総合教育科目の授業の質問 平松麻衣 2004/01/19(Mon) 19:20 No.1036 ずいぶん前の話なんですけど、大鏡とかのところやっている時に、四鏡はほんとはみっつだっていうのを先生がおっしゃっていたように思うんですけど、あれは私の聞き間違いだったのでしょうか・・・。『だいこんみずまし』と覚えていたので、どうしても気になって・・・。ほんとならテストの前に直接お聞きすべきなのにすいません(>_<)
大鏡・今鏡・水鏡・増鏡それに『吾妻鏡』 野口 実 2004/01/19(Mon) 21:03 No.1038 平松さん、こんばんは。今年度の後期には、総合教育科目を4コマも担当していたので、どの講義での話だったのか、ちょっと記憶にありませんが、きっと『吾妻鏡』の説明の時に、「鏡」というのは歴史を表していて、名前に鏡の字のつく本は、これこれがありますよ。・・・みたいな話をしたのだと思います。『大鏡』『今鏡』『水鏡』『増鏡』ですね。『吾妻鏡』は文学作品としては評価する対象になっていませんから。 もし、三つだと言ったというのなら、誤りなので訂正しなければなりませんね。ただ、歴史の資料として使う場合、『水鏡』は相当落ちると思います。なにしろ12世紀末に成立したのに、神武天皇から仁明天皇(9世紀)までの話ですから。それ以外の本は、史料として取り上げられることがあります。とくに『増鏡』については、当ゼミメンバーの長村君が政治思想史の視角から研究対象にしています。それにしても、平松さん、このHPを御覧いただいてありがとうございました。よかったら、ゼミの方にもどうぞ。ゼミ旅行も参加者募集中です。 それから、長村君、何かコメントがあったら、お願いします。
Re: 総合教育科目の授業の質問 長村祥知 2004/01/20(Tue) 20:18 No.1044 文化史学専攻の生半可な知識ですが、ご指名がありましたので事情を推測してコメントさせていただきます。まず、歴史物語(←明治以来の国文学研究者の呼称。日本史の側では、坂本太郎氏が「物語風歴史」と称しておられます)という概念があります。これには研究者によって、「鏡もの」以外にも『六代勝事記』『五大帝王物語』や『梅松論』、江戸時代成立の『月の行方』『池の藻屑』を含めることがあります。次に、「鏡もの」について。野口先生のおっしゃるとおり「四鏡」は、『大鏡』『今鏡』『水鏡』『増鏡』を総称してこう呼びます。しかし『水鏡』を、他の三作品が独自性を有するのにたいして、あまり重視しない傾向がありました。というのは、平田俊春氏が実証されたように、『水鏡』は『扶桑略記』(平安時代の漢文歴史叙述)を抄出して仮名にしたものだからです(平田俊春『私撰国史の批判的研究』参照)。平松さんが聞かれた、「ほんとはみっつ」というのは、内容のオリジナルという意味で、四鏡のうちの『水鏡』を除いた三作品ということではないでしょうか。(でも、この書き込み、先生の発言とは全然関係ないかもしれないですね)無意味ついでに、『水鏡』の史料性・独自性について。>ただ、歴史の資料として使う場合、『水鏡』は相当落ちると思います。なにしろ12世紀末に成立したのに、神武天皇から仁明天皇(9世紀)までの話ですから。上述したように、『扶桑略記』の仮名版ですから、漢文か仮名かというのは表現形態の問題であり、その意味で「事件」史料としての信憑性は『扶桑略記』と同レベルです。ただし、①『水鏡』にあって、『扶桑略記』に無い記事があることから、(準)逸文として想定できなくも無い。②近年、『水鏡』の文学性について、『扶桑略記』そのものではない独自の表現を評価すべき、とする提唱がある(尾崎勇氏だったように思いますが、失念しました。間違っていたらすいません)。③『水鏡』冒頭の「四劫観」が、末法思想の説明によく引用される。等から、「思想」史料としてはそれなりに評価すべきではないでしょうか。平松さん、本HPをご覧の先生方(含、修論執筆し終わって時間のできた田中さん)から訂正が入ると思いますので、そちらをご参考にしてください。以上、蛇足と誤解の多いコメントでした。
田中さん、お疲れさまでした。 野口 実 2004/01/20(Tue) 21:15 No.1047 さすがは長村君、たいへん勉強になりました。例の「王権」、行き詰まっていますので、また何かありましたら、教えてください。 それから、田中さん、修論おわりましたか。まあ、一息ついて、次なる目標へ、というところですね。 院試の人は、まだしばらく落ち着かないかも知れませんが、こういうせっぱ詰まった状況でもないと、ちゃんと勉強しなかったりするところが人間にはあるものですから、絶好のチャンスだと思って立ち向かいましょう(ほとんど、自分に言っているのですが)。
Re: 総合教育科目の授業の質問 平田樹理 2004/01/20(Tue) 21:54 No.1048 長村君>読ませていただきました。歴史物語などで分からないことは長村君に聞けば一発ですね!野口先生のコメント同様、私も勉強させていただきました。野口先生>おっしゃるとおりです。勉強のチャンスを与えられたと思って、頑張ります。
ありがとうございました(^^) 平松麻衣 2004/01/21(Wed) 17:02 No.1054 先生私の書き込み見てくれたかなぁ~?ぐらいに思いながら掲示板を開いてみたので、すごいたくさんの返信をして下さっていて正直びっくりしました!! 本当にありがとうございます(^o^) ちなみに私は木曜①の受講生です。聞いたことのない単語とかもあったんですけど、わかりやすく説明してくださっていてとても勉強になりました。こんなすてきなゼミの生徒がいて先生も幸せですね☆ 私もせっかく京都にいるんだし、もっと歴史に触れながら生活していこうと思います!すごい未熟者の質問に親切に答えてくださってほんとにありがとうございました。
非常勤ゼミメンバーも歓迎。 野口 実 2004/01/21(Wed) 20:36 No.1056 当ゼミメンバーは多様な人たちで構成されておりまして(だから、幹事が苦労する?)、史料講読会だけとか、研究発表に時々とか、もっとはっきりしている人は、ゼミ旅行だけとか、そういう人もおられます。一度、のぞきに来られたら、どうでしょうか。短大の人では、これまでに、立命館大の国文学科に編入した人とか、京女の史学科に編入が決まっている人。まだまだ、将来をどうしようか考えている人などなど、様々な先輩がおられます。 くわしいことは、大史3回の永富さんに問い合わせたら、親切に対応していただけます。赤い字の永富さんの名前をクリックしてメールを送信してみてください。
呼ばれたようなので・・・ 永富絵里子 2004/01/22(Thu) 02:57 No.1063 はじめまして。大史三回の永富です。ゼミに興味を持たれたとのこと、嬉しくおもいます。もしよろしければ一度ゼミを見学にきてくださいね♪お待ちしています。またもしなにかわからないことなどあれば遠慮なく質問してください。ご希望があれば恒例の「ランチタイム説明会」を開催しますよ♪お友達も誘ってぜひどうぞ!!
「須田春子先生寄贈図書」について 野口実 2004/01/19(Mon) 12:15 No.1033 須田春子先生は、小生が青山学院大学で御世話になった恩師の一人です。先生は青山学院や、先生の御出身の東京教育大学(東京文理科大)の卒業生を主なメンバーとした「奈良・平安文化史研究会」を主宰されていました。そして、この会に、御自身が亡くなられた後、その活動に資するため、御蔵書を寄贈されることを遺言されました。しかし、会は先生の没後、しばらく活動を続けましたが、最近は休止状態で、本は私の同期の友人である神奈川県在住の細川氏宅に置かれたままになっていました。 そこで、この本を先生の御遺志、つまり、「これから日本史などの研究を志す若い人たちに活用して貰いたい」ということ、を活かすとともに、細川氏宅の一室を本が占拠している状態を解消する目的もあわせて、もとの研究会のメンバーの山下克明先生などと連絡を取った結果、その大部分を小生の研究室において、私の責任で管理・配架させていただくことになりました。 研究室には今のところスペースがありませんので、順次整理が済み次第、細川氏から少しずつ送本していただき、配架していく予定です。本には「須田春子先生寄贈図書」の印を押すことにしています。こうした、作業についてはゼミメンバーの御協力を御願い致します。 なお、本の中には相当傷んでいるものもありますので、一部は製本を依頼することになると思います。 この本を活用して、ゼミメンバーの研究水準が大いに向上することを期待するところです。
屋島・壇ノ浦史跡見学会のお知らせ 近藤好和 2004/01/19(Mon) 00:38 No.1030 細かい予定はこれから詰めますが、次のような大まかな日程で、元木先生と私で史跡見学会を予定しています。ついては、現時点での参加希望者を募ります。特に屋島・下関はレンタカーでめぐりたいので、車の運転のできる方、大歓迎です。暫定的でも構いませんから、参加希望の方やご質問のある方は、私にメール下さい。なお、赤間神宮では、できれば宝物を特別拝観させていただきたく、そのように事前に依頼する予定です。また、参加費は少し高くなるかもしれません。 3月16日(火) 午後1時 JR高松駅前集合 屋島周辺見学 高松東急イン泊 3月17日(水) マリンライナー20号 高松9:52発 岡山10:45着 ひかり355号 岡山10:52発 新下関12:17着 午後1時半~ 赤間神宮(宝物拝見予定) 及び周辺見学 下関東急イン泊 3月18日(木) 午前 壇ノ浦周辺見学 午後 現地解散
Re: 屋島・壇ノ浦史跡見学会のお知らせ 石浜哲士 2004/01/20(Tue) 15:45 No.1042 近藤先生はじめまして。NHK出版の石浜と申します。とても魅力的な見学会ですので、私のような研究者でない者でもいいということであれば、是非参加させていただければと存じます。ただ、日程的に可能かどうか、調整がつくかどうか、多少不安ではあるのですが。
Re: 屋島・壇ノ浦史跡見学会のお知らせ 元木泰雄 2004/01/22(Thu) 00:05 No.1058 石浜さん、ご無沙汰しています。ご一緒できれば当方も嬉しく思います。運転でもしていただければますますあり難いのですが。道中、近藤さんに執筆の約束を取り付けますか。保元・平治、河内さんのおかげ?で、結構面白いものになりそうです。3月中にけりをつけます(今度はほんと)。当方の授業を聞いた諸君には信じてもらえますよね・・・。ところで、日本放送協会の総合テレビの番組も、もう少し学者を大切にしてくれませんかね。森村誠一より当方のほうがよほどマシな発言をしますが・・・。なかなか原稿を出さないツケでしょうか。
