。

Re: 17日の件

No.1234

美川先生>お会いできなくなり残念です。その分、伊勢旅行一日目の晩は旅館の「大宴会場」をおさえてありますのでそこでステージをご披露ください♀_(`O`)  ♪



Re: 17日の件

長村祥知
No.1235

美川先生、残念です。伊勢でお会いできるのを楽しみにしています。

カラオケの料金についてさっき店に電話しました。
すると、フリータイム(960円)の方はフリードリンク(1380円)が必要との事でした。
一時間料金(460円)×3+ドリンク代、と比べてどちらが安いかは、フリードリンクにするか一杯ずつ精算するかによって変わってきます。
当日店に行ったときに決めても良いらしいので、参加者の皆様は夕食の時にでもお考えを聞かせてください。
遠方にお帰りの方(野口先生・永富さん他)にあわせて適度な時間に一旦解散としますが、遅くまで歌いたい方がいらっしゃったら山本さんにご相談ください。僕は当日山本先輩のお宅に泊めてもらう予定なので、山本さんが可と仰ったらお相手させていただきます。
山本さんご自身が、「院試の反動で弾けたい!」のなら話は早いのですが(笑)

ヴィラ・知足院のお泊りの件

No.1240

ヴィラ・知足院のお泊りの件は、人数的には4人ぐらいまでは大丈夫です。当日予約無しでの御宿泊もOKです(ただ食事無し)。でも先生の前ではさすがに弾けられません。お酒の力を借りれば別ですが(笑)。まあいずれにせよ何処かで弾ける可能性は否定できません(笑)。

ヴィラ・知足院

No.1242

 ヴィラ(villa)というのは、辞書でひくと①別荘、別邸②(主に南欧の田舎の堂々とした)邸宅、屋敷。山本さんの豪邸、お目にかかりたいものです(←意地悪)
 それにしても、「マンション(mansion)」も大邸宅の意味だし、現在のホテルグランヴィア京都の前身「ターミナルホテル」の「ターミナル(terminal)」も、「人生の終着駅」というようなニュアンスを持っています。実学の前に、現実的な英語教育をしていただきたいものですね。

ホテルの名前

No.1243

「国際観光旅館○○ホテル」とかもよくありますし、日本語に同化されている外来語の使い方は、よく考えると不思議です。
 「新館アネックス」もannex自体が別館っていう意味のようですし、「チゲ鍋」なんかはチゲ=鍋という意味そのものなので、お店で見かけるとおかしくなります。
 ヴィラ・知足院...まさしく山本別邸ですね。
 もしかしたら、17日の晩はヴィラ・知足院のお世話になるかもしれません、その時はよろしくお願いします。OKですか?お酒の相手は出来ますので!!

は~い

No.1261

本日電話で宿泊予約した永富です(^O^")/ヴィラ・知足院におせわになります♪
猫ちゃんにあえる~わ~い♪はじけてくださってOKですよ♪
お酌します!!(あ、お酒代は山本さんもちで・・・)

東京都立大学史学科と改革問題

No.1215

 歴史学・日本史研究において大きな役割をになってきた東京都立大学人文学部史学科が大変な危機に瀕していることは周知のことだと思います。この問題について、川合康先生より、新たなHPを立ち上げたので、御覧頂きたい旨のメールをいただきました。これは、大学関係者ならびに学問研究にたずさわる人間にとって共有すべき問題だと思いますので、ぜひ本HPを御覧になっている皆様にも御覧頂きたく、御紹介申し上げます。
  http://www8.plala.or.jp/kawi/sigaku.htm
 川合先生は原則として毎日更新される予定とのことです。

Re: 東京都立大学史学科と改革問題

No.1218

たまたま川崎と横浜の国境に住んでおりますので、よく横浜へ国越えするのですが、昨年の衆院選のとき、たまプラーザという駅で(金妻の舞台です)、出雲の市長をやった某氏の応援演説で横浜市長が、それはもう悪し様に横浜にある某市立大学の悪口を言うのを聞きました。そんなにカンタンに社会貢献、社会貢献っていうなよな、大学ってそんなもんなのかよと悲しくなりましたが、具体的に数字をあげて、いくら維持費がかかり…という話をするものですから、みんな肯いて聞いているようだったのが気がかりです。流されないで、よ~く考えれば、どこかおかしいということがわかると思うのですが…。もはや、都立大は後戻りできないところまで、来てしまったのでしょうか。関西の市立大学や府立大学は大丈夫でしょうか。

現代社会の風潮

No.1226

よく歴史学と現代社会との関係や、歴史学は社会とどう関わるべきかなど考える時があります。それは、歴史学だけでなく、哲学や芸術学や国文学などにも言える問題だと思うんですが。でもいつもこれといった明確な答えを出せずにいます。ただ、歴史学や国文学などは、社会に経済的な効果(実益)で貢献すると言ったそのような次元ではないのは確かだと思っています。そのような価値基準で学問のジャンルを評価する社会になったら、それはすごく恐ろしい事だと思います。最近の博物館や美術館などは、特別展などで利益を上げるために試行錯誤しているのは分かるんですが、元来芸術の分野というのは、すぐに経済的利益とは結びにくい分野だと思います。利益優先の芸術は、商業主義的になりかねません。いろんな意味で、今の社会とは、経済的利益優先社会になって行くのでしょうか?しかし全ての価値基準が経済的利益に集約されてしまい、その価値観が絶対というようになれば、経済的利益を生まないものは排除されるという、ある意味、価値観の次元における全体主義的な社会になりかねないと思います。その一端が都立大学の問題に垣間見えているように思えます。

Re: 東京都立大学史学科と改革問題

美川圭
No.1227

 私は、摂南大学という関西ではある程度知名度があるが、全国的にはほとんど無名な大学(薬学部だけは例外的に知られている?)で、日々悪戦苦闘しています。名前を言ったらだれでも全国的に知られている関関同立なんかに較べると、ほんとうにどう学生を集めるか、あるいは集めた学生をどう覚醒させるか、悩んでいます。
 薬学部の様な、国家試験にできるだけ合格させて(実際数年前まで毎年合格率トップであったわけです)、学生を集めていく、というのは、中ではものすごく大変なんですが、方向性ははっきりしているので、試行錯誤の度合は比較的少ないのです。
 ところが、私の所属する国際言語文化学部というところだと、その方向性が明確ではありません。むしろ、明確ではないところが特徴です。外国語学部と文学部が合体したような性格なんですから(いわゆる国際関係学部ではないのです)。そうしたところで、私のような教員がどうすればいいか。それは、文学部史学科などとは、全く異なるのです。
 日本史・世界史を選択科目としてはいますが、英語と国語で合格できるので、歴史の知識は皆無、といった学生が大半です。歴史は中学、高校と履修して、定期試験ぐらいは受けているはずですが、受験科目として選んでいないと、塾通いしている私の小学校5年の娘と同じようなレベルです(最近の中学受験のレベルはすごい)。
 その学生たちに、歴史の刺激性を、強烈にたたきこまねばならない。その点では、一番役立っているのは、典型的不人気予備校講師時代の苦悩と試行錯誤です。自分の専門に近い平安末(いわゆる院政)、戦国時代と織豊期、幕末、日中戦争~太平洋戦争、あたりを複数の授業科目にたたきこんで、ごくごく基本的なところから、ものすごくわかりやすく(自分ではそのつもりなのですが?)しゃべりまくる。これしか、やりようがない。とにかく歴史のおもしろさを伝えないと、教室の学生をつっぷして寝込ませてしまう。自分が大学でうけた授業とは全く違うことを毎日やっているのです。とくに院政の授業は、ほとんどノート無しで、自分が研究してきたもののエッセンスを、たたきつけています。ここがうまくいかなかったら、自分の存在価値は皆無と考えています。
 それで、学生をどうするのか。明確ではありません。とにかく自信のなかった顔を、明るくさせる。いままで勉強が出来ないと思っていた学生たちが、いやー自分たちにもできることがあるんだ、と思わせて、社会に送り込んでいく。そして、実社会で思う存分活躍させる。最近の卒業生でも、トヨタのセールスマン日本一(なんと車をい1ヶ月に100台も売るそうです)なんてのもいますが、典型でしょうね。
 私のおかれた立場というのを、少しは理解していただけましたでしょうか。

都立大学その他

No.1237

 昨年暮れに、たまたま都立大で学会をやって、やり方のひどさを聞いてあきれかえったのですが、あんなことがまかり通るなら、これからは何が起きても不思議ではありません。
 たとえば、既に入学している大学院生が、無事に学位をとれるかどうかすらわからないというぐらいですから…。それって詐欺じゃないの?
 石浜さんがおっしゃっている横浜市長は、野口先生にも私にも関わる某大学出身の人だろうと思いますが、ああいう若くてかっこいい「改革派」風の人が、いらない高速道路のように大学をつぶしてゆくのでしょうか。
 私たちも、「文学」や「歴史」がなぜ必要か、わかりやすくアピールしていく必要があることは確かでしょうが、あそこまで問答無用が通用してしまうのでは、それ以前の所で無力感に襲われます。せめて、自分のいる教室から、そういう政治家を出さないように…というのは冗談で、そんな心配をしなくても、私の所にいる学生は市長や知事にはなりそうもありませんが…。

Re: 東京都立大学史学科と改革問題

美川圭
No.1239

 佐伯先生、こんばんわ。

 実は、これからは何が起きても不思議ではない、というのは正しいと思います。いや、ことは、はっきりとおき始めています。その目に見えるのが、都立大であり、横浜市立大であり、というところだと、認識しています。

「哲学」「文学」「歴史学」といった、古くから大学の根幹にあった学問は、軽薄な実学のもとに、いまたいへんな逆風下にあります。

 われわれの学問が役に立つといくら主張しても、実学群はもっと役に立つ、というので、足下をさらわれてしまいます。

 ですから、社会に対して、どれだけわれわれの学問が、魅力的であるか、その神髄をしめさなくてはならない。

 そのためには、目先のおもしろさよりも、もっと奥深いものを探らねばならないと思います。

 しかし、自分のおかれた現状は、それをやっていては、対処できない状況でもある。そのことを、>>No.1236で申しました。もうひとつ荒波がきたら、転覆しそうです。

実学主義

No.1241

 都立大学の現状は、9月の平家物語研究会で川合先生からお伺いしました。現役学生としてとてもショックを受ける内容でした。それこそ、佐伯先生のおっしゃるように「それって詐欺じゃないですか!?」と言ってしまったほどです。
 確かに、哲学や文学、歴史学という学問は、経済利益をはじめとする「利益」に対して即効性のある物ではありません。でも、この国が見本としてきた諸外国の現状を考えれば、即効性に変えられない物がある事に気づかない事の方がおかしい。そういう現状に置かれた「若者」として、この都立大の問題はとても重大で深刻な問題です。
 とても個人的なことですが、高校時代の友人達に「理系」の人が多く、「今何やってるの~?」と軽く聞いても、「ナノテク」という答えが返ってきたりします。その「ナノテク」の友人は、再生医療に関わる研究をしているということでした。でも、その彼女が大学に入るきっかけは「アトムを作りたい」というものでした。これはちょっと話がズレますが、現在医療に「貢献」して「利益」を産する学問を学ぶ人だって、結局そんなきっかけなんですよね?

