山崎豊子氏死去

金澤正大
No.10076

報道されたとおり、作家の山崎豊子氏(88歳)が死去されました。歴史学には直接関係ありませんが、『白い巨塔』に代表されるように、社会的素材を豊富な取材材料を基にして作品を仕上げる点など、史料操作と通じるものがありました。それに、氏は旧制京都女子専門学校国文科(現京都女子大学)卒業生です。冥福をお祈りします。

京女出身の文化人・研究者

No.10077

 金澤先生、メッセージをありがとうございました。
 御帰国の由、うけたまわっております。
 また、さらなる日本中世史に関する御研究の発表を期待致しております。

 山崎豊子氏をはじめ、京都女子大学からはたくさんの文化人・研究者が輩出されています。
 近年、多くの大学は、学生にたいして企業への就職指導に力を入れておりますが、私は研究者、広くは社会における文化の担い手の育成こそ大学に与えられた本来的で重要な使命と認識しております。研究所所属ということでもありますので、その面において、微力を尽くして参りたいと存じております。

 『坂東武士団の成立と発展』を戎光祥出版より再刊します。

No.10075

 明日Ⅲ講時の「基礎演習Ⅱ」は、京都女子大学から平安京・京都の歴史や地勢を観望し、近くの寺社をめぐる予定です。まず、共同研究室に集合して下さい。
  Ⅳ講時の「演習Ⅱ」は、発表開始。上野さんが「ディズニーの歴史について」というテーマで報告されます。今枝さんからは、まだテーマ報告がありません。連絡があり次第、追記したいと思います。
 【追記】 今枝さんの報告テーマは「新撰組の歴史と新撰組ゆかりの地」とのことです。
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  『日本歴史』10月号での広告を御覧になった方も多いかと存じますが、1982年に弘生書林より出版されましたが、長く絶版になっておりました拙著『坂東武士団の成立と発展』が戎光祥出版から再刊されることになりました。

 旧版は、著者の無名・非力ゆえに、かなりの部数を断裁せざるを得ない結果となりましたが、その後、多くの研究者からの御高評もあり、幸いに各方面から復刊の御要望を頂くこととなりました。在庫の所在について、直接、当方に御連絡を頂くこともございましたが、ときに非礼な対応しか出来ないこともあり、心苦しく存じていた次第です。

 内容においては旧説に属する部分もあり、また、その後に解明できた事実も多々ございますので、そのままの形で再刊するのも憚られるような気も致しましたが、本文は旧版段階での誤植や校正の見落としの修正にとどめるものの、再刊に際してのあとがきに、その後の研究成果を掲げさせて頂くこと、また、版組は新しくなりますが、それに対応した索引を旧版の通りに付して頂くことを条件に、再刊に踏み切らせて頂きました。
 再刊についてお申し出を頂き、上記条件を快諾して下さった戎光祥出版に感謝申し上げる次第です。

 すでに、今月半ばに再校ゲラを送付致しました。編集は研究者としての実績をお持ちの丸山裕之氏が担当して下さっておりますので、もう安心して刊行を待っているという段階です。

 広告には10月刊行予定とありますが、おそらく初売りは10月12・13日の日本史研究会大会になることと思います。定価6000円ということですので、学会での販売価格は、旧版と同じ価格ということになると思います。30年間の物価上昇に見合いません。

 著者としては、営業面で御迷惑のかからないように祈念するばかりと言ったところです。

 中世前期の東国武士や武士論に関心をお持ちの皆様には、ぜひ御一読いただければありがたく存ずる次第です。

 そろそろ、ここ十年ほどの間に発表した論文を一冊の本にまとめて出版しなければならないのですが、これも実現には時間がかかりそうです。
 また、おりを見て出版関係の方に御相談申し上げたいと存じておりますので、その節は宜しくお願い申し上げます。