Re: 屋島・壇ノ浦史跡見学会のお知らせ 近藤好和 2004/01/22(Thu) 01:21 No.1061 石浜さん、初めまして。うかうかしている間に、元木先生に先にレスを付けられてしまいました。見学会の件、承りました。恐縮ですが、予定が分かり次第、早めに私にメールしていただければ幸いです。アドレスは、yoccy@mth.biglobe.ne.jpです。よろしくお願いします。
Re: 屋島・壇ノ浦史跡見学会のお知らせ 石浜哲士 2004/01/22(Thu) 18:02 No.1064 元木先生、近藤先生、ありがとうございます。運転手でもなんでもいたしますので、よろしくお願いたします。また、NHKブックスのほうですが、狂喜乱舞であります。ありがとうございます。心静かに、お待ちしております。ところで、番組制作は人の異動が激しく、あまり勉強していない人も多いようです(無論、専門家はだしの人もいます)。そうした短い制作スパンだと、どうしても一般受けを狙ってしまい、真面目に作る余裕がないのかもしれません。語学番組で女優やタレントを起用してあたったものだから、そうした風潮があるのかもしれません。ところで、近藤先生、はじめましてと書きましたが、昔、つまらないことで先生にお電話差し上げ、質問させていただいたことがあるのですが…。「男衾三郎絵詞」に関してでした。その節は失礼いたしました。見学会への参加、予定をできるだけ早くご連絡できるようにいたします。
屋島・壇ノ浦見学について 野口 実 2004/01/22(Thu) 19:52 No.1066 小生は昨年2月、屋島に、12月、壇ノ浦に調査旅行に行きました。屋島の方は、院生時代、碩学として知られた桃裕行先生のもとで開かれていた『小右記』の講読会に御一緒して以来の友人で、現在、香川県立高松西高校の教諭をしておられる野中寛文先生に自家用車で御案内いただき、おかげで大変充実した調査が出来ました。史跡(大体、後世の所産ですが)が点在しておりますし、志度寺の方まで足を伸ばす必要がありますから、車で回るのがベストだと思います。それから、高松市内にある平家物語歴史館というのも「見物」の価値があります(先生方には、決して「見学」の対象ではありません)。また、角度を変えた位置からの屋島のピラミッドのような山容もぜひ確認なさってきて下さい。「讃岐うどん」は言わずもがなですね。 一方、壇ノ浦の方は、関門海峡の下関側の海岸線にいくつか史跡があるのと、赤間神宮くらいしか見所はないので、レンタカーは不要かと思います。また、宿泊は門司港ホテルの海側の部屋をお勧めします。海峡一望です。門司港にはレトロ地区があって、なかなか楽しめます。商店街の中にある佐藤書店という古本屋さんには、珍しい本がならんでいます。それから、門司駅(門司港駅からJRで200円くらいの距離)の近くに御所神社という安徳天皇御所跡の伝承をもつところがあり、たしかに立地としては好適だと思いました。 門司港からは、20分ごとに下関に渡る船が出ています(200円)。これに乗ると、壇ノ浦の海戦を実感することが出来ます。下関に着岸すると、そこには唐戸市場があって、市場の2階の食堂では獲れたての魚の大変美味しい料理が安く味わえます。そこから5分も歩くと赤間神宮です。なお、時間に余裕があれば、タクシーででも長府まで足を伸ばし、忌宮神社の周辺も歩かれるとよいと思います。ちなみに、このあたりは幕末維新関係の史跡も豊富です。 それから、新幹線は、新下関よりも小倉をポイントにされた方が何かと便利だろうと思います。
Re: 屋島・壇ノ浦史跡見学会のお知らせ 近藤好和 2004/01/23(Fri) 00:02 No.1070 石浜さん、確かにそんなことがありましたね。忘れてしまっていて、申し訳ありませんでした。では、ご連絡をお待ちしています。野口先生、貴重な情報をありがとうございます。これから細かい日程を詰めるうえで大いに参考になります。野口先生のご意見ですと、小倉から門司港へ行き、船で下関に渡るコースがお勧めということですね。ただ、正式依頼によって、できれば赤間神宮で宝物を拝見させていただければと思っていますので、赤間神宮が先とすると、船のコースは当然下関から門司もありますよね。ご教示いただければ幸いです。なお、ホテルが東急インなのは、元木先生が会員のため割引で泊まれるからです。
渡し船。 野口 実 2004/01/23(Fri) 00:18 No.1072 近藤先生> もちろん、下関から門司港に渡る船はあります。同じ船が往復しているわけですから。「渡し船」というと、船頭さんが漕いでいそうな雰囲気ですが、きれいな客室のあるエンジンのついた船です。所要時間はたったの5分です。感慨にふけるまもなく到着です。 門司港ホテルは従業員に元気な若い人が多く、その接客態度が実によいし、部屋もなかなかのセンスできれいです。小生はふだん朝食をとらないのですが、ここのは美味そうなので、つい食べてしまいました。 なお、門司港は先に御紹介した藤原新也氏の故郷です。土地は人を育てるということが、よく分かるところです。
Re: 屋島・壇ノ浦史跡見学会のお知らせ 近藤好和 2004/01/23(Fri) 09:52 No.1075 野口先生、早速ありがとうございます。具体的な流れが見えてきました。その船は、宮島~宮島口の船みたいなものですね。
Re: 屋島・壇ノ浦史跡見学会のお知らせ 佐伯真一 2004/01/23(Fri) 22:57 No.1083 青山の佐伯です。この掲示板は時々拝見していたのですが、石浜さんからこの企画の件を教わって、初めて書き込みます。(ラストサムライの話もまたいずれ)実は、近々屋島・壇ノ浦へ行かねばならぬ事情があって、どうせなら、是非この企画に参加させて頂きたいと思います。ただ、現在、学会事務局を抱えているなどの関係で、日程が自分の希望通りにできるかどうか、ちょっとわからないところもあります。詳しくは近藤さんに連絡させて頂きますが、とりあえず名乗りをあげさせていただきます。
近藤・佐伯両先生に返信とお願い。 野口 実 2004/01/24(Sat) 00:28 No.1089 近藤先生。渡し船ですが、宮島に行くような、車も載せられるタイプの船ではなくて、モーターボートの大型と思ってください。かなり、高速です。 佐伯先生。先生も参加されるとなると、大変豪華な旅行になりますね。御一緒できぬのは残念至極です。ところで、ここにお出ましいただいたことを、千載一遇のチャンスとみて、お願いですが、上のNO.1080以下に書き込みました『古代文化』特輯号に御執筆をお願いできないでしょうか。締切などは、執筆者の御都合に合わせて、これから決める段取りです。 それにしても、先生が書き込まれたことを知ったら、田中さんが飛び出てくると思うのですが。 ともあれ、よろしく御検討いただければ幸いです。
Re: 屋島・壇ノ浦史跡見学会のお知らせ 鈴木 潤 2004/01/24(Sat) 01:39 No.1090 渡し船が話題になっているようなので補足します。一昨年の夏に、同じく関門海峡界隈へ観光旅行に行きました。その時の写真の中に、問題の渡し船がありました。百聞は一見に如かずなので、リンクを挙げておきます。http://donkun.ath.cx/~john/image/kanmon_01.jpgレンタカーで行かれるようなので関係ないかもしれませんがhttp://www.ymg.urban.ne.jp/home/sd/rs/sdkkanmon.html↑にある通り、下関から長府までとレトロ地区のバス乗り放題・関門汽船(渡し船)[これは2回だけ乗船可]で1400円の周遊チケットがあります。ご参考となれば幸いです。
失礼なんてとんでもありません 美川圭 2004/01/18(Sun) 01:06 No.1027 山本さん 率直な意見を聞かせてくれて、ありがとうございます。実は、僕も、あなたと同じ年代には、同じように感じていたような気がします。黒沢作品でも「七人の侍」「天国と地獄」「隠し砦の三悪人」などに対して、晩年作、たとえば「影武者」とか「乱」などに失望した覚えがあります。ストーリーにキレがないじゃないかと。でも、あるプロの写真家が、「乱」の映像のすばらしさを、切々といわれるのを聞いて、やはり映画は「絵」なのか、と思いました。まあ、それでも、黒沢の晩年作がやや劣るとは思っていますが・・・。今回の黒沢大フアンらしい監督が撮った「ラストサムライ」も正直言っていろいろ疑問はあるのですが、あなたの酷評ほどひどくはない、と今の僕は感じるので、反論しました。でも、大昔から、「いまの若い者は」なんて、いわれて来続けてるわけですが、案外変わらないんですね。最近つくづくそう思います。こんどは、日本史の学問上の問題で、こういう率直な議論がやりたいですね。期待しています。ありがとうございました。
いろいろ言ってしまいまして・・・・。 山本陽一郎 2004/01/19(Mon) 18:44 No.1035 美川先生、そう言って頂けると、ホッとします。あまり先生などを相手に論争などした事が無かったものですから、自分にとっても、普段使わない頭をフル回転させて貴重な経験になりました。こちらこそありがとうございました。ちなみに、黒澤映画(スイマセン、また映画ネタで)では、『七人の侍』、『生きる』、『隠し砦の三悪人』、『蜘蛛の巣城』、『羅生門』など初期の作品は、本当に面白かったです。ただ、『乱』と『影武者』は自分はかなり好きな作品です。またこういうことを言うと、論争になるので、この辺にしときます(笑)。