実学とは?

No.1244

 ニュースでもよく見ますので、都立大の内容は知っているつもりでしたが、やはりかなりのフィルタがかかっていたようです。自分の通っている大学は、教員養成系でしかも情報教育の専攻にいるので、実学そのものの分野にいることになってしまいますね...。
 経済的な「利益」が、世の中に「貢献」するかは疑問です。理系分野でも、理学と工学に分かれます。利益に直接つながる「工学」があっても、基礎的な研究の裏付けがないと何も出来ません。それがある程度はっきりしているのでわかりやすいのかもしれません。
 歴史は専門ではないので的はずれかもしれませんが、理系分野は未来をつくるもので、歴史は過去をつくるものだと思います。人間が理解出来るのは現在しかありません。未来や過去を現在の言葉に言い換えるのが研究ではないでしょうか?ただ、実益になるものは、未来や過去のものを現在で再生産しているだけな気がします。
 発展途上国での教育内容で、特にエリート養成コースな所は、「国語・英語・数学・理科」だけで、「社会や実技教科」は省略されている所は多くあります。結局、都立大での流れも同じように感じます。
 ただ、教育実習にいったり、いろんな人と交流したりして感じたのは、専門分野はその専門に進めば出来て当たり前で、プラスアルファが無いと一段階上に進めないという事でした。プラスアルファが必要なレベルまで、世の中が到達していない証拠なのでしょう。何を持って実学なのか、短いスパンでしか物事が見えない場合は、答えは明らかですね。
 先日の京都新聞の特集で、島津の田中さんと生物学の先生の対談で、「科学にはインタープリターの役割が必要」という記事がありました。記事では理系の人だけの話でしたが、とても納得してしまいました。
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/rensai/century/century01.html

都立大の問題は見守るだけしか僕には出来ないですが、悪い方向へ進む引き金を引くことだけはしないような知識を身につけていたいと思います。

Re: 東京都立大学史学科と改革問題

美川圭
No.1245

 現在、崇徳院をめぐる「噂」と政治との関係を考えているので、妙に気になることがあります。都立大をめぐっていろんな噂が聞こえてくるのです。

 そのもっとも象徴的なものが「あそこの人文系教員は週に
1日しか大学に来ていなかった」というものです。つまり、あんなにめぐまれた環境に甘んじていたから、ああなるんだ、というものです。たぶん、意図的に流されているものだと思いますが、かなりのインパクトがあります。

 私のところでも、週3日出講日だったのが、昨年から週4日になりました。つまり、研究か教育か、という問題設定が強引にされて、教育を優先せよ、ということなのです。しかし、この設定は間違っていますよね。大学というのは、研究があっての教育で、その両者は一体のはずなのです。しかし、一部に、あまりに教育をないがしろにする教員がいることも確かで、それが世間では、非常にめだってしまいます。そういうことと、1日しか出てこない、というまことしやかな噂が合体して、にわかに真実性を帯びるわけです。やはり、きちんと社会に対して反論をしておくべきです。

Re: 東京都立大学史学科と改革問題

末松憲子
No.1248

実学とは何か。私も大学の修士に入って一年、そこに悩まされました。
私の通う京都精華大学は、現在学科編成で環境学科や文化表現学科などができつつあり、来年以降もまだ増えるようです。それと同時に、あと二年で私の出た人文学科はなくなります。
もともと人文学科の頃から、環境、ジェンダー、教育学、歴史などが入り乱れた学校だったのですが、新学科になってからは学生の目から見てもヤバさを感じます。

また、現在修士には教育学、環境、社会学と、伝承文学の私が所属しているのですが、合同演習などは皆同じ授業に出ねばなりません。「広く学問を学ぶ」という当初の理念はわからなくもないですが、担当の先生が環境の方で非常に実学よりだったので、ものすごく辛く「役に立つって何だ?」と常に考えていました。
その先生いわく、「研究というものは人の役に立つことで、そうではないものは勉強だ。忙しいサラリーマンでも読んでもらえるような簡潔な文章を書かねばならない。」とのことで、いかにこれから自分が研究することが社会に対して有益なのか、それを授業で発表せねばなりませんでした。
一部わからなくもないのですが、必須単位の中にいくつかこういう授業があったので、「せっかく修士に入ったのに自分の研究とはまったく別のところで何故こんなに苦悩しなければならないのか?」という事を一年常に考えていたように思います。

温故知新という言葉がありますが、実学にはそれが無いように思います。「役に立つこと」という概念自体も曖昧ですが、役に立たない事は研究しない社会というのは、思想が一方向に統制されやすい物騒な社会なのではないでしょうか。

とはいえ、今一番の問題は国立出身以外の修士には、ほとんど専門の就職がまわってこない事ですね。
現在30歳くらいの方から就職がつまっていると聞きますので、その下の10年分くらいの世代は、研究者になれず空洞化世代になるのではないでしょうか。そうすると30年後くらいにいまの年金問題と同じ、ピラミッドの下があやしくなってくるように思います。

つらつらと駄文を重ね失礼しました。思うところが最近たくさんあったものですから。

めでたし、『紫苑』第2号、版下完成。

No.1210

 本日、『紫苑』の版下が完成しました。編集長:永富さん、技術担当:鈴木君、校正担当:長村君、それに助っ人の「長老」山本君の丸半日に及ぶ苦闘の成果でした。とくに、鈴木君は例によって獅子奮迅の活躍。他の人が出来ない能力を持っていると大変です。お疲れさまでした。晴明神社には間に合いましたか?
 この間、2回生の立花さんも来室。山本君と3月からの『吾妻鏡』講読会の計画が着々と進められているようです。立花さんは北条氏で卒論を書くとのことですので、小生もこの講読会に参加して、『北条時政』執筆のエネルギーとしたいと思っております。
 ちなみに、『紫苑』第2号には、第一線研究者も舌を巻く長村君の本格的な研究論文をはじめ、数々の好論が掲載されますが、楽しみなのは昨年8月の熊野ゼミ旅行の写真が6ページにわたって掲載されることです。これが、なんとカラーで実現されそうです。そのレイアウトが実に凝っています。永富さん・鈴木君の合作。出来上がりが待ち遠しいところです。
 
 本日、愛車プレミオの12ヶ月点検。エンジンオイル・オイルフィルターを交換。ついでにワイパーゴムも取り替えて、伊勢旅行の長距離走行の準備は万端整いました。京都トヨペットからの帰途、走行テストで伏見城址を一回りして来ましたが、快調そのものでした。
  
 さて、本日、お集まりの諸姉兄、編集の苦労話やら、『吾妻鏡』講読会のこと、はたまた、17日の件、さらに伊勢旅行の事前学習会のことなど、ここに御伝達をいただきたく、御願い申しあげます。

皆さんご苦労様でした

No.1212

 野口先生の援助のおかげで、無事にたどり着くことが出来ました。五条堀川まで車を飛ばしたのですが、目の前を3台の回送車が通り、なかなか市バスの乗れずはらはらしました。
 何かまとまったものを作るときは、取りまとめをする人間が一番「しんどい」ものだと、横から見て思いました。編集長はやっぱり大変な仕事ですね。(技術担当は案外、気苦労は少ないです..)
 そろそろ、1、2回生にも技術を継承していかないとだめな時期になっていますね。僕もカラー刷りがほんとに待ち遠しいです。

 紫苑第2号のWeb公開はいつにしましょうか?また17日に相談します。

事前学習会

長村祥知
No.1213

副幹事を承っている長村です。
ゼミ伊勢旅行の事前学習会ですが、
 2月20日(金)13時~
 宗教文化研究所の共同研究室(?。正式名称かどうかあやしい)
とします。皆様のご都合をお聞きしてからでは日が決まらないので、今日の編集作業の際に決めました。もし参加できない方がいらしたらごめんなさい。ただ、時間の変更程度なら可能かもしれないので、ご希望の向きはこちらにお書き込みください。
発表は長村がさせていただきますが、『三重県の地名』等が中心になるので研究発表といった趣では有りませんことをお断りしておきます。

