もう平清盛見ません
美川圭
No.9583
さすがに、もう大河ドラマの平清盛を見ないことにした。
理由は、先週の日曜日、1回見なかったら、この1週間がハッピーだったから。
ドラマというのは、根底に見て楽しい、あるいは楽しいとはとてもいえなくても、何か重要なことを考えるヒントになる、といったことがないと、少なくとも暇をもてあましているのではなければ、見続けるのは苦痛以外の何ものでもない。それを、約4か月やったのだから、もういいだろう。いくらなんでも、こんなに出来の悪いドラマを見続けるのは限界という結論である。
昨日の毎日新聞夕刊の一面に「「清盛」おごる日いつ」という記事が載っていた。視聴率、歴代最低に迫る、ということで、まあ、最低はやはり中世をあつかった「花の乱」だそうである。あのドラマも一応見たが、ドラマとしてひどい出来であった。それよりは視聴率は高かったということだろうが、「北条時宗」もひどかったそうである(これはほとんど見ていない)。いずれも中世を舞台にしている。そのあたり、脚本家とか演出家に、中世のイメージがない、という問題もあるような気がする。おもしろくない時代だろうから、自分たちがおもしろくしてやる、というおごりに近い雰囲気が画面から漂ってくるのである。それもとても嫌だ。
そこまで歴史家の責任にされるいわれもないが、もう少しわかりやすいかたちで、中世のイメージを歴史家が一般に語る必要は、日頃から痛感している。とにかく、変な脚色をして、かえって作品を台無しにする例が多すぎるのである。中世は、あまり変なことをせず、そのままドラマにした方が、よほどおもしろいのである。なにしろ、変なことが実際にたくさんあった時代なのだから。
最近、とくに思うのだが、歴史はおもしろい。だから歴史家になったのだろう、何をいまさら、と言われればどうしようもないが、以前は少し小説家とか脚本家とか、映画監督にたいしてあこがれがあった。というか、できればなってみたかったと思ったこともあるのだ。
「事実は小説よりも奇なり」とはよく言ったもので、作り事には限界があるのだ。実際の人間のおこすことは、思いも掛けないことがおこるのである。
たまたま、7時30分のBSでの朝ドラの前に、以前放送していた「ゲゲゲの女房」の再放送をやっている。今の「梅ちゃん先生」と続けてやっているので、ドラマの出来不出来がほんとうによくわかる。「ゲゲゲの女房」は水木しげるのほぼ実話だろうが、「梅ちゃん先生」は完全なフィクションのようである。「ゲゲゲの女房」はきちんと毎回見ていたにも関わらず、2度目でもおもしろい。「梅ちゃん先生」の方は、たった15分が長くてしょうがなく感じる程度の出来である。こちらももう見ないことにする。ちなみに、この3月までやっていた「カーネーション」も実におもしろかったが、これもコシノ三姉妹の母親の話であり、ほぼ実話である。実話だからおもしろく、完全なフィクションだからつまりないなどというセオリーはありえないが、しかし、そのことが影響する場合もかなりあるような気がする。
さて、毎日新聞の記事にもどると、人間関係の複雑さなどをとりあげながら、低視聴率の原因をけっきょく視聴者の知識量の少なさ、時代へのなじみのなさに帰している。
しかし、この分析は完全に誤っている。
私をはじめ、この時代の歴史家の多くが、このドラマをつまらないと言っているからである。ここに描かれている複雑な人間関係をよく知っていても、つまらないのである。わかりにくいから視聴率が低いのではなく、つまらないドラマだから低いのである。このことを、前の朝日新聞の記事もまったく書いていない。
考えてみれば、出来の悪いドラマなど山のようにあり、むしろ秀作の少ないのはあたりまえである。民放のドラマだと、視聴率低迷により、スポンサーが離れて打ち切りになる。この点、NHKは地味な、しかし重要な報道番組などを、スポンサーの意向を考慮せず、放映できる有利さはあるが、娯楽ドラマとなると逆にどうなのだろうか。とくに大河ドラマは1年間も続くという慣例になっている。評判が悪ければ、打ち切りとなってもいいと思う。少なくとも、私はもうこのできの悪いドラマに付き合う気はおこらなくなった。
最初から見ていない近藤好和先生の決断を尊敬している。私は、それに踏み切れず、ずいぶん損をしてしまった気がする。毎回、批判を書いたら、「誹謗中傷」だなどと、私に対する人格攻撃までなされているサイトがあることも知っている。そんな言われ方をするのも、もうこりごりである。
