『古代文化』第59巻第3号の刊行案内

No.6042

 季刊として再スタートした『古代文化』の第59巻第3号が刊行されました。
 内容は以下のとおりです。
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 國下多美樹:長岡宮城と二つの内裏
 飯塚 武司:農耕社会移行期の木工における技術継承と革新
 古市  晃:四月・七月斎会の史的意義―七世紀倭王権の統合論理と仏教―
 古藤 真平:延喜式部式拠才叙位条について
 野口  実:閑院内裏と『武家』
 徳留 大輔:中国初期王朝期二里頭時代淮河支流域の土器動態から見た地域間関係
        
 〈研究ノート〉鈴木 忠司:岩宿時代の台石とその意義について―植物食をめぐる基礎的研究―
 〈研究ノート〉若松 博恵:三品神話学の再検討―その異伝研究方法論の成立背景と発展的継承―
 〈研究ノート〉馬場理恵子:劉音欠の災異解釈に関する一試論
 〈研究ノート〉江谷 寛:ポンペイ出土のカメオガラス
 〈註 釈〉植村真知子:『御堂関白記』(222)
 〈書 評〉森部 豊:森安孝夫著『シルクロードと唐帝国―唐代聴政制度の展開―』
 〈新刊紹介〉豊田 裕明:松本保宣著『唐王朝の宮城と御前会議』
 〈図版解説〉引原茂治・竹原一彦:最近の京都府内の発掘調査事例
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 拙稿「閑院内裏と『武家』」は科学研究費による研究成果に基づくものです。ゼミメンバーで読んでやろうという方には抜刷を差し上げますので、お申し出下さい(但し、抜刷は28日以降に届きますから、お渡しできるのはお正月以降になります)。

紫苑6号の締切。

No.6040

 今日の台記研究会、お疲れ様でした。

>紫苑執筆者の皆さま
 今年も残すところあと僅かとなりましたね。
 紫苑の原稿の進み具合はいかがでしょうか。
 ご連絡が遅くなりましたが、紫苑の原稿提出期限は、
      締切:1月7日(月)13:00
      場所:京都女子大学宗教・文化研究所共同研究室
 と致しますので、共同研究室に直接お持ちいただくか、もしくは、↑名前にありますアドレスまで添付ファイルで送信してください。
 よろしくお願い致します。 

研究紀要の校正もよろしく。

No.6041

 研究紀要の再校が出ました。執筆者(佐伯君・田中さん・大原さん)には、即、お渡しないしは送付いたしましたので、期日厳守にてよろしくお願いいたします。正月の期間ですので、必ず拙宅宛に返送してください。

 昨日は京女文学部の卒論提出締め切り日。前日から史学科の学生さんが何人か、提出の報告に来てくれました。お疲れ様でした。
 小野さんは、院試もあって大変でしょうが、『紫苑』原稿の執筆、もう一頑張りしてください。

 24日(月)で当ゼミの今年の活動は大団円を迎えます。
 岩田君の報告はとても楽しみです。あたらしい「鎌倉幕府論」がここから構築されていくのではないかと、私はひそかに期待するところがあるからです。
 多くの方たちの御参集を期待するところです。

 ☆ 新宿歴史博物館の今野慶信先生より、御高論「関東御祈祷所について」掲載の多摩地域史研究会編『シンポジウム 幻の真慈悲寺を追う』および、今野先生御執筆の諸資料を御恵送いただきました。
 最近、関東の博物館では中世史関係のイベントが目白押しのようですね。
 今野先生にあつく御礼を申し上げます。

(財)古代學協會のHP開設

No.6037

(財)古代學協會のHPがupされました。『古代文化』の投稿規定など、ここで確認できます。
   →http://www.kodaibunka.com

 昨日の例会、まさに「還ってきた山本君」の感あり。
 出席の面々からの指摘を活かして、修論の完成まで、もう一頑張りです。

 『吾妻鏡』の講読会では、岩田君が鎌倉将軍御所の侍所について、文献史学の立場から鋭い切り込みを入れました。こちらは、建築史専攻の満田さんとの共同研究の実現を期待したいところです。

 伊藤さんのマスカットティー、岩田君のコーヒー、ともにとても美味しくいただきました。

 >美川先生  2003年夏、ゼミメンバーとともに、「熊野」参詣に供奉させていただいたことが、懐かしく思い出されます。
 あの時、学部生だった人のうち、かなりの部分が現在「院生」です。
 あの旅行でも、私は胃腸の具合が悪く、太田「胃散」を飲んでおりました。

Re: (財)古代學協會のHP開設

No.6038

 野口先生。熊野参詣懐かしいですね。なんだか、この数年で忙しさがましています。また野口ゼミといっしょに旅行したいです。

 自己宣伝ですが、

 『文藝春秋』最新号で、茨城大学の磯田道史先生が、拙著『院政』を、
 「語り下し日本史「必読の百冊」」としてとりあげていただいています。
 近世史の専門家が読んでいただいているのに喜ぶとともに、
 もっと他に読むべき本があるのに、とも。汗顔ものです。
 でも、何はともあれ、うれしいです。

年末の『吾妻鏡』

No.6039

 月曜日の例会では山本さんにご報告いただきました。山本さん、ありがとうございます。お体を気遣いつつ、無事に修論をご提出されますことを。

 さて17日の『吾妻鏡』の時間は私が遅刻してしまったために開始が遅れてしまいました。すみません。来週は祝日でなおかつクリスマスイブという日なのですが、顰蹙を顧みずに、開催致します。
 日時:12月24日(月)13:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』貞永元年九月一日、十一日、二十八日、閏九月一日、四日、五日、六日、八日、十七日、十八日、二十一日、十月二日、五日、二十二日、十一月九日、十三日、十六日、二十八日、二十九日、十二月五日、二十三日、二十四日、二十九日の各条
 (※掲出した範囲以外に「これは」という条文があれば、随時お知らせ下さい。)

