おつかれさまです!

国方茉伊
No.4022

皆さんゼミ旅行おつかれさまでした。 去年の小城旅行から早1年が経過したんですね。私はついこの間の事のように感じているのですが…。
写メール拝見したのですが、本場のしろくまのボリュームに驚きです!スーパーのアイス売り場に売っているカップアイスとは違いますねぇ…。
皆さんゆっくり休んでくださいね~。それでは!

お久しぶりです!

No.4025

 國方さん、お元気で御活躍のようで何よりです。もう、お仕事には慣れましたでしょうか?
 本当に一年は早いですね。旅行中、去年の話に及ぶことがしばしばあり、みんな、國方さんが参加していてくれたらなあ、と残念がっていましたよ。
 昨年のゼミ旅行で、メンバー諸姉兄は美味しいものを食べてばかりいたようですが、今回も写メールアルバムを見ると食べ物ばかりですね。私は胃腸薬をたくさん用意して、かろうじてお付き合いしているといった有様です。
 昨年は小城の村岡総本舗前で大豪雨に遭遇しましたが、今回も連日のように、あのような大雨が降りました。しかし、↓に書いたように、地元の研究者の方々に、行く先々で親切な対応をしていただき、学ぶこと多く、本当に充実した3日間だったと思います。
 また國方さんも、ゼミのイベントに参加して下さい。メンバーともども、お待ちしております。

お久しぶりです。

No.4029

國方さんお久しぶりです!本当にもうあれから一年かと思うと早いものです。今回も例のごとく(?)突発的豪雨などにも遭遇し去年のこともしばしば話題になりました。
今回もいろいろな物を見、お話を聞き充実した旅行でした。本当に現地で親切にしてくださった方々に感謝です。
お仕事もあり、ゼミのイベントに参加することはなかなか叶わないかと思いますが機会があれば是非。みんな楽しみにしています。
ゼミ旅行ではまだ四国に行ったことがなく「うどんツアー」が開催される日もそう遠くないと思います。(こんな事を書くとまた大役を仰せつかってしまいそうでこわいですが)
そのときは是非参加していただければと思います。

こんばんは!!

国方茉伊
No.4031

皆さんもお元気そうでなによりです。 私は8月から人事異動で山の麓から海の近くの支店に異動になりました。(入社早々…)社会人生活にはだいぶ慣れたのですが、仕事は毎日失敗だらけです(ToT) でも多方面で活躍されているゼミメンバーの皆さんの事を思うと、よし、がんばろう!という気になれます。
機会があれば、ぜひぜひ四国にもお越しくださいませ~。うどんと海の幸を満喫しましょう♪(食べ物ばかりですが…)

帰りました!

No.4018

とりあえず帰ってきました。細かい報告は参加者それぞれから少しずつ書き込みがあるかと思います。大きなトラブルもなくよかったです。野口先生・全行程お付き合い下さった新地さん・現地でお世話になったみなさま・大盛況だった写メール掲示板を用意してくれた鈴木くん・また、細かい失敗をやらかす幹事を助けていただいた参加者の皆様、ありがとうございました。取り急ぎ帰阪のご報告でした。

Re: 帰りました!

岩田慎平
No.4019

幹事の門屋くんと八井くん、引率して下さった野口先生、現地でご案内いただきましたみなさん、ゼミ旅行に係わって下さった全てのみなさん、ありがとうございます。

途中、変なトラブルもありましたが、ゼミ旅行を終え無事に帰り着きました。

帰りました!おやすみなさい!

No.4020

大阪港からフェリーに乗ってから早3日。先ほど帰って参りました。
皆さま、本当にお疲れさまでした。
毎度の事ながら濃密な2泊3日を過ごしましたが、今回のゼミ旅行では
普段よりもずっと人と出会う機会が多かったように思います。
初日に紫原でお会いした皆さま方、そして2泊3日の行程を同行して
下さった新地さん、そして野口先生、幹事の2人・・・
本当に、今回のゼミ旅行に関わった皆さまに感謝です。
では、おやすみなさい!!

鹿児島の皆さん、ありがとうございました。

No.4021

 やや(かなり?)天候には恵まれませんでしたが、幹事の門屋君・八井君の御尽力のお蔭で充実した旅行が実現でき、感謝しています。
 さらに、貴重な夏休みを割いて3日間も、史跡の御案内はもとより、メンバーを同乗させていただいたばかりか、後続車の先導役までしてくださった新地さん(川辺町教委)にはお礼の言葉もありません。
 そして、行き先々で暖かくお迎えいただいた地元の皆さまに、厚く御礼を申し上げます。

 1日目:隼人町教育委員会の重久淳一先生には、何の御連絡も差し上げずにお訪ねしたにもかかわらず町立歴史民俗資料館・隼人塚・同史跡館・留守氏居館跡・鹿児島神宮の御案内を頂きました。沢山の資料もありがとうございました。
 その晩、鹿児島市紫原の「信玄」で開催された鹿児島大学日本史研究室の皆様との懇親会には、五味先生・永山先生・乕尾先生・日隈先生・金井先生・徳永先生・林先生・栗林先生、そして有村さんをはじめとする日本史専攻の学生さんたちがお出で下さり、旧交と「新好」を暖める機会を得られたことは本当にうれしく存じました。なお、当方が交通渋滞のために遅刻したことをあらためてお詫び申し上げます。
 この会の開催については鹿児島大学4年生の有村芳恵さんの御尽力に負うところ多大なものがありました。あつく御礼を申しあげますとともに、御上洛(・その後の御活躍)を待望する次第です。「信玄」の肥後さんにも、いろいろお気遣いをいただきました。ありがとうございました。そして、ごちそうさまでした。

 2日目:雨の中を金峰町役場まで疾走。ここで県内出身で帰省中の京大院生辻君が合流しました。ここから、金峰町教委の宮下先生の運転のマイクロバスに乗せていただいて、持躰松遺跡や周辺の関連史跡の御案内をいただきました(某城跡では、石碑に「柳原敏昭先生」の銘文を発見)。その後、開館間近の歴史資料館に入れていただいて、じっくりと見学。宮下先生の御努力の成果が直接還元された立派な文化施設の開館は10月とのこと。開館の記念行事には柳原先生の講演会も予定されているとのことです。宮下先生にはわざわざ見学用の資料まで御用意いただきました。先年の持躰松シンポで何のお役にも立たなかった私としては、汗顔の極みでした。
 ついで向かったのは新地さんの本拠である川辺町。虎御前の石塔・河辺氏のものと思われる五輪塔群・菩提寺だった宝光院跡(特異な形態の巨大な宝篋印塔あり)、そしてメンバー期待の清水磨崖仏群を新地さんの詳細な解説のもと、じっくり見学させていただきました。
 ここから、豪雨の中を知覧に向い、ミュージアム知覧を見学。ここでも、学芸員の上田耕先生に懇切な御案内をいただき、さらには沢山の貴重な資料を拝受いたしました。
 武家屋敷の見学は降雨のために車中からということになってしまいましたが、ここから山川町をへて指宿に向かいました。悪天候でしたが、開聞岳の偉容を望むことが出来たのは幸いでした。

