智に働けど、情に棹させども伝わらず
No.9660
「ある集団に対して、良かれと思うことを頑張って進めてみるのは結構なことだが、それを分かってもらおうなどとは考えてはいけない」とは、昔教えを受けた師の言であるが、まさに然り。
とは言っても、やはり分かってもらえないのは辛い。
<厳しい現実>に直面して、めずらしく憂鬱になっています。
自らの身体もさることながら、築10数年を経た拙宅も老朽化が進んでいるようで、水洗トイレの水が止まらなくなったり、天井裏に羽アリが大量発生したりするようになりました。
嗚呼、「内憂外患」の種は尽きまじ。
そういえば、京都文博の『平清盛展』をまだ見に行っていませんでした。
捨てるカミあれば、拾うカミあり
No.9661
ゼミの方たちのツイッターの情報で、拙著『源氏と坂東武士』(吉川弘文館)が重版されることになったことを知りました。3刷は中公新書の『武家の棟梁の条件』(現在までに6刷)以来の快挙です。
多くの方が復刊をリクエストして下さったようで、とても嬉しく思っています。
いささか精神的に救われた気持ちです。
ちなみに、この本の書名は『源氏と坂東武者』でも『源氏と板東武士』でもありません。
お間違えなきようにお願い致します。
新刊の『新横須賀市史 通史編 自然・古代・中世』拝受
No.9659
山田邦明先生・近藤好和先生・高橋秀樹先生・真鍋淳哉先生の御高配により、横須賀市より『新横須賀市史 通史編 自然・古代・中世』を御恵送頂きました。
大冊でほとんどがカラー印刷という豪華版です。そして、古代・中世の部分の多くは三浦氏に関係する内容。大変なお仕事であったことと思います。
資料編も含めて、市町村レベルにおける自治体史編纂のお手本を示されたものと思います。
もちろん、ほんの僅かですが、異論を差し挟みたいところもございました(笑)。
山田先生・近藤先生・高橋先生・真鍋先生にあつく御礼を申し上げます。
この本の内容を前提にして、中世を三つの時代くらいに分けてシンポジウムでも開催されたら素晴らしいのではないでしょうか。
袴着・裳着・元服
No.9657
本日の「基礎演習Ⅰ」。先週の東城さんに引き続き、戸出さんの発表も、なかなか考えさせられる内容。このクラス、前期で解散になるのが惜しまれます
先日上洛された江波曜子さん(広島大学大学院博士後期課程、元『紫苑』編集長)から頂戴した御高論「〈三日の儀式〉考-王朝文学と古記録の間-」(古代中世文学論考刊行会編『古代中世文学論考』第26集、新典社)には、平安~鎌倉時代における袴着・裳着・元服に関する事例が検出されていて有用。さすがは、あの「首途考」の江波さん。
☆ 國學院大学大学院OBの池田陽平さんより、御高論「永保元年の二十二社奉幣について」(『日本宗教文化史研究』16-1)を御恵送頂きました。
池田さんに、あつく御礼を申し上げます。
夏の訪れの『吾妻鏡』
No.9658
祇園祭の山鉾巡行は7月17日(火)9時からです。
宵山と併せて、京都近辺にお住まいの内に一度お運びになるのもいいと思います。今年のお天気はいかがでしょうか。
そんな日程の、次回の『吾妻鏡』のご案内です。
日時:2012年7月17日(火)午後4時すぎ~(予定)
場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
範囲:建仁四年(元久元年、1204)正月十日・十二日・十八日、二月十日・二十日、三月九日・十日・二十二日・二十九日、四月一日・十日・十六日・二十日・二十一日、五月六日・八日・十日・十六日・十九日、六月八日・十九日・二十四日・二十六日、八月三日・四日・十五日・二十一日、九月一日・二日・十三日・十五日、十月十四日・十七日・十八日、十一月四日・五日・七日・十三日・十七日・十八日・二十日・二十六日、十二月十日・十八日・二十二日の各条
また、火曜日の『吾妻鏡』は7月は17日、24日に開催予定です。よろしくお願いします。
わけあって開始時間を四時過ぎに変更させていただいております。メンバーのみなさんにはご迷惑・ご不便をお掛け致しますが、よろしくお願い致します。
火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。
基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、新年度から何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。
京都猛暑
No.9656
今日の京都は真夏の暑さでした。夏は若者の季節であることを実感!