 ついでに例会ということで報告もさせていただきます。当日特に予定がないという方(できれば、予定のある方もお時間の許す限り)はご出席いただけると幸いです。
 日時  :12月24日(月)16:00~(予定) 
 場所  :京都女子大学L校舎3F宗教・文化研究所共同研究室
 報告者 :岩田慎平
 報告内容:「業務の分担から見た鎌倉幕府-頼家・実朝将軍期の検討-」
 参考文献:黒田俊雄「鎌倉幕府論覚書」『日本史研究』70、1964年。など

「在京活動」再開

No.6035

 水戸から帰った翌11日は、キャンパス・プラザで源実朝の妻と遍照心院のお話しをし(これには江波さんが出席)、12日は、午前中から山岡さん・山内さんにアルバイトをお願いして、夕刻は共同研究室で元木先生主催の『吾妻鏡』研究会。それから、ようやく出張報告書やら出張中に届いた提出書類、研究費関係の書類作成の作業にかかり、昨日(13日)、昼過ぎに至ってようやく見通しがつき、午後は現代社会学部の授業(これは受講者が300を超えるので、資料の配付を伊藤さんに依頼)といった日常に戻りました。

 なお、共同研究室には早くも最新型のゼロックスが設置され、『吾妻鏡』研究会で、その威力を遺憾なく披露してくれました。

 さて、いよいよ師走も半分が過ぎてしまおうとしていますが、のこる年内にはイベントが目白押しです。

 まず明日(15日)には、家政学部川本重雄先生主催の建築史のシンポジウム。
  テーマ:日本の住様式~寝殿造から書院造へ
  司会:溝口正人(名古屋市立大学)
  発表
   1.「寝殿造の成立とその展開」川本重雄(京都女子大学)
   2.質疑応答Ⅰ
   3.「寝殿造から書院造へー鎌倉武家住宅の変化とその意義ー」藤田盟児(広島国際大学)
   4.質疑応答Ⅱ
   5.全体討論
  日時:2007年12月15日(土)午後1時30分~5時
  場所:京都女子大学 C412教室
  ※ 参加には申込みを要します。

 ついで、17日(月)18:00~には、共同研究室(京都女子大学L校舎3F)にてゼミ例会。
  テーマ:「利仁流藤原氏の成立と展開-院政期から鎌倉期を中心にー」
  報告者:神戸大学大学院 山本 陽一郎氏
  参考文献:生駒孝臣「中世前期の畿内武士と公家社会」『ヒストリア』203、2007年。
        櫻井彦「丹波国宮田荘における『本所違背』行為をめぐって」『書陵部紀要』55、2004年。

 そして、19日(水)15:00~には、共同研究室において、元木先生主催の『台記』研究会。今回は講読ではなく、佐伯君が「大臣家の成立」と題する研究報告をされます。ゼミメンバーは聴講の許可をいただいておりますから、ふるって御出席下さい。

 さらに、24日(月)16:00~にも、共同研究室においてゼミ例会。
  テーマ:「業務の分担から見た鎌倉幕府-頼家・実朝将軍期の検討-」
  報告者:関西学院大学大学院研究員 岩田慎平氏
  参考文献:黒田俊雄「鎌倉幕府論覚書」『日本史研究』70、1964年。
        岩田慎平「草創期鎌倉幕府研究の一視点―奉行人を中心に―」『紫苑』4、2006年。

と続きます。
 ゼミ例会については、学会の部会報告程度の水準の内容が期待できますので、ゼミメンバー以外でも、関西圏の院生の方々の御参集を歓迎いたします。

 ☆ 東京都立大学の川合康先生より、御高論「中世武士の移動の諸相-院政期武士社会のネットワークをめぐって-」掲載のメトロポリタン史学会編『歴史のなかの移動とネットワーク』(桜井書店)および御高論「鵯越と多田行綱」(『メトロポリタン史学会報』5)を御恵送いただきました。
 前者は、武士社会に於ける広域的なネットワークをみごとに描き出され、当該期の武士認識を一新する内容で、やはり川合先生は流石だなと思いました。これは武士論研究に新しい方向性を示された画期的な内容を含みますので、武士論ないしは『平家物語』を専攻するメンバーは必読のこと。コピーは山岡さんに預けておきます。
 川合先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 京都大学大学院の山田徹さんから、御高論「南北朝期の守護論をめぐって」(中世後期研究会編『室町・戦国期研究を読みなおす』思文閣出版)および「天竜寺領の形成」(『ヒストリア』207)を御恵送いただきました。精力的な御研究の証。
 山田さんに、あつく御礼を申し上げます。 

 ☆ 当掲示板の管理人である同志社高校情報科教諭の鈴木潤先生(職業身分としての敬称)から、同高校司書教諭の足立朋子先生との御共著である「「総合教育」って何してるの?~教科の枠を越えて~」(『同志社時報』124)を御恵送いただきました。
 同志社高校における優れた教育実践の記録です。
 鈴木君にあつく御礼を申し上げます。
 なお、時間に余裕が出来ましたら、『紫苑』第5号のHP掲載をよろしくお願いいたします。

 ☆ 以前ゼミに参加してくれていた大谷大学の青木友里さんから、御高論「近代における神社と氏子総代-丹波大原神社を中心として-」(『仏教文化史叢』4)を御恵送いただきました。
 青木さん、よく頑張っていると思います。更なる研究の進展を期待しています。 

Re: 「在京活動」再開

No.6036

今年も、そろそろ終わり、という時期にさしかかってまいりました。

 200枚近い寝屋川市史の執筆と校正に費やされた一年のような気がします。まだ、校正は終わっていないのですが、年度内には出そうです。河内の院政期から南北朝まで書いたり、中世前期の河内の荘園について書いたのですが、慣れない部分が多く、大変でした。

 春には、新修彦根市史古代・中世編も出ました。私は古代編に割り振られた院政期部分を書きました。これも琵琶湖の漁業などにも言及。大変でした。また、古代部会長の鎌田元一先生がその時を前後して亡くなりました。そのため、打上もありませんでした。鎌田先生は、終わったら滋賀県八日市市(現東近江市)の料亭『招福楼』でやろうとおっしゃっていたのですが・・・。また、予算の関係もあったのか、ほとんどどなたにも謹呈できなかったのも残念です。興味がある方は、ご購入ください。

