懸賞論文募集のお知らせ

No.6341

 「第23回 宗教・文化研究所懸賞論文募集要項」から、その大要を抜粋します(詳しくは学内の掲示を御覧下さい)。

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 テーマ 親鸞の思想、仏教思想や宗教思想等あるいは現代社会の直面しているさまざまな問題について、宗教の視点も加えて論評したもの。たとえば性差別や生命倫理の問題、地球環境、ITの普及、少年犯罪やカルト宗教をめぐる問題に関するもの。題は自由。また、エッセイの形式でも可。

1 応募資格 京都女子大学・京都女子大学短期大学部学生および京都女子大学大学院学生
2 応募締切日 平成20年10月1日(水)正午
3 原稿枚数 原稿用紙使用の場合⇒400字詰、A4・縦書き15枚程度
        パソコン使用の場合⇒40字×30行、A4・縦書き5枚程度    
4 原稿提出先 宗教・文化研究所(大学宗教教育センター内)
5 入選発表・表彰式 平成20年12月5日(金)「心の学園記念式」
   ◎ 審査の上、入選者には下記の賞金と賞状を差し上げます。
     特選 10万円  優秀作 7万円  秀作 5万円  佳作 3万円  
   また、入賞作品は平成20年度「宗教・文化研究所だより」第48号(平成21年2月下旬発行予定)に掲載される他、学園内の広報誌に氏名・表彰風景等が掲載されます。
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 歴史学や国文学の視角から、こうした課題に取り組んでみるのも面白いかと思います。ゼミメンバーをはじめ、諸姉の積極的な応募を期待しています。結果が良ければ、アルバイトと研究を両立させるより、時間的にも経済的にも有効だと思います。

◆ HP管理人さんにお願いして、トップページの「今月の予定」とコンテンツの一つである「講演予定」の入力システムを改めて、臨機応変に更新できるように致しました。こちらの方も御覧いただければ幸いです。

☆ 東北芸術工科大学の入間田宣夫先生より、御高論「奥六郡から奥羽両国へ-平泉の政権の成り立ちをふりかえって-」掲載の『季刊東北学』第16号を御恵送頂きました。
 入間田先生に、あつく御礼を申し上げます。
 考えてみると、こうしたジャンルでの地域からの<学問的な発信力>は、思いの外、京都は弱いように思えます。

☆ 神奈川県立金沢文庫の永井晋先生より、永井先生が編集・執筆を担当された企画展展示図録『徒然草をいろどる人々』を御恵送頂きました。同名のタイトルの企画展は9月28日(日)までの会期で開催中。これは、ぜひ見学に行かなければなりません。
 永井先生にあつく御礼を申し上げます。

暑中お見舞い申し上げます。

No.6337

 猛烈な暑さはこれからが本番という有様ですが、暦の上では早くも明日が立秋。
 今年も諸事に追われ、且つ耄碌に苛まれてきちんと「暑中見舞い」の葉書を出すことが出来ませんでした。そこで、略儀ながら、この場をお借りして御挨拶申し上げる次第です。

 ゼミメンバーのうち、寮生の皆さんはすでに帰郷されたでしょうか?
 9月に院試、年末に卒論提出、年明けに修論提出をひかえた諸君は、とりわけ暑さにめげずに頑張ってください。希望と目標のあることは最も幸福なことだと思います。

 「通販生活」ならぬ「通院生活」を余儀なくされるようなことにならないように、皆様、くれぐれも健康に留意してお過ごし下さい。

 ◎ 近々、幹事をお願いしている田中さんから御案内を頂けることと思いますが、鈴木君・旧姓永富さん御夫妻のお祝いの会が9月末の土・日頃(昼)に開催される予定です。
 とくに、ゼミ(古参)メンバーは予定を空けておいて下さい。

 ☆ 新人物往来社の大出俊幸さんから賀名生岳『風歯』(新人物往来社主催・平成19年度「第32回歴史文学賞」受賞作)、NHK出版の石浜哲士さんから中尾知代『日本人はなぜ謝りつづけるのか 日英〈戦後和解〉の失敗に学ぶ』(生活人新書 最新刊)を御恵送頂きました。
 大出さん、石浜さんにあつく御礼を申し上げます。

平頼盛邸(八条池殿)跡の発掘調査

No.6336

 今日は午前中、(財)京都市埋蔵文化財研究所(http://www.kyoto-arc.or.jp/)が発掘調査中の平安京左京八条三坊四・五町跡の現地説明会に行ってきました。

 場所は近鉄京都駅の北側。ホームにそう形で東西220メートル、南北6メートルの東西に長い範囲で、ちょうど平安京左京八条三坊四・五町の真ん中を東西で分断したような位置関係になります。

 想像以上に幅の広い町尻小路の遺構もしっかりと検出されています。この道を北に延ばすと、そこは七条町の中心部。あの、『病草紙』に描かれた当代を代表する京女(きょうおんな)「七条わたりの借上」が活躍したところです。なお、拙稿『京都七条町の中世的展開』(京都文化博物館紀要『朱雀』1)を参照のこと。

 四町の地は12世紀に関白藤原忠実が阿弥陀堂を建立したところで、それに関係のありそうな建物遺構が検出されていました。

 五町は平清盛の弟で八条院庁の別当でもあった頼盛(池殿)の邸宅のあったところ。
 八条院は後白河院の妹の暲子内親王。彼女は当時最大の荘園領主で、私の生まれ故郷の千葉(千葉庄)もその一つでした。12世紀末期、現在の京都駅周辺一帯は八条院の院庁や御所・御倉町で占有されていたのです。
 ここからは、邸内の池に水を供給したと思われる礫敷をともなう泉の遺構が検出されていました。また、大宰大弐をつとめ日宋貿易に積極的に関与した平頼盛の邸宅跡だけに、とても珍しい舶載陶磁器も出土していました。

