教養科目の「中世日本の社会」の教室はB501に変更です。

No.12189

 今日は国文3回生の仏教学の時間に「講話」をさせて頂きました。そのことはまた書きたいと思いますが、なにしろ受講態度がよいのには驚きました。
 京都女子大学の学生の受講態度は総体として良いので、他の大学から来られる先生からは口をそろえて褒められるのですが、国文学科はその中でもさらに、・・・といった感じでした。
 さすがは、江波さんや尾田さんらの後輩たちです。

 さて、明日の教養科目B(歴史と文学3)「中世日本の社会」の講義ですが、やはり履修生が多いので、教室をB501に移動することになりました。600人収容の大教室は劇場のごとし。コンサートにはよいけれども、ふつうの授業は、やりにくいこと限りなし。板書も見づらいでしょう。
 やる気のある方は前席へ。
 成績評価には相当エネルギーを使うことになりそうです。 

【追記】
 じつは本日締切の原稿があったのですが、お願いして連休明けまで延ばして頂きました。
 ヤレヤレと思っていたところ、帰宅すると連休明け締切の校正ゲラが届いていました。
 例年なら、GWの連休中は国民の祝日はすべてお休みであるばかりか、1日は臨時休業日、2日は創立記念日と、学生諸姉の帰省にももってこいの日程だったので、それを見越していたのですが、今年は昭和の日も1日も通常授業で、実質的に自由に時間をとれる期間はほぼ半減ということになっているのでした。
 さあどうする。
 
 ☆ 帝京大学の木村茂光先生より、御高論「中世前期東山道と東海道の政治史」(『中央史学』37)・「金砂合戦と初期頼朝政権の政治史」(『帝京史学』29)を御恵送頂きました。
 後者の論文では、岩瀬与一太郎に関する拙見にたいして誤解されているところがあるようですので、早々に御返信を差し上げなければならないと思うのですが、とりあえずこの場を借りて、あつく御礼を申し上げる次第です。
編集:2014/04/23(Wed) 20:04

ブロンズなウィーク-次回の『吾妻鏡』-

No.12460

 ゼミにはあまり関係ありませんが、4月29日も授業日、という大学も多いようですね。学生さんがほとんど平成生まれになってしまったので、昭和の日は関係ないよということなんでしょうか。
 世間では大型連休ですが、来週もやります。

 日時:2014年5月1日(木)午後3時頃~(予定)

 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』頼家・実朝期の振り返り(元久二年の記事)

 ※まだまだしばらく“振り返り”を続けていきますが、それが終わった後の範囲は以下の通りです。
  なかなか“振り返り”が終わらないですけどね。

     承元四年(1210)正月一日、二月五日・十日・二十一日、三月十四日・二十二日、四月九日・十九日、五月六日・十一日・十四日・二十一日・二十五日、六月三日・十二日・十三日・二十日、七月八日・二十日、八月九日・十二日・十六日、九月十一日・十四日・三十日、十月十二日・十三日・十五日、十一月二十二日・二十三日・二十四日、十二月五日・二十一日の各条
     承元五年(建暦元年、1211)正月十日、閏正月九日、二月二十二日、三月十九日、四月二日・十三日・二十九日、五月四日・十日・十九日、六月七日・二十一日・二十六日、七月四日・十一日、九月十二日・十五日・二十二日、十月十三日・十九日・二十日・二十二日、十一月二日・三日・四日・二十日、十二月一日・十日・十七日・二十日・二十七日の各条

 2014年5月も、1日・8日・15日・22日・29日の各木曜日に開催予定です。
 15:00ちょうどには参加者全員が集まらないと思いますので、だいたい揃ったところでぼちぼち始めていきたいと思います。集まるまでは雑談タイムです。
 
 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。
 若葉の頃に何か新しいことをはじめてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞご自由にご参加ください。京都女子大の方限定ではありませんよ。

やっと・・・

元木泰雄
No.12514

 お久しぶりです。
 総長に押し付けられた雑用処理に追い回される元木です。

 『中世の人物 京・鎌倉の時代編 第一巻 保元・平治の乱と平氏の栄華』、やっと刊行されました。
 執筆各位には早々に御原稿を提出していただきながら、今日に至ってしまいました。
 出版社のやむを得ない事情による遅延ではありますが、編者としても責任を感じております。
深くお詫び申し上げます。
 ともかくも刊行できたことで、安堵いたした次第です。
 収録した論考は、いずれも力作揃いであり、大きな反響をよぶものと思います。
 当該期政治史を大きく前進させることは必定です。

