栃木県小山市に小山氏関連の調査に行ってきました。

No.10327

 2月28日(午後)~3月1日(全日)、栃木県小山市とその周辺地域(野木町・結城市)に、寒河尼および野木宮合戦関連を中心に、中世前期の小山氏関係の史跡調査に行って参りました(藪本君と山本さんに御同行頂きました)。

 地元を熟知された研究者に自家用車で御案内頂いたので、多くの史跡を最新の研究に基づく解説付きで見学する事が出来、大変な収穫でした。

 見学先を列挙すると、2月28日は、網戸神社(もと胸形神社の説あり)・寒河尼墓所(供養塔)→長慶寺(網戸氏館跡=網戸神社の西隣)→龍樹寺(寒河氏館跡)→胸形神社(巴波<うずま>川東岸)→思川旧河道→野木宮合戦古戦場(渡良瀬川遊水地周辺)→野木神社→千駄塚古墳(鎌倉街道・奧大道)→お鍋塚→安房神社(粟宮)→満願寺(勝長寿院・小山政光逆修塔)

 3月1日は、神鳥谷(ひととのや)曲輪→西林寺(親鸞に帰依した下河辺氏開創という)→船場(通交税収入)→鷲城跡(巨大な塁壁・思川と奧大道に挟まれた要衝)→<昼食>→中久喜城跡→(和談坂)→結城廃寺跡→城の内遺跡(結城氏館跡)→東持寺(山川氏館跡)→長福寺城跡→須賀神社→持宝寺(東醍醐山、弓削道鏡の草創という)→市役所(小山評定跡)→寒河尼・小山政光像→天翁院→祇園城跡

 中世の全期にわたる小山氏一族の活動の痕跡が各所にのこされているのには驚かされました。小山は、奧大道と思川水運に規定された軍事・交通・経済活動の要衝であると共に文化・情報の集約される空間として大変興味深いところだと思いました。
編集:2014/03/03(Mon) 10:09

小山氏関係遺跡

金澤正大
No.10345

小山氏関係遺跡を見学されたとのこと、その見学先を見て、30年前に夏休みを利用して、『吾妻鏡』原典史籍研究会後、小山氏関係史跡を巡ったことを思い出しました。その秋には一人でその時巡れなかった遺跡を歩いたものでした。この時の報告を
「中世武士団小山・長沼・結城三氏の鎌倉時代城館跡」『政治経済史学』220号1984年11月
で発表しています。
また、神鳥谷曲輪に関しては、2007年夏の小山市教育委員会の「神鳥谷曲輪(ひととのやくるわ)現地説明会」に行って、再度見学した際のことを「「神鳥谷曲輪」城館遺跡―歴史雑感〔8〕―」と題して、ブログに載せてあります。
http://kanazawa45.wordpress.com/2007/08/12/%E3%80%8C%E7%A5%9E%E9%B3%A5%E8%B0%B7%E6%9B%B2%E8%BC%AA%E3%80%8D%E5%9F%8E%E9%A4%A8%E9%81%BA%E8%B7%A1%E2%80%95%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E9%9B%91%E6%84%9F%E3%80%94%EF%BC%97%E3%80%95%E2%80%95/

小山氏族に関してもその内発表しなければいけないと思っていますが。

御教示に感謝致します。

No.10347

 金澤先生、貴重な情報をありがとうございます。
 『政治経済史学』を調べてみたら、以前拝読させて頂いた形跡がありました。

 近年、中世城郭に対しての関心は一般の方たちにも広まっておりますので、ぜひ御著書などの形で成果を還元して頂ければ有り難いと存じます。

新しいメンバーも加わり、『紫苑』のゲラも再入稿しましたし。

No.10288

本日のゼミは共同研究室が蔵書整理中のため、私の研究室で行いました。嬉しいことに奈良女子大から新しく参加された方もあり、私も含めて9名で少し窮屈でしたが、講読した『吾妻鏡』の記事はなかなか面白いところでした。
 
 『紫苑』の初校ゲラも入稿。池嶋編集長が頑張ってくれました。
 また、岩田君から「お雛祭り」近しということで、御菓子の差し入れもいただきました。ありがとうございました。
 
 私も、本日でようやく年度の研究関係の事務処理に見通しをつけることが出来ました。
 明日は栃木県の小山市に調査に出かけます。ありがたいことに、現地の研究者の方が車で御案内下さるということなので、大きな収穫が期待できそうです。
 心配なのはお天気ですが、まさか先般の大雪のようなことにはならないいでしょう。

