『紫苑』第12号、入稿

No.10217

 本日、『紫苑』第12号の原稿を印刷所に入稿いたしました。
 入稿に際して、ちょっと思わぬアクシデントに見舞われましたが、これもよい勉強になったことと思います。何事も「経験」が物を言いますから。
 初稿ゲラは20日のゼミの時間に届けられる予定ですので、執筆者は当日は必ずお集まり下さい。
 
 一部の方にお伝えした栃木県小山市の調査ですが、藪本君と山本さんが参加して下さることになりました。調査に際しては地元の行政機関に所属する研究者の方のご案内を頂けることになりましたので、多大な成果が得られそうで、楽しみです。
 私としては、このところ飛蚊症の酷い右目の具合がよくなってくれれば更に嬉しいのですが・・・。

☆ 清泉女子大学の清水由美子先生より、御高論「資料としての軍記文学、物語としての軍記文学- 敦盛と業盛の最期をめぐって-」(『國學院雑誌』114-11)を御恵送頂きました。
 清水先生に、あつくお礼を申し上げます。

<追伸> 岩田師範は、今晩、関西空港より、「トルコ行進曲」、否「トルコ航空」にて欧州(南蛮国)遠征に旅立たれます。
 まずは、「飛んでイスタンブール」とのこと。

書評 元木泰雄著『平清盛と後白河院』

No.10210

 京都大学大学院人間・環境学研究科の『人環フォーラム』No.33に元木先生の御高著『平清盛と後白河院』の書評を書かせて頂きました。Facebookでお知らせしたところ、入手が難しいという御連絡を頂きました。いずれPDF化されるようですが、ここに原稿を貼り付けさせて頂くことに致しました。
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元木泰雄著『平清盛と後白河院』角川書店
 角川学芸出版  二〇一二年三月  二三九頁    定価(税込)一六八〇円
              評者 野口実(京都女子大学宗教・文化研究所 教授)

 前世紀の後半、京都大学教養部で日本中世史を講じられた上横手雅敬氏は、その最初の論文集『日本中世政治史研究』(塙書房、一九七〇年)の「あとがき」に「政治は社会的諸現象の集中的反映であり、歴史学の究極の目的は政治史にある」と断じ、氏が学問を志した当時の歴史学界にたいして「基礎構造の分析に主たる情熱が注がれ、上部構造としての政治は、その中でおのずと明らかになるという風な安易なオプティミズムが少なくなかった」と評し、「このような傾向への不満が、私を政治史に赴かせたのであろう」と述べられた。その後、国際社会における東西冷戦構造の解消などにともなって、社会変革の因果関係を下部構造の理解によって解明しようとした戦後歴史学は行き詰まりを見せ、一九八〇年代ころからは静態史観ともいうべき「社会史」が一世を風靡した。さらに、現代の歴史学はそれを通り越して、民俗学・文化人類学、さらには美学・文学に類するものが持て囃される時代になり、「政治史」ははるか後景に追いやられてしまった観がある。そして、サブカルチャーは盛んだが、「『平家物語』史観」のような、「国民共通の文化認識」そのものが社会から消滅しつつある、という深刻な状況が眼前に展開するに至っている。本書は、そうした現状に一石を投じ、「政治史」の健在を世に示したとものとして評価されるべき著作である。本文は七章をもって構成され、平清盛と後白河院が最初の政治的接点を持った保元の乱から両者の破局によってもたらされた平氏滅亡までの時代をダイナミックに描いている。
 著者は上横手雅敬氏の愛弟子で、すでに院政期政治史研究の泰斗としての評価を得て久しい。そして、これまでに、当該期を対象にした啓蒙書として『藤原忠実』(吉川弘文館、二〇〇〇年)・『平清盛の闘い』(角川書店、二〇〇一年)・『保元の乱・平治の乱を読みなおす』(NHKブックス、二〇〇四年)・『源義経』(吉川弘文館、二〇〇七年)・『河内源氏』(中公新書、二〇一一年)を矢継ぎ早に上梓されている。本書はこれらの著作に示された保元・平治の乱から平氏滅亡にいたる時代の政治の流れを、あらためて平清盛と後白河院の権力闘争という観点から捉え直し、その後の研究で得られた新たな知見を加えて叙述されたものである。著者は当該期のあらゆる史料を博捜・精読され、綿密な史料批判に基づいて論を構築される。その結果、通説的な「物語史観」の誤りが所々に指摘されることとなる。そうした作業によって藤原信頼・成親、平重盛・宗盛などの実像が明らかにされた。また、いわゆる鹿ヶ谷事件にたいする新たな評価も提示される。貴族社会の制度・慣習・人脈に精通するから、清盛の権力伸張の過程において、政界引退を前提とする太政大臣よりも事実上の皇胤および摂関家家長の認定を意味する内大臣に就任したことを重視すべきである、というような説得力のある指摘が随所に見られる。また、中世成立期の武士論研究の第一人者でもある著者は、地方武士団の動向についても中央の政局との関連を視野に入れながら卓見を差し挟む。このような目配り、貴族も地方武士も視野に入れた歴史叙述は、この著者によってしか成し得ないことであろう。
 そして、何よりも申し上げたいのは、本書が間違いなく面白いことである。自身の願望のためなら帝王の威厳もかなぐり捨てる激情の後白河院と一族の統制に腐心する沈着冷静な清盛との間で織りなされる人間ドラマが、緻密な実証をベースに語られているのは見事というほかはない。ともに支え合い、互いの地位を高め合いながら、ついに両者は最終的な衝突を迎えることとなる。不評に終わった昨年のNHK大河ドラマ『平清盛』が、この本をベースに制作されていたならば・・・と思わざるを得ない。本書は、まさに「歴史の醍醐味は政治史にある」ことを再確認させてくれるのである。
 ちなみに、上横手雅敬氏は冒頭に掲げた著書の「あとがき」に自身の研究姿勢について、こうも書かれている。「いわゆる啓蒙的著作といえども、煩瑣な考証を省き、表現を平易にしただけで、学術論文同様の姿勢で執筆したことが少なくない」と。本書の著者は、まさに師の研究者としての生き方と矜持を完璧に継承されているように思われる。
編集:2014/02/03(Mon) 00:13

