来週の土曜日は・・・。

No.7721

 さて、来週の土曜日には下記のようなイベントがございます。

【その1】 歴史学研究会日本中世史部会例会
 日 時:10月30日(土)14:00~ 
 場 所:早稲田大学戸山キャンパス39号館第6会議室
 報告者:長村祥知氏(日本学術振興会特別研究員)
 報告テーマ:「承久鎌倉方武士小考」
 
【その2】山梨県立博物館開館5周年記念特別展
    「甲斐源氏―列島を駆ける武士団―」関連イベント
     http://www.museum.pref.yamanashi.jp/3nd_tenjiannai_10tokubetsu003.htm
     開館5周年記念講演会「甲斐源氏の世界」 
  講師:小笠原 敬承斎 氏(小笠原流礼法宗家)
      野口 実 (京都女子大学教授)
      守屋 正彦 氏(筑波大学教授)
  主催:山梨県立博物館、山梨郷土研究会、武田氏研究会
  日時:平成22年10月30日(土曜) 午後1時~5時
  場所:山梨県総合教育センター 大研修室(博物館となり)
    ※参加費、事前予約は必要ありません。
****************************************************
 長村君の御報告は、武士論および中世前期政治史を専攻の方には是非お聴き頂きたい内容。
 私の講演のテーマは「東国武士団の中の甲斐源氏」。安田義定を中心にお話しするつもりでおります。
 なお、時間の都合で、当初の計画とは異なり、身延線ではなく、名古屋・塩尻経由で甲府に出ることに致しました。
 翌日曜日は(体調が悪くなければ)長村君と合流して歴博の特別展を見学する予定です。

 ● このところ、書類づくりで神経をすり減らし、耄碌がらみで諸事につけて腹の立つことが多く、そのうえ生活のリズムが不規則になっているために、胃腸の具合をさらに悪くしております。おつき合いの御遠慮、おゆるしください。

今日がダメなら明日がある。明日がダメなら

No.7719

 このところ、身の程もわきまえずに、授業中、「大学のあるべき姿」なんてことについて語らせて頂くことが多いのですが、ズバリと私の言いたいことを示した歌のあることを思い出しました。
 
 かつて、NHKテレビで放送されていた「ひょっこりひょうたん島」のなかで、同島大統領のドン・カバチョ(藤村有弘)が、志士(柳澤眞一)と歌った「大学とは」(すばらしい大学)がそれです。是非、You Tubeででも聴いてみてください。感動ものです。
 しかし、藤村有弘という俳優さんはよかった。まさに、ドン・ガバチョその人であったように思います。

 先日、久しぶりに八井君から来信あり。
 「いつか夏休みあたりに同窓会旅行(?)のようなものを企画できればいいですね。」
 とのことでした。

遅くなりましたが・・・

No.7750

名前を出して頂いたので、投稿します。何年ぶりだろう??

僕がゼミメンバーとして一番活動していたのは、2003年~2005年頃だったでしょうか。
とはいえ、専門が全く違うため、学術的な活動は全く参加できず、専ら“ゼミ旅行担当”だったわけですが。
そしてそのゼミ旅行も、自分が参加したのは2005年夏の「しろくまツアー」が最初で最後でした。
自画自賛するわけではないですが、本当に楽しい旅行で、5年経った今もあの頃のことが鮮明に思い出されます。
来年は九州新幹線が全通し、関西から鹿児島まで直通で行けるようになるので、同窓会的な雰囲気で
もう一度あの頃のメンバーで行けたらなぁ、と思ったりしました。
あるいは僕が手配したけれど行けなかった、鎌倉、佐賀、東京、伊豆なども行ってみたいところです。

野口先生から、現在はゼミ旅行が行われていないとお聞きしました。
現役ゼミメンバーの皆さん、手配のお手伝いくらいなら今もできますので、そのような話が出た折にはご一報ください。

山本陽一郎「北陸地方と比企氏」

No.7715

 火曜日のお昼過ぎ、霧島市教育委員会の重久淳一先生が研究室にお出で下さったのですが、ちょうどキャンパスプラザに出講中で、一足違いで行き違いになってしまいました。
 研究室のドアの取っ手に結びつけられていた、霧島市立隼人歴史民俗資料館で開催された特別展「海と城館が支えた祈りの世界」図録と関連事業として開催されたシンポジウムの資料などのお土産を拝受致しました。
 あとでお電話を頂きましたが、お目にかかれなかったのは残念。
 貴重な資料、おおいに活用させて頂きたいと存じます。ありがとうございました。

