遅ればせながら「源頼俊申文」について

前川佳代
No.771

初めて書き込みいたします。野口先生から小口氏が「源頼俊申文」について御高論を書かれたとお知らせを受け、掲示板を拝見いたしましたところ、議論されているようなので、実際に本文書を見た人間として一言書かせていただこうかと思いたった次第です。
私は2000年12月に宮内庁書陵部へいき『御堂摂政別記』柳原旧蔵本におさめてある「源頼俊申文」を実見させていただきました。
さて、本掲示板で問題になっている「貞衡」か「真衡」かであります。私が実見いたしたところ、大方のご意見のとおり「貞」であると思いました。ただ私はそれほど古文書に精通しているわけではありませんので、書体の特徴をメモ書きしてきた程度ですが、書陵部においでの石田実洋氏と検討させていただいた結果、「貞」でいいのではないかという結論でした。小口氏がご指摘のとおり一画目は横に短く入り、二画目の縦線の左に入ります。また下を「大」の字に作るのもそのとおりです。が、「大」の字の一筆目は短く止まりやや筆をうかして左と右にはらっています。元木先生のご指摘のように横線が突き抜けてないことは比較の対象にはできませんが、私のメモにはその次の行の9文字目にある「勧賞」の「賞」の字の「貝」のヶ所も同じく「大」の字に作ってありました。ゆえに「大」の字が根拠にはならないと考えます。ただし、小口氏が写本全体を検討され、柳原の特長であるなら考えなおさなければなりません。
そもそも本文書は江戸期に柳原紀光が書写したものです。現在は御堂関白記の抄出部の次に「裏ノ反古」と注書きされて申文が数通並ぶという冊子本であります。おそらくはこの形態のものを借り受け書写したと考えられます。申文群の年代から御堂は藤原師実本であろうかと推測されますが、柳原が書写するまで数回の書写があった可能性があることを考慮したうえで文書を使用する必要があると考えます。よく「貞」は「真」の誤記か?との指摘を見受けます。柳原が誤記した可能性は少ないと思いますが、柳原までの書写で誤記が生じた可能性は捨てきれない。しかしそれをいってしまったら、現在伝来している文書の多くは誤記だらけという危惧をいだかざるをえないわけです。したがって本文書の「字つら」のみを信用すると、やはり「貞」としか読めないかと思います。さらに野口先生のご研究で「貞衡」なる人物が実在した可能性があるのであれば、なおさらのことと思うのですが、いかがなものでしょうか?
なお、福原の情報はありがたかったです。私は神戸大学病院校内を治承4年11月11日に安徳天皇が移られた「新内裏」と考えております。おもしろくなってまいりましたね。

論文をよろしく。

No.772

前川さん、ありがとうございました。小口先生の御判読は、相当な確信的事実に裏打ちされているようなのですが、これまでの先生方の御意見によれば、どうも小生の説を再検討するほどのことはないようですね。それにしましても、この文書をズバリ、タイトルに掲げた前川さんの蝦夷研究会(盛岡、2000年12月)における御報告の早期論文化を小口先生は求めておられますが(別掲御高論注4)、この点については小生も同意見ですので、家事・育児・博士論文等々たいへんだと思いますが、何卒よろしくお願いいたします。
なお、前川佳代さんのことはすでにご存じの方も多いかと思いますが(歴史学を志す女子学生諸姉にとっては、神話的というか、あるいは伝説的とでもいうべき御経歴)、御紹介させていただきます。現在、奈良女子大学大学院博士課程に御在籍ですが、御出産と育児のために休学中。当ゼミ創設期にはいろいろ御助力いただいた方であります。そうです、滑川さんの先輩でもありますね。滑川さんを当ゼミに誘ってくださった八木さんを紹介してくれたのも前川さんでした。
前川さん、これからもしばしば御登場下さりたく、よろしくお願い申しあげます。

