波多野氏と千葉氏の本拠を歩いてきました

No.7045

 先ほど、波多野氏の本拠と千葉氏の本拠の空間を考えるための調査旅行から戻って参りました。波多野氏は学生時代以来、関心を深めていた存在なのですが、その本拠の現地調査には赴いたことがなく、大いに気にしていたのですが、ようやく念願を達することが出来ました。

 一方、千葉は生まれ故郷であり、千葉氏の存在が私を歴史学の世界に誘ってくれたところなのですが、その本拠の空間については最近、千葉市教委の簗瀬裕一先生が新たな研究を示されており、もう一度取り組んでみたいと考えておりました。

 昨日(5日)は秦野(金剛寺・伝源実朝首塚・東田原中丸遺跡・金蔵院・桜土手古墳展示館)、本日(6日)は千葉(宝幢院・香取神社・大日寺跡・八坂神社・北総天満宮・本円寺・本敬寺・千葉氏居館跡候補地)を回ってきました。

 波多野氏の居館跡と目される東田原中丸遺跡の周辺は、未だに中世の風情を遺しており、近年、考古学的な調査が精力的に進められているところです。伊豆の国市教委の池谷先生に御紹介頂いた桜土手古墳展示館で発掘報告書も入手して参りました。
 拝読してみて、文献史学の成果がまだ十分に吸収・反映されていないのが少し残念に思えました。鎌倉幕府成立以前の波多野氏の存在形態は、従来の武士認識を克服する上で重要な事実を提供してくれるものなので、今後の調査と研究の進展に期待したいと思います。

 それにしても、昨日はとても暑く、歩くのが大変で、一部タクシーのお世話にもならざるをえませんでした(これを堕落というなかれ)。ちなみに、小田急線に乗ったのは久しぶりのこと。新宿に着いたとき、学生時代の、あの西口広場の喧噪が待ち受けているような錯覚に囚われました。「友よ~!」

 初夏のような昨日の陽気に反して、本日の千葉は雨と寒さの中を傘を差しながらの調査と相なりました。この辺りは、小学生時代によく歩いたところなのですが、その変貌ぶりには唖然とするばかり。50年でこれですから、800年以上前を探るのは大変なことだと思いました。
 これらの成果は、いずれ何らかの形で発表の機会を得たいと思っています。

 旅行中も校正作業を続けておりましたが、帰宅するとまた一件届いておりました。こうなると、もう「校正地獄」です。


 ☆ 広島大学の渡邊誠先生より、御高論「鞆の浦の伝承と信仰-平家伝説・福禅寺縁起と熊野信仰-」掲載の『芸備地方史研究』第268・269号を御恵送頂きました。渡邊先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 東京大学史料編纂所の高橋慎一朗先生より、新刊の御高著『中世都市の力 京・鎌倉と寺社』(高志書院選書)を御恵送頂きました。高橋先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 愛媛大学の寺内浩先生より、御高論「九世紀の地方軍制と健児」(栄原永遠男ほか編『律令国家史論集』塙書房)・「九世紀地方軍制の一考察」(『愛媛大学法文学論集 人文科学編』第28号)・「伊予守藤原知章と静真・皇慶-『今昔物語集』巻一五-一五説話の基礎的研究-」(愛媛大学人文学会『人文学論叢』第11号)を御恵送頂きました。寺内先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 日本放送出版協会の石浜哲士さんから、編集を担当された松尾剛次著『親鸞再考 僧にあらず、俗にあらず』(NHKブックス)を御恵送頂きました。石浜さんにあつく御礼を申し上げます。

津波警報の日に巨福呂坂の雨中行軍※

No.7040

 昨夜、ゼミ旅行から帰ってきました。現地解散だったので、まだ伊豆方面を旅行中の方や郷里に帰省した方もおられますが、まぁ、一段落。私はすっかり疲れ果てて、またしても耄碌を実感しております。
 それにしても、帰ってきたら校正2件のほか、授業評価アンケートに対する所見執筆等々の近日締切厳守の仕事がいくつも待ち構えており、次の調査出張の準備など、とてもしている暇は無いようです。
 しかし、せめてゼミ旅行の記録は残しておく必要がありますから、ここに報告書に記した程度のことは記録しておきたいと思います。なお、参加者諸姉兄の追記を期待しています(どなたか『紫苑』の次々号に旅行記を書いて下さいね!)。


 2月27日(土)。江ノ電藤沢駅に集合。参加者は当初予定の10名のほか、学習院大学大学院の伊藤さんが、この日のみ参加。見学先は、稲村ヶ崎・極楽寺・御霊神社・高徳院(大仏)・光則寺・長谷観音・甘縄神明社・妙本寺。江ノ電の一日乗車券を利用しましたが、京都と打って変わっての寒さの中をほとんど徒歩で移動しました。途中、御霊神社近くで名物の「力餅」を食べたので少しばかり元気がでました。
 妙本寺境内の竹御所の遺跡を見る頃にはすっかり暗くなったので、鎌倉駅近くで解散して夕食をとり、それから藤沢に戻って宿泊。