 3日目:砂蒸し温泉で心身をサッパリさせてから、鹿児島に向けて北上。天文館で昼食を早めに済ませ、西郷像などを見学しながら徒歩で黎明館に向かいました。ここでは畏友・徳永先生のとても楽しい解説のもとに常設展示を見学させていただきましたが、おりしも博物館実習中の本学史学科4回生しかも稲本先生のゼミのゼミ長をしている小野今日子さんにお目にかかれたのは奇遇でした。
 大雨になったので、運転担当者のみ徳永先生の車で駐車場まで送っていただき、メンバーは博物館前で乗車して、次は尚古集成館へ。ここでは、松尾千歳先生に近世の島津氏・摩藩について、従来の認識を一変させるような、じつにインパクトのある解説をしていただきました。久しぶりに寺尾美保先生にも御目にかかることが出来ました。そして、たくさんの資料・冊子を拝受。またしても、汗顔の極みでした。

 かくなる次第で、今回の旅行では鹿児島の皆様には本当にお世話になりました。御厚意に甘えに行ったという観なきにしもあらずです。心からお礼を申し上げます。
 なお、ここに記したのは、旅程の概要に過ぎません。
 >メンバー諸姉兄  それぞれの観点からの御報告を期待します。
 
 ※ 映像資料(動かぬ証拠)は写メールアルバムにて
              このアドレスから閲覧することができます。↓

                     http://donkun.info/~plog/

ありがとうございました

No.4023

お礼が遅くなりすみません。
あらためまして皆様、お疲れ様でした。
そして野口先生、幹事の門屋さん、八井さんをはじめ現地で案内してくださった皆様方に厚く御礼申し上げます。

今回の旅行は、本当に急に参加を決めたため、幹事やメンバーの皆様には色々とご迷惑をおかけしたかと思うのですが、おかげ様で本当に充実した時間を過ごさせていただきました。
↓の出発前のスレッドにも書き込んだように、授業準備をほったらかして参加に挑んだのですが大正解でした。
現地へ行き、本物を見せていただき、普段なかなかきけないような貴重なお話をたくさんきかせていただいたことで、机の前にただ座って本を見ているよりも、ずっとよいネタをたくさん仕入れることができた気がします。
今日から高校三年生の補習なのですが、さっそく近代のところで島津氏について扱う予定です。今回学んだことを機にまたこれからさらに理解を深めていきたいと思っております。
本当にありがとうございました。

Thank you for everybody!!

No.4024

書き込みが遅くなりましたが、この旅行に関ってくださった皆さま、本当にお疲れさまでした&ありがとうございました!

前職時代同様、“詰めの甘い”添乗員ぶりを発揮してしまったような気がしますが、皆さん元気で楽しんでいただけたようで何よりでした。何の知識もないままに参加した僕も、本当に勉強になりました。学校では習うことのないようなことが学べて、歴史の奥深さを痛感した次第です。

最後に・・・We Love 鹿児島!!(笑)

素敵な歓待。

No.4028

帰って早々生活に追われて、御礼が遅くなってしまいました。申し訳ありません。
野口先生、幹事のお二人、そして現地でいろいろとお世話くださったみなさま、
本当にありがとうございました。
おかげさまで、古代から近代まで、幅広い時代に関係するもの・場所を
たっぷりと楽しませていただくことができました。
これだけ密度の濃い旅行は、そうあるものではありません。
貴重な体験を、どうもありがとうございました。

鹿児島での大宴会をはじめ、たくさんの方々と交流を持てたことも素敵な経験でした。
あちこちで大歓迎していただいて、ただただ感謝感激でした。
もうこれは、鹿児島のみなさまが京都に来られた際には私たちも大歓迎でお迎えしなくては!と思っています。

旅の中で強く感じたのは、野口先生が鹿児島におられた時に、また鹿児島を去られてからも、
どれだけ人とのつながりを大切にしてこられたか、ということです。
研究だけではなくて、本当にいろんなことをこれから頑張っていかなくてはいけないなあ、と痛感しました。
人付き合いが大の苦手な私ですが(いや、ほんとですって…)、
できるだけたくさんの人と交流を深めていけるように励みたいと思います。

ゼミのみなさま、4日間本当に楽しかったです。どうもありがとうございました。
これからも機会があればぜひ参加させていただきたいと思います。
とりあえず、幹事のお二人の慰労会をしなくちゃいけませんね。

あらためまして

No.4030

手短なご挨拶の後、間をあけてしまい失礼しました。あらためて、今回のゼミ旅行に関わって下さったすべての人々に感謝します。

0日目、そういえば大阪をフェリーで出港するときから分厚い雨雲が広がってました。絵に描いたような稲妻も走ってましたっけ。しかし、着いた先の宮崎は抜けるような青空。刺すような日差しでありながら、京都とは違ったサワヤカさが印象的でした。でもこのあと全員集合した直後にまた大雨が降り出しましたね。なんでだ。
新地さん運転の車内で〈くじらようかん〉の大半をいただいたのは僕です。
http://www.miyazaki-c.ed.jp/sadowara-naka-e/nakasho/5nen/tokusan.html

その後お邪魔した隼人町でご案内いただきました重久さん、ありがとうございました。
鹿児島大学日本史研究室のみなさん、〈信玄〉にお集まりいただきましたみなさん、お待たせして本当にすみませんでした。あの直前、ホテルの駐車場への車庫入れに手間取っていたのは僕です。
京都にもなかなか旨いラーメン屋さんがありますから、上洛の折には別腹も空かしてお出でください。

二日目、金峰町の宮下さんには隅から隅までご案内いただきまして、恥ずかしくなるくらい勉強になりました。近日開館予定の歴史資料館のご成功も心よりお祈りいたします。
水の美味しい川辺町では、清水磨崖仏群にただただ圧倒されました。しかし部分的にはかなり侵食の進んだところもあるとの由、心配です。どっぷり水に浸かった佐伯さん、寒くなかったですか?
ミュージアム知覧では、学芸員の上田さんに丁寧な解説をしていただきました。でも解説をいただいている途中で「財布落としたみたいです」と間抜けな声を出したのは僕です。その後、お財布は無事に帰ってきました。財布を保護して下さった親切な人に心から感謝です。
指宿での夕食は、ただただ感動。さすが、山幸彦・海幸彦の故郷(?)だけのことはありますね。山の幸・海の幸に圧倒されました。薩摩揚げもお刺身も御飯も、素晴らしくおいしかったです。御飯は四杯食べた人もいましたっけ。

