「平家一門の栄華と瀬戸内海」の見学

No.6916

 本日(7日)は福山市の広島県立歴史博物館で開催されている特別展「平家一門の栄華と瀬戸内海」を見学し、同館主任学芸員鈴木康之氏による博物館講座「平家の時代の考古学」を聴講して参りました。

 展示は文献史学・考古学のみならず、建築・文学・芸能の分野にも目配りした充実した内容で、近年の平家研究の成果を集大成した展覧会として、もっと話題になって良いものだと思いました。まだ、御覧になっていない方は、可能ならば是非お出かけ下さい。それだけの価値はあると思います。

 驚いたのは、岡山市の吉野口遺跡から妹尾兼康のものと想定できる頭骨が出土しているということで、これは私の周辺の研究者にも全く情報が伝わっていないと思います。『平家物語』研究者にとってもビッグニュースなのではないかと思うのですが、御存知でしたでしょうか。
 ちなみに、妹尾兼康の行動から、あらためて平家の軍制のあり方についても再考させられました。

 また、伊勢平氏の家に伝えられた薫物の書である「香之書」の存在も初めて知りました。貴族社会の一員としての伊勢平氏の姿を鮮明にする史料といえましょう。

 鈴木先生のお話で、楠葉型瓦器の特徴なども、よく理解することが出来ました。

 法住寺殿の武将墓から出土した鍬形や鏡轡も出展されていましたが、パネルと図録掲載の六波羅・法住寺殿の地図は山田邦和先生と私の共同研究の成果によるものでした。この地図は、最近刊行された平家関係の書籍には必ず掲載されており、完全に市民権を獲得したようで、嬉しい限りです。

 今日は共同研究員の畠山誠先生が岡山から駆けつけて下さり、また京女の卒業生で現在広島大学大学院に在籍している尻池由佳さんも同行して下さいました。おかげで、福山に関する知見を得ることが出来ましたし(畠山先生からは福山に関する書籍も頂きました)、共同研究の情報交換も行うことが出来ました。

 あっという間に時が過ぎ、帰りに福山の駅で、私がゼミのお土産をなんとか安いお菓子でごまかそうとしていると、すかさず畠山先生が、「これ、ゼミの皆さんへのお土産です」と言って、私が買い渋っていた高級なお菓子(しかも大箱)をお渡し下さいました。恐縮あるのみでした。

 それから、わざわざ新幹線ホームまでお見送り下さった尻池さん、ありがとうございました。きっと、素晴らしい論文を書き上げて下さい。

今週・来週、木曜日の『吾妻鏡』講読会

No.6914

 昨日のゼミ『吾妻鏡』講読会は、学園祭明けだったせいか、参加者は少なかったのですが、内容はたいへん充実したものでした。このところ、山本さんが『玉葉』『山槐記』から関連記事を抜粋したコピーを用意してくれているのです。
 学部2回生の『吾妻鏡』講読で、記録との併読が出来るというのは、なかなかのレベルなのではないでしょうか。
 次回は、学長・川本先生が昨年の公開講座の際に用意して下さった資料を活用して、将軍御所の空間について考えたいと思います。

 ちなみに、次回は12日ですが、文化庁の会議出席のために上洛されるミュージアム知覧の新地浩一郎先生が、午前中、帰りの飛行機の出発までの空き時間にお立ち寄り頂けるとのことですので(先日拝見した展示資料についての用向もあります)、少しの時間でも、中世の南九州や博物館のお話を、みんなでうかがうことが出来れば幸いと思っています。
 先年の鹿児島旅行に参加した方も、御用がなければ是非お出で下さい。

 目下、『研究紀要』23号掲載予定の、長村祥知君と共著で執筆した「承久宇治川合戦の再検討-史料の検討を中心に-」という論文の初校校正をしています。長村君の担当部分が重厚且つ理路整然たるものであるのに対して、拙文の不明さは際立つばかりです。

 加藤和彦もレヴィ=ストロースもいなくなって、「時」が、どんどん、どんどん過去に押し流されてしまうように思える今日この頃です。 

失われた時を求めて-次回の火曜日『吾妻鏡』-

No.6915

 山本さんは火曜日の『吾妻鏡』でも良い準備をしてきてくれています。いつもありがとうございます。
 ちょっと下の方に沈んでしまいましたので、また次回の火曜日の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2009年11月10日(火)14:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室