 28日(日)。JRにて北鎌倉駅に出て、以後徒歩にて移動。見学先は、円覚寺・東慶寺・浄智寺・明月院・建長寺・鶴岡八幡宮・(一時解散して昼食)・大倉幕府跡・源頼朝法華堂跡・北条義時法華堂跡・荏柄天神・永福寺跡・鎌倉宮・勝長寿院跡・宝戒寺・若宮大路幕府跡・宇都宮辻子幕府跡など。午前はとても寒く、しかも雨。靴下までずぶ濡れになる者多数。午後は天候が回復。
 チリの地震による津波の警報で江ノ電が止まっていたため、JRで藤沢に戻り、懇親会。宿舎への帰途、ある「光景」を目にした藪本君・米澤君が「ハーメルンの笛吹き男」について議論すること有り。

 3月1日(月)午前、鎌倉に出て、寿福寺・浄光明寺・相馬師常墓所・いわや堂を見学の後、鎌倉駅前にて解散。この後、岩田君以下、院生中心のメンバーはレンタカーを駆って、三浦半島を席捲したとの情報有り。

 鎌倉幕府の公的歴史書である『吾妻鏡』の講読に際して、鎌倉の空間の地理的認識は不可欠だと思いますが、今回の旅行で実際に脚で確かめることが出来たことは、今後のゼミ活動に大きなプラスになったものと思われます。もちろん親睦の効果も甚だ大きかったはずです。

 ※ 前回の鎌倉ゼミ旅行の(結果的な)テーマは「称名寺裏山死の行進」でした(笑)。 

笛吹けど踊らず

No.7041

 鎌倉のゼミ旅行にご参加いただきましたみなさん、本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。冷たい雨や津波など、天候に恵まれたとは言えませんが、それでもみなさんのおかげで充分に実りある楽しい見学旅行ができたと思います。

 日程と行路は野口先生からご紹介いただいたとおりです。今回はとくに「どこに何があって、どこから何が見えるか」といったことに注意しながら歩いた見学旅行となったように思います。そういった意味では、稲村ヶ崎・極楽寺坂・長谷寺・円覚寺など比較的高くて見晴らしが良い場所からの光景はとても印象深く、しっかり記憶しておきたいと思います。
 いずれの日もかなりの「過密日程」だったのですが、みなさん元気でサクサク歩いて回ったため、初日は余分なコースを消化したり、二日目も見学時間に余裕ができたりしました。それで夜もしっかり飲み食い遊びをこなした(?)のですから、出発前に予想していたとおり驚くべきフィジカルといえるでしょう。

 ちなみに、「ハーメルンの笛吹き男」ですが、彼も案外、『何か別の理由で歩き続ける子供たちと、笛を吹きながらたまたま同じ方向に歩いていただけ』なのでは…と思わないでもありませんでした…。しかし笛を吹く以外にもできることは、あるのです。

 三日目は解散後に横須賀へ移動し、クルマを借りて(今度はキズ一つ付いてないはず)三浦半島を横断・縦断しました。衣笠山公園から衣笠城跡にかけての上り下りは本当にきつかったですが、これも行ってみて初めてわかることでした。衣笠山からは三浦半島の東西南北が手に取るように眺めることができました。その後、三浦半島の先端・城ヶ島に移動しここでも四方の眺望に感動しました。残念なのは、その日の午前は快晴だったにもかかわらず、午後から曇りがちで、結局一度も富士山が望めなかったことでしょうか。数年前に伊豆に行ったときもちょっとしか眺められませんでしたし、よほど縁が無いようです…。

 三日間にわたり、懇切丁寧、密度の濃い解説をいただきました野口先生に深く深く御礼申し上げます。

 *次回の火曜日の『吾妻鏡』のご案内です。
 範囲は以下のとおりですが、これ以外にもせっかくですから鎌倉旅行の振り返りやデジカメのデータの交換などもできればと思います。旅行に参加された方はご出席いただけると嬉しいです。

 日時:2010年3月9日(火)14:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 範囲:建長五年(1253年)七月八日・九日、八月十五日・二十九日、九月十四日・十六日・二十六日、十月一日・十一日・十三日、十一月二十五日・二十九日、十二月八日・九日・二十一日・二十二日、
    建長六年(1254年)正月十日、二月十二日・二十日・二十四日、三月十二日・十六日・二十日、四月十八日・二十七日・二十九日、五月一日・五日、閏五月一日・五日・十一日、六月三日・十五日・二十五日、十月二日・六日・十日・十二日・十七日、十一月十六日・十七日・二十一日、十二月一日・十二日・十七日・十八日・二十日・二十三日・二十五日・二十六日の各条

いざ、鎌倉!