 これで弾みがついて、二巻・三巻も遠からず刊行されることと存じます。
 当方は、これから雑用に専念です・・

 なお次いでで恐縮ですが、以前ご案内した大阪城での日本古文書学会見学会、37名もの参加者を得て、大変盛況でした。さすがに名品ぞろいで、充実した見学会となりました。
 参加された方々も満足されたことと思います。
 ちなみに、この見学会にご参加になった村井章介先生から、「この次は南北朝編を出すのですか?」とご質問をいただきました。先生には、的確な推薦文を頂戴しております。そんなことでご関心を抱かれたのでしょうか。
 確かに、「中世の人物」ですから、これから南北朝編、室町編、戦国編と続けたいものです。シリーズ三巻がでそろったら、どなたか『中世の人物 南北朝の時代編』を編纂されませんか?
 もっとも、その前に、まだ全巻そろっていない『古代の人物』を出すのが先かも・・・

立命館大学日本史学専攻の教員公募

美川圭
No.12186

私も立命館で教鞭を執ったことがありました。

No.12187

 美川先生、ありがとうございます。
 とても魅力的な公募ですね。
 当ゼミの周辺にも適任者かたくさんおられる。
 応募者が多くて、選考委員の先生方はさぞかし大変でしょう。

 ☆ 鹿児島国際大学の野中哲照先生より、御高論「河内源氏の台頭と石清水八幡宮-『陸奥話記』『後三年記』成立後の時代背景-」(『鹿児島国際大学国際文化学部論集』14-3)・「平安後期神事仏事年表五種」(同 14-4)・「中世の胎動と宗教多極化政策-仏法偏重から仏法・神祇均衡へ-」(『古典遺産』63)および関連の資料を御恵送頂きました。
 河内源氏の発展に関する、新しい角度からの御研究。おおいに参考にさせて頂きたいと存じます。
 野中先生に、あつくお礼を申し上げます。

 ☆ 鶴見大学の伊東正義先生より、御高論「小壺坂合戦ノート-吾妻鏡の虚構と延慶本平家物語の真実-」(『文化財学雑誌』7)・「治承四年・頼朝権力の「創世記」-以仁王令旨の史料批判と後白河院宣の可能性-(同 9)・「鎌倉和賀江嶋論ノート-関東徳政・飢饉・式目-」(同 10)・「武家の古都・鎌倉の魅力」(『歴史読本』2013年9月号)・「小田原北条氏の相武四支城体制と在地社会 城跡の管理権と親子城郭論の試み」(『歴史と地理 672 日本史の研究244』)を御恵送頂きました。
 伊藤先生に、あつくお礼を申し上げます。
編集:2014/04/23(Wed) 15:09

英語が出来る日本史研究者

美川圭
No.12270

野口先生、コメントありがとうございます。
 日本史専門の人事では非常にめずらしく「英語で授業ができる」という条件がついています。私をふくめて、日本史研究者は英語が苦手な場合がとても多い。私など浪人しても大手予備校の模試での英語の偏差値が40代前半で、とにかくすべての科目の足を引っぱるのが英語でした。まだ大学院にも半ば英語のできなさのおかげで2年も浪人。ところが、就職先は外国語学部。学生を100人近くも引率してアメリカへ語学研修。現地で目一杯学生に軽蔑され、心に深い深い傷をおってしまいました。しかし、それにもめげず、世界各地を旅行しまくり、イギリスなど宿も決めずに北ウエールズに行ってしまう無謀さ。我ながら立派なものです。というところで、引退も近くなるところで、またこういう公募に遭遇してしまっています。私は実は英語が得意だという若い方々、ぜひご応募ください。今いるスタッフ並みの英語力では困るという条件です。なさけないやら・・・。

英語の堪能な日本史の研究者への期待!