三日目、黎明館の徳永さんには、まるで我が子を自慢するように収蔵品をご紹介頂き、時間を忘れて見学させていただきました。尚古集成館では松尾さんから懇切なご説明をいただきました。今更ながら、石高が必ずしも藩の規模を示すのではないということを、実例に則して教えて頂いた気がします。
その後、飛行機にて伊丹に帰ってきましたが、大阪・京都のほうが遙かに暑かったですね。

お忙しいなか、いろいろとご迷惑をお掛けしましたが、最後にもう一度、今回のゼミ旅行に関わってくださったすべてのみなさんに、心からお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

ありがとうございました

尻池由佳
No.4032

 昨日まで夜も昼もなく眠っていたため(本当にのびたくんです)、皆様よりも随分と遅れてしまいましたが、ゼミ旅行お疲れ様でした。幹事の門屋さん、八井さんをはじめ、同行してくださったゼミメンバーの皆様、鹿児島でお世話になった皆様、本当にありがとうございました。

 旅行の進行には、食事をするのが長かったり、行動が遅かったりと一人っ子特有のマイペースな私の行動がすごく妨げになったと思いますが、皆様、温かく見守って下さってありがとうございました。

 この度の旅行では博物館関係者の先生方とお会いする機会が多くあり、将来を考える上でよい刺激になりました。教員・学芸員を目指して頑張ろうという意識が高まりました。

 いろいろな刺激を与えてくださったみなさん、ありがとうございました。

 

皆様お疲れ様でした

辻浩和
No.4043

金峰町・川辺町見学ではお世話になりました。
南薩方面に出かけるのは小学生の時以来でしたが、
金峰山のよく目立つ山容や、周辺の起伏の大きさを実感でき勉強になりました。
持躰松遺跡跡や川辺の清水磨崖仏群など、
一人ではなかなか勉強・見学しようという気になれずにおりましたので、
今回ご一緒させていただけたことは大変ありがたいことでした。
これを機に少しは郷土の歴史にも目を向けてみようかという気が湧いてきましたので、
小生にとっての収穫は大きかったように思います。

幹事のお二方をはじめ皆様に心から感謝しています。
本当に有難うございました。

帰洛後の雑事に取り紛れ、ご挨拶が遅れてしまいました。
どうかお許し下さい。

鹿児島より、御礼申し上げます(野ゼミ鹿児島支部結成!?)

有村芳恵
No.4045

今日まで学芸員資格取得のための実習で発掘を行なっていた為、投稿が遅くなりまして申し訳ございません。今回ゼミの皆様と鹿児島の地にてお会いすることができました事は、私にとって大きな喜びでした。そして、私の他に懇親会に同席した鹿大日本史研究室の仲間たちにとっても、良い刺激になったことと存じます。このような機会を提供してくださり、本当に有難うございました。旅行に参加されたゼミの皆様に心より御礼申し上げます。

野口先生
懇親会ではお話を伺うことができまして本当に嬉しかったです。「鹿児島」に対する先生のお考えに、首肯することが多々ございました。そして、上洛への思いが改めて強くなりました次第です。私にどれほどの事ができるのか分かりませんが、今は自分のやるべき事を見据えながら、院試と卒論に向けて邁進していきたいと思います。

懇親会にてお世話になりました諸先輩方
先輩方と共に行動する機会に恵まれました中で、当方ゼミ生は色々な意味で先輩方の「勢い」に押されっぱなしでした(笑)こちらは学部生ばかりのメンバーでしたが、先輩方の御好意に甘えさせていただいたことも多く、感謝の気持ちで一杯です。改めて御礼申し上げます。来月院試受験の為京都に参りました際には、ぜひ多くの先輩と再会できましたら幸いです。

気をつけて行ってらっしゃいませ!

No.4014

いよいよゼミ旅行出発ですね。
みなさま、気をつけて行ってらっしゃいませ!
お土産話を楽しみにしています。
写メールアルバムも楽しみにしいます。

写メール受信。

No.4015

 >先発隊のみなさん  船中の写メール拝見しました。
 お弁当、なかなか美味そうですね。佐伯君のそれは、実に栄養のバランスがとれているように思います。八井君のはボリュームたっぷりですね。私も若い頃は、そういうものばかりいただいておりました。
 フェリーの名前は知りませんが、岩田君の乗船のおかげで「さわやか丸」と改名されることになるのではないでしょうか。
 
 明日の宮崎空港には、「天孫」ならぬ永富絵里子さんが「降臨」されますので、盛大なお出迎えの程よろしくお願いいたします。
 
 なお、「信玄」には黎明館の栗林文夫先生もお出でいただけるとのことです。歴史的な大イベントになりそうですので、さきほど店長さんに電話で御挨拶をしておきました。
 それでは、明日。

いまからいきます!!

永富絵里子
No.4016

田中さんからの「召集令状」メールにより、昨夜急遽参加が決まりました。

22日から控えている補習の準備も二学期の授業づくりもすべて放り出して(その分現地でネタを仕入れる予定・・・)の参加なので、不安はあるのですが行くからには思う存分楽しみたいと思っております。のでどうぞよろしくお願いします。

先日は鈴木君と高松へ「平家&うどんツアー」に行ってきたばかりなので、今回の鹿児島行きでまさに都おちまっしぐら(!)ですね・・・☆

野口先生>いえいえ・・・「天孫」というより「おまけ」なので皆様のあとを背後霊のごとくついてゆきます。

Re: 気をつけて行ってらっしゃいませ!