山本みなみ
No.7042

 私たち2回生にとっては初めてとなるゼミ旅行から帰ってきました。雨で靴下がずぶ濡れになったり、津波で江ノ電が止まったりと大変なこともありましたが、それ以上に多くのものを得られた三日間だったと思います。
  
 特に源頼朝法華堂跡では大倉幕府以下鎌倉全体を見渡せる位置にあったことを景色から実感できました。また、そのすぐそばに北条義時法華堂跡があったことから、義時の鎌倉幕府にとっての重要性も感じました。
 二日目は鶴岡八幡宮など鎌倉の中心部をまわりましたが、二階堂氏に興味をもっている私としては、やっぱり永福寺跡周辺の二階堂に行くことができたのは一番嬉しかったです。永福寺が現存しないのは残念だったので、そうなると今度は平泉に行きたいなぁと思ってしまいました。しかし、二階堂から幕府までの距離感や、二階堂大路が非常にまっすぐな路であったことがわかり、得るものは多かったと思います。
 三日目は解散後に三浦半島に行きました。衣笠山の上り下りは手を使ってよじ登る箇所もあり大変でしたが、三浦半島全体を眺めることができました。その後行った城ヶ島は物凄い突風で海も荒れていましたが、(何故かここには猫がたくさんいて、みんな丸まっていました)展望台からの景色はとてもよかったです。三浦半島は私一人では行くことができなかったと思います。レンタカーの手配から運転までしていただいた岩田さん、本当にありがとうございました。

 日ごろ一緒に『吾妻鏡』を読んでいる先輩方や同回生と記事に出てくる場所を野口先生の解説でまわるというのは、この上なく恵まれたことだったと思います。実際に歩いてみないとわからない距離感や高低差を身をもって感じることができました。
 また、ゼミメンバーとの親睦も今回の旅行を通して深まったと思います。鶴岡八幡宮でひいたおみくじの結果に一喜一憂したり、一緒にご飯を食べたり、トランプをしたり、おしゃべりしたり・・・本当に楽しかったです。本当に充実した三日間でした。

 行く先々で親切な解説をしていただきました野口先生、旅行中の三日間はもちろん、事前勉強会の準備等いろいろとお世話になりました岩田さん米澤さん、本当に本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます。 

晴れのち雨でまた晴れる

米澤 隼人
No.7043

 掲示板上ではご無沙汰しております。みなさまこんにちは。
 このたびの鎌倉ゼミ旅行には私も参加させていただきましたので、少しばかりご報告と感想を申し述べさせていただこうと思います。


 野口先生の書き込みにもございますように、初日(2/27)は江ノ電藤沢駅に集合し、一日乗車券「のりおりくん」を買い求めた上で、まず稲村ヶ崎に参りました。
 海岸は寒風吹きすさび、崖の上から海面を見下ろすと、大波が岩かどに砕けて白く散るという有様でした。新田義貞がここを渡渉したという、あまりにも有名な話が『太平記』巻十にございますが、この日のコンディションを見た限りではとても不可能。
 サーフボードでもあれば話は別ですが!
 大森金五郎氏が実際に稲村ヶ崎を歩いたときの記録を、野口先生がお持ちとのことなので、今度ぜひ拝見させていただければと思います。

 次に向かったのは長谷・甘縄方面。この周辺では光則寺がもっとも「穴場」的スポットであることは皆様にもご理解いただけると思います。ここには日蓮が佐渡に配流された折、その門弟の日朗が監禁されたという土牢が残っています。
 しかし私にはこれとやぐらとの区別がつきませんでした。これをあえて土牢と称して、保存することが、宗旨にかかわるのではないかなどと考えてしまった次第です。
  ※なお一部の人は土牢を見て、某探検隊シリーズにでてきそうだと言っていました…
 
 この日は江ノ電を移動手段として利用しましたが、民家の軒先をかすめたり、路面電車区間があったりと、これは鉄道素人の私でも興奮の路線でした!天気が良ければ、さらに水天一碧たる風景を楽しめるということですから、ぜひまた乗りにいきたいと思います。

 二日目(2/28)、懸念されていた雨が降ってきました。オマケに津波警報。
 もっともこの日は北鎌倉を中心に散策する予定でしたので、警報の影響はとくにございませんでした。大仏も前日のうちに見ておいてよかったですっ!
 
 北鎌倉では明月院やぐらが圧巻でした。やぐらは本堂をぐるりと取り囲む岩盤層をくり貫いて、いくつも造られておりました。鎌倉の石は建材として用いられるという話を小耳に挟んだことがあったのですが、この辺りの地質を見て、鎌倉の石文化を実感した次第です。
 北鎌倉一帯のお寺を隈なく見学して、一行が鶴岡八幡宮に到着したのは正午でした。その頃には雨もあがっておりましたが、足は疲れ体は冷えて、すっかり衰弱していました。
 前日でしたら、ここで力餅!というところですが、この日は鳥居前の定食屋さんで元気が出るお水(未成年禁止)を少しだけいただきました。ごめんなさい。
 ※世が世ならこんな代物を購入することもできないんですよね(例えば『吾妻鏡』建長四年〈1252〉九月三十日条)。
 午後は大倉から小町方面にかけて散策。ほとんどが「跡」でしたが、それぞれの距離感をつかむことができました。これは今後『吾妻鏡』を読む上で、活かされそうです。
 山本さんも念願の地を踏むことができてよかったですね。でも自分の願望をかなえるために、現在そこにあるものを潰そうという発言は良くないと思うんです(笑)
 この日の晩は宴会(懇親会)でした…
 ※「ハーメルンの笛吹き男」を目撃したのはこの夜のことですが、「ハーメルン」であると同時に「ハーレム」状態でございました。