No.12272

 美川先生、ありがとうございます。
 英語の堪能な日本史研究者というのは、とくに古代・中世では殆どおられないと思います。以前、アジア歴史学者会議というのに出席して、日本史を専攻するアジアの研究者による英語での報告を聴いたことがありますが、相当「残念なレベル」でした。つまり、英語で日本の古代・中世史を語れる「研究者」というのは、残念ながら、英語は語っていても歴史は語れていないのです。いくらグローバル化とはいっても、こんなことで良いのでしょうか。
 『吾妻鏡』をすらすら読んで、『小右記』の注釈本でも出すような外国人には残念ながら面識がありません。ツアー・コンダクターみたいな日本史教員なら可能かも知れませんが。
 とはいえ、かつて『入来文書』を英訳した朝河貫一のような歴史学者もおりましたし、比較史的な研究の出来る英語堪能な歴史学者が出現することに対する期待も大きいものがあります。
 しかし、昨今の市場原理主義的風潮の中で、そんな研究者は求められてはいないのでしょう。残念なことですが。

明日(22日)の「基礎演習Ⅰ」と「演習Ⅰ」

No.12131

 明日の「基礎演習Ⅰ」は大学周辺の史跡散歩。一回生ですから、史跡だけではなくて日常生活に必要な情報もお伝えできればと思っています。その意味で、手助けしてくれる<お暇な>先輩諸姉の参加も歓迎します。
 地図を配布してから出発しますから、13:00に、いつもの共同研究室に集合して下さい。 

 「演習Ⅰ」は報告日程の調整です。それぞれの前期の予定を再確認してきて下さい。
 また、日本史関係の資・史料の所在と活用方法についてお話しをしておきたいと思います。

日本史研究会での卒論発表会&『日本史研究』620号

No.11986

 本日は日本史研究会で中世の卒論発表会がありました。奈良女子大学の大島さん・山浦さんのお二人が報告をされたはずです。お疲れ様でした。今度のゼミの時間に感想を伺いましょう。出席された岩田君からは講評を。
 お二人にとっては、まだ学界デビューというほどではないと思いますが、よい刺激を得られたのではないかと思います。
 もし、今マイナスと感じていることがあっても、それはすべて将来のプラスに転じます。年寄りが若い人を羨ましく思うのは、そういうところにあるのです。

 当ゼミのメンバーで知らない人はいないと思いますが、『日本史研究』という学術雑誌があります。私も一度だけ投稿したことがありますが、査読の結果は掲載不可でした。その一事で明らかなごとく、とっても権威ある雑誌です(と言いながら、内心含むところがある・・・?)。
 その最新号(620号)に、師範代の岩田君が髙橋昌明著『平家と六波羅幕府』の書評を発表されました(表紙の写真はFacebookコミュニティ「宗教・文化研究所」に貼りましたので、御覧下さい)。
 しばしば『吾妻鏡』の講読会の途中で議論(というよりも雑談)になる「鎌倉幕府成立時期論」に直結する問題について述べられています。話に乗りたい人。すくなくとも院生以上のメンバーは目を通しておいた方がよいでしょう。
 また、この号の巻頭には、日頃、このゼミにもしばしば顔を出して下さり、メンバーの多くが(のみならず、私自身も)大変お世話になっている坂口太郎君の論文「鎌倉幕府後期宮廷の密教儀礼と王家重宝-清浄光寺蔵「後醍醐天皇像」の背景-」が収められています。彼の博覧強記、そして堅実・実証的な研究姿勢には常に感嘆させられているのですが、この論文もまた然り。
 それから、この『日本史研究』620号には、巻末に清文堂『中世の人物』の広告が載っています。あらためて第一巻の執筆者は、ここで御確認下さい。すばらしいラインナップに驚かれると思います。
 
 明日は地元のNPO法人「カフェ・頼政道」http://www.cafe-yorimasamichi.jp/で地域の歴史についてのお話をすることになっています。さてさて、どうなることやら。
編集:2014/04/19(Sat) 22:38

「頼政ってどんな人?Part2-平尾台周辺の歴史環境-」@カフェ・頼政道

No.12075

 「カフェ・頼政道」の講演。とても盛況で、みなさん熱心に聴いてくださいました。
 昭和の頃に京都女子大学に在学されていた方も何人か。
 なかには、西田直二郎先生の教え子の方も。当時のお話など、こちらがお話をうかがいたいところでした。

 ☆ 身延山大学の長又高夫先生より、御高論「寛喜飢饉時の北条泰時の撫民政策」(『身延山大学仏教学部紀要』14)・「鎌倉北条氏列伝(一)北条時政」(『身延山大学東洋文化研究所 所報』17)を御恵送頂きました。
 長又先生に、あつく御礼を申し上げます。