ぜひともご挨拶に

田中裕紀
No.778

 前川さん、はじめまして。同志社大学国文学専攻院生の田中裕紀と申します。以前から野口先生に前川さんのお話を聞いていましたので(史料編纂所にいらっしゃる岡さんからも聞きましたが)、ぜひともお会いしたいと思っていました☆掲示板の上ででもお会いできてとても嬉しいです(*^o^*)書き込みも前々から始まっていた先生方の議論と共にとても勉強になりました。野口先生から「これからは国文の研究者も古文書の勉強もしないと」と言われてもいることもあって、文書に書かれた文字の分析の仕方など、とても面白く拝見致しました。専門の国文も、そして歴史学は尚更、まだまだ不勉強の身ですが、いつか実際にお会いしたいと思います。ぜひゼミにもおいで下さいませ。

7日のこと。

No.766

久々に書き込みします。そのわりにはタイトルもシンプルなんですが・・。
7日の京都歴史資料館の「平安京模型」の展示はすごく面白かったです。二条付近にある閑院内裏や東三条院や保元の乱舞台である高松殿などから八条付近の八条院町や西八条院などいつも史料講読や本を読んでいて出てくる場所が平安京の大きさと比較して、またどの位置を占めるのかがビジュアルに分かるのでとても勉強になりました(気分はデイタラボッチ)。個人的には平清盛が死んだ「平盛国邸」がよかったです。できることなら常設展示して欲しいです!どうしてかあういう「模型」ものはワクワクしながら真剣に見てしまいますね。江戸東京博物館や歴博の模型も他の展示物より時間をかけて見た気がします。またあの「平安京模型」の何分の一かに縮小したプラモデルが欲しいとも思ってしまいました。田宮かバンダイからでないかな。坊ごとに発売して全部集めたら平安京完成!みたいなシリーズもので。金閣寺の模型もあるので発売してもおかしくないと思うんですが。
そのあと先生の研究室で柳原先生、佐藤先生、山口先生の諸先生方にお会い出来ました。自分も平泉と福井との関係について実際に東北に住んでいる方からお聞きできたことは大変勉強になりました。ありがとうございました。

福原京、平頼盛邸の(?)櫓の発掘

山田邦和(花園大学・考古学)
No.759

 今日、神戸の兵庫県埋蔵文化財事務所に行ってきました。仕事を終えて帰ろうとして、事務所の玄関の脇の小さな展示ケースに気がつき、覗き込むと・・・
 なんと、福原京跡の新しい発掘調査成果が紹介されていました。他地域にはほとんど報道されていないようですが、神戸大学附属病院構内の楠・荒田遺跡でこの夏に調査がおこなわれ、大量の土師器皿(京都系のものばかり!)を投棄した土坑と、それを切り込むようにして建てられた1間×2間(2.7×3.6m)の建物が検出されました。建物の柱穴は大きく、かつ深く、底には丁寧に加工された礎盤石が入れられていました。兵庫県埋蔵文化財事務所では、平面規模に比べて柱穴の深さが深いことから、この建物は高床建築であり、中世武家居館に付属する「櫓」ではないかと推定しています。
発掘地点の西側には荒田八幡神社があり、そこは安徳天皇の行宮ともなった平頼盛邸の伝承地です。もしかするとこの櫓は、頼盛邸そのものか、もしくはそれに隣接した平家の武家邸宅のものであったかもしれません。
 「幻」の福原京の調査の進展の様子、興味深々で眺めております。

「要塞都市福原」

No.762

山田先生。すごい情報をありがとうございました。
タイトルのようなことを、すぐ言いたくなってしまいますが、すると必ずどこからかクレームの声が聞こえてきそうです。
しかし、先年、元木先生の御案内で荒田神社に行ったとき、まさにここは城郭の立地にふさわしい場所だと思いました。また、神戸大学付属病院の立地も北高南低の傾斜地で、京都の鴨東を90度傾けた観がありました。しかし、櫓というのはインパクトがありますね。マスコミは兵庫県内だけしか報道しなかったのでしょうか。きわめつきの認識不足ですね。史学・考古学の鎌倉や平泉の研究者ばかりか、国文学の研究者も大いに関心を寄せるものと思います。福原の軍事的性格については他との比較の視点で、勤務先の紀要に山田先生と共同執筆した「法住寺殿の城郭機能と域内の陵墓について」という論文に関説しましたが、いよいよ自説の裏付けを得た思いです。内乱期に長く平家が本拠を置いた屋島の内裏跡伝承地など、ぜひ考古学的調査を行って欲しいとつくづく思います。山田先生、平家の本拠の研究、これからもしばらくお付き合い下さい。頼りにしています。