 楽しかった夜が明けて三日目(3/1)の朝は晴天。
 しかし私の気分は完全に土砂降りでした… きっと前日の昼間から悪いことをした罰だと思います。
 この日は寿福寺を見学した後、泉ヶ谷方面まで歩き、浄光明寺・相馬師常墓・窟堂などを見てまわりました。この近辺で思い出されるのは宗尊親王の方違先となった「亀谷泉谷右兵衛督教定朝臣亭」ではないでしょうか(『吾妻鏡』建長四年五月十九日条)。
 重たい頭を持ち上げて、「きっと陰陽師がこのあたりの崖を攀じ登って、方角の吉凶を占ったんだろうなぁ」などと眺めておりましたら、野口先生が
「この崖の向うは鶴岡八幡宮です。米澤くん、登ってみては如何ですか?」
「せ、先生・・・」
先生のそういうジョークは個人的に好きなのですが、グロッキーな顔つきの人が岩壁に張
り付いていたら、近隣にお住まいの方々にご迷惑をかけると思いましたので、やめておきました。
 その後は、野口先生の書き込みにありますように、鎌倉駅で解散。午後は三浦半島方面に出かけましたが、途中から人事不省に陥っておりましたので詳細は覚えておりません。


 私からのご報告と感想は以上でございます。
 効率的にたくさんのスポットを案内してくださった。野口先生に心よりお礼申し上げます。先生は掲示板上でのご発言とは裏腹にとてもご健脚でございました。また鎌倉におけるご自身の楽しいエピソードもお聞かせいただきました。
 また今回の旅行計画を立ち上げてくださった岩田さん・藪本さん・山本さん、ありがとうございました。お三方に声をおかけいただかなければ、斯様に貴重な機会に邂逅することはございませんでした。
 そして旅行に参加してくださった学習院の伊藤さん・神大の小野さん、京女の尾田さん・井草さん・今井さん・船津丸さんにも感謝申し上げます。参加者が多ければ、そのぶん楽しさも増すものです。
 また機会がございましたら、皆様ぜひご一緒いたしましょうね☆

鎌倉ゼミ旅行&諸々の御報告とお願い等

No.7039

 鈴木君、指定券変更についてのアドバイスをありがとうございました。
 しかし、JR藤沢駅には13:00に確実に着きますので、江ノ電の駅に集合したゼミメンバー諸姉兄には、当日の日程を協議しながら、お待ち願うことにしたいと思います。どうも「雨儀」になってしまいそうですから。
 東京在住の方も参加してくれるので、大部隊になりそうです。

 ゼミ旅行では、たくさん写真を撮ろうと思っていたのですが、先月買ったばかりのデジカメ(ペンタックスOPTIOE80)が先般の静岡県森町における調査の途中で壊れてしまいました。フィルムカメラでは一眼レフのペンタックスを長年愛用して、よく働いてくれたのですが・・・。
 というわけなので、私はカメラを持参することが叶いません。記録撮影はゼミメンバーにお願い致しますので、どうぞ宜しく。

 今年度の院試・学振採用の結果や来年度の落ち着き先についての御報告を頂いています。
 「流石!」とか「よかった、よかった」ばかりとはいえず、「予期せぬ失敗」や「う~ん残念」というのもありました。
 しかし、学問の世界での20代の失敗は、将来、けっこう大きな財産になるものです。反省を踏まえた上で、切り替えて、再チャレンジあるのみです。

 鈴木夫人には、ゼミHPのリニューアルをお願いするはずだったのですが、忙しさにかまけて機を逸してしまいました。また、お互いに時間の空く頃にお願いしますので、その節は宜しくお願い致します。

 それから、『紫苑』第8号の初校ゲラは、昨日印刷屋さんにお渡ししました。編集長の山本さん、ありがとうございました。
 再校ゲラは3月9日に頂くことになっています。再校以降は急いで進めたいと思いますので、執筆者はそのおつもりで、宜しくお願い致します。

☆ 樋口健太郎先生より、髙橋昌明・樋口健太郎「[資料紹介]国立歴史民俗博物館所蔵『顕広王記』承安四年・安元二年・安元三年・治承二年巻」(『国立歴史民俗博物館研究報告』第153集)を御恵送頂きました。
 これは、たいへん重要な記事だらけで、要熟読の貴重な史料です。
 樋口先生に、あつく御礼を申し上げます。

『紫苑』原稿(再校)

大谷久美子
No.7046

桜の開花が心待ちにされる昨今、いかがお過ごしでしょうか。
事前学習のみで、旅行には参加できず残念な思いをしたゼミ旅行。
旅行記だけでもたいへん充実した雰囲気が伝わって参ります。
(次回こそは、と今から決心している次第。)