書評させていただきました

No.12138

>野口先生 お知らせしていただきましてありがとうございます。
 今回の書評は私には荷が重すぎるとも思いましたが、恥を捨てて勉強させていただくつもりでお引き受けしました。ご依頼いただきました日本史研究会編集委員会の皆さまに感謝申し上げます。
 日頃からゼミの時間などで意見交換させていただきながら考えたことなどを反映させつつ取り組みました。適切な書評となっているのか心許ないかぎりではありますが、これをきっかけに少しでも多くの方が髙橋氏の御著書をお手に取り、幕府についてさまざまに議論されることを期待したいと思います。

教養科目「中世日本の社会」の教室をどうするか?

No.11776

 すでに昨日のことになってしまいましたが、17日の教養科目「中世日本の社会」は、300人収容というB514に教室を変更したにも拘わらず、まだ入りきれなかった学生さんがおられたようでした。ただ、これ以上大きい教室で空いているのは先週使用した600人収容のB501しかないようです。しかし、ここは広すぎて板書も見づらいと思いますので、しばらくB514を使って様子を見たいと思います。
 それにしても、レポートの回収のときなど一工夫必要なようです。
 履修生で何か御意見のある方は、当方にメールでお知らせ下さい。

【追記】
 ☆ 学習院大学の兵藤裕己先生より、先生の校注になる『太平記 一』(岩波文庫)を御恵送頂きました。これをテキストに南北朝時代の研究も活況を呈することになりそうです。『平家物語』も延慶本か『源平盛衰記』が文庫本出出ればよいと思うのですが・・・。
 兵藤先生に、あつく御礼を申し上げます。
 ※ 本の写真などFacebookの私のページに貼り付けましたので、御覧下さい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ★ 一方、刊行を一日千秋の思いで待ち望んでいる元木泰雄編『中世の人物』第一巻ですが、版元の清文堂より、数日の刊行遅延の連絡がありました。アクシデントがありましたが、25日に清文堂に搬入されるように特別体制をとっているとのことです。
編集:2014/04/18(Fri) 09:41

日本の歴史のなかの鎌倉幕府-次回の『吾妻鏡』-

No.11858

 通常の史料講読(※振り返りですが)に戻りました。普段あまり鎌倉幕府や中世の史料に接する機会のない方にもそれらを身近に感じていただこうということで、雑駁ではありますが、時代区分やそれぞれの時代の特徴などについていろいろと意見交換ができたのはよかったと思います。
 次回のご案内です。

 日時:2014年4月24日(木)午後3時頃~(予定)

 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』頼家・実朝期の振り返り(元久二年の記事)

 ※まだまだしばらく“振り返り”を続けていきますが、それが終わった後の範囲は以下の通りです。
  なかなか“振り返り”が終わらないですけどね。

     承元四年(1210)正月一日、二月五日・十日・二十一日、三月十四日・二十二日、四月九日・十九日、五月六日・十一日・十四日・二十一日・二十五日、六月三日・十二日・十三日・二十日、七月八日・二十日、八月九日・十二日・十六日、九月十一日・十四日・三十日、十月十二日・十三日・十五日、十一月二十二日・二十三日・二十四日、十二月五日・二十一日の各条
     承元五年(建暦元年、1211)正月十日、閏正月九日、二月二十二日、三月十九日、四月二日・十三日・二十九日、五月四日・十日・十九日、六月七日・二十一日・二十六日、七月四日・十一日、九月十二日・十五日・二十二日、十月十三日・十九日・二十日・二十二日、十一月二日・三日・四日・二十日、十二月一日・十日・十七日・二十日・二十七日の各条

 2014年5月も、1日・8日・15日・22日・29日の各木曜日に開催予定です。
 15:00ちょうどには参加者全員が集まらないと思いますので、だいたい揃ったところでぼちぼち始めていきたいと思います。集まるまでは雑談タイムです。
 
 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。
 若葉の頃に何か新しいことをはじめてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞご自由にご参加ください。京都女子大の方限定ではありませんよ。

明日(17日)の教養科目「日本中世の社会」と研究所ゼミ

No.11725

 先週は大変でしたが、明日はどれくらいの人数になるのでしょうか?
 すでに掲示が出ていると思いますが、教室はB514になりました。
 私としても、L校舎からの大遠征になります。
 先週のアンケートでうかがったことに対する回答を交えながら、現代日本社会に発生している諸問題とそれに対する歴史学の課題についてお話をする予定です。
 資料は300部用意しました。

 ゼミは『吾妻鏡』の振り返りを再開。初めての方もおられますから、この時代の出来事について、師範代・副師範代にお話しして貰いましょう。
 新たな参加者は・・・?