今日は(今日までも)野口先生・鈴木君・永富さん・山本さんありがとうございました。拙い内容ではありますが、ゼミの雑誌に掲載されることは一年前からの念願でした。

17日の方は、明日にでも掲示します。

Re: めでたし、『紫苑』第2号、版下完成。

長村祥知
No.1214

上の
「拙い内容ではありますが」
とは、勿論、『紫苑』に載せるには自分の投稿したものが拙い、という意味です。誤解を招くような表現でご迷惑をおかけしました

誤解と誤読。

No.1216

 下のNO.1205のなめかわさんの場合は、そのとおり、誤解を招く表現ですが、上の長村君の場合は、誤解はないと思います。誤解したとすれば「誤読」です。
 それから、このbbsは、各方面・・・の方々が御覧になっているので、書き込みについて神経質になるのは仕方がありませんが、修正機能も鈴木君がちゃんと用意してくれていますから、暗証をきちんと登録して書き込んで、誤りがあれば自己修正してください。

Re: めでたし、『紫苑』第2号、版下完成。

No.1220

昨日は家に帰ってご飯をたべたらそのままばったりと夢の中でしたので、皆様にお礼が遅くなり申し訳ございません。
あらためて、先生をはじめとする昨日最終チェックに立ち会ってくれた皆様、また原稿執筆者の方々、その他編集にご協力くださった方々に厚く御礼申し上げます。
正直第一号に比べかなりよい出来に仕上がっていると自負しております(私の原稿の内容はさておき・・・☆ですが)
印刷あがりが楽しみですね♪

さて、伊勢旅行に関しましていくつかご連絡があります。

①旅行代金お振込みありがとうございます。さきほど確認したところ、一人を除いて全員代金のほうお預かりを確認いたしました。まだの方は至急振り込んでくださいね☆よろしくおねがいいたします。

②事前学習会は長村くんが上に書き込んでくださったとおり20日に13時からおこないたいとおもいます。
事前学習会とはいえ、ベースがないまま話をきくのはおもしろくないとおもうので、各自下調べなどをしてきてくださいね!!最低地図をみてどこへ行くのか場所ぐらいは把握しておいてください。

③最終日は原則的にみなさん車で京都へかえられる予定となっているかとはおもいますが、中にはそのままその足で帰省することを希望されている方もいます。その場合は早めに永富までご連絡ください。
※運転手の方は逃げないでくださいね!!笑
もし希望するならかわりの運転手をだれにするか個人で交渉してくださいネ

以上です。

助っ人になったかどうか・・・。

No.1222

先日は編集作業お疲れ様でした。特に鈴木君のテキパキとした仕事ぶりとそれに息の合った永富さんのコンビネーションはお見事でしたね。また長村君の推敲にかける情熱には、自分は非常に影響を受けました。まるで彫刻をするように丁寧にしている姿には、根負けします。先生もおしゃっていたように、自分の書いたもの、発言等には責任を持つべきだとつくづく思いました。自分は、前半少し手伝っただけで、後半は先生の講義用のレジュメを物色していただけでした(笑)。出来上がるのが本当に楽しみですね。

お疲れ様でした☆

No.1223

 紫苑の編集作業、本当にお疲れ様でした。
自分の原稿でも大変なのですから、編集作業とはいかばかりのものかと思います。特に、永富さんには今年度は本当に色々色々お世話になっております。本当にお疲れ様☆
 さて、現在、12日の修士論文口頭試問の準備(すでに誤字の多さを指摘され、正誤表が必要な状況です(ToT))、16・17日の院試、そして3月21日には軍記と語り物の研究会で研究発表をする事になりました。年度内はギリギリの生活です(ToT))というわけで、伊勢の事前準備にどこまで参加できるかわかりませんが、出来るだけ参加したいと思っていますので、よろしくおねがいしますね。

事前学習会補足

長村祥知
No.1225

ML流してもらったのですが、正確には、平凡社「日本歴史地名大系」の『三重県の地名』をベースに詳しく発表するというものです(別に角川書店のでもいいけどさ)。地名の語源俗解をするわけではないですよ(笑)

他に参考文献を挙げます。
伊藤裕偉「安濃津の成立と中世的展開」(『日本史研究』448)、
伊藤裕偉「伊勢平氏と水運・物流の接点を探る」(森浩一編『東海学が歴史を変える』)。
↑伊藤氏には見学先でご教示を仰ぐこととなるので、読んでいくのが礼儀かと。礼儀とか関係なくてもわかりやすくて勉強になります。
高橋昌明『清盛以前』。
『講座日本荘園史6』の「伊勢国」。

現在僕が発表可能なのは、伊勢神宮・伊勢平氏・荘園や在地勢力の分布についてで、もし可能ならば斎宮・記紀と神道五部書・近世の松阪・本居宣長・多度神宮寺等も調べたいと思っております。
当日発表者を黙らせて、ご自身の興味のあることについて発表してくださるような人を期待しています。

田中さん・野口君、まぁ、気分転換を!

No.1228

 田中さん。久しぶりに御登場、うれしい限りです。野口君もこのところ、引きこもって勉強に専念しているようですが、たまには顔を出して、気分転換をしたほうが効率的というものですぞ!
 
 『紫苑』は今回、たいへんな豪華版になりそうです。心配なのは、これからのこと。編集長を誰が引き継ぐか。版下製作の技術を誰が身につけるか。京女の1・2回生に奮起を期待したいところです。
 小生としても、4月からは、現在の主要メンバーが然るべき大学院に進学することで(みんなスゴイです)、当ゼミと疎遠になることはある程度やむを得ないと思っていますので、新興勢力の台頭を期待するところなのです。
 そのことで、永富さんも言っていましたが、ゼミの組織をもうすこし系統立てて、役割分担を明確にする必要があるかも知れません。その辺りのことを、皆さんで考えておいて下さい。
 それから、このゼミは任意参加ですから、常に顔を合わせていることができません。そこで、このbbsが威力を発揮しているのですが、1回生にはパソコンをネットにつないでいない人が多いようです。これを何とかしなければなりません。永富さんと鈴木君に活躍していただきたいところです。
 勉強会については、山本君の『吾妻鏡』が3月からスタートしますが、それ以外にも、何か中心になって進めたいという方がおられましたら、どんどんやりましょう。野口君には、また、もっと計画的な形で史跡見学会を企画してもらいたいと思っています。
 なお、気の早い話ですが、新年度の例会は木曜は不可のようです。昨日、前期授業の時間割案が届き、月の1・2講時と木の4・5講時に連続で1コマずつ計4コマの演習が入っておりましたので。

Re: めでたし、『紫苑』第2号、版下完成。

No.1230

紫苑執筆及び編集に関わっておられた皆様、お疲れ様でした。

さて、野口先生や永富さんにはお願いしていた(はず)と思いますが、
紫苑第2号を私宛に送っていただきたく存じます。
やむをえないことですが、学生時代よりも歴史から遠ざかってしまい
頭の中がサビ付き始めている状態です(・・;)
今後も細々と歴史関係の書物を読み進めるでしょうけれど、
脳内のサビを食い止めるためにも、紫苑を拝読いたしたいと存じます。

勿論送料は負担いたしますので、着払いでお願いいたしますm(_ _)m

もちろん、お送りします。

No.1231

 笠さん、お久しぶりです。居住地が近ければ、17日には是非、御参加をお願いしたいところなのですが。
 ところで、『紫苑』はゼミ旧メンバーには差し上げることにしており、畿外在住の方への郵送は当然の義務だと考えております(1号を受け取っていない方は御連絡下さい)。ただ、目下、版下が出来た段階ですので、本そのものが出来るまでにはしばらく時間がかかると思います。
 一年前の鎌倉旅行の写真なども整理がついておりませんが、これらは、このHPのイベントのところに、いずれ鈴木君が最新の技術を駆使して、UPしてくれることになっています。『紫苑』2号についても、近く本HPで見ることができるようになると思います。しばし、お待ちを。
 それで、思い出しました。HP管理人のお二人に御願いですが、トップページの今月の予定は、もう二月の半ばですから、そろそろ更新を御願いします。それから、小生の業績についても、(すでに掲載してあるものも主なものに過ぎませんが)新しい成果がだいぶ増えましたし(このところ野口は仕事をしていないなどと思われるのも面白くありませんので)、これもそろそろ追加・更新を御願いしたいと思っております。さらに、プロフィールのところの写真も、20年くらい前のものに差し替えてサバを読みたいのですが・・・(これはダメか)。よろしく。

今後のHP等について

No.1232

 2月の予定を、僕がわかる範囲で更新しました。
 『紫苑』第2号は今週末あたりにはPDF化して公開したいと考えています。もう少しお待ち願います。
 野口先生の業績等は、リストなどをいただけましたら、すぐにでも更新します。加えて、先生の著書を「ワンクリック」で購入できるようにamazon.co.jpへ直接リンクも出来るようにしようかなぁと画策中です。ただ、プロフィールの写真については、もう一人の管理人と相談してください。
 熊野の写真等も編集が遅れて申し訳ありません。伊勢旅行の時には配布できるように準備したいと考えています。
 
ゼミの1・2回生へ
↑のアイコンにも、僕の個人のホームページもありますので、何かわからないことがあれば直接聞いてもらえればOKですよ。

 

Re: めでたし、『紫苑』第2号、版下完成。

No.1233

山本さん>ひさびさの「陽二郎」との再会はどうでした?笑
ありがとうございました。

田中さん>お久しぶりです。お忙しい中参加していただくだけで十分ですよ~また伊勢で田中さんの「グルメ秘話」を楽しみにしております♪

長村君>「地名の語源俗解をするわけではないですよ(笑)」というのはもちろんですよ~。そこまでおばかさんじゃないです☆
「地図をみろ」といったのはその意味ではなく、行き先の地図も見ず、車にのせてもらっていれば現地へついてそこを見て去るのではなくきちんと位置関係と自分の興味のある分野を照らし合わせて体感するため「地図を見て」と言ったのです。本や論文などの文字情報だけではわからない部分を体感してこそ意味があるフィールドワークですので・・・。
誤解を生む表現でMLを流してしまいすみませんでした_(^^;)ゞ

野口先生>今後の方針も含め、伊勢旅行ではゆっくり会議をひらく必要がありそうですね~。
来年度は私は「ご隠居」生活の予定ですので、今私がやっている仕事などをきちんと引継ぎ、なおかつ発展させていってもらえるよう私も努力します。(まあ、1.2回生がついてきてくれないことにはどうしようもないのですが・・・)
一人一人が先生と単体でつながっているだけでなく、それ以外の横や縦、あるいはナナメ(?)の関係があって互いに刺激しあってこそこのゼミの良さが発揮されているとおもいますので、ぜひともその良さを伸ばすような形で新たな方針をとりたいものですね。学問はもちろんですが、それ以外の面でもこのゼミでは大いに学ぶところがありますので・・・

HPの件ですが、20年前の写真はだめですよ~詐欺罪で訴えられます(笑)あ、でも藤原秀郷あたりの絵との合成なら承ります♪タイトルは「伝説の教授野口実」でいかがですか?