顧問だなんて…

No.758

レスがおそくなってしまいました。(というか、すすむ
のが早すぎる。または、忙しくて、返事を出す余裕もあ
りませんでした。)HPにアップされた写真、拝見。お
恥ずかしい限りです。顧問など滅相もない。小姓ぐらい
にしておいてください。それにしても、楽しかったです。
またお伺いします。できれば、写真をいただければ、嬉
しいです。
ところで、東北大学の柳原先生、ご無沙汰しております。
その後、どんな感じでしょうか。取り急ぎ、ということ
で、こんなところで失礼いたしました。

Re: 顧問だなんて…

No.763

いえいえ、天下のNHK出版の編集者を顧問にお迎えできれば、これほどの光栄はありませんから。
ゼミ関係の旅行の写真は目下、HPを管理している鈴木君・永富さんのところに集約されているはずで、いずれ何らかの形でお送りできると思います。
この掲示板はアクセスいよいよ10000件に迫りつつあります。当初はゼミのほか、講義受講者への連絡にも使わせて貰えれば便利だくらいに考えておりましたが、かくのごとく予想以上の成長をとげ、学問的情報も満載。かと思えば、「お誕生日おめでとう」のメッセージといった有様で、とても面白くなって参りました。伝聞によれば、書き込みのセンスの良さから、某著名研究者のアイドル化している某女性ゼミメンバーも出現しているとのことです。今後とも、何卒ご贔屓に。
柳原先生、先日は仙台のお土産をありがとうございました。NHKブックス、楽しみに致しておりますので・・・。

京都文化博物館の見学

No.757

こちらは、年末でも年始でもなく、明日のことですが、大学コンソーシアムの「中世の京都」の授業で京都文化博物館歴史展示の見学を行います。履修生以外で、参加希望の方があれば歓迎致します。集合時間、その他についてはNO.604とNO.664をご覧下さい。『平治物語』信西首渡しの場面を立体化した模型や京博企画展「金色のかざり」出展の法住寺殿武将墓出土鍬形の復元されたものなどが展示されています。
ちなみに、この歴史展示の「武者の世に」と「えがかれた京」のコーナーの展示担当は不肖野口でございました。

京都文博企画展図録セール

No.774

本日、京都文博に見学に行きましたが、そのさい、受付の方から、これまでの企画展の図録を3Fで(たしか)半額で販売していると教えていただきました。野口君や平田さんは早速駆けつけたようでしたが、如何でしたか?すでに会期中に売り切れになってしまったものもあるのですが(山田先生や小生が執筆を担当したもの等)、耳よりな話であろうかと、書き込みました。
それにいたしましても、2Fの歴史展示は、そろそろリニューアルの時期だと今回はつくづく思いました。

Re: 京都文化博物館の見学

平田樹理
No.775

今日は本当にありがとうございました(飛び入りにもかかわらず)。
野口先生の詳細なご解説が、とても分かりやすく、充実した時間を過ごせました。
法住寺殿武将墓出土鍬形の復元は、実際もこうであったのかと、大きく立派な細工のものでした。早く京博に本物を見に行かなければ…順番逆ですね(近すぎるせいか、逆に足が遠のいています)。
企画展の図録は、思ったよりありませんでしたが、「北条時宗とその時代展」を手に入れました。半額ですから、とりあえず何でも買っておかねば損です!
 では、新幹線の時間があるので、失礼します(博多は遠いです~)。

参拝だけなら拝観料は必要なし

No.756

お邪魔します。
私は叡山電車の山口と申します。
京都の神社では初詣の時期であっても拝観料は必要ありません。念のために、野口先生の紹介された京都市観光協会に確認したところ、観光協会でも拝観料の件については、聞いたことがないという返事でした。

山口さん、ありがとうございます。

No.765

山口さんから情報をいただけると大変助かります。今後とも何卒よろしくお願い申しあげます。
貴船の方は如何ですか。いよいよ観光シーズンで、文字通り千客万来のことと思います。なかなか行く機会が得られず、残念です。