ようやく校正ゲラを送付できましたので、次の仕事にかかわる「宇都宮歌壇」について考えている間に、うっかり京都文博の特別展を紹介する午後6時10分からのNHK京都の番組を見そこなってしまいました。残念! たしか、今日の放送でしたよね。
岩田君の出演する番組は、本日ロケに出掛けたようですから、少し先のようです。
明日の「基礎演習Ⅰ」は戸出さんの発表。テーマは「少年犯罪」とのことです。
傍らに人無きがごとし。
No.9655
雨上がりの日曜の夜。また、京都郊外の狭い建て売りの住宅地に住んでいる友達の家の隣人がバーベキューを始めたとのことです。まさに「傍若無人」。
かつては、共生こそ京都都市民の文化であったはず。それを現代の京都人、しかも近郊住宅地の住民の意識にまで敷衍するのは無理な話でしょうか。
平治の乱の評価は平清盛と源義朝の戦いに矮小化されるべきものではありませんが、その部分だけを取り上げるのなら、昔から、興味津々に思っているのは、上総広常ら義朝配下の東国武士がどのようなルートで帰東を果たしたのかということ。
広常の場合、のちに尾張の原氏(良峯氏)と姻戚関係にあったことが知られるから、その援助を得たものか。いずれにしても、かれらは既に東海道や東山道の各所にネットワークを張っていたのでしょう。当時の東国武士は人生のかなりの時間、在京生活を送っており、歌も詠めるし、ドラマに描かれるほどに粗野ではありませんでした。
平治の乱について勉強したい人は、元木泰雄先生の『保元・平治の乱を読みなおす』(NHKブックス)を図書館で借りてくるか、近く刊行される『保元・平治の乱 平清盛 勝利への道』(角川ソフィア文庫)を待つのがベスト。それ以外の関連書籍をお読みになっても、必ず最後は元木先生の御著書でしめて下さい。
政治史的評価云々よりも、義朝の東国への逃走など、枝葉末節な合戦話にこそ関心があるという向きには、拙著『武門源氏の血脈』(中央公論新社)で十分かと存じます。
それから、私が現在校正中の本というのは、山川ブックレットの『源義家』です。副題はいろいろ迷ったあげく『中右記』の一節から「天下第一の武勇の士」といたしました。順調に進めば、9月末頃には世に出ることになります。
それにしても、近藤好和先生が今回の大河ドラマを御覧になっていなくて本当に良かったと思います。
なにしろ、とくに合戦の場面は、専門外の私が見てもあんまりですから。
【追記】 先ほど、「日本の古本屋」を見ておりましたら、早稲田の古本屋さんに(幻の)拙著『坂東武士団の成立と発展』(弘生書林)が出ておりました。
六波羅・法住寺殿跡の歴史散歩
No.9654
まずは、管理人の鈴木君にお礼を申し上げます。
さて、本日の歴史散歩。幸い、雨に降られることもなく無事に終了することが出来ました。ただ、このところ胃腸の具合が悪いため、朝昼食事抜き、栄養ドリンク一本のみで臨んだためか、さすがに疲労困憊の有様。
手前勝手な案内と解説にお付き合い下さった市民の皆様、私のレールをはずれた話にかなりヤキモキされたことと思われる主催者京都文化博物館職員の方々、それに、ボランティアでお手伝いいただいた佐伯君と当ゼミ生の池嶋さん・滝沢さんに、心よりお礼を申し上げます。
しかしながら、終了後のお茶の席(於、女坂の「里」)に至ってまでも毒舌吐き放題の為体、まったくもって、われながら老耄の醜態としか言いようがありません。御寛恕の程。
これで、前期末までの間での大きなイベントは終了。心置きなく校正作業にとりかかれると思いましたが、提出期限は10日(必着)ですから、如何ともし難い有様です。