 範囲:建長二年(1250年)九月十日・十八日、十月七日、十一月十一日・二十八日・二十九日、十二月三日・五日・七日・九日・十一日・十五日・二十日・二十三日・二十七日・二十八日・二十九日
    建長三年(1251年)正月一日・四日・五日、二月一日・十日・二十日・二十四日、三月六日・七日・十四日、四月二十日・二十六日、五月一日・五日・八日・十五日・二十七日、六月五日・十日・十五日・二十日・二十一日・二十二日、七月四日・八日・十日・二十日、八月六日・二十一日・二十三日、九月五日・二十日、十月十九日・二十九日、十一月十二日・十三日・十八日・二十二日・二十七日、十二月二日・三日・五日・七日・十七日・二十二日・二十六日・二十七日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられています。後期もどうぞよろしくお願いします。秋から何か始めてみようという方も、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

京都女子大学「錦華殿」の展観

No.6913

 本日、京女は藤花祭の後片付けで休講ですが、私は研究室で山のような(?)書類と格闘中です。
 一段落したところで、錦華殿で図書館主催の西国三十三カ所に関する図書館資料の展観をやっているのを思い出して見学に行ってきました。内容は以下を参照。
       http://www2.kyoto-wu.ac.jp/detail.cgi?target=0&news_id=498

 京女にも、結構な資料があることが分かります。国文学専攻の人にはたまらない内容だと思いました。
 まだ見に行っていない人は、必ず明日中に覗いてみて下さい。なにしろ、明日までですから。

 >雨野さん  上記展観を見学に来て下さったようですね。「急襲」のし甲斐が無く申し訳ありませんでした。また、お出かけ下さい。

 ☆ 京都造形芸術大学の野村朋弘先生より、御高論「『久我家文書』一号文書の再検討」(『古文書研究』第67号)を御恵送頂きました。
 野村先生に、あつく御礼を申し上げます。

【追記】 ある方から、「>>No.6912の歌の意味が分かりませ~ん」とのメールがありました。
 20代前半の頃、この私にも、体重58㎏で上半身が逆三角形ということがあったというわけですよ。
 こういうのを「無常」というのです。それにしても「無情」な質問ですね。

中世戦記研究会のお知らせ

No.6912

 昨日は「木枯らし一号」が吹くなど、急に寒くなったので着る物がなくなり、スーパーにベストを買いに行ったのですが、既製服のサイズLでは小さく、ついにLLの世界に突入となりました。要するにウェストなのです。ここで(Lサイズの)辞世の句。
    つい食べて、ますます肥ゆる我が身かな 逆三角形も夢のまた夢

 ◇ 秋田大学の志立正知先生から次回中世戦記研究会開催のお知らせを頂きました。中世前期の武士論研究の立場から申せば、輪読対象が慈光寺本『承久記』になりましたし、伊藤瑠美先生の御報告もありますから、これは行かないわけにはまいりません。
 ゼミ関係者もぜひ。ゼミ現役メンバーも、これまで、学部生を含めて多くの人が参加させて頂いています。はじめて参加しようとする人は、事務局に連絡致しますので、私にお申し出下さい。
  なお、詳細は以下のとおりです。  
         *********************** 
 日時:2009年12月13日(日) 13:30~18:00
 場所:お茶の水女子大学附属高等学校3F社会科室(入室は13:00過ぎから)
   * 正門から入構のこと。その際、守衛さんに、入構理由を告げるとともに身分証を提示すること。
    (所在地) 〒112-8610 東京都文京区大塚 2-1-1
    (交 通) 東京メトロ丸ノ内線 「新宿、荻窪方面行」茗荷谷駅下車
          東京メトロ有楽町線 「新木場方面行」  護国寺駅下車
                http://www.ocha.ac.jp/access/index.html
 発表
 輪読『慈光寺本承久記』:担当 佐倉由泰氏
 研究発表:伊藤瑠美氏 「後白河~後鳥羽院政期の「院近習」と武士(仮)」
 書評:高木信氏著『「死の美学化」に抗する ―『平家物語』の語り方』(青土社、2009.3)
     担当 志立正知氏
           **********************
 反故にしてしまった11月7日(土)の約束は翌8日に履行できることとなり、ホッとしています。そのような次第で7日は福山にて存分に勉強して参りたいと思います。ちなみに、共同研究員の畠山誠先生が同行してくださることになりました。
 地元の尻池さんにも声をかけたいと思っています。