 それにしても、この連日の猛暑の中で発掘調査に従事されている方々の御苦労が察せられます。
 いつも思うのですが、考古学者は本当に偉いのです。
 プリンセスラインの京都駅八条口の停留所のすぐ近くなので、学期中ならば、京女(きょうじょ)の学生のみなさんにも見学に行って貰いたかったのですが。時期がはずれて実に残念でした。

 現場では、予想通り、山田邦和先生にお目にかかることが出来、書評会の開催について、直接ご同意を頂くことが叶いました。後期に実現をはかりたいと思います。

 ☆ 鹿児島の林匡先生より、御高論「島津一門家の成立-越前(重富)島津家再興を中心に-」(『黎明館調査研究報告』21)・「島津吉貴の時代」(同)を御恵送頂きました。
 近世の島津氏も、京都の近衛家との関係、はたまた琉球支配の問題など、さまざまな方面で興味津々たるものがあります。
 林先生にあつく御礼を申し上げます。 

前期の〆の吾妻鏡と公開講座レビュー

No.6332

 昨日は『吾妻鏡』に続いて、2008年度公開講座レビューを開催致しました。レビューの報告は結局私が担当したのですが、非常に狭隘で偏りのある報告を行いまして、多数の参加者のみなさんにご迷惑をおかけしました。
 しかしながら、当日の両先生のご講演内容を振り返ることでいろいろと再発見もありましたので、それぞれの今後の研究に活かすためにも、これからも(事前学習も含めて)このような催しを開催できればと思います。

 さて、『吾妻鏡』の前期の日程は昨日で終了となり、次回は後期となります。詳しい日程等は、参加者の皆さんのご予定を勘案しつつ、後日に改めてご案内します。

 ちなみに次回以降の範囲は以下の通りです。

 『吾妻鏡』嘉禎四年(暦仁元年、1238年)十月十三日・十四日、十二月七日・十六日・十九日・二十三日・二十四日・二十五日、
         暦仁二年(延応元年、1239年)正月十一日、二月十四日・十六日・三十日、三月十七日・二十九日、四月十三日・十四日・二十四日・二十五日、五月一日・二日・十四日・十五日・二十三日・二十四日・二十六日、六月六日、七月十五日・二十日・二十五日・二十六日、八月八日・二十二日、九月十一日・十六日・二十一日・三十日、十一月一日・二日・五日・九日・二十日・二十一日、十二月五日・十三日・二十一日の各条

 『吾妻鏡』講読会は、参加者のみなさんの自主的な積極性によって支えられております。どなたさまでも、まずは見学からでもどうぞお気軽にご参加下さい。

講読会の後期日程の調整について

No.6335

 公開講座の事後勉強会は岩田君の御尽力によって、とても充実したものになりましたが、とりわけ一回生には好評だったようで、「当日は難しかったけれども勉強会のお話ですっきりした!」という声が届いております。

 本日、その一回生のみなさんは、江波さんの御案内で、八坂神社境内・疫神社の夏越祭に行かれた由。大茅輪をくぐって、すっかり厄気をはらった諸姉の今後の御活躍を期待したいところです。
 ちなみに、ふだん早朝から祇園でお仕事をされている大先輩のお姿を見にうかがったのですが、残念なことに御不在だったとのことです。

 後期の『小右記』講読会ですが、どうやら水曜ではなく、木曜日に落ち着きそうです。江波さんに調整して頂いていますが、もしまだ、この件で江波さんに返信をされていない方がおられましたら、早急にお願いいたします。何事もルーズな対応はいけません。

 『吾妻鏡』講読会の日程調整についても、宜しくお願いいたします。

 ☆ 愛知大学の山田邦明先生より、新刊の御高著『全集日本の歴史 第8卷 戦国の活力』を御恵送いただきました。
 小川剛生先生の御著書を拝読して、俄然、戦国期に興味をかきたてられていたところに、大変ありがたい御本を頂戴したと思っております。
  山田先生に、あつく御礼を申し上げます。
  なお、後進の方々のために付言しておきますが、山田邦明先生は同志社女子大学の山田邦和先生の御親戚ではありません。しかし、世上の風聞によれば、盃は交わしておられる由です。

 ☆ 神奈川県立金沢文庫の永井晋先生より、御高論「本覚大師諡号事件にみる中世国家の意思決定-延慶年間の山門嗷訴の分析から」(『日本仏教綜合研究』6)を御恵送頂きました。
 永井先生の精力的な御研究には脱帽せざるを得ません。あつく御礼を申し上げます。 

井上章一『日本に古代はあったのか』

No.6323

 元木先生および『台記』研究会メンバーの皆様、昨日は急な欠席を致しまして失礼いたしました。予算執行に関する具申の書類を書かなければならなくなり、京大にお邪魔する時間を確保できませんでした。何処も同じようですが、事務仕事に追われて「研究」がなかなか捗りません。

  ところで、先に小川剛生『武士はなぜ歌を詠むか』という極めて実証的で説得力のある本を紹介させていただきましたが、これとは趣を異にして日本古代・中世史の「学史」に切り込んだ、これまたインパクトに満ちた本を岩田君から紹介していただきました。井上章一『日本に古代はあったのか』(角川選書)です。