 忙しいので、予告をするのをすっかり忘れてしまいましたが、昨日Ⅴ講時の「基礎・教養科目」は、先週の七条町と西八条の話に関連づけて、「六波羅」をとりあげました。来週は、武士の呪術的性格について述べたいと思います。

 『歴史評論』の最新号(727号)は、12世紀の北武蔵の特集号で、東国武士に関する論文が掲載されています。中世前期の武士論専攻の方は必読。
 落合義明先生の利仁流藤原氏に関する論文は、かつて山本陽一郎君が『紫苑』第3号に発表された「北陸地域と比企氏-疋田斉藤氏の御家人化の背景-」(http://donkun.ath.cx/~sion/organ/sion_003.pdf)と併読すると面白いと思います。
 ちなみに、山本君は元気にやっているでしょうか?

 ☆ 青山学院大学の大橋直義先生より、新刊の御高著『転形期の歴史叙述 縁起 巡礼、その空間と物語』(慶應義塾大学出版会)を御恵送頂きました。本文だけで735ページの大著です。
 大橋先生にあつく御礼を申し上げます。 

 ☆ 同志社女子大学の山田邦和先生より、山田邦和・高木博志編『歴史のなかの天皇陵』(思文閣出版)を御恵送頂きました。
 山田先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 日本学術振興会特別研究員の小原嘉記先生より、御高論「東大寺大勧進円照の歴史的位置」(『史林』93-5)を御恵送頂きました。
 小原先生にあつく御礼を申し上げます。 

『吾妻鏡』をはじめた山本陽一郎氏

岩田慎平
No.7718

 たびたび話題にしたことがありますが、山本陽一郎さんこそ、火曜日の(※当時は月曜日の)『吾妻鏡』を創始された人です。その山本さんは元気にやっておられるでしょうか?
 その火曜日の『吾妻鏡』は、前回までに引き続き、過去に読んだ範囲の振り返りをもう少し続けたいと思います。

 日時:2010年10月26日(火)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:前々回(10/5)お配りした史料を引き続き読みましょう。

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、秋から何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

◇ 公開研究会開催のお知らせ ◇

No.7709

 本年度研究所共同研究の一環として、下記のように当ゼミの例会を兼た形で研究会を開催します。広く、報告テーマに関して関心を持たれる研究者・院生・学生の方たちの参加を期待致します。

 ・ 研究発表のテーマ: 「北条師頼と伊賀国平等寺の禅院化-得宗一門・守護・禅宗-」(仮)
 ・ 講師: 大田壮一郎氏(本願寺仏教音楽儀礼研究所研究員・龍谷大学等非常勤講師)
 ・ 日時: 11月27日(土)14:00~
 ・ 会場: 本学宗教・文化研究所共同研究室

 ※ 共同研究員および当ゼミ関係者以外の方で参加される方は、席数の関係上、当ゼミ関係者を通じて申し込まれるか、私に直接御連絡下さい。

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☆ 國學院大學の藤本正行先生より、新刊の御高著『本能寺の変 信長の油断・光秀の殺意』(洋泉社歴史新書)を御恵送頂きました。
 信長の発した「是非に及ばず」という言葉の意味が冷静に解釈されています。
 藤本先生にあつく御礼を申し上げます。

  ☆ 群馬県立歴史博物館の簗瀬大輔先生より、御高論「中世村落における平地林の機能と景観」(大間々扇状地研究会編『共同研究 群馬県大間々扇状地の地域と変遷-自然・考古・歴史・地理-』同会刊)を御恵送頂きました。
 簗瀬先生にあつく御礼を申し上げます。

出張報告の下書&「一件不落着~!」

No.7704

 16日の土曜日は中世戦記研究会がありました。会場は進学校として著名な開成高校。
 なるほど西日暮里の駅に隣接していて交通至便。廊下の書棚の中にある雑誌も大学の研究室の如しでありました。

 今回、『慈光寺本承久記』の輪読を担当されたのは、名編集者として知られる講談社の横山建城氏。「三浦平九郎胤義の遺児伝承の“近代的”受容」というテーマで、胤義の遺児伝承の形成、近世近代における地方の名望家・好事家による「勤王」をキーワードとした地域顕彰から歴史認識論にも及ぶお話しでした。