ラスト・サムライ見てきました 美川圭 2004/01/15(Thu) 20:30 No.1008 美川ですみなさんの話題を楽しみつつも、論文とか、本の校正とか、学生の卒論指導に追いまくられ、レスがつけられないでおりました。それらが一段落したので、今日ラスト・サムライ見てきました。おもしろかったですねー。とにかく内なるナショナリズムをかきたてられる映画でした。途中で思わず、うっ、となってしまう自分を恥じつつ周りを見ると、泣いている人がかなりいました。学生を引率してアメリカ行っていたとき、テレビで日本人むけの日本の山河をうつしたコマーシャルみたときの感じに近いですね。「日本人」はこんなにすばらしかったんだ、と騙されちゃいけないぜ。こんな理想郷や勝元みたいな理想的な「武士」なあんてどこにもいやしないぜ。でも、「玉砕」とか「特攻」とか「みごと散ります国のため」なんて心性の源がよく描かれていました。小泉首相が感動するわけです。きっと小泉首相は、あれをみて、イラクへ行く「自衛隊」という名の「日本軍」に、あの勝元の率いる武士団をかさねたことでしょう。「武士道とは死ぬこととみつけたり」は18世紀はじめの『葉隠』の文でした。いくさもない時代となって、武士のありかたが理想化されてんです。死と直面してない戦国時代の武士のだれが、そんなばかなことを考えますか。戦国時代の武士は、いかに死なないかばかり考えてます。イラクの自衛隊は死に直面しますが、首相は直面しませんから。しかし、あの勝元というのは、何者なんだ。新政府の参議に任じられているらしいし。明治天皇には直接会っていて親しそうだし。西郷隆盛あたりが、一応のモデルなのかなあ。あそこには「男色」がないと。あのなよっとした天皇を、むくつけき勝元が後ろから抱きしめるシーンがほしい。それがないと、なぜ、あんなに親しそうな意味がわからない。実は、あの天皇は、一方であの大村(だったかな)という西洋かぶれの高官ともできてる。つまり、天皇をめぐる男同士の同性愛のドラマ。天皇は、どっちにしようか迷っているんです。トムクルーズという異人さんがやってきて、この男同士の愛憎劇の新たな展開が、悲劇をよぶ。勝元は戦死し、大村は天皇から嫌われ、最後に天皇はトムクルーズといい仲になる。これが太平洋戦争の敗戦後、つまり戦後だね。こう見ちゃ駄目でしょうか。作っている人は、まったくそんなこと考えてもいないでしょうが。見てない方も、私の感想を読んでから見ると、もっと楽しめるかもしれません。
Re: ラスト・サムライ見てきました 美川圭 2004/01/15(Thu) 22:39 No.1011 自己レスです。>死と直面してない戦国時代の武士のだれが、そんなばかなことを考えますか。当然、死と直面している戦国時代の武士のだれが、そんなばかなことを考えますか。です。おわびして訂正します。
Re: ラスト・サムライ見てきました なめかわあつこ。 2004/01/15(Thu) 23:33 No.1012 なめかわです。私は年末に見に行きました。美川先生同様、色々な意味で面白かったです。ナショナリズムを再生産しているような映画でしたね。内容には期待していませんでしたが、ビジュアル的には非常に楽しめました(渡辺謙と真田広之)。正月は過去の大河ドラマ「独眼竜政宗」を再放送していましたね。この二人は「舅と婿」で競演していたんですね。神戸での近藤先生のお話の通り、真田広之の兜(バイキングみたいな兜)には吹き出しそうでした(笑)。あんまり言うとネタバレしそうなので、このくらいにしておきますが、美川先生の「男色」視点、面白いですね。逆にこちらの方が現実味ありそうですね。渡辺謙演じる勝元は、先生が思われている通り、西郷隆盛がモデルだそうです。となると最後の戦いは西南戦争なんでしょうね。しかしトムは日本の鎧兜が全く似合わなかったですね。当然といえば当然なんでしょうけれども。映画を見た時、感動して泣いている観客は確かにたくさんいました。特に若いオネーチャンが。久々に映画館に行って思ったのが、映画館でのマナーの悪さです。携帯電話の電源オフあるいはマナーモードに切り換えない人が多いようです。しかも電話鳴って出るヤツもいるし(怒)。暗い映画館の中でのディスプレイは非常に目立ちます。携帯電話の「罪」なトコロですね。かくいう私も携帯電話所持者なので気をつけようと思います。気の利いたレスが出来ず申し訳ございません。
私も見ました。 近藤好和 2004/01/16(Fri) 00:30 No.1013 美川先生、滑川さん、神戸ではお疲れ様でした。ラストサムライ、私も正月に遊びに行った秋田で見ました。はっきり言ってファンタジー、どこの国の話だと言う感じです。じつは私はSF(特にスタートレックシリーズ)の大ファンなのですが、SFの概念にパラレルワールドと言う概念があります。あの映画が日本のことだとすれば、それはパラレルワールドの日本のことですな。ただ、サムライ=刀という観念は、欧米人には受け入れやすいのではないかと感じました。なぜならば、欧米で勇敢な戦士に相応しい武具といえば敵に肉薄する刀剣だからです。中世ヨーロッパの騎士やスタートレックのクリンゴンをみれば明らかでしょう。サムライ(武士)=弓箭などいう観念は、欧米人には違和感があるようです。欧米人にとっては弓箭は戦士の武具ではないのです。しかし、どんなに現実離れしていても、武士論研究者として相応しくないとしても、私はあの映画で描かれていたようなサムライが心情的には大好きです。ただ、映画を観て泣きはしませんでしたが。
Re: ラスト・サムライ見てきました 美川圭 2004/01/16(Fri) 00:36 No.1014 なめかわさん、さっそくのレスありがとうございます。おっしゃるように、映像的には、なかなかのものでした。合戦シーンも迫力がありました。「日本の村」の風景も、きれい。小雪も、いかにも外国人好みの「日本女性」ですが、しばしうっとりできるし(彼女172センチあるそうです)。昔、「戦国自衛隊」という角川のSF映画がありました。自衛隊が、戦国時代にタイムスリップして、結局、近代兵器の燃料切れで、自衛隊が皆殺しになるんだっけな。今回と逆のケースです。けっこう意外性があっておもしろかったのを覚えてます。たしか、半村良の小説が原作。それを思い出しました。というのも、明治初期というには、出てくる武士が、戦国時代なんですよね。幕末の武士の雰囲気じゃない。つまり、300年近く、タイムスリップした感じ。近代初期と中世末が、時空空間の異常によって、接触してしまったんでしょうか。そんな違和感を感じさせる映画でした。もちろん、戦国武将は玉砕戦法はとりませんから、ありゃ、実際には大戦末の日本軍でもあるわけですが。それにしても、小生は戦争で死ぬのだけはごめんです。
近藤先生主演のラスト・サムライ 美川圭 2004/01/16(Fri) 00:56 No.1015 なめかわさんのレスをしていたら、その間に、近藤先生のレスが・・・・。SFのパラレルワールドとは、やはり同じような、感じをうけられたようですね。実は、もうひとつ、恥ずかしながら考えたことがあります。それは、武士道おたくのトム・クルーズの代わりに、武具研究の第一人者である近藤先生が、戦国時代にタイムスリップする映画をだれか撮らないか。現代人ではあるが、武具に異常に詳しい近藤先生と、現実の戦国武将(実際には源平時代の方がいいが、営業的にはやはり戦国時代かな)が出会ったら、どうなるんか。両者のやりとりはおもしろいだろうな。そして、合戦シーンでは、Tシャツをお召しの近藤先生が、とうぜん鎧兜姿で大活躍。大迫力。見たいなー。こんなばかなことばかり考えているので、仕事がはかどらんのです。
まだ見ていませんが... 鈴木 潤 2004/01/16(Fri) 02:17 No.1017 ラストサムライはまだ見ていませんが、まさかこの掲示板でスタートレックの話が出るとは思いませんでした。(僕も、大ファンでビデオを撮りためています)クリンゴンが食べている食事でよくミミズが出ますが、イカやタコなどを食べる日本人は、同じように見られているんだと実感です。説明>(http://www.m-nomura.com/st/aliens-c.html#klingons)携帯電話の件ですが、案外若者はマナーモードのままだったりで、操作方法を余り知らないおっちゃん達が電車の中でも大きな声でお話しているのが多い気がします。P.S. SW展ではなくST展を京博でやってほしいものです。
映画評パート1『ラストサムライ』 山本陽一郎 2004/01/16(Fri) 19:43 No.1018 やっとこの掲示板で映画評のスレッドができましたね。さて、先日自分も『ラストサムライ』を観てきました。感想から先にハッキリ言いますと、期待外れでした(時代考証などツッコミ所がたくさんある意味では楽しめますが)。まず、問題は映画の基本とも言えるストーリ構成です。明治初期の日本の最後の武士と荒くれアメリカ人との魂との交流という設定は、まあおもしろいですが、話自体に何のひねりも落とし所も全く無く、観ていて「えー、これで終るのか」と思ってしまいました。途中で話やオチが見えてしまうのは、映画の作品としての深みがなくなってしまい、失格の部類に入ると思います。これではせっかくの渡辺謙の演技の魅力が半減してしまいます。また真田広之の出番が少なすぎ!別に真田広之でもなくてもよかったような役柄でした。一応、見せ場とか涙もののシーンはあって、周囲の人は泣いていて一応の効果は発揮してましたが、その泣かせるシーンというのは日本人には弱いツボを押さえているだけだったような気がしました。あれなら、昔日本テレビ系列で放送していた『白虎隊』や『田春坂』を観た方がいいような気がしました。バックに変な映画音楽使うよりも、堀内孝雄の『愛しき日々よ』を流せばもっとお涙頂戴ものになっていたでしょう(笑)。ちなみに自分も、映画代をのことを考えると、ある意味泣きたくなりました。またこの作品の監督(名前は知りません)は、大の黒沢映画ファンで、特に『七人の侍』が好きだったそうです。それで自分なりに「時代劇」映画を作ったということです。しかし、黒澤映画の大きな魅力である映画作品としての「深み」や「落とし所」という重要な要素が全く欠けていました。外国人に日本の時代劇を作るのは無理だとは言いませんが、もうちょっと「時代劇」の「深み」を勉強して欲しいものだとおもいました。また近藤先生がご指摘されるように、やたらと「刀」を強調するシーンが多く、この点から、「この監督の日本に対する意識って、『フジヤマ・芸者レベル』なのか」とついつい考えてしまいました。またこの映画のCMで、ある女性客が「この映画を観て、日本人である事に誇りを憶えました」と言ってましたが、あの映画で日本人の誇りを感じるのはどうかと思います。もっと小津映画や黒澤映画など観て、日本人としての誇りを感じて欲しいと思います。敢えてこの映画に副題を付けるとしたら『世界ウルルン滞在記スペシャル-トム=クルーズ、日本で侍に出会う~。』(下条アトム風)と付けます(笑)。最近「グローバリゼーション」と叫ばれて久しいですが、映画の世界まで、特に時代劇まで「アメリカナイズ」されてしまうことに少し危惧を憶えます。かなり身分をわきまえず酷評をしましたが、自分の中では、オススメできません。長くなりましたが、また映画を観に行ったら報告します。