 井上氏による「関東史観」批判については、昨年9月の日本史研究会例会報告や12月の茨城大学シンポにおける基調講演でも触れたのですが、それは新聞記事に基づくものでしたが、本書においてその全貌が提示されたわけです。センセーショナルな題名のように見えますが、もともと関東史観の大信奉者で、今は京都学派の立場に近いスタンスでいることを自認せざるを得ない私にとっては、自分の置かれている位置を再確認する上で、とても有り難い内容をもつ本だと思いました。

 これまで、直接・間接にお世話になった諸先生のお名前も続々と登場し、時には一刀両断の体。なるほど、と思えることが山ほどあります。これは、ぜひ京都嫌いの各地の研究者にお読みいただきたい。また、著者には東北出身の角田文衞氏の時代区分論や史観にもぜひ触れて欲しかったと思いました(その意味から、「角田史学」の継承者である〈京都人の〉山田邦和先生には、ぜひ本書をお読み下さり、御感想をお聞かせ願いたいと思っています)。

 今年の歴史学研究会大会に出かけた感想は、まさに京都の研究者と東京の研究者の歴史に対する問題意識、あるいは歴史認識の落差のようなものでありましたので、若い人たちにも是非読んで頂きたい本です。

 当ゼミとしては、近々に本書の書評会を開きたいと思います。参加者は少数の方がよい。録音し、テープを起こして『紫苑』に掲載することを提案します。「我こそ」と思われる参加希望の方はお申し出下さい。こちらからも、直接お願いいたしますが。


 ☆ 東海大学の落合義明先生より、御高論「南北朝期相模守護と鎌倉-河越氏の守護時代を中心に-」(『三浦一族研究』12)・「新刊紹介 峰岸純夫・入間田宣夫・白根靖大編『中世武家系図の史料論 上・下巻』」(『史学雑誌』117-4)を御恵送いただきました。
 落合先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ※ 『吾妻鏡必携』の内容の詳細は、『日本歴史』8月号の吉川弘文館の広告12ページを御覧下さい。
  なお、私は編者として参加させていただいたのみで、担当部分の監修は行いましたが、もとになった原稿の直接的な執筆は致しておりません。

 > 岩田君  そろそろ、29日(火)の「公開講座事後勉強会」についての告知をお願いいたします。 

【公開講座レビュー】のお知らせ

No.6324

◆ ずっと下で予告した『公開講座の「事後勉強会」』ですが、7月29日(火)の『吾妻鏡』の後に開催したいと思います。

 内容としては、事前準備も含めた運営の反省や、ご講演内容の振り返りと今後の課題、などを、みなさんで意見交換したいと思います。

 そこで、「近藤先生のご講演」・「川本先生のご講演」・「当日の雑事」について基調報告(?)して頂ける方を募りたいと思います(どなた様も名乗りでない場合は、指名します)。お引き受けいただける方は岩田までご連絡をお願い致します。

 日時:2008年7月29日(火)18:00~
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 内容:2008年度宗教・文化研究所公開講座の振り返り

 公開講座にご参加下さった方はもちろん、お出でになれなかった方も、この機会に今年度の公開講座を振り返りましょう。

◆また、同じ日にいつものように開催する『吾妻鏡』のご案内です。前回は、「恋は遠い日の花火ではない」ようなお話が出てきましたが、次回はその続きからです。

 日時:2008年7月22日(火)15:00頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』嘉禎四年(暦仁元年、1238年)九月二十四日・二十七日、十月三日・四日・十一日・十二日・十三日・十四日、十二月七日・十六日・十九日・二十三日・二十四日・二十五日、
         暦仁二年(延応元年、1239年)正月十一日、二月十四日・十六日・三十日、三月十七日・二十九日、四月十三日・十四日・二十四日・二十五日、五月一日・二日・十四日・十五日・二十三日・二十四日・二十六日、六月六日、七月十五日・二十日・二十五日・二十六日、八月八日・二十二日、九月十一日・十六日・二十一日・三十日、十一月一日・二日・五日・九日・二十日・二十一日、十二月五日・十三日・二十一日の各条

尻池さんの宇治報告の応援に行きます。

No.6325

 「恋は遠い日の花火ではない」ようなお話。残念なことに、碩学のお書きになった当該人物の伝記には取り上げられていないようです。それにしても、『吾妻鏡』というのは、頼朝の浮気の話も書かれていますし、本当におもしろい史料だと思います。

 すでにお知らせしたように、古代史サマーセミナーで、尻池さんが宇治をテーマにした研究発表(「宇治における摂関家の儀礼)をなさいます。その応援に岩田君と出掛けることに致しました。私は27~28日、岩田君は28~29日の参加で、二人がかりで全日程をカバーという次第です。

 29日の「公開講座事後勉強会」には、多くの方の出席を期待しています(講座に参加出来なかった方のために、当日配布した講演資料を用意しております)。報告者の「指名」については岩田君に全権を委任致しました。私はとくに川本先生の御報告に対して私見を申し述べたいと思っています。公開講座の準備の段取りや懇親会のあり方などについても御意見を頂ければ有り難いところです。