もう終わります。
理由は、先週の日曜日、1回見なかったら、この1週間がハッピーだったから。
ドラマというのは、根底に見て楽しい、あるいは楽しいとはとてもいえなくても、何か重要なことを考えるヒントになる、といったことがないと、少なくとも暇をもてあましているのではなければ、見続けるのは苦痛以外の何ものでもない。それを、約4か月やったのだから、もういいだろう。いくらなんでも、こんなに出来の悪いドラマを見続けるのは限界という結論である。
昨日の毎日新聞夕刊の一面に「「清盛」おごる日いつ」という記事が載っていた。視聴率、歴代最低に迫る、ということで、まあ、最低はやはり中世をあつかった「花の乱」だそうである。あのドラマも一応見たが、ドラマとしてひどい出来であった。それよりは視聴率は高かったということだろうが、「北条時宗」もひどかったそうである(これはほとんど見ていない)。いずれも中世を舞台にしている。そのあたり、脚本家とか演出家に、中世のイメージがない、という問題もあるような気がする。おもしろくない時代だろうから、自分たちがおもしろくしてやる、というおごりに近い雰囲気が画面から漂ってくるのである。それもとても嫌だ。
そこまで歴史家の責任にされるいわれもないが、もう少しわかりやすいかたちで、中世のイメージを歴史家が一般に語る必要は、日頃から痛感している。とにかく、変な脚色をして、かえって作品を台無しにする例が多すぎるのである。中世は、あまり変なことをせず、そのままドラマにした方が、よほどおもしろいのである。なにしろ、変なことが実際にたくさんあった時代なのだから。
最近、とくに思うのだが、歴史はおもしろい。だから歴史家になったのだろう、何をいまさら、と言われればどうしようもないが、以前は少し小説家とか脚本家とか、映画監督にたいしてあこがれがあった。というか、できればなってみたかったと思ったこともあるのだ。
「事実は小説よりも奇なり」とはよく言ったもので、作り事には限界があるのだ。実際の人間のおこすことは、思いも掛けないことがおこるのである。
たまたま、7時30分のBSでの朝ドラの前に、以前放送していた「ゲゲゲの女房」の再放送をやっている。今の「梅ちゃん先生」と続けてやっているので、ドラマの出来不出来がほんとうによくわかる。「ゲゲゲの女房」は水木しげるのほぼ実話だろうが、「梅ちゃん先生」は完全なフィクションのようである。「ゲゲゲの女房」はきちんと毎回見ていたにも関わらず、2度目でもおもしろい。「梅ちゃん先生」の方は、たった15分が長くてしょうがなく感じる程度の出来である。こちらももう見ないことにする。ちなみに、この3月までやっていた「カーネーション」も実におもしろかったが、これもコシノ三姉妹の母親の話であり、ほぼ実話である。実話だからおもしろく、完全なフィクションだからつまりないなどというセオリーはありえないが、しかし、そのことが影響する場合もかなりあるような気がする。
さて、毎日新聞の記事にもどると、人間関係の複雑さなどをとりあげながら、低視聴率の原因をけっきょく視聴者の知識量の少なさ、時代へのなじみのなさに帰している。
しかし、この分析は完全に誤っている。
私をはじめ、この時代の歴史家の多くが、このドラマをつまらないと言っているからである。ここに描かれている複雑な人間関係をよく知っていても、つまらないのである。わかりにくいから視聴率が低いのではなく、つまらないドラマだから低いのである。このことを、前の朝日新聞の記事もまったく書いていない。
考えてみれば、出来の悪いドラマなど山のようにあり、むしろ秀作の少ないのはあたりまえである。民放のドラマだと、視聴率低迷により、スポンサーが離れて打ち切りになる。この点、NHKは地味な、しかし重要な報道番組などを、スポンサーの意向を考慮せず、放映できる有利さはあるが、娯楽ドラマとなると逆にどうなのだろうか。とくに大河ドラマは1年間も続くという慣例になっている。評判が悪ければ、打ち切りとなってもいいと思う。少なくとも、私はもうこのできの悪いドラマに付き合う気はおこらなくなった。
最初から見ていない近藤好和先生の決断を尊敬している。私は、それに踏み切れず、ずいぶん損をしてしまった気がする。毎回、批判を書いたら、「誹謗中傷」だなどと、私に対する人格攻撃までなされているサイトがあることも知っている。そんな言われ方をするのも、もうこりごりである。
もう終わります。