Re: ラスト・サムライ見てきました 美川圭 2004/01/16(Fri) 20:40 No.1019 山本さん、こんにちわ。かなりきついですね。私は、映画の基本がストーリーという点は、少々疑問を感じます。映画の基本は、「絵」じゃないでしょうか。山本さんが高い評価をされている黒沢や小津作品、ストーリー性としては、なんてことない作品も多いと思います。さらにいえば、時代劇に「深み」がいつも必要だろうか。私は、この作品が映画史上において、「傑作」といえるとまではいいませんが、かなりの成功作だと思います。絵がきれいで、迫力がありますから。しかもハリウッドの映画ですから、興行的に成功しなけりゃならないし、ということはたくさんの観客をよぶ魅力がなければ。その意味でも成功でしょう。『フジヤマ・芸者レベル』はかなりクリアしてると思います。少なくとも、日本人が作っている、最近の大河ドラマよりは、かなり上でしょう。私は、ハリウッドの底力を感じたのですがいかがでしょうか。
Re: ラスト・サムライ見てきました 近藤好和 2004/01/16(Fri) 21:55 No.1020 いやー、盛り上がってますねえ。美川先生、では、馬上で大太刀でも振り回しますか。治承・寿永期ならば弓箭ですけど。それにしても、男色で思い出したのですが、勝元が謁見した時の天皇の姿、肌小袖に大口に白足袋を履いていました。あの姿で足袋はいただけませんが、それはともかく、肌小袖に大口とは束帯の肌着姿ですよ。しかも、いくら散切り頭とはいえ冠を被らない露頂。あんな姿、よほど親密な人の前じゃないとしませんよ。やっぱり天皇は勝元と男色関係にあったのかも。そういえば、勝元の妻の話は全然でませんでしたね。その意味でも男色?鈴木君、野口ゼミにもトレッキーがいると分かって、うれしいですよ。クリンゴンが主食にしているミミズみたいな食べ物は、ガーフですね。それにしても、クリンゴンは、名誉を重んじる点といい、バトラフ等の刀剣で戦う点といい、欧米人がイメージする日本人のイメージにダブりますね。ただし、クリンゴンはロシア人がモデルという説もあります。実際、クリンゴンでは自害は名誉ある死ではありませんよね。自害ではストボコーへは行けませんから。なお、フェレンギも日本人がモデルという説もあります。ところで、ST展は私の中に企画があります。ジーンロッテンベリーが描いた「未来史」として、是非歴博あたりで実現したいと考えています。では、とりあえず、鈴木君、カプラ!山本君、美川先生も仰るように厳しい見方ですね。私は映画論はできませんが、娯楽としては面白かったと思います。
実は、今日見てきました。 鈴木 潤 2004/01/17(Sat) 01:12 No.1021 コンピュータが専門で、もちろん武士論については素人の知識ですが、見終わった後は、山本さんと似たような想いです。朝にスターウォーズ展を見てから昼に行ったのですが、エピソードⅡのジェダイナイトとバトルドロイドの先頭シーンとオーバーラップしてしまいました。映画としては、やはりストーリーが大事だと僕は思います。商業的にも、予算等で実現できないシーンとかもあるでしょうし(SFは脳内で補完しないと、模型のちゃっちさが気になってしまいます)、映像を作った人間が何を伝えたいかを知るためにやはりストーリーだと思います。理解力が無いのか、ラストサムライで何が言いたかったのかわかりませんでした。ホラー的な興奮はありましたが、僕的に泣けるほどの場面は無かったです。迫力はさすがにありました。(馬がばたばた倒れるシーンなど)ハリウッド様々です。マカロニウエスタンのように、結局はメリケン時代劇という事になってしまうのでしょうか。スタートレック話ですがクリンゴンは自害というよりは、特攻するのが名誉の戦死でしたね。ロシアがモデルというのは、アメリカの冷戦の敵としてのイメージだと思います。宇宙大作戦時代は別として、新しいシリーズは明らかに日本人でしょう。ST展が開催されるときはボランティアででもお手伝いします(^o^)V長寿と繁栄を!
恐縮してしまいます(汗)。 山本陽一郎 2004/01/17(Sat) 01:18 No.1023 美川先生から反論を頂いて、盛り上げてしまう事になるとは思っていませんでした。先生から論争を挑まれてしまうとは、何とも恐縮してしまいます(汗)。てっきり先生のおっしゃっていた「おもしろかったですね~。」というのは、時代考証的にツッコミ所満載という意味でおもしろいのかと。当方が意味を履き違えていました(泣)。それと、1500円払って観に行くので、それなりの代価を映画作品に求めてしまう自分の考えがありまして、「せっかく1500円払ったのに」という鬱憤と世間でやけにこの映画を激賞するので、「いやちがうぞ!異議あり!」というふうに一人蜂起を起こしたのですが・・・。以下の意見も、なけなしのお金を払って観に行った者の意見としてお聞きください。でも先生からの反論に対して自分なりの意見を申し上げたいと思いますので、よろしく御願い致します。まず一つ目の映画の基本はビジュアル(絵)かストーリー(話)かという御指摘ですが、自分は映画の重要なファクターは、「話」でもありますし、先生御指摘の「絵」でもありますし、また映画音楽、そして監督の手腕であるとも思っています。これらのファクターのバランス、もしくはどれにウェイトを置くかで映画の完成度が決まると思います(ただこの議論を突き詰めていくと、白か黒かの論なり、結局個人の価値観や好みの問題に収斂されてしまいます)。自分の上記の文章では、「一番の基本は話だ」というふうに受け取られがちですが、別にビジュアルを軽視している訳ではありません。ただ『ラストサムライ』に関して言うと、特筆すべきビジュアルがなかったので敢えて触れませんでした。先生の御指摘のこの映画における「ビジュアル的美しさ」というのは、自然の美しさであって、別に映画の技術によるものでも、監督自身が持っている独自の美学・美的センスでもない気がします。依って自分にはその点も評価できませんでした。特に映画の場合、映像という限られた空間・フレームの中での「絵・ビジュアルの美しさ」というものは、ただ性能の良いレンズを使ってきれいに映像を撮るものとは違うと思っています。『2001年宇宙の旅』のキューブリックや『ベニスに死す』のルキノ・ビスコンティなどの映像の独自の美しさは、単に自然や客体が持つ美しさというより、監督が独自の美学センスを持って、それをフレームワークの中で表現していると思います。しかし、『ラストサムライ』においては監督の美意識らしきものは、見られませんでした。あの映像の美しさは、自然や寺院といったカメラの客体にある属性の美しさであって、監督自身の美的センスではないと思います。またビジュアルだけがどんなに美しい映画でも中身がなかったら、それはそれで問題だと思います。例えば見た目はおいしそうな料理でも、食べたら不味かったというのと同じでことにはならないでしょうか。また黒澤映画と小津映画の作品は、もちろん全ていい作品だとは思っていません。ただCMを見て、あくまでも日本の良さを感じることができる映画は何かなと考えて出したまでです。でも映画史上に残る映画が多いのもまた事実です。ただ「深み」の点ですが、映画に於ける「深み」をこの映画に求めたのですが、それを時代劇に於ける「深み」に求めてしまいました。それはいつも必要かと言われると、そんな必要は無いと思います。しかし、先生の御指摘で行きますと、ハリウッドの底力=ビジュアルと迫力だけという図式になります。従ってハリウッドの底力はそれだけになってしまうと思います。最後にハリウッド映画の宿命なんでしょうが、興行収益の点です。この点も自分は、先生の御指摘はむしろ疑問で、興行収益の良さ=映画の良さなのでしょうか。むしろこれも映画≒興行収益と考えるべきではないでしょうか。興行的に成功した映画は、やはり一時的成功に過ぎないのではないのでしょうか。逆に興行的に成功したいが為に、迫力とキャストで動員数を確保するというのは、ハリウッド映画の良くやる常套手段です。どうしてここまで、この映画を酷評するのかは、上記の経済的貧乏根性に原因があるのですが、仮に話の点を割り引いたとしても、自分の中では評価できないのです。それはおそらく時代劇として観たからもあります。しかし単純に戦闘シーン一つ取っても、エキストラが多いだけでイマイチでした。金に物言わせて作ったというハリウッド映画の悪しき習性が如実に出ていた気がします。長々と意見を言いましたが、ビジュアルの点でも、またストーリーの点も特筆すべき点がなく以上の酷評になった次第です。以上が先生の反論に対する自分なりの意見です。失礼を承知でレス致しました。ついつい映画に対しては厳しいのは自分の習性だと思います。
やはり反論します 美川圭 2004/01/17(Sat) 02:30 No.1024 山本さん、反論ありがとうございます。>>>>ただ『ラストサムライ』に関して言うと、特筆すべきビジュアルがなかったので敢えて触れませんでした。先生の御指摘のこの映画における「ビジュアル的美しさ」というのは、自然の美しさであって、別に映画の技術によるものでも、監督自身が持っている独自の美学・美的センスでもない気がします。依って自分にはその点も評価できませんでした。特に映画の場合、映像という限られた空間・フレームの中での「絵・ビジュアルの美しさ」というものは、ただ性能の良いレンズを使ってきれいに映像を撮るものとは違うと思っています。『2001年宇宙の旅』のキューブリックや『ベニスに死す』のルキノ・ビスコンティなどの映像の独自の美しさは、単に自然や客体が持つ美しさというより、監督が独自の美学センスを持って、それをフレームワークの中で表現していると思います。しかし、『ラストサムライ』においては監督の美意識らしきものは、見られませんでした。あの映像の美しさは、自然や寺院といったカメラの客体にある属性の美しさであって、監督自身の美的センスではないと思います。またビジュアルだけがどんなに美しい映画でも中身がなかったら、それはそれで問題だと思います。例えば見た目はおいしそうな料理でも、食べたら不味かったというのと同じでことにはならないでしょうか。ここんところ、どうしても同意できませんね。どういう素材をえらび、どのようなアングルで、どのような色彩で撮るか。これは監督がすべて仕切れることでもないけれど、重要な映画のファクターです。ラストサムライの「絵」が個性的かどうか、議論がわかれるところでしょうが、私は美しいと思いました。自然だと思いました。しかし、それは自然そのものの美しさではありえません。どんな光のもとで撮るか、どう光をあてるか。それらも含めて相当高度な映画技法です。ただレンズがいいだけでは撮れません。僕は昔、けっこう8ミリを撮っていたのですが、いくら自然が美しくても、なかなかうまく映像として美しく撮れませんよ。これはスチールカメラでも同じですが。これだけの絵が撮れるというのは、ハリウッドの底力だと思うのです。料理を比喩に出されるのは、よくわかりません。映画は食えませんから、見ることしかできません。まあ、あなたが美しくないといわれるのをむげに否定する気はありませんが、僕も自分の美意識については、それほど自信がないわけではありません。個性的ではない美しさもあるんですよ。僕もどちらかというと個性的な美を好みますし、小雪さんの美は、いかにもとは思いますが、でもそれも美の一つのかたちなのです。それから、興行収益と映画との関係です。これは、現在のハリウッド映画の場合、かなり決定的でしょうね。もうからなけりゃどうしようもない。ただし、収益の良さが映画の質と比例するなんて思ってません。ハリウッドで映画作るんだったら、客がはいらなけりゃ。その点で矛盾をかかえているのは当然ですが、それは資本主義の矛盾でもありますから、ことは簡単ではありません。ハリウッドは、芸術劇場ではなく、映画産業なのです。それも60~70年代、一度質を追求しすぎて、倒産しかかった経験をもつ。