 井上章一『日本に古代はあったのか』の書評は、岩田君が立候補して下さいました。
 ちなみに、京都学派の東洋史学者の中国中世史理解については、すでに角田文衞氏が、「日本史における中世の意味」(1979年の講演録。同氏『古代学の展開』山川出版社,2005年 収録)において、井上氏とまったく同様の指摘をされています。
 なお、この論文には「石母田氏を始めとする学者は、マルクスなどが考えた中世の概念を抽出して、その範疇をもって日本の歴史を分析しようとした。そして、日本史の中のどこにマルクスの言う中世史の要素が見出せたかということをもって日本の中世史の概念を設定し、またそれによって日本の中世はいつから始まったのかということを論じるにとどまるのである。これではとても研究という名に値しないと言わざるを得まい」・・・「私たちにとって、いまから100年前のマルクスが何を言おうと関係はない。私たちが忠実でなければならないのは歴史の史料そのものでなければならないのである」・・・「結論的にいうと、これは日本歴史の研究に専念している人々の不勉強と視野の狭さに帰するのである」・・・「現在、関東地方で文化が卓越しているといっても、平安時代の歴史を坂東中心に書いたならば笑い者になるであろう」などと、刺激的な言説が満ち満ちています。要一読。
 
 ☆ 摂南大学の美川圭先生より、先生が専門委員のお一人として編纂にあたられ、その一部を執筆された『寝屋川市史 第十卷 本文編』を御恵送下さいました。先生の執筆部分は畿内古代中世史の最新の成果というべきもので、『台記』研究会で御報告頂いた内容が存分に盛り込まれています。
 美川先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ 長野工業高専の中澤克昭先生・長野県歴史館の村石正行先生の御連名で、井原今朝男・牛山佳幸編『論集 東国信濃の古代中世史』(岩田書院)を御恵送頂きました。
 教育県として知られる長野に於ける地域史研究の水準の高さを如実に示した本であると思います。
 中澤先生は「武家の狩猟と矢開の変化」、村石先生は「地方曹洞宗寺院の文書目録作成の歴史的意義」という論文を書かれておられます。
 中澤先生ならびに村石先生に、あつく御礼を申し上げます。

Re: 井上章一『日本に古代はあったのか』

山田邦和(同志社女子大学)
No.6326

野口先生、皆様、おひさしぶりです。
呼ばれたので出てきました。
井上章一氏の『日本に古代はあったのか』、本屋さんではみかけましたが、まだ入手しておりません。パラパラと見た限りでは、刺激的かつ挑発的な議論だとは思ったのですが、かなり旧い説を相手に独り相撲をとっておられるような感を受けた(失礼!)ので、あえて購入しませんでした。野口先生のおっしゃる通り、井上氏が御自分の新発見のように説いておられることを、角田文衞先生は何十年も前から主張し続けておられる、というところもあるように思います。とはいうものの、きちんと読まずにこんな批評をすることはアンフェアですね。野口先生の御指示に従い、近く入手して読んでみたいと思います。

角田先生の「日本史における中世の意味」は、『古代学の展開』の刊行にあたって、ぜひこれを載せようと主張し、私がテープ起こしをしたものです。野口先生に「要一読」と言っていただけて、ちょっと嬉しい・・・

鎌倉時代も古代に時代区分した研究者

No.6327

 山田先生、勝手にお名前をお出しして申し訳ありません。『古代文化』で「角田史学」の特集を組むという企画もありますから、ちょっと議論してみませんか?

 この井上章一氏の著書は、今日の日本社会に蔓延している「関東史観」の成り立ちを明らかにしたものですが、それとオーパーラップするのが近代以降の「武士」認識だと思います。また、京都学派の日本史認識という点では、よく言われる中世国家の理解についての東西研究者の(対立)の問題が想起されます。

 私は中世前期の地方武士の存在形態を考える場合に、これまであまりにも不当な形で「京都」が等閑にされていたと考えておりますので、等閑にされた理由を考え、それを改めてもらうためにも、この辺りの問題を検討する価値があると思っています。

 井上氏の著書は、こうした問題を正面切って論ずるというものではありませんが、研究者の経歴の考察などから、それが却って分かりやすく、また氏がこの方面を本業とされる立場でないことから忌憚なく率直に論じられており、それが有り難いところでした。

 この本をとっかかりにして、中世前期の武士論、権門体制論や東国国家論、王権論などを俎上に載せて議論してみたいと考えるのですが如何でしょうか?
 ちなみに、京大日本史の担い手のお一人である元木先生も、本書を読んで下さるとのこと。御感想が楽しみです。

 それにしても、井上氏が、世界史的視野から「古代」を論じ、独自の時代区分を示された〈東北育ちで京大出身、かつ深く貴族文化を憧憬した〉研究者の提唱した学説(「角田史学」)に言及されなかったのは、とても残念なことだと思います。

 * 本日、京都は午後から大雷雨。明日が締め切りだというのにレポートを持ってきた学生さんはたった一人。大丈夫でしょうか。
 落雷による一瞬の停電で、書いたものがスッカリ消えてしまいましたという電話が一本。雷公さんは大変な実害をもたらしているようです。

Re: 井上章一『日本に古代はあったのか』

No.6328

 さっそく昨日、私も読んでみました。おもしろくて、いっきに読めました。

 私も、最近、律令成立期から南北朝ぐらいまでを、一つながりでみるくせがついているので、共感するところが多かったです(拙著『院政』もそうなっているでしょ)。そうか、7世紀から中世と考えるのも、いけるのかも、と今思っています(まだそれほど厳密に考えてはいませんが)。というか、それを全部中世と見ることが可能とは、思ってもみませんでした。京大東洋史の時代区分との関係で見るという視角は新鮮でした。私も昔、学生時代に宮崎市定の中国史を読んだのですが、そうか、宮崎史学では唐は中世だったのか。再読したくなりました。でもはたして邪馬台国までいけるかな。

 それから、鎌倉時代も古代、というので思いだしたのですが、たしか東大史料編纂所の古代史料部門も鎌倉時代まででした。あれはどういう経緯でああなったのでしょう。ご存知の方がおられたら教えていただきたいと思います。

 この議論、野口先生のおっしゃるように、かなりおもしろいと思います。

Re: 井上章一『日本に古代はあったのか』

山田邦和(同志社女子大学)
No.6329

>この本をとっかかりにして、中世前期の武士論、権門体制論や東国国家論、王権論などを俎上に載せて議論してみたいと考えるのですが如何でしょうか?