 ☆ 執筆を担当された関幸彦・岡田精一・菊池紳一・角田朋彦・久保田和彦・高橋典幸・長村祥知の七人の先生方から、関先生編の『武蔵武士団』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 先生方にあつく御礼を申し上げます。
 当ゼミ古参メンバーである長村君が執筆を分担されているのが、私には大変嬉しいところです。

三月の雪-次回の『吾妻鏡』-

No.10293

 少しずつ春の気配も感じられる季節になってきましたが、『吾妻鏡』のほうも「京女の方限定ではない」感じになってきました。もうしばらく、いままで読んだ条文の振り返りをやっていきたいと思います。
 3月は、6日、13日とそのほか何回か開催予定です。

 次回の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2014年3月6日(木)午後1時頃~(予定)

 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:頼家・実朝期の振り返り

 ※しばらく“振り返り”を続けていきますが、それが終わった後の範囲は以下の通りです。
     承元四年(1210)正月一日、二月五日・十日・二十一日、三月十四日・二十二日、四月九日・十九日、五月六日・十一日・十四日・二十一日・二十五日、六月三日・十二日・十三日・二十日、七月八日・二十日、八月九日・十二日・十六日、九月十一日・十四日・三十日、十月十二日・十三日・十五日、十一月二十二日・二十三日・二十四日、十二月五日・二十一日の各条
     承元五年(建暦元年、1211)正月十日、閏正月九日、二月二十二日、三月十九日、四月二日・十三日・二十九日、五月四日・十日・十九日、六月七日・二十一日・二十六日、七月四日・十一日、九月十二日・十五日・二十二日、十月十三日・十九日・二十日・二十二日、十一月二日・三日・四日・二十日、十二月一日・十日・十七日・二十日・二十七日の各条
 
 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。「授業がない期間にも史料読みたいな…」という方は、まずは見学からでも、どうぞご自由にご参加ください。
 京都女子大の方限定ではありませんよ。

「スキャンダルの日本史-古代・中世編-」

No.10285

 今春の京都労働学校「日本史講座」の御紹介です。
開講時間 午後6時30分~午後8時30分

【各回のテーマと担当講師】
① 4/14 「称徳天皇と道鏡-本当に皇位をねらったのか-」井上 満郎(京都産業大学名誉教授・京都市歴史資料館館長)
② 4/21 「なぜ「薬子の変」なのか-平城上皇の謀叛-」 野口 孝子(同志社女子大学講師)
③ 4/28 「病いがちの天皇-仁明天皇と文徳天皇-」   西山 良平(京都大学教授)
④ 5/12 「法皇襲撃-藤原伊周と隆家-」        佐藤 泰弘(甲南大学教授)
⑤ 5/19 「叔父子説の真相-待賢門院をめぐって-」   美川 圭(立命館大学教授)
⑥ 5/26 「赤裸々な日記-藤原頼長-」         横内 裕人(京都府立大学准教授)
⑦ 6/2 「後白河法皇との君臣合体-近衛基通の生存戦略-」佐伯 智広(立命館大学講師)
⑧ 6/9 「承久の乱-後鳥羽上皇と亀菊-」        野口 実(京都女子大学教授)
⑨ 6/16 「足利尊氏と直冬-父子の相剋-」       花田 卓司(日本学術振興会特別研究員)
⑩ 6/23 「将軍呪詛-足利義教と山門使節-」      三枝 暁子(立命館大学准教授)
⑪ 6/30 「スキャンダルを暴け!-落書と起請-」    野田 泰三(京都光華女子大学教授)
⑫ 7/7 「利休切腹事件-「天下一の茶の湯者」の挫折-」 橋本 素子(京都光華女子大学講師)
⑬ 7/14 「清須会議-織田家の御家騒動の真相-」    尾下 成敏(京都橘大学准教授))
⑭ 7/28 「猪熊事件-公家と女官の不義密通と江戸幕府の公家統制-」佐竹 朋子(京都女子大学講師)
詳しくは↓
http://www.labor.or.jp/gakuen/kouza_school/school_2014haru.html#no4

今週のゼミは早めに集まります。

No.10279

先週のゼミでは岩田君がケーキを用意して下さり、ありがたいことでした。
 27日は、翌日に小山に出かけるということで、開始を早めにして頂きました。13時からとなります。
 一応、共同研究室は15時から使用ということにしていますので、私の研究室にお集まり下さい。お菓子をたくさん用意してあります。

