京博でも刊行物セール
No.780
NO.774に京都文化博物館の図録が半額で売られているという情報を書き込みましたが、京博でも一日だけ昭和41年から平成14年1月までに刊行した刊行物の中から完売分を除く61点を半額または30%引きで販売するとのことです。その一日というのは11月22日(土)で、この日は常設展の無料観覧日にあたります。来館者のみが対象とのことです。
博物館に勤務する研究者の血と涙と汗の結晶である刊行物の安売りとは、京都文博といい、どうしたのでしようか。まさか、阪神タイガースのリーグ優勝記念ではないとは思うのですが。
春日大社蔵 沃懸地螺鈿毛抜形太刀
前川佳代
No.782
再び、前川です。こちらこそよろしくお願いいたします。
京博に展示されている春日大社蔵国宝「金地螺鈿毛抜形太刀」は、「沃懸地螺鈿毛抜形太刀」でしょうか?雀が宿る竹林でリボンをつけたが猫が雀を捕まえている情景が施されているもの。これについては、猪熊兼樹氏が「春日大社の沃懸地螺鈿毛抜形太刀の意匠」と題して『佛教芸術』266号(2003.1)に詳細な研究を展開されています。それによると、従来、和様工芸意匠の代表をされてきたこの太刀の装飾文はわが国独自の発想によるものではなく、当時請来されていた宋画の、それも流行していた画題をわが国の絵師や工人が学習し作成したものであることを論証されています。12世紀における和様といわれる工芸の見直しを迫るものであり、また当時どれだけの文物が中国から入ってきたかというネットワークについて、東アジア世界を見据える必要性を喚起するものと思います。ご存じかとは思いますが、ご参考までに。
猫といえば、奥州平泉館の焼け残った倉には銀造猫があったといいますし、その数年前に頼朝と西行が歓談したのちに頼朝が銀造猫を西行に渡していますよね。これらも中国からきたものなのでしょうか。どんな猫の意匠だったのでしょう?
猪熊氏の論文に目を通したばかりだったので、ぜひとも観覧にまいりたく存じます。
別ものです。
No.783
前川さんのタイトルに掲げられた太刀と、小生の紹介した太刀とは、すくなくとも呼称については別物です。その名称の太刀も隣りに出展されていました。
太刀の装飾意匠について、小生はまったくの素人ですが、当時の摂関家の家長は内裏の指図まで自ら作製するくらいですから、その方面の知識を持っており、工人に指示するくらいのことはあったと考えた方がよいのではないでしょうか。とりわけ、氏神へ奉献するほどのものですから。
Re: 京都と平泉
No.786
横レス失礼します。春日大社の金地螺鈿毛抜型太刀と沃懸地螺鈿毛抜型太刀は同じ物です。金地と指定名称ではありますが、技法は沃懸地です。また、野口さんがいう、その隣の太刀というのは、沃懸地螺鈿金装餝剱で、春日大社の遺品ではありませんし、太刀の様式も違います。念のため。
Re: 京都と平泉
No.788
すみません。同じのが2回入っちゃいました。ひとつ消去して下さい。
訂正。
No.789
近藤先生、御指摘ありがとうございました。
もう一度、図録で確認しますと、前川さんのおっしゃっている太刀は、この展示では「金地螺鈿毛抜形太刀」の名称で出展されています。ですから、指定名称と技法呼称の相違ということで、小生がNO.779で述べた太刀と同じ物ということになります(春日大社所蔵)。そして、その隣に展示してあったのは「沃懸地螺鈿金装飾剣」という名称で、東京国立博物館のものでした。
それにしても、指定名称と技法による名称とが専門家によって混用されるのは、研究上それなりの理由があるにせよ、社会還元・教育の場では、小生も含めた素人には迷惑な話であります。小生の専攻する「武士論」にも、こういうことがあるかも知れません。当事者は気づきにくい事なので、御指摘下さい。
「沃懸地」というのはよく分かりませんが、図録の解説文によると、金粉を密に蒔くという技法のようです。
指定名称
No.790
文化財の指定名称は、指定する際に調査に関わった文化庁の担当官の見識で決まります。ですから、同じ技法や様式であっても、名称が異なることがよくあります。専門外や一般の方々はもちろん、われわれ専門に扱っている者でも混乱します。困ったものですが、文化庁は一向に改善する気がありません。ですから、私は論文などでは自分の見識で名称を変えますが、そうすると、所蔵者からクレームが付くこともあります。逆にいうと、文化庁の担当官には、私のように、遺品の名称(歴史的名称)に拘る人はいないということです。