さて、伝説の「ドタバタ娘」(byF先生)となった私ですが、
『紫苑』再校の受け取りについて、一点。
三月九日は、先生の研究室に受け取りにお邪魔してよろしいのでしょうか。
午後にでも伺いたいと思うのですが、野口先生または
山本編集長の御都合いかがでいらっしゃいますか。

現地調査の御礼と嬉しい御報告

No.7035

 静岡県磐田市・森町の調査・見学から戻りました。同行して下さった共同研究員畠山先生と現地を御案内下さった地元の皆様に、心より御礼を申し上げます。
 大収穫でした。詳細は後日を期したいと思います。

 広島から嬉しい報告がありました。
 尻池さん、これからのますますの御活躍を期待しています。

 今週は、思いのほかに、大変なハードスケジュールになりそうです。
 とりあえず、『紫苑』の校正、しっかりとお願い致します。

 昨日、私へのご祝辞をいただいた皆様にも、この場を借りて御礼を申し上げます。
 耄碌したとはいえ、ゆるゆると頑張りたいと思いますので、何卒宜しくお願い致します。

お誕生日おめでとうございます。

元木泰雄
No.7036

 昨日は2.23、新快速の日ではなくて、野口先生のお誕生日でしたね。
 誠におめでとうございます。ひとつの大きな区切りと思いますが、これを機にさらにご活躍くださいますようにお祈りいたしております。

 先生は、つねに熱心に後進を指導され、煩雑な学務もこなしながら、多くの優れた業績を挙げておられます。我々に対し、身をもって大学人のひとつの見本を示されていると申してよいと思います。
 時折、ご体調の不良をお嘆きですが、柳に雪折れなしと申します。御不調を自覚され、節制されれば、大病とは無縁のことと存じます。あたかも、藤原定家のごとし。
 大学も、学問も、日本自体も難しい局面にあります。研究者にとって生きにくい時代ですが、どうか研究・教育の世界を通して、後に続く人たちのためにさらにご尽力くださいますようにお願い申し上げます。

 今春から、野口先生とご一緒するプロジェクト、楽しみにしております。
 何卒、よろしくお願い申し上げます。

 ちなみに当方、不節制の結果、すっかりダウンです・・・・

元木先生、ありがとうございます。

No.7037

 元木先生、温かい励ましのお言葉を賜り、たいへん恐縮致しております。

 いよいよ耄碌の境に立ち入りましたが、しかし、この歳になって、ようやく理解することが出来るもののあることに気づき、また、後進の若い人たちの育ち行く姿を見ているのも楽しみになって参りました。
 御一緒させて頂くプロジェクト、何卒宜しくお願い申しあげます。 


 さて、いよいよ明後日から、久方ぶりのゼミ旅行です。「イザ、鎌倉!」。
 天気がちょっと下り坂というのは、ゼミ旅行の伝統です。やはり、私こそが雨男なのでしょうか?

 さきほど、岩田君から「集合場所は、江ノ電の藤沢駅であって、JRではない」というお達しをいたただきましたが、私は既にこれを間違えてJRだと思っており、そのつもりで新幹線の指定も取ってしまっております。したがって、野口はJRから江ノ電に移動する時間分、遅刻致しますことを前もって告知させて頂きます。すみません。

 明日は『紫苑』の初校ゲラを印刷屋さんにお返しする日ですから、午後には確実に研究室におりますので、何かありましたら御連絡下さい。

新幹線の指定変更

鈴木 潤
No.7038

ご無沙汰しております。鈴木です。
大学生のスケジュールとリンクしないので、ゼミ旅行に関われないのが残念ですが

新幹線の指定についてです。
乗車列車の変更は1回なら無料でできますのでご検討ください。
(種類によっては何回でも無料なものもあります)
京都駅でなくとも、近くのみどりの窓口(野口先生のお宅からだと六地蔵駅でもOK)でご相談下さい。
列車に乗る直前でも席が空いていたら滑り込むのもよいかと思います。

楽しみなり。次回の「中世戦記研究会」

No.7033

 次回の中世戦記研究会ですが、輪読を長村祥知君が担当し、研究報告者の一人として岩田慎平君が登場します。事務局を担当されている秋田大学の志立正知先生より、お知らせを頂きました。関西からの応援部隊への参加を歓迎します。
 開催日は未定ですが、5月頃になるものと思います。日時・会場など、決定次第、お知らせしたいと思います。

 『古代文化』を発行している(財)古代学協会のHPがリニューアルされましたので、
       御紹介→http://www.kodaibunka.com/

 当方もHPのリニューアルを予告したのですが、なかなか時間がとれません。
 目下、九州のある自治体で刊行予定の本に載せる原稿を執筆中。お役所の仕事は「年度」に規制されるので、御迷惑はかけられません。
 いや、「年度」に規制されるのはお役所のみにあらず。実は目下大変焦っております。
 そんなこんなで、寒い中、いつもより働きすぎたせいか、10年ぶりに、ある症状が再発してしまいました。図体のわりに虚弱体質で困ります。