 清文堂の『中世の人物』第二巻ですが、執筆者の皆様から再校ゲラはほとんどお返し頂いたとのこと。私が一番の足手まといになりかねない有様で、嬉しい限りです。
 忙しい時期ですが、刊行に向けて突っ走りたいところです。

 ☆ 滋賀県立安土城考古資料館の山下立先生より、御高論「神像彫刻における男神像とその忿怒表現をめぐって」(『日本仏教史における神仏習合の周辺』)・「武将の神格化と新たな神像の誕生-秀吉の神格化と豊国大明神像成立の意義を中心に-」(『日本仏教の受容と変容』)ならびに先生の御報告を含むシンポジウムの資料などを御恵送頂きました。
 山下先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 国学院大学の森幸夫先生より、御高論「奉行人明石氏の軌跡」(『日本歴史』787)ならびに御高論「奉行人安威資脩伝」掲載の『鎌倉』116を御恵送頂きました。
 森先生に、あつく御礼を申し上げます。

『研究紀要』第27号掲載拙稿の校正漏れについて

No.10266

お詫びと訂正

 京都女子大宗教・文化研究所の『研究紀要』第27号に「十二世紀末における阿波国の武士団の存在形態-いわゆる「田口成良」の実像を中心に-」と題する拙論を発表致しました。
 このところ、耄碌がひどいので、何度も校正の機会を与えて頂き、これなら大丈夫と安心していたのですが、もはや私には「完全」や「完璧」は期待できないもののようで、七「讃岐国の在地勢力と粟田氏」の注5本文が脱落しておりました。校正漏れをお詫び申し上げます。
 そのため、77頁の注4に続けて、下記の注5を加えさせて頂きたく、お願い申しあげます。

(5) 『後白河院北面歴名』は、小松茂美「右兵衛尉平朝臣重康はいた─「後白河院北面歴名」の出現─」(古筆学研究所『水茎』第六号、一九八九年)に紹介されている。なお、ここに京武者や文士のみならず、下野の宇都宮朝綱や伊予の河野通信など、草創期の鎌倉幕府で活躍した地方武士の名が見えることは、拙稿「下野宇都宮氏の成立と、その平家政権下における存在形態」(京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』第二六号、二〇一三年)で指摘したところである。
編集:2014/02/22(Sat) 21:30

春先の『紫苑』の校正の季節-次回の『吾妻鏡』-

No.10268

 『紫苑』第12号も初校が出来しました。それほど時間もありませんが、しっかりと何度も読み返すなど致しましょう(私もがんばります)。
 自分の“目”だけでは不安だ…という場合は(私は不安です)、知り合いの方にお願いしてみるのもいいかもしれませんね。執筆者同士で相互にチェックしてみるというのも、お互いの文章の良し悪しを客観的にみる機会になっていいかもしれません。

 次回の『吾妻鏡』のご案内です。
 開始時間がいつもと異なりますのでご注意ください。

 日時:2014年2月27日(木)午後1時頃~(予定)

 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:頼家・実朝期の振り返り

 ※しばらく“振り返り”を続けていきますが、それが終わった後の範囲は以下の通りです。
     承元四年(1210)正月一日、二月五日・十日・二十一日、三月十四日・二十二日、四月九日・十九日、五月六日・十一日・十四日・二十一日・二十五日、六月三日・十二日・十三日・二十日、七月八日・二十日、八月九日・十二日・十六日、九月十一日・十四日・三十日、十月十二日・十三日・十五日、十一月二十二日・二十三日・二十四日、十二月五日・二十一日の各条
     承元五年(建暦元年、1211)正月十日、閏正月九日、二月二十二日、三月十九日、四月二日・十三日・二十九日、五月四日・十日・十九日、六月七日・二十一日・二十六日、七月四日・十一日、九月十二日・十五日・二十二日、十月十三日・十九日・二十日・二十二日、十一月二日・三日・四日・二十日、十二月一日・十日・十七日・二十日・二十七日の各条

 三月の『吾妻鏡』は、6日・13日に開催予定で、それ以後はまた随時ご相談させていただきたいと思います。 
 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。「授業がない期間にも史料読みたいな…」という方は、まずは見学からでも、どうぞご自由にご参加ください。
 京都女子大の方限定ではありませんよ。

 来月の「隼人文化研究会」で報告をさせて頂きます。

No.10265

 年度末ゆえ、例年のように事務的な作業に追われています。
 まったく、胃が痛くなるような状況。私に、こういう仕事は本当に不向きだと思います。

 さて、明日は『吾妻鏡』の講読会ですが、岩田君からご案内があったように、その途中で、『紫苑』の初校ゲラが届くことになっています。したがって、執筆者はかならず出席のこと。
 
