14日:当麻寺練供養・15日:葵祭

No.3758

 タイトルに示したように、この週末は一度は見ておいた方がよい、祭礼が続きます。
 当麻寺には門屋君が行かれるはずですから、詳細は門屋君にうかがうと良いでしょう。
 
 葵祭については解説の要はないと思います。
 平日に実施されると、せっかく京都にいる方たちも見に行けないのですが、今回は日曜ですから、とくに学生のみなさんはじっくり鑑賞してください。装束について解説したパンフレットが路上で販売されるはずなので、それと行列を対象させながら見物すると、たいへんよい勉強になります。
 ちなみに、この行列には当ゼミの研究指南役である佐伯君が参加されるそうです(役どころは未定の由)。どこにいるか、佐伯君を探しながら御覧になるのも一興かと思います(役どころが良い場合は眼鏡をはずしているとのこと)。
 今年の斎王代は同志社大学の学生さんがつとめられるとのこと。葵祭も大学の街・京都にふさわしい年中行事になってきたようです。
 この日の午後には京大会館で平安京文化研究会が開催されます。小生も勉強させていただきに行こうと思っています。

 22日は、元木先生に御案内いただいたように、宮津で古文書学会の見学会がありますが、日本史研究会および大阪歴史学会の中世史部会共催による卒論報告会もこの日に開催されます。昨年は山本君が発表されましたね。今年卒論を書く4回生はぜひ行ってみると良いと思います。
 詳細は、大阪歴史学会のHPを御覧下さい。

>元木先生  片岡仁左衛門さんというと、永原先生が時代考証をされた『太平記』で後醍醐天皇を演じられた役者さんですね。
 そういえば、先代の片岡仁左衛門さんは、映画「男はつらいよ」の第29作「寅次郎あじさいの恋」に清水の陶芸家の役で出ておられましたが、その寅次郎との出会いの設定が葵祭の日の鴨川畔でした。あの映画には丹後半島・伊根の船屋も出ていました。

Re: 14日:当麻寺練供養・15日:葵祭

No.3759

 明日の当麻寺練供養ですが、どうしても授業の振り替えや、試験範囲まで進まなければならないという制約で断念せざるをえなくなりました。非常に残念です。
 なかなか空いている日がなく、何かイベントがあっても時間がとれないことが多いのですが、何か企画できそうな時は掲示板でお知らせいたします。

宣伝です。

No.3760

佐伯です、こんばんは。
野口先生、卒論報告会をご紹介いただいてありがとうございます。
せっかくですので、ぜひ詳細の宣伝をさせていただこうかと思います。
(決して葵祭の宣伝をしにきたわけではありません。笑)

日本史研究会中世史部会・大阪歴史学会中世史部会合同企画 第5回 卒論報告会
【日時】 5月22日(日) 13:30~17:30
【会場】 西宮市大学交流センター 講義室1
(阪急西宮北口駅すぐ。http://www.nishi.or.jp/~daigaku/info/accessmap.html
【報告】 (各報告は報告30分、討論20分)
 報告① 13:30~14:20
  芳澤元氏「中世禅林の飲酒に関する一考察」
 報告② 14:20~15:10
  森榮倫氏「『悪党』問題と地域社会」
( ―――――――――――― 休憩 20分 ―――――――――――― )
 報告③ 15:30~16:20
  根ヶ山泰史氏「南北朝期荘園における身分の変化について―播磨国矢野荘の場合
―」
 報告④ 16:20~17:10
  八代醍ひとみ氏「矢野荘の海老名氏と守護による国人統制 -足利将軍近習の視点
から-」
 懇親会 17:30~

多数のご参加お待ちしております。よろしくお願いします。

少年老いやすく、学成り難し。

No.3761

>門屋君  それは残念至極でした。ぜひ、また次の機会に。練供養は京都の即成院でも行われます。
 ちなみに、山岡さんは自宅前で葵祭の行列を楽しめるのだそうです。「桟敷」ですね。
 
☆ 昨年の卒論報告会は山本君のデビュー戦ということで、この掲示板でもずいぶん話題になったものです。
 また、5月というのは永富さんをはじめ、お誕生日を迎える人が多かったように記憶しますが、山本兄もいよいよ、でしょうか?
 タイトルの言葉に従わず、「学」の成就を期待するところです。とりあえずは修論ですね。平田さんも、長村君も。

 小生の場合は、「日暮れて、道遠し」です。

レンタルサイクルダイアリーズ

No.3762

 当麻寺練供養でもなく葵祭でもないですが、今日は関学の仲間と共に東山周辺をレンタサイクルで走り回ってきました。新緑が気持ちよかったです。
 その関学の仲間というのは戦国時代の京都周辺を跋扈した足軽を研究しているので、史料は彼に用意してもらって、道案内だけ僕がしました。深草、稲荷、藤森、山科、渋谷、・・・と史料に見える地名を辿ってきたのですが、後から考えれば京女大の周りをぐるりと一周してきたわけでした。

 ところでその自転車はレンタル屋さんによると「アメリカ製」だということで、右ハンドルに前輪のブレーキがあるのはいいとして、後輪のブレーキはペダルを逆回転させることで効かせるというものでした。自転車に乗っていてうっかりペダルをぐるぐる逆回転させることはあると思うのですが(僕はよくやる)、この自転車でそれをやるとブレーキが効いてしまいます。
 そんな自転車ですが、慣れてしまえば乗り心地はとてもよかったです。1500円/日。ちょっと高いですけどね。

第2回根来寺講座

阪本敏行
No.3756

また,宣伝させてください。

既に新聞などでご存じの方も多いかと思いますが、和歌山地方史研究会が主催する連続講座「根来を知ろう!!」の2回目のお知らせを致します。
今回は、「根来大工」の活躍ぶりから往時の根来の隆盛を知ることをテーマに、下記の予定で行います。