 研究発表は、清水由美子氏の「源平闘諍録と常陸平氏」と 藤本正行氏「『是非に及ばず』考―『信長公記』の読み方―」の二本。

 清水先生のお話しは、私の千葉氏・東国武士研究と関係深い内容で、しかも史実性について論じられたので、とても勉強になり、また、いろいろ発言させて頂きました。
 千葉大学関係の研究者が『源平闘諍録』について関心を持たれているということをうかがいましたが、さらなる成果の発表が楽しみです。

 藤本先生のお話しは、「是非に及ばず」という『信長公記』に所見する、本能寺の変に際しての信長の発言が、近年に形成された信長のイメージに整合された曲解に過ぎないことを見事に論証された内容でした。これは文献史学の研究者には痛いお灸。

 なお、今回の研究会は兵藤先生が御欠席だったのが、残念でした。

 東京に行っていつも思うのは人の多さですが、京都に戻ったら駅の中は東京以上の混雑ぶり。お土産物屋さんのレジにも列が出来ていて大変そうでした。
 この時期に京都で全国的な学会を開くのはやめた方が良さそうです。以前、日本史研究会が11月の連休に行われていたとき、会場の立命館大学から宇治の自宅に戻るのに、迂回を重ねた結果、3時間を要したことが思い出されます。

 出掛けている間に、たくさんのメールをいただきました。返信で一日かかりそうな有様ですので、緊急性のあるものから順次返信を致しております。しばしお待たせするかも知れませんが御容赦下さい。

 この掲示板への書き込みについては、岩田君に適切な対応をして頂きました。ありがとうございました。

 さて、明日のキャンパスプラザの講義ですが、「伊勢平氏から平家へ」というテーマでお話ししたいと思います。出席者は前回配付の資料をお忘れなく。

 目下、二ケタの数の論文査読に追われています。一度にこれだけ急いで読むと、頭の中は大混乱。

 科研の書類は、終わったと思ったら、却下でした。この時期は本当に落ち着きません。書類が手書きの時代には、こんな苦労はなかったのですが。  

やめられない、とまらない面白い説話集

No.7686

 このところ『吾妻鏡』でも『小右記』でも、講読会の際に説話集の話題で持ちきりになることがあります。とくに、山本さんは目下『沙石集』にハマっておられるようです。
 私も作者の無住について考えていることがあります。

 そこで、共同研究の資料としても必要であることから、岩田君からの御提案により、『沙石集』、『古今著聞集』(以上、岩波の日本古典文学大系)、『古事談』(新日本古典文学大系)の三冊を研究室に配架することに致しました。早ければ次(火曜日)の『吾妻鏡』講読会には間に合うということです。
 ほかにも必要な書籍があれば御提案下さい。
 なお、明日(金曜日)の『吾妻鏡』は例によって休会です。

 >共同研究員の皆様  本年度の中間報告と来年度の申請書、おかげさまで提出することが出来ました。

 ☆ 本年4月、国際日本文化研究センターの客員教授に就任された近藤好和先生より、御高論「布衣始について」(『日本研究』第42集)を御恵送頂きました。
 先年、当研究所の公開講座で近藤先生の御講演を聴いた諸姉兄は是非読んでおくべき論文です。さすがに日文研刊行の研究誌だけあって、図版はすべてカラーという贅沢な印刷です。
 近藤先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 東京文化財研究所の津田徹英先生より、先生監修のDVD『知られざる神奈川と親鸞聖人』を御恵送頂きました。
 研究成果の還元の新しい方法として、学ぶべき点が多いと思いました。
 津田先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 日本放送出版協会の石浜哲士さんから、編集を担当された小田内隆『異端者たちの中世ヨーロッパ』(NHKブックス)を御恵送頂きました。
 石浜さんにあつく御礼を申し上げます。 

煩悩の海に漕ぎ出す舟-次回の『吾妻鏡』火曜日-

No.7688

 『沙石集』に登場する北条泰時の話は有名ですが、それ以外にも非常に興味深い話が多く含まれていることを最近になって知りました。そういうものも使いつつ、もうしばらく火曜日の『吾妻鏡』は過去の条文の振り返りを行いたいと思います。いちおう通常再開後の講読範囲も掲示しておきます。

 日時:2010年10月19日(火)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:前々回(10/5)お配りした史料を引き続き読みましょう。