二月の『吾妻鏡』

No.10216

 『紫苑』12号の原稿も無事に集まったようで、本日入稿の予定です。編集担当の池嶋さんには、今後の作業(校正など)の差配等につきまして、引きつづきお世話になりますが、どうぞよろしくお願いいたします。

 二月の『吾妻鏡』は、13日・20日・27日に開催予定です。 

 日時:2014年2月13日(木)午後3時頃~(予定)

 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:頼家・実朝期の振り返り

 ※しばらく“振り返り”を続けていきますが、それが終わった後の範囲は以下の通りです。
     承元四年(1210)正月一日、二月五日・十日・二十一日、三月十四日・二十二日、四月九日・十九日、五月六日・十一日・十四日・二十一日・二十五日、六月三日・十二日・十三日・二十日、七月八日・二十日、八月九日・十二日・十六日、九月十一日・十四日・三十日、十月十二日・十三日・十五日、十一月二十二日・二十三日・二十四日、十二月五日・二十一日の各条
     承元五年(建暦元年、1211)正月十日、閏正月九日、二月二十二日、三月十九日、四月二日・十三日・二十九日、五月四日・十日・十九日、六月七日・二十一日・二十六日、七月四日・十一日、九月十二日・十五日・二十二日、十月十三日・十九日・二十日・二十二日、十一月二日・三日・四日・二十日、十二月一日・十日・十七日・二十日・二十七日の各条

 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。「授業がない期間にも史料読みたいな…」という方は、まずは見学からでも、どうぞご自由にご参加ください。
 京都女子大の方限定ではありませんよ。

「演習Ⅱ」・「基礎演習Ⅱ」のレポート回収終了

No.10188

 すべての履修生からレポートの提出を頂きました。
 どんなテーマをとりあげたのか?今後の資料にもなると思うので、各レポートのタイトルを掲げておきたいと思います。

 [演習Ⅱ]
 「香川県の観光について」「新撰組でのまちづくり」「ディズニー誕生について」「古代から現代にかけての貨幣の歴史」「浮世絵の歴史」「かわいいは正義」「京都の観光問題について」「伊勢神宮」「日本の自殺問題について」「お菓子の歴史」「民族差別について考える」「天理市と観光」「裁判員制度について」「地域振興の必要性」「京都の観光振興」「漫画の歴史」「日本の化粧文化と流行の昔と今」