野口先生、面白いですね。ふだんはあんまりそんなことまで議論がいかないので、結構なご提案だと思います。井上氏の御本、買いに行ってきます。

日本史研究における「京都」と「地域」

No.6330

 美川先生、山田先生、ご賛同ありがとうございます。
 この本は、一般読者よりも日本史研究者が楽しめる?本なのではないかと思います。

 古代と中世の時代区分について私は、以前から自治体史の仕事をしている時、「中世史部会」も「古代史部会」も居心地が悪くて困ることがありました。言うまでもなく、私自身の能力不足が主な理由なのですが、ほとんどの自治体史が鎌倉幕府の成立をもって中世のはじまりとしていることにも原因があるのだと考えています。

 そもそも、ごく最近まで東国武士の研究史料として記録(公家の日記)が使われていなかったことも、考えてみれば不可思議千万なことで、「貴族」と「武士」、「京都」と「東国」(地方)、「都市」と「農村」、さらにいえば「女性」と「男性」といった対立の図式が歴史学者の脳裏をも支配していたからなのではないかと思わざるを得ません。

 最近、建築史を専門とする若い方たちなどと『吾妻鏡』を読んでいて思うのは、以前とはまったく逆に、鎌倉と京都の親近性です。極端な物言いかも知れませんが、東国武士といっても、人生の何分の一かは京都で生活しているのだから、すっかり京都人だというように思えてきました。

 なお、この問題に関連いたしますので、一昨年、東北大学で開催されたシンポジウム「東北像再考-地域へのまなざし、地域からのまなざし」でお話しさせていただいた「日本中世史研究の現状から「地域」を考える-柳原敏昭氏「東北と琉球弧」へのコメント」(『東北文化研究室紀要』通巻第48冊,2007年)の一部を抜粋掲出させていただきます(注は省略)。
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3 地域史研究における今日的課題
 近代の軍国国家日本を席巻し、今日もまた蘇りの気配を見せる「武士道」の概念を創作した新渡戸稲造が、島尾敏雄の両親と同じ東北の出身であることは興味深い。新渡戸は盛岡南部藩士の家に生まれ。彼の「武士道」概念は自らの受けた教育などの体験に基づくと考えられているから、この点は重要である。島尾は「武士道」を「あまり感心しない」ものと捉え、そこに人間の「固い顔つき」を見出しているが、それは彼のルーツである東北に向けられた眼差しであったのかも知れない。 
 島尾がその一部を否定的に評価する武士的なもののルーツが東国にあったとすると、彼は西国の社会や文化をどのようにとらえていたのであろうか。網野善彦も指摘するように、今日においても関東がタテ的で男系の本家分家関係を重視するのに対し、関西の社会はヨコ的で姻族を重視する傾向が強い。島尾は少年期と三十歳代の前半、通算すると十五年ほどの間、神戸で生活している。この体験も彼の思想形成に大きく影響しているのではなかろうか。そのように思うのは、私自身、千葉県で生まれ育ち、三十五歳になって京都に転居した際、地域の文化・社会のあり方の相違に大きな驚きを感じた経験を持つからである。
 西の文化の中心は京都であった。今日、とりわけ各地の中世地域史を研究する人たちから、ある種の「忌避」の目でみられがちな京都である。京都の文化は「雅(みやび)」とか「はんなり」と言った言葉で表現される。これと南島の「人間的なあたたかみ」はまた別種のものであろう。島尾の京都論はどのようなものであったのだろうか。
 最近、京都では観光振興の目的もあいまって、京都の文化こそが日本文化だと言わんばかりのキャンペーンがはられ、それは教育現場にまで及んできている。一方、上述のように歴史が「中央」と「地方」のパラダイムで語られることへの反発も根強く、出来るだけ京都の存在を相対化して歴史を考えようとする傾向が見える。相対化ならまだしも、捨象と受け取らざるを得ないものも見受けられる。
 京都文化を日本文化と同一視することは戦前のような国粋主義に結びつく懸念がもたれるが、その一方で、文書・記録はもとより、地中の遺構や遺物も含めて、京都に遺された歴史資料の量は、日本列島のほかの地域との比較においてのみならず、世界的に見ても圧倒的なものがある。しかも、京都は列島各地との経済・文化交流の結節点としての機能を担っていたのだから、これを踏まえずして各地域の歴史は語れないはずなのである。
 島尾敏雄の「等距離で見渡せるような場所から、日本を見たいものだと思う」という願望は、歴史学の世界において、右のような課題を止揚した上に達成されることだと思う。
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 なお、このコメントの対象とさせていただいた柳原敏昭先生の御報告「東北と琉球弧-島尾敏雄「ヤポネシア論」の視界-」も前記『東北文化研究室紀要』同集に収録されています。

 ☆ 長野県立松本工業高校の塩原浩先生より、御高論「一条高能とその周辺-姻戚関係と政治的役割-」(井原今朝男・牛山佳幸編『論集 東国信濃の古代中世史』(岩田書院)を御恵送頂きました。
  塩原先生に、あつく御礼を申し上げます。

『吾妻鏡必携』9月刊行予定

No.6321

 岩田君をはじめ、当ゼミの関係者に一部の執筆をお願いした『吾妻鏡必携』ですが、著者再校が済み、9月に刊行の運びとなったとのことです(関幸彦・野口実編,吉川弘文館,税込価格3780円)。
 御協力、ありがとうございました。