平田樹理
No.4017

 写メアルバム、拝見しました。
皆さん楽しそうで、何よりです。
どうぞ道中お気をつけてお過ごしくださいませ。

今年もやります写メールアルバム。

No.4009

ゼミ旅行がもう目の前に迫ってきています。昨年もやりました写メールによるアルバムを今年もやります!鈴木君ありがとうございました。
旅行に行く人には投稿方法など行きのフェリーでお教えいたします。
なるべくたくさんの写真・文章で旅行中の熱気を伝えることができればと思います。
このアドレスから閲覧することができます。↓
http://donkun.info/~plog/
(携帯からの閲覧も可能です。もし問題があればご一報くださると幸いです)

多くの方の投稿と閲覧をお願いいたします。

尚古集成館。

No.4011

 >鈴木君  これまでのゼミ旅行の写真を一同に見られるようなアルバムの作成も、ぜひお願いいたします。
 
 >新地さん  18日は宮崎まで来ていただいて申し訳ありません。なにとぞ宜しくお願いいたします。

 ☆ 尚古集成館の松尾千歳先生・寺尾美保先生ともに20日は御在館とのことで、久しぶりにお目にかかることが出来そうです。
 尚古集成館では、展示の全面的な見直しを進めており、新しい展示は、島津家の歴史を海との関わりで追った「海洋国家薩摩」、そして幕末維新期の近代化「集成館事業」を柱としたものになるとのことです。
 この博物館は民間の設立であるにもかかわらず、社会啓蒙的な活動も充実しているので、そうした側面からも学ぶべき点は多いと思います。

 尚古集成館のホームページはこちら
  http://www.minc.ne.jp/shimadzu/heritage/shuseikan/shuseikan.htm

 今夏の鹿児島は暑く、雨がほとんど降っていないとのことなので、雨女・雨男は歓迎されるかも知れません。

 >幹事さん  20日の見学は鹿児島市内のみですが、見学先が多く、帰りの時間もありますから日程について熟慮が必要かも知れません。まあ、要は「臨機応変に」ということかと思いますが。

いよいよです。

No.4012

フェリー組はいよいよ明日出発です。時間既にお伝えしてます通り、18時にニュートラム・フェリーターミナル駅です。よろしくお願いします。

20日の見学は参加者の希望を尊重しながら考えるように致します。意見がまとまりにくい場合は市内だけでも自由行動を入れてもいいかもしれません。

新地さん>18日宮崎空港でお会い出来ることを楽しみにしております。よろしくお願いします。

今夜、京都は五山の送り火がありました。

No.4013

 本日の地震、相対的に大きな被害がなかったようで幸いでしたが、東北の皆さまにお見舞いを申し上げます。

 ゼミ旅行、明日はいよいよ先発隊の出発です。若者同士、船旅をおおいに楽しんでください。船中からの写メールを楽しみにしています。
 私は18日朝、大阪空港に時間通りに辿り着くことさえできれば、お昼すぎに宮崎空港で皆さんにお目にかかれるはずです。
 
 なお、信玄には五味克夫先生・日隈正守先生、それに黎明館の林匡先生もお出でいただけるとのこと、うれしい限りです。

有村芳恵さん、ありがとうございます。

No.4005

 有村さん、いろいろお世話になり、ありがとうございます。まだ、しばらく先のことですが、有村さんが鹿大を去られる(ご卒業される)と、金井先生はじめ、日本史の先生方はさぞかしお困りになるのではないでしょうか。しかし、来ていただけたところ(大学院)は大助かりでしょう。ぜひ、必ず京都にお出で下さい。先生や先輩に対するこまやかなご配慮、なかなか得がたい人材かと拝察いたしております。
 乕尾先生ばかりか、金井先生、さらには地元の名士であられる原口先生までが鳥料理が苦手とは、これは驚きです。そういえば、米国はワシントンDCに住む経済アナリストをしている友人によると、ケンタッキー州立大学の歴史学の教授はみんなフライドチキンが苦手だとか?・・・(もちろんウソです)。
 
 「信玄」は焼き鳥以外にも、美味い料理は沢山ありますから大丈夫です。ちなみに、私は野菜が大の苦手ですが、生存のため、生野菜のサラダは頑張って食べるようにしています。そのさい、ドレッシングに助けられるわけですが、「信玄」のそれは格別です。野菜嫌いの私が大きなキャベツも美味しくいただけました(これは本当です)。

 五味克夫先生や日隈正守先生にもお声をかけていただけるとのこと、恐縮に存じます。なお、本日、研究室にお電話を下さった永山先生も、有村さんからお誘いいただいたと仰っておられました。
 「有村」というお名前をきいただけで、鹿児島が懐かしくなります。息子の小学校のクラス担任は有村先生でした。そういえば、鶴丸→東大のTBSの女性アナウンサーにも有村姓の方がおられましたね。鹿児島のテレビでは今でも「有村ゴルフ」のCMをやっているのでしょうか。有村ではありませんが、鹿屋の何とかいう薬屋さんのCMも面白かった。
 
 いろいろ余談を申し上げてしまいましたが、有村さんをはじめ、鹿児島大学の皆様、18日はなにとぞ宜しくお願い申しあげます。

有村さんありがとうございます。

No.4006

あれまぁ・・・。という感じですね。乕尾先生の情報を元木先生から頂いたときには(元木先生ありがとうございます)頑張ってフォローなどと思っていたのですが・・・、あれよあれよと事態が深刻化(?)しており笑えてきました。
 このような状況を見ていると私が東京にいた頃東京に来た友人が揃ってやぶそばに行きたがり、アレルギー持ちの私は一人寂しく別の所でごはんを食べた記憶が蘇ってきます。信玄にはそば屋と違って色々な料理があるようで安心です。

>有村さん当日もよろしくお願いします。
 

身に余るお言葉、ありがとうございます

有村 芳恵
No.4007

何とも嬉しいお言葉を頂戴し、思わず顔が綻んでしまいました。周囲に誰かいようものなら確実に気味悪がられたであろう事は間違いありません。幸いなことに、現在私は大学の演習室で一人の時間を過ごしております。明日から実家(霧島)に帰省する予定です。

鳥料理の件、御理解をいただけたようで安心致しました。私としましても、懇親会に関してあれこれと思案することはあるのですが、幹事の先輩方の御負担をなるべく増やさないよう努めるのは、当方としましては当然のことかと存じます。門屋先輩、至らない事もございますが、当日も宜しくお願い致します。

野口先生
懇親会の際に一つお願いしたいことがございます。こちらから参加する学生の中で、卒論で院政期の武士について考察する予定の4年生がおります。彼自身卒論の方向性に迷っているようなので、もし先生の元へ相談に伺った際には、何かアドバイスをいただけたましたら幸いです。何とぞよろしくお願い致します。

那須与一の伝承と「扇の的」のテーマなど

No.4008

 18日、当ゼミの一団は有村さんの故郷を通過して鹿児島に入る予定です。
 卒論の件、御遠慮なくどうぞ。何年か前の夏、鹿児島大学に集中講義に行きましたが、その時は、「武士罪障論者」の野口と対決すると豪語する元気な学生さんがおられました。彼は地元ではなく大阪の出身で、卒業後東京の大学の院に進学されたはずです。
 また、民俗学専攻の女子学生で、拙著『武家の棟梁の条件』で触れた法住寺殿の武将墓の不可思議な埋葬形態について、適切な仮説を示してくれた方もおられました。
 しかし、卒論、4年生が今の段階で「考察する<予定>」というのは、いささか心配ですね。最近は卒論よりも<就活>を優先するのが当然視されるような風潮がありますが、これはおかしい。
 武蔵大学の瀬田勝哉先生は、その御高論「伏見即成院の中世-歴史と縁起-」(『武蔵大学人文学会雑誌』36-3)の「付記」に、「学生の卒論作成に学科の生命を賭けようとする共通の意志」と書かれておられますが、すくなくとも人文学系においては、学生にとっても大学生活で最も重要な営為は卒論の執筆だと、私は思います。