 [基礎演習Ⅱ]
 「児童虐待について」「現代の日本の人気アイドルの歴史と人気について」「女子教育」「伝統を持つ京野菜について」「エンターテイメントに関する著作権について」「様々な外国から見た日本」「東京オリンピック」「世界のスターバックス」「地域産業と旅産業」「富山に訪れる外国人観光客について」「オリンピックと経済効果」「女性のキャリア」「子どもの社会学について」「伏見の地域振興について」「朝鮮王朝について」「現代社会における家庭内の子どもの役割」

現社レポート受付終了・『紫苑』入稿間近・論文集企画&『中世の人物』(清文堂出版)の進捗状況

No.10184

 現代社会学部で私が担当している「基礎演習Ⅱ」「演習Ⅱ」のレポート受付は終了しました。かなり一生懸命に取り組んでくれたようなので、これから読ませて頂くのが楽しみです。

 次に、前回書き込んだ論文集の企画についてですが、メールで参加意志をお伝え下さった方や直接話の出来た数名の方には具体的な方針をお伝えしました。2年ほど先の刊行を目標に、これから話を詰めていければと思っています。
 歴史・文学の専攻を問わず、このゼミに参加されたことのある方(現在の居住地が遠方でも構いません)で、この機会に論文を一本発表してみようという方は、とりあえず御連絡頂ければ幸いです。

 『紫苑』は印刷所も決まり、次はいよいよ入稿という段階に到りました。執筆者の皆さん、宜しくお願いいたします。そして、編集長の辣腕に期待しています。

 最後になりましたが、私が編者を担当させて頂いている『中世の人物 京・鎌倉の時代 第2巻 治承~文治の大乱と鎌倉幕府の成立』(清文堂出版)の進捗状況をお伝えいたします。
 出版社からの連絡によりますと、再校ゲラは1月28日に印刷所から出校される予定で、到着後、速やかにご執筆の先生方に送付させていただきますので、今しばらくのご猶予をお願い申し上げたいとのことです。
 ちなみに、元木泰雄先生編の『中世の人物 京・鎌倉の時代 第1巻 保元・平治の乱と平氏の栄華』は、すでに全ての執筆者から再校ゲラが返送されたとのことで、出版に向けての作業は順調に進行している模様です。

 【追記(蛇足)】Facebookに貼った通知表の写真は、まぎれもなく私の高校時代のモノです。

来年度の開講科目と論文集の企画について

No.10176

 ようやく来年度担当科目のシラバスの入力作業が終わりました。結構、考えさせられることが多く、難航いたしました。
 しかし、授業は「生モノ」ですから・・・。

 担当科目は9科目。これに、キャンパスプラザ(大学コンソーシアム京都)の特別講座科目が加わると10科目になります。
 まだ、時間割が決まっていませんから、研究所ゼミの日程は決められませんが、新年度は学部生が<激減>しそうですから、授業時間による制約は私の授業にばかり関わってくるのかも知れません。

 それから、2年先を目途に、かつて、何らかの形で当方のゼミナールに参加して、現在、日本史や日本文学のジャンルで活躍している方たちによる論文集の刊行を目指したいと考えています。
 具体的なことは、これから検討したいと思いますが、この企画に賛同してくれる方、或いは編集作業をお手伝い頂ける方は、当方に其の旨御連絡頂きたくお願い申しあげます。

レポートの提出について

No.10174

 「演習Ⅱ」・「基礎演習Ⅱ」のレポートですが、すでにお伝えしてあるように、締切は21日(火)17時です。
 私が研究室(L校舎西隅の宗教・文化研究所教授室)に不在の時は、研究室ドア横のレターボックスに入れておいて下さい。
 なお、評価表の添付も忘れずに。
 とくに事情があって、期日までに提出できないという人は、E・メールで連絡して下さい。

