やや(かなり?)天候には恵まれませんでしたが、幹事の門屋君・八井君の御尽力のお蔭で充実した旅行が実現でき、感謝しています。
さらに、貴重な夏休みを割いて3日間も、史跡の御案内はもとより、メンバーを同乗させていただいたばかりか、後続車の先導役までしてくださった新地さん(川辺町教委)にはお礼の言葉もありません。
そして、行き先々で暖かくお迎えいただいた地元の皆さまに、厚く御礼を申し上げます。
1日目:隼人町教育委員会の重久淳一先生には、何の御連絡も差し上げずにお訪ねしたにもかかわらず町立歴史民俗資料館・隼人塚・同史跡館・留守氏居館跡・鹿児島神宮の御案内を頂きました。沢山の資料もありがとうございました。
その晩、鹿児島市紫原の「信玄」で開催された鹿児島大学日本史研究室の皆様との懇親会には、五味先生・永山先生・乕尾先生・日隈先生・金井先生・徳永先生・林先生・栗林先生、そして有村さんをはじめとする日本史専攻の学生さんたちがお出で下さり、旧交と「新好」を暖める機会を得られたことは本当にうれしく存じました。なお、当方が交通渋滞のために遅刻したことをあらためてお詫び申し上げます。
この会の開催については鹿児島大学4年生の有村芳恵さんの御尽力に負うところ多大なものがありました。あつく御礼を申しあげますとともに、御上洛(・その後の御活躍)を待望する次第です。「信玄」の肥後さんにも、いろいろお気遣いをいただきました。ありがとうございました。そして、ごちそうさまでした。
2日目:雨の中を金峰町役場まで疾走。ここで県内出身で帰省中の京大院生辻君が合流しました。ここから、金峰町教委の宮下先生の運転のマイクロバスに乗せていただいて、持躰松遺跡や周辺の関連史跡の御案内をいただきました(某城跡では、石碑に「柳原敏昭先生」の銘文を発見)。その後、開館間近の歴史資料館に入れていただいて、じっくりと見学。宮下先生の御努力の成果が直接還元された立派な文化施設の開館は10月とのこと。開館の記念行事には柳原先生の講演会も予定されているとのことです。宮下先生にはわざわざ見学用の資料まで御用意いただきました。先年の持躰松シンポで何のお役にも立たなかった私としては、汗顔の極みでした。
ついで向かったのは新地さんの本拠である川辺町。虎御前の石塔・河辺氏のものと思われる五輪塔群・菩提寺だった宝光院跡(特異な形態の巨大な宝篋印塔あり)、そしてメンバー期待の清水磨崖仏群を新地さんの詳細な解説のもと、じっくり見学させていただきました。
ここから、豪雨の中を知覧に向い、ミュージアム知覧を見学。ここでも、学芸員の上田耕先生に懇切な御案内をいただき、さらには沢山の貴重な資料を拝受いたしました。
武家屋敷の見学は降雨のために車中からということになってしまいましたが、ここから山川町をへて指宿に向かいました。悪天候でしたが、開聞岳の偉容を望むことが出来たのは幸いでした。
3日目:砂蒸し温泉で心身をサッパリさせてから、鹿児島に向けて北上。天文館で昼食を早めに済ませ、西郷像などを見学しながら徒歩で黎明館に向かいました。ここでは畏友・徳永先生のとても楽しい解説のもとに常設展示を見学させていただきましたが、おりしも博物館実習中の本学史学科4回生しかも稲本先生のゼミのゼミ長をしている小野今日子さんにお目にかかれたのは奇遇でした。
大雨になったので、運転担当者のみ徳永先生の車で駐車場まで送っていただき、メンバーは博物館前で乗車して、次は尚古集成館へ。ここでは、松尾千歳先生に近世の島津氏・摩藩について、従来の認識を一変させるような、じつにインパクトのある解説をしていただきました。久しぶりに寺尾美保先生にも御目にかかることが出来ました。そして、たくさんの資料・冊子を拝受。またしても、汗顔の極みでした。
かくなる次第で、今回の旅行では鹿児島の皆様には本当にお世話になりました。御厚意に甘えに行ったという観なきにしもあらずです。心からお礼を申し上げます。
なお、ここに記したのは、旅程の概要に過ぎません。
>メンバー諸姉兄 それぞれの観点からの御報告を期待します。
※ 映像資料(動かぬ証拠)は写メールアルバムにて
このアドレスから閲覧することができます。↓
http://donkun.info/~plog/