Re: 参拝だけなら拝観料は必要なし

山口博史
No.767

野口先生
貴船のライトアップを土曜日に見に行ってきましたが、思っていたより多くの方が参拝されていて驚きました。京都新聞、朝日新聞に記事として載せてもらいましたが、近々日本経済新聞とNHKが取材に来る予定です。紅葉は今一ですが、ライトアップするとなぜあんなに綺麗に見えるのでしょうか?
野口先生をはじめ、この掲示板をご覧になっている皆様是非貴船のライトアップへお越しください。

お久しぶりです&お尋ねですが

No.751

毎回毎回歴史に何の関係も無いカキコで申し訳ございません。
今回も、それほど関係の無い話題ですが(・・;)…

実は、今年の年末を京都で過ごそうと計画しておりまして、
初詣も京都で、と思っております。
ところが「平安神宮他、京都の大きな神社では
今年の初詣にはお賽銭代りに特別拝観料をもらうところがある。
ただ料金を取るだけでなく、何かを見学できるらしい。」
といううわさを耳にしました。
インターネット等で調べてみたのですが、どこもまだ紅葉特集で
年末年始に関しては情報を得ることができませんでした。
どなたか、この噂が本当なのかどうかご存知ですか?
もしも本当であれば、どこでどういうものを見ることができて
拝観料が幾らぐらいなのかを知りたいのですが・・・。
勝手なお願いで申し訳ございません。
遠隔地からいろいろ検索するよりも、ご当地にいらっしゃる方に伺うほうが
信憑性も高かろうと思いましたので。
よろしくお願い致しますm(_ _)m

お久しぶり。

No.753

笠さんお元気ですか。京都の情報ですが、京都市観光協会のHPはごらんになりましたか。まあ、この手の情報は野口君が詳しいとは思いますが、とりあえずお知らせまで。なお、上洛期間にもよりますが、京女にも遊びにおいで下さい。

Re: お久しぶりです&お尋ねですが

No.761

笠さん、こんばんは~♪おひさしぶりです!
京都へ来られるんですね~もしかして彼氏とですか?キャッ♪(失礼しました)
初詣、私も毎年行っていますが、特別拝観料を払ったことはありませんね。お賽銭だけです。
ちなみにうちは31日の晩に地元の山国神社、正月明けてからは毎年家族で北野の天神さんへ行っています。

Re: お久しぶりです&お尋ねですが

No.768

初めまして。掲示板の管理人です。
我が家は京女の近所ですので、定番コースで
大晦日は八坂神社へおけら参り、元旦は伏見稲荷にいきます。

1月の成人の日には、京都泉涌寺七福神巡りがあります。
泉涌寺周辺の寺院は無料で拝観できます。経路の途中の伝那須与一墓所も見ることができます。

↑うわさの件、>>No.756にも書かれていますが、僕の方でもいろいろと調べてみます。

Re: お久しぶりです&お尋ねですが

野口洋平
No.773

笠さんお久しぶりです。最近観光ガイドマンと化してしまった野口です。
神社の特別拝観料の件ですが、山口さんはじめ皆さん書いておられるとおり基本的には必要ないです。ただ例外的にいくつかの神社で建物内部や庭園、宝物館の拝観を有料で行っている神社もあります。僕がわかる分だけいくつか挙げておきますのでよかったら参考にしてください。

北野天満宮:宝物殿、梅園(入園500円茶菓子つき)
 宝物殿は1月1日12月1日毎月25日と春に公開。国宝の北野天満宮縁起をはじめ、長谷川等伯筆昌俊弁慶相騎図絵馬や源氏の重宝鬼切丸などがみられます。
 梅園は二月初旬から三月中旬までの公開で、50種2000本の梅がみられます。2月25日には菅公の命日にちなみ梅花祭が行われます。

平安神宮:神苑(600円)

松尾大社:
 松尾大社はご祈祷(確か千円ぐらいだったような…)をお願いすれば松尾造の本殿(重文)と神像、神苑が宮司さんの案内つきで拝観ができます。宝物館に収められた御神像三体(男神像二体、女神像一体)は、平安初期の作で、三体とも等身大座像、一木造りで、わが国神像中最古最優良品として重要文化財に指定されています。神苑は昭和の名作庭家重森三玲の作で、上古風の磐座(いわくら)庭、平安風の曲水庭、鎌倉風の蓬莱庭にわかれいずれも見ごたえあります。
ただ宝物殿と神苑だけなら拝観料(500円だったかな…)を払えば普通にみれるはずです。