 『紫苑』第8号のゲラを読んでいますが、なかなかの内容。学界に一石を投じそうな論文もあります。

 ☆ 文教大学の中村修也先生より、新刊の御高著『白村江の真実 新羅王・金春秋の策略』(吉川弘文館)を御恵送頂きました。
 中村先生あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 樋口州男先生・戸川点先生・小野一之先生・久保勇先生・谷口榮先生の御連名で、新刊の戸川点・小野一之・樋口州男編『検証・日本史の舞台』(東京堂出版)を御恵送頂きました。
 執筆陣の中には長村祥知君のお名前も。
 樋口先生以下、御恵送下さった先生方にあつく御礼を申し上げます。

お世話になります(予定)、付、旅行のご案内

No.7034

 野口先生もご案内いただきましたように、報告を担当させていただくこととなりました。どうぞよろしくお願いいたします。

 さてさて今週末は鎌倉旅行です。好天に恵まれるといいですね。
   日時:2010年2月27日(土)~3月1日(月)(予定)
   場所:鎌倉とその周辺
 初日の27日は、13:00に江ノ電藤沢駅に集合です。小田急でもJRでもないのでお間違えのないように…。荷物はあらかじめホテルに預けるなどして身軽に集合して江ノ電に乗りましょう。

 なお、旅行に伴いまして3月2日(火)の『吾妻鏡』はお休みとさせていただきたいと思います(みなさんよろしいでしょうか…?)。3月の『吾妻鏡』は3月9日(火)から再開ということでよろしくお願いします。

『研究紀要』刊行&『紫苑』初校ゲラ届く

No.7032

 いつまでも寒いですね。

 昨日は、研究所の『研究紀要』第23号と『紫苑』第8号の初校ゲラが手もとに届きました。紀要には長村君との共著論文「承久宇治川合戦の再評価-史料の検討値を中心に-」が掲載されています。長村君執筆の部分は益するところ多大です。

 今号の紀要には、一昨年の公開講座の講演録として、川本重雄先生の「寝殿造と六波羅泉殿-総柱大型建物の意味-」、近藤好和先生の「天皇と装束」も掲載されています。
 「あ~、読みたい!」という声が聞こえてきます。

 『紫苑』の方は、これはかなりハイレベルな内容で、完全に学術雑誌入りを果たしたという感じです。すでに、掲載論文の何本もが『史学雑誌』の「回顧と展望」に紹介されていますが、今号はゲラを見ただけでも、内容の高度化か際だちます。
 「学部生が、こんな素晴らしい研究ノートを」という声は毎年聞くのですが、今号も例のごとしです。お楽しみに。

 昨日は鎌倉ゼミ旅行の打ち合わせと事前勉強会が開かれました。私はその前に静岡県の磐田市・森町に出張があり、月末締切の原稿があり、今年度の研究費に関する事務処理も済ませねばならず・・・、すでに頭脳・体力ともに容量不足なので、パニック状態です。

 本日、アルバイトに来てくれた皆さん、お疲れ様でした。

鷹書研究会例会案内

中澤克昭
No.7030

野口先生、ゼミの皆さん、ご無沙汰いたしております。
研究会の宣伝をさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか。

私も参加しております鷹書研究会の例会が、下記のとおり開催されます。
鷹書(鷹狩故実書類)は豊かな可能性を秘めた史料群で、文学・歴史・民俗のクロスオーバーを必要とする点も魅力です。少しでも興味関心をお持ちの方は、奮ってご参加くださいますようお願い申し上げます。
この研究会のこれまでの活動については、http://takasyoken.exblog.jp/ をご参照ください。

鷹書研究会第9回例会

【日時】2010年3月13日(土) 13時~17時

【会場】キャンパスプラザ京都 第1演習室
    〒600-8216 京都市下京区西洞院通塩小路下る JR京都駅ビル駐車場西側
    アクセスは、http://www.consortium.or.jp/contents_detail.php?co=cat&frmId
=585&frmCd=14-3-0-0-0 をご参照ください。

【内容】Ⅰ.立命館大学図書館西園寺文庫蔵『西園寺家鷹秘傳』輪読 <13:10~14:40>
     担 当 黒木 祥子

    Ⅱ.研究発表<14:50~16:20>
     発表者 中澤 克昭
     論 題 『基盛朝臣鷹狩記』は何家の鷹狩記だったか?

