ラストサムライ・補遺
No.1043
ラストサムライに関する議論の数々。とても面白く読ませていただきました。読んでいて、やはり映画を論じるのは難しいなと痛感いたしました。突き詰めると、個人の好みに還元されてしまうという山本さんのご意見はもっともで、つまり基準が明らかでないところでは、結局そこに行き着かざるをえないのでしょうか。だからといって、美学的なことを論じ始めると、これはこれでまた、衒学的な訳のわからない世界にはまり込んでしまうようです。産業として映画を論じるとか、受容の側面から切り込んでいくとか、文学研究の手法を応用し、画面の裏に実は何が描かれているかを見る研究などがあるようですが、ラストサムライ論じるには、どの手法が有効なのでしょう。よくはわかりませんが、武士論という観点がるように思います。映画のパンフレットに「日本人の中に脈々と息づき、今なおそのDNAを熱く刺激しるサムライ・スピリット」云々とあります。しかもご丁寧に、片観音・二度折りで武士道の説明が出ています。これがいったいなんなのかというのは、是非論じる価値があるのでは、ということで、宣伝ですが、戦場での武士の行動原理を探る『戦場の精神史』を、今年5月に出版予定です。著者は青山学院大学の佐伯真一先生です。乞うご期待!
なお、映画館で携帯メールをカチャカチャやっているのを、「ほたるばか」というのだそうです(おすぎかピーコかどちらか)。そういうやからは見つけ次第排除すべきでしょう。映画館ではありませんが、成田から家の近所まで行ってくれる便利な高速バスに乗ったときには、最初から大きな声で、「こういうバスで携帯をカチャカチャやる奴がおるけど、頭悪いんちゃうか~。煩くてかなわんで~」などと、妻と会話するふりをしながら、脅しをかけておきましたところ、誰も携帯をいじる人がいなかったので、とても有効でした。
なお、映画館で携帯メールをカチャカチャやっているのを、「ほたるばか」というのだそうです(おすぎかピーコかどちらか)。そういうやからは見つけ次第排除すべきでしょう。映画館ではありませんが、成田から家の近所まで行ってくれる便利な高速バスに乗ったときには、最初から大きな声で、「こういうバスで携帯をカチャカチャやる奴がおるけど、頭悪いんちゃうか~。煩くてかなわんで~」などと、妻と会話するふりをしながら、脅しをかけておきましたところ、誰も携帯をいじる人がいなかったので、とても有効でした。