 日時:5月15日(日)
    13時~15時
 会場:岩出町民俗資料館2階大会議室
 講師:鳴海祥博氏(和歌山県文化財センター建造物課長)
 テーマ:根来大工と根来の建築

前回は、新聞各紙で詳しく取り上げていただき、それを読んだ方からの反響も大きなものがありました。
今回のお知らせも、地元紙などで報じられると多くのお問い合わせがありました。主催者側で想像している以上に、「根来って何?」「根来ってどんなだったの?」という、一般の方の関心は高いようです。この講座を、あえて研究者向けというより、一般の方に向けてのものにして良かったと改めて思っています。また、そういう方々に向けてこれまでの研究成果を、よりかみくだいて還元していくのが、地元の研究団体としての役割なのかな、と感じています。
今回も多くの方々のご参加をお待ち申し上げております。

古文書学会、片岡仁左衛門丈

No.3755

 古文書学会見学会の参加希望者は12日で締め切りました。
 残念ながら今回は参加者が少ないようです。
 以前ご案内したとおり、平安、鎌倉の貴重な文書が多数展示されるだけに、お一人でも多くの方に参加してほしかったのですが。
  
 本日(正確には昨日)、サントリーバーで片岡仁左衛門さんにお会いしました。
 素顔も実に颯爽として、若々しく腰も低い、ジェントルマンでした。
 あそこのオーナーは着物関係で、歌舞伎役者と親しいとのこと。とくに仁左衛門さんは奥様とのご縁を取り持った関係もあって、お親しいようです。関西に来られた時は、必ず立ち寄られるそうです。
 そんな関係で、顔見世も良い席が安く手に入るとのことです。
 横に侍らせて?おられたご婦人に関しては、あまり芳しい印象を受けませんでしたが、まあそういう方面のご趣味は人それぞれで・・・。

次回、吾妻鏡の講読につき

No.3750

 次回の『吾妻鏡』講読会ですが、吾妻鏡の講読は一旦お休みにして、久しぶりに岩田の当番で古文書を読んでみたいと思います。

 日時:5月16日(月)・15時半~
 場所:共同研究室
 内容:古文書の読解(主に「奉書」形式の文書を扱う予定です)

 毎度のことですが、講読にお付き合いいただける方(メンバー)も随時募集しております。

昨日の例会は充実していました。

No.3753

 昨日は『百錬抄』の講読会で、清盛の葬儀の際に最勝光院から今様の声が聞こえてきたというあたりを読んだ後、例会が開かれ、京大院MCの辻浩和君が「後白河院と都市民」という研究発表をされました。まさしく学際的且つじつに興味深い内容で、このような発表ですと歴史・国文と専攻が異なってもおおいに生産的な議論が展開できると思いました。辻君にあつくお礼を申し上げます。
 例会には久しぶりに山本兄もお出でになり、また門屋君も阪大から駆けつけてくれ、佐伯君の例の如き適切なコメント、長村君の名?司会、田中さんの間髪入れぬつっこみ、岩田師範の教育的配慮・・・等々もあって大変充実したものになりました。楽しく過ごさせていただき、ありがとうございました。
  
 ☆ 国文学研究資料館の田渕句美子先生から、御高著『物語の舞台を歩く 十六夜日記』(山川出版社)および御高論「『物語二百番歌合』の方法」(『源氏研究』9)・「『新古今和歌集』序の成立」(『文学』4-2)・「『物語二百番歌合』の成立と構造」(『國語と國文學』81-5)・「鎌倉時代の歌壇と文芸」(近藤成一編『日本の時代史』9、吉川弘文館)、「阿仏尼の『源氏物語』享受」(『国文学「解釈と鑑賞」別冊 源氏物語の鑑賞と基礎知識』)・「歌合の構造」(兼築信行・田渕句美子編『和歌から歴史を読む』笠間書院)、座談会「源氏的なるもの」(『文学』4-4)抜刷を御恵送いただきました。
 また、国立歴史民俗博物館科研協力員の菱沼一憲先生から、御高著『源義経の合戦と戦略』(角川選書)および御高論「源義経の挙兵と土佐房襲撃事件」(『日本歴史』684)・「中世海老名氏について(3)」(『海老名市史研究』15)・「大河ドラマ『義経』を観て思うこと」(『本の旅人』5月号)抜刷を御恵送いただきました。
 田渕先生・菱沼先生にあつくお礼を申し上げます。

 >佐伯真一先生 『古典遺産』掲載の大津論文のコピー、拝受いたしました。御多忙の所、ほんとうにありがとうございました。

例会

田中裕紀
No.3754

 昨日の辻さんの発表、質疑共に本当に楽しく聞かせて頂きました。
「後白河院と都市民」と題された今回の発表が、今後どんな風に展開・発展していくのかとても楽しみです。
 例会の前に『百錬抄』の講読にも途中参加しました。仕事を始めて、研究発表を聞いたり本を読んだりする事が以前よりも楽しく感じられます。苦手な史料読みすら楽しい。何とか時間を作って、出来るだけ勉強したいと思います。

今回の義経

No.3745

 まったく恒例になってきましたね。義経ネタ。 と、いうことで、今回も悪口を書こうと思ったけれど も・・・ しかし! 悪くなかった!(今回だけは)。

 もともと今回は、清盛病に伏す→死ぬ→みんな、涙にくれる、という単純な構成ですから、変な小細工はしたくてもできない、というところはあったと思います。
 でも、平盛国邸でしみじみと酒を酌み交わしている時に発作をおこして倒れる、というのは、なかなか良い設定です。そうでもしなければ、なぜ清盛が盛国邸で死去した(これは歴史的事実)のかの説明が難しい。それから、「頼朝の首を墓前に供えろ」という清盛の遺言を時子の創作としたところも、従来の無理無体の辻褄をなんとかあわせましたね。今回のドラマの温厚で優柔不断な清盛があの強烈な遺言をどうやってするのかと思っていましたが、なんとか破綻を回避しました。めでたしめでたし。
 と、いうことで、今回は合格点。中井貴一の頼朝もなかなかサマになってきましたし。

