小説家としての石原慎太郎氏の評価
美川圭
No.8282
最近の原発に関するマスコミの報道に、いろいろ疑問をもっていますが、ふと、
祖母の原爆に関する「あの日のこと」という小説がたしか、戦後GHQの検閲に
よって全文発禁になり、その後、朝日ジャーナル誌上で、堀場清子さんが、メリー
ランド大学のブランゲ文庫にのこっている(日本では消滅)ことに気がつき、そ
れを紹介したことがあったな、それは何年だったかな、というので、インターネ
ットで調べてみました。それは1982年であることはすぐわかりました。その朝日
ジャーナルがうちにもあったはずなのですが、ちょっとすぐにはみつかりません
でした。それはそれでいいのですが、祖母の名前などで検索していたので、思い
もかけず、50年以上も前(奇しくも私が生まれた年)にデビューしたての石原
慎太郎を辛辣に批判する文章がひっかかってきたのです。それは祖母の文章が、
斎藤貴男『東京を弄んだ男「空疎な小皇帝」石原慎太郎』(講談社文庫)に引用
されている部分です。もともとは『世界』に連載され、2003年に岩波書店か
ら単行本として発刊、今回文庫になったようです。ちょっと、嬉しかったので、
その部分を引用します。
デビュー当時の辛辣な石原批判を、そこでもうひとつだけ紹介しよう。美川き
よ氏の「操り人形にならないで」。今日では画家・鳥海青児氏の「押しかけ女房」
として記憶されていることが多いが、『デリケート時代』『恐しき幸福』などの
代表作を持ち、1938(昭和13)年の三田文学賞を受賞したこともある実力
派作家だった。57歳だった彼女は週刊誌の「私の年賀状」という企画に応じ、
見ず知らずの石原氏に宛てるというスタイルで、
〈「太陽の季節」の中で例の障子を突き破る場面がもし無かつたらば、あの作
品はああまでもてはやされるというか、嬉しがられなかつたのではありますまい
か。自分の女を兄貴に金で売買することなども、二十年前三十年前の日本の男性
達が若い頃はそれと似たことを云つてみたり、事実やつた連中もおりました。あ
なたの年頃は、どぎついことを一度云つてみたり試してみることで、自分の力を
試そうとする季節があるものですから。〉
〈あなたの年頃の男性に注文をつけるのは無理ですが、女の心理をこんなもの
だろう位に書かれるのは、不愉快よりもまだ坊やだなあって感じがします。女性
の行動と裏を書かれたつもりでしょうが、女の心の裏の裏までをのぞく眼力はま
だ無くて、甘いセンチな感情のひ弱さを感じました。これはうちへ来る若い女性
達にも当つてみたのですが、女を甘く見ていると云う意見の方が多いので、実は
近代女性がしつかりして来たことに、安堵の胸を撫でおろしたのですが-。〉
と石原氏の坊やぶりをからかい、また痛烈にたしなめた。結びは次のような言
葉で締めくくられていた。
〈今の青年の悩みは、「太陽の季節」や「処刑の部屋」ではまだまだ底が浅い
のではありますまいか。それと何卒真剣に今年は取りくんで下さい。人気のあや
つり人形にならぬように自愛と自戒を切に祈ります。〉(「操り人形にならない
で」『日本週報』57年1月5日号)
美川氏の忠告は石原氏に届いたろうか。
祖母の原爆に関する「あの日のこと」という小説がたしか、戦後GHQの検閲に
よって全文発禁になり、その後、朝日ジャーナル誌上で、堀場清子さんが、メリー
ランド大学のブランゲ文庫にのこっている(日本では消滅)ことに気がつき、そ
れを紹介したことがあったな、それは何年だったかな、というので、インターネ
ットで調べてみました。それは1982年であることはすぐわかりました。その朝日
ジャーナルがうちにもあったはずなのですが、ちょっとすぐにはみつかりません
でした。それはそれでいいのですが、祖母の名前などで検索していたので、思い
もかけず、50年以上も前(奇しくも私が生まれた年)にデビューしたての石原
慎太郎を辛辣に批判する文章がひっかかってきたのです。それは祖母の文章が、
斎藤貴男『東京を弄んだ男「空疎な小皇帝」石原慎太郎』(講談社文庫)に引用
されている部分です。もともとは『世界』に連載され、2003年に岩波書店か
ら単行本として発刊、今回文庫になったようです。ちょっと、嬉しかったので、
その部分を引用します。
デビュー当時の辛辣な石原批判を、そこでもうひとつだけ紹介しよう。美川き
よ氏の「操り人形にならないで」。今日では画家・鳥海青児氏の「押しかけ女房」
として記憶されていることが多いが、『デリケート時代』『恐しき幸福』などの
代表作を持ち、1938(昭和13)年の三田文学賞を受賞したこともある実力
派作家だった。57歳だった彼女は週刊誌の「私の年賀状」という企画に応じ、
見ず知らずの石原氏に宛てるというスタイルで、
〈「太陽の季節」の中で例の障子を突き破る場面がもし無かつたらば、あの作
品はああまでもてはやされるというか、嬉しがられなかつたのではありますまい
か。自分の女を兄貴に金で売買することなども、二十年前三十年前の日本の男性
達が若い頃はそれと似たことを云つてみたり、事実やつた連中もおりました。あ
なたの年頃は、どぎついことを一度云つてみたり試してみることで、自分の力を
試そうとする季節があるものですから。〉
〈あなたの年頃の男性に注文をつけるのは無理ですが、女の心理をこんなもの
だろう位に書かれるのは、不愉快よりもまだ坊やだなあって感じがします。女性
の行動と裏を書かれたつもりでしょうが、女の心の裏の裏までをのぞく眼力はま
だ無くて、甘いセンチな感情のひ弱さを感じました。これはうちへ来る若い女性
達にも当つてみたのですが、女を甘く見ていると云う意見の方が多いので、実は
近代女性がしつかりして来たことに、安堵の胸を撫でおろしたのですが-。〉
と石原氏の坊やぶりをからかい、また痛烈にたしなめた。結びは次のような言
葉で締めくくられていた。
〈今の青年の悩みは、「太陽の季節」や「処刑の部屋」ではまだまだ底が浅い
のではありますまいか。それと何卒真剣に今年は取りくんで下さい。人気のあや
つり人形にならぬように自愛と自戒を切に祈ります。〉(「操り人形にならない
で」『日本週報』57年1月5日号)
美川氏の忠告は石原氏に届いたろうか。