    正元二年(文応元年、1260年)七月八日・十日・二十五日・二十六日・二十九日、八月六日・七日・十二日・十五日・十六日・十七日、九月五日、十月十五日、十一月十一日・十八日・二十一日・二十二日・二十六日・二十七日・二十八日、十二月一日・二日・十六日・二十日・二十一日・二十三日・二十五日・二十六日・二十九日
    文応二年(弘長元年、1261年)正月四日・十日・二十五日・二十六日、二月二十日・二十五日・二十九日、三月五日・十三日・二十日・二十五日、四月二十一日・二十三日・二十四日・二十五日・二十六日、五月一日・十三日、六月一日・三日・六日・十日・十八日・二十二日・二十三日・二十五日・二十七日・二十九日・三十日、七月二日・九日・十七日・十八日・二十二日・二十九日、八月二日・七日・十日・十二日・十三日・十四日・十五日、九月三日・四日・十九日・二十日、十月四日・二十九日、十一月一日・二日・三日・二十六日、十二月二日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、秋から何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。

『紫苑』第8号のお礼と研究会のご案内

No.7678

名古屋の松薗です。久しぶりの投稿です。
野口先生へ、『紫苑』第8号その他、ご恵贈ありがとうございました。大事に使わせていただきます。
 今日は全国的には休日ですが、うちの大学は普通に授業です。いま研究室よりメールしております。一昨日は雨の中、久しぶり日本史研究会の大会に行って参りました。会場では、なつかしい顔をみかけ、やっぱり出かけてみるものだなと思いました。西島君ほか発表を面白かったですし。
 以下、名古屋の私の大学で、予算が少し付きましたので、日記の研究会をスタートさせました。古代から近代まで、さらに他の諸国の日記などと比較して、日本人と日記との関係をいろいろ考えてみたいと思います。
 第1回は、元京都文教大学の西川祐子先生をお迎えして、去る9月26日に「」というテーマでお話しいただき、大変興味深い問題を提起していただきました。第2回を以下のように開きたいと思います。興味のある方はどうぞ。

人間文化研究所プロジェクト研究会のお知らせ
人間文化研究所では、下記の要領で研究会を開催します。


日時; 平成22年11月6日(土) 14:00~
会場; 愛知学院大学 日進キャンパス 3号館4階 3426教室
演題;「日記のコトバ 東アジア古典世界と漢文日記叙述―『後二条師通記』を中心として―」
講師; 中丸 貴史氏(学習院大学文学部非常勤講師)
     司会・コメント 松薗 斉(文学部教授)
参加費; 無料
主催; 人間文化研究所
お問合せ先; 人間文化研究所 TEL:0561-73-1111 (内線1875、松薗3251)

出会った場所は鹿児島と鎌倉でした。

No.7679

 松薗先生、研究会のお知らせありがとうございます。

 講師の中丸先生ですが、数年前、当ゼミ草創期に鎌倉旅行を行った際に、御同行頂いた学習院の院生の中におられた方だと思います。たしか、平田さん(現、山田夫人)を羽田まで送って下さったのではなかったかと記憶致します。当時の学習院の方たちは、みなさん御活躍のようで嬉しい限りです。
 もっとも、あの時の当ゼミメンバーも、けっこう、功成り名を遂げておられますね。
 ちなみに、松薗先生に初めてお目にかかった場所は鹿児島でした。

 『紫苑』の発送が遅れていたようで、申し訳ございませんでした。先にも書きましたように、なにせ「手はもじゃもじゃの長谷の観音」状態なので、諸方に御迷惑をお掛けしております。
 仕事量やPC依存社会になったという問題だけではなく、手際よく物事を処理する能力が衰えてきているのだと思います。

 京都女子大学も本日は通常授業が行われています。私は月曜日は担当がないので、書類作成を継続中。申請書やら中間報告などなど・・・。
 
 さて、当方の講義ですが、明日のⅡ講時、キャンパスプラザ特別講義科目では、伊勢平氏の発展について述べます。明後日のⅤ講時の基礎・教養科目は、武士と生産・流通の関係について、京都七条町を素材にお話しする予定です。


 >元木先生  私も最初に買ったワープロはオアシスで、あの親指シフトは本当に速く打ち込めました。ひらがな入力には大変有効だったと思います。でも、もうすっかりJIS入力に慣れてしまったので、戻せないだろうと思います。