 ところで、この瀬田先生(昨日、中世都市研究会京都大会の準備会で御挨拶の機会を得ることが出来ました)の御高論は、即成院(現在は東山泉涌寺の惣門脇にある)の歴史を解明するとともに、この寺に那須与一の墓として伝えられた巨大な石造遺物を通して『即成院縁起』に那須与一が取りこまれた背景などを論じた実に知的興奮を喚起される内容豊かな面白い論文です。
 ちなみに、『平家物語』における那須与一の扇の的の話は、早い段階から世上に流布していたようですが、肝心の那須与一についてはその実在はかなり疑わしいように思います。そもそも弁慶すら名を載せる『吾妻鏡』にさえ、その名前が見いだせないのです。
 滋賀県八日市市の弘誓寺には皮衣の秘仏と称する那須与一木像が伝えられており、与一に関する伝承は、まず仏教説話形成の視点から考察していくべき問題のようです。

 なお、「扇の的」は優美な場面ですが、保立道久先生は次のように述べておられます。
 「有名な那須与一の扇の話の本当のテーマは、その弓射の美技自体にあるのではなく、その直後、与一の武技に感じて平家の船上で舞を舞った男が「これをも仕れ」という義経の「御諚」によって心なく射倒されたことにあったと考えている。『平家物語』は、読み様によってはそのような「兵の道」の様変わりに対する怨嗟の書なのである。」(「歴史を通して社会を見つめる」佐伯胖ほか編『シリーズ学びと文化④ 共生する社会』東大出版会)
 さて、日本国民の歴史認識の形成に重大な影響力を有しているNHK大河ドラマでは、どのように描かれることでしょうか。

いよいよですね。

No.4010

 こんばんは。鹿児島の新地です。
 鹿児島は相変わらず暑いです。役場の気象情報では、旅行日程の今週後半は、曇りがちで最高気温は33度前後、最低気温は25~27度、土曜日は雨が降るかもしれない(降水確率50%)です。先週京都へ行っていた同僚によると、気温はそれほど変わらないが、鹿児島のほうが日差しが強いということでしたので、気になる方は日焼け対策をどうぞ。曇りの日のほうが紫外線は強いそうです。

 昨日、鹿児島市の繁華街・天文館へ久しぶりに行ってきました。日曜日だったせいか、「白熊」の有名な「むじゃき」は午前11時過ぎというのに店の外まで行列ができていました。今は持ち歩いて食べられる白熊もあるようで、並びたくないという人はそちらがお勧めです。むじゃき以外にもたいていの喫茶店のメニューに白熊はありますのでご安心を。

 「扇の的」は、中学時代に古典の授業で、弓道部員だと言う理由から暗誦させられたので、特に印象に残っています。宮崎県の椎葉村には、与一の弟・那須大八と平家の落人・鶴富姫の伝承が残り、それを歌った「ひえつき節」もありますので、那須氏に対してはなんとなく親近感を持っています。
 那須大八と鶴富姫の伝承や、ひえつき節については椎葉村のHPをご覧下さい。
http://www.vill.shiiba.miyazaki.jp/

 それでは、18日に宮崎空港でお会いしましょう。

鹿児島ゼミ旅行情報。

No.3997

 ゼミ旅行参加の皆さん。事前学習、それぞれの関心に沿って進めていただけていると思います。以下、新情報です。
 
 初日、鹿児島大学日本史研究室の院生・学生さんたちとの懇親会、紫原5丁目の「信玄」を19:00から23名で予約しました。座敷を用意してくださるとのことです。焼き鳥が看板のお店ですが、「きびなご」などの一品料理も美味しいところです。
 なお、この宴席には南九州古代史研究で著名なラ・サール学園の永山修一先生がお出で下さるとのことです。
 また、三日目の鹿児島市内見学でお邪魔する予定の県立歴史資料センター黎明館では、徳永和喜先生にお目にかかれます。徳永先生は私の大学院修士課程の学友です。もし、メンバーの中にとくに史料閲覧や講座室の借用について要望があればお願いしたいと思いますので御連絡下さい。

鹿児島ゼミ旅行情報。

No.3999

さらに18日の宴席には鹿児島大学の金井静香先生、乕尾達哉先生もお出でくださるとのことです。
 18日が鳥メインということなので翌19日は指宿で魚メインのお店を予約しております。
目だけでなく胃袋も鹿児島を満喫して帰りたいものです。(笑)
出発前に何か質問等あれば八井・門屋まで遠慮なくどうぞ。

紫原(むらさきばる)史学会大会?開催。

No.4000

 乕尾達哉先生・金井静香先生もお出で頂けるとは、これはじつに豪華な宴会になりそうです。乕尾先生がお出でになられると知ったら、元木先生も飛行機で(否、九州新幹線で)駆けつけてこられるかも知れません。
 見学先の充実ぶりも考慮に加えると、修士論文執筆のために、このゼミ旅行への参加を断念されたメンバー諸姉兄は甚だ残念なことをしたと思います。おそらく一生の後悔ものでしょう(笑)。

 ちなみに、「紫原」は島津氏の古戦場として有名なところです。興味のある人は調べてみてください。会場が「信玄」というのも面白い。近くにKTS鹿児島テレビがありますから、資力さえあれば「宴会」の全国向けライブ中継も可能かも知れません。

Re: 鹿児島ゼミ旅行情報。

No.4001

 野口先生、お誘いいただき恐縮です。
 実は19,20日は近江で史跡見学の予定があり、参ることはかないません。残念です。
 なお、昨年冬に久留米であった教え子の結婚式に際し、鹿児島で乕尾先生と懇親会を行い、九州新幹線に乗って新八代経由で久留米に向かった次第です。
 さすがに乗り心地のよい列車で、JR九州らしい、和風を活かした凝った内装が印象に残りました。
 乕尾先生と飲みすぎて二日酔い状態でしたが、昼からの結婚式でビールを飲んだら、平常に戻りました???
 余計なことですが、乕尾先生は鳥肉が大変苦手のはずですので、幹事の方は配慮して上げてください。鹿児島は鶏肉生産額日本一とのこと。そこで鳥嫌いとは、何ともお気の毒なことです。
 
