京都37.7度、京田辺39.9度の狭間にて

No.7559

 当ゼミ関係者もお住まいになっている京田辺市では、本日の最高気温が39.9度だったとか。
 そういえば、昨日帰宅途中、五条坂の歩道橋に掲げてある温度計は夕刻なのに37度を表示していました。ちなみに、パーキング情報には、清水寺観光駐車場「満車」とあり、観光客は相変わらずのようです。

 ところで、トップページにゼミの予定を掲げましたが、火曜の『吾妻鏡』は14日からではなく、21日からでした。訂正致します。すでに岩田君が>>No.7388で告知済みでした。

 なにしろ、こうも暑いと、いくら部屋に冷房が設置されていても、身体がおかしくなってしまい、論文の執筆ははかどりません。来年刊行の学術雑誌には、北海道や東北地方の研究者の成果ばかりが載るのではないかと思います。

 9月に入っても関西はとてつもない猛暑なので、原稿の催促は「非人道的行為」として糾弾されても仕方がないかも知れませんよ。

後期からの『吾妻鏡』では

No.7562

 野口先生、ご案内をお任せしてしまい失礼致しました。
 九月でこの猛暑では、「良い季候」を目的に来日した外国人観光客の方々や、体育祭及びその準備などフィジカル的な負担の大きいイベントを行う学生さんなどには本当に大変だと思います。

 後期の火曜日の『吾妻鏡』は以下の範囲から読み進めて行く予定です。中断期間もありましたので、初回(9/21)は岩田のほうで何か材料をご用意致します。本格的に読むのは二回目(9/28)以降でよろしいでしょうか。

 日時:2010年9月21日(火)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:正元二年(文応元年、1260年)七月八日・十日・二十五日・二十六日・二十九日、八月六日・七日・十二日・十五日・十六日・十七日、九月五日、十月十五日、十一月十一日・十八日・二十一日・二十二日・二十六日・二十七日・二十八日、十二月一日・二日・十六日・二十日・二十一日・二十三日・二十五日・二十六日・二十九日
    文応二年(弘長元年、1261年)正月四日・十日・二十五日・二十六日、二月二十日・二十五日・二十九日、三月五日・十三日・二十日・二十五日、四月二十一日・二十三日・二十四日・二十五日・二十六日、五月一日・十三日、六月一日・三日・六日・十日・十八日・二十二日・二十三日・二十五日・二十七日・二十九日・三十日、七月二日・九日・十七日・十八日・二十二日・二十九日、八月二日・七日・十日・十二日・十三日・十四日・十五日、九月三日・四日・十九日・二十日、十月四日・二十九日、十一月一日・二日・三日・二十六日、十二月二日の各条

 ですが、再開後の後期の火曜日の『吾妻鏡』は、頼経~宗尊将軍期の注目すべき記事をオムニバス形式で振り返りながら読むようなことをやってから、以上の範囲に戻りたいと思います。その振り返りのための史料は岩田が用意します(メンバー各自で好きな記事を選んでご用意していただいてもけっこうです)。以前読んだ箇所をどんどん忘れてしまわないようにしたいですからね。