平岡八幡宮:花天井(拝観料500円)
 平野八幡宮は弘法大師創建の京都最古の八幡宮で、高尾神護寺の守護社とされる。応永年間に焼失するが、義満により再建される。義満がたいへん花を愛でたことより神殿の天井には44枚の極彩色の花の絵が描かれ、毎年春と秋に二月ほど公開している。花の中には当時日本になかったものも描かれている。

 この他にも下賀茂神社では本殿脇の国宝の建物(大炊殿だったかな…)や、二年前は八坂神社で内陣の特別拝観などもやっていました。ただこれらは鎮座何年祭などの行事に関連しての特別公開かもしれません。年末年始にやっているかは不明です。長々と書いておきながらお役にたてなくてすみません。

年末年始にこられるのでしたら八坂神社のおけら詣をはじめ各地でいろいろな行事が行われていると思うので、そちらに行ってみてはいかがでしょうか?

Re: お久しぶりです&お尋ねですが

平田樹理
No.776

笠さん、お久しぶりです!ご無沙汰しております。
年末遊びに来られるのですか?
私のほうは年末年始などあるわけもなく、私も京都で過ごす事になりそうですので(…のわりには急に帰らねばならない時も多いのですが)、ぜひその際にはご連絡下さい。

皆様ありがとうございました

No.777

本当に、毎回毎回サイトの趣旨と外れたカキコですみません。
そして、こんなくだらない質問にたくさんのご回答ありがとうございましたm(_ _)m

私も年末年始を京都で過ごしたときは拝観料など払わなかったのですが、
たまたま今年は何か企画されている神社でもあるのかと
噂を聞いた時に思いましたもので・・・。
ただ、企画をされる神社へ初詣に行くのならば、
普段は見られないものをお金を払って見るのはいいけれど、
普段も見られるものに余計なお金を出すのは嫌だな、と思ったのです。
たとえば1月1日になった途端、“平安神宮の神泉苑は本日のみ千円!”
だったとしたら、絶対行くもんか!なのです(笑)
特別料金を取らないとなると、初詣神社探しは振り出しに戻ります。
伏見稲荷なんか面白そうですねぇ・・・(-。-*)ボソッ

そうそう。時間が許すならば京女にも寄りたいのですが、
私が上洛する頃は冬休みに入っているのではないかと・・・。
27日(土)って、京女はもうお休みでしょうか?

Re: お久しぶりです&お尋ねですが

末松憲子
No.781

笠さん、お久しぶりです。鎌倉ツアーでご一緒した、精華の末松です。
私は今年も年末は十二月二十九日まで。新年は四日くらいから伏見稲荷でバイトしています。(内勤なのでお目にかかることは無いと思いますが・・・)
笠さんはたしか本宮祭のバイトをされてたんでしたよね。
神職の人らに聞くと、元旦は神饌所から一歩も出られないほど忙しいらしいです。昨年私は元旦の四時過ぎに参拝に行ったんですが、その頃には結構人が流れてました。そのままお山に登ったらすぐに日が暮れてしまい、裸電球がぽつんと燈る鳥居群の下をちょっぴりびびりながら下った覚えがあります。夕方から山登る人はあんまりいなかったです(恥)
京阪の乗り放題切符を買ってあの辺巡るのも良いですよねー。

Re:

No.785

27日、学校はお休みですが、笠さんの都合さえよろしければ、どこか別の場所などでも集まったりすることは可能ですよ~
「笠さんを囲む会」、ぜひ開催したいですね~♪

湖東三山

田中裕紀
No.748

だーいぶ前に湖東三山ツアーを提案しましたが、いつ行きましょう???私としては11月23日が空いているのですが、日本史研究会の大会がありますので、11月中はちょっと厳しいかなーとも思われます。が、湖東三山のそれぞれで特別公開があり、特に金剛輪寺は11月30日まで日本最古の大黒天像が公開されているので、ど~~~~しても11月中に行きたい!!!というわけで、とても急ですが15・16・29・30日のどれかで行きませんか?????行きたい!という人はレスをお願いします。
ちなみに詳しい情報はこちら↓http://www.eki.ne.jp/biwako_n/eve_02.html