ご意見ありがとうございました。 山本陽一郎 2004/01/18(Sun) 00:34 No.1025 美川先生、ご意見ありがとうございます。しかも、先生がレスされた時間が、自分がレスした一時間後というのにはビックリしました。ずっとお待ちだったのでしょうか?レス遅れしまい申し訳ありません。まず先生の御指摘の同意できない部分ですが、当然、この映画を製作するにあたり、技術上のプロセスは存在すると思います。それがなくては映画としては成り立ちませんから。従って、自分はこの映画の映像の美しさに、当然監督の技術が反映していたことは否定しませんし、また舞台となったニュージーランドの自然の美しさまで否定はしていません。ただ、既述したように、映画の映像として、特筆すべきものではなかったということです。そして先生もおっしゃっている「私は美しいと思いました」という言葉が意味しているように、この段階で、この問題は、個人の価値観・美意識の次元に還元されしまうということです。依って、先生が御指摘の上記の自分の意見に納得いかないのは、当然の帰結だと思います。ある対象物に、普遍的美を感じるか、個性的美を感じるかは、当然主観の問題です。この次元は、もう議論の範囲を越えしまいます。ただ、ハリウッドの底力は、映像美だけに収斂されてしまうものではないと思っています。そういう意味では、この映画はアンバランスではないかと思います。また映画作品と興行収益の関係ですが、資本主義という利益優先型社会の中では、「売れてナンボ」の傾向になるのは当然だと思います。ただ、ここで自分が主張しておきたかったことは、このような利益優先社会の中で、映画作品の質の問題です。これは映画のみの問題ではなく、芸術、文学など、一般的に資本主義社会の利益とはダイレクトに結びつきにくい分野にも言えることですが、ただ売れれば成功=良い作品という傾向に、少なからず疑問を覚えている事です。ここが難しい点であり、テーマを深遠なものにしたり、芸術性の高いものにすると、興行的に失敗するというのは、古今東西何処でも見られることです。映画は娯楽なので、楽しめればそれでいいのですけど。ただ、その意味(娯楽映画)でも、この映画は楽しめなかったので、今回のレスをした次第であります。今回の先生のご意見をお聞きして、いろいろ失礼な面もあったと思いますが、いろいろ気づかされる事もありました。ありがとうございました。しかも一学生の意見にレスをして頂けるとは。当方はかなり頭を使いました。また他の分野(歴史学方法論など)やテーマで、議論させていただきたく思います。その時はまたよろしく御願いいたします。ただ武士論を勉強をしていて、武士の心性などに考えが及びませんでした。野口先生すいません。>元木先生 元木先生には、昨年度は二つの授業に潜らせていただいきま した。本当にありがとうございました。この場を借りてお礼 を言うのはなんですが、本当に勉強になり、今後の自分の血 と肉にしたいと思っています。今後ともよろしく御願いしま す。>近藤先生 ご無沙汰しております。昨年は多田神社ツア-ではお世話になりま した。今年もよろしく御願いいたします。 元木先生のご提案の歌合戦には参戦なさるのでしょうか?
Re: ラスト・サムライ見てきました 元木泰雄 2004/01/19(Mon) 20:42 No.1037 山本君、そこまで言ってもらえれば教師冥利というものです。優れた卒論を期待しています。また、映画の話だけでなく、学問でも大いに先学に論争を挑み、その壁を乗り越えるようにご研鑚ください。ところで、歌合戦はどなたか設定していただけるのでしょうかね。当方、今から喉飴にトローチを購入し、耳鼻科の診察を受けて、喉を調整するようにします。
歌合戦 長村祥知 2004/01/20(Tue) 20:38 No.1045 >ところで、歌合戦はどなたか設定していただけるのでしょうかね。元木・野口両先生間の使者を勤めました縁で、私長村がとりまとめをさせていただきます。というわけで、皆様(近藤先生も是非!)ご都合のつく日時(曜日とか、1・2・3月の上・中・下旬等でも結構です)を当方までご連絡ください。とはいえ、野口ゼミの主力には院試を受ける方も多いので、二月の後半から三月にかけてになるでしょうか。それと、私は、今はつぶれた同志社近くの店と四条河原町近辺の1・2のカラオケ屋しか知らないので、場所のご希望もございましたらお願いします(ご希望が無くても、ほとんど知らないので、どなたか店教えてください)。
ゼミ旅行(ええじゃないかツアー2004)のお知らせ 永富絵里子 2004/01/14(Wed) 23:52 No.1004 皆様、お待たせいたしました!!春のゼミ旅行のお知らせです♪今回の行き先は「伊勢方面」に決定いたしました。日時は2月24(火)~26日(木)です。旅行の詳細(コース等)はまだ未定ですが、旅費はだいたい2万円前後になるかとおもいます。つきましては早めに宿の予約や車の手配を済ませたいので、参加希望者は1月20日(火)までに永富までご連絡ください。たくさんの方々のご参加お待ちしております。元木先生>宿の特典で「カラオケサービス」を発見いたしました。掲示板書き込み№1000件突破記念として(?)ぜひ先生も旅行にご参加いただき美声を披露していただきたく存じます。失礼いたしました。
Re: ゼミ旅行(ええじゃないかツアー2004)... 元木泰雄 2004/01/15(Thu) 00:18 No.1005 お誘い有難うございます。車で伊勢平氏の史跡を巡る旅行などしてみたいと思うのですが、残念ながらそのころは校務で身動きできません。かわりに野口先生ご提案の歌合戦でもしますか。また、大阪グルメ探訪も春休みに企画したいと思います。宜しければ、皆さんどうぞ。ただし誰か幹事長をお願いします。
Re: ゼミ旅行(ええじゃないかツアー2004)... 美川圭 2004/01/15(Thu) 21:52 No.1010 元木さんの代わりといっては、役者不足ですが、ちょうど予定があいていますので、ご同行させていただきませんでしょうか。日本史はともかくとして、もと合唱団なので、声だけは大きいです。
Re: ゼミ旅行(ええじゃないかツアー2004)... 永富絵里子 2004/01/18(Sun) 01:02 No.1026 美川先生>こんばんは。レスが遅くなり申し訳ございません。役不足なんてとんでもないです。今回もよろしくお願いいたします。ALL>今日の段階で参加予定なのは野口先生、美川先生、山本くん、長村くん、鈴木くん、荒木さんです。みなさんお忙しいでしょうが(特に新メンバーの方々!!)、積極的に参加よろしくお願いいたします!!
そうです。 野口 実 2004/01/18(Sun) 01:21 No.1028 そうです。そうです。永富さんのいうとおりです。今回のゼミ旅行は、新メンバーの歓迎の目的もあるのですから。 それに、これでは京女のゼミ旅行になりませんよ。 もっとも、修論・院試の人がちょっと手を挙げにくいってのもあるかもしれませんね。 ここは、幹事長の永富さん、プッシュ!プッシュ!(パソコンで書くと、アメリカの大統領になってしまいますが、もちろん、フに半濁音ですよ)。
Re: ゼミ旅行 谷垣 有香 2004/01/19(Mon) 10:28 No.1031 参加したいのはやまやまなのですが、残念ながらその頃は地元の税務署にてバイト中。週5日なので、ちょっとムリなのです(T_T)1週間の誕生日休暇みたいなものがあれば参加できますが・・・(笑)余談になりますが、休暇というとドイツでは法律で最低3週間の有給休暇をとらなければならないという「義務」があるようです。日本は最低10日でしたっけ?やっぱり日本は働きすぎ?!
誕生日。 野口実 2004/01/19(Mon) 11:40 No.1032 谷垣さんの誕生日は2月の末なのですか?実は小生も2月23日。↓に書き込んでくださった尾形先生は2月26日、ついでに、古代学研究所の関口力先生は24日です。プライバシーの漏洩だと叱られるといけないので、この辺で。 ゼミ旅行ですが、さきほど広政さんに出会ったのですが、ちょうど中国旅行と重なって行けないとのことです。それから山内さんは参加。渡邊さんは21日以降に連絡するとメールがありましたが、永富さん、確認してみてください。 ついでに、研究室整理・清掃のアルバイト募集は好評のうちに締め切りました。応募者には日程等、後日御連絡致します。なお、本の整理をはじめているので、まだ『歴史評論』などの雑誌やゼミで購入した以外の本を持ち出されている方は、至急ご返却下さい。
新たな同じ誕生日の人見つけ♪ 谷垣 有香 2004/01/19(Mon) 17:19 No.1034 私も2月23日生まれです!!結構いるものですね~同じ誕生日の人って。ちなみに私は中・高と同じ誕生日の人が1人ずついました。この日は徳川綱吉の誕生日なので、それを知っていた友達からよく「犬好きだろ?」といわれてましたが・・・私は犬が苦手です。あと、誕生花に沈丁花があるのですが(誕生花は結構本によって違うのです)、その花言葉は「不死不滅」。そのことを言うたびに「確かに死にそうにないわ」と言われ続けています^^;
ちなみに. 鈴木 潤 2004/01/19(Mon) 21:43 No.1039 僕は3月1日生まれです。かなり近いところに密集していますね☆伊勢関連の話ですが現1回生・2回生で運転免許を持っている人ってどのくらいいます?