 >鈴木君  先般、お尋ねした件、よいソフトが見つかりましたら、お教え頂ければ幸いです。もっとも、当分、取り掛かる時間は得られそうにありませんが。

ひと夏の経験

元木泰雄
No.7665

 ご無沙汰しております。
 当方の名前を出していただいたので、登場いたしました。
 執筆依頼をお送りした方々、何卒よろしくお願い申し上げます。
 
 さて、今夏はめちゃくちゃ暑く、何とも長かったですね。ようやく過ごしやすくなったと思ったら、もうすぐ来年ですから・・・
 今更何ですが、今夏の旅行やら何やらのご報告を致します。

 8月17日には、恒例となった上島先生のご解説による府立総合資料館の見学会。今回はもっとも紙質の優れた「第一類」文書を拝見いたしました。文字が稚拙で偽文書を思われたものが、第一類であるということから再検討し、将軍義詮の文書と分かった例など、非文字情報の重要性を認識させる興味深い事例が多数紹介されました。
 次回は春休みに、第二類の研究会が行われる予定です。
 
 その翌日から恒例の夏の旅行。これは特に当研究室の旅行というわけではなく、東京の漆原徹先生、関西の小林基伸先生を中心とする研究者の方々、そして院生諸君と一緒に史跡巡りを始めたものです。2004年の東播磨、05年が菅浦・湖東、06年柳生・黒田荘・湖南、07年が土佐、08年が山陽、昨年が伊予。そして今年は美濃・尾張でした。ただ、今回教員は武蔵野学院大の神野先生おひとり。お若い方が中心です。
 まず、関ケ原。各大名の陣地の跡を巡りましたが、三成の西軍本拠は、盆地を見張らず絶好のロケーションでした。夏休みの課題か何かで、史跡を巡る子供も多数見受けられ、さすがに歴史に対する関心の高さを感じさせられました。「彼らは史跡の中で生活しているんだなあ」と感心される向きもありました。おいおい、我々は京都にいるんだぞ・・・
 午後は墨俣城などを見学。ここには立派な天守閣風の資料館がありますが、もちろんほんとの墨俣一夜城に天守などありません。世を惑わす建物ですね。ちなみに、墨俣は長良川沿いで、岐阜金華山から西に遠くかけ離れており、ほんとに秀吉の築城に意味があったのでしょうか。また、治承5年の墨俣合戦にちなむ、義円の墓もあって地元の人たちに大切に保護されておりました。義経の同母兄弟も人気者です。
 その晩は岐阜で宿泊。駅前の飛騨料理の店で夕食となり、飛騨牛や地鶏に舌鼓を打ちました。ただ、鳥肉の朴歯味噌焼きのはずが、朴歯がなく単なる味噌焼きになっていたのはがっかり。

 二日目はまず金華山の岐阜城に登りました。もちろん再建天守ですが、景色は絶景・・のはずが、あいにくの曇天で今一つでした。ふもとでは信長居館あとの発掘調査が盛んに行われており、史跡公園化も近いことと思われました。
 次にすぐ隣の岐阜市歴史博物館を見学。体験コーナーが充実し、昔のおもちゃ、歴史的衣装の着せ替えに、みなさん夢中。自称、中学生の学芸会の方も、なかなか様になっているかたもおられたようですね。特別展示では富山の埋蔵文化財が展示され、かつて富大時代の伊集君の発掘成果もその中にあり、思わぬ再会と相成りました。
 昼食は、古い町並みで売出し中の川原町。博物館の方ご推奨の店のランチ売り切れで、
入ったのがカフェレストランブルドンネ。これが大当たりでした。ハンバーグ、サラダ、和そばに五穀ごはんという奇妙な取り合わせですが、結構相性がよく、大変おいしくいただけました。さらにコーヒー、デザートがついて900円は誠にリーズナブルで、この旅行中最大の成果の一つでした(笑)。
 逆に失望させられたのは関の新長谷寺。瀟洒な伽藍は素晴らしいのですが、撮影禁止。ご丁寧にボンサンが見張るという始末。御仏の寛容とかけ離れた対応にがっかりですが、おそらくは住職の心を傷つけた不心得者がいたのでしょうな。何ともさびしい気持ちになりました。
 同じ関市の日竜峰寺は、北条政子が寄進したという伝承を持つ鎌倉時代の多宝塔、清水寺風の舞台を持つ本堂があり、山岳寺院らしい静かなたたずまいでした。おすすめの史跡ですが、遠いのが難点。おかげで、次の多治見の永保寺は閉門ぎりぎりになりました。唐様の国宝本堂の見事さは言うまでもありませんが、池泉式庭園との組み合わせがいかにも初期の禅寺らしく思われます。ちなみに工事中の本堂を施工している会社は「飛騨の匠」を称しておりました。
 市内で多治見国長の邸宅跡を見学。整体師への道案内をするおばさんやらのおかげで、時間はかかりましたが何とか到着。
 その晩は名古屋の歓楽街錦で夕食。鳥料理と、へぎそばが抜群でした。ホテルへの帰り道、変な呼び込みに囲まれ、純情な方々はビビられたようですね(笑)。

