無題

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1601

皆さん、こんばんは。

昨日今日で、平行して続けていましたふたつの仕事がやっと一段落しました。あ~ぁ、くたびれた。

ひとつは、今週の土曜日曜(←先週じゃないです、野口先生)に奈良大学である中世都市シンポジウムで報告する「中世都市京都の展開」の準備。
もうひとつは、六月頃に新人物往来社からでる予定の『文久修陵図』の解説原稿です。
 
 前者の日程は>>No.1281を御覧ください。画期的な中世京都論を発表する予定(!??)ですので、御興味ある方はぜひご来場ください。申し込みは今からでも充分に間に合いますし、当日にいきなり来られても大丈夫です(多分そうだと思う―いいかげんですが・・)。

 後者は、幕末におこなわれた天皇陵修築事業の全貌を記録した絵図を、始めて全面的に公開するものです。現在われわれが見ている天皇陵とは、実はこの時に造り上げられたものです。御陵によってはぜんぜん形が変っているものもあって、このあたりに興味を持っておられる方にとってはまさに絶句ものです。
 みなさん、自分の専門としている時代の天皇陵に行ったことはありますか? この掲示板を見ている多くの方には、白河、鳥羽、近衛、後白河、高倉、後鳥羽、後嵯峨、亀山、後宇多の各天皇陵や、深草北陵などは必見だと思います。

 野口先生に叱られたので、イメージと文字色を変えた山田でした。

Re: 無題

美川圭
No.1605

山田先生、こんにちは。

崇徳院陵墓と頓証寺との関係、お教えいただき、ありがとうございました。おかげで、たいへん楽しかったです。

奈良大でのシンポ、行きますよ。
明日から、寝屋川市史の調査で、東京出張で、
土曜日は行けそうもありませんが、日曜は行きます。
ご報告、楽しみにしています。

Re: 無題

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1608

美川先生、こんばんは。
シンポジウムにおこしいただけるとは、光栄なような、緊張するような。
でもありがとうございます。

奈良のシンポお礼

No.1638

山田先生、お疲れ様でした。

シンポジウムでのご報告、興味深く拝聴いたしました。
嵯峨と鎌倉が、都市として似ているというご指摘、
たいへん刺激的でした。
私も、嵯峨が気になっていたので、あっ、そうなのか、
と驚きました。
また、ご報告で、嵯峨の全貌があきらかになり、
他の報告そっちのけで、
いろいろと思いめぐらしてしまいました。

たしかに似ているが、なんで似ているんだ。
鎌倉は、あの山に囲まれた地形に規制されているのに、
嵯峨はどうだったかな、といったところが、気になっています。

また、前日に本題の奈良の報告を聴けなかったのは
残念なところで、
けっきょく、最後まで討論を聴かずに帰ってしまいました。

本になるそうで、そうなったら、
またじっくり検討したいと思います。

考古学のかた中心のシンポだったので、
ちょっと、こちらが学問的手法に慣れていないので、
議論の内容がわかりにくかったり、しました。
やはり、ときどき用語がわからないんです。

山田先生のご報告とご発言は、
文献にも精通しておられるので、
まったくそんなことはなかったのですが・・・。

御礼

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1642

美川先生、こんにちは。
シンポジウム、お来しいただけていたとのこと、まことにありがとうございます。会場で先生の御姿を探したのですが、あいにく見逃してしまいました。どうもすみません。

おマヌケなことに、報告をひかえておりながら前日の懇親会で飲み過ぎたもので、喉がガラガラ(もともと喉が弱いのに、ホントに阿呆です)になってしまい、さぞお聞き苦しかったと思います。

でも、今回の報告で明らかにしたかったのは、従来ほとんどあつかわれてこなかった、「中世都市嵯峨」の持つ意義です。
中世都市嵯峨と鎌倉は、都市構造・都市規模ともにほぼ同形同大とみなして良い。13世紀の東西の王権は、軌を一にして同形同大の都市づくりに邁進していたのです。
これは驚くべき事実であると思っております。
(自信を持って自説を展開したのですが、ほかの出席者からあんまり反応がなかったので、ちょっとがっくり・・・)

中世都市嵯峨

No.1643

山田先生、こんばんわ。
「中世都市嵯峨」ほんとうに注目されてきませんでした。
私は、数年前の日本史研究会のシンポでちょっと触れたのですが、やはりほとんど反応がありませんでした。
今回、山田先生のご報告で、本格的に明らかにされたので、感銘をうけました。しかし、討論では、議論にならなかったし、私も、前日の奈良の報告を聞いていないので、あえて発言するのもはばかられるし、しかも司会者が、奈良に話を限定すると最初に釘をさしていたので、遠慮しました。
しかし、前日を聞いていないとはいえ、今回のシンポの目玉はやはり、中世都市嵯峨の問題が、はじめて前面に出されたことではないかと、個人的に思っています。
なんで、鎌倉と似ているのか、都市史研究の大問題です。
そのわりには、反応がにぶいですね。
私は、昨日はほとんど、そのことを考え続けました。
都市史研究は、最近東と西とが没交渉で、いまひとつなんですが、山田報告でその接点が生まれたような気がします。
ありがとうございました。