※ この例会にご参加くださる方は、お手数ですが事前に下記のメールアドレスまでご一報ください。
    takasyokenkyuukai@excite.co.jp

極寒の関東から帰洛しました

No.7031

 中澤先生、御案内ありがとうございます。

 狩猟の問題は「武士論」においても重要なテーマですし、西園寺氏や書誌学の研究をされている若手研究者が、当ゼミ周辺には多いので、積極的な参加を勧めたいと思います。
 私は出張の関係で、出席できるかどうか微妙です。

 先週末は茨城県南部から千葉県北部、中世に香取海でつながっていた地域の調査に出掛けてきました。鹿島神宮では親鸞関係の伝承に関する史跡を確認、また地元で刊行された資料を入手することが出来、潮来では北条高時が大檀那、銘の撰文は元から来日した高僧清拙正澄という梵鐘のある禅寺長勝寺に赴き、蘇州に例えられた潮来の往時の繁栄の姿を想像することが出来ました。なお、この梵鐘の大施主「下総五郎禅門道暁」は下総千葉氏一族の木内氏一流の人物に比定されます。
 
 千葉県の成田では、新勝寺の前身とされる公津ヶ原に営まれた寺院で使われたと思われる「大寺」の墨書のある土師器を実見することができました。
 成田山新勝寺は、幼児の頃、祖父の背中に負ぶわれて訪れた頃とはうって変わって、外国人の姿も多く、街の様子もすっかり様変わりしていたのには驚きました。

 成田ではいささか食事を多く取りすぎ、また、この日はひどい寒さであったこと(関東地方で今季一番とのこと)もわざわいして、いささか体調を崩してしまいました。まったく、役立たずの我が身を呪うばかりです。
 いよいよ若者や体力のある人と同一行動を取りづらくなってきました。ゼミ旅行の節はお手やわらかに。

 明日は『紫苑』の初校が届きますので、執筆者の方は宜しくお願い致します。
 また、鎌倉ゼミ旅行の勉強会は、鎌倉の歴史に関するさまざまな情報がメンバーから報告されますので、旅行に行かない方も出席の価値はあると思います。

アルバイトのお願い

No.7027

 もう少し暖かくなるかと思っていたのですが、今日も京都は真冬の寒さです。

 来週、17日(水)~20日(土)の間で、なるべく多くの人が集まれる日に、簡単な作業のお手伝いをお願いしたいと考えています。
 帰省されていないゼミメンバーで、この期間にアルバイト可能な方は、空いている日と時間帯をお知らせ下さい。

 本日は論文の初校校正ゲラを返送。そして、2000字ほどの依頼原稿を仕上げました。

 大学はもう実質的な春休み期間ですが、黒いスーツの学生さんたちでいっぱいです。

【追記】
 明日の『吾妻鏡』講読会。建長四年(1252)八月二十一日条からです。

 ☆ 滋賀県立安土城考古博物館の山下立先生より、開催中の企画展「湖西の風土と遺宝」の図録を御恵送頂きました。
 会期は4月4日まで。ぜひ出掛けたいものです。
 今月(2月)14日(日)午後1時30分~には、「高島の仏像・神像」というテーマで講座が開かれます。講師はもちろん山下先生。
 山下先生に、あつく御礼を申し上げます。

次回の『吾妻鏡』は鎌倉旅行のご相談会

No.7029

 雨模様のお天気が続いていますが、次回の『吾妻鏡』のご案内です。次回は2/27~3/1の鎌倉旅行のご相談会としたいと思いますので、旅行に参加される方はご出席ください。

 日時:2010年2月16日(火)14:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室
 内容:三日間の見学先についてのご相談とその予習

 なお、2/23(火)は『吾妻鏡』はお休みといたします。

HPのリニューアルについて

No.7022

 本日の京都は、陽射しの中に雪がちらつくという気象状況です。しかし、寒いですね。
 
 昨日は、小野さんが神戸大学に提出した修士論文を持ってきて下さいました。関東申次をテーマにしたものです。ぜひ、何らかの形で公表して頂きたいと思います。

 その後、久しぶりに鈴木夫人(もと永富さん)が来室され、小野さんが帰られた後、御夫君もお出でになられましたので、掲示板以外はず~っと更新されていない当HPのリニューアルについて相談をさせていただきました。
 私のプロフィールのところにも著書・論文など書き加えなくてはならないのですが、とくに「宗教・文化研究所ゼミについて」は情報が古すぎるので、ゼミメンバーないし関係者から、広く御意見をうかがった上で、書き改めることになりました。
 
  つきましては、新たに書き加えたり、改めるべき点、その他アイデア等がありましたら、来週中くらいまでに野口までメールでお知らせ下さいますようにお願い致します。
 なお、史料講読会の中心メンバーである方々には、直接原案を求める場合もあるかも知れませんが、その節はどうぞ宜しく。

 小野さんと鈴木夫人から、それぞれケーキのお土産をいただきました。ありがとうございました。9日の史料講読会のときに賞味させていただきましょう。

 私はちょうど一週間後、また調査に出掛けます。それまでに、校正を終わらせ、新しい論文を軌道に乗せなければなりません。せわしない話です。

 >山本さん 移転の作業は無事に済みましたか?