こんな状態の時でも、一念発起して頑張れたのは40代の頃までか。
ところで、明日(もう本日か)放送の例の番組ですが、予告がやたらに流されているので見せていただいたところ、なにやら「平治の乱」を源平合戦と割り切ってしまうような脚色がされている様子で、驚くべきことに六条河原の合戦では平清盛と源義朝が歩行立ちの斬り合いをするようです。
ちなみに、保元・平治の乱に関する一般向けの本の決定版でありながら品切れになっていた元木泰雄先生の『保元・平治の乱を読みなおす』(NHKブックス)は、近く『保元・平治の乱 平清盛 勝利への道』と改題して(角川ソフィア文庫から再刊されるとのことです。もう予約殺到のようですね。
〈自戒〉 けっせきでけっせきとならないように。
No.9652
蒸し暑いですね。明日はやはり雨儀になるのかな?
トップページから掲示板を開いていたので、昨日まで、しばらくメンテナンスが続くのかと誤解しておりました。
管理人の鈴木君が何か新しいことにチャレンジしてくれているのだと思います。乞うご期待といったところでしょうか?
それにしても、昨日はⅢ講時の講義後、研究室には千客万来の新記録?。まず学生さん(2回生)、ついで放送局の方、博物館の方、ゼミ古参メンバー、本屋さん、学生さん(1回生)、新聞社の出版センターの方・・・。そんなわけで混乱してしまい、失礼な対応しかできなかったことをお詫び致します。
お知らせが遅くなってしまいましたが、7月2日(月)付『京都新聞』夕刊に、長村祥知君が京都文化博物館で開催中の特別展「平清盛」に出展されている『兵範記』の解説記事を書かれています。
ところで、この夏、「京都の歴史」について、もっと勉強したいという方へ、古代学協会と朝日カルチャーセンターの共催講座の御案内。
◇7月7日(土)10:30~12:00
田中俊明(滋賀県立大学教授)「国際交流都市平安京 ―新羅・渤海・唐との関係―」
◇8月4日(土)10:30~12:00
野口孝子(同志社女子大学嘱託講師)「祝祭空間と京都―王朝の賀茂祭巡行―」
◇9月12日(水)13:00~14:30
関川尚功(前橿原考古学研究所主幹)「古代大和と京都」(仮題)
◆各講座、京都朝日会館8階朝日カルチャーセンターの教室で開催。
◆(財)古代学協会正会員は、会員料金。
《お申し込み・お問い合わせ》朝日カルチャーセンター・京都
〒604-8005京都市中京区河原町三条上ル京都朝日会館8階℡075-231-9693
失礼いたしました
鈴木 潤
No.9653
掲示板のスパム対策をしていて、トップページの書き戻しを忘れていました。
申し訳ありませんでした。
とりあえず、海外から飛んでくる虫さんの対策はできたと思います。
この掲示板は、「清盛」放映に合わせて…ではないですが、掲示板のプログラムを一から書きましたので、気づいていない不具合等もあると思います。
必要な機能などがあれば、この掲示板でお知らせください。
そのうちなんとか、・・・・・
No.9651
火曜日の「基礎演習Ⅰ」の発表は大変充実した内容で、いろいろな側面から学ぶところ大きいものがありました。また、来週の発表も楽しみにしています。
土曜日の歴史散歩は雨が心配ですが、いかに天気が悪くとも体力さえあれば・・・と考えてしまいます。
今年はこのゼミに関係する若い研究者たちの人生にとって、それぞれ大きな画期の年になりそうな気配を感じています。