車担当

No.749

僕自身は、15・16日は大学のイベントがあり行けません。
29・30日は可能です。

Re: 湖東三山

No.750

私も15はバイト、16は山国地域の宝物・文書の特別公開&説明会、22、29は博物館実習のため厳しいです。
23、30なら可能です。

新幹線で。

No.754

田中さん。7日の京都市歴史資料館は結構、楽しめましたよ。長村君などは今後、2階の資料室に入り浸りになりそうです。これまでの展覧会資料もすべて無料配布で、気前の良いこと限りなしの博物館です。京都駅前に建設が予定されている市の歴史博物館構想が不況の影響でストップしているのは実に残念です。文化の停滞は国家的大損失なのに、そんなことを選挙で主張した政治家はいませんでしたね。
ところで、湖東三山ですが、30日あたりで決まりそうですね。
今月はなにしろ忙しい。29日は埼玉県にいますし、30日は千葉から上洛途上です。滋賀県を走る新幹線の車中から、「ああ、あの辺りが金剛輪寺か」てな形で参加させていただくことになりそうです。プレミオの新車は悔しがっておりますが。

京都市歴史資料館

田中裕紀
No.760

野口先生。
 7日の京都市歴史資料館はお休みして申し訳ありませんでした。実は、母と国立博物館に行っておりました。母が私をお供に見に行くと言うので、そちらを優先させてしまいました。最近友人の母が倒れたのを聞いて、にわかに親孝行に目覚めたのでした。親孝行できるのも今のうちですからね。というわけで、歴史資料館は学校からも近いことですから修論の合間に行くことにしました。先生の解説が聞けないのは残念でしたが、入り浸ったナガムラ君でも捕まえることにしましょう。
 京都という町は古いものが当然のように残っているのがいいところですが、その分住んでいる人の意識が低いようです。西陣で閑古鳥がないているというのも良い例です。観光地の整備やライトアップも結構ですが、その前に住んでいる人の意識を高めることが必要です。

その通りです。

No.764

先年、佐賀県小城町のシンポジウムで田中さんの指摘されたことと同じことを話してきました。ほかの地域に比べて、決して京都人の歴史意識は低いとは言えないと思いますが、このところそう思われても仕方の無いような現実に直面することが多すぎますね。小生は1989年に京都を去り、2000年にあたかも流刑を解除されたかの如く戻ってくることを得ましたが、この僅かの間に京都では中世以来の自治の伝統とか都市文化の崩壊がヒドく進行したように思えます。小生にバブルは無縁でしたが、その時期に京都はだいぶ市民文化が荒廃したようです。この間、京都に住んでおられた皆さん、如何でしょうか?

お願い&御紹介

No.737

小口雅史先生からいただいた御高論「延久蝦夷合戦をめぐる覚書」(中野栄夫編『日本中世の政治と社会』吉川弘文館)において、応徳三年五月五日付「前陸奥守源頼俊申文」の従来『平安遺文』などで「清原貞衡」と判読していたものを、先生は「清原真衡」と読むべきものと断定されています。小生は、この文書の存在を清原真衡とは別に鎮守府将軍に任じた清原貞衡なる人物が存在したことの一つの根拠にしています(拙著『武家の棟梁の条件』118ページ以下参照)。この文書は入間田宣夫・豊見山和行『日本の中世5 北の平泉、南の琉球』(中央公論新社)17ページに鮮明なカラー写真が掲出されていますが、私には「貞衡」と読め、写真のキャプションからこの部分の執筆をされた入間田先生も「貞衡」と判読されたことが明らかです。古文書の判読に精通された方に、ぜひこの写真を御覧いただき、御意見をうかがいたくお願いいたします。

この度刊行された『古代文化』55-11に、中原俊章先生御執筆の拙著『伝説の将軍 藤原秀郷』(吉川弘文館)への書評が掲載されました。小生が追究することの出来なかった、秀郷伝説の中に示される「竜」の問題についての御見解が示されており、武士に関する伝承・説話に関心をお持ちの国文学専攻の方々に有益なものと思います。

なお、本日(7日)夕刻、東北大学柳原敏昭先生・佐藤健治先生、山形県埋蔵文化財センター山口博之先生が研究室に来訪され、お迎えした滑川さん・長村・山本両君とともに歓談刻をうつしました。東北へのお招きを受けましたので、ぜひそのうち、仙台・平泉へのゼミ旅行も計画したいものです。
柳原先生が山田先生や美川先生とのクラシック談義を期待されていたのを、ついぞ忘れていました。次回御上洛のおりには、是非とも。