「京に田舎あり」

No.10073

 午前中、10月8日の「演習Ⅱ」の時間に見学を予定している河合寛次郎記念館の下見に行ってきました。京女の近くにあり、映画『男はつらいよ』(第29作「寅次郎あじさいの恋」1982年公開)のロケ地であることはよく知っていたのですが、中に入ったのは初めて。
 ちなみに、河合寛次郎氏は、当ゼミメンバーにも地縁を持つ人のいる島根県安来市の出身。

 これまで入らなかったのは、まさに一生の不覚。先日、当ゼミ古参メンバーで、現在、同志社高校で教鞭とっている、あの方から、京女在学中は空き時間になると、よく気分転換に出かけていたところだと教えて頂いたのですが、まさにそういう空間でした。

 京女に入学して、在学中に周囲の歴史をまったく知ることなく卒業してしまう学生さんが結構おられて残念なのですが、ここも同様。一度は行っておくべき所。
 そのうちFacebookに写真を貼りたいと思います。

 ただし入館料が必要。大学生は500円。10月8日の「演習Ⅱ」の時にもお忘れなく。

 Facebook(野口実)に栢ノ森遺跡(醍醐浄土寺)の写真と梶川敏夫先生(本学にも出講されています)作図の堂舎復元図を貼っておきましたので、ご覧下さい。

 ☆ 広島なぎさ高校の加栗貴夫先生より、先生が分担執筆された古代・中世史研究会『実隆公記』を読む会「〈史料紹介〉『実隆公記』文明八年(一四七六)九月~同九年(一四七七)正月条 注釈」(『吉備地方文化研究』23)を御恵送頂きました。
 加栗先生に、あつく御礼を申し上げます。
編集:2013/09/27(Fri) 00:33

秋分の頃の『吾妻鏡』

No.10074

 宗教・文化研究所ゼミナールのFacebookページに、野口先生が撮影・執筆してくださった栢ノ森遺跡についての投稿をシェアさせていただきました。
 また、同じ日に岩田が撮影した、栢ノ森遺跡から眺めた日没の写真もアップしております。Facebookのアカウントをお持ちの方はどうぞ併せてご参照ください。

 次回の『吾妻鏡』のご案内です。
 あらためて読み直してみると、いろいろな問題が見つかりますね。

 日時:2013年10月3日(木)午後3時頃~(予定)

 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:頼家・実朝期の振り返り

 ※しばらく“振り返り”を続けていきますが、それが終わった後の範囲は以下の通りです。
     承元四年(1210)正月一日、二月五日・十日・二十一日、三月十四日・二十二日、四月九日・十九日、五月六日・十一日・十四日・二十一日・二十五日、六月三日・十二日・十三日・二十日、七月八日・二十日、八月九日・十二日・十六日、九月十一日・十四日・三十日、十月十二日・十三日・十五日、十一月二十二日・二十三日・二十四日、十二月五日・二十一日の各条
     承元五年(建暦元年、1211)正月十日、閏正月九日、二月二十二日、三月十九日、四月二日・十三日・二十九日、五月四日・十日・十九日、六月七日・二十一日・二十六日、七月四日・十一日、九月十二日・十五日・二十二日、十月十三日・十九日・二十日・二十二日、十一月二日・三日・四日・二十日、十二月一日・十日・十七日・二十日・二十七日の各条

 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。ようやく秋が見えてきた季節に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞ「ご自由に」ご参加ください。京都女子大の方限定ではありませんよ。

 関東は大分涼しい様子ですが、京都は相変わらずの猛暑。

No.10072

 連休中に東国での学会・ゼミ旅行等に出かけて帰洛された先生方は、さぞかし辟易されていることと存じます。

 本日は午前中、懸案の書類を全て提出。その上、図書館で選書のお手伝いまでして参りました。

 午後は現社の演習。師範代からお土産に頂いたスイスのチョコレートを配付させて頂きました。
 まだ、とうぶん学生さん全員のお名前を覚えられそうにありません。
 2回生にはS校舎のラウンジから平安京のお話をすることが出来たのですが、一回生にはつまらない身の上話ばかりでしたので、いまさら乍ら申し訳なく思っています。