 それから、3月9日(日)、鹿児島の隼人文化研究会で研究発表の機会を頂きました。
 事務局の永山先生よりお知らせ頂いた日程を下に貼り付けさせて頂きます。
 私は上記のような有様で、いつレジュメを完成できるかさえ分からないような状況なのですが、なつかしい鹿児島のみなさまとの再会を楽しみにしている次第です。
  *******************************************
 
        ◇ 隼人文化研究会3月例会(第449回)◇

  1 日時 3月9日(日)10:30~17:00
  2 場所 県歴史資料センター黎明館講座室
  3 報告 午前の部(10:30~12:30)
   ① 成川式土器から律令制期土器様式への変遷過程
        松﨑大嗣(鹿児島大学院生)
   ② 鎌倉時代の千葉氏と薩摩・大隅
        野口 実(京都女子大学)

    午後の部 (13:30~17:00)
   隼人文化研究会・斉興の会合同研究集会
    企画テーマ 「近世島津家と物語・絵巻・芸能――中世文芸の継承と再編―― 」
   ① 鹿児島県歴史資料センター黎明館寄託『〔武家物語絵巻〕』について
         鈴木 彰(立教大学)
   ②『曾我物語絵巻』考 ―近世島津家の絵巻享受と文化環境を探る― 
         宮腰直人(立教大学兼任講師)
   ③ 島津氏領国における幸若舞曲受容の系譜 ―山田聖栄・新納忠増・島津斉興―
         鈴木 彰(立教大学)
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 ☆ 奈良大学の河内将芳先生より、新刊の御高著『戦国時代の京都を歩く』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 河内先生に、あつく御礼を申し上げます。

書類は書くよりも探すためにあるという無益な日々。

No.10256

  13日のゼミの前半は岩田君のポルトガル報告。お土産の御菓子を頂きながら、臨場感抜群でした。
 久しぶりに参加された方のほか、奈良女の学生さんも見学にお出でになったので、なかなか賑やかな会になりました。

 今週は『紫苑』第12号の初校ゲラが届きます。いよいよ校正段階に突入です。
 私はそれ以前に、すでに届いている別件(複数)の山のような校正ゲラを前にして、早くもたじろいでおります。
 同じような書類がやたらと届きますので、紛失してしまわないかと心配でなりません。

 ☆ 鹿児島尚古集成館の松尾千歳先生より、新刊の御高著『西郷隆盛と薩摩』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 来月の鹿児島訪問が、さらに楽しくなりそうです。
 松尾先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 菱沼一憲先生より、御高論「桐生彦部家の足利将軍家旧臣活動」(『国立歴史民俗博物館研究報告』182)を御恵送頂きました。
 菱沼先生に、あつく御礼を申し上げます。
編集:2014/02/15(Sat) 17:40

砂糖をまぶした講読会-次回の『吾妻鏡』-

No.10257

 前回はほとんどの時間にポルトガルの話をさせていただきまして、失礼しました。次回以降はまた普段通りに『吾妻鏡』を読みましょう。

 また、次回の20日は『紫苑』12号の初校出来予定です。その作業により途中に中断を挟むことになるかもしれませんが、あらかじめご了承ください。

 二月の『吾妻鏡』は、20日・27日に開催予定です。 

 日時:2014年2月20日(木)午後3時頃~(予定)

 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:頼家・実朝期の振り返り

 ※しばらく“振り返り”を続けていきますが、それが終わった後の範囲は以下の通りです。
     承元四年(1210)正月一日、二月五日・十日・二十一日、三月十四日・二十二日、四月九日・十九日、五月六日・十一日・十四日・二十一日・二十五日、六月三日・十二日・十三日・二十日、七月八日・二十日、八月九日・十二日・十六日、九月十一日・十四日・三十日、十月十二日・十三日・十五日、十一月二十二日・二十三日・二十四日、十二月五日・二十一日の各条
     承元五年(建暦元年、1211)正月十日、閏正月九日、二月二十二日、三月十九日、四月二日・十三日・二十九日、五月四日・十日・十九日、六月七日・二十一日・二十六日、七月四日・十一日、九月十二日・十五日・二十二日、十月十三日・十九日・二十日・二十二日、十一月二日・三日・四日・二十日、十二月一日・十日・十七日・二十日・二十七日の各条