 ☆ 大阪大学大学院生の前田英之さんより、御高論「平家政権の成立と宇佐宮領」(『鎌倉遺文研究』32)・「国家的収取における本所沙汰と平家政権」(『ヒストリア』241)を御恵送頂きました。
 前田さんに、あつく御礼を申し上げます。

入試もはじまりますが-次回の『吾妻鏡』-

No.10175

 30日(木)は大学が入試期間に入るため『吾妻鏡』もお休みとなります。1月は次回23日開催分で終了し、来月は参加者の皆さんのご都合も考えながら木曜日にこだわらず柔軟に開催していきたいと思います。

 日時:2014年1月23日(木)午後3時頃~(予定)

 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:頼家・実朝期の振り返り

 ※しばらく“振り返り”を続けていきますが、それが終わった後の範囲は以下の通りです。
     承元四年(1210)正月一日、二月五日・十日・二十一日、三月十四日・二十二日、四月九日・十九日、五月六日・十一日・十四日・二十一日・二十五日、六月三日・十二日・十三日・二十日、七月八日・二十日、八月九日・十二日・十六日、九月十一日・十四日・三十日、十月十二日・十三日・十五日、十一月二十二日・二十三日・二十四日、十二月五日・二十一日の各条
     承元五年(建暦元年、1211)正月十日、閏正月九日、二月二十二日、三月十九日、四月二日・十三日・二十九日、五月四日・十日・十九日、六月七日・二十一日・二十六日、七月四日・十一日、九月十二日・十五日・二十二日、十月十三日・十九日・二十日・二十二日、十一月二日・三日・四日・二十日、十二月一日・十日・十七日・二十日・二十七日の各条

 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。新しい年に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞご自由にご参加ください。
 京都女子大の方限定ではありませんよ。

今日の「基礎演習Ⅱ」と「演習Ⅱ」

No.10173

 いつも駐車場がいっぱいにならないうちに出勤しているのですが、今日は大学にとってとても大切なお客様がたくさんの車でお見えになるようで、A校舎の駐車スペースがかなりの部分既に囲い込まれており、出車の難しいスペースへの駐車を余儀なくされることとなりました。こういう時のために、運転技術は磨いておきたいものです。

 ところで、昨日中に書き込まなければならなかった本日の「基礎演習Ⅱ」・「演習Ⅱ」の予定ですが、今日は最後の授業日であり、もう既に全員の報告が終わっていますから、全体のまとめと反省点や今後の展望について話し合いたいと思います。
 
 レポートを提出する人は受け付けます。なお、その際に「評価票」の添付をお忘れなく。

『紫苑』第12号掲載のラインナップ&小山市での講演内容

No.10172

 9日のゼミの時間に、『紫苑』第12号に掲載される論文・研究ノートが決まりました。

 〈論文〉
   岩田慎平「鎌倉幕府の奉行人について」
   滝沢智世「門跡の活動からみる戦国期における将軍の権威」
   池嶋美帆「『日蓮遺文紙背文書』にみる御家人千葉氏の家政機関」
 〈研究ノート
   大平裕実「葬送空間としての鳥辺山と鳥辺野の地域的変遷」

 刊行は3月末の予定です。執筆者は校正をしっかりとお願い致します。
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ところで、昨11日、栃木県小山市で「野木宮合戦の歴史的意義」と題する講演をして参りました。源頼朝の坂東における覇権確立(八条院の権威を背景とする義仲・行家・義広の影響力の排除)および小山氏の秀郷流藤原氏諸族における嫡宗的位置の確立を結論として述べたわけですが、同時に寒河尼の政治的地位や朝政・宗政・朝光の小山三兄弟個々の特性や幕府成立期における役割についても論及させて頂きました。講演では大まかなことしか御披露できませんでしたが、準備の過程で諸史料を再読し、近年の東国武士に関する研究成果と対応させてみると、これまで見過ごしていた重要な事実に気づいたり、従来とは異なった評価を下せる部分も多々認められましたので、ちょうど予定していた『日本歴史』への寄稿原稿は、これをテーマにしてみることにいたしました。
なお、当日のレジュメ(もう一人の講演者である福岡市博物館の高山英朗氏の「関ヶ原合戦における黒田長政の活躍」も一緒に綴じられています)や小山の市長さん等から頂いた小山の歴史に関する本は、次のゼミの時間に御覧いただくことにしたいと考えています。
 その他、プライベートな感想(歓迎してくれた野良ネコの話など)については、当方のFacebookを御覧下さい。

歓迎してくれる野良猫は、網戸神社に居ますか?