 とはいうものの、これは今回の放映に限ったことであって、歴史的事実と比べると物足りないところがあります。それは、養和元年(治承5年、1181)閏2月4日の清盛の薨去の直前に、もうひとり、大事な人物が世を去っていることがまったく描かれていないことです。それは、その2ヶ月前の1月14日に崩御した新院・高倉上皇その人です。今回のドラマでは新院がまったく描かれていません。しかし、私が以前から強調しているように、高倉上皇こそは清盛の政権の要ともいえる人物であり、彼が崩じたことによって清盛の政権構想はガラガラと音をたてて崩れ去るのです(ところで、今回のドラマで高倉上皇を演じていたのは誰でしたっけ・・・ それほど影が薄いんですね)。

 細かいことでケチをつけると、熱を下げるために清盛のまわりに立てられていた氷柱。まったくの氷の塊ですね。氷はあってもいいのですが、冷蔵庫はないのですから、氷は板状であったような気がします。どうでもいいことですが・・・

 あと、清盛が眺めていた西八条第の「蓬壺」という蓬畑。なんか変なシーンですが、ウチの奥さんによるとやっぱり変だったようです。詳しくは彼女から聞いてくださいませ。

追記:今回の「義経」について、東京都立大学の川合康先生が好意的な評価を書いておられます。同感です。http://blogs.yahoo.co.jp/kibamusya2005/MYBLOG/yblog.html

猛き者も、ついには滅びぬ。

No.3746

 元木先生は、すっかりお見捨てになられましたが、小生は「或る人」からの要請もあることなので一言。
 史実という点から言えば、落とせないのは高倉上皇の死とともに、還都後の平家がかなり積極的に動いているという点です。まずは八条~九条末における新首都構想の実現に向けて動き出している。平盛国の邸で清盛が死んだのは、たまたま滞在していたからではなく、その新首都の中核的位置に盛国邸があったからであることは明らかです。この点については、盛国邸が九条河原ではなく八条河原に位置していたことともに、高橋昌明先生が最近の論文(↓で紹介)で指摘されるところです。
 また、宗盛が畿内近国の総官に、家人の平盛俊が丹波国諸荘園総下司職に補任されて独自の総力戦体制を構築し、それがある程度成功していた状況もドラマとはだいぶ異なります。
 清盛の遺言も右大臣九条兼実の日記『玉葉』に「我が子孫、一人生き残る者といえども、骸を頼朝の前に曝すべし」という武士の棟梁らしい恐ろしくも気迫に満ちたものであったことが伝えられていて、これは富士川合戦敗戦後の彼の態度などから考えても事実と見てよいと思います。
 なにしろ治承五年二月段階で、平家は近江・美濃の反乱軍の鎮圧に成功しており、あらたな体制作りに邁進する段階でした。
 これらの点については、ドラマに呆れてしまわれた元木先生の『平清盛の闘い 幻の中世国家』(角川書店)を是非ともお読み下さい。
 ところで、清盛の葬儀の際に、鴨川を挟んで八条河原対岸にあって後白河のいた最勝光院御所(現在の一橋小学校のあたり)から今様乱舞の声が聞こえたというストーリー構成上、好都合な事実があるのですが、これをドラマに取り入れないのは実に勿体ないと思いました。変なフィクションを考えなくても史実の中に面白い材料はゴロゴロしていると思うのですが。もっとも次回の放送に出て来るのかも知れませんね。

 もうひとつ気になったのは、鼓判官こと平知康の位置。院の近臣とはいえ、たかだか検非違使の尉が内大臣宗盛に尊大な態度をとっていましたが(大会社の社長秘書が系列会社の社長に対するがごときものでしょうか?)、あのような場面設定は可能なものかどうか、美川先生にお教えいただければ幸いです。
 ちなみに、先頃鎌倉で開かれたシンポジウムの講演において、上横手雅敬先生が在京中の義経を「後白河近臣の武官として平知康と同様な存在」と評価されたとのことで、これは一部の義経ファンにショックを招いたようです。

義経は平知康にあらず

前川佳代
No.3747

 ショックを受けた(というか逆上した)義経ファンの前川です。おそらく上横手先生がおっしゃりたかったのは、後白河院の側近でいうなら知康と同じ立場ということであったかと想像されたのですが、上横手先生の応援に駆けつけた身としては、我が耳を疑いつつ、その真意を質問してしまった次第です。冷静に考えるなら鎌倉で、しかも鶴ヶ岡八幡宮の境内で催されたシンポジウムだったので、リップサービスもあったことと存じます。他の先生方も義経には冷たく、まるで大河「義経」の鎌倉滞在中の義経をみるがごとくでした。鎌倉は鬼門です・・・
 昨日の義経では、頼朝の大倉御所の一郭に義経館が設けられてあり、頼朝の家人も「九郎御曹司」と呼んでいたところが印象的でした。上横手先生が注目されていることですが、『玉葉』や『平家物語』に頼朝と義経は「父子の契り」をなしたと出て参ります。養父子関係を結び、曹司住まいだったのでしょうか。『玉葉』には頼朝の代わりに「九郎御曹司」が上洛してくるらしいとの記事を載せており、「九郎御曹司」という呼び名であったことがわかります。次回登場の範頼は鎌倉でどうしていたのでしょう?小山氏、安達氏の近くにいたのでしょうか。
 土曜に亀岡で開催され、元木先生が基調講演された「頼政と義経」のシンポジウムでは、会場から「政子は本当に義経をいじめていたのですか?」という質問がありました。私の従兄弟からも、「毎回義経はみているけれど、本当に義経はかわいそうね」とメールがきてます。どうしてあんなに「可哀想な義経」にする必要があるのですか。
 普通に『平家物語』や『義経記』を読んだだけでも「可哀想」な人生と理解でき、判官びいきが生まれたのだから、これ以上「可哀想」を演出する必要などありません。あまりにも義経が気の毒すぎる。それゆえか、タッキーらしい義経が出てこない。対平家戦の初陣で、なぜにあのような愁いをこめた表情をせねばならぬのか。
 義経のすごさは、「可哀想」ではなくて、「可哀想」な人生であっても精一杯彼なりに生きたという証を八〇〇年を越えて残しているということです。私は、義経は逆境に負けない、もっと強く明るく、そして優しい人だと思っています。そこを強調して欲しいと願います。
 「義経展」のチケットが手に入りました。ご入り用の方はおっしゃってください。