Re: お願い&御紹介

滑川敦子
No.738

野口先生、昨日は貴重な機会を設けて下さりありがとうございました。そして、色々なお話をして下さいました柳原先生、佐藤先生、山口先生にこの場をお借りしてお礼申し上げます。

野口先生が気にされている例の史料の判読ですが、筆の入り方で読みが決まると思われます。縦から入っていれば「貞」、横から入っていれば「真」と考えられるのですが(あくまでも個人的なかつ勝手な意見ですが)。

ここは、古文書判読のエキスパート(?)である阪大院M1の大根田康介氏に是非ともご意見を伺いたいところですが…。

Re: お願い&御紹介

滑川敦子
No.739

再度失礼致します。
この掲示板を見て大根田氏よりレスがあったのですが、
読みとしては「貞」ではないかと思われます。下の横
棒がないですし。『くずし字事典』を見ても「真」は
このようには書かないでしょうし。
字としては「貞」になるのでしょうか??

Re: お願い&御紹介

No.741

滑川さん、大根田君、ありがとうございました。
小口先生は、上記御高論に、このように述べておられます。「該当箇所の一画目の横線は、明らかに二画目の縦線の左から入っており、また最下部の筆法が「大」につくられている。この写本全体の筆法を検討してみるに、これらは「真」字に共通するものであって、本写本の「貞」字とは異なっている」。
美川先生、如何なものでしょうか?

Re: お願い&御紹介

美川圭
No.744

いやー、野口先生、私のいちばん苦手な話題です。
文脈で判断できるところならまだしも、
人名はいちばん読みの「確定」が困難な部分です。
日本の中世のその巻は、大学の研究室にあるはずで、
現在自宅にはないので、すぐは見ることができません。
見ても、私では、たぶんどうのこうの言えないかな、と思います。
こういうときは、ぜひ山口芸術短大の田中倫子先生に聞いてみたいところです。
実は毎月、冷泉家でやっている明月記の紙背文書解読会で、
お会いするのですが、今月、来月ともに、私が所用で、
出席できません。なんでしたら、
私が、田中先生にお手紙でも出しましょうか。
文書読みについては「猫にマタタビ」とおっしゃる先生なので、よろこんで読んでくださると思いますが。

Re: お願い&御紹介

No.745

美川先生、御返信ありがとうございました。清原貞衡は小生の紹介した「桓武平氏諸流系図」以外の確実な史料では、この文書(『平安遺文』の文書番号は4652)にしか出てこない人名とされてきましたので、小口先生の御指摘が正解となると、これは今後の研究に大きな影響を与えることになると思います。もし、御迷惑でなければ、田中先生の御意見をうかがっていただければ幸いです。こればかりは、多数決というわけには行かないとは思いますが。

Re: お願い&御紹介

No.746

問題の文書の写真は『青森県史』資料編古代1の36ページに掲載されています。この写真内に貞、真の字はほかにありませんので比較の仕様がありませんが、問題の人名の次行に「鎮守府将軍」と言う記述があり、鎮の字の旁を見ると、上の部分は横棒を大きく明記しており、明らかに書き方が違います。しかし、下の部分は頁の字の下と同じ書き方をしており、下に横線がないのは決め手にはなりません。微妙なところですが、全体的な印象から判断すると貞と見るべきではないでしょうか。ご参考までに。
なお、12月23日の件、滑川さん、ではなくなめかわあつこ。さんに幹事を引き受けてもらい、助かりました。23日は13時ころに山陽電鉄須磨浦公園駅集合にしたいと思います。
当日は、その付近を中心に見学し、元町の多国籍料理?で懇親会です。近藤先生は逆落としの跡を実見したいとのことです。
ロバを背負って降りてみては如何でしょうか。一の谷古戦場付近の情報をご提供いただければ幸いです。参加ご希望の方は、なめかわさんに御連絡ください。

なるほど!