 これで、新修彦根市史と寝屋川市史という、委嘱された地方史の仕事が完了。来年はまさに「在京活動」ならぬ京都を中心とした得意分野で仕事ができそうです。新年の仕事初めは、勤務先でのシンポジウムです。

摂南大学国際教養セミナー公開シンポジウム
「世界遺産と異文化理解」の開催について
主催:摂南大学外国語学部 
共催:同 地域連携センター

2008年1月12日(土)
14:00~16:30(開場13:30)
会場:摂南大学寝屋川キャンパス
    10号館3階 プチテアトル

《第1部》 基調講演 
 演題:「世界遺産の評価システム」
 講師:岡田 保良 国士舘大教授・
       ICOMOS国際執行委員会委員

《第2部》 報 告
 ◇「世界遺産と美術史」
  報告者: 岩間 香 摂南大教授
 ◇「被写体としての世界遺産」
  報告者:京極 寬  写真家
 「世界遺産熊野と院政」
  報告者:美川 圭  摂南大教授

●参加費無料。
  定員120人(事前申込不要)

 興味のある方はお越しください。詳細は下記まで。
http://www.setsunan.ac.jp/%7ekokusai/gakubu/event/sympo07/sympo07.html


新しい中世武士団のイメージ―茨大シンポ

No.6032

 前夜出発の夜行バスで京都を発ち、当日朝に水戸に着くという、虚弱な私にとってはけっこうな強行日程で、12/9(日)茨城大学水戸キャンパスにて開催されました「北関東の武士(もののふ)たち―新しい中世武士団のイメージ―」にお邪魔して参りました。
 主催されました茨城大学人文学部のみなさん、コーディネーターをおつとめいただきました茨城大学の酒井紀美先生、高橋 修先生、講師の諸先生方、当日の運営に奔走して頂きました茨城大学の院生・学生のみなさんに、改めまして御礼申し上げます。
 北関東の武士団の様々な側面を実例に則してご紹介いただき、さらに討論を通じてより多くの方の意見も伺うことができました。土地勘のない地域についての最新の研究成果に接することができ、とても新鮮な経験となりました。
 また、大学主催のシンポジウムに、一般の方から第一線でご活躍中の研究者の方まで、幅広く実にたくさんの参加者がお集まりになるのを拝見し、ただただ驚きました。そしてそこに参加させて頂くことができて、本当によかったと思います。シンポジウムに関わられたみなさんに感謝申し上げます。

 また本日は、茨城大学人文科学研究科の前川さんのご案内で、台渡廃寺跡発掘現場・天満宮・那珂湊・吉田神社・薬王院・水戸城跡などを見学させていただきました。那珂川渡河点周辺の様子、吉田神社の季節はずれの枝垂れ桜、薬王院本堂など、前川さんには一つ一つの印象的な史跡をとても丁寧にご案内していただき、おかげさまで本日もまたとても充実した一日となりました。
 前川さん、関西にお出での際はどうぞお気軽にお声掛けください。前川さんのおクルマとは比べものにならないくらい粗末なクルマにてご案内申し上げますので。

 京都の冬もなかなか寒いのですが、茨城の、さらにしんとした冷え込みも印象的で、発掘現場の土の上にも霜が降りていましたね。
 寒い季節ならではの魚介類も、那珂湊でたくさん堪能させていただきました。海鮮丼は重厚な盛りつけなのにどの具もまろやかで豊かな風味でした。ポン酢とモミジおろしでいただくアンキモも美味しかったです。そんな海鮮丼をいただきながら、野口先生は武士団の展開と海との関係について興味深い仮説を提示されましたね。

 素晴らしい時間を過ごすことができた週末でしたが、『吾妻鏡』の講読会はまた来週も通常通り開催致します。
 次回の『吾妻鏡』、及び例会は以下の通りです。
-『吾妻鏡』講読会-
 日時:12月17日(月)13:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』八月九日、十日、十三日、十五日、九月一日、十一日、二十八日、閏九月一日、四日、五日、六日、八日、十七日、十八日、二十一日、十月二日、五日、二十二日、十一月九日、十三日、十六日、二十八日、二十九日、十二月五日、二十三日、二十四日、二十九日の各条
 (※掲出した範囲以外に「これは」という条文があれば、随時お知らせ下さい。)

-例会-
 日時  :12月17日(月)18:00~(予定) 
 場所  :京都女子大学L校舎3F宗教・文化研究所共同研究室
 報告者 :神戸大学 山本 陽一郎氏
 報告内容:「利仁流藤原氏の成立と展開-院政期から鎌倉期を中心にー」
 参考文献:生駒孝臣氏「中世前期の畿内武士と公家社会」『ヒストリア』203、2007年1月。
     櫻井彦氏「丹波国宮田荘における『本所違背』行為をめぐって」『書陵部紀要』55、2004年。
 山本さんによる修論準備報告です。古参メンバーはふるって御参加下さい。

茨城大学でのシンポジウムの御報告と御礼

No.6033

 茨城大学でのシンポジウム、参加させていただいて本当に得るところが大きく、高橋修先生・酒井紀美先生をはじめとする茨城大学の皆様にあつく御礼を申し上げます。

 当日は午前の話は私だけなので、せっかくの日曜日でもあり、来場者は午後の報告からという方が多いのではないかと予想していたのですが、案に相違して、控室から会場に向かうと、レジュメも椅子も不足でパニック状態とのこと。会場のうしろには、立ち見ならぬ、たくさんの「立ち聴き」の方たち、講師席の目の前にも聴講の方(椅子の高さが同じなので、やたらに目が合って困りました)といった大盛況振りには大変ビックリさせられました。講演の出だしで「国際日本文化研究センター」という固有名詞を度忘れしてまったのは耄碌ばかりのせいではないようです。
 講演の中味は、端折りすぎて大切なところを言い忘れたり、例のごとく余談に及んだために、結論部分がお座なりになったり、まったく恥ずかしいものでしたが、坂東武士団研究に対する日ごろの思いの一端なりとも、多くの方々に聴いていただけたことは幸いだったと存じております。