【追記】
 懸案だった「七条町」の論文ですが、本日、図版・FDを添えて投函を果たすことが出来ました。
 7日の福山。尻池さんとも同行出来ることになりました。 

今日は山口博史さんの御命日です。

No.6911

 京都は暗雲と日差しが交互に繰り返す中、突風が吹きすさぶという天候です。
 何が起きるのか、不安なので卜占ものだと思っていたのですが、私の予感は的中。関東から教え子が上洛する日に出張を設定してしまって、その日に予定していた東山案内を反故にせざるを得なくなったりしています。まったく、我ながら信義に悖る話です。
 かくかく周囲に迷惑を及ぼしながら過ごしているのは、身不肖の致すところですが、一方で、社会に大きく貢献していたのに、早世された方もおられます。
 本日、11月2日は、京都労働学校や市民による歴史学習組織として知られる「歴史グループ早雲」で活躍された山口博史さんの御命日に当たります。亡くなられたのは2005年。今年はもう五回忌にあたります。山口さんは1950年のお生まれですから、お元気であれば来年は還暦を迎えられるはずでした。
 当ゼミ関係者にも所縁深く、この掲示板にも書き込みをして下さったこともありました。永富さん(現、鈴木夫人)たちが、早雲の学習会に参加されたとき、とても喜んで下さっていたことを思い出します。
 今あらためて、御冥福をお祈り申しあげる次第です。

>新地さん  書き込みをありがとうございました。11~12日に御上洛の由。11日は研究所の会議があり、12日はゼミがありますから、京女にお出で頂ければ確実にお会いできることと思います。ぜひ、御都合のほど、お知らせ下さい。

 「七条町」の原稿、図面も完成させることが出来ました。さて、『紀要』の校正といった段取りですが、昨夜、ある東京の大学の先生から、年末締切の原稿執筆について確認のお電話を頂きました。すかさず、「正月明けで、よろしいでしょうか?」とお尋ねした私には、自ら呆れるばかりです。そういえば、年末締切の原稿はもう一件あるのでした。
 「どこまで続くぬかるみぞ」・・・か!

来年度の公開講座講師内定

No.6909

 日曜日の午後、京都は雨が降り始めました。

 新年度に向けての書類の作成や出張講義などのために先延ばししていた「京都七条町」に関する論文の本文がようやく完成(本当は9月末締切のものを10月末まで猶予してもらっていたもの)。あとは、図版の作成のみ。これをPCで作る技術があれば良いのですが、旧稿掲載の地図をなぞる形で手書き作業で作ります。
 ちなみに、多くの方と御一緒に作る論文集は、一人の執筆の遅れが全体に大変な迷惑をかけることになります。

 昨日、出版社の方に再遅延お詫びのメールを差し上げた際に、インフルエンザにお気を付け下さいと書いたところ、もうすでに罹って免疫が出来ているので大丈夫という御返信。
 先ほどは、キャンパスプラザ科目の履修生の方からも、インフルエンザに罹ったというメールを頂きました。
 たしかに、新型インフルエンザは猛威を振るっているらしく、軽い持病で通院中の近所の医院も超満員状態のようで、とても受診に行く気になれません。薬がもらえませんが、流行が収まるまでは何とか頑張りたいと思います。歯医者さんにも通っていますが、まさかここまでは累が及ぶことはないでしょう。

 ◇ ところで、新年度のことですが、6月第4土曜日に実施する恒例の研究所公開講座「シリーズ 東山から発信する京都の歴史と文化 12」の講師が内定致しましたので、お知らせ致します。
 第12回目のテーマは、これまで鎌倉時代が欠落しておりましたので、「六波羅と北条氏」に関するものということにいたしました。
 そこで、北条氏の本拠地である静岡県伊豆の国市で北条氏居館跡などの発掘調査に携わり、近年、その成果を積極的に発信されている池谷初恵先生(伊豆の国市教育委員会)、そして、金沢北条氏や鎌倉時代における鎌倉と京都の文化交流の御研究で知られる福島金治先生(愛知学院大学)にお願いし、ともに御快諾を頂くことが出来ました。
 具体的な話はこれからですが、来年が楽しみになってきました。
 ちなみに、来年6月の第4土曜日は26日になります。ゼミ関係者は空けておいて下さい。
 