長さん
No.10237

寒河尼の墓のある、栃木県小山市網戸の網戸神社(称念寺)境内に、不思議な野良ネコが2013年正月ごろから出没しております。あたかも寒河尼を拝みに行く人を歓迎して、膝に乗るように見える「膝乗りネコ」なのですが、2014年の1月に、野口実先生は、栃木県小山市の、どこの野良ネコに歓迎されましたか? FACEBOOKが、簡単には見れない者です。

明日のゼミと『紫苑』第12号について

No.10165

 今月のゼミの予定はトップページを御覧下さい。

 編集長に代わって、『紫苑』第12号について書き込みます。
 ↓
 執筆予定者は草稿を持参してください。また、すでにお知らせしたとおり、完成段階に予想される分量を編集長に報告しておいて下さい。

 ☆ 大阪大学の平雅行先生より、御高論「専修念仏の弾圧をめぐって」(『佛教史学研究』56-1)ならびに「出家入道と中世社会」(『大阪大学大学院文学研究科研究紀要』53)を御恵送頂きました。
 前者は、専修念仏への弾圧が思想弾圧ではなかったとする論文を批判し、そのような研究の潮流を断ち切ろうとしたもの。
 後者は、家督を保持したまま出家入道するという、世界史的にも奇異な日本中世の風習とその背景について考察し、浄土教が中世社会に与えた影響の大きさを論じたものです。
 いつものように、私自身、大いに蒙を啓くことができました。
 平先生に、あつく御礼を申し上げます。

『紫苑』もがんばりましょう-次回の『吾妻鏡』-

No.10166

 新年最初の講読会は、おもに『紫苑』のご相談と雑談に終始してしまいました。申し訳ありません。でも念頭の意見交換はなかなか大事だとも思う次第なのです(※100%言い訳です)。

 次回のご案内です。

 日時:2014年1月16日(木)午後3時頃~(予定)

 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:頼家・実朝期の振り返り

 ※しばらく“振り返り”を続けていきますが、それが終わった後の範囲は以下の通りです。
     承元四年(1210)正月一日、二月五日・十日・二十一日、三月十四日・二十二日、四月九日・十九日、五月六日・十一日・十四日・二十一日・二十五日、六月三日・十二日・十三日・二十日、七月八日・二十日、八月九日・十二日・十六日、九月十一日・十四日・三十日、十月十二日・十三日・十五日、十一月二十二日・二十三日・二十四日、十二月五日・二十一日の各条
     承元五年(建暦元年、1211)正月十日、閏正月九日、二月二十二日、三月十九日、四月二日・十三日・二十九日、五月四日・十日・十九日、六月七日・二十一日・二十六日、七月四日・十一日、九月十二日・十五日・二十二日、十月十三日・十九日・二十日・二十二日、十一月二日・三日・四日・二十日、十二月一日・十日・十七日・二十日・二十七日の各条

 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。新しい年に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞご自由にご参加ください。
 京都女子大の方限定ではありませんよ。

アッ!とおどろく。

No.10163

 掲示板の上のスペースに史跡見学会の情報を維持したために、元木泰雄先生からの新春メッセージが下の方にいってしまいました。⇒>>No.10155
 元木先生の御配慮に感謝申し上げると共に、当ゼミに対する御支援を本年もよろしくお願い申し上げる次第です。

 ところで、昨日の浄妙寺跡・宇治陵の史跡見学会は盛会のうちに終了しました。少し寒かったのですが、東京や広島からの方も含めて、たくさんの方々が参加。とくに髙橋昌明先生のほか、院政期政治史を研究されている若手研究者が勢揃いされ、さながら学術団体の調査団のような有様でした。
 例によってFacebookに写真を貼り付けておきたいと思います。