笠さん>お久しぶりです。「紫苑」野口先生もおっしゃっておられますが、到着までしばしお待ちくださいね♪
それと、笠さんからいただいたお菓子、先日編集作業をしながらみんなでおいしくいただきました。ありがとうございました。
ちなみにお菓子の箱(家の形をしててとっても可愛い♪)は陽二郎(一説には山本さんの弟らしい(?)ペンギンのマペットです)の家になりました♪

Re: めでたし、『紫苑』第2号、版下完成。

平田樹理
No.1236

完全に出遅れましたが、レスさせていただきます。
「紫苑」の推敲、編集作業等長村君、永富さん、鈴木君、助っ人の山本さん、お疲れ様でした。ありがとうございました。言葉に表しきれないほど感謝しています。
自分はギリギリまで時間がかかり、永富さんをはじめ皆様に多々ご迷惑おかけした事を深くお詫びします。今後このようなことがないように致します(大反省)。

野口先生>上で永富さんが述べられている通りだと思います。
今後のゼミの方向性や研究会日程等議題はたくさんあるので、旅行時でもぜひじっくり話し合いの場を持ちたいものです。去年はゼミに貢献できず本当に申し訳ないかぎりでしたので、今年は(どこにいこうが)積極的に活動していきたいと思います。←これは私の今年の目標です!

笠さん>ご無沙汰しております。お元気ですか?
今度実家に帰るときはご連絡しますので、ぜひ久留米駅付近ででもお茶しましょう!


院試受験お疲れさまです。

なめかわあつこ。
No.1204

山本さん、平田さん院試お疲れ様です。
山本さん、レスありがとうございました。
「白い巨塔」の上川隆也は確かにかっこいいと思います。上川隆也は「大地の子」以来追っかけて(?)います。田宮二郎版「白い巨塔」の時は「アタック25」でおなじみの児玉清(山本さんには「太平記」の金沢貞顕と言った方がよいでしょうか)だったそうですよ(元木先生から伺いました)。私の計算(?)では、この人に義経をやって欲しかった…。
松平健の弁慶役はどうでしょうかね?「暴れん坊将軍」の次は「暴れん坊坊主」(語呂悪いなあ)ですね(笑)。昔、民放の時代劇スペシャルでは平清盛さんでしたが。過去の大河で尾上菊五郎・富司純子夫妻共演の「源義経」をご覧になっていらっしゃる方には、緒形拳の弁慶役が印象的だった分、物足りないかもしれませんね。因みに昔、生物の先生は、精原細胞・始原細胞を「清盛・重盛」で覚えたらいいとアドバイスされました(笑)。私の中での清盛イメージは、いつも渡辺謙さんでした。「北条時宗」の時頼が死ぬシーンで、「時輔を殺せ…」の台詞が何故か「頼朝の首を…」に頭の中で変換されてしまっていたり(やばいですね…)。まさしく「なめかわワールド」ですね。当掲示板で全くアカデミックな話ができずすみません。
山本さん、論争にしますか?(笑)
余談ですが、最近プレイステーションソフトに「戦国無双」なるものがでたようです(出したのは「信長の野望」で有名なコーエー)。ロン毛の明智光秀には驚愕してしまいました。「きんかん頭」じゃないのね…とか思いましたが。不純な動機に思われるかもしれませんが、私が今日本史をやっているのも、もしかするとこうしたゲームの影響もあったかもしれません(「信長の野望」は中学生の時やっていましたしね)。

誤解をまねかないように…

なめかわあつこ。
No.1205

今読み返したら、誤解を招きそうな表現が…。
義経をやって欲しかったのは、児玉清ではなく上川隆也のことですよ。

Re: 院試受験お疲れさまです。

No.1207

なめかわさん、前の白い巨塔の出演者一覧を1206に記しました。ご参照ください。しかし、義経も滝沢何とかと、どん兵衛食ってる上戸何とかのコンビではねえ。清盛はビートたけしかなんかでしょうか。さんまだったりして・・・。

Re: 院試受験お疲れさまです。

平田樹理
No.1238

滑川さん>わざわざどうもありがとうございます。
今年度の私はダメダメでしたので(全てにおいて)、また心機一転、頑張りたいと思います(結果はどうあれ)。
 弁慶は大仁田厚か赤井秀和かと勝手に思っていましたが、松平健さんでしたね。年末の特別番組大友宗麟役から彼に白羽の矢が立ったようです。
あと、コーエーから「三国無双」が出た時点で、「戦国無双」が出るとは思っていたのですが、本当に出たようですねぇ。しかし、ロン毛の明智光秀は見てみたいものです。

祝・元木泰雄著『源満仲・頼光』御刊行

No.1195

 本日、タイトル所掲の本(ミネルヴァ日本評伝選)をいただきました。この場を借りて元木先生に、あつくお礼申しあげます。
 この本の副題は「殺生放逸 朝家の守護」というもので、ちょうど元木先生の研究室で開かれている『台記』の研究会の時に、先生が出版社の方と電話で相談されていたのを思い出しました。ビシッと決まっていて、さすがです。
 表紙には、『酒呑童子絵巻』(狩野元信筆)の、酒呑童子が兜をつけた頼光の頭に喰らい付いている場面がレイアウトされている、なかなかセンスの良い装丁です。小生も、『北条時政』を早く刊行したくなりました。
 内容は・・・、それは元木先生のお書きになるものですから、言うまでもないことでしょう。うれしかったのは、例によって、昔、人目ににつかないところに発表したために、誰からも取り上げて貰えなかった私見を、詳細に御紹介下さっていることです。こうした評価をいただいてこそ、小生も一端の研究者面をしていられるという次第です。
 年表も索引も付せられていて、武士論研究を志す人は勿論、平安時代史全般、また軍記・説話を中心とした国文学専攻者にとっても必読・必備の本だと思います。
 「あとがき」によりますと、元木先生御門下の院生横澤君・佐伯君がお手伝いをされたようですが、拙著刊行に際しては、当ゼミメンバーにぜひ御助力を賜りたく、今からよろしく御願い申しあげておきます。
 それにしても、早く、締切の迫った分不相応なテーマの論文などの仕事を片づけて、書きたい本の執筆に時間を使いたいものです。元木先生の精力的なお仕事ぶりを見ていると、本当に励みになります。

 >山本君・平田さん
 院試、お疲れさまでした。あとは、身を点(天)に委ねるのみですから、あれこれ考えずに、一休みしてください。

怖いことだらけ

美川圭
No.1197

 私も、さきほどいただきました。

 電光石火の如し、ですね。

 私も、『後白河天皇』などという、分不相応な課題をいただいておりまして、なんとか安田元久先生や、棚橋光男先生の御著書を越えるものを、と思いながら、
 両先生共に、痛ましい、あるいは早すぎる最期をとげられたことに、怖がってもいます。

 後白河は、後醍醐や後鳥羽と違い、天寿をまっとうしているといえるので、たんなる偶然とは思いながら、怖がりなもので・・・。

 ところで、
卒論の副査に、三島由紀夫の『金閣寺』論があたったため、何十年かぶり(たぶん中学生以来かも)、『金閣寺』を再読しました。さっき読み終えたところです。中学生の時はわからなかったのですが、金閣寺への放火が、主人公のなかでまったく必然的であると確信させる論理的構築力に、舌をまきました。ちまたには論理の無茶苦茶な「論文」があふれていますが、はるかにこの小説は論理的でした。しかし、その「結論」はまことに怖い。

 ミネルヴァの『後白河天皇』の前に、某新書から『院政』という本を出すことになっているのですが、その終わりはどこまで書くか。
 鎌倉後期は当然として、後醍醐をこえて、義満まで、という「夢想」を、いま現在はもっています。ちなみに、エピローグは、金閣寺炎上でしょうか。身の程知らずの、これも怖い。

 それにしても自分の学力不足、学問的蓄積の貧困さを、ひしひしと感じる今日この頃です。院生の皆さん、お金はなくても時間のあるときに、しっかり勉強しておいてくださいね。

後白河院の評価。

No.1199

 美川先生こんばんは。入試業務はお済みでしょうか?
 たしかに後白河の伝記を書いた研究者にはジンクスがありますね。歴博の館長のような。
 単行本ではありませんが、昔出た朝倉書店の『日本人物史大系』の古代編に小生の恩師である貫達人先生も後白河の伝記を書かれています。これが、一刀両断の暗君説で、当時としては珍しかったと思います。貫先生は別の本で、摂関政治=政所政治というのは誤りであるという指摘もされておられます。僭越なことですが、最近、恩師の慧眼とその研究成果を再評価しております。本当に「不肖の弟子」とはよく言ったものです。
 『院政』という本は、昔、至文堂から吉村茂樹著で出たことがありますが、美川先生の新著、楽しみです。室町時代までというのは、良いですね。どうも、最近の研究成果は在来の時代区分のイメージに整合しなくなってきましたから。
 院試が終わってホッとしている方もおられますが、本当に院生の皆さん。勉強して身に付くのは今のうちですよ。ようやく時間が出来ても、意欲と体力(視力)と記憶力が衰えますからね。これは、50を越していない美川先生には該当しないかも知れませんが。その点、元木先生は超人です。