義経展のチケット

No.3748

 前川さん、昨日は近藤好和先生ご登場の週刊誌をありがとうございました。ようやく拝見することが叶いました。また、上の書き込みで、いかに前川さんが義経に心酔されているかが、多くの方々に理解されたことと思います。前川さんの義経がらみの歴史叙述は黒板勝美著のごとしと、言われるてしまうかも知れませんよ。
 
 また、ありがたいお申し出に感謝します。
 義経展のチケットの必要なゼミメンバーは、明日のゼミ史料講読会・例会のときか研究室宛のメールで今週中に小生まで御連絡下さい。前川さんに一括して必要な枚数をお願いすることにします。
 なお、義経展では、元木先生の御講演も企画されています。できれば、その日に合わせて出掛けられたらよいと思います。

西八条殿の蓬壺。

No.3749

 タイトルの件について、山田ちさ子さんがblog「平家物語」に卓見を示しておられます。
 
 http://heike.cocolog-nifty.com/heike/

 ここに示された山田さんの御見解、これはまさしく正解だと思います。すでに趣味の域を脱していますね。
 

ありがとうございます

No.3751

わ~い。
野口先生、ありがとうございます。
ちゃんと立証できる史料を探そうと鋭意努力中です。

義経、せっかくのタッキーなのだから、もっとがんばって欲しいです。
わたしの中の義経を志垣太郎からタッキーに変えたいのですが、これでは志垣太郎のままかも。

蓬壺

No.3752

蓬壺と言えば、つぎの漢詩を思い出します。

  晁卿衡を哭す
  日本の晁卿 帝都を辞し
  征帆一片 蓬壺を遶る
  明月帰らずして 碧海に沈み
  白雲愁色 蒼梧に満つ

友人の阿倍仲麻呂の乗った帰国船が転覆し、死んだものと思った唐の李白が、その死を悼んで詠んだ「哭晁卿衡」の詩。結局仲麻呂は助かっていたのですが(^^;)
ここでいう「蓬壺」は、東の海中にある神仙の島ないし蓬莱山がイメージされていると思いますが、それを朝廷や宮殿を指すものとして利用した可能性はあるかも…、ですね。また中国との関係が深い平氏の邸宅に、この語句を用いたのは面白いなぁと思います。ちなみに『宋史』芸文志には『陶植蓬壺集』三巻・『蓬壺集』一巻という書物が載っております。

前回の義経から

美川圭
No.3737

また、義経放映の日がまいりました。
それまでに、前回分を見ておかねば、というのでいま見ています。

前半は、あほらし。
どういう風な人を対象にしたフィクションでしょうか。
千鳥と弁慶のシーン。
前には同じような義経と政子のシーンがありましたね。
作り手は、よほど、「潮騒」パクリがお好きのようで、
青春の想い出か何かがあるのでしょうか。
それとも、海辺というと、あれしか思いつかないのか。
とくに、歴史的にどうのこうのいう必要もないし。

後半。
平氏はもう負けるのが決まったかのように。ばらばらに福原を去り。
そして、頼朝は勝つことが決まったかのように、鎌倉建設。
こういう描き方というのは、もっともできの悪い小説やドラマの例です。
子供が物書きになろうとするとき、こういう風なもんを書いたら、
プロとしてはやっていけないよ。というか、才能ないからやめたら、
というつもりなのですが。この「甘い」国では、商売になるらしいですね。
ほんとうに日本は良い国です。
一回、NHKなどという大きな組織とコネができると、こんなストーリーでもいいとは。

山田先生。鎌倉建設の絵図。たしかに、あれはないでしょうね。
予定図の鶴岡八幡宮前に、若宮大路がない。
あれでは都市計画が成り立たない。

しかし、45分が長い長い。いま見ながら、これを書いています。
「ながら」でないと、見られません。この水準のドラマは。

福原と鎌倉の話がちょっとで終わり。また靜。
頼朝が「白拍子を娶るなどとは、公家やそれにかぶれた平家のようなもの」
なんて台詞。
わー、これって、もろに中世的な武士が、古代的な公家を克服するという。
何も勉強していない低次元のあたまの脚本家とつきあうのは、
野口先生のおしゃる仕事であるとはいえ、ほんとうにつらい。

いま、子供が起きてきました。
「パパ。これ見てるの」
「うん、お仕事だからね」
「じゃあ、いいや」
見たいテレビがあるみたい。
中学生に彼女にとっても、なんの魅力もないみたいです。

Re: 前回の義経から

美川圭
No.3738

暗証キーを間違えてしまい、修正ができなかった。
「義経と政子のシーン」→「頼朝と政子のシーン」
「中学生に」→「中学生の」

奥州でもうつぼ、鎌倉の靜、同じように京都に帰るんですね。
治承五年正月か。いまビデオが終わりました。
今日は清盛の死。
仲代達矢主演の新平家をもう一度見たい。
というか、子供に見せたいなあ。
歴史好きにはなってもらえそうもありません。残念。