 
 あまりの参会者の多さに、午後からは会場を変更。こういう対応をすばやくされる主催者の力量には感服させられました。
 午後の報告については、ここでその内容を簡単に紹介し、若干のコメントを述べさせていただきたいと思います。

  伊藤瑠美氏「関東武士団研究の軌跡」は、戦後における研究史の要を得た概括で、領主制論・国衙軍制論・職能論の流れを振り返りつつ、新しい在地領主制論の動きを示されたものでした。報告者の美濃源氏に関する御研究も、フィールドを異にはするものの、武士論研究に大きなインパクトを与えるものだったと思います。ただ、鎌倉幕府成立論に対する論及がなかったのが少し残念でした。

 高橋修氏「常陸平氏 再考」は、①今日の「常陸平氏」認識は、中世後期に系譜を作成した時点での作成者のイデオロギーを反映したものとみるべきことや、②中世前期武士社会における女系結合の存在を評価すべきこと、③頼朝による嫡家の創出の指摘-など、紀州湯浅氏研究において大きな成果をあげられた報告者なればこその優れた問題提起が盛りだくさんの報告でした。
 ①については、千葉氏なども同様ですが、中世後期あるいは近世に作成された史料に基づくイメージで中世前期の武士団の存在形態が語られるケースが多いことが、まさに地域史研究のアキレス腱になっているように思います。また、②もそれに連関しており、在来の「郷土史」なるものは、まさに「男による男のための男の歴史」であり、健全な地域史研究は、その払拭を自覚的に行うことから始めなければならないと考えます。
 なお、常陸平氏については、かつて私営田領主から在地領主へ変貌を遂げたと説明された時期について、新しい視角からの検討が要請されると思いますが、その場合佐竹氏や志太氏との重層的関係をどう評価するかということが、大きな課題となるものと思われました。

 内山俊身氏「東国武士団と都鄙間の文化交流―下総下河辺氏と関戸の宝塔―」は、下河辺氏の在京活動を、石塔という遺物によって具体的に示した御研究で、その解明には、仏教美術史や考古学、文献史学の研究を総動員しながら、京都のみならず、九州さらには東アジア的な視野での情報収集が期待されるように思いました。また、下河辺庄の開発の過程についても重要な指摘が含まれており、とてもインパクトのある内容でした。

 松本一夫氏「武士団と町場―下野小山氏―」は、小山氏の本拠たる空間について、軍事・宿・市・大道の要素をもって地名・考古学・文献史学からアプローチを加え、初期小山氏の本拠地にせまるという御報告。こうした要素は、地方勢力のみならず、平家の六波羅や源氏の鎌倉、藤原氏の平泉などにも、「武士の本拠の空間論」として敷衍して考えることが出来るものと思いました。

 田中大喜氏「武士団と寺院、門前町―上野新田氏と世良田長楽寺―」では、新田氏が世良田長楽寺の外護者たることによって地域支配の正当性を獲得していたことや、有徳人の実態に触れ、地域の拠点的な町場を核とする武士の地域結合について論じられました。職能論では武士と京都(首都)の関係が重視されましたが、地方においても武士が町場にその存在を規定されていたことを理解することが出来ました。

 5つの報告に続いて、糸賀茂男氏からのコメント、ついで聴講者からの質問に対する回答が行われ、最後は会場にお見えになられていた木村茂光、峰岸純夫両先学からの御高評を得て、会は大盛況のうちに閉会。
 木村先生からは、坂東武士が常に更新された存在であったことを、私の講演から理解できたという御発言をいただいて安心し、峰岸先生からは、在地からの動きを大切にしたいという御意見をうかがって、やはり、中世における「武士」の典型的存在である地方の「在地領主としての武士」に焦点を合わせた武士論研究を進めなければならないことを再確認させていただきました。
 ちなみに、髙橋昌明氏が、その概念の存在を否定すべきことを主張されている「武士団」についても考えていかなければならないでしょう。

 この、シンポジウムには、一般の歴史を愛する市民の方々のほかに、多くの研究者がお出でになっておられましたが、せっかくの機会であったにも拘わらず御挨拶の機会を失してしまった方も多く、この場を借りてお詫び申し上げる次第です。また、報告者を含めて、最近の御研究の成果の抜刷などもいただきました。あつく御礼申しあげます。
 なお、会場では海老沢衷先生から、一年後くらいに鎌倉遺文研究会で報告の機会を与えていただくという、思わぬ余得にも預かることが出来ました。


 さて、シンポジウムの翌10日には、岩田君・長村君とともに、茨城大学大学院生前川辰徳さんの御案内で、台渡里廃寺跡を含む東海道那珂川渡河地点周辺の遺跡群(発掘調査現場の見学については、高橋修先生の御高配により、現地担当者からの御説明をいただくことができました)および、水戸八幡宮・那珂湊・吉田神社・薬王院・水戸城跡などを見学させていただき、大きな収穫を得ることが出来ました。とくに義光流源氏の北常陸進出についての理解が大変具体的なものとなりました。
 シンポの事務作業を担当されてお疲れの中、一日中愛車(最新の装備には感心させられました)を駆っておつき合い下さった前川さんに深甚の謝意を表したいと思います。

茨大シンポ

松本 一夫
No.6034

9日の茨城大シンポでは大変お世話様でした。
最初、控え室で野口先生は私(松本)とはおわかりにならずに、ご挨拶をなされたように感じました。お会いするのは久方ぶりですので、落ちぶれた姿の当方にお気づきにならなかったのでしょう(笑)。
先生の午前中の講演、ご著書での主張をさらに強く打ち出された、大変インパクトのあるお話で勉強になりました。お風邪をひいているとのことでしたが、そのお声のよさ(低音で響きがあり渋い)には特に感動いたしました。昼食の控え室では、私の勝手なお話をお聞かせして、大変失礼いたしました。
また午後の報告もつたないもので、恥ずかしい限りでしたが、終了後、筑波大の山本先生にいただいたご教示なども参考に、今後も少し考えていこうと思っております。他の先生方のご報告、それぞれに興味深いもので、大いに参考になりました。
懇親会では高知旅行、京都での上島先生講演会に続き、岩田さんともお会いすることができました。あまり長いことお話しできませんでしたが、また機会を得たいと思います。