 >山本君・平田さん
 9日(月曜)昼から研究室で『紫苑』の校正作業を永富さん・長村君とするので、お暇があれば手伝いにおいで下さい。コンビニ弁当くらいはご馳走します(ケチだね)。

Re: 祝・元木泰雄著『源満仲・頼光』御刊行

No.1200

野口先生、当方もまだ40台ですので・・・。何せ、心身ともにぼろぼろです。超人というのは近藤先生のような方でしょう。
ともかく、拙著に関する御高評、有難うございました。校正など編集サイドと日程調整が上手く行かないところもあり、色々問題があると存じます。何かお気づきの点がありましたらご指摘くださいますようお願いいたします。実は209ページの佐伯君の名前が間違っていると、彼から抗議を受けました。
誤:佐伯智弘→正:佐伯智広
ご修正をお願いいたします。
そういえば後白河の祟りは、上横手先生も心配しておられました。だから、岩波新書をお書きにならないとか?しかし、暗君としてばっさり切られた貫先生のご壮健を伺い、安堵致しました。だいたい、大河ドラマで後鳥羽を演じた尾上辰之助は若死に、後醍醐を演じた仁左衛門も重病に陥りましたが、後白河を演じた滝沢修が90台の天寿を全うしたのを始め、松緑もまあ長生き、中尾彬はますますギラギラのようです。美川先生、そういうことのようですから、ご安心を。
17日はよろしくお願いします。

それでは、もしや崇徳の祟りか?

美川圭
No.1201

 貫先生のことをすっかり失念しておりました。
暗君説の貫先生のご壮健、ということからすれば、
やはり後白河の祟りはありえませんね。

 とすると、もしや、後白河を評価すると、あの崇徳の祟りが、及ぶのでしょうか。棚橋先生の後白河評価は非常に高かったですね。安田先生はどうだったかな。お二人の先生にもうしわけない言い方ですが。

 ドラマで後白河がよく描かれることはありませんから、後白河を演じた俳優の方は問題ないのでしょうか。

 これはこれで、また怖ろしい。

 こんなことを言っていると、歴史上の人物は論じられません。科学的な歴史学ということばももう死語に近いですが、そういう立場の人間が迷信を信じてはいけません。というのはたてまえです。やはり、上横手先生も怖れられておられましたか。

 でも、水死と伝えられる唐人お吉を演じていた太地喜和子が、車の転落事故で水死したなんてニュースのときは、ぞっとしました。こういったこと、俳優たちもきっと気にしていますよ。

Re: 祝・元木泰雄著『源満仲・頼光』御刊行

No.1206

太地喜和子といえば、前回の『白い巨塔』で、財前の愛人の役(今回は黒木瞳)を演じておりました。主役の田宮二郎とともに、中心の俳優二人が変死したことになります。少し気持ちが悪い。
その他の出演者のうち、東教授役の中村伸郎、鵜飼医学部長役の小沢栄太郎、大河内教授役の加藤嘉、耳鼻科教授役の小松方正、東大船尾教授役の佐分利信、里見の兄役の岡田英次、財前の岳父役の曾我廼家明蝶、大阪医師会長役の金子信雄、その仲間(何の役か忘れた)の戸浦六宏、東の前任の教授の西村晃、助手役の河原崎長一郎らが鬼籍に入ってしまいました。いずれも病気で亡くなったのですが、時代の流れを感じますね。
ちなみに、里見はもちろん山本学、その妻が上村香子、東の娘は純情派だった島田陽子、東の妻が東恵美子、財前の対立候補は米倉斉加年、医療ミスで死ぬ男は谷幹一、その妻中村玉緒、その息子中島久之、その弁護士児玉清、財前の弁護士北村和夫、裁判長大滝秀治、柳原が高橋長英、江川が坂東正之助、難波大学医学部の同窓会長が渡部文雄、証言する看護婦長の夫が山田吾一、財前の妻が生田悦子、財前の母が中北千枝子(昔,日生のCMで日生のおばちゃん役、その昔黒澤の初期の傑作『二人の日曜日』に主演)といったメンバーでした。
今にして思えば、すごい顔ぶれでしたね。DVDでも売っているし、テレビで再放送の噂もあります。
ところで、ミネルヴァは次が関幸彦氏の北条政子の由ですが、そのあとはしばらく中世の予定がないそうです。関係各位のご健闘をお祈りします(余計なお世話だ!、との声がありそうですが)。
当方は年度末校務を済ませたら、『日野町史』40枚、その次はNHKブックスの保元、平治の乱にかかります。引き受けた仕事は思い出せないほど(催促しない仕事は、急がないでいいわけだし、実際に忘れてしまうのでやらない)ありますが、肉体の衰え、学務の繁忙化と競争しながら、できるだけ片付けたいと切実に思っております。
ちなみに一昨年逝去された熱田先生は、引き受けたらこっちが強いというポリシーをお持ちでした。借金と一緒ということでしょうか。仕事の重要性に応じて、特急、急行、準急などとランク分けされたとのこと。「お宅は準急程度」とか仰って編集者を煙に巻いたとか。今なら、快速特急だの快速急行だのがありますから、ますます煙に巻くには宜しいようで。超特急といっても一番早いわけではない、だって「のぞみ」があるのだから、なんて言い出したらキリがありませんね。
余談ですが、「のぞみ」「ひかり」というのは、戦前同じ路繊維ペアで運行されたある列車の名前です。どんな列車でしょうか。

訂正

No.1208

最後からに二行目は、「戦前同じ路線で・・」の誤記です。失礼しました。

新幹線→自衛隊→白い巨塔→北条時政

No.1209

  「ひかり」と「のぞみ」は、南満州鉄道に接続した朝鮮鉄道の釜山-奉天間を走っていたのではありませんか。これも、新幹線同様の標準軌だったのでしょうか?しかし、新幹線の名称は、JRには大陸進出の野望でもあるのかと思わせるような命名ですね。技術輸出の成功祈願のような意図でもあるでしょうかね。このところ、自衛隊の海外派兵も、私たちの「黙認」の結果、現実のものとなり、戦時中のニュース映画みたいな「出征」場面がテレビで放送されることになりました。テレビケーム世代の若者たちは「ラスト・サムライ」と「新撰組」に踊らされて、日本も「懐かしい時代」に回帰しつつあるようです。ですから、そのうちに航空自衛隊の国産戦闘機として隼とか疾風とか鍾馗なんていう名前が復活するかも知れませんね。昔、プラモデルでずいぶん作りましたけど。
 「白い巨塔」は、昔の方がぜったいに良かった。財前の義父を演じていたのは金田龍之介かと思っていましたが、明蝶でしたか。こういう記憶違いがありますから、商売柄、同時代の公家日記の記事だからといって安心できないわけです。
 それにしても前作は1978年だったと思いますが、小生が貧乏院生の頃でして、「教授」ってものになるのは、えらい大変なんだなぁと思ったものでした。その後、筒井康隆氏の『文学部唯野教授』を読むに及び、文学部と医学部がまったく別の世界であることを思い知り、さらに自分がいくつかの大学に勤務した結果、「大学」という名称は同じでも中は様々だ、ということを身をもって認識した次第です。同じ県の県立「高校」でもそうですけど。
 次に、原稿執筆の件ですが、小生など、出版社から依頼をいただけるうちが花だと思っています。それにしても、ミネルヴァの近刊に関幸彦先生の『北条政子』がラインナップされているとは!
 関先生もほんとうに精力的にたくさん本を書かれますね。しかし、感心ばかりしてもいられない。政子が出るなら親父の時政も早く書かなければなりませんからね。参りました。 

経験と伝達

No.1211

さすがは野口先生、ご名答です。「のぞみ」は朝、「ひかり」は午後、それぞれ関釜連絡船と接続して釜山を出発し、朝鮮半島を縦断、満州に入り、ほぼ一昼夜かけて奉天に到着しておりました。「ひかり」はさらに満鉄に乗り入れ、ハルピンまで運転されています。新幹線のひかりは、在来線の特急「こだま」が音速なら、それよりはやい光速の意味で採用された名称です。それは分かるのですが、そのひかりを凌駕する列車にどうして「のぞみ」なのか、理解に苦しみます。きっと次は「はと」そして「あじあ」の満鉄の急行、特急コンビでしょうか。朝鮮半島や中国の人達はどうして抗議しなかったのですかね。不思議です。
戦争の時代の怖さ、悲惨さに対する感覚は、経験した人とそうでない人の温度差はある程度仕方ないのかもしれません。その怖さを平和な時代に安閑と暮らす人間に伝えることが如何に難しいことか。自分でも死にかかって、初めて死に直面する怖さが骨身にしみました。まして、戦争の中で何年間も死ぬことと向き合うことが、どういうことか、少しだけ分かりました。そして、戦争経験に対する理解が如何に浅薄だったのかということも痛感した次第です。
そのことを思うと、専門とする時代像を、あるいはそこに生きた人間の息吹をどこまで理解しているのか、伝えられるのか、時として暗澹とすることもあります。
ただ、色々経験したものこそ、内実のこもった評伝が書けるのではないか、年とともに歴史上の人物の体温や息づかいに触れられるようになってきた気もしております。年とともに円熟味を出せる歴史学は、ありがたい学問だと思うこともあります。
ちなみに、若いころの苦労は、トラウマにもなりますが、真摯にむきあえば、年を取ってからの財産になる面もある、とだけもうしておきましょう。

業務連絡。

No.1189

① 研究室在室について
 講義のない時期にはいりました。研究・調査などの都合で研究室に不在の事が多くなりますので、ご用の方は事前にコンタクトをお願い致します。
 急ぎのご用のメールについても自宅あてでお願い致します。

② 貸出後、行方不明の本について
 『集英社日本の歴史 別巻 日本史研究事典』は返却されました。それ以外の本については引き続き捜索中ですので、よろしく御協力下さい。 