 本書は、関幸彦先生による序「吾妻鏡とは何か」を巻頭にして、
 Ⅰ 「訓読法」
 Ⅱ 「用語」「歴史事項」
 Ⅲ 「人物」
 Ⅳ 「系図」
 Ⅴ 「東国武士団地図」「鎌倉地図」「京都地図」「合戦一覧」
 Ⅵ 「年表」
といった構成になる予定です。(当ゼミ関係者はⅢとⅣの一部を担当しました。)

 ☆ 広島大学の下向井龍彦先生より、御高論「軍団と兵士」「変動期の瀬戸内海海域」「対外緊張と周防・長門地方」(『山口県史 通史編 原始・古代』),「徒歩の実資、乗車の実資―『小右記』長和二年二月十二日条から―」(『日本歴史』712),「清盛伝説と音戸瀬戸」(『中国新聞』ひろしま歴史回廊 第5部)を御恵送頂きました。
 下向井先生にあつく御礼を申し上げます。

ケーキの食い納めと「偏執」委員会のお話

No.6317

 昨日(17日)のゼミ例会は、残念なことに出席者が少なかったのですが、しかし、かえって、焦点を絞って細部にまで意見を述べさせて頂くことができたので、よかったのかも知れません。岩田君の貴重な教示を活かして、卒論発表会に臨んで頂きたいと思います。
 報告者からお土産を頂くというのは恐縮な限りですが、会の終了後、小野さんの持参してくれた神戸の最高級のケーキを賞味させて頂きました。お出でになれなかったメンバーは本当に残念でしたね。美味さは「絶品!」の一言に尽きます。

 本日(18日)、大学健康保健センターの御指示に従って、かかりつけのお医者さんに、先日受診した健康診断の結果を、データ持参で報告にまいりました。まあまあの結果だと思っていたのですが、案に相違して、今後ケーキなどの甘いものや脂肪・タンパク質の多い食べ物(とくにアルコールをともなう外食に出されるような食材)の摂取は控えるようにとの、(厳しい)御忠告を頂くことになりました。

 というわけで、あの例会の後のケーキがしばしの「ケーキの食い納め」ということになった次第です。「人生、一寸先は闇」です(これは恩師からの教訓)。でも、最後のケーキが最上のものであったことが、せめてもの救いといえましょう。

 ということで、みなさん。今後、野口にはケーキや宴会のお料理は禁物ということになりましたので、御承知おき下さい。くれないでください、誘わないでください。外食はせいぜい本学の学生食堂(栄養計算が行き届いています)にとどめたいと思います。

 本日は某学術雑誌の編集委員会に出席し、ある優秀な若手研究者から投稿された論文の査読結果を報告して参りました。この論文は、私の手もとには委員会開催の直前に送られてきたので、査読報告は次回まわしにしようかと思っていたのですが、編集委員会案内のメールに「偏執委員会」とあったので、「それなら良い」と俄然やる気になり、本日報告の運びとなったという次第。人は何をもって意欲をかき立てられるか分かりません。

 明日(19日)は研究室で、期末試験の採点を行う予定です。学生さんの評価のみならず、自己評価でもあります。

 ちなみに、先般御恵送頂いた小川剛生先生の新著『武士はなぜ歌を詠むか』(角川叢書)は武士論や中世国家を考える上で実に示唆に満ちた内容をもつ本です。諸賢に一読をお薦め申し上げる次第。
 それにしても、小川先生は私より20歳もお若い。すごい実力者だと思います。

海の日の次の日の『吾妻鏡』

No.6318

 先日の卒論報告会トレーニングマッチでは、相変わらず枝葉のようなことばかり指摘してすみませんでした。報告のときは時間配分も大切なのですが、報告者はそれも申し分なく、当日が楽しみですね。
 ところで、次回、海の日の翌日の『吾妻鏡』のご案内です。

 日時:2008年7月22日(火)15:00頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』嘉禎四年(暦仁元年、1238年)五月二十日、六月五日・七日・九日・十日・十九日・二十四日、七月九日・十一日・二十七日、八月十九日、九月九日・十三日・二十四日・二十七日、十月三日・四日・十一日・十二日・十三日・十四日、十二月七日・十六日・十九日・二十三日・二十四日・二十五日、
         暦仁二年(延応元年、1239年)正月十一日、二月十四日・十六日・三十日、三月十七日・二十九日、四月十三日・十四日・二十四日・二十五日、五月一日・二日・十四日・十五日・二十三日・二十四日・二十六日、六月六日、七月十五日・二十日・二十五日・二十六日、八月八日・二十二日、九月十一日・十六日・二十一日・三十日、十一月一日・二日・五日・九日・二十日・二十一日、十二月五日・十三日・二十一日の各条

史料講読会の今後の実施予定について

No.6319

 前期の史料講読会ですが、火曜日の『吾妻鏡』は岩田君の御案内の通り、月内は継続して実施。
 木曜日の『小右記』は、24日は既に授業がありませんので13時から少し長目に実施と言うことになりました。
 一方、木曜日の主に一回生対象の『吾妻鏡』は、一回生が期末試験で大変な時期ですから、今週でひとまず終了ということになりました。
 後期の『小右記』の講読会日程については江波さんに調整をお願いしていますが、今のところ第一候補は水曜日の午後ということのようです。水曜の場合、私は月に一度、京大で開催されている『台記』の研究会に出席させていただいておりますので、月三回というような形での変則開催と言うことにならざるを得ませんので、ご承知おき下さい。
 一回生の『吾妻鏡』については、後日調整したいと思います。