平家の本拠・平家の鎮魂

No.3742

京都女子大学 宗教・文化研究所公開講座
  シリーズ 東山から発信する京都の歴史と文化⑦『平家の本拠・平家の鎮魂』
 
   「「六波羅」から中世を考える」
       東京大学史料編纂所助教授 高橋 慎一朗 氏
  
   「小宰相の局と「耳無し芳一」伝承―いくさ語りから江戸怪談へ―」
       京都精華大学教授 堤 邦彦 氏
  
   日時 6月25日(土)13:00~14:30・15:00~16:30 終了17:00

   場所 J525教室(京都女子大学J校舎5F・市バス馬町バス停下車 東へ徒歩約5分)

 以上、大河ドラマのコメントに代えて正式発表です。
 もちろん、大河ドラマ便乗企画ではありません。

 >佐伯先生  大津氏論文のコピーにつき、お手数をお掛けすることとなり、恐縮です。
 たいへん助かります。

Re: 前回の義経から

No.3744

 余りにばかばかしいので、今後一切のコメントは差し控えます。

25日例会の参考文献など

No.3733

 少し早いですが、今月4週目(25日)の例会に関するお知らせをしておきます。
報告:「木曽義仲再考 -源氏神話から読み直す-」(仮)

参考文献:①川合康氏『源平合戦の虚像を剥ぐ』第6章「奥州合戦」
     ②山本幸司氏『頼朝の精神史』第3章「神話復活の時代」
     ③高木信氏『平家物語 想像する語り』所収 Ⅲの義仲関連の論
     ④大津雄一氏「義仲考」(『日本文学』39巻7号 1990年)

 とりあえずこれだけ挙げておきます。広がってしまいまとまりのない発表になってしまうかもしれませんが、よろしくお願いします。
 なお、大津氏の論文は大津氏『軍記と王権のイデオロギー』に収録されておりますが、出て間もないので図書館など入っているかどうかわからないので、初出を示してあります。

いよいよ木曾義仲「再興」の時節到来か?

No.3734

 面白そうな発表になりそうで楽しみです。
 大津雄一『軍記と王権のイデオロギー』は要注文ですね。
 おそらく月曜日には、全ての参考文献の本体あるいはそのコピーを山岡さんは揃えてしまっていると思われます。なにしろ、本日、山田御夫妻が奪い合いをされたという菱沼一憲『源義経の合戦と戦略』(↓参照)は、山岡さんはすでに昨日の段階で半分以上読了、各所にサイドラインありという有様でしたから。恐るべきことです。
 ちなみに、大津先生の新著に「『承久記』の変容」は入っているでしょうか。これは、『古典遺産』36号(1985年)に掲載された論文ですが、この掲載誌が京女になくて、困っていたところでした。 
 ところで、山本君は御自身の体調の悪さを「年齢のせいだ」などとおっしゃっておられましたが、30歳にもならないうちに、そんなことを言ってはいけません。老齢でも元気な方は頗るお元気です。それにしても、健康にはくれぐれも留意してください。 

 木曾義仲については、義仲滅亡後の北陸道支配について山本君が研究を進めておられることでもありますし、山内さんもチャレンジしてみませんか?

 >岩田君  良いお店をご存じですね。小生、お酒は苦手なので、最近、喫茶店が減ったのを憂慮していたところでした。考えてみれば、勇壮な戦国大名も茶席を大事にしていましたからね。酒で意思疎通を図るというのは、戦国武将以下の殺伐な発想かも知れません。民俗学の人に叱られそうな意見ですが。

Re: 25日例会の参考文献など

No.3739

 大津氏「『承久記』の変容」が収録されているかはしっかり目次を見たわけではないので、なんとも言えませんが、各軍記作品ごとにまとめられていたので、承久記関連のものも入っているのではないかと思います。一応ネット上で発注はしてあるので、わかり次第書き込むようにします。

「『承久記』の変容」

佐伯真一
No.3741

「『承久記』の変容」(古典遺産36号)は、残念ながら『軍記と王権のイデオロギー』には入っていません。第七章の『承久記』論は、「誰カ昔ノ王孫ナラヌ―慈光寺本『承久記』考」と、「『承久記』の成立と方法―〈終わり〉の危機と〈歴史〉の危機」の二本で構成されています。
 でも、私はもとの『古典遺産』36号を持っていますので、該当頁のコピーを野口先生宛にお送りしましょう。いろいろ頂いておりますし。
 ところで、下のスレッドの美川先生等の事故報道に対するご意見、全く同感です。今朝のこちらの朝日は、一面トップで宴会云々。謹慎しろという気分的なかけ声ばかりで、しばらく身をすくめてやり過ごさせるだけでは無意味でしょうに。スレッド違いながら、これも言いたくて、口を出してしまいました。

Re: 佐伯先生

美川圭
No.3743

佐伯先生、コメントありがとうございます。
次のようなAMLメーリングリストに書き込まれた意見が、参考になります。
朝日新聞への読者欄への投稿らしいのですが、もしこういうのをボツにすると、
マスコミ自体が言論統制しているといわれても、仕方がないような気がします。

http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-May/001405.html

また、同じスレッドの次の内部告発も、参考になります。

http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-May/001415.html

理解し難い「ボーリング」バッシング

美川圭
No.3728

この数日、たいへん怒っていることがあります。

テレビのニュースやワイドショーをつけると、
どこも同じように、JR西日本の天王寺車掌区の人たちが、
事故の日に「ボーリング」「懇親会」に行っていたことが、
ひどくバッシングされています。
居酒屋でどれだけ酒を飲んだとか、
いくらつかったかまで報道されています。