 感動したのは主催者である古代学協会の古代学講座『小右記』講読会の方たちの積極的な参加。日頃、人文系学問の衰退を嘆いておりましたが、市民の方にこれだけの意欲と水準が期待できるのなら・・・と些か感動させられました。
 もはや、大学は18歳人口ばかりを気にしないで、このような方たちが学びやすい環境を整えるべきなのかも知れません。また、市井のいわゆるカルチャーセンターのレベルには飽き足らない市民が多くなっていることも明らかなようです。

 見学会解散後、主な参加者と六地蔵のジョリーパスタで休憩(しっかり夕食を済ませた御夫婦もおられました)・歓談の後、帰宅。

 家のポストを開くと日曜だというのに年賀状が届いていました。最近は郵便局も大変だなぁと思ったのですか、読んで見ると、「アッと驚く為五郎!」(このフレーズが、なんというテレビ番組で使われていたか、師範代は御存知でしょう)。ゼミ古参メンバーには驚愕の報告。

 一通目は、嬉しそうな電話を頂いてから、しばらくの間、音信が途絶えていた某君から。写真入りの結果報告。こちらはまあ、「さもありなん、よかったよかった。それにしても、今ごろになって・・・」でしたが、もう一通は「事実は小説よりも奇なりと申しまして」という、あの懐かしい高橋圭三氏のアナウンスを思い出させるような内容でありました。しかし、これは目出度い!!

 上記詳細は、ここに書き込むと、プライバシーの侵害になりかねませんから、知りたい人にだけにお教えします。知りたい人はメールを寄越しなさい。
 もっとも、これらの事実は諸姉兄すでに御承知のことであるのかも知れませんね・・・と、老人はひがみます。

 さて、いよいよ明日から授業です(明日はキャンパスプラザのみ)。尿管結石再発の気配もあるのですが、これは運を天に任せるのみ。しかし、発症したらとんでもなく痛くて困ります。
 耐え難きことは耐えられません。 
編集:2014/01/06(Mon) 10:03

みじかびの…

No.10164

 きゃぷりきとれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ

 みなさま、あけましておめでとうございます。どうぞ本年も『吾妻鏡』講読会をはじめとする宗教・文化研究所ゼミナールの諸活動にご支援を賜りますよう、何とぞよろしくお願い申し上げます。

 ところで、「アッと驚く為五郎!」は、『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』のハナ肇さんのネタですね。出演していた巨泉さんは、同じ頃にパイロット・エリート万年筆で冒頭の台詞を詠みあげて流行しました。

 昨日は浄妙寺跡・宇治陵の史跡見学会に参加させていただき、近所の歴史について考え直すとても良い機会となりました。やはり何事も、愛着を持つためにはまずしっかりとそのことを知らなければならないと再認識した次第です。

 さて、新年最初の講読会は以下の予定です。よろしくお願い致します。

 日時:2014年1月9日(木)午後3時頃~(予定)

 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:頼家・実朝期の振り返り

 ※しばらく“振り返り”を続けていきますが、それが終わった後の範囲は以下の通りです。
     承元四年(1210)正月一日、二月五日・十日・二十一日、三月十四日・二十二日、四月九日・十九日、五月六日・十一日・十四日・二十一日・二十五日、六月三日・十二日・十三日・二十日、七月八日・二十日、八月九日・十二日・十六日、九月十一日・十四日・三十日、十月十二日・十三日・十五日、十一月二十二日・二十三日・二十四日、十二月五日・二十一日の各条
     承元五年(建暦元年、1211)正月十日、閏正月九日、二月二十二日、三月十九日、四月二日・十三日・二十九日、五月四日・十日・十九日、六月七日・二十一日・二十六日、七月四日・十一日、九月十二日・十五日・二十二日、十月十三日・十九日・二十日・二十二日、十一月二日・三日・四日・二十日、十二月一日・十日・十七日・二十日・二十七日の各条

 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。新しい年に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞご自由にご参加ください。
 京都女子大の方限定ではありませんよ。