 ついでに、さる7日、夕刻からの近藤氏との懇親会を前に、西国33箇所の天上寺と、赤松円心の山城で知られる摩耶山に登った話を書かせていただきます。
 ケーブル乗り場には、阪急六甲、またはJR六甲道からバスですぐです。さらにロープウェイに乗り継げば、30分ほどで山上に到着します。
 摩耶山はまさに快晴。神戸市街から大阪湾が一望でした。障害物のなかった当時、円心軍から六波羅方の進軍の様子は丸見えだったのではないでしょうか。
 それにしても、快晴で空気も澄んだこともあって、山上からの景色にはまさに見惚れる思いが致ました。前日、翌日以降も昼間に雷雨があったことを考えますと、まさに奇跡の一日でした。誰かの行いがよかったのでしょうか。
 円心が篭ったのは、20年余り前に賽銭泥棒の失火で焼失した旧天上寺跡とのことです。そこは現在史跡公園ですが、ケ-ブルの終点とロープウェイの終点の中間にあたり、下から上ると大変な数の階段を上らなければなりません。先に、山上に行き、現天上寺に参拝した後、坂を下ったほうがいいと思います。
 旧天上寺への道は、途中でであった登山者の方々と挨拶を交わすくらいの、本格的な山道でした。行かれるときは、靴や服装などに少し注意したほうが良いでしょう。尤も当方は革靴でしたが。
 天上寺付近の急峻で深く切り込んだ山並みを見ますと、赤松円心が拠点と頼んだのも尤もと思われます。それにしても、六波羅方はその真下にある求女塚から攻め上ったとのこと。何でそんな切り立った山を、馬鹿正直に真下から攻めたのでしょうか。かつての義経の智謀は北条氏に継承されなかったのですかね。
 その後、摩耶山から下りて阪急・地下鉄を乗り継ぎ、大倉山から福原の史跡を回りました。例の二重堀のあとは簡単な説明版を残して大駐車場。雪見御所の石碑は小学校の敷地内から外の道沿いに移っておりました。夕刻とはいえ、摩耶山上とは大違いの暑さに閉口させられたのは言うまでもありません。
 その後の夕食「順徳」については、薗田さんか山岡さんからお願いします。

順徳。

山岡瞳
No.4002

はじめての元町でした。懇親会からの参加だったため、史跡を見ることができず残念でしたが、薗田さんがお持ちだったデジカメで一通り見せていただき、写真で堪能させていただきました。
お店の名前は一度聞いたら忘れようもない名前だったのですが、うっかりして地図を忘れてしまい、記憶にあったロー〇ン(某コンビニ)の角を曲がるということだけを頼りにお店を探しました。けれど、ロー〇ンは見つからず、しばらく付近をうろうろする羽目になりました。ここがあやしい!!と直感で思った角を曲がると、やはりお店があり、なんとかたどり着くことができ、一安心でした。結局ロー〇ンはなくなっていて、別のお店に変わっていたのです…。
お料理についてですが、色とりどりの中華料理が並んでいたのですが、一つ一つの名前を覚えることができなかったため、ここでは特に覚えているものを書きたいと思います。まず、近藤先生もお気に入りという「ネギ汁そば」です。独特の麺とさっぱりしたスープの相性が絶妙で、さらにスープとネギの相性もばっちりでした。また、ご飯が大好きな私は焼き飯もなかなかよかったと思います。実は、辛いものが苦手な私は、麻婆豆腐を食べたとき、その辛さでちょっと涙目になっていました…。ちなみに自分で麻婆豆腐を作るときは常に甘口です。この時、烏龍茶を飲むペースが速くなったことは言うまでもありません。

料理はどれも本当においしかったのですが、久しぶりにお会いした近藤先生のお話や、庄先生の兵庫の歴史に関するお話を伺うことができ、勉強になりました。

最後になりましたが、このような場にわざわざお誘い下さった元木先生、ありがとうございました。また、幹事の吉田さん、お疲れ様でした。

ニアミスならず

No.4003

元木先生、山岡さん、こんにちは。

 去る8月7日、私も神戸をうろうろしていました。午前中には「福原京」を散策し、午後にはJR兵庫駅前で内輪の研究会。そこで例の「福原遷都論」を報告し、さらに大村拓生さんの大輪田泊についての報告を聞いていました。その後、兵庫駅前の中華料理屋さんで懇親会。元木先生たちも神戸に来られていると知っていましたので、どこかでバッタリお会いするのではないかとドキドキしていました。残念ながら、わずかな時間差でニアミスならず、でしたね。

 元町の「順徳」は結構な店ですね。表通りには面していないのでちょっとわかりにくいが、神戸ではかなり有名な店だと聞きます。私も以前、ここで懇親会をやったことがあるのですが、料理は絶品でした。その時も、「順徳」という店の名前をネタにして大いに盛り上がりました。

 追伸:現在、山岡さんの見目麗しきお姿(と、ウチの奥さまの顔の見えない姿)が登場する図録の最終校正中です。

Re: 鹿児島ゼミ旅行情報。

有村 芳恵
No.4004

鹿大の有村です。元木先生、御配慮ありがとうございます。乕尾先生が鳥料理が苦手でいらっしゃることを、幹事の門屋先輩に申し上げるべきかどうか迷っておりましたので、正直な所、ほっとしております。そして付け加えますと、金井先生も、鳥料理は大の苦手でいらっしゃいます。さらに、残念ながら都合により18日の飲み会には参加されない近世史の原口泉先生を含めまして、実は鹿大日本史系の先生方は、3名全員が鳥料理が苦手でいらっしゃいます。元木先生のお話にもございましたが、鹿児島は「鳥天国」の様相を呈しておりますので、鳥料理をはずしたメニューとなるとなかなか難しい面もございます。大変恐縮ですが、そこを何とか御配慮いただけたら、と伏してお願い申し上げる次第です。

野口先生
五味先生・日隈先生につきましては、金井先生のお力をお借りして御参加について順次お願いする予定です。現在お盆休み期間中ですので、御参加の有無は連絡が遅くなってしまうかもしれません。できるだけ迅速な対応を心掛けますので、御容赦くださいませ。

有難うございました

山口博史
No.3993

野口先生
過日は、先生の講演録を御恵送下さいまして誠に有難うございました。入院中拝読し学ばせていただきました。グループの友人も読ませて欲しいと申しておりましたので、読んで先生の歴史グループでの講義を深めることができたと喜んでおりました。
さて、先日の元木先生の講義ですが、私は生憎体調がすぐれず、参加できませんでした。幸い娘が参加して録音をしてくれたので、先生の講義内容について少しは理解できました。私は、元木先生の著書、『平清盛の戦い』『源満仲・頼光』『保元・平治の乱を読みなおす』『院政と平氏、鎌倉政権』を読んでおり、ぜひ先生にお会いしたかったのですが、残念でした。
御礼が遅くなり申し訳ありませんでした。
先生の益々のご活躍を祈念申し上げております。
歴史グループ早雲 山口博史