 中世前期の武士の「権守」は、ほとんど当該国のものではない

No.11681

 本日火曜日、早朝出勤にもかかわらず、雑務に追われる間に時間は過ぎ去り、本務にかかるまもなく午前の貴重な時間が消滅してしまいました。
 『紫苑』第12号。遠方の執筆者にもお送りいたしましたが、手渡し以外の配布・発送は今しばらくお待ち下さい。印刷屋さんからデータも頂きました。

 相も変わらず、<武士の「権守」は有力在庁官人の証だ>などと述べている論文が大手を振っている中、最近、目代や任用国司に関する実証的な研究が増えてきたのは心強いことです。
  その牽引者のお一人である京都造形芸術大学の渡辺滋先生から下記の御高論を御恵送頂きました。

 ☆ 「冷泉朝における藤原実頼の立場-『清慎公記』逸文を中心に-」(『日本歴史』787)・「古代日本における曹植「洛神賦」受容-秋田城出土木簡の性格を中心として-」(『文学・語学』207)・「揚名国司論-中世身分表象の創出過程-」・「日本古代の国史制度に関する再検討-平安中後期における任用国司を中心に-」(『古代文化』65-4)・「平安時代における任用国司-受領の推薦権を中心に-」(『續日本紀研究』401)。
 渡辺先生に、あつくお礼を申し上げます。 

明日(15日)の「基礎演習Ⅰ」と「演習Ⅰ」

No.11637

 「基礎演習Ⅰ」では、発表の順番など、レポート提出に至るまでの具体的な日程を決めましょう。
「演習Ⅰ」は予告通り、大学周辺の史跡を探すフィールドワークです。資料を渡してポイントの解説をしてから出発。まず共同研究室に集まって下さい。

 なお、木曜Ⅲ講時の教養科目(歴史と文学「中世日本の社会」)ですが、履修希望者が多いので、教室をB514に変更することになると思います。教務課の掲示で確認して下さい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎ 今度の日曜日(20日)、以前からのお約束にしたがい、私の地元の「コミュニティ・カフェ頼政道」http://www.cafe-yorimasamichi.jp/で、木幡や日野・醍醐の歴史についてお話をすることになりました。お近くの方はどうぞ。

【追記】奈良女子大学の前川佳代さんから、御高論「平泉の食文化」掲載の『平泉文化研究年報』14を御恵送頂きました。
 食文化とは、なかなか斬新な視角だと思います。
 なお、武士論関係では、七海雅人氏の「平泉藤原氏の権力基盤に関する基礎的研究(その1)」が掲載されています。
 前川さんに、あつく御礼を申し上げます。

 『紫苑』第12号が出来上がりました。

No.11555

 編集長の池嶋さん、ご苦労様でした。
 メンバー各位は早々にお受け取り下さい。
 遠方にお住まいの関係者・古参メンバーなどには追々(いつになるかは分かりませんが)郵送させていただきます。また、後日、PDFファイルによる公開も鈴木君にお願いするつもりです。
 
 掲載の論文・研究ノートは以下のとおりです。
 〈論文〉
   岩田慎平「頼家・実朝期における京下の鎌倉幕府吏僚...
        -源仲章・源光行を中心に-」
   滝沢智世「戦国期における門跡の活動」
   池嶋美帆「『日蓮遺文紙背文書』に見える御家人千葉氏の家政機関」
 〈研究ノート
   大平裕実「葬送空間としての鳥辺山と鳥辺野の地域的変遷」