紀要校正・題英訳・茨大シンポ・XEROX

No.6028

>昨年度の宇治共同研究のメンバーで紀要に各章の論文を寄せていただいた皆様
  初校ゲラ、締切厳守でお送り(お渡し)下さり、ありがとうございました。
  御陰様にて、本日、全体のとりまとめを完了いたしました。
  なお、論文の英文タイトルは、
Politics and Culture of the Sekkanke:A study of Uji in the Early Medieval Period (Part 1)
  英訳は、米国在住の国際経済アナリスト山広恒夫氏にお願いいたしました。

>茨城大学のシンポジウムに参加される諸君
 10日の現地見学ですが、高橋修先生が、水戸市に台渡廃寺跡(長者屋敷)発掘現場の見学を御願いして下さいました。茨城大学の少し西の地点とのことです。担当者のお話を直接うかがうことが出来、地表面の遺構は全体を見られるとのことです。
 私は、午前はこれを見学させていただきますので、支障がなければ御同行下さい。午後は水戸城跡・吉田神社・那珂湊などを候補に考えております。

 茨城行きは楽しみですが、ただ、講演やシンポはさることながら、目下、数ある持病に加えて、風邪をひいて咳がひどくなってしまったのが心配なところです。
 もっとも、明日から担当することになっている「現代社会論Ⅱ」は受講者が300人以上もおられるとのこと。声が出なくなったらアウトです。

 今週からしばらくの間、水曜日に山内さん、木曜日午後に伊藤さんが研究室でアルバイトをしてくれることになりました。山岡さんも従来通り水曜日にお出でになります。

 ◎ 事務方の御配慮によって、共同研究室にゼロックスが入ることになりました。
  階段昇降の苦労から解放されますが、さらに運動不足になるかも知れません。
  しかし、急ぎの時は大変助かるでしょう。なにしろ、ありがたいことです。   

いよいよ師走。東と西の12月9日。

No.6023

<西>
      
関西軍記物語研究会 第61回例会 
  日 時: 2007年12月9日(日)13時30分より
  会 場: 関西学院大学 大阪梅田キャンパス
       KGハブスクエア大阪 アプローズタワー10階
  交 通: 阪急梅田駅から「茶屋町口」を出て線路東側を北へ
       JR大阪駅から線路東側を北へ
  研究発表:
  田中 裕紀 氏 『平家物語』における女院
  小林 健二 氏 物語から能へ―「大江山絵詞」と能《大江山》―

  懇親会を予定しています
                (軍記・語り物研究会のHPより)
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<東>
      茨城大学人文学部・地域史シンポジウム
北関東の武士(もののふ)たち 
―新しい中世武士団のイメージ―

  現在、中世史研究の世界では、どんな武士団のイメージが創られようとしているのか。北関東の武士団のイメージはどう変わったのか。第一線で活躍する研究者に、新しい中世武士団の姿を、事例に即してわかりやすく提示していただき、会場を交えたディスカッションを行います。

【日時】2007年12月9日(日曜日)
    11時~17時00分(休憩12時~13時)
【場所】茨城大学水戸キャンパス(水戸市文京2-1-1)理学部インタビュー・スタジオ
    アクセス JR水戸駅より茨交バス(7番乗り場から)で約15分、「茨大前」バス停下車。
【プログラム】
基調講演
「『坂東武士』の実像」             京都女子大学教授 野口 実
報告 
「関東武士団研究の軌跡」          茨城大学非常勤講師 伊藤瑠美
「常陸平氏 再考」                茨城大学教授 高橋 修
「東国武士団と都鄙間の文化交流―下総下河辺氏と関戸の宝塔―」
                          古河第二高等学校教頭 内山俊身                                           
「武士団と町場―下野小山氏―」       栃木県立文書館副主幹 松本一夫
「武士団と寺院、門前町―上野新田氏と世良田長楽寺―」
                           駒場東邦中・高等学校教諭 田中大喜
コメント                      常磐大学教授 糸賀茂男
パネルディスカッション(60分)   コーディネーター 茨城大学教授 酒井紀美
                                          高橋 修
《主催》茨城大学人文学部
《共催》茨城大学五浦美術文化研究所  
《協賛》茨城県立歴史館 茨城中世史研究会 茨城大学中世史研究会

[問合せ] 茨城大学人文学部 高橋修研究室029-228-8120(直通) osm@mx.ibaraki.ac.jp

◆入場は無料です。申し込みも不要です。どなたでもご参加いただけます。

例会月間

No.6027

 本日は『吾妻鏡』講読会のあとに、小野さんによる卒論準備報告が行われました。執筆中にテーマについてご報告を準備していただくのはお手数だったと思いますが、ありがとうございます。

 さて次回の『吾妻鏡』です。来週は一回お休みということにさせていただき、再来週(12/17)に開催致します。
 日時:12月17日(月)13:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』八月九日、十日、十三日、十五日、九月一日、十一日、二十八日、閏九月一日、四日、五日、六日、八日、十七日、十八日、二十一日、十月二日、五日、二十二日、十一月九日、十三日、十六日、二十八日、二十九日、十二月五日、二十三日、二十四日、二十九日の各条
 (※掲出した範囲以外に「これは」という条文があれば、随時お知らせ下さい。)


 また、同日には山本さんによる修論準備報告も行われます。古参メンバーはふるって御参加下さい。
  日時  :12月17日(月)18:00~(予定) 
  場所  :京都女子大学L校舎3F宗教・文化研究所共同研究室
  報告者 :神戸大学 山本 陽一郎氏
  報告内容:「利仁流藤原氏の成立と展開-院政期から鎌倉期を中心にー」
  参考文献:生駒孝臣氏「中世前期の畿内武士と公家社会」『ヒストリア』203、2007年1月。
      櫻井彦氏「丹波国宮田荘における『本所違背』行為をめぐって」『書陵部紀要』55、2004年。