山口さん、御丁寧にありがとうございました。

No.3994

>山口さん  また、ぜひ次の機会に元木先生とお目にかかっていただきたいと思います。いろいろ楽しいお話しをうかがえることと存じます。
 6日の学習会には、当方のゼミメンバーも、できれば参加したいと申しておりました。
 先日、京女の図書館に調査にお出でになった京樂先生が当方の研究室にお立ち寄りになられた際、山口夏子さんの御研究のお話しをうかがったりしたところでした。京樂先生もおおいに期待をかけておられるとのこと。夏子さんには、いずれ是非、当方のゼミの例会で御研究の成果を発表していただきたいと存じております。
 とても暑い毎日ですが、ぜひ御体調を快復されますよう、お願い申しあげます。なお、追って、摂関時代の暴れん坊貴族「藤原隆家」について書いた拙文をお送りしたいと存じます。また、御笑覧下されば幸いです。

Re: 有難うございました

No.3998

  山口さん、今回はお会いできず残念でした。
 以前、労働学校でお会いしてから20年あまりですが、あの時のことは鮮明に記憶に残っております。武士職能論をかじりかけた状態で、中途半端な話をしてしまったことを恥ずかしく思い出します。
 猛暑の折ですから、くれぐれもお大事になさってください。
 
 なお、当日の講演内容は、基本的に旧著と同じですので、拙著をお読みいただいておられるなら、わざわざお越しいただく必要もありませんでした。
 たぶん、早口でよくわからないところが多いものと思います。
 テープでお分かりになりにくいところは、拙著をご参照いただくか、メールなどでご連絡いただければ幸いです。

 次回、講師として御招請いただきました時には、色々お話をいたしたいと存じます。
 一日も早いご回復をお祈り申し上げます。

夏の勉強会について(日程など)

No.3990

 先日お伝えした、夏の勉強会の日程をお知らせします。

 日程は、9/10(土),12(月),13(火),14(水),の四日間です。
 各日とも、13:00~開始予定、共同研究室で行います。

 9/10(土):「保元新制」史料解釈(『平安遺文』2876、2851)
 9/12(月):「保元新制」研究史整理
 9/13(火):「文覚起請文」史料解釈(『平安遺文』4892)
 9/14(水):「文覚起請文」研究史整理

 ※研究史整理については、どの論文をどのように扱うのかまた後日お伝えします。ご了承ください。

参考文献について

No.3992

以前挙げた参考文献を、みなさんから頂戴したご意見も交えつつ再掲します。

>保元新制
  水戸部正男『公家新制の研究』創文社.1961.
  棚橋光男『中世成立期の法と国家』塙書房.1983.
  五味文彦『院政期社会の研究』山川出版社.1984.
  今正秀「保元荘園整理令の歴史的意義-平安後期荘園整理政策をめぐる政府と権門-」『日本史研究』378.
  佐々木 文昭「公家新制についての一考察-保元元年新制から建久二年新制について」『 北大史学』19.1979.
  鈴木敏弘「保元元年新制と荘園整理」(中野栄夫編『日本中世の政治と社会』)
  遠藤基郎「院政の成立と王権」『日本史講座3中世の形成』東京大学出版会.2004.
  下郡剛「御白河院政期新制の基礎的考察;保元年間から承安年間にかけて」『立正史学』87.2000.

 >文覚と神護寺
  西岡虎之助『荘園史の研究』岩波書店.1953.
  上横手雅敬「院政期の源氏」(『御家人制の研究』)
  赤松俊秀「文覚説話が意味するもの」(『平家物語の研究』)
  山田昭全「僧文覚略年譜考」(『立教大学日本文学』12)
  平雅行「中世寺院の暴力とその正当化」(『九州史学』140)

調整ありがとうございました。

No.3995

>岩田君  日程調整や報告者の依頼など、ありがとうございました。せっかくの機会ですから、実り多い勉強会にしてください。
 なお、保元新制に関する参考文献として下記を追加いたします。
 
 飯倉晴武「「武者の世」の到来」(橋本義彦編『古文書の語る日本史2 平安』筑摩書房)

☆ 共同研究の件ですが、「摂関家」と「宇治」をキーワードにしたテーマに落ち着きそうです。考古学の大原瞳さんにも参加していただけると有難いのですが。
 なお、具体的なことについて、さらに御意見をいただきたいと思います(とくに国文の方から)。

巡礼記研究会第二回研究集会のご案内

No.3989

大橋直義です。
突然でもうしわけありませんが、宣伝をさせてください。
昨年の、巡礼記研究会第一回研究集会に続いて、第二回研究集会を開催することになりました。
昨年にもまして、充実した一日を過ごしていただきたく存じます。お忙しい時期とは存じますが、ぜひとも足をお運びください。なお、当日は、『巡礼記研究会』第二集をお配りする予定です。こちらには、第一回集会でご発表いただいた方々の論考が収録されております。

巡礼記研究会 第二回研究集会のご案内
(共催 慶應義塾中世文学研究会・寺社縁起研究会関東支部)

会場  慶應義塾大学三田キャンパス 西校舎1階522番教室
交通  JR山手線田町駅/都営浅草線・三田線三田駅徒歩10分 
日時  2005年 9月17日(土) 午後1時~午後5時45分

[研究発表]

1 荒神の縁起と祭祀
           東京大学大学院生  高橋悠介

 荒神とは、日本で生まれた、神仏習合的色彩の強い神格である。承暦四年(一〇八〇)に勝尾寺の住僧が荒神祓を行ったとする『水左記』の記事が、荒神の名が見える記録上の古い例として知られている。もとは祓われるべき障碍神であったが、鎮めれば利益をもたらすという両義性を持つようになり、荒神供という祭祀が行われた。本発表では、鎌倉後期に荒神に関する縁起・教説を集成した『荒神縁起』というテクストに注目する。『荒神縁起』の冒頭には、天竺・大唐・日域の三国にわたる荒神の霊験譚・縁起が説かれているが、特に日本では、勝尾寺において桓武天皇の皇子、開成が大般若経書写の願を立てた際、荒神の障碍を受け、荒神を祀ることによって大願を成就したという縁起が語られる。こうした荒神の縁起説を、荒神の性格や荒神祭祀のありようとともに考えてみたい。