◇ ようやく論文が一つ仕上がったと思ったら、9月に提出した『研究紀要』の初校ゲラが届きました。長村祥知君との共著で、「承久宇治川合戦の再評価-史料の検討を中心に-」というタイトルです。
 長村君、校正よろしくお願い致します。

 ☆ 奈良国立文化財研究所の古藤真平先生より、現在、同研究所で開催中の特別企画展「地下の正倉院展 -二条大路木簡の世界-」http://www.nabunken.go.jp/topics/index.html#guidance_kikakutenのパンフレット・リーフレットならびに先生御執筆の関連新聞記事などを御恵送頂きました。
 奈良時代ファンには、たまらない企画だと思います。
 古藤先生にあつく御礼を申し上げます。

11月の講義・ゼミなどの日程について

No.6905

 トップページの「今月の予定」を11月に更新致しましたので、確認して下さい。

 2日(月)の『小右記』講読会は、学生行事週間中なので、お休みにします。
 3日(火)は、国民の祝日ですから、キャンパスプラザの授業はありません。
        ゼミ『吾妻鏡』講読会もお休みです。
 7日(土)は、福山の広島県立歴史博物館で、平家関連の特展を見てきます。誰か行きますか?
 また、17(火)~19日(木)は共同研究室を入学センターにお貸ししますので、17日(火)は(すし詰めですが)教授室で行い、19日(木)は『吾妻鏡』を読まないで「六波羅」を歩くことにします。

 ★ 『紫苑』第8号の執筆者は、そろそろ書き始めないと間に合わなくなりますよ。

学園天国-次回の『吾妻鏡』-

岩田慎平
No.6907

 学祭シーズンに入りまして、来週11/3(火)はお休みとさせていただきますが、その次の週の火曜日の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2009年11月10日(火)14:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 共同研究室

 範囲:建長二年(1250年)九月十日・十八日、十月七日、十一月十一日・二十八日・二十九日、十二月三日・五日・七日・九日・十一日・十五日・二十日・二十三日・二十七日・二十八日・二十九日
    建長三年(1251年)正月一日・四日・五日、二月一日・十日・二十日・二十四日、三月六日・七日・十四日、四月二十日・二十六日、五月一日・五日・八日・十五日・二十七日、六月五日・十日・十五日・二十日・二十一日・二十二日、七月四日・八日・十日・二十日、八月六日・二十一日・二十三日、九月五日・二十日、十月十九日・二十九日、十一月十二日・十三日・十八日・二十二日・二十七日、十二月二日・三日・五日・七日・十七日・二十二日・二十六日・二十七日の各条

 毎週火曜日の『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられています。後期もどうぞよろしくお願いします。秋から何か始めてみようという方も、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加ください。

中国からのアクセスができます

金澤正大
No.6903

こんばんは、お久しぶりです。

長らく、通常ではアクセスできなかった、掲示板にやっとアクセスできるようになりました。そこで、最近のブログ記事(『歴史と中国』2009年10月)として、「良渚博物院」「跨湖橋遺址(遺跡)博物館」を紹介します。いずれも、浙江省杭州市にあり、昨年および本年9月に開館したばかりです。稲作農耕の起源として知られる長江文明(8000年前の跨湖橋文化・5000年前の良渚文化)の主要遺跡にできた博物館です。

日本中世史研究も日中交流の時代へ

No.6904

 金澤先生、お久しぶりです。
 中国からも、この掲示板にアクセスできるようになったということですね。
 先生のサイトは、現代中国を知る上で貴重な情報を提供してくれていると思います。
   http://km45.spaces.live.com/

 これからは、東アジア規模で中世の歴史も語られるようになっていくのだと思います。
 私も、目下、千葉氏一族出身の入宋・渡元僧について調べております(日本国内の活動ばかりですが)。

 金澤先生には、東国武士に関する新しい御研究の発表も期待致しております。ぜひとも、宜しくお願い申し上げる次第です。

 * 話は変わりますが、山田邦和先生が、「日本の首都はまだ京都なのだ」と仰っておられますので、ご紹介。 →http://heike.cocolog-nifty.com/kanwa/2009/10/102-9298.html

肥後・薩摩巡見の御報告(一部追記あり)

No.6902

 昨日の講義。話の力点は異なるものの、両方とも「院政の成立」だけで時間を使い切ってしまいました。
 待賢門院が出てくると角田文衞先生のことを話したくなる、というように、話題が拡散して収拾がつかなくなってしまうのが原因です。
 本題の後白河院や法住寺殿は次回回しと相成りました。
 ちなみに、来週は祝日(京女は学園祭)ですから、次の講義は11月10日になります。