収穫の多かった岡山調査旅行

No.7021

 3~4日、共同研究関連の調査で岡山に行ってきました。2日間とも共同研究員の畠山誠先生に御案内を頂きました。

 3日は県立博物館を中心に、岡山城跡・後楽園などを見学。あいにく林原美術館が休館であったため、オリエント美術館に行きました。岡山県は律令制の行政区分でいえば備前・備中・美作の三ヵ国にまたがっており、歴史研究の材料は豊富です。しかし、古代の吉備、戦国の宇喜多氏、近世の池田藩などに隠れて、中世はやや影が薄い。しかし、平家の有力家人難波経遠や妹尾兼康、日本臨済宗の宗祖栄西、水墨画の雪舟など、人物だけを取り上げても興味深い存在が輩出しています。かくして初日は、岡山県中世史の概論を学びました。

 4日は畠山先生の3ナンバーの愛車に乗せていただいて、まず吉備津彦神社へ。そこから藤原成親が流され、殺害された有木別所の辺りを通って、吉備津神社へ。
 吉備には学生時代以来の訪問です。あの時は造山古墳がメインの目的地だったと思います。今回は、妹尾兼康のものと思われる頭骨の発見された吉野口遺跡。現在、鯉山小学校の敷地になっているのですが、移設された墓所の位置が分からず、地元の方に尋ねると親切にその場所まで足を運んで下さいました。
 ちなみに、今回の旅行で出会った岡山の方々は、皆さんとても親切に接して下さいました。

 妹尾兼康については、用水の開発に関する伝承なども残されており、ちょっと再評価してみる必要を感じました。研究ノート1本分くらいを書くことの出来る情報を今回の旅行で得ることが出来ました。
 妹尾兼康の墓からほんの50メートルほどの所には、栄西の誕生地の石碑があり。この吉備津神社周辺が中世において、政治・文化的に大変重要な地点であったことが理解できました。

 豊臣秀吉の毛利攻めで有名な備中高松城跡も、ここから至近です。城跡に立って、 自分の命と引き替えに家臣の助命をはかった清水宗治の心中を思いました。当時の殿様は、家族を人質に出したり、なかなか大変で、政治判断の失策は全て自身に降り懸かりましたから、近代の軍事指揮官や最近の企業経営者とは精神性において大きな相違があったのではないかと想像されます。
 少年の頃、大河ドラマで緒形拳主演の『太閤記』を見た時は、ここに来てみたくて仕方がなかったのですが、ようやく実現することが出来ました。しかし、あの時、来ることが出来たら感動は数十倍だったと思います。どこかに出掛けるのなら、無理をしてでも若いうちがよい。歳をとると感動する能力を喪失します。
 昼食は、前日の節分会の喧噪とはうってかわって人の数もまばらな最上稲荷にて。

 それから、五重塔の美しい備中国分寺(『男はつらいよ 』シリーズの32作目「口笛を吹く寅次郎」のロケ地)、総社市の惣社(沼田神社)と市の郷土館、妹尾兼康関連の史跡を回り、最後は雪舟が涙で鼠の絵を描いたという話で有名な禅寺宝福寺を訪れ、それから岡山駅に向かいました。
 車で案内していただいたお陰で、短時間で多くの情報を得ることが出来ました。畠山先生にはほんとうにお世話になりました。

 倉敷や高梁、それに源平の古戦場である藤戸や水島も近いので、ここはゼミ旅行にも相応しいところだと思いました。
 いずれにしても、また近々訪れてみたいと思っています。
 
 ☆ 広島なぎさ中・高等学校の加栗貴夫先生より、御高論「参加記 地方史研究協議会研究例会「美作学と吉備学-地域の成果と課題-」」掲載の『岡山地方史研究』119を御恵送いただきました。
 岡山から帰ったところにグッドタイミングでした。
 ちなみに、本誌掲載の渡邊大門氏の論文「美作地域における奉公衆の研究」で取り上げられている角田氏はもともと上総国の御家人で、拙稿「中世東国武士社会における苗字の継承と再生産」(拙編『千葉氏の研究』収録)で触れたことがあります。
 加栗先生に、あつく御礼を申し上げます。

Re: 収穫の多かった岡山調査旅行

No.7023

 はじめまして。渡邊大門と申します。拙稿をお読みいただき、ありがとうございました。また、角田氏のことは、不勉強で失礼いたしました。今、同論文は論文集に収録予定で校正中ですので、先生のご本を読ませていただき、追記いたしたく存じます。今後ともよろしくお願い申しあげます。

その後の室町幕府奉公衆角田氏

No.7025

渡邊大門先生
 書き込みを頂き、恐縮に存じます。

 東国からの西遷武士に関する研究は、移住先と本貫地の研究に断絶があるので、それを埋めていくことが、中世武士理解のひとつの方法と考えております。

 なお、室町幕府奉公衆の角田氏は、近世にいたり、熊本藩の重臣松井家に仕えています(福原透「松井家研究余録 角田因幡入道宗伊・細川陸奥守入道宗賢の事蹟について」『熊本史学』74・75)。

Re: 収穫の多かった岡山調査旅行

No.7026

野口実先生
 さらにご教示を賜って、恐縮です。本当に勉強になりました。私のつまらない論文集も多少充実したものになりそうです(笑)。イメージは「うつけもの」で。今後ともよろしくお願い申しあげます。