 ◎ 当方の研究室で管理させていただいている須田春子先生の旧蔵書籍のうち、『大日本古文書』の「幕末外国関係文書」を、近世幕末期研究の第一線で御活躍の本学史学科母利美和先生の研究室で管理していただくことに致しました。
 ひとえに有効利用のためです。
 一昨日、母利先生とそのゼミの皆さんが本の搬出に来て下さいました。
 須田先生もきっと喜んで下さっていると思います。

山鉾巡行の後はゼミ例会。

No.6314

 すでに御案内の通り、ゼミ例会を下記のように行います。
 ゼミの先輩メンバーの方々、今年度卒論を書く四回生はぜひ御出席下さい。
 学友などに、報告テーマに関心のありそうな方がおられましたら、お誘い下さい。

 日時:2008年7月17日(木)18:00~20:00
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室

 報告者:小野 翠(神戸大学大学院生,本年3月京都女子大学卒)
 テーマ:「鎌倉将軍家の女房について-源家将軍期を中心に-」

〈参考文献〉
 田端泰子「鎌倉期の武士の女房」(同『日本中世の社会と女性』,吉川弘文館,1998年)
 石策竜喜「鎌倉武士の婚姻形態についての一試論 -男女の出会いの場としての将軍御所の役割を中心として-」(義江彰夫編『古代中世の社会変動と宗教』,吉川弘文館,2006年)

 ※ 報告者のあげた参考文献は上記の通りですが、やはり『紫苑』6号掲載のご本人の研究ノートが一番だと思います。出席される方はお読みおき下さい。

 なお、『小右記』講読会はⅣ講時、『吾妻鏡』講読会はⅤ講時に予定通りに行います。 ただし、『吾妻鏡』講読会は、例会の準備のために30分早く終了させていただきます。

宵々山の『吾妻鏡』、例会、公開講座レビュー

No.6308

◆ 下にご案内を出したのですが、次回の『吾妻鏡』は15日(火)の開催です。七月十五日といえば祇園祭の宵々山のですから、当日は早めに切り上げて宵々山に繰り出したいと思います。お天気にもよりますが、京都の夏の風物詩を満喫致しましょう。

 日時:2008年7月15日(火)15:00頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』嘉禎四年(暦仁元年)閏二月十三日、十六日、三月七日、十八日、十九日、二十二日、三十日、四月二日、七日、九日、十日、十六日、十八日、二十四日、二十五日、五月四日、五日、十一日、十六日、二十日、六月五日、七日、九日、十日、十九日、二十四日、七月九日、十一日、二十七日、八月十九日、九月九日、十三日、二十四日、二十七日、十月三日、四日、十一日、十二日、十三日、十四日、十二月七日、十六日、十九日、二十三日、二十四日、二十五日、の各条
 その後:宵々山の見物

  (※嘉禎四年はじっくり読んでいこうと思います。18:00頃まで、読めるところまで読んでいきましょう。)

◆7月27日(日)に「大阪歴史学会中世史部会卒論報告会」でご報告される小野さんのトレーニングマッチのご案内です(2008年度ゼミ例会)。お時間の合う方はぜひご参集いただき、活発なご意見の交換をお願い致します。

 -2008年度 ゼミ例会-
 日時:2008年7月17日(木)18:00頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 報告者:小野翠氏(神戸大)
    「鎌倉将軍家の女房について-源家将軍期を中心に-」(仮)

>小野さん 参考文献などのご案内があればよろしくお願いします。


◆ 下で予告した『公開講座の「事後勉強会」』ですが、7月29日(火)に開催したいと思います(時間は追ってご案内します)。
 内容としては、事前準備も含めた運営の反省や、ご講演内容の振り返りと今後の課題、などを、みなさんで意見交換したいと思います。

 そこで、「近藤先生のご講演」・「川本先生のご講演」・「当日の雑事」について基調報告(?)して頂ける方を募りたいと思います(どなた様も名乗りでない場合は、指名します)。お引き受けいただける方は岩田までご連絡をお願い致します。

 日時:2008年7月29日(火)(時間未定←後日ご連絡します)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 内容:2008年度宗教・文化研究所公開講座の振り返り

無粋ながら「期末試験」です。...

No.6309

 来週火曜日(15日)は、「基礎演習Ⅰ」・「総合教育科目7B」の授業の最終日。
 Ⅲ講時の「基礎演習Ⅰ」は、米原さんの「ワーキング・プア」をテーマとする報告です。
 Ⅴ講時は期末試験。宵々山の当日に試験というのは無粋かも知れませんが、祇園囃子を聴きながらコンチキチンと勉強に励んで下さい。

 昨日の史料講読会。やはり、一回生の指導は私よりも先輩メンバーにお願いした方が効果的であることを思い知りました。もはや、パワー不足。夏休み中に各所で計画されている研究関連のイベントも、未だに行けるかどうか思案しているといった有様です。

 ☆ 国文学研究資料館の小川剛生先生より、新刊の御高著『武士はなぜ歌を詠むか 鎌倉将軍から戦国大名まで』を御恵送頂きました。
 最近、地方武士の「文」の側面について関心を深めておりましたので、絶好の教科書を頂いた思いです。
 小川先生にあつく御礼を申し上げます。

よろしくお願い致します。.