Re: ゼミ旅行(ええじゃないかツアー2004)... 永富絵里子 2004/01/19(Mon) 23:17 No.1041 お誕生日ラッシュですね~それはぜひ「お誕生日会」を開かなければ(笑)谷垣さん>旅行、参加してほしかったんですが残念です。次の機会にはぜひ参加してくださいね♪貴重な経験(いろんな意味で☆)ができること間違いなしです。
誕生日… 平田樹理 2004/01/20(Tue) 21:59 No.1049 話題に乗り遅れてしまいましたが、私も二月二十二日生まれです。それだけなんですが…(死)早生まれは年取るのが遅い気がして嫌だったんですが、この年になると嬉しいものですね。
誕生日!! 廣政 愛 2004/01/21(Wed) 13:37 No.1053 私はエイプリルフール生まれです。夜中の23時47分に生まれたそうです(病院の時計ってどれくらい正しいのでしょうか)。あれって生まれてきた日を少しくらいなら操作することができるそうですね。例えば、2月29日生まれだけれど3月1日生まれたという事にしてやってくれとか、12月30日生まれだけれど1月1日がいいとか。親の意思ですけれど。私の場合1日違いで学年が変わるので、今思うとちょっとこわいです。母も病院で聞かれたそうですが、そのままでいい、との事で。今幸せなので、4月1日生まれで良かったです。いいんです、遅すぎて友達から忘れられてたって。(泣)
あけましておめでとうございます 尾形勝之 2004/01/14(Wed) 22:01 No.1001 模範教授のようなお姿拝見いたしました。着々と前進されていますね。私の方は相も変わらずやる気のない模範教師です。インターネットはいつものサイト(エヘヘヘ)を見るためにしか利用していなかったのでメールするのも久しぶりです。 ”茶髪(の指導)なんてどうだっていいじゃないか”と思う日々。仕事を忘れるために別なものに夢中になろうとしている自分。バスつり、ガーデニングも下火。研究室のそうじのバイトでもやろうかと…。 長男は小6、次男は小1です。小さい子は本当にかわいいですね。家に帰って頬ずりするのが楽しみで、心が癒されます。子供は嫌がってますが。本当、不思議ですね。薬(シャブ)みたいなものです。ただこれももうすぐで終わるんですね。寂しいなあ。禁断症状が出そうです。今は、柏西高校に勤務しています。でも、そろそろ転勤かと思います。 また、いいバイトがあったら紹介してください。それでは、また!
「相棒」 野口 実 2004/01/14(Wed) 22:56 No.1002 おっ!なんと、尾形さんではありませんか。こんなところで、お目にかかれるとは! みなさん、尾形さんを御紹介しますと、小生が千葉県の流山東という新設高校に勤務していた、かれこれ○○年前・・・というより田中さんが生まれた頃、新任で赴任してこられてクラス担任のパートナーとなった先生です。小生を高校教諭の頃から(いささかの揶揄を籠めて)「教授」と呼んで下さった唯一の人物でもあります。 尾形さんは、修学旅行の引率で安芸の宮島に行ったとき、生徒がシンナーを吸って、大騒動のさなか、いくらたたき起こしても眠り続けていた豪傑でした。なにしろ、尾形さんの、何事にもとらわれない大物ぶりには随分と精神的に助けられたものです。実家は福島の大きなお米屋さんで、お米の配達に使うような頑丈な自転車で通勤されていました。風体はというと、よく似た人がイギリスにおりまして、それはMr.ビーンとかいう名前の方です。ビーンを演じているローワン・アトキンソン氏もオックスフォードかケンブリッジ出の俊秀とのことですが、尾形さんも東北大学で理論物理学を学んだと言うから、驚きです(失礼!)。ついでに言うと、本当は医者になるつもりで自治医科大学を受験したのですが、面接の際にひどい二日酔いで、めでたく不合格になったというお話をうけたまわったことがあります。 小生、千葉県公立高校教諭を7年間つとめましたが、尾形さんのような大物教諭はほかに類をみませんでした。当時管理教育で悪名の高かった千葉の教育界に、尾形さんのような仙人みたいな先生がいたのは奇跡としか言いようがありません(もう一人、癒し系の、こちらはMr.ブーに似た英語の先生がおられましたが。ちなみに、小生は当時、面相の一部が中村雅俊に似ているということで生徒<正確にはごく一部の男子生徒>に人気がありました)。それゆえに、尾形先生の存在によって生徒(リーゼントの悪童)たちはとても救われたことと思います。小生もそうでした。 教員免許取得を目指すみなさん。教職課程科目のレポートを書くときには、尾形先生に取材するといいかも知れませんよ。 教科指導では抜群の実力を有しながら、普段はそれを能ある鷹のように隠している。それが、尾形さんでした。 それにしても、尾形さん。お久しぶりでした。研究室の掃除のバイトに本当に来てくれませんか。でも、そのころは高校入試の最中だと思いますよ。それから、柏西高校に優秀な生徒さんがいたら、どんどん京都に送りだして下さい。そして、そのうち、京都に遊びにおいで下さい。ゼミ有志で歓迎プロジェクトチームを発足させてお待ちしますから。 なつかしい方から思わぬ書き込みを頂いたので、また蟄居謹慎を忘れて出てきてしまいました。ほとんど私用にて失礼いたしました。論文は一向に進んでおりません。つらいところです。
京都冬の旅 野口洋平 2004/01/12(Mon) 18:57 No.995 現在市内の寺院を中心に恒例の非公開文化財特別拝観、京都冬の旅が行なわれています。冬の旅は毎年一月から三月末まで京都市内の社寺が、普段公開していない塔頭やお茶室などを特別に公開する催しです。今年僕が所属する団体は東福寺の光明院を担当しており、僕も13日と15日半日だけガイドに入る事になりました。もし興味のある方いらっしゃいましたら、是非これを機会にお越し下さい。連絡いただければ無料で通す事もできます。しかし今回は急な話でもあり、皆さん試験勉強などの関係で行けないという人も多いかと思います。そこでまだ先の話になりますが、三月にまた去年のような史蹟見学会を開きたいと考えてます。場所は冬の旅のお寺を中心に考えていますが、何かリクエストがあれば考慮しますので遠慮なくどうぞ。まだまだ先の話にはなりますが、僕もこれが実現できるよう勉強に励みたいと思います。gucci_0529@vodefone.ne.jp 野口
あのー・・・ 元木泰雄 2004/01/12(Mon) 01:27 No.992 なめかわさん、なかなか面白いレポートを有難うございました。あのー、私の歌はカラオケにお付き合いいただいている方には珍しくはないはずですがね・・。そりゃ、フランク永井に水原弘に、裕次郎にナットキングコールでは古すぎるでしょうけど。あとは藤山一郎にディック・ミネ、それに美空ひばりに谷村新司あたりですが。よかったらどなたか歌会始ならぬ、歌い始めにお付き合いください。それはともかく、去年末からなにやら神戸づいております。12月23,24両日の神戸探訪ですが、近藤氏によるとご先祖のご加護ではないかというくらいの好天で、温暖、無風の好コンディションでした。なめかわ報告にない部分を少しフォロー致します。食べてばかりいたわけではありませんので・・・。23日は13時過ぎに山陽電鉄須磨浦公園に集合しました。当日の参加者は、兵庫県史の元職員で、武蔵七党庄一族の末裔,庄洋二さん、当方の京大の同級生小林基伸氏、府立総合資料館の職員で、「平氏家人表」の執筆者西村隆氏、それに美川、近藤両氏、そして立命の佐古、滑川、龍大の吉田の諸君、それに当方の9名です。まず、駅西方の敦盛塚に参りました。もちろん時代は下るのですが、巨大な五輪塔に敦盛や平氏一門に対する深い追慕の念を痛感しました。ついで、ロープウエイと、カーレールなる代物で須磨浦の山上に上りました。少しもやでかすんで景色がもう一つだったのは残念でしたが。須磨背景の山脚の急峻さ、須磨の海岸線の狭さは痛感されたしだいです。近藤氏によれば、こうした断崖は三浦半島では珍しくないとの事で、佐原義連が断崖を駆け下りることを主張したことは納得できる由。ただし、崖を何百キロもある馬を背負って下りるのは、300キロを持ち上げた体験から不可能と伺いました。これから武士論をやる人は、武具の重さを体感できる人でないと無理なのかも?それにしても、展望台では、須磨から生田の森までの遠さはどのように理解すればいいのか、という議論が交されたことでした。再び駅に戻り、今度は東に向かって、海岸に立つ「戦闘の浜」(多分、一の谷合戦のことでしょうが)の碑をみて、今度は山道を登り、安徳内裏跡を見学。隣接して、和宮像とモルガンお雪が立てたという灯篭を見物、今度は山道を下ると、一の谷不動という、洪水で流されてきたという南北朝時代の不動明王の摩崖仏を発見。ついで、須磨駅近辺で村上帝神社という、藤原師長を祭る神社に遭遇。案内の出ていないこうした寺社とのい出会いは、歴史散歩ならではのことと思います。さらに源氏寺などという曰くありげな寺院に出くわし、さてこそと思えば、何のことはない光源氏の須磨閑居にちなんだ寺の由。かつて、源氏物語に平家物語以上の合戦、武勇談を期待されて愕然とされた野口先生の御落胆と同様の失望を味わいました。ついで須磨寺。敦盛の首塚、青葉の笛、その他の宝物については近藤先生の御解説に従うばかりです。ついで山陽須磨寺駅に向かう途中に、重衡が囚われた場所と言う石碑がありました。捕えたのは庄さんのご先祖の由。山陽電車、神戸高速鉄道を経由して三宮。生田神社を見学。名前ばかりの生田の森を見て、なめかわさんが詳しくご紹介された吉膳に行きました。近藤氏の弱点?は牡蠣が食べられないこと。それに長時間の徒歩が苦手なこととお見受けしました。超人にも意外な弱点がおありなようですね。その晩はルミナリエの最中。お帰りの方々は電車が込んで大変だったことと思います。単なる観光行事ではなく、震災の慰霊だということを忘れないでほしいものです。まさに一瞬の出来事で、多くの生命が失われた意味、そして当方にとっては同様の危険に遭遇しながら生き残った意味を考えずにはおられません。翌日は、近藤、美川両氏、それに竜大の吉田君の四人で見学を致しました。まず、布引の滝。これで美川氏は帰京。ついで地下鉄で大倉山に行き、例の堀を見に行ったらすでに埋めた後で近藤氏はがっかり。近くの昌園という中華料理で昼食。南京町に本店がある名店ですが、やや少量でした(近藤氏はチャーハンを追加、その後でお変わり自由と聞き憤然)。荒田八幡、湊山小学校の雪見御所の碑、祇園遺跡、平野展望公園から眺めを堪能して、タクシーで兵庫へ。能福寺の忠快の石塔、清盛の墓?等、真光寺の一遍の墓、そして清盛塚、その南の薬仙寺、運河沿いに歩いて築島寺(ただし無人のため施錠中)を経て、地下鉄で居留地に行き、三宮神社で河原兄弟の碑を見て、16時ころ。そろそろルミナリエ見物の観光客で混み始めた神戸を後にしました。その晩は、四条の木曽路で上横手、井上満郎両先生と美川氏を交えて一次会、ついでサントリーバーで観世流能楽太鼓方の井上敬介氏、門下生で同志社卒業生の澤田さんを交えて二次会と相成りました。二日付き合って、当方はダウン。ただ、布引のロープウエイに乗ると、西側に山が張り出しているのが分かりました。昔の海岸線はかなり山に近かったでしょう。そう考えると、生田は西の須磨と並ぶ要害で防御線だったのではないでしょうか。生田と、安徳内裏はかなりはなれ、その間は空白だったのではないか。しかし、有馬街道のように,北側に抜ける道には守備隊を配置していた、そのために義経は須磨浦の平氏本拠のすぐ裏まで移動して、そこから奇襲せざるを得なかったのではないか。近藤氏の推察です。10日の緊急シンポ。まことに盛会で何よりです。堀は緊急に掘削したのかどうか、根本的な問題から問い直され、まさにシンポが議論の出発点になりました。遺跡保存の第一歩になってもらいたいものです。第二回も計画中の由、今度は各地の武士の邸宅の発掘事例の比較検討が必要かもしれません。ちなみに夕食の六甲苑の中華風寄せ鍋は一食の価値有りでした。ついでに、あの日の朝、当方のベルトが壊れ冷や汗をかきました。高橋昌明先生は、紐で結べとか仰ったのですが、そういわれても・・・。上手くごまかせましたかね。嘘ばかりついているという清盛のたたりでしょうか。