暇を見つけながら新著の校正を進めていますが、ときに原史料に立ち戻って考え直さなければならない局面もあり、なかなか苦労しております。若いうちなら、すぐに思い出せたことが、思い出せても間違えていたりするというわけです。
若者は、先の心配などしている暇があったら、勉強しなさい。そのうち、なんとかなるものです。
☆ 京都市埋蔵文化財研究所の上村和直先生より、御高論「平安京の変容」(『帝塚山大学考古学研究所研究報告』16) を御恵送頂きました。
上村先生に、あつく御礼を申し上げます。
☆ 国立歴史民俗博物館の井原今朝男先生より、先生が研究代表者である平成20~23年度科研基盤研究C「室町期禁裏・室町殿統合システムの基礎研究」の研究成果報告書を御恵送頂きました。
井原先生にあつく御礼を申し上げます。
明日の「基礎演習Ⅰ」
No.9650
雨は上がりましたが、今日はとても暑い一日でしたね。
ところで、明日の基礎演習Ⅰの発表は、東城さんの担当。テーマは「在日朝鮮人の歴史と文化」とのことです。
そういえば、明日がお誕生日だという人がおられましたね。えっ、まだ19歳?
羨ましい限りであります。
ゼミの史料講読会は、『玉葉』と『吾妻鏡』を着々と読み進めるばかり。
六波羅は~今日も雨だった。
No.9649
昨日の六波羅・法住寺殿跡の歴史散歩ですが、京都文博の植山先生(考古学)、私の補佐役を引き受けてくれた佐伯君、それに山本さん・池嶋さん・滝沢さんという精鋭メンバーで、鴨川河畔(珍しいものを見ました)を北上、松原通を東進(車が多くて歩きにくい)、六道の辻(幽霊飴のお店の前)から六波羅蜜寺の前を南進して池殿町、さらに五条通を渡って(東山郵便局の脇)、大和大路を南下して三十三間堂・後白河天皇陵(ここで池嶋さんから、院政期の「権門都市」の本質を突く、よい質問あり)、最勝光院跡、そして今熊野神社まで、ちょうど2時間程で歩きました。
歩数でいうと1万歩弱くらいでしょうか。空は曇っていたのですが、蒸し暑く、耄碌と病み上がり(上がっていませんが)が重なって、私はとても疲れました。
ほんの数年前までは、このくらい歩いても何でもなく、案内の話も陽気に楽しく弾んだものですが、これでは来週が思いやられます。ただ、今熊野神社で礼式に叶わないやり方ながらも、一応「茅の輪くぐり」をして参りましたので、健康の回復は叶うかも知れません。当日用のレジュメ原稿やおまけの配付資料も植山先生にお渡しできましたし、あとはお天気次第でしょうか。
さて、本日のお話に関してですが、一事が万事とはよく言ったもので、
「三条殿」は「さんじょうでん」では×。「さんじょうどの」○です。脚本のルビは正確にお願いしたいものです。
平治の乱に関しては、いまだに『平治物語』に依拠した旧説が大手を振っておりますが、今日の歴史学の水準を知りたければ、元木泰雄先生の『保元・平治の乱を読みなおす』(NHKブックス)・『平清盛と後白河院』(角川選書)・『河内源氏』(中公新書)を御覧なるに如かずです。それから、藤原信頼の評価については、通説は本当に不当なものであるとしか言いようがありません。
平治の乱における平清盛と源義朝の合戦の様子や、とくに義朝の東国への逃走の過程、さらに頼朝の伊豆配流の問題については、拙著『武門源氏の血脈』(中央公論新社)の第2章「 調停する義朝―坂東の平和と平治の乱」2「平治の乱における義朝」と、第3章「 起ち上がる頼朝―軍事権門「鎌倉殿」の誕生」1「伊豆配流」に詳述してあります。