No.747

元木先生、ありがとうございました。「鎮」の金を除けば「真」で、その字体と比較すればよかった訳ですね。なるほど。
自説は「貞」と判読する見方に立脚しておりますので、元木先生のご判断はありがたいところです。しかし、もしこれが「真」と読めるにしても、中条家文書「桓武平氏諸流系図」に実平(真衡)とは別に鎮守府将軍として貞衡の名が記載されており、この系図の史料的価値がすこぶる高い(小生の指摘のみならず、最近、井原今朝男氏・高橋一樹氏の調査成果が歴博の研究報告に掲載されました)ことをふまえるならば、真衡=貞衡を主張される場合、この系図に虚構が加えられた意図について十分納得のいく説明が必要になろうかと思います。
一ノ谷合戦については、その説話が誇張に満ちて、地理的誤謬の甚だしいことは古く喜田貞吉氏の指摘するところであり、近年では、国文学の早川厚一先生や鈴木彰先生が、『平家物語』と史実との乖離、文学的虚構のあり方について論及されています。歴史学の方では元木先生の御研究や『兵庫県史』がありますが、詳しくは先般の平家物語研究会における小生の報告「平家の本拠をめぐって」レジュメの参考文献欄に掲げてございますので、ご利用いただければ幸いです。
安徳天皇の内裏跡伝説地などを歩かれるのなら、村井康彦先生の『平家物語の世界』(『改訂平家物語の世界』徳間書店)は必読・必携だと思います。行けない人にも御一読を勧めます。
近藤先生がロバかポニーを背負って須磨浦の背後の山から浜辺に降り立つという実験をされるのであれば、小生も万難を排してでも参加したいところです。だんだん、近藤先生が畠山重忠とオーバーラップしてきました。

あきらかに「貞衡」でしょう

美川圭
No.769

野口先生、やっと研究室で、例の写真を中公の日本の中世で見ました。一見して「貞衡」と読めます。「真衡」の読みは無理でしょう。田中先生にお聞きするまでもないと思いますが、一応お聞きしましょうか。ちょっと私の言い方は強引かな。
入間田先生は「貞衡」と読んだうえで「真衡の誤記」とキャプションに記しておられますね。

やはりそうでしょう。

No.770

そうなのです。『平安遺文』編纂者の竹内理三氏も入間田先生も、みんな貞衡と読んでいる。でも、その貞衡(鎮守府将軍)は他の史料に所見しない。だったら、『奥州後三年記』の真衡(鎮守府将軍とは見えない)の誤記なのだろう。鎮守府将軍に任命されるような実力者は真衡しかいないだろうし。・・・というのが、従来の一般的認識でした。
それにたいして小生が、いやいや中条家文書に「桓武平氏諸流系図」というものがあり、実に『尊卑分脈』以上の史料価値がある(と考証した上で)。そこに鎮守府将軍として貞衡という人が記載されているのだから、どうも貞衡と真衡とは別人のようですよ。しかも、この系図では貞衡は真衡が後継者とした成衡同様に海道平氏の出自とされている。真衡が成衡を後継者に選んだ事情もこれで説明がつきますよ。・・・という説を提示したのです。
しかし、小口先生は、そもそもこの文書(頼俊申状)の貞衡は、竹内・入間田両碩学以下の誤読だと断ぜられたという次第なのです。
美川先生も、「貞」と判読されたとなると、やはり貞衡とすべきかと思います。ただ、小口先生はこの文書以外の同筆の筆跡も踏まえて論じられているので、そこがポイントとなると思います。
しかしながら、元木先生の御見解に照らしても、「真」と断定されている小口先生説が100%確実であるとは、どうもいえないように思えます。
美川先生。上記のような次第ですが、ついでの折にでも、ぜひ田中先生の御意見をうかがっていただければ幸いです。

一の谷見学会、付若干の不満

No.728

一の谷見学会
近藤氏の書き込みにあるとおり、一の谷合戦史跡の見学会を予定しています。日時は、12月23、24両日で、23日昼頃集合予定です。参加希望者を募ります。ただし、当方も老化と多用(生易しいレベルじゃないぞ・・毎年本を出してみろ)で、参加者を把握し、懇親会を予約し、案内を出すと言ったことがかなり負担です。正直にいえば、4日の件もいろいろ大変でした(そのことについてどなたも触れてもくれないが)。どなたか参加者を取りまとめる幹事役をお願いします。