 三日目。今回の旅行のハイライトの一つ。野間大坊に参りました。言わずと知れた義朝の墓所です。義朝の墓の前で、ヨシトモ君と記念撮影。さらに、ご住職による絵解きを拝見いたしました。関学の西山先生によると、昔は芸能的な要素があったそうですが、現代のそれは、謹厳に勧善懲悪を説くような内容で、裏切り者長田忠致の「身の終わり」が強調されておりました。
 その後は、北に戻り、甚目寺、国府神社を見学。どちらも立派な楼門があったのが印象的でした。このあたり、道路事情が極めて悪く、移動に時間がかかってしまいました。マイカー王国名古屋も、西郊の道路は未整備のようです。旅行されル方は十分ご注意ください。
 一宮市の禅寺妙興寺も森閑とした森に堂舎が点在する印象的な寺院でした。もっとも山門でギターを弾く人がいたのは奇妙でしたが。最後は、尾張一宮、八条院領として知られる真清田神社に参詣、旅の締めくくりと致しました。
 運転してくれたり、計画を立案してくれた諸君のおかげで、充実した旅行になりました。ただ、やはり暑かった!こうした時には、水分補給と、日除けの帽子、手ぬぐいはお忘れなく。

 8月28日には関学の院生諸君と福原・兵庫の史跡を見学致しました。前の晩は兵庫県史でお世話になった庄さん(庄高家のご子孫)と三宮で痛飲。どうやって東急インに帰ったかわからない始末で、もちろん二日酔い。
 酷暑の中、午前中は一人で長田の監物頼方と平知章らの碑を見学。西神中央の神戸市埋蔵文化財センターを見学致しました。福原の出土品もわずかですが展示されておりました。あちこち歩いて猛烈に汗を流すと、さすがの二日酔いも解消。運動は大事ですね。
 高速神戸で関学の皆さんと合流、湊川神社、神大病院(二重堀)、荒田八幡、雪御所あと、祇園神社、祇園遺跡を巡り、次いで車で兵庫に移動。
 兵庫大仏と清盛の墓(!)がある能福寺、一遍の墓のある真光寺、清盛塚、後醍醐天皇ゆかりの薬仙寺、正成の首実検が行われた阿弥陀時を見学、大阪の新梅田食堂街のスエヒロでコンパと相成りました。二日酔いはどうしたかって?誰のこと?
 
 9月は5日から9日まで金沢大学で集中講義、院入試を経て24日から27日まで松山の古文書学会大会と、目の回る毎日でした。金沢、松山の経験も改めてご報告申し上げます。
 
 今夏最大の経験は、パソコンの故障です。美濃・尾張旅行からかえると、まだ購入二年目のパソコンがダウン。わざわざ梅田のヨドバシカメラに出かけて新しいパソコンを購入したところ、これも二日でダウン。このときはパニックでした。
 何とか新パソコンは初期化で生き返り、事なきを得た次第です。
 パソコン故障で、アドレスがだいぶ消失してしまいました。最近当方からメールが届いていない方、念のために空メールで結構ですから、メールをお願い申し上げます。  

ひと夏の無経験あるいは絶体絶命

No.7670

 元木先生、ありがとうございました。今夏も精力的な御活躍。まったく、頭が下がります。当方はまったくの蟄居謹慎状態でした。

 本日も日本史研究会大会があるにもかかわらず、せっせと書類作成に勤しんでおります。ゼミメンバーは大挙して、京大吉田キャンパスに出掛けていることと思いますので、報告内容や討論の概要は後日うかがいたく存じます。