 京博の特展を見学するために広島から上洛された江波さんを囲んで、ゼミ参加者と女坂の「里」で夕食。昨今、研究者を目指す若者たちには過酷な情況ですが、みんな素晴らしい才能を持っている。面白ければ突き進んで欲しいと思います。一度しかない人生の旬をたいせつに。

 熊本のお話ですが、23日は夕刻に藤崎八幡宮や夏目漱石の旧居(豪邸です)などを訪ねて街中を歩き回りました。
 前回来た時、ぐうぜん阿蘇品保夫先生と出会うことの出来たバス停やら、行ってみて思い出す場所も多く、また、店先にとても礼儀正しい御主人のおられる天正年間創立という朝鮮飴屋さんや、工藤敬一先生の論文集や普及版『吾妻鏡』の配架された格調高い古本屋さん等、なかなか楽しいお店が並んでいて、面白がっているうちに結構な距離を歩いてしまいました。

 人もみな親切。愛知学院大学の松薗先生や鹿児島大学の日隈先生の御出身地であることは、「さもありなん」と思われます。

 夕食は呉服町・東急イン地下の「雑魚屋」にて。私は、このところ本物のビールを飲むと後で気分が悪くなりますので、ノンアルコールのビールを頂きました。

 24日は、出張講義終了後、鹿児島に向かいました。鹿児島中央~新八代間に新幹線が開通したおかげで僅か一時間で到着。しかし、トンネルばかりで、情緒も何もありません。

 ちょうどこの日は、鹿児島県歴史資料センター黎明館で「熊襲・隼人の時代を語る」というシンポジウムが開かれており、それには間に合いませんでしたが、終了後の懇親会に合流させて頂きました。
 ラサール学園の永山修一先生や隼人研究の第一人者である中村明蔵先生と久しぶりにお目にかかることが出来ました。
 また、近年、南九州おける古墳時代研究に新風を巻き起こしておられる鹿児島大学総合研究博物館の橋本達也先生にも初めてお目にかかることが出来ました。
 橋本先生は、学部は青山学院大学史学科の御出身の由。すばらしい後輩との邂逅でした。
 
 25日は地元新聞社の編集局長や鹿児島国際大学の講師をつとめられた旧知の先生の車(プリウス)に乗せて頂いてミュージアム知覧へ。おりしも小雨模様。
 先年のゼミ旅行の時も大雨でした。その時は、夏祭りか何かで駐車場が満杯で苦労したので、「まさか」とは思ったのですが、その「まさか」が現実となり、今回も「農業祭」というのが開かれていて、あの時入れた駐車場にも入れないという有様。
 でも、運転して下さったのは地元の通人ですから、何とかなったという次第でした。

 いきなり押しかけたにも拘わらず、学芸員の上田耕先生は農業祭の会場から駆けつけて下さり、また小学生時代に上田先生の企画した博物館のイベントに参加したことを切っ掛けに考古学に志し、ついにはこの博物館の学芸員になったという好青年・坂元恒太先生にもお目にかかることが出来ました。
 先年のゼミ旅行の際に大変お世話になった新地先生は、あいにくお休みでした。

 ここでは、展示資料の中に、ひょっとすると、とんでもない価値を有する絵巻を発見(稚拙な表現ながら、流鏑馬・犬追物・相撲・巻狩等の様子が描かれており、製作年代が何時であろうと武士論研究には間違いなく貴重な史料)。坂元先生に、学界への紹介をお願いしてまいりました。

 この日、新幹線を乗り継いで宇治に戻ったのは深夜。怠け者の私にしては、良く動(「働」ではありませんね)いた三日間でした。エライ・エライ!(誰もほめてくれないので)。

 ☆ 大阪工業大学の大村拓生先生より、御高論「鎌倉後期の尼崎-長洲荘「悪党」教念・教性の活動を通じて-」(尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第39巻第1号)を御恵送頂きました。
 大村先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 神奈川県立金沢文庫の永井晋先生より、新刊の御高著『北条高時と金沢貞顕』(日本史リブレット人035、山川出版社)を御恵送頂きました。
 永井先生に、あつく御礼を申し上げます。
 ちなみに、私もこのシリーズで『源義家』を書かせて頂くことになっております。

Re: 肥後・薩摩巡見の御報告(一部追記あり)