③ 17日の件について。
 小生は延期の必要なしと思います。先に決まっていたことを優先します。二日続きは辛いところがありますので。
                         以上
追伸 院試、諸姉兄の御健闘を祈ります。

17日の件

No.1190

カラオケ大会の事、
野口先生や佐伯さんをはじめとする日本史研究会関係者のみなさまには申し訳ないのですが、
当初の予定通り17日に決行とします。

今はとりあえず日程のことだけご連絡させていただきます。
近日中に店を予約しますので、>>>>No.074にあるように、参加不参加の変更等は11日までにお願いします。

業務連絡 その2

No.1191

>永富さん・長村君
 明日(5日)、『紫苑』2号の経費に関する起案を事務に提出する約束になっていますので、執筆者及びタイトルの一覧と総ページ数を明朝までにお知らせ下さい。ここにUPしていただければ、予告になって良いかも知れません。

『紫苑』第2号構成案の報告

No.1192

 お二人にメールもお送りしたのですが、急なことで連絡がとれませんでしたので、小生のわかる範囲で、事務方に以下の構成案を提出致しました。ご了承下さい。

 <特別寄稿>
  「法住寺合戦について-『平家物語』と同時代史料の間-」
     長村祥知(同志社大学文学部4回生・当ゼミ客員メンバー)
 <論文>
  「奏事に見る院の国政運営」
     平田樹理(本学文学部史学科4回生)
 <研究ノート>
  「平氏と六波羅とその空間」
     村井 愛(本学史学科2回生)
  「慶滋保胤-一平安朝文人の生涯-」
     谷垣有香(本学史学科1回生)
 <活動記録><編集後記>
     平田樹理
     永富絵里子(本学史学科3回生・『紫苑』編集長) 
 形態などは昨年と同じ、60ページ程度300部でお願いしました。
 なお、2ページ程度でカラー写真の掲載が可能とのことですから、活動記録に入れられればよいと思っています。
                   以上御報告まで。

Re: 業務連絡。

永富
No.1193

連絡がおそくなりすみません。昨夜から神戸の親戚の家におりますので八日までパソコンがしばらく使えません。(今も携帯からです)
ご用のある方は私のパソコンではなく携帯に連絡をお願いします。
>野口先生
お手数おかけしてしまいすみませんでした。紫苑についてご自宅のほうへMailしておきましたのでご確認ください

業務連絡その2の経緯とその後。

No.1194

 当初、5日に永富さん・長村君と研究室で『紫苑』の版下を完成させる予定でしたので、事務方に、この日に構成を報告する旨伝えていたのですが、4日夜に最終校正延期の連絡を永富さんから頂いたとき、このことを失念していました。そこで、深夜の連絡となってしまいました。もちろん、PCのほかにケータイにもメールを送信したのですが、なぜか送信不能のために、このbbsに書き込んだという次第です。
 5日は大学に行ったのですが、連絡がないので今度は電話を差し上げたのですが、これもだめ。自宅にいませんから永富さんからのせっかくの返信は参照しえず、上記内容を提出した次第です。そのために、永富さんの研究ノート「村落における葬送」が抜け(他の方の分は草稿が手許にあったのでわかりました。永富さんの原稿については記憶喪失にて失礼しました)、ページ数も少な目になってしまいました。しかし、あくまでも「構成案」としての起案ですから、おそらく問題はないと思いますので、ご安心下さい。なにしろ、9日には完成させましょう。
 以上、騒動の顛末です。それにしても、ドミノ倒しのように、ひどく間の悪いチグハグなことになってしまったものです。これが、神戸大学大学院受験に行かれているメンバーの厄落としになればよいのですが・・・。
 
 ☆ 研究室整理のバイトの件は、16日以降に具体的な連絡をいたしますので、しばしお待ち下さい。 

Re: 業務連絡。

山本&平田
No.1196

すみません。ご無沙汰しておりました。とりあえず終わりました。。
また新たな気持ちで春から頑張りたいと思います。

補足

No.1198

上記の文章の補足です。とにかく試験が終って、自分も平田さんも、ホッとした状態からしばらく腑抜状態になりました。特に面接は緊張しましたので。さすがに暫くは、歴史の勉強はしたくないと思いました。しかし帰りに本屋に寄ったら、元木先生の『源満仲・頼光』が出ていたので、早速購入しました。「歴史は暫く勉強したくない状態」だったのですが、本の中に「軍事貴族」や「武士」や「摂関家への従属」という言葉が躍っているの見ると、勝手に体がページを・・・。これも元木先生の本の魅力のなせる技なのでしょうか?そういえば、多田神社ツアーから、滑川さんのグルメツアーの企画が始まったのでしたね。
>野口先生
いろいろご心配をお掛けして申し訳ありませんでした。それでも何とか無事終りました。特に一週間前に風邪をひくという大失態を侵してしまい面目ないです。ところで、そろそろ『吾妻鏡』講読会を再起動したいと思っております。また纏まり次第、連絡致します。
>滑川さん
お久しぶりです。グルメ探訪記おもしろく読ませてもらっています。ところで、大河の弁慶役が「暴れん坊健さん」は結構妥当だと思いますが、どうでしょう?また『白い巨塔』の上川隆也は渋くてカッコいい役ですね。思わず裁判応援したくなりました(笑)。
>29日のい会合出席者のみなさん
田中さんから、自分の話題が出ていましたよと聞いて、自分も話題に事欠かない人間だなと思っていたら、その話題が自分の風邪だったなんて!熱出てしんどかったのに!ショックです!グレます!などと愚痴が言えるまで回復しました。

『古代文化』特輯「福原と平家(仮)」の件

No.1178

 先般おはかりいたしました『古代文化』特輯号について執筆予定者が決まりましたので、お知らせいたします(敬称略)。
 文献史学:元木泰雄・野口実
 考古学 :山田邦和・伊藤裕偉
 国文学 :近藤安紀
以上、5名です。国文学の方にどうしても加わっていただきたかったので、佐伯真一先生御門下の近藤安紀さん(青山学院大学大学院DC)に御願いいたしました。近藤さんの最近の論文には、「「武士」の認識と『平家物語』」(『軍記と語り物』39、2003年)があります。
 巻頭の「特輯にあたって」は、元木先生に御願いしたいところなのですが、いかがでしょうか。不可の場合は、言い出した責任上、小生が書きます。
 さっそく起案書をつくって、編集委員会事務担当に提出したいと思いますので、執筆をされる先生方は、来週中くらいまでに仮タイトル(できれば、簡単な執筆予定内容を付して)を野口宛にお知らせ下さいますよう、御願い申しあげます。
 当ゼミメンバーには、この特輯号製作の過程で、いろいろお手伝いを願い、学術雑誌公刊の過程を学んでいただきたいと思っています。来年度中の刊行を目指します。

Re: 『古代文化』特輯「福原と平家(仮)」の件

No.1181

了解いたしました。平氏政権と福原、というタイトルで(タイトルだけは景気がいい)、平氏政権の構造-政権の特質、王権との係わり合い、内紛と遷都問題-などに触れるつもりです。なお、特輯の趣旨は、やはり企画・立案をご担当になった野口先生にお願いするのが筋と思います。
ところで、17日、やはり勉強優先ですから、宴会は延期しましょう。研究委員は何とかできなかったのか、こら!

ご回答お礼と17日の件。

No.1182

 元木先生。早速のご回答ありがとうございました。小生は、六波羅などとの比較の観点から、軍事空間として福原を検討してみたいと思っております。
 山田先生。入試が済んでから、ご返事を頂ければ結構です。

 元木先生。17日の件ですが、すでにだいぶ話が進んでおり、楽しみにしている方も多いようですから、実施か延期かは、幹事の長村君に判断を委ねたいと思いますが、いかがでしょうか。学問の神様も、元木先生の御研究の発表を聴けば、赦してくれるものとも思いますし。院試が終わって・・・という人も多いですし。・・・しかし、ひょっとすると、荒れるかも知れませんね?

17日の件

No.1187

まだ店の予約はしていないので、私個人は延期でもかまわないです。

参加予定者は、元木先生・野口先生・美川先生、佐伯氏(途中から)・山本氏・平田氏・永富氏・鈴木氏でした。
みなさまは如何お考えでしょうか?

17日の件

No.1188

当日の部会に参加されそうなのは野口先生と、あと何人くらいでしょうか。日程を変更した場合、野口、美川両先生と当方、それに春休みで旅行などに行かれる諸君の日程調整は至難のように思います。近い時期なら当方は18日でも宜しいのですが、皆さんは如何でしょう。

Re: 『古代文化』特輯「福原と平家(仮)」の件

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1202

野口先生 山田です。
『古代文化』福原特集には、「福原の都市構造(仮題)」とというので参加したいと思います。うまくいくかどうかはわかりませんが。
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昨日、久しぶりに角田文衛先生にお会いしてきました。まもなく91歳。昨年後半はちょっと体調を崩されていたのですが、すっかり回復され、元気そのもので安心しました。目が悪くなって本が読めない、と嘆いておられましたが。それでも、「今、ギリシア考古学の論文を書いているところです」とおっしゃり、意気軒昂とされていました。私など、角田先生の半分(!)の年齢なんですから、弱音をはかずにがんばらねば・・・

伝記を書くこと。

No.1203

 山田先生。よろしく、御願いいたします。小生は共同研究の発表の場にしようかとも考えています。
 それにしても、角田先生の学問にたいする意欲には、本当に敬服いたします。美川先生が、摂関・院政期の貴族みたいに祟りを怖れておられますが、角田先生のお書きになった伝記はどれほどになることか。待賢門院とか女性も多いが、人物叢書の『佐伯今毛人』というのもありますし、学問に立脚した本を一冊書くことのエネルギーがいかばかりのものかを考えると、角田先生こそ超人ですね。同志社の某先生は、論文一本仕上げるごとに熱を出されるそうです。
 ちなみに、本日は保立道久先生から『シリーズ民族問う 黄金国家』(青木書店)をいただきました。ありがとうございました。小生、いよいよ、置いてきぼりです。