 それと、12/24(月)には16:00頃から岩田が報告をさせて頂く予定です。よろしくおねがいします。

17日は山本君、24日は岩田君が報告

No.6029

 17日と24日の例会は、学会の部会報告レベル(あるいは、それ以上)の内容が期待できると思います。神戸大学や関学の皆さんも是非御出席下さい。大歓迎いたします。
 『吾妻鏡』講読会に参加されている方たちにも、とても勉強になることでしょう。とくに岩田君の報告では、読んだばかりの記事が取り上げられることと思います(>岩田君 詳細の告知を宜しく)。
 それにしても、9日は茨城大で武士のシンポ(NO.5882)、12日は元木先生主催の『吾妻鏡』研究会、15日は建築史のシンポ(NO.6007)、19日は『台記』研究会・・・、目白押しとはこのことです。

 ☆ 日本女子大学学術研究員の石田浩子先生より、御高論「南北朝初期における地蔵院親玄流と武家護持」(『日本史研究』543)を御恵送いただきました。南北朝初期において寺院が武家との関係を構築する過程を検討した労作です。
 石田先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ☆ 五味文彦・本郷和人編『現代語訳 吾妻鏡 1』(吉川弘文館)と本郷和人・新田一郎・本郷恵子・東島誠・榎本渉「「日本の中世」像を更新する」(『ラチオ』04号、講談社)を、前者の編者の先生より御恵送いただきました。
 『現代語訳 吾妻鏡』については、元木先生が書評をお書きになられるとのこと(NO.5996)。
 五味・本郷両先生にあつく御礼を申し上げる次第です。

 ※ このところ諸事が重なって多忙を極めており、せっかく御依頼をいただいた原稿執筆のお仕事を、お急ぎの場合に限るとはいえ、共著者や編集者の御迷惑を顧みずに降板させていただいたりしているような有様です。
 そのため、御高著・御高論を御恵送いただいたにもかかわらず、直接御礼の手紙を差し上げることが出来ないなど非礼を重ねており、大変申し訳なく存じております。この場を借りてお詫び申し上げる次第です。

この先の例会のお知らせ

No.6030

 少し先のことになりますが、24日の例会のご案内です。

 日時  :12月24日(月)16:00~(予定) 
 場所  :京都女子大学L校舎3F宗教・文化研究所共同研究室
 報告者 :岩田慎平
 報告内容:「業務の分担から見た鎌倉幕府-頼家・実朝将軍期の検討-」
 参考文献:黒田俊雄「鎌倉幕府論覚書」『日本史研究』70、1964年。
      岩田「草創期鎌倉幕府研究の一視点―奉行人を中心に―」『紫苑』4、2006年。

 毎度『吾妻鏡』講読会のおさらいみたいなテーマで申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願い致します。

「承元の法難」と江田船山古墳

No.6022

 明日、本学で下記の講座が開催されます。

 仏教文化公開講座 講題 「承元の法難の意味」―『教行証分類』と承元の法難―

 講師 行信教校校長 本願寺派宗学院講師 本願寺派勧学寮員
   梯 實圓 氏
 日時 12月1日(土)13:00~16:30
 場所 A校舎5階礼拝堂

 ※ 再来年度から「親鸞の生きた時代」を共同研究テーマに掲げたいと考えておりますので、出来れば聴きに行きたいものです。

 ☆ 苦難を共にした、かつての同僚で考古学者の田中新史先生より、御共著である『菊水町史 江田船山古墳編』(和水町,2007年)を御恵送いただきました。箱入りハードカバーの大冊。国宝に指定されている江田船山古墳出土品92件のすべてのカラー写真や全出土品の実測図、さらに昭和18年から42年に至る調査資料の紹介された「梅原末治考古資料」など、古墳時代研究者にとっては垂涎の的となるような、江田船山古墳に関する情報がすべて収録されています。私には「猫に小判」(否、「豚に真珠」か?)かも知れません。
 田中先生に、あつく御礼を申し上げます。

 >江波さん 『王朝時代の陰陽道』という陰陽道研究の古典的著作を研究室に配架しました。
  御一読下さい。

『三浦氏の研究』は来年1月に刊行。

No.6025

 上記の講座ですが、研究費関係書類・論文校正に追われている関係で前半のみ聴講させていただきました。
 それにしても、この事件(浄土宗では「建永の法難」と呼ぶとのこと)において、法然門徒に対して、当時、武士(もしくは戦闘員)以外には課せられることのない「死罪」が適用されたというのが、どうも納得の出来ないところです。
 ちなみに、18日の日本史研究会の中世史部会で、法然をテーマにした報告が予定されているようです。

 校正のうちの一件は、名著出版の関東武士研究叢書、峰岸純夫編『三浦氏の研究』に掲載される拙文「執権体制下の三浦氏」の最終校正(「抜念」)です。本論文は、『三浦古文化』第34号(1983年)に発表の後、拙著『中世東国武士団の研究』(1994年)に収録致しましたが、今回の再録にあたって、さらに補訂を加えさせていただきました。
 この『三浦氏の研究』は、来年正月に刊行とのことです。

 ☆ 作家の大垣さなゑ先生より、御高著『夢のなかぞら 父藤原定家と後鳥羽院』(東洋出版)を御恵送いただきました。
 500ページ近い大著。しかも本文は二段組みですから、原稿の枚数は相当なものだと思います。巻末の参考文献には、たくさんの研究論文が掲げられていて、この本自体が研究書のように思えます。
 大垣先生に、あつく御礼を申し上げます。

「紫苑」無事拝領しました!

No.6019

野口先生、本日無事、今熊野からの封筒を拝領しました。
「紫苑」のみならず、先生のご論文や、山岡さんの美しい筆跡のお便り、
華やかになったゼミの面々のお写真までご同封いただき感激です。
心よりお礼申し上げます!