 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。「授業がない期間にも史料読みたいな…」という方は、まずは見学からでも、どうぞご自由にご参加ください。
 京都女子大の方限定ではありませんよ。

 薩摩といえば島津氏ですが、鎌倉時代には千葉氏も。

No.10248

 目下、年度内に終わらせなければならない諸事に追われておりますが、ついに風邪を引いてしまったようで身体がだるい上に喉が痛い。右目の飛蚊症も気になりますので、仕事が捗らずに困り果てております。
 来月は暖かくなって欲しいところですが、3月9日(日)に鹿児島の隼人文化研究会で、「鎌倉時代の千葉氏と薩摩・大隅」というテーマで発表をさせて頂くことになりました。昨年3月に発表させていただいた「12世紀末の内乱にともなう東国武士の鎮西進出-千葉氏の場合-」の続きの内容になると思います。
 先般、深谷市で畠山重忠に関する講演をさせて頂いたとき、南九州に畠山重忠に関する伝承の多いことについて御質問がありましたが、そんなことにも触れてみたいと考えております。ただ、準備がどのくらい出来るか、些か心配です。

 ☆ 神奈川県愛川町郷土資料館の山口研一先生より、先生の御高論「戦国期島津氏の家督相続と老中制」の収録された新名一仁編『薩摩島津氏』(戎光祥出版)を御恵送頂きました。
山口先生に、あつくお礼を申し上げます。
 ちなみに、山口先生は私の出身大学・大学院の後輩です。専攻する時代は異なりますが、これまで、たいへんお世話になりました。
 戦国期島津氏研究で多くの優れたご業績を重ねておられます。いずれ、それらを一書にまとめて頂くことを期待しています。

宗教・文化研究所『研究紀要』第27号が出来ました。

No.10246

 本号には、平成24年度宗教・文化研究所公開講座講演録要旨として、
  元木泰雄先生の「平清盛と後白河院」
  服藤早苗先生の「院政期の五節~童女たちへのまなざし」
が掲載されています。
 (写真をFacebookに掲げておきました。)
 
 私は「十二世紀末における阿波国の武士団の存在形態-いわゆる「田口成良」の実像を中心に-」というタイトルで、はじめて四国の武士団をテーマにした論文を書きました。
 読んで下さる方には抜刷を差し上げますので、ゼミの時にでもお申し出下さい。

 ☆ 相模女子大学の高木信先生より、高木先生ほかの編による『日本文学からの批評理論 亡霊・想起・記憶』(笠間書院)を御恵送頂きました。
 高木先生に、あつくお礼を申し上げます。

 ☆ 関西大学の樋口健太郎先生より、御高論「藤原忠実の追善仏事と怨霊」(『日本歴史』第787号)
を御恵送頂きました。
 樋口先生に、あつくお礼を申し上げます。

 埼玉県の熊谷・深谷に行ってきました。

No.10239

 昨日は埼玉県深谷市の川本公民館で「畠山重忠のイメージと実像」と題する講演を行ってきました。前日から出発したのですが、大雪に遭遇して、なかなか面白い経験をすることが出来ました。

 東海道新幹線では予定の列車より先に到着した自由席車両に飛び乗ったので、名古屋まで立ち乗り。「名古屋で座れるだろう。まぁ短い距離だから」と判断したのですが、その名古屋までが徐行運転でしたから、想定外の長時間の立ち通しとなりました。其の後、静岡県の東部辺りからまた徐行。さらに品川駅から東京駅までの僅かな区間でさらに15分の遅延という次第で、約1時間遅れで東京着。いつもとは逆に、空席だらけの山手線や京浜東北線が何本も通過していきました。

 この調子では熊谷にたどり着けるかどうか心配したのですが、東京駅で邂逅した高校以来の親友のアドバイスに従って上越新幹線を選択したところ、自由席はガラガラの上、猛吹雪の中を爆走して定時運行。持つべきものはよき友だちであります。

 しかし、熊谷駅に降り立つと、、そこは一面銀世界というよりも豪雪地帯そのもの。まさに雪の中を抜き足、差し足でなんとかホテルに辿り着き、「やれやれ、熱いお茶でも一服」と思ったのですが、そのホテルには驚くべきことに湯沸かしもポットも無い。イタリアに行ったときの苦労が再現されることになりました。