 ☆ 先年茨城大学で行われたシンポジウム「北関東の武士たち」の際、ゼミメンバーとともに二年にわたってお世話になった水戸彰考館の前川辰徳先生より、御高論「鎌倉後期の若舎人氏に関する未翻刻史料の紹介と検討-「常陸国行方郡諸家文書」所収の中世文書について-」収録の阿部猛編『中世政治史研究』(日本史史料研究会)を御恵送頂きました。
 御高論は,「常陸国行方郡諸家文書」を素材に、常陸国行方郡若舎人郷の在地領主若舎人氏の動向を描き、同時に近世後期の彰考館の学者や水戸藩関係の文人たちの中世写本作製への関わりを考察した好論です。
 前川先生にあつく御礼を申し上げます。  

Re: ひと夏の経験

No.7673

みなさんお久しぶりです

元木先生、楽しい旅行報告をありがとうございました。
旅先ではどこで食事をするかいつも悩みながらなのですが、先生や旅行に参加された方はいつもどのように「おいしいお店」を発見されているんのでしょうか、気になりました。

ぜんぜん別の話なのですが、最近 親指シフトキーボードが再び話題になっているようです。富士通も今年新たにFKB7628-801というのを発売しました。
https://www.justmyshop.com/app/servlet/item?item_code=9011033&idt_id=67108864
元木先生は以前親指シフトユーザだったと、書き込みにもあったように思うのですが…
私自身はOASYSユーザでなかったのでその威力はわかりませんが、気になりましたので書き込みしました。

ダウンしたパソコンですが、ハードディスクの障害でなければ、データだけは取り出すことができますので、お困りでしたらご連絡ください。
(今年4月に職場でスタッフ用のPCを60台ほど一斉更新したのですが、もうすでに1台故障してしまいました。奇怪な機械には、いつも手を焼いています)

Re: ひと夏の経験

元木泰雄
No.7675

 野口先生、レスを有難うございました。当方、どうもアルコール(ビール)燃料で動いているようです。
 鈴木君というのは失礼ですね。鈴木先生と呼ばせていただきます。
 鈴木先生、レス、ご修正、親指シフトの情報、有難うございました。
 親指シフトの入力速度は、JISを大幅に上回ります。かつて年間400字詰めで1000枚以上を量産していたころ、随分親指シフトの恩恵にあずかりました。生産力が落ちた今でも、まだ親指シフトのワープロに固執しております。キーボード、検討してみたいと思います。
 ワープロに固執する一因は、パソコンの脆弱性です。故障が年中行事、というのもたまったものではありません。パソコンのほかにワープロ専用機があってもいいのにと思わざるを得ません。
 今回の故障、結局初期化したため、アドレス以下のデータが失われました。まあ幸いなことにCDRなどでバックアップしておりましたので、致命的な被害には至りませんでした。ご心配いただき有難うございました。
 旅行の食事、ハズれた時には書いておりません(笑)。いい店を選ぶのは難しいのですが、結局は旅行ガイドを参考にすること、それに見かけの雰囲気、はやっているかどうかといったことになりますでしょうか。 

大冊の論文集の出版に敬意を表します

No.7659

 元木泰雄先生を中心に、平雅行先生と私が加わって進めているプロジェクトが、いよいよ具体的な形で始動いたしました。企画書・依頼状が届いた皆様、何卒宜しく御協力のほど、お願い申し上げます。

 後期から研究所ゼミ『小右記』講読会に、国文4回生の谷口さん、史学2回生の高田さんが恒常的に参加されるようになりましたが、久しぶりに学外からも同志社女子大の国文専攻4回生の中村さんが加わることになりました。嬉しいことです。

 水曜Ⅴ講時の基礎・教養科目18「中世の武士を見なおす」ですが、受講者が確定し教室を共同研究室に変更して、ようやく順調に滑り出しました。京都造形芸大歴史遺産学科の学生さんも参加され、良い刺激を与えてくれています。