 ※ Facebookコミュニティ「宗教・文化研究所ゼミナール」に写真を掲載しましたので御覧下さい。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
☆ 京都府立総合資料館の大塚活美先生(京都文化博物館時代の同僚)より、御高論「舟木本洛中洛外図屏風の構想について-『当関白』の牛車を手掛かりに-」(『アート・リサーチ』14)・「洛中洛外図屏風歴博F本の位置づけについて」(『国立歴史民俗博物館研究報告』180)・「住吉具慶本洛中洛外図作品群の描写内容と特徴-江戸時代中期の洛中洛外図屏風の研究-」(『佛教大学大学院紀要 文学研究科篇』42)・「村における信仰の灯-神主の献灯、講の常夜灯-」(『近江学』6)・「社号標の成立について-神社名を表示する石造物について-」(『淡海文化論叢』5)・「再録”メルマガコラム「写真資料から」”(『京都府立総合資料館紀要』42)ほかを御恵送頂きました。
 地域に根付いた御労作の数々です。
 大塚先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 神奈川県の津歴史博物館の永井晋先生より、御高論「称名寺所蔵『聖天 五』紙背文書について」(『東京大学史料編纂所研究紀要』24)を御恵送頂きました。
 香取社が中世利根川の下流に関を設けていたことの知られる文書には興味を惹かれました。
永井先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 名古屋学院大学の早川厚一先生より、後高論「源平闘諍録全釈(九-巻一上⑨(一五オ2~一六ウ10))」(『名古屋学院大学論集 言語・文化篇』25-2)ならびに御共著「『源平盛衰記』全釈(九-巻三-2)」(『名古屋学院大学論集 人文・自然科学篇』50-2)を御恵送頂きました。
 早川先生に、あつく御礼を申し上げます。
 配付用に複数部お送り頂いていますので、必要な方は申し出て下さい。

 4.10事件

No.11396

 4月10日というのは私にとって記念すべき日なのですが、昨日(10日)も大変おもしろい一日でした。
 まず、駐車場確保のための早朝出勤。小中高の教職員の方たちとの生存競争です。
 午前は図書館の分館に行って、すっかり忘れていた長期貸し出し図書の更新。それから『源氏物語』に関する論文集を(一般貸し出しで)借りました。
 書類を発送しようとしたら郵送料が値上げされていたことに気がつき、急いで2円切手のまとめ買いをするために馬町郵便局へ。
 A地下でカツカレーを食して後、研究室に戻ると、英文科の3回生に編入された稲辺さんが挨拶に来てくれました。彼女は私が青学の史学科でゼミをもっていたときの教え子である根子君(青学野口ゼミ最後の外相)由縁の方。根子君の奥様の教え子です。活躍を期待。
 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴ったので、そそくさとA303に向かう。120部印刷した資料を持ち、混雑するエレベーターは遠慮して、階段を登って3階に辿り着くと、なぜかそこは学生さんたちでいっぱい。かき分けて目的の教室に入ると、うしろに立っている人が沢山。これは教室を間違えたかと思って、最前列の学生さんに「ここ、野口の授業? 」と尋ねると、コックリと頷く。
 これはえらいこっちゃ。鹿児島で専任の大学教員生活をはじめてから25年。こんな事態に遭遇したのは初めて。
 冷静を装って教壇に立ち、「これから教務課に行って教室の変更をお願いしてきますから、しばしお待ちを」とアナウンスして、階段を降りてL校舎の教務課へ。幸い、女性職員の方がテキパキと対応して下さり、ほかに空きがないので600人収容というB501教室に移動することとなる。以前、日本史研究会の大会に使った、あの劇場みたいにばかでかい教室である。
 またA校舎に戻って階段を登り、教室で其の旨をアナウンス。学生さんたちはおとなしく移動を開始してくれました。これが、30年前に教えた高校生たちだったら「えー、あんな遠く、それも5階なんて、やってられねえよー」などという罵声が飛ぶはずだなどと、おかしなことを考えながら自らもB校舎へ。そしてまた、エレベーターを待つ学生さんたちを尻目に階段を登る。・・・以下略。
 「人気」(「ひとけ」ではありません)でこうなるのなら、少しは苦労のし甲斐もあるだろうが、そんなはずはない。きっと、今年度はこの時間に必修科目の授業が減ったのだろうななどと考えていたのですが、後で教務の人にうかがったところでは、「今まで基礎教養科目は予備登録(受講人数制限)をしていたのですが、今年から予備登録がなくなり、先生の授業に興味を持った学生が集中してしまったのだと思います」とのこと。これは御期待にお応えしなければ・・・。
 来週はB514教室で開講してみることになりました。300人収容の教室です。ここで落ち着いてくれたらよいのですが。
さて、それからゼミの話になるのですが、長くなりましたので、宗教・文化研究所ゼミナールのFacebookに写真を貼り付けて、替えさせていただきたいと思います。