福原の二重堀について

前川佳代
No.1167

お久しぶりです。先日送付された『日本史研究』に、楠・荒田町遺跡の保存要望書が載っており、遺跡の重要性が指摘されておりました。私も1月11日の緊急シンポジウムに出席し、先生方の報告を聞いたのですが、二重堀については、多分に疑問がありますので、投稿いたしました。
岡田先生の報告と図面、スライドを見た限りでしかもうせませんが、ほんとうに二重堀かどうかという議論が考古学側で必要であると感じました。あれだけでは、先に箱堀があり、その後ほぼラインを同じくして薬研堀が掘削されたと思えます。薬研堀が急仕事であったというのは、平面プランが直線的でない点などから納得できます。しかし、二重堀にするのなら、両者があれほど近接し、しかも構造が異なるという点に合点がいかないのです。
考古学で検出された二つの溝の時期を問う場合に考えられる条件は以下の通りです。①新旧関係があるか(溝が重複している場合には容易です)。②出土遺物の時期。③埋土の状態(埋められ方、埋め土の色など)。④構造の違い。 これらが考えられるのですが、溝の時期決定で一番配慮しなければならないのは、溝は浚渫されるということです。
箱堀は平面がきれいな直線で、しかも直に掘られています。薬研堀にくらべ、掘削に時間がかかったでしょうし、メンテナンスしていることが考えられます。あまり遺物が出土していないというのは、浚渫している可能性があるのではと思うのです。反対に、薬研堀のほうには遺物がある。これは故意に捨てられたのか、あるいは埋まる時に入ったのかも問題です。
埋め土の色は福原のような短期間の構造物では見分けがつかないでしょう。また遺物でも時間差は難しいです。
あの報告で考えられるケースは、次になります。
①箱堀が先に掘られ、埋められたのちに、ほぼ同じラインで薬研堀が掘られた。
②箱堀が先に掘られ、のちに箱堀に沿った形で薬研堀がほられた。結果的に二重堀になった。
②なら「二重堀だ」と言い切ってもよさそうですが、両者とも幅が2M足らずで、深さも2M弱のもので、飛び越えようと思えば飛べるものです。
同志社の鋤柄先生が、伊勢の事例を類例としてあげられておりましたが、あれは、溝の構造の違いから、機能の違いを指摘されているだけで、伊勢の事例が則二重堀だということではないと思います。
また、平泉との類似が指摘されておりましたが、柳の御所の堀は二重ではありませんし、構造や規模も段違いです。奥州合戦時の福島の厚樫山の二重堀はくらべようがないくらい大規模なものです。
楠荒田町遺跡の発掘調査が終了して間もない報告であったゆえ、調査者も検討時間がなかったのではないでしょうか。今後の検討を期待いたします。
なんだか遺跡の評価にケチをつけるように思われるかもしれませんが、そうではありません。二重堀でないとしても楠荒田町遺跡の特に神大病院校内では過去にも多くの重要な遺構が検出されては破壊されております。私は、当地は新造内裏ではなかったかと推測している場所なのですが(シンポで須藤先生が報告された図面は、私の修論では高橋先生案と同じでして、神大病院敷地を新造内裏に比定しました)、平氏の根拠地であった可能性は充分ありますので、過去の調査の整理と今回の遺跡の保存には大賛成です。
花園大の山田先生は現場をみてられるでしょうが、どのように考えておられるのか、お聞かせ願いたく思います。

Re: 福原の二重堀について

美川圭
No.1168

前川さん、こんにちは。

私は、現場は拝見しているのですが、シンポは公務で行けませんでした。そのため、議論の核心が見えないので、お恥ずかしながら、ちょっと質問させてください。

薬研堀と箱堀が近接して並んでいると、なんで二重堀であることへの疑問が発生するのか、ちょっとわからないのです。

ご指摘の②のように考えれば、私には疑問は生じません。そう考えるのは浅はかなんでしょうか。

箱堀を最初に掘ったが、ちょっと狭すぎるので、急きょ薬研堀を追加したとも考えられます。
私の実感では、二重堀だと、あれを馬が越えるのはかなり難しいので、堀の防御機能は果たしうるように思いますが、いかがでしょう。
素人っぽい言い方で申し訳ないのですが、当日のシンポに参加していない者のために、補足説明をしていただくと、ありがたいのですが。よろしくお願いします。

二重堀の先行例について、など。

No.1169

 前川さん、御見解の書き込みありがとうございました。小生もすでに、この二重堀については勝手な意見を述べたことがありますが、それは現地見学の際などに、先行事例として伊勢平氏関連の雲出島貫(くもづしまぬき)遺跡があるという情報をきかされて、平家との関連を短絡的に考えてしまったからです。雲出島貫遺跡に関する伊藤裕偉氏などの調査成果を見ても、堀の形態・機能は、どうも今回検出されたものとはまったく異なるもののように思えます。雲出島貫の場合は、河川に近く、福原とはだいぶ地形が異なるようですし、今回のようにきれいに本当に二重の形状で長く伸びているという状況ではないようです。
 したがって、福原の二重堀はきわめて特殊なものであり、それは治承四年から元暦元年にかけての歴史的経過を前提にしてしか評価できないものと考えます。ヒントになるのは、例の櫓と思われる建築物が、一ノ谷合戦直前の段階に構築されたと考えられることです。これは、遺構の切り合いからも確認できるようです。とすれば、薬研堀はこの櫓と同時に急造されたと考えるべきではないでしょうか。南(海側)からの襲撃から福原を防御するためです。一ノ谷合戦について『平家物語』が空間描写をかなり虚構化していることは国文学の研究成果からも明らかであり、一時的にせよ福原エリアに平家の主力がいたのではないでしょうか。
 急造という観点からすると、箱堀を拡張するより簡単であることや、戦国時代の関東に見られる障子堀のような機能が期待できることなど、話が整合すると思うのですが、如何でしょうか。ということで、小生は美川先生の御意見に同調するしだいです。ただし、堀を二重にしたのは、馬の侵入を阻止するというよりは、歩兵を阻止するうえでの効果を期待してのことと思います。
 あるいは、平家は、摂津まで反攻して再び福原に本拠を築こうとして城郭施設の構築に取りかかっていたのだが、後白河の休戦の違約によって、その計画を放棄せざるをえず、海上から屋島に逃れるにいたったと考えられるのではないかと思います。
 二重堀ということがクローズアップされて、鎌倉や平泉との比較が論じられています。遺構の比較として、それはそれで意味のあることとは思いますが、やはり歴史的な経過を無視してはならない。福原の場合は、鎌倉や平泉に比して文献史料による情報がきわめて多いので、それを活かさない手はないと思うのです。もとより、鎌倉にも平泉にもあんな形の二重堀など検出事例はないはずです。
 鋤柄氏の御見解については下記を御覧下さい。
http://www.geocities.jp/sukigara_toshio/labo/jps/hyogo/minatogawa.htm
 なお、前川さんの書き込みについて、ファーストネームを補足させていただきました。御了承下さい。

追記

前川佳代
No.1171

シンポの内容で考えられるケースの①②の他に鋤柄先生案があったと思い、追記しようとしたところ、早速ご返信いただき、ありがとうございました。
まず追記は次の通りです。
③箱堀と薬研堀が併存することを前提とした理由付けとして、一つが福原の都市計画に関わる溝(箱堀)、薬研堀が屋敷地を囲む溝という鋤柄先生案です。

さて、美川さん、ご無沙汰いたしております。ご指摘のように、②の箱堀と薬研堀は掘削の時期差があるものの最終的に併存すると考えると二重堀であるといえなくもないのです。溝が近接している件です。溝と溝の間は広くても1mくらいのようで、一条の溝を飛び越すし着地するとその勢いで次の溝も飛び越せそうな感じがするのです。ただし、掘削した土を北側に積み上げていれば、突破は難しいかもしれませんが・・・
 私がいいたかったのは、いまの段階ではいろんな可能性が考えられるので、まずは調査の成果の検討を重ね、その上で野口先生のおっしゃるような歴史的経過を加味して議論してはどうかと思ったのです。例えば、二重堀が最初から併存していたというのと、最初は一条であとから一条加える必要があったというのでは、歴史叙述が異なってくるように思えるのです。

Re: 福原の二重堀について

美川圭
No.1172

野口先生のご説明(野口説の全面展開?)と前川さんの追記で、状況と問題点がよくわかりました。学生さんたちにも、非常に理解しやすくなったと思い、お二人に感謝したいと存じます。

私の関心からすると、対騎馬ではなく、対歩兵の堀と想定される理由を野口先生にお教え願えれば、さらに幸いなのですが。

私の感じだと、歩兵は前川さんのいわれるような感じで、あの二重堀を割と簡単に飛び越えられるような気がするのですが。もちろん鎧をつけた武士だとどうかな、とは思います。このあたりは近藤先生にお聞きするしかないのかな。
馬だと、堀を飛ぶのは、難しいですよね。とくに二重堀だと。
その辺を、ぜひお教え下さい。

