還京いたしました。それにしても寒いですね。
No.4350
皆様、クリスマスイブをいかがお過ごしでしょうか。
そして、近藤先生を囲んでの宴は如何だったでしょうか。
京都から名神・山陽自動車道を経て、尻池さんの本拠地である広島県福山市に向かい、明王院・草戸千軒町遺跡を見学、ついで鞆の浦と尾道にて調査・散策。さらに戦艦大和の映画撮影用のセットを見下ろしつつ生口島に渡り、大三島の大山神社、大島の村上水軍博物館を訪ね、来島海峡大橋を渡って今治に到着。それより四国三郎こと吉野川を下る形で徳島県美馬市の千葉山安楽寺や願勝寺の庭園を見学。鳴門海峡から淡路島に至って対岸から一ノ谷の辺りを望見し、明石大橋を渡って再上洛を果たしました。走行距離は都合834キロメートル。カーナビはやはり大変便利です。各地で親切かつ地域の文化に誇りを持った方々と遭遇、瀬戸内・四国の人たちは本当に心優しいと思いました。とりわけ鞆の浦の福禅寺(対潮楼)の御住職には直々に懇切な御案内をいただきました。大山神社社頭の土産物屋さんの御主人も尊敬に足る方でした。市井に偉人有り、まだ日本も棄てたものではありません。
雪による交通遮断を心配していたのですが、幸い行く先々悪天候には遭遇せず、「しまなみ海道」ではこの季節には稀な好天に恵まれて、瀬戸内海の美しさを満喫いたしました。地元の方にいただいた沢山のミカンで車の中は一杯です。
さて、この調査旅行で得た情報と知見をいかに今後の研究に活かしていくか、それが問題です。
☆ 離洛の間、国文学の横井孝先生と日本風俗史の藤本正行先生から御高論・御高著を拝受いたしました。
佐伯真一先生のお祝いの会で意気投合した横井先生からは、御高論「六条院の風景」(坂本共展・久下裕利編『源氏物語の新研究』新典社)・「軍記・年齢記述の意味」(『實践國文學』67)・「子どもの情景」(『國語と國文學』79-5)・「子どもの領分(一)・(二)」(『實践國文學』60・62)・「<源氏>の物語という選択」(『叢書 想像する平安文学』6、勉誠出版)・「ならの京」(王朝物語研究会編『論叢伊勢物語2』新典社)を御恵送いただきました。あつくお礼申し上げます。
双方の問題意識の相違を踏まえながら、国文学と歴史学との交流はおおいに進めなければならないと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。
『平家物語』研究会でいつもお世話になっている藤本正行先生からは、御高著『武田信玄像の謎』(吉川弘文館)および御高論「戦国武将画像のイメージ」掲載の『本郷』61号を御恵送下いただきました。あつくお礼申し上げます。
武田信玄像については、神護寺の源頼朝像同様、絵が政治的に構築されたイメージと合致していると、なかなか通説を覆すのが困難で、こまったものだと思います。逆に絵が違うということが広まれれば、イメージも変化するということなのでしょうが。
☆ 伊豆の国市教育委員会社会教育課学芸員山田康雄先生のお手を煩わせて、『韮山町史』通史Ⅰ 自然・原始・古代・中世(第十巻)を入手することができ、また山岡さんの御助力で『静岡県史』通史編Ⅰ原始・古代の拝読も叶いましたので、いよいよ『北条時政』に取りかかる態勢が整いつつあります。
そして、近藤先生を囲んでの宴は如何だったでしょうか。
京都から名神・山陽自動車道を経て、尻池さんの本拠地である広島県福山市に向かい、明王院・草戸千軒町遺跡を見学、ついで鞆の浦と尾道にて調査・散策。さらに戦艦大和の映画撮影用のセットを見下ろしつつ生口島に渡り、大三島の大山神社、大島の村上水軍博物館を訪ね、来島海峡大橋を渡って今治に到着。それより四国三郎こと吉野川を下る形で徳島県美馬市の千葉山安楽寺や願勝寺の庭園を見学。鳴門海峡から淡路島に至って対岸から一ノ谷の辺りを望見し、明石大橋を渡って再上洛を果たしました。走行距離は都合834キロメートル。カーナビはやはり大変便利です。各地で親切かつ地域の文化に誇りを持った方々と遭遇、瀬戸内・四国の人たちは本当に心優しいと思いました。とりわけ鞆の浦の福禅寺(対潮楼)の御住職には直々に懇切な御案内をいただきました。大山神社社頭の土産物屋さんの御主人も尊敬に足る方でした。市井に偉人有り、まだ日本も棄てたものではありません。
雪による交通遮断を心配していたのですが、幸い行く先々悪天候には遭遇せず、「しまなみ海道」ではこの季節には稀な好天に恵まれて、瀬戸内海の美しさを満喫いたしました。地元の方にいただいた沢山のミカンで車の中は一杯です。
さて、この調査旅行で得た情報と知見をいかに今後の研究に活かしていくか、それが問題です。
☆ 離洛の間、国文学の横井孝先生と日本風俗史の藤本正行先生から御高論・御高著を拝受いたしました。
佐伯真一先生のお祝いの会で意気投合した横井先生からは、御高論「六条院の風景」(坂本共展・久下裕利編『源氏物語の新研究』新典社)・「軍記・年齢記述の意味」(『實践國文學』67)・「子どもの情景」(『國語と國文學』79-5)・「子どもの領分(一)・(二)」(『實践國文學』60・62)・「<源氏>の物語という選択」(『叢書 想像する平安文学』6、勉誠出版)・「ならの京」(王朝物語研究会編『論叢伊勢物語2』新典社)を御恵送いただきました。あつくお礼申し上げます。
双方の問題意識の相違を踏まえながら、国文学と歴史学との交流はおおいに進めなければならないと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。
『平家物語』研究会でいつもお世話になっている藤本正行先生からは、御高著『武田信玄像の謎』(吉川弘文館)および御高論「戦国武将画像のイメージ」掲載の『本郷』61号を御恵送下いただきました。あつくお礼申し上げます。
武田信玄像については、神護寺の源頼朝像同様、絵が政治的に構築されたイメージと合致していると、なかなか通説を覆すのが困難で、こまったものだと思います。逆に絵が違うということが広まれれば、イメージも変化するということなのでしょうが。
☆ 伊豆の国市教育委員会社会教育課学芸員山田康雄先生のお手を煩わせて、『韮山町史』通史Ⅰ 自然・原始・古代・中世(第十巻)を入手することができ、また山岡さんの御助力で『静岡県史』通史編Ⅰ原始・古代の拝読も叶いましたので、いよいよ『北条時政』に取りかかる態勢が整いつつあります。