2 冥界遍歴と巡礼 ー『西国巡礼縁起』をめぐってー
           日本学術振興会特別研究員  恋田知子

 西国三十三所巡礼の起源をとく『西国巡礼縁起』に関して考察する。西国巡礼の起源説話については、長谷寺の開基でもある徳道上人の冥界譚がひろく知られているが、その一方で、威光上人の冥界譚をその淵源とするものも存在することには、あまり注意が払われてこなかった。そこで本発表では、後者の説話をもって起源とする九条家旧蔵本・松尾寺蔵本および、今回あらたに紹介する慶應義塾図書館蔵本について若干の検討を加えるとともに、徳道上人の場合もふくめた西国巡礼起源説話の諸相について考察をおこなう。さらに、西国巡礼の淵源に冥界譚を配するという点に着目し、説話や物語草子の類に見える冥界遍歴とともに考えることで、『西国巡礼縁起』の意義についても言及したい。

3 六角堂縁起異説 ー聖徳太子伝承のことなどー
           京都大学非常勤講師  橋本正俊

 六角堂の愛称で親しまれている京都の頂法寺は、平安時代から貴紳・衆庶の崇敬を集めた、西国三十三所の一つとしてよく知られている。その縁起は、「聖徳太子は淡路国に流れ着いた如意輪観音像を持仏としていた。四天王寺建立の採材のために愛宕郡に来たとき、木に懸けておいた観音像がその場を動かなくなった。観音の夢告に従い、太子はここに六角堂を建立した」というものである。実際の建立は平安時代に下るようだが、六角堂は聖徳太子建立の御堂として広く知られ、その縁起も大きく変容することなく現在に至っている。ところが、中世・近世の資料では、これとはやや趣を異にする縁起が並記されることがある。それは、この観音像は高麗国より太子が迎え入れたものだというのである。本発表では『観音利益集』などに記されたこの六角堂縁起の異説とも言うべき説話に注目する。そしてこの説と聖徳太子伝記との関わりを指摘し、このような説が生まれた背景、その影響と変遷について考察する。また『観音利益集』の性格についても言及したい。

4 千葉妙見の本体・本地説 ー『源平闘諍録』と『千学集抄』との間ー
           四天王寺国際仏教大学  源健一郎

 千葉妙見の本体・本地説としては、『源平闘諍録』に〈北辰・十一面観音〉説が記される一方、『千学集抄』等には〈北斗七星・七仏薬師〉説が伝えられている。このような揺れをどう捉えるかについては、すでに津田徹英氏・丸井敬司氏に言及があるが、鎌倉後期から南北朝期、千葉寺周辺における関東天台の動向を前提にした場合、再考の余地があるように思われる。具体的には、日胤・了行・心慶・源山といった僧の活動や檀那流玄旨帰名壇灌頂の展開と、両本体・本地説とを重ね合わせ、それらの間の脈絡を読み取る試みを提示することになろう。

連絡先
108-8345 港区三田2-15-45 慶應義塾大学文学部 岩松研吉郎
tel 03-3453-4511 内線 23093 ダイアルイン 03-5427-1175
fax 03-5427-1578  
mail 大橋直義宛にお願いいたします。

失礼いたしました。

源先生のお話をぜひ聴きたいのですが。

No.3996

 千葉は私の故郷です。地元の歴史愛好家には千葉氏ファンが多く、その多くは、千葉一族というのは妙見信仰をもって常に一体であるという(まさに信仰ともいうべき)認識をおもちです。そして、またその方達の多くは、千葉氏をチバシと呼ばずに、なぜか「チバウジ」と呼びます(三浦氏は「ミウラシ」と呼ぶのですが)。
 それはともかく、私は妙見信仰をあくまで千葉氏の族的結合のイデオロギー装置としてとらえているのですが、しかし、これを正確に理解するためには、どうしても千葉妙見の本地論にせまらなければならないことを痛感していました。
 仏教思想に造詣深く、『源平闘諍録』の研究に取り組まれている源先生が、この難問に取り組んでくださることを期待していたのですが、早くもその成果を発表されるとのこと。うれしく、かつ有難い限りです。
 残念なことに、私はこの研究会には、仕事の都合上、参加が叶わないことと思います。いずれ発表される御高論を楽しみにしたいと存じます。

暑中お見舞い申し上げます。

No.3987

 暦の上では明日はもう立秋ですので今のうちに。

 昨日のゼミ旅行事前学習会は担当者毎の充実した報告で4時間にも及びましたが、おおいに勉強になったことと思います。あとは好天を祈るばかりでしょうか。
 幹事の門屋君・八井君、諸事ありがとうございました。
 なお、さらに勉強をしようとする人のために紹介資料の追加。
  ① 井ケ田良治「南九州における南北朝内乱の性格」(『日本史研究』17,1952)
  ② 高島緑雄「辺境庄園の領主と農民-薩摩国伊作庄・日置北郷-」(西垣晴次編『鎌倉武士西
   へ 地方文化の日本史3』文一総合出版、1978)
  ③(必見)松竹映画「男はつらいよ 第34作『寅次郎真実一路』」

 ☆ 須藤聡先生から御高論「下野国中世武士団の成立-治承・寿永の乱以前の実状-」掲載の、橋本澄朗・千田孝明編『知られざる下野の中世』(随想舎)と御高論「中世前期における新田一族と交通路」(『地方史研究』311)を御恵送いただきました。
 当該期の下野の武士団については河内源氏の東国進出との絡みで、私もさらに追究してみたいと考えております。
 須藤先生にあつく御礼申しあげます。

「屋島合戦」を考える。

No.3988

 まずは、 http://heike.cocolog-nifty.com/heike/ 
を御覧下さい。(拙論を御紹介くださっていて恐縮しています)。
 
 先日、この掲示板で、義経による屋島攻撃がどのような経緯で行われたかについて新しい見解を展開された宮田敬三先生の御高論を御紹介いたしましたが、それに対して、以下のような、うれしいリアクションがありました。

   http://d.hatena.ne.jp/yotomusi/20050806/p2
   http://d.hatena.ne.jp/yotomusi/20050806/p13#seemore
 
 こういう真摯で熱心な方が学生として沢山いてくれたら、大学の教員たる者、大いに充実感をもって日々の講義に臨めるというものでしょう。
 
 ちなみに、屋島といえば、当ゼミメンバーには、京都からレンタカーで日帰りをされた豪傑たちがおられました(たしか門屋君・田中さん・・・でしたね?)。
 私は、2003年2月、高松の高校に勤務しておられる野中寛文先生(院生時代からの畏友)に『平家物語』関連の伝承地を殆どくまなく御案内いただきました。
 あの時、野中先生には本当にお世話になりました。今さらですが、あらためてあつくお礼を申し上げます。