 Facebookの方に、また鹿児島やフィレンツェの写真を貼り付けました。

 ☆ 青山学院大学の佐伯真一先生より、先生ほかによる新刊の御編著『人生をひもとく日本の古典第四巻 たたかう』(岩波書店)を御恵送頂きました。
 古典からの思索。史料もこういう風に読まなければいけないのかも知れません。
 佐伯先生に、あつくお礼を申し上げます。

授業アンケートの結果に対する所見の執筆に行き詰まっております。

No.10071

 1979年に高校に就職して以来、いろいろ授業に工夫はしてきたのですが、結局は教科内容に対する研鑽の度合いと、そのときの健康状態が授業の成否を左右するものです。もちろん、生徒・学生の側の受信能力、それに教える側のおかれている職場環境も重要な規定要因。

 私の経験から言うと、変わり者と言われる先生の授業ほど面白かった。
 高校の時、数学の先生がいきなり思いついた数式を黒板に書きまくって呻吟したあげく、授業を放りだしてしまったり、倫理の授業で、私が目立ちたい一心で国家体制についての理論的な質問をしたら、真剣に考え込んで、その後30分以上静止状態になってしまわれた先生とか、そういう先生の授業が最高でした。
 その後、数学の先生は神奈川大学、倫理の先生は東京学芸大学にうつられましたので、大学の講義というのはああいうものなのだな、と大いに期待したものでした。
 あの先生たちなら、授業アンケートにどんな所見を書くものか?

 現代国語の老先生(と言っても、今の私よりずっと若かったはず)は、教壇の椅子に座って「かざぐるま~、かざぐるま~」と詩の朗読をしている間に眠ってしまって、生徒たちもチャイムが鳴るまで静かに待っていた、という「事件」もありました。

 「シューベルト号」と名付けた自作の自動車(車検がよく通ったものです)で通勤していた美術の先生とか、清掃こそ教育であるという自負のもとに、佐原からの遠距離通勤にも拘わらず、早朝から出勤して木に登って枝下ろしをしていた物理の先生とか。
 ちなみに、この先生の授業はサッパリ分かりませんでした。ただ、ドップラー効果を説明するときの仕草のおかしさだけは記憶にあります。

 女子生徒が家庭科をやっている時間に、『徒然草』を教材に人生のはかなさを語ってくれた、これも老先生。
 その老先生と一緒に、よく司書室の日なたでお茶を飲んでいた小柄な女性の老先生。この音楽の先生は、教室の前の方に座っている生徒には、内職をしていても良い成績をくれました。
 あの頃の私は、ソプラノのパートまで声が出ましたっけ。
 こんな時代の千葉東高校に行ったので、今の私があるのでしょう。

 昨日の大河ドラマでは近代女子教育のポリシーが脚本に反映されていてよかった、ということを書こうとしたら、結局、昔話になってしまいました。
  同女の学生さんは、どのように受けとめられたでしょうか。
 ちなみに、本学の創立者もこの同志社女学校で学んだのです。

 【追記】
  ☆ 國學院大学大学院OBの池田陽平さんより、御高論「後白河・後鳥羽院政期における延暦寺嗷訴(Ⅰ)(Ⅱ)」(『政治経済史学』555・556)を御恵送頂きました。
 池田さんに、あつく御礼を申し上げます。 

 昔の職場に出てきました。

No.10070

 昨日は現社の2回生と京都文化博物館を見学してきました。

 猛暑がぶり返し、連休初日で観光客も多く、フリーマーケットも開かれていて、エントランスまでは大混雑でしたが、展示場は思いの外、人が少なく、じっくりと見学を楽しむことが出来ました。
  特別展「京都・美のタイムカプセル」もなかなか面白かったし、俊寛の書状もしっかりと見てまいりました。

 ただ、いつも思うことながら、2階の総合展示(京都の歴史)は、(手前味噌になりますが)開館当時の方が充実していたと思います。こうなってしまったことの事情はいろいろ想像できるのですが、大きなディスプレイで動く画像を流して演出する方法は思考の余地を与えないので感心しません。