新地 浩一郎
No.6910

 野口先生、ゼミの皆様、本当にご無沙汰しております。先日の先生ご来訪時は、後輩の結婚式に出席しておりました。
 合併してまもなく2年、相変わらず川辺の研究をしています。現在は江戸時代に川辺郷地頭仮屋が編纂した2つの名勝誌の翻刻と記述比較をしています。来年度以降は川辺町史談会も翻刻に取り組むということですので、近いうちに活字化して研究者・市民に広く公開できればと思っています。
 11月11日と12日の二日間、出張のため京都へ上洛することになりました。都合があえば、先生の元へ伺いたいと思っています。

熊本での「出張講義」のご報告

No.6900

 書き込みの間隔がずいぶん空いてしまいました。このところ、ほんとうに忙しくて叶いません。なにしろ、いろいろと締め切りの多い時期なので、自転車操業を繰り返しています。

 そんな最中、24日の土曜日は熊本まで出張講義に出かけてきました。集合が午前なので前泊。23日の夕刻に熊本市に着き、諸所を見学。24日も、講義終了後、新幹線を使えば僅か1時間で行ける鹿児島に脚を伸ばし、翌日は日曜なので一泊して、知覧に行ってまいりました。地元の方々と旧交を温めることが叶った上に、研究上の収穫も多大でした。

 いろいろ御報告したいことがあるのですが、今は時間がないので、出張講義のみについて。

 呼んで下さった高校は、校地全体が中世から近世初頭にかけて存在した城郭に立地します。しかも一部だけというのではなく、ほぼその全域を占めるというのですから、すごい。もちろん、校地の回りには石垣や堀ものこります。早めに出かけて、『新修熊本市史』掲載の図面を広げながら城跡の周囲を一回り。講義前の昼食の時間にも、図書館裏の船着き場跡を見学。校地内にも石垣がのこっていました。
 近世には熊本藩の大身の家臣の屋敷が並んでいたようですが、そのうち3500石取りの松井家は、私の研究テーマの一つである上総氏にゆかりのある家であり、何かの因縁を感じました。
 ちなみに、この城域を南端にとりこんだ巨大な近世城郭が、この城の最後の城主となった「虎退治の話で有名な武将」によって構築されるのですが、その巨大城郭の北東部にとりこまれた中世の城郭は「千葉城」という、私を歴史の道に誘い込んだ城跡と同じ名をもつことも因縁じみていると思った次第です。

 さて、話を元に戻して、この城跡に立つ高校ですが、男女共学でありながら、生徒は女子だけというユニークな学校でした。生徒さん(みんな礼儀正しいのに感動しました)の話では、学校説明会には男子も2、3人は来るのですが、結果的にはゼロになるとのこと。また、ちゃんと男子トイレも用意されているのだそうです。まあ、名門女子校の伝統を引いているので、男子は入りにくいのかも知れません。 

 講義(テーマは「武士の都としての平安京・京都」)はとても楽しく行うことが出来ました。なにしろ、生徒さんが意欲満々、興味津々で臨んでくれたので、話のし甲斐がありました。六波羅や七条町の地図や法住寺殿跡から出土した鏡轡を載せた資料にも目を輝かせてくれて、与えられた時間はあっという間に過ぎてしまいました。
 出張講義は、こういう喜びがありますので、出掛ける甲斐があるのです。

 最後の城主が加藤清正で、島津氏征討の際に豊臣秀吉も在陣したことのある「隈本城」跡にある熊本県立第一高校で私の講義を聴いてくれた皆さん、ありがとうございました。

【追記】
 ☆ 髙橋昌明先生より、新刊の御高著『平家の群像 物語から史実へ』(岩波新書)を御恵送頂きました。
 新書ながら、新知見が随所に盛り込まれていて、読み応えがあります。
 ライフワークを着実に結実させている髙橋先生に敬意を表しつつ、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ NHK出版の石浜哲士さんから、新刊のNHKブックス、山本博文『江戸に学ぶ日本のかたち』を御恵送頂きました。もちろん、本書の編集作業を担当したのは石浜さん。
 石浜さんに、あつく御礼を申し上げます。

 熊本・鹿児島を旅して、九州武士団をテーマにしたNHKブックスの執筆。大いに意欲を喚起させられました。
 なお、私の前に、某著者による「平安時代の夜」をテーマにした本を宜しくお願い致します。