小野 翠
No.6313

ご掲示有難うございます。
17日に報告させていただくことになりました,小野です。
ご連絡が遅くなってしまい,真に申し訳ございません。

テーマ:「鎌倉将軍家の女房について-源家将軍期を中心に-」

〈参考文献〉
田端泰子「鎌倉期の武士の女房」(同『日本中世の社会と女性』,吉川弘文館,1998年)
石策竜喜「鎌倉武士の婚姻形態についての一試論 -男女の出会いの場としての将軍御所の役割を中心として-」(義江彰夫編『古代中世の社会変動と宗教』,吉川弘文館,2006年)

以上の内容で報告させていただきたいと思います。
不十分な点等多々あるかと思いますが,多くのご意見・ご指導をいただけましたら幸いです。
どうぞよろしくお願い致します。

学習院大学の兵藤ゼミをお迎えします。

No.6304

 昨日から『吾妻鏡』講読会に、龍谷大学4回生の杉山義弥君が参加されることになりました。米澤君の御紹介です。中世初期の城郭を研究テーマにされている由、御活躍を期待したいと思います。

 ちなみに、昨日の講読会には、岩田師範から「水無月」と「みたらし団子」の差し入れあり。四条東大路を少し下ったところにある老舗のお菓子屋さん(岩田君のお馴染み)のもので、この「水無月」は私が今まで頂いたものの中で最上の美味しさでした。
 岩田君、ご馳走様でした。いつもお気遣い、ありがとうございます。


 2003年8月25日(月)、学習院大学兵藤裕己先生のゼミ御一行を京都女子大学にお迎えし、当ゼミと合同の研究会(学習院大学大学院生の田代さんと当方の長村君が研究発表)を開いた後、法住寺殿跡を御案内し、夜は京都駅前で懇親会という企画が実現したことがありました(翌々日の27日には竹生島にも御一緒させて頂きました)。

 あれから5年、私も兵藤先生もだいぶ白髪が増えました。

 先日、兵藤先生から、ゼミ旅行で上洛するので、その際、法住寺殿跡の案内をしてほしいとの御依頼を頂きました。日程は9月4日(木)。午前に三十三間堂と法住寺殿跡地を見学される予定とのこと。休憩や昼食に是非京女にお立ちより下さるよう、要請しておきました。もちろん、今春、学習院大学大学院に進学された伊藤さんも同行されます。前回のご来訪の際に、活躍した古参の皆さんをはじめ、多くのメンバーの参加(あるいは何らかのお迎えの企画)をお願いしたいと思います。

 ☆ 学習院大学史料館の木村真美子先生より、御高論「中世天皇の暦-室町時代の暦の遺品を手がかりに-」掲載の『室町時代研究』第2号を御恵送頂きました。
 最近、関東・関西ともに若手研究者による室町時代研究が俄に活性化してきたように思います。この機会に、中世前期を専攻されている若手にも、奮起を期待したいところです。
 木村先生に、あつく御礼を申し上げます。 

また次の『吾妻鏡』

No.6305

 前回は範囲のお知らせが間違っておりまして、大変ご迷惑をお掛け致しました。今回は間違いないはずですので、よろしくお願いします。

 日時:2008年7月15日(火)15:00頃~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』嘉禎四年(暦仁元年)閏二月十三日、十六日、三月七日、十八日、十九日、二十二日、三十日、四月二日、七日、九日、十日、十六日、十八日、二十四日、二十五日、五月四日、五日、十一日、十六日、二十日、六月五日、七日、九日、十日、十九日、二十四日、七月九日、十一日、二十七日、八月十九日、九月九日、十三日、二十四日、二十七日、十月三日、四日、十一日、十二日、十三日、十四日、十二月七日、十六日、十九日、二十三日、二十四日、二十五日、の各条

  (※嘉禎四年はじっくり読んでいこうと思います。)

 ところで、野口先生にも御賞翫いただいた「水無月」と「みたらし団子」は、【祇園 鳴海屋】というお店のお菓子です。近頃そのお店の方と知り合う機会があり、このたび初めて伺ってみたのでした。店先でちょっとひと休みさせてもらえそうな感じでもありましたので、祇園界隈へお越しの際は、ぜひいちどお立ち寄りください。
http://www.gion7638.com/index.html

ご無沙汰しております。

伊藤明日香
No.6306

みなさま、大変ご無沙汰しております。
伊藤です。

早いもので、もう前期の講義が終わる季節となりました。

もうじき、京都は祇園祭の宵山に向けて、町が華やいでくる時期ですね。
懐かしいです・・・。


>野口先生
先日、法住寺殿見学のてびきをいただきました。
この場を借りて御礼申し上げます。
ありがとうございました。

兵藤先生の学部演習によるゼミ旅行は、
二泊三日で嵐山~高尾~仁和寺~七条と、
盛り沢山の内容となっており、
優秀な四年生の幹事の方々が頑張ってくれています。

天候に恵まれることを祈りつつ、
野口先生やゼミのみなさまにお会いできることを
楽しみにしております。

ゼミ旅行

No.6310

 伊藤さん、連絡係を宜しくお願いいたします。
 ゼミ旅行の成否は、本当に幹事さん次第だと思います。
 
 京都はいよいよ祇園祭で熱気に満ちてきました。楽しくて仕方がない若い人たちが本当に羨ましく思えます。
 老体に、この時期の蒸し暑さは大いにこたえます。

 ☆ 日本学術振興会特別研究員の大橋直義先生より、御高論「興福寺西金堂縁起説の展開-治承回禄の前後-」抜刷、また研究室用にと、この御高論掲載の『中世文学』53を御恵送頂きました。
 大橋先生にあつく御礼を申し上げます。

 >江波さん  同誌には、中野貴文「『十六夜日記』鎌倉滞在記の消息的性格について-」という論文が載っています。