 こうした展示のあり方や、見学者の動線、博物館職員の採用や人事管理の問題までお話しながらの見学でした。
 1階のろうじ店舗の中の茶店で一服の後に解散。
 ちょっと疲れましたが、楽しい一時を過ごすことが出来ました。

 それにしても昨日の京都は暑くて大変でした。京都女子大学の付属高校では文化祭、小学校は参観日だったようで、プリンセスラインバスも超満員。車内はサウナ風呂の如しで、体調維持に赤信号が点灯といった有様でした。

お彼岸の頃の『吾妻鏡』

No.10068

 後期のゼミも動き出しました。19日は夏休み期間中のことなどについて、みなさんからのお土産などもいただきながらいろいろとお話しできました。私の旅行の話なども聞いていただいてありがとうございます。
 次回からまた本格的に講読も再開したいと思います。

 日時:2013年9月26日(木)午後3時頃~(予定)

 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:頼家・実朝期の振り返り

 ※しばらく“振り返り”を続けていきますが、それが終わった後の範囲は以下の通りです。
     承元四年(1210)正月一日、二月五日・十日・二十一日、三月十四日・二十二日、四月九日・十九日、五月六日・十一日・十四日・二十一日・二十五日、六月三日・十二日・十三日・二十日、七月八日・二十日、八月九日・十二日・十六日、九月十一日・十四日・三十日、十月十二日・十三日・十五日、十一月二十二日・二十三日・二十四日、十二月五日・二十一日の各条
     承元五年(建暦元年、1211)正月十日、閏正月九日、二月二十二日、三月十九日、四月二日・十三日・二十九日、五月四日・十日・十九日、六月七日・二十一日・二十六日、七月四日・十一日、九月十二日・十五日・二十二日、十月十三日・十九日・二十日・二十二日、十一月二日・三日・四日・二十日、十二月一日・十日・十七日・二十日・二十七日の各条

 『吾妻鏡』講読会は基礎的な史料読解のニーズにも対応しております。夏休み後に再開する段になっても一向に夏の気配が消えませんが、そんな季節に何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞ「ご自由に」ご参加ください。京都女子大の方限定ではありませんよ。

 ゼミ再開でメンバー再会。私は最下位?

No.10069

 昨日のゼミ。現役ゼミメンバーが全員集合。各地からのお土産を頂きました。
 師範代による欧州遠征の御報告は映像による解説付き、そのうえ現地の御菓子を頂きながら拝聴したので気分も乗って楽しめました。
 秋は近場でもいろいろ出かけましょう。

 ところで、来月11日(金)に研究室においで下さる御客人ですが、研究室に来られる時刻は15時ということになりました。お目にかかりたい方は、この時間にどうぞ。

 それから、前に御案内したように、私の最初の論文集『坂東武士団の成立と発展』が再刊の運びとなりましたが、その再校が終了。私の手から離れました。
 一応、正式には10月20日刊行予定ということになっているようですが、12~13日の日本史研究会の大会で販売が開始されることになるようです。A5版 上製、予価6,000円+税とのこと。
  旧版の古本屋市場における近年の相場の五分の一くらいの価格でしょうか。

 中世前期の武士論を卒論に選んだ史学科学生諸君に活用して頂ければ幸いです。

 「基礎演習Ⅱ」・「演習Ⅱ」の履修者のみなさんへ 京都文化博物館の見学について

No.10067

 本日の演習の時間に確認したところでは、まだご存知でない方が多かったので、あらためて締め切りを変更して案内を致します。
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 みなさんが研究対象として希望している「地域振興」・「京都の歴史」・「社会教育」研究の観点から、下記のように、 博物館見学を実施します。
 