 ☆ 大正大学の関口崇史先生と東洋大学の細川重男先生の御連名で、それぞれの御高論「摂家将軍期における二所詣」・「摂津と京極-鎌倉・室町両武家政権支配層の相違点-」収録の阿部猛編『中世政治史研究』(日本史史料研究会)を御恵送頂きました。
 この本はA5版 総1112頁という大冊で、40人もの執筆者の手による論文集ですが、商業出版の形でなく刊行されたもの。編集委員の方たちの御尽力は、さぞかしのものがあったこととお察し致します。
 収録論文の一覧はこちら→ http://www17.plala.or.jp/t-ikoma/page032.html
 当方のゼミメンバーの関心を引きそうなテーマの論文が並びます。
 関口先生・細川先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 川越東高校の花岡康隆先生より、御懇書とともに御高論「南北朝期信濃守護小笠原氏の権力形成過程」(『信濃』61-12)・「鎌倉後期小笠原一門の動向について-信濃守護系小笠原氏と藤崎氏を中心に-」(同62-9)・「南北朝期における信濃国管轄権の推移についての再検討」(『法政史学』70)・「足利義教期室町幕府女房衆の基礎的考察-出自構成の検討を中心として-」(『法政史論』36)を御恵送頂きました。
 花岡先生にあつく御礼を申し上げるとともに、御活躍をお祈り申し上げます。

金曜日の『吾妻鏡』講読会の予定など

No.7656

 今月は諸事重畳で猛烈に忙しいのですが、岩田君が助け船を出してくれたお陰でなんとか乗り切れそうです。とはいえ、多少のしわ寄せを御寛恕ください。

 金曜日の『吾妻鏡』講読会は15日と29日の2回が休会になります。

 また、水曜日の『小右記』講読会ですが、27日は昼休み中、共同研究室で宗教部の運営委員会が開かれていますので、講読会出席者は会議終了を確認してから入室して下さい。

 月末、偶然にも同じ日に長村君と私は東国に出かけております。

◇ 歴史学研究会 日本中世史部会例会 ◇
日時:10月30日(土)14:00~ 
場所:早稲田大学戸山キャンパス39号館第6会議室
報告:長村祥知「承久鎌倉方武士小考」

◇ 山梨県立博物館開館5周年記念特別展 ◇
「甲斐源氏―列島を駆ける武士団―」関連イベント
http://www.museum.pref.yamanashi.jp/3nd_tenjiannai_10tokubetsu003.htm
開館5周年記念講演会「甲斐源氏の世界」 
礼法・歴史・美術の視点から甲斐源氏に迫ります。
■講師 小笠原 敬承斎 氏(小笠原流礼法宗家)、野口 実 氏(京都女子大学教授)、守屋 正彦 氏(筑波大学教授)
■主催 山梨県立博物館、山梨郷土研究会、武田氏研究会
■日時 平成22年10月30日(土曜) 午後1時~5時
■場所 山梨県総合教育センター 大研修室(博物館となり)
  ※参加費、事前予約は必要ありません。

『吾妻鏡』専門チャンネル-次回の火曜日『吾妻鏡』-

No.7657

 今回も下に再開後の範囲を掲示したのですが、昨日も追加の史料(過去の条文)をお配りしてしまいましたので、もうしばらくはそれを使用する予定です。参加者の皆さんはご辛抱下さい。すみません。
 そういうわけですが、いちおう通常の講読範囲も掲示しておきます。

 日時:2010年10月12日(火)午後3時~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:前回(10/5)お配りした史料を引き続き読みましょう。

    正元二年(文応元年、1260年)七月八日・十日・二十五日・二十六日・二十九日、八月六日・七日・十二日・十五日・十六日・十七日、九月五日、十月十五日、十一月十一日・十八日・二十一日・二十二日・二十六日・二十七日・二十八日、十二月一日・二日・十六日・二十日・二十一日・二十三日・二十五日・二十六日・二十九日
    文応二年(弘長元年、1261年)正月四日・十日・二十五日・二十六日、二月二十日・二十五日・二十九日、三月五日・十三日・二十日・二十五日、四月二十一日・二十三日・二十四日・二十五日・二十六日、五月一日・十三日、六月一日・三日・六日・十日・十八日・二十二日・二十三日・二十五日・二十七日・二十九日・三十日、七月二日・九日・十七日・十八日・二十二日・二十九日、八月二日・七日・十日・十二日・十三日・十四日・十五日、九月三日・四日・十九日・二十日、十月四日・二十九日、十一月一日・二日・三日・二十六日、十二月二日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。基礎的な史料読解のニーズにも対応しておりますので、秋から何か新しいことを始めてみようという方は、まずは見学からでも、どうぞお気軽にご参加ください。