なんですか、あれは。
休暇をとっている人間が、当日レクリエーションをしたことが、
あれほど非人間的な行為のように、たたかれなければならないのでしょうか。
もちろん配慮に欠けていた行動といえばいえないこともないが、
所詮、その程度のことでしょう。
褒められることではないが、あれほど批判されるほとのことでもない。
天王寺車掌区から救援に行かなければならない状況でもない。
実際にJR内で人手が足らなくなって、大いにこまったなんて報道は聴いていません。
近所の工場などの人たちが救援したのとは、別の次元の問題でしょう。

仕事をさぼってボーリングしていたわけでもない。

被害者や遺族の苦しみは察してあまりあることです。
でも、その問題をなぜ結びつけて感情的に煽るのか。
事故現場の献花台の前で、関係者らしき人々に、
「ボーリング」のことについての予想されるコメントをとる必要があるのか。

いわゆる「自粛」ということを、感情的に強要されているにすぎません。

これのおかげで、支社長が「安全対策はそこそこに」という訓辞を垂れた
という遙かに重大な問題がかすんでしまっています。

マスコミには、もっと取材すべきことが、ほかにあると思います。

さらに、今日になって、
30日ごろのゴルフとか、1泊旅行とかまで、「不適切」とされる
報道がなされつつあります。
これでは、当分JR西日本の運転士や車掌は気晴らしもできません。
それによる過労が、逆に安全運転に悪影響をおよぼすかもしれません。
なぜ、そういうところまで、考えがおよばないのでしょうか。
理解できません。

ちょっと安心

No.3730

 同じ意見の方がいるという事がわかって安心しました。
 ここ数日、数mのオーバーランや、レクリエーションへの批判が続いていましたが

 たいていのJR西日本への批判の内容は「ロボット的・マニュアル的すぎる」というものでした。ただ、ミスをおこせない、休みに遊びも行けない、というのは、あきらかにロボットになれと言っているようにしか聞こえず、矛盾を感じています。

 どの鉄道会社でも、ホームに乗車位置を表示したり、編成の両数を時刻表に記載したり、マニュアル通り定刻に運転すること、つまりはロボットとして働く運転手を、鉄道を利用する側が求めているという状況だと思います。
 新聞でも、「安全は大事だけど、復旧してくれないと正直しんどい」みたいなコメントも出てくるようになりました。鉄道は結局道具ではありますが、自分勝手すぎるように思います。

僕も・・・

No.3731

安心しました。自分のblogにこんなこと書いたら速攻で反論されたので(笑)。

僕の場合、身近に現役社員(天王寺車掌区とはモロに関係のある)と被害者(幸い無事だったそうです)がいるので、どちらの立場もわかってしまうが故に非常に心苦しいです。しかし、メディアやマスコミが世間を煽動し、必要以上に一企業を叩くのはいかがなものかと・・・。それだけ会社としての「責務」を怠った罪は深いのは重々承知ですが。

その社員の同僚は、心無い利用者から暴言を浴びさせられたそうです。それを「当然」と受け取るか、「それはないやろ」と受け取るかは人それぞれでしょうが、世間がこういったモードになってくると、「人を傷つけることを言ってはいけない」という、人間としての倫理観までひっくり返されてもそれが普通、なんて機運になってしまわないかと危惧しております。「あれだけの人の命を奪っておいて」という声を背に正当化する人もいるでしょうが、それは違う。社員も人間です。自分の仕事に誇りを持って、日々乗務に勤しんでいる社員の方々が不憫でなりません。

ちなみに、オーバーランについては明らかに“過剰報道”です。何mオーバーしようと、車両がホームにかかっていて乗降できるなら運行業務上何の問題もありません(利用者から文句は言われるでしょうが)。昔僕が乗った列車が思いっ切りオーバーランし、バックして停めようとしたらまたオーバーラン!なんてのもありましたが・・・(^^;) あと、電車の行き先表示が間違ったまま走っていた、などと鬼の首を取ったような記事を見かけましたが、そんなのしょっちゅうです。4両編成すべてバラバラの行き先を表示して走っている列車を見たこともあります(確かにアレは困ったもんだったけど・・・)。喜び勇んで記事を書いたであろう記者、レベルが低すぎます。

Re: 理解し難い「ボーリング」バッシング

No.3736

 JR事故の件、たしかにマスコミは、もう少し本質的な議論をしてもらいたいですね。
 もちろん、こんな事故が起こったときに、JR関係の行事として懇親会を開くのは非常識です。非難されるのは当然ですが、何次会まで行って、どれだけ金を使ったか、となると個人の問題じゃないのかと思いますね。
 こうした情報は、一般視聴者に反感を与え、煽情しやすいものなので、低次元なマスコミは面白おかしく取り上げるのは当然といえるでしょう。
 事故はなぜ起ったのか、会社の体質とどう関係するのか、それをいかに克服するか、また被害を受けた人たちの様々な救済は進んでいるのか、それを支援する方法はあるのか。本当に必要な情報はそうしたことだろうと思います。
 以前の震災の時、百万人以上が非難し、困難な生活を強いられている時、ワイドショーは、犠牲者の話をいかにもお涙頂戴風に仕立てて報道しておりました。
 もちろん、犠牲者に哀悼の意を表すことは結構なのですが、そうした光景ばかり流し続けるのは、非被災者に震災をショーとして見せているようで、不愉快でした。
 それより、切実な生活情報や、再建支援につながる情報を流すべきだと腹立たしく思ったことがあります。