追伸 元木泰雄 2004/01/12(Mon) 19:52 No.996 本当はなめかわさんのレスとして作成したのですが、どういうわけか別個に掲載されてしまいました。ご容赦ください。須磨寺の件、一の谷の地形と義経の行軍の問題など、近藤先生より書き込みをお願いします。
平家物語研究会 野口 実 2004/01/12(Mon) 20:50 No.997 元木先生から、論文の典拠にも使えそうな内容を含む書き込み、また滑川さんからは、楽しい神戸グルメ報告をいただいて、蟄居謹慎中にもかかわらず、つい顔を出したくなりました。一ノ谷は去年9月の平家物語研究会の史跡調査で、ゼミの皆さんも、ほとんどの方が歩きましたよね。あの時もそうでしたが、滑川さんが気になったという敦盛塚のおそば屋さんはいつも閉まっていますから、今はどうも営業していないようです。ところで、敦盛塚というと村井康彦氏『平家物語の世界』(徳間書店)に紹介されたモラエスにまつわるエピソードを思い出します。いい話なので、ぜひ、読んでみてください。それから、須磨寺の参道に「敦盛だんご」というのがあったのを覚えていますか?歩きながら何人かの人にはご馳走しましたよね。あれはなかなか美味い。長老山本君が伊藤さんと仲良く一串を分け合って食べていた姿は実にほほえましかったです。モラエスとおヨネを連想してしまいました。ちなみに、近藤先生はこのおだんごを召し上がられたのでしょうか。10串くらいは簡単にいけることと思います。話は変わりますが、昨日、東京で平家物語研究会がありました。源先生にも久しぶりにお目にかかり、昨年のお礼を申しあげることが出来ました。また、兵藤先生には、今年六月の公開講座での講演をあらためてお願いいたしましたが、さあて、そのころ、この3月で卒業・修了予定のゼミの諸君はどのような境遇におられることか。失礼な言い方で恐縮ですが、ゼミの皆さんにたいして、こと学問とか研究の面で、このところ、ちょっと手綱を緩めすぎたかなと、反省しています。現実は実に厳しいのです。甘く見てはいけません。あまり楽観視してはいけません。自らへの戒めもこめて、年頭に当たり、このことをしっかりと確認しておきたいと思います。
少しの補足 近藤好和 2004/01/14(Wed) 00:09 No.999 元木先生、その折はお疲れ様でした。さて、私の書き込みをというご要望ですが、元木先生の詳細なご報告で坂落としに関する私の考えの基本線は尽くされていますが、少し補足すると、戦略的には場所は須磨浦山上で良いのでしょうが、『平家物語』によれば、坂落としは二段階になってます。つまり途中に平坦地があり、そこまで落ちて、また落とすという形です。しかし、須磨浦山上の地形はそのようになってはいないようでした。また、樹木の問題もあります。現在のように樹木が生い茂っていたのでは、平地でも騎馬で行くのは困難です。それに関わって、坂落としの地面が土か岩かの問題もあります。『平家物語』によれば岩のようですが、現状の地形は岩ではないようです。土ならば樹木が生い茂っているでしょうが、禿げ山だったかも知れず、禿げ山だった場合、土と岩でどちらが騎馬で降りやすいかも考えなければならないでしょう。いずれにしろ、史料は『平家物語』しかないわけですから、諸本を校合して考えるしかないですね。なお、現在私が参加している歴博の共同研究・展示プロジェクト委員会のメンバーに、植生による景観史をご専門にしている先生がいます。京都精華大学の小椋先生ですが、その先生にうかがってみるとかつての植生が分かるかもしれません。 一方、須磨寺での一件ですが、かつてはよく元木先生とカラオケをご一緒したので、私には自然でした。元木先生は歌がお好きで上手いのです。それにしても、最近はカラオケをご一緒しなくなりましたねえ。ちなみに、私もカラオケは大好きです。 ところで、最近、スポーツ界では古武術の動きを見直す方向にありますが、古武術の動きは私の専門とする(?)パワーリフティングだけでなく、戦闘論の考察に役立ちます。これは当然のことで、中世の戦闘はまさに古武術そのものですからね。
源平合戦あれこれ 元木泰雄 2004/01/14(Wed) 10:25 No.1000 近藤先生、有難うございました。今の一の谷の植生、地形と平家物語の叙述との対比は、なかなか興味深い問題と思います。地形に関して言うなら、神戸は洪水などの多いところですから、崩落などによる変化も考えられますが、我々はロープウエイから少し東を見ただけですから、さらに探せば合致する地形も存在するのかもしれません。さらに、文献の問題ですが、玉葉に出てくる、多田行綱が最初に山手を攻め落としたという記述も、平家物語などとどのように整合させれば良いのか、大きな問題として残っているように思います。近藤先生とは、屋島、それに野口先生が先日ご覧になった壇ノ浦を見学し、大河ドラマ開始前に義経の本を出そうという欲深い計画をしているのですが、3月ごろに実行しますかね。その前に、一度カラオケ大会も宜しいですね。後期は8コマの講義で、すっかり喉をいためてしまい、しばらく自重していました。休み中にでも一度。ところで、福原シンポの報告は、当方のを除いてどれも面白かったのですが、一番興味深かったのは須藤さんのご報告で、治承4年11月11日の新造内裏行幸の記事を地形と照合しながら分析された部分では、思わずうなって臨席の藤田裕嗣先生に変な顔をされてしまいました。それはともかく、あの分析の最後の入道太政大臣亭の解釈、当方も史料を読んだ限りでは須藤さんと同じ解釈だったのですが、高橋説にも一理あり迷っております。内裏行幸と冒頭に称しているのだから、あえて入道太政大臣亭と書くのはおかしいという認識で須藤さんと意見は一致したのですが、すぐ門に入ったようにも取れ、微妙です。広くご意見を頂きたいと思います。ちなみに須藤さんは近藤先生の大学の御後輩の由です。
1000番は元木先生の手に。 野口 実 2004/01/14(Wed) 23:44 No.1003 元木先生。記念すべき書き込み1000番をゲットされました。 当HP管理人の鈴木君が1000になったら何かイベントをやろうかとか、言っておられましたね。今日研究室に見えた永富さんは、元木組と野口組に分かれてカラオケの歌合戦をやりましょうと、仰っていました。元木先生もやる気満々の御様子ですから、何か相当実現性が高そうなあんばいですね。私も昔手にしたギターなど引っ張り出して・・・と、論文が書けないとつまらないことを思いつくものです。 それにいたしましても、元木先生、これも何かの因縁。今後ともゼミメンバーの御指導、よろしくお願い申しあげます。
Re: あのー・・・ 元木泰雄 2004/01/15(Thu) 00:23 No.1006 ちょうど1000番の「キリバン」を当方のような部外者がゲットしてしまい若干申し訳ないような気分です。まあ、当方の授業に参加された方も多いようだし、ご勘弁願いましょう。春休みくらいはパ-ッと発散したいものですね。一度、その歌合戦でもやってみましょう。楽しみにしております。ところで、福原シンポについてのご意見ももっといただければと思います。ともかく、今後とも宜しくお願いします。
一ノ谷合戦時の福原の機能は? 野口 実 2004/01/15(Thu) 14:55 No.1007 シンポで神戸大名誉教授の田淵先生は、二重堀が臨戦態勢の中で急造された可能性が高いとの意見をのべておられたように思いますが、櫓と考えられる建造物も遺構の様子から、やはり急造の可能性が高いようです。その時期を特定するならば、都落ち後いったん九州まで後退した平家が勢力を盛り返して福原に復帰し、源氏との合戦を想定していた時期ではないでしょうか。とすれば、一ノ谷合戦のときにあの堀や櫓はどのように機能したのか、はたまた平家の本隊や安徳天皇はどこにいたのか、そんなことが問題になろうかと思います。海上にあったとの説や一ノ谷の安徳天皇御所跡の伝承もありますが、生田の森・一ノ谷・三草山という平家方の布陣と防御態勢をふまえると、その中心に福原が位置するように思えます。 一ノ谷の合戦が実はかなり広いエリヤで展開されたことは、喜田貞吉氏以来の定説ですが、この点については国文学の研究者が深められており、佐伯真一先生・早川厚一先生がすぐれた考察を加えておられます。どうでしょう、この福原の辺りは合戦のときにどんな状況だったのか。 それから、小生が関心をもっているのは二重堀です。このような堀の例が伊勢平氏の本拠地で検出されていること。また、シンポで高橋昌明先生も指摘されていましたが、清盛が洛外の法性寺一橋の近く(HP管理人鈴木君の家の近くですよ)に二重の堀をめぐらした城郭を築いた話が『平家物語』に見え、あるいはこのような二重堀は伊勢平氏独自の構築形態なのではないかと思われるからです。シンポ会場で、同志社の鋤柄先生は軍事的意図にたいして否定的な見解を示しておられたように思いますが、規模は異なるものの奥州合戦のときに平泉藤原氏が構築した堀も二重であったこともあり(東北大学柳原先生からの情報によると福島県会津地方にも例あり、越後城氏関係か?)、この時代の二重堀にすこしこだわってみたいと思っています。幸い、京女には前任大学が三重大学で津市にお住まいの稲本紀昭先生がいらっしゃいますので、先生に二重堀の出た「雲出島貫遺跡」を発掘調査され、多くの研究成果を発表されている伊藤裕偉氏を御紹介いただくことをお願いすることができました。稲本先生や伊藤氏からいろいろ御教示をいただいて、考えてみたいと思っています。ちょうど、ゼミ旅行でも伊勢が企画されましたので、このとき伊藤氏のお勤めの斎宮歴史博物館や伊勢平氏関連の史跡を回りたいと考えております。 それにしても、福原と六波羅・鎌倉の地形、空間構造がそっくりなのには驚かされます。祇園遺跡と有馬道の関係を六波羅東南角の小松殿と渋谷越えに置き換えると、専売病院の積翠園は重盛邸庭園遺構としてもおかしくはないと思えます。発掘調査をしてみれば、はっきりするのですが。花園大の山田先生は、どう思われますでしょうか?