こちらはシベリアからの寒気が来たり、アフリカからの熱風が吹いたり、お天気はややこしいですが、これからクリスマスが近づくにつれ、京都とは比べ物にならないほど小さなソレントの中心はイルミネ―ション(お祭ごとに広場や教会の周辺は、神戸のルミナリエほど大掛かりではありませんが、花やフルーツの形のネオン飾られます)で輝きます。
今日ではイタリアの何処の家でもクリスマスにはツリーを飾りますが、プレセーぺというキリスト生誕の場面を再現した馬屋の模型がイタリア本来のクリスマスの伝統です。クリスマスイブの晩まで生まれたての赤ん坊であるキリストの人形だけは飾らず、イブの深夜にこの赤ん坊の人形を先頭に、ろうそくを持って家中を練り歩いた後(おまじないのようです)馬草桶に納めます。プレセーぺの伝統は13世紀初頭、アッシジの聖フランチェスコに遡るそうです。ナポリではブルボン家の支配下に王族や貴族の間でプレセーぺに意匠を凝らすことが流行り、人形専属の仕立て師まで存在したとか聞きました。(ナポリの教会や博物館で立派なプレセーぺを見ることができます。)ソレントの町でも例年、町のプレセーぺというのを作らせて展示します。大掛かりなもので、馬小屋の背景がソレントの町だったり、いつぞやはコロッセオだったこともあり、見物人を楽しませます。
イタリアの他の町のことはよくわかりませんが、ここでは、チキンやタ-キーといった日本でいわゆるクリスマスのご馳走と思われているものはなく、毎年、ボンゴレスパゲッティ、鰻のぶつ切りを揚げたもののマリネ、クリスマスのブロッコリ-と呼ばれる油菜の一種を湯がいたもの、魚のグリルなどです。クリスマスケーキもなくて、クリスマスの期間中、パネットーネとよばれる甘いパン(今もあるかどうか?不二家のアップルパンのような)を朝食のときなどに食べる他、クリスマスイブのデザートはゼッポレとかストゥルッフォリとよばれるドーナツのように小麦を揚げて蜂蜜とオレンジの皮の砂糖漬けをちらしたものです。

余談の上の余談ですが、京都に住んでいた時、田中里の前(居酒屋「住吉」の近く)の「紫苑荘」という相当趣のあるアパートに住んでいました。読んだばかりの須賀敦子著の随筆集「トリエステの坂道」の中で、著者がミラノで紫苑の花に出会ったエピソードが出てきました。紫苑にご縁があるようで嬉しいです。

お礼まで

今、イタリアにも『紫苑』があるという喜び。

No.6020

 郵便の到着。文字通り「祝着」に存じます。メールなら一瞬のうちに情報交換が出来るのに、物のやりとりは、ほとんど昔のままですが、かえって情緒があってよいものですね。
 「華やかになったゼミの面々」との御評価、論議をよびそうです(笑)。
 それにしても、イタリアのクリスマスというのは、日本人のイメージする西洋のクリスマスとずいぶん異なるようですね。日本のクリスマスは完璧にアメリカナイズされたものなのでしょう。進駐軍の置きみやげと言ったところでしょうか。
 一方で、お正月の情緒のなくなったこと。
 近年は「門松」も「凧揚げ」も「はねつき」も見かけることが少なくなりました。お正月に親戚で集まってするお祝いは、子どもの立場としては、とても楽しかったものです。人間の営みに季節感がなくなってきたものだから、自然の方も心得ていて、日本列島に寒波と台風が同時に押し寄せてきたりするのでしょうね。
 
 >元木先生 古文書学会の見学会、御盛会だったとのことで何よりに存じます。それにしても、最近は行事について、先生自らに書き込んでいただくことが多く、恐縮に存じます。

 また、「近年は」と言ってしまいますが、若い方たちの間に、積極的に自分の名前を出して、意志を発現することをためらう風潮があるように思えます。そのうちに、恥ずかしいからとか、何を言われるかわからない、とかいう理由で、誰も論文を書かなくなってしまうのではないかと心配しております。

 学問の真髄に触れる授業という点では、私は高校生の時代(千葉県立千葉東高校)にとても強烈な思い出があります。たしか倫理社会の時間だったと思うのですが、私がある質問をしたところ、先生は黒板に手をついたまま考え込んでしまわれて、そのまま授業時間が終わってしまったことがあります。われわれ生徒はしばらくとまどっていたのですが、何か先生の態度に打たれるものを感じて、その後、ほとんど30分以上、教室は異様な静寂の中につつまれていました。この先生が平素から真摯な生き様を生徒に示していたからに他ならないのですが、このことは、ほんとうの学問というのは容易に答えなど出せるものではないものだということを思い知らせてくれた貴重な体験となりました。この先生は、なぜか生徒と同じ上履きを愛用しておられ、色白で背が高くて痩身、毎朝一生懸命に自転車のペダルを漕いで街の中心部から通勤されていました。のちに、東京学芸大学に招かれたということを風の便りで聞いたことがあります。
 思い起こしてみると、私の高校時代には、まだ、よき時代の旧制中学で教鞭をとったことのある先生や、敗戦による急激な価値観の転換にショックを受けて東北大学の哲学科に進んで教員になったというような先生がおられて、その先生たちは、妙な教育技術などなくても、教壇に立つだけで、われわれ若者に何らかの感動を伝えてくれたものでした。
 もっとも、テスト返却のたびに、わざわざ大声で「野口最低だよ!」と答案を渡してくれた数学の先生もおり、とても心を傷つけられた(実は結構平気でしたが)という苦い思い出もございます。ちなみに、この先生は、授業中、黒板で問題の解法を説明しているうちに、新たなアイデアを思いつかれたらしく、授業をしていることを忘れて、終了のチャイムが鳴るまで黒板一面にに数式を書き続けたことがありました。この先生もまた、その後、神奈川県の某私大(ここには、現在、当ゼミ生おなじみの先生が御在職)に招かれたそうです。
 高校生時代の私は、こんな先生ばかりがいる所が「大学」だと思っていたのでした。
・・・・・・・・・・
 昨日の『吾妻鏡』講読会の時もそうでしたが、このところ昔話が多くていけませんね。

 ところで、本日のキャンパス・プラザの講義では、久しぶりに「源義経」のお話をさせていただきました。来週は「宇治」のお話しを致しますが、その後、「遍照心院」や「承久の乱」も取り上げたいと考えております。