 かつて、分割民営化された時に、利益追求、人員削減が大事故につながる、という議論がありました。もちろん、事故の原因がはっきりしないので断定はできませんが、まさにその懸念が現実のものになったように思います。どうして、マスコミはそのことに立ち返って議論しないのでしょうか。
 国鉄が解体されたのは、膨大な赤字と、強くなりすぎた労組の抑圧のためでした。
 言うまでもなく、膨大な赤字は、大赤字が当然の地方ローカル線を大量に作らせた政治家に大きな責任があります。そのことは、全く反省されておりません。
 だから、かなり廃止はしたとはいえ、今でも当時の赤字線をJR各社は抱え続けているし、無謀な新幹線建設など、民間企業になったはずのJRに大きな負担をかける政策がとられているのです。
 こうした利益と相反する「公共性」を抱えながら、「民間企業」として、利益を上げなければならない。JRが安全を犠牲にしても、利益追求に走る一因はそこにあります。まして、基盤も弱く、多くのローカル線を押し付けられた西日本が、水準の高い関西の民鉄から強引に客を奪うために、安全を軽視してでも速度を向上させ、高密度運転をしなければならないのは、当然の結果なのです。
 運転士を恐怖に陥れる日勤教育こそ、かつての労使対立、労組横暴の負の遺産以外の何者でもないでしょう。そこまでして抑圧し、屈服させないと、使用者側は安心できない、そういう労使の不信感の現れではないでしょうか。
 かつてのような、職場規律まで乱すような労組の行動も論外ですが、現在のような利益第一ゆえの、労組抑圧が正しいのか。それこそ、危険な運転を余儀なくされている運転士たちの声は上層部に届いていたのか。事故の原因として、もっと厳しく追求されるべきでしょう。
 こうした問題は、現在の郵政はもちろん、「独法化」という名目で、独自の収入確保を強制されている「国立大学」の問題にも通じるものではないでしょうか。
 
 単に、JRが利益追求体質だ、それがけしからん、モラルも低下していると、うわべをあげつらっても問題の解決にはつながらないでしょう。信楽鉄道の事故や、救急隊員死亡事故のときに、マスコミがもっときちんとJRの責任問題を追及していたら、今回の事故は防げた可能性は高いと思います。
 
 あの快速の前の3両が同志社前行きでした(後ろ4両は松井山手で切り離し)。同志社前の改札は1両目が最寄でした。同志社関係者が多く犠牲になったのはこのためでした。
 子息の車より、電車が確実と、電車を信頼した婦人が犠牲になったとのこと。その信頼を裏切られた無念さは如何ばかりのことでしょうか。
 電車でこのような事故に遭うことなど、想像することもせず、普通に家を出た人たちが惨い運命に巻き込まれ犠牲になったことを思うと、今でも憤怒と涙を禁じることがせきません。
 なくなった方のためにも、鉄道の死亡事故は、もう二度と起こさないように、国家を挙げて根本的に取り組んでもらいたいものと思います。そして、マスコミこそが、その中で大きな役割を担う存在であることを、厳しく自覚してもらいたいと思います。

内輪の話も含めて諸連絡。

No.3723

 数江教一『源義経』(アテネ新書)、流石にすぐ売れてしまいましたね。

 >岩田君・山本君  月曜の『吾妻鏡』、よろしくお願いいたします。水曜の例会の司会は長村君にお引き受けいただきました。

 >京都女子大学の学生のみなさん  月曜の『吾妻鏡』(毎週)と水曜の『百錬抄』(隔週)の講読会には、とくに京都女子大学のみなさんの参加をお待ちしています。卒論で苦労している(しそうな)方も、ぜひどうぞ。毎回参加できなくても構いません。

 >田中さん  本日、お馴染みの「わびすけ」にて、久方ぶりに「これもり」にチャレンジし、見事成功をおさめました。山岡さんが記録写真を撮影して下さっております。

 >山田ちさ子さん  まだ、「小山さん」だった頃、小山さんだったか大森さんだったか、壬生狂言に行って手に入れられた蜘蛛の糸の固まりを、あの二条城の北にあった「平安時代史事典編集室」にお持ちになられたことを覚えております。千本ゑんま堂でも、GETされたとのことで、おめでとうございます。

 >明日、時間のある人へ  野口君お誘いの愛知県立美術館のほかに、亀岡で元木先生の御講演があることもお忘れなく。小生はGWのおかげでかえって仕事がたまってしまい、残念ながら行けそうにありません。

Re: 内輪の話も含めて諸連絡。

No.3724

 書店から確認のメールが送られてくるまで書き込むのを控えておりましたが、数江教一『源義経』(アテネ新書)入手に成功いたしました。その古書店のメルマガも読んでいるのですが、気付かず掲示板での情報なくして入手は不可能でした。野口先生ありがとうございました。
 先日のみやこメッセが空振り気味だったのですが、これで取り返しました。先日教えていただいた義仲関連の本も無事ネットで発見し入手できました。
 
 今月4週目の例会ですが、通常通り水曜日(25日)でお願いしようと思いますのでよろしくお願いします。参考文献等はまた書き込むように致します。

木曾義仲は、研究の余地、大いにあり。

No.3725

 おっ!門屋君が「犯人?」でしたか。見事です。あの本屋さんには、時にとんでもない掘り出し物があります。

 ところで、木曾義仲ですが、先日お教えした二著のほかに、歴史学の最新の論文として、菱沼一憲「木曾義仲の挙兵と市原・横田河原の合戦」(『群馬歴史民俗』25)があります(ここで恐縮ですが、菱沼先生に抜刷御恵送の御礼を申し上げます)。
 さすがに、研究熱心な山岡さんは、木曾義仲研究が手薄なことに目をつけられ、既にこの論文のコピー入手について御下命をいただいておりますので、門屋君の分も御用意させていただきたいと思います。
 なお、25日の門屋君の例会発表の司会は、いうまでもないことですが、田中さんにお願いいたしますので、宜しくご承知おき下さい。

