小椋佳さんと大河ドラマ原案
美川圭
No.9899
3月27日に神戸を出港し、商船三井客船のクルーズ船にっぽん丸で対馬に行ってきた。前に対馬に行ったのは、岸俊男先生の退官する年の秋の研究室旅行だから、もう30年ぐらい前だ。正確な年をよく覚えていないのだが、そのときは元木先生ともご一緒だった。とにかく、大変懐かしかった。不思議なことに日本船が対馬に寄港することは、非常に稀なことで、このにっぽん丸も初寄港だったようである。対馬は韓国人観光客だらけであった。
それはともかく、このクルーズにはシンガーソングライターの小椋佳さんが乗船していて、出港の夜にコンサートが船内で開かれたのである。私はどうもフオーークソングが苦手で、その手のコンサートには行ったことがないが、さすがに小椋佳さんともなると、その曲のいくつかはカラオケのレパに入っている(ちなみに元木先生も「愛燦々」がレパであったはずである)。客船のコンサートは無料なので、試しに聴きに行った。コンサートは邦楽伴奏によるユニークなもので、琴と尺八の若い人、それに坂田美子さんという琵琶奏者が加わっていた。最大の聴きものが、小椋さんのつくった曲ではなく、意外なことにこの坂田さんと小椋さんの2人による琵琶連弾「平家物語」であった。あの、那須与一の扇の的の場面である。これがよかった。
終演後、ふらっと船内のバーに立ち寄ると、運良く小椋さんがマネージャーと2人で飲んでおられたのである。普通のコンサートでこういうことはありえないが、300人程度の乗船客しかいない閉鎖空間なので、こういうことがよくおこるのである。私は、先ほどのコンサート、とくに琵琶の連弾がすばらしかったことのお礼を申し上げた。そして、小椋さんも、今回のこれが目玉で、楽譜も読めず楽器もできない自分が(これ自体意外だが)ずいぶん練習したことをお話になり、ついつい話がはずむことになった。考えてみれば、小椋さんは東大法学部を出られた後、長く第一勧業銀行(現みずほ銀行)に勤められていたわけだが、退職後東大の大学院に入学、哲学の修士号を受けられたインテリである。
私が身分を明かすと、酔いもあって、「平家物語」から、歴史の話、さらに美空ひばりのLPを作ったときの逸話に及んだ。小椋さんに話によると、美空ほどの歌手になると、必ず作詞家と作曲家がレコーデイングに立ち会い、曲の不具合などをその場で修正するそうである。ところが、当時小椋さんは現役の銀行員であったためそれができなかった。ある日、美空が「あら、曲をつくった小椋さんという人は来ないのね」というので、誰かが「おつとめの方なので」と答えると、美空は「刑務所に入っているのね」ということで、あまりの世界の違いにびっくりしたそうである。
そこで小椋さんが「大河ドラマの原案って、歴史の教授が書かれているんですよね」と言われるのである。私は「時代考証のことですか」と去年の高橋昌明・本郷和人両先生の顔を思い浮かべながら答えた。すると「いえいえ、そうではなくて、脚本家の元本、つまり原作にあたるもののことですよ。私、本郷の東大大学院に行っていたとき、哲学の教授から、飲んでいるとき、具体的にその先生のお名前を聞いたのですけれど。内緒だけどということでタイトルにも出てこない」と言われて、具体的な名前を挙げられた。それは、高橋・本郷先生ではなく、よく知られた某先生のお名前であった。「その方、中世が専門の筈ですが、最近の大河って中世は稀ですが」と答えると、「いやいや幕末ものでも、ここのところずっとその教授だという風に聞きましたが」というのです。まったく、小椋さんからこんな話を聞くとは思わなかった。小椋さんも、歴史学界では有名な話だと思っていたらしく、私が知らないのが怪訝そうであった。というよりも、この話は私だけが知らないのかも、とこちらが不安になったぐらいなのである。
それはともかく、このクルーズにはシンガーソングライターの小椋佳さんが乗船していて、出港の夜にコンサートが船内で開かれたのである。私はどうもフオーークソングが苦手で、その手のコンサートには行ったことがないが、さすがに小椋佳さんともなると、その曲のいくつかはカラオケのレパに入っている(ちなみに元木先生も「愛燦々」がレパであったはずである)。客船のコンサートは無料なので、試しに聴きに行った。コンサートは邦楽伴奏によるユニークなもので、琴と尺八の若い人、それに坂田美子さんという琵琶奏者が加わっていた。最大の聴きものが、小椋さんのつくった曲ではなく、意外なことにこの坂田さんと小椋さんの2人による琵琶連弾「平家物語」であった。あの、那須与一の扇の的の場面である。これがよかった。
終演後、ふらっと船内のバーに立ち寄ると、運良く小椋さんがマネージャーと2人で飲んでおられたのである。普通のコンサートでこういうことはありえないが、300人程度の乗船客しかいない閉鎖空間なので、こういうことがよくおこるのである。私は、先ほどのコンサート、とくに琵琶の連弾がすばらしかったことのお礼を申し上げた。そして、小椋さんも、今回のこれが目玉で、楽譜も読めず楽器もできない自分が(これ自体意外だが)ずいぶん練習したことをお話になり、ついつい話がはずむことになった。考えてみれば、小椋さんは東大法学部を出られた後、長く第一勧業銀行(現みずほ銀行)に勤められていたわけだが、退職後東大の大学院に入学、哲学の修士号を受けられたインテリである。
私が身分を明かすと、酔いもあって、「平家物語」から、歴史の話、さらに美空ひばりのLPを作ったときの逸話に及んだ。小椋さんに話によると、美空ほどの歌手になると、必ず作詞家と作曲家がレコーデイングに立ち会い、曲の不具合などをその場で修正するそうである。ところが、当時小椋さんは現役の銀行員であったためそれができなかった。ある日、美空が「あら、曲をつくった小椋さんという人は来ないのね」というので、誰かが「おつとめの方なので」と答えると、美空は「刑務所に入っているのね」ということで、あまりの世界の違いにびっくりしたそうである。
そこで小椋さんが「大河ドラマの原案って、歴史の教授が書かれているんですよね」と言われるのである。私は「時代考証のことですか」と去年の高橋昌明・本郷和人両先生の顔を思い浮かべながら答えた。すると「いえいえ、そうではなくて、脚本家の元本、つまり原作にあたるもののことですよ。私、本郷の東大大学院に行っていたとき、哲学の教授から、飲んでいるとき、具体的にその先生のお名前を聞いたのですけれど。内緒だけどということでタイトルにも出てこない」と言われて、具体的な名前を挙げられた。それは、高橋・本郷先生ではなく、よく知られた某先生のお名前であった。「その方、中世が専門の筈ですが、最近の大河って中世は稀ですが」と答えると、「いやいや幕末ものでも、ここのところずっとその教授だという風に聞きましたが」というのです。まったく、小椋さんからこんな話を聞くとは思わなかった。小椋さんも、歴史学界では有名な話だと思っていたらしく、私が知らないのが怪訝そうであった。というよりも、この話は私だけが知らないのかも、とこちらが不安になったぐらいなのである。