『吾妻鏡』はつづく

No.6021

>大森さん
 再び旅情を誘う書き込みをしていただきましてありがとうございます。イタリアへの郵便はやはりそれなりに時間が掛かってしまったようですが、『紫苑』どうぞご味読ください。

 さて次回の『吾妻鏡』です。
 日時:12月3日(月)13:00~(予定)
 場所:京都女子大学L校舎 3階 宗教・文化研究所共同研究室
 範囲:『吾妻鏡』四月四日、九日、二十一日、五月十四日、七月八日、十日、十二日、二十七日、二十八日、八月六日、八日、九日、十日、十三日、十五日、九月一日、十一日、二十八日、閏九月一日、四日、五日、六日、八日、十七日、十八日、二十一日、十月二日、五日、二十二日、十一月九日、十三日、十六日、二十八日、二十九日、十二月五日、二十三日、二十四日、二十九日の各条
 (※掲出した範囲以外に「これは」という条文があれば、随時お知らせ下さい。)

 なお、12月は3日・17日・24日も開催予定です。
 また、12月3日は『吾妻鏡』を16:30頃に切り上げ、17:00頃から小野さんの卒論報告を、12月17日はひさびさ登場の山本陽一郎さんの修論報告が予定されております。
 「卒論準備報告会」
 12月3日(月)17:00~
 於:京都女子大学L校舎3F宗教・文化研究所共同研究室   
 報告者:京都女子大学 小野 翠氏
 報告内容:「鎌倉時代における幕府女房」
 参考文献:田端泰子氏『日本中世の社会と女性』吉川弘文館、一九九八年。
      金永氏「摂家将軍家の「家」の形成と妻たち」『ヒストリア』178、二〇〇二年。

古文書学会見学会

元木泰雄
No.6017

 以前、掲示板にも書かせていただいた、和歌山県立博物館での古文書学会見学会、22名方々の参加を得て、盛会裏に終了致しました。
 何をおいても、ご多用の中、昨年に引き続いて見学会の開催をお引き受けくださり、遅くまで文書の熟覧の機会をご提供くださるなど、様々なご高配を賜りました県立博物館の高木徳郎先生に、厚く御礼を申し上げます。

 参加メンバーは、大山喬平先生をはじめ、各大学の研究者、院生、古文書学会会員の方々で、遠く関東方面からお越しの方々もおられたほか、高知からは、夏の旅行で大変お世話になった池内敏彰先生もわざわざお越しになりました。
 大山先生は早朝京都を出発され、立命館の方々と周辺の史跡を見学になったあと、見学会にお越しでした。まことにフットワークも軽く、ご年齢を感じさせない若々しさでいらっしゃいます。
 博物館にお越しのときも、なにやら周辺をデジカメで御撮影になるなど、知的好奇心は旺盛なご様子、常に新たな知見を探求される御姿勢が、心身御若々しさにつながるものと拝見致しました。学問は及びもつきませんが、健康と探究心では、少しでも近づきたいものと存じます。

 展示のすばらしさは、以前に記した目録からもご想像いただけると思います。後鳥羽自筆の熊野懐紙、後鳥羽像ではないかという法体の坐像など、当方にはとくに興味深く思われました。
 熟覧で拝見した史料、やはり中御門宗忠の熊野参詣を記した鎌倉書写『中右記』写本に最も興味を惹かれました。さらに、熊野本宮文書、神護寺文書など間近で見る原本には写真では感じ取れない迫力があり、作成した人間の息遣いが感じられるように思われました。
 10月の東寺百合文書の見学といい、貴重な原本を拝見する機会を得られたのは大変幸せなことでした。当ゼミ関係者をはじめ、多数の院生諸君にご参加いただけて、嬉しく存じます。関西で歴史を学ぶメリットは、まさに現物に触れる(現地に行く)ことができるところにあると思います。
 また、こうした見学会を開催したいと思います。見学会にふさわしい展覧会がありましたら、ご教示をお願い申し上げます。

 余談ですが、翌24日は京大のホームカミングデー。全学同窓会の総会です。当方、総合人間学部・人間環境学研究科同窓会設立準備委員長だった関係で、出席する破目に相成りました。歴代総長も出席になる堅苦しい会と思いきや、プロのヴァイオリニスト、実は農学部の院生によるヴァイオリン演奏会のおまけに、ヴァイオリン伴奏で『琵琶湖周航の歌』を合唱したり、大先輩の思い出話を聞いたり、結構楽しめました。
 その中で印象的なお話。
 理学部に1947年に入られた、現在はさる大学の副理事長という先生は、在学中に湯川博士がノーベル賞を受賞され、その結果得がたい経験をされたとのこと。すなわち、湯川先生が東大でも講義をされることになり、東大と京大の教授が、お互いの大学に相互乗り入れで授業され、東大の有名教授の授業を聞くことができたとうのです。
 そこで受けたカルチャーショック。東大の先生は時間通りに授業を始める、きちんと講義ノートを作って、それを滔滔と読み上げる授業をされ、それがそのまま本になる内容であったこと。
 片や湯川先生はじめ当時の京大教授の授業は、時間通りにはじまることはない、教室に入ってももっぱら黒板に向かい、難しい内容を独り言のようにお話になる。湯川博士の「モノローグ」は有名だったとか。今日では考えられない授業です。
 そういえば、上横手先生が受講された文学部の某外国史の先生も、一時間遅れで開講し、やおら懐中からメモのようなものを取り出して、なにやらよくわからないお話をされたとか。京大の気風でしょうか。
 ただし、その副理事長先生によると、もちろん東大式の授業もすばらしいけれど、改めて京大の授業の魅力も感じたとのこと。つまり、湯川先生は研究の思考・論理展開の過程をそのままさらけ出し、学問の何たるかを身をもって示されたわけで、そこから学問の奥深さを学んだとのことでした。
 結論ではなく、学問の過程から学問を学ぶことは、実は本当に大事なことと思います。もっともそんな授業が成立するのは、学生がよほど大人で、教員との間に深い信頼感があってのことではありますが。そんな時代の大学に戻ったら・・・当方のように中身のない人間は教師など勤まりません・・・・