 さて、当日。
 講演会場のある川本公民館は秩父鉄道の武川(たけかわ)駅の近くなので、武川まで出る必要があるのですが、秩父鉄道はしばらく動きそうもないので、当初の予定どおり、熊谷寺の見学を決行。荷物を駅のコインロッカーに預けて、雪の中を歩きました。なかなか見つからなかったのですが、なんとか到着。しかし、大雪の降り積もった境内に入ることは断念せざるを得ませんでした。帰途、大通りに出ると、チェーンを巻いた熊谷駅行きのバスが走ってきたので、これに乗り込んで帰り道の困難は回避することができました。しかも運賃は100円と安い。公共交通はこうでなくてはいけません。京都は高すぎだと言わざるを得ません。

 ケータイ電話というのはこういう時は便利で、主催者から講演会の決行と、秩父鉄道がまだ動いていないから、高崎線の次の駅である籠原まで出て、そこで待つようにとの指示がありました。幸い、高崎線は籠原までは動いており、たまたますぐに到着した列車に飛び乗りました。

 籠原の駅では、雪に埋もれて閑散とした南口でしばらく待ちましたが、その間はこの駅前広場を根城にしている野良猫二匹が遊んでくれました。どこに行っても猫さんにはお世話になります。

 そうこうするうちに、スタッドレスタイヤを装着した女性職員の方の運転する軽自動車(この方の自家用車)が迎えに来て下さり、川本公民館に到着。主催者である教育委員会の方々の御挨拶を頂きましたが、みなさん雪かきの作業で大変そうでした。

 それにしても、こんな何十年ぶりかの大雪で、電車もストップしているという中、どれだけの方がお出でになるのか、かなり疑問視しており、場合によっては、このまま何もせずに引き返すことになるのではないかと懸念していたのですが、その予測は見事に裏切られ、開会の30分くらい前から、続々と車でたくさんの方がやって来られて仰天。その中には、私がかつて千葉県の高校で教員をしていたときの教え子もおられました。雪道の運転は危ないので御夫君を運転手に来られたとのこと。実に30年ぶりの再会でした。彼女からは、私がすっかり忘れていた、私の人生にとって大収穫となるような、ちょっといい話を伺うことが出来て幸せでした。

 こんな大雪なのに、ほとんど満席に近い方たちが聴きに来て下さったのは、ひとえに地元の方たちの「畠山重忠」に対する思い入れの深さの結果であるように思いました。

 先般の小山市における講演といい、地元の方たちの先人に寄せる思いは大変熱いものかあるようです。こうした情熱には歴史研究者としての使命感を突き動かされるものがあります。

 月末の小山市の調査が、楽しみになって来ました。先般お世話になった、その小山市の若い職員の方も、遠路はるばる今回の講演を聴きに来て下さっていました。

 それにしても、雪中の講演会を実現して下さった深谷市教委生涯学習課の皆様には、あつく御礼を申し上げる次第です。

 帰りは車で深谷駅までお送り頂き、熊谷と東京で上越・東海道新幹線に乗り替え、夜遅くに帰宅することが出来ました。

 写真など、またFacebook の方に貼り付けたいと思っております。
編集:2014/02/10(Mon) 11:16

帰国しました

No.10240

 野口先生、皆さん、『紫苑』12号の入稿もお任せしてしまい、申し訳ございませんでした。野口先生はご講演へのご出張もお疲れ様でした。

 私も先ほど帰国致しました。
 写真なども整理しまして、13日のゼミのときにでもご報告等させていただければ幸いでございます。おみやげもちょっとあります。

 日時:2014年2月13日(木)午後3時頃~(予定)

 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:頼家・実朝期の振り返り

 ※しばらく“振り返り”を続けていきますが、それが終わった後の範囲は以下の通りです。
     承元四年(1210)正月一日、二月五日・十日・二十一日、三月十四日・二十二日、四月九日・十九日、五月六日・十一日・十四日・二十一日・二十五日、六月三日・十二日・十三日・二十日、七月八日・二十日、八月九日・十二日・十六日、九月十一日・十四日・三十日、十月十二日・十三日・十五日、十一月二十二日・二十三日・二十四日、十二月五日・二十一日の各条
     承元五年(建暦元年、1211)正月十日、閏正月九日、二月二十二日、三月十九日、四月二日・十三日・二十九日、五月四日・十日・十九日、六月七日・二十一日・二十六日、七月四日・十一日、九月十二日・十五日・二十二日、十月十三日・十九日・二十日・二十二日、十一月二日・三日・四日・二十日、十二月一日・十日・十七日・二十日・二十七日の各条

 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。「授業がない期間にも史料読みたいな…」という方は、まずは見学からでも、どうぞご自由にご参加ください。
 京都女子大の方限定ではありませんよ。