 日時:2013年9月21日(土)13~15時
 見学先:京都文化博物館(中京区三条高倉 地下鉄烏丸御池駅から徒歩3分)
 現地集合・現地解散

 「基礎演習Ⅱ」(1回生)・「演習Ⅱ」の履修者(2回生)と合同で行います。カリキュラムに基づくものではありませんから、自由参加です。
 ただし、人数によって見学形態を考えますので、参加希望者は、9月20日(金)までに、野口までE・メール(上の野口 実の名前をクリックして下さい)でお知らせ下さい。
 ◎ 集合場所は、市営地下鉄烏丸御池駅、京都駅側の無人改札口に13:00ということになりました。

 なお、上記科目履修者の同行者や研究所ゼミ関係の方の参加も歓迎します(ただし、連絡をお願い致します)。

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 ☆ 東京大学史料編纂所の黒嶋敏先生より、新刊の御高著『海の武士団 水軍と海賊のあいだ』(講談社選書メチエ)を御恵送頂きました。
 魅力的なテーマ。中世前期でもさらに深めていきたい問題です。
 黒嶋先生にあつく御礼を申し上げます。 

台風18号

No.10066

 台風について御心配を頂き、ありがとうございます。
 現時点(9:40)では、当地はすでに雨もおさまって平穏を取り戻しております。拙宅は、藤原道長の葬地背後の高台に位置しますので、交通不便ながら、水害の危険は少ないところです。

 なお、大学は授業日ですが、「安全に授業を実施することが困難なため、本日1講時及び2講時の授業を休講とします。なお、午前10時までに回復すれば、3講時からの授業は実施します」とのことです。
 大学HPで御確認ください。

 交通機関も不通の所が多いようですから、学生のみなさんは、無理をしないように、くれぐれも安全第一に行動してください。

  時期「尚早」× ・ 「焦燥」○

No.10065

 <念のために再掲>「基礎演習Ⅱ」(1回生)・「演習Ⅱ」の履修者(2回生)へ

  みなさんが研究対象として希望している「地域振興」・「京都の歴史」・「社会教育」研究の観点から、下記のように、
博物館見学を実施します。
 
 日時:2013年9月21日(土)13~15時
 見学先:京都文化博物館(中京区三条高倉 地下鉄烏丸御池駅から徒歩3分)
 現地集合・現地解散
 
 「基礎演習Ⅱ」(1回生)・「演習Ⅱ」の履修者(2回生)と合同で行います。カリキュラムに基づくものではありませんから、自由参加です。
 ただし、人数によって見学形態を考えますので、参加希望者は、9月15日(日)までに、野口までE・メールでお知らせ下さい。

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 昨日は午後、名古屋に元木先生のお話を聴きに出掛けました。運良く、往きの新幹線で元木先生と御一緒。よもやま話に花を咲かせていると、あっという間に到着。
 ゼミ関係者では洛南の先生がお見えでした。それから、師範代の先輩や、国学院の院生の方もお出ででした。

 お話はやはり、髙橋昌明氏の六波羅幕府論に触れるところが多く、出掛けた甲斐がございました。いつものように熱の入ったお話の後、司会の松薗先生から御指名を頂いたので、大番役と家人制の問題や「京武者」の範疇など、つまらない質問をさせて頂いたのですが、そんなことより、もっと幕府論についての議論に資するようなことを申し上げればよかったかと反省しております。

 通説では一族の結束が唱えられている平家一門内部の不協和音について、元木先生はすでに御高著でも鋭く指摘されていますが、これはやはり治承・寿永内乱の理解に重要なポイントであることを再確認させて頂きました。私は近年、通説のような鎌倉幕府成立の画期性の強調に疑問を持つに至っているのですが、はたして頼朝が鎌倉に定住する必然性があったのかどうか、そんなことをもう一度考えて見る必要を感じました。
 なぜ治承・寿永内乱が起こったのか、またあらためて考えてみる、よい機会を与えて頂いたと思います。元木先生にあらためて感謝申し上げる次第です。

 これらのことについては、また19日の後期初回のゼミの時間にでも御報告したいと思います。師範代の課題とされていることにはお役に立つことでしょう。
 週明けが、再刊される論文集の再校と『研究紀要』掲載論文の提出締切ですので、私はまた焦燥の中にあります。