伊勢 長村祥知 2004/01/16(Fri) 01:04 No.1016 花園大学の山田先生ではありませんが、お話の関係上割り込ませていただきます。福原のシンポジウムは、個別報告を興味深く聞かせて頂きながら、討論を前に神戸を去らねばならず、大変残念でした。少し話が外れるのですが、私、来る伊勢へのゼミ旅行で、副幹事として事前学習及び見学予定史跡のリストアップを拝命いたしました。野口先生に加えて、美川先生にもご一緒させていただけるようなので、日本史専攻に相応しい準備をしたいと考えております。そこで、本HPをご覧の皆様に広く情報提供をお願いする次第であります。私、京都府に生まれ育ちながら、ほとんど伊勢の事は知らないので、小さな情報でもお待ちしております。この場をお借りして、野口先生へ。今日、研究会の後、元木先生と焼肉の南大門とサントリーバーにご一緒させて頂きました(変な場所でお礼してすいませんが、元木先生ご馳走様でした。大変美味しく、弾んだお話も楽しかったです)サントリーバーで元木先生から、上にも話題に登っている「元木先生キリ番ゲット!記念歌合戦」の正式な果たし状をお預かりしました。元木総大将は、六甲おろし他多数の戦術を用意されているそうです。もしかすると、元木軍からは侍大将の佐伯さんが参戦してくださるかもしれません。さて野口ゼミからは、野口先生のギターを陣太鼓代わりに、誰が討手を務めるのでしょうか。
歌合戦、付福原の堀と櫓 元木泰雄 2004/01/17(Sat) 01:12 No.1022 長村君、焼肉の影響でちょっと興奮気味では?「果し状」は、いくらなんでも言いすぎです。武士の合戦より、歌合せのつもりで優雅に参りましょう。でも、当方の蛮声はやっぱり合戦の名乗りみたいなものですかね。六甲おろし、ナット・キング・コールでモナリザか何か、それに昴あたりを予定します。余談ですが、次のコンパは、小料理の住吉か、天ぷらのかふうにしましょう。福原の話ですが、堀は緊急に掘削されたにしても、多数の瓦器が出土するなど、生活のあともあるようです。治承三年政変か福原遷都後の緊張状態の中で、掘削されたのではないかと思っております。櫓は、もとの建物を破壊して作られたらしいようですから、こちらは一の谷合戦のころに、すでに焼亡した邸宅後に作られたのかもしれません。櫓とすれば、ですが、邸宅の端にあるべきと思いますが、堀より大分北になっております。これも、堀と櫓が別に存在したことを物語るのではないかと思います。いかがでしょうか。
昨年の神戸グルメ探訪記 なめかわあつこ。 2004/01/11(Sun) 20:56 No.990 皆様、新年あけましておめでとうございます。遅ればせながらご挨拶申しあげます。今年も宜しくお願い申し上げます。今回は昨年体験した12月23日一の谷見学会後に行われた神戸グルメ探訪記についてレポートさせて頂きたく思います。23日はとてもいい天気で見学会日和でした。午後に須磨浦公園駅に集合しました。始めに敦盛塚を見たのですが、その傍にあった「敦盛そば」というお店が何故か気になりました。この日は閉まっていたのですが、営業しているのでしょうか??それから展望台へ足を運びました。ロープウェイはともかく、「カーレール」なる乗物は一体何なんでしょう?乗物の形から「選別されてかごに詰められベルトコンベアーで運搬されるみかん」の気持ちが解ったような気がします(笑)。展望台から見渡す街や海は最高でした。明石海峡大橋がかすんであまりはっきり見えなかったのが残念でしたが…。須磨寺ではちょっとしたハプニングがありました!!何と、元木先生がお歌を披露して下さいました!!須磨寺境内にある石碑が「青葉の笛」(歌の方)を紹介しており、ボタンを押すと曲が流れるしくみになっております。ご存知の方もいらっしゃるでしょう。近藤先生の「伴奏」(ボタンを押した)で元木先生がお歌いになられたんですよ~!!小声で歌っていらっしゃったのですが、感情がこもっていました。録音してこの掲示板にて試聴できるようにしたら良かったかもしれません(笑)。この他にも色々回りましたが、神戸グルメ探訪記執筆のため割愛させていただきます。あしからず。今回のグルメスポットは神戸元町です。神戸の街を歩いたのはこの時が初めてでした。お店は「創作料理 吉膳」さんです。お座敷でお料理を頂きました。このお店は、お料理をいっぺんに出すのではなく、一つ一つ丁寧に出して下さっていたので、食べる方もしっかり味わって食べる事が出来ました。中でもここのお料理で一番美味しかったのが、「牡蠣の味噌鍋」と「パスタ」です。牡蠣の味噌鍋は、和紙で作ったお鍋が印象的でした。牡蠣も去ることながら、そのスープは大変まろやかで残すことなく全て頂いてしまうほど美味でした。パスタは、バジルとオリーブオイルをふんだんに使ったボリューム感のあるものでした。ここのお店のお料理の中で一番人気があるメニューだそうです。この二品を召し上がっている時の皆様は、「無言」でした。食べている時の音しかなかったような…。食欲旺盛な近藤先生のため(?)炒飯を追加注文致しました。この時食欲旺盛だったのは近藤先生だけではないですよ。かく言う私もこの日は近藤先生に負けず(?)大変食欲旺盛でした。基本的には食べることが大好きなので。ところで皆様はどんな「学校給食の思い出」をお持ちでしょうか??美川先生がお話されていたのですが、今では高級品のくじらの肉が給食に出ていたのですね。とても固いものだったようですよ。給食が食べれなかったりすると、昼休みもその後の掃除の時間も席に縛り付けられている子とかいませんでしたか?近藤先生は、そうした子の嫌いな物を食べてあげていたとおっしゃっていましたので。私は月一回憂鬱なメニューがありました。別に嫌いではないのですが「なめこ汁」があって、毎月もらう給食の献立が「滑子汁」(漢字として正しいのでしょうか?)と表記しているため、クラス内だけではなくクラス外あるいは上級生(特に男子)にまでバカにされました(泣)。バカにした人間に対する「制裁」についてはノーコメントです(笑)。世代の違う方々とお話する時の話題として、「給食」ネタは結構楽しいものですね。本論に戻しますが、ここのお料理も去ることながら、お世話して下さいましたお店のママさんがとても素敵な方でした。一つ一つのお料理を平らげる姿を見て「全部召し上がってくれて嬉しい」と喜んで下さったのは私自身も嬉しかったです。最後に、企画下さいました元木先生、現地をご案内下さり色々お気遣い下さいました庄さん、この企画に参加され、色々楽しいお話をして下さいました先生、先輩方にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。ついでに、先日髪を短く切りました。少し若返った気分です。自分では漫画「あさりちゃん」の中の登場人物・タタミちゃんみたいと思うのですが…。ご存じない方はネットでご確認下さい。長々と駄文を書いてしまい申し訳ございません。ここらで失礼させていただきます(落語風に「ぺこり」とお辞儀)。
Re: 昨年の神戸グルメ探訪記 鈴木 潤 2004/01/12(Mon) 00:11 No.991 ボリュームのある投稿で、読むだけでもおなかいっぱいになりそうでした。 問題の“なめこ”ですが、広辞苑では「滑子」との記述がありました(ATOKでも一発変換でした)。 給食には僕もいろいろ思い出があります。給食後すぐに掃除だったのでほこりまみれで食べていたのを思い出します。今思うと、食べるのが遅かった理由は給食時間中にしゃべりすぎていたのではという事です。その時のトラウマのせいか今ではかなり食べるのは早くなりました。 和紙のお鍋は、あれは電磁調理器の発達のたまものですね。山本さん家で鍋パーティの計画があるみたいなので、その時は和紙の鍋がよさげですね。<片づけ楽なんで。 カーレーターだったと思いますが..あれはれっきとした「新交通システム」みたいです。ネット上ではエスカレータ式車いす昇降機と書かれていましたが、営業しているのは須磨浦公園だけでしょうか。(乗り物だいすきっこなので、一度いってみたい)あまりしゃれたレスが出来ませんが、とても楽しめました。