馬の防ぎ方。

No.1173

 平将門が馬牧の管理者であったことは、よく知られていますが、その牧から馬が逃げないようにするには、周囲が沼沢地であることとか、ちょっとした土堤、簡単な堀があればすんだということを学んだことがあります。とすれば、もちろん二重の方が防御効果は大きくなりますが、箱堀一つでも馬の侵入は防げるわけです。
 攻撃する側は、奥州合戦における畠山重忠配下の工兵隊のような人夫(歩兵)が堀を埋める作業をして、軍勢を通すことになると思いますが、その作業は大きな箱堀よりも、二重堀の方が困難を伴うのではないでしょうか。
 また、武装して腹巻きなどを着用して、堀を飛び越えるのは、なかなか大変だと思いますし、堀のみならず、逆茂木なども置かれたはずですから、いったん薬研堀に入り、そこを這い上がって、箱堀に進むという段取りが歩兵には必要になると思うのです。すなわち、関東において後北条時代に流行した障子堀と同じような機能と申しあげた次第です。
 なお、前川さんの新造内裏説を生かすとすれば、軍事よりも築地塀の如く威儀を示す意味で堀(溝)が設定されたのかも知れません。「偶然」、二条に重なったというのは実見した限りでは納得できませんでした。
 小生は、平家があくまでも武士であることに重きを置いて、軍事的観点から発言していますが、地方領主の居館、平安京など、さまざまな対象を研究されている方が、どんどん御自身の関心に沿って御意見を発信されたらよいと思います。
 考古学は科学的・客観的な情報を提供してくれますが、考古学者間にも見解の相違が出ることが多く、結局、文献の方で蓋然性に基づく判断をせざるを得ないケースが多いと思います(例:法住寺殿の武将墓)。文献史料がなければ、話になりませんが、福原についてはそれが多くありますから、考古学者に判断材料を提供する意味からも、文献史学者は大いに発言すべきだというのが、小生の意見です。

Re: 福原の二重堀について

美川圭
No.1174

野口先生。入試関係業務が終わられたそうで。私は今日だけが中休み。明日またです。一応、木曜日で終わりですが、ほんとうに神経をすりへらします。昨日は、昼間、コーヒーを飲む気力もなくなりました。毎年のことですが、ちっとも慣れないです。というか、社会の目が年々きびしくなっているので、ストレスがとても大きいです。しかも、具体的な話がなかなかできない種類の仕事なので、うさばらしもなかなかできません。伊勢旅行が楽しみです。

ということで、学問がとても恋しい時期でもあります。野口先生のご回答は、とてもわかりやすく、納得いたしました。ありがとうございました。また、話のきっかけをつくってくださった前川さんにも感謝します。学生諸君も、この場を積極的に質問の場として利用したらいいと思います。

伊勢平氏嫡流・頼盛

No.1175

 本当に入試業務は疲労しますね。小生の場合、学部所属ではないので、助っ人ですが。小生は強迫神経症なので、最善を尽くしても、いろいろなことが心配になります。実際、論文の校正漏れみたいな事もありますから、完璧はいかなる人にも無理なのだとは思いますが、気になり始めると大変です。
 大学が主体的に学問を志す者の集まる場であるならば、師を選んで入門を願うような形の入試ができるはずなのですが。
 例えば、「院政の研究がしたい」、となれば、美川先生の所に入門するのが筋でしょうから、それで面接して美川先生が採否を決定する。それでいいんだと思うのですが。最近は、「資格」「資格」と、その先生の学問を学ぶなんて発想が最初からない学生さんが多くて、これこそ学問の危機だと思っています。
 入試は今が最盛期ですが、近年は学生確保と称して、一年中入試をやっている大学も多い。秋の学会シーズンが推薦入試の時期に重なっている。当然、学会は二の次になる。大学の教員は、研究が出来なければ、良い授業も出来なくなる。要するに、在籍している学生よりも、受験生の方が大事なんだということになっているという次第。
 この点に関しては、1月30日の京都新聞の2面「現代のことば」の欄に京都文教大学の鵜飼正樹氏が「まさにその通り」と拍手したくなるような記事を書かれているので、御覧になってみてください(ついでながら、たしかその前の日曜日の京都新聞には元木先生御執筆の書評が載っていました)。
 小生など器が小さいので、同時進行で多くの仕事がこなせません。最近はそれに、老化で記憶力が悪くなったことが、拍車をかけています。研究室の本の貸し出しにしたところで、貸し出しノートを作っても、同時に来客があったときなどいちいち記入してくださいと言ったり、返してもらったことを記入するのを忘れたりする。ノートに書いてある貸出者に問い合わせると、もう返したはずです、などと言われてしまう。まったく困ったことです。そこで、このところ、学生さんたちに過大な要求をし向けているのかも知れません。
 小生、ゼミの諸君には風邪に気をつけろと言いながら、ついに自分が風邪をひいてしまいました。頭痛・鼻水・鼻づまり・のどの痛みと「万全」の状態です。論文に取り組める状況ではないので、ここに逃避しております。
 美川先生、どうぞお気をつけください。
 ところで、ここでタイトルにかかげたことは、斎宮歴史博物館の伊藤裕偉先生の御意見で、「なるほど」と思ったことです。福原の二重堀が頼盛邸のものであるとすると、間接的であれ、こんどの伊勢旅行は楽しみになってきます。とくに、伊藤先生にお時間を頂ければ美川先生と三人(+α)でとても充実したお話が出来るものと期待しています。雲出島貫の景観もじっくり見学してきたいものですね。

Re: 福原の二重堀について

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1176

前川さん、美川先生、野口先生、こんばんは。盛り上がっていますね。
 福原の「二重堀」についての前川さんの問題提起、重要だと思います。私も現地を見せていただいて、いささか首をかしげました。とにかく、ふたつの堀の間が狭すぎる。県教委の見解ではふたつの堀の間に柵列のようなものを想定されているようですが、その柵列さえ窮屈なくらいしかないのです。防御的に見てもこれではどれだけの意味があったか。それだけの労力をかけるのならば、あえて二重堀にせずとも、一重堀を深く、広く掘ったほうが効果があると思います。
 そこで、もしかして時期差があるのではと、トレンチの壁断面をじっくり観察しましたが、私の目には切り合いは見えませんでした。県教委が展示していた断面図でも、土層は切り合っていませんでした。ただし、おそらくこの遺構の上面は多少削平を受けているでしょうし、その場合は時期差があっても切り合いが消えてしまっているのかもしれませんから、決めてにはなりません。

 ただ、そういう疑問はあるにせよ、現段階ではもともと二重堀として掘られたので良いのではと思っております。そもそも、ひとつの堀が埋まった後、それに切り合わずにもうひとつの堀を掘るのはかなり難かしい(埋めたところにシルシをつけておくわけではないですからね)。前川さんの「(2)箱堀が先に掘られ、のちに箱堀に沿った形で薬研堀がほられた。結果的に二重堀になった」という仮説に距離を置くのは、この遺構のベースとなっているのが目の細かいシルト層で、かなり脆いことです。土留めの杭の跡などもないようですし、これではちょっと長雨がきたら埋まってしまいそうです。つまり、今のところこの堀は、なにか急場・臨時の必要に迫られて掘り、そして、そう永い時間を置かずに埋まってしまった、と考えたいのです(野口先生のおっしゃるように一の谷合戦に結び付けるべきかどうか、まだ自信がありません)。

〈学生の卒論読みでくたびれきっている山田でした。明日は誕生日。あさっては入試だ・・・ 鬱〉

仮説の整理

前川佳代
No.1183

山田先生、お忙しいところありがとうございました。また美川・野口両先生方も数々のご教示をいただきました。前川の仮説が微妙なニュアンスで受け取られているようなので、一応再整理したいと思います。

①箱堀が掘られ、埋められたあるいは埋まったのちに、ほぼそのラインに沿って薬研堀が掘られた。
②箱堀が先に掘られ、のちに箱堀に沿った形で薬研堀が掘られた。結果的に二重になった。
②a:偶然の所産で、箱堀と薬研堀は違う機能を持つ。
②b:箱堀が先行してあるので、二重堀にしようとして間近に薬研堀を掘った。
③最初から箱堀と薬研堀が掘られた。

掘削の段階差をもつ②をさらに二重堀を意図したか否かで二つにわけました。前記の仮説②は②bを意図しておりました。

山田先生のご賢察では、ベースの土が脆いものであるとのこと。私のイメージでは、②bでして、薬研堀を掘る際に、箱堀も利用し、箱堀はこのときに直にさらく深く掘り直されたのではないかと思いました。
この時期は全国的に堀が出現してくる頃でもあり、ご承知のように白河や鳥羽でも側溝が大規模化いたします。ゆえにとりたてて福原にあったとしてもおかしくないと思えるのです。

羽曳野市で嘱託をしていた時に、当市にある高屋城関係の遺構を掘りまして、一つは箱堀に土塁、もう一つは大土塁(防塁)に小規模な薬研堀を検出いたしました(後者が後出します)。時期は15世紀ですから、福原とは時間差がかなりありますが、箱堀と薬研堀の意味あいに何か違いがあるのではと、今回の事例をみて直感したのです。城郭談話会で報告したさいに、薬研堀のほうは導水路ではないかとの意見も出たのを記憶いたしております。少し考えてみたいと思っております。

多くのご意見を本当にありがとうございました。

前川がんばれ!

No.1184

 前川さん、仮説の整理まで、ありがとうございました。ここの書き込みは、とても重要な資料になりました。
 『古代文化』には是非、執筆を御願いしたいところでしたが、今年は博士論文の完成を目指されているので、無理は申せませんでした。家事・育児等々といろいろ大変だと思いますが、女性研究者の一つの生き様を、当ゼミメンバーをはじめとする後輩達に示していただければと思います。
 古代学協会の二条の仮事務所に訪ねてこられてから、もう十五年以上。山あり谷あり、紆余曲折でしたが、よくここまでやって来られましたね。まだまだ、これからですから、過程を楽しみつつがんばってください。

エールをありがとうございます。

前川佳代
No.1185

野口先生、いつものことながらエールをありがとうございます。
お恥ずかしいかぎりですが、現在時間を作るのに、夜に子供に起こされた夜中の3時から起きてみたり、子供がお昼寝してる時間に勉強したりとなかなか定まった時間が取れずにおります。ゆえに投稿してもお返事がすぐにできないような有様でなかなか投稿できませんでした。
この掲示板は、現在の最新の研究情報がわかるので、私のように家にこもっているものにはありがたいかぎりです。これからもアカデミックで活発な議論を期待いたしております。