福原京、平頼盛邸の(?)櫓の発掘
山田邦和(花園大学・考古学)
No.759
今日、神戸の兵庫県埋蔵文化財事務所に行ってきました。仕事を終えて帰ろうとして、事務所の玄関の脇の小さな展示ケースに気がつき、覗き込むと・・・
なんと、福原京跡の新しい発掘調査成果が紹介されていました。他地域にはほとんど報道されていないようですが、神戸大学附属病院構内の楠・荒田遺跡でこの夏に調査がおこなわれ、大量の土師器皿(京都系のものばかり!)を投棄した土坑と、それを切り込むようにして建てられた1間×2間(2.7×3.6m)の建物が検出されました。建物の柱穴は大きく、かつ深く、底には丁寧に加工された礎盤石が入れられていました。兵庫県埋蔵文化財事務所では、平面規模に比べて柱穴の深さが深いことから、この建物は高床建築であり、中世武家居館に付属する「櫓」ではないかと推定しています。
発掘地点の西側には荒田八幡神社があり、そこは安徳天皇の行宮ともなった平頼盛邸の伝承地です。もしかするとこの櫓は、頼盛邸そのものか、もしくはそれに隣接した平家の武家邸宅のものであったかもしれません。
「幻」の福原京の調査の進展の様子、興味深々で眺めております。
なんと、福原京跡の新しい発掘調査成果が紹介されていました。他地域にはほとんど報道されていないようですが、神戸大学附属病院構内の楠・荒田遺跡でこの夏に調査がおこなわれ、大量の土師器皿(京都系のものばかり!)を投棄した土坑と、それを切り込むようにして建てられた1間×2間(2.7×3.6m)の建物が検出されました。建物の柱穴は大きく、かつ深く、底には丁寧に加工された礎盤石が入れられていました。兵庫県埋蔵文化財事務所では、平面規模に比べて柱穴の深さが深いことから、この建物は高床建築であり、中世武家居館に付属する「櫓」ではないかと推定しています。
発掘地点の西側には荒田八幡神社があり、そこは安徳天皇の行宮ともなった平頼盛邸の伝承地です。もしかするとこの櫓は、頼盛邸そのものか、もしくはそれに隣接した平家の武家邸宅のものであったかもしれません。
「幻」の福原京の調査の進展の様子、興味深々で眺めております。