近況色々

田中裕紀
No.3726

>野口先生
 わびすけの写メール、しかと受け取りました。
体調不良(名誉の為に言っておきますが、遊びすぎではありません)で仕事をした帰りのバスの中でメールを受け取りました(山道なので、体調不良の折にはかなりこたえます)。
満足げな野口先生のお顔に癒されました☆

>門屋くん
 さすがに抜かりない事で。野口先生から司会を仰せつかりましたので、当日はどうぞよろしく。
発表を聞かせてもらうのは久々ですから、楽しみにしておりますよー

維盛入水

山岡 瞳
No.3727

今日初めて噂に聞く維盛をみることができました!!絶妙なバランスで、しっかりと写メールに納めさせていただきました。

百錬抄ですが、範囲は養和元年二月~九月です。担当は山岡です。よろしくお願いします。

>野口先生
お手数をおかけし、すみません。先生がお持ちでなければ複写依頼をしなければならないところでした。

今回はぬかりなく

No.3729

>月曜の『吾妻鏡』 野口先生のご案内のとおり、どうぞいろんな方のご参加をお待ちしております。山本さん、もう元気ですか。

>野口くん 先月は京都にお忍びでおいでとのこと。水くさいなぁ。僕の居る・居ないにかかわらず、どうぞバイト先にも遊びに来てください。
 よその宣伝ですが、南座の隣の〈鼓月〉の喫茶室〈華心〉はいいお店ですよ。季節の和菓子や、とても上品なお善哉などがいただけます。
  http://www.kogetsu.com/sabou/#01
 愛知県立美術館の宣伝もありがとう。うちの母も言ってましたが、京都では中京(ちゅうきょう)地域の情報が意外なほど入ってこないのでありがたいです。愛知万博よりよっぽど興味をひかれますね。

>門屋くん 例会の場でお話しを伺ったのは、確か昨年の公開講座の事前学習会だったと思います。次回はどんなお話しが聞けるのか楽しみにしてます。
 

源義経の合戦と戦略

No.3732

野口先生 覚えていますとも♪
そのときの話を、えんま堂でも田中さんにしていました。

今日は、亀岡の元木先生のご講演、聴講してまいりました。
たいへん勉強になりました。ありがとうございました。

その帰り、本屋さんで菱沼一憲先生の角川選書から出たばかりの『源義経の合戦と戦略 その伝説と実像』を入手しました。
野口先生に教えていただいた、「源義経の政治的再評価」「源義経の挙兵と土佐坊襲撃事件」を読んでいたので、中身を見ずに速攻でレジに走りました。
ダンナさんと取合いっこして読みはじめています。

新年度が始まり、吾妻鏡、百錬抄の講読、楽しみにしています。
門屋さんの発表も楽しみです。
岩田さん、先日は欠席してしまい、すみません。

Re: 内輪の話も含めて諸連絡。

No.3735

  山田さん、ご来聴頂き、誠にお恥ずかしい限りです。本日は年配の方が多かったようなので、「速射砲」にならないように気をつけたつもりですがい如何でしたでしょうか。
 多少(かなり)余談が多くなりましたが、時間は1時間ぴったり。よかったのはそこだけかもしれませんが・・・。
 菱沼氏が本を出版するなら、義経論を大きく展開させた宮田敬三氏にこそ、出版をしてほしかったと思います。「ほしかった」と「過去形」で書きましたが、もちろん、これからお書きいただければ、大いに結構だと思います。もちろん、多少売れ行きは落ちそうですが・・・。
 氏の見解は、『吾妻鏡』に依拠した通説を根本的に再検討し、厳しい史料批判を通して、義経の行動を全面的見直した内容だけに、インパクトは極めて大きなものがあると思います。
 石浜さん、如何でしょうか。彼の書いたものは間違えなく面白いと思います(ご本人は訥弁で、直接お話しすると頼りなさそうですが・・・)。

 本日司会をされた上田正昭先生とは、『亀岡市史』の会議以来、一年ぶりにお会いしました。かつては万年青年を謳歌された上田先生も、さすがに老けられた、という印象をぬぐえませんでした。ご体調も思わしくないとのこと、十分休養されて、一刻も早く回復されますようにお祈りいたします。
 余談ですが、当方が大学一年の時の一般教養の国史学の講義でのこと、先生いわく「教科書に指定した私の本(小学館日本の歴史2『大王の世紀』)をまだ買っていないものがいるようだな。もう、買わなくてよい。売れすぎて税金が高くなって困るから」。
 物書きたるもの、死ぬまで以一度そんなことを言ってみたい・・・。

 本日、宮津の資料館より図録を頂きました。
 これを拝見しますと、展覧会は誠に素晴らしい内容で、まさに丹後の中世史料が一同に解する観があります。
 また、中世に限らず、古代史料も海部氏系図、丹後の古墳出土の青銅鏡、木簡など充実した内容で、古代に関心のある方にも、ぜひ参加していただきたいと思います。
 
 

愛知県美術館特別展のお知らせ

No.3720

本日愛知県美術館特別展「自然をめぐる千年の旅」をみてきました。当初僕は万博の便乗ものだからたいしたことないんじゃないかと思いあまり期待してませんでした。ところが実際行ってみてビックリ。第一室から信貴山縁起絵巻、法然上人絵伝、円伊筆一遍聖絵断簡など国宝重文のオンパレード。さらに狩野正信周茂淑愛蓮図、横山大観生々流転、円山応挙牡丹孔雀図、雪舟天橋立図など通常ではありえない程の名品が一堂に展示。他にも周文から池大雅、浦上玉堂、富岡鉄斎に与謝蕪村、酒井抱一に伊藤若冲、司馬江漢に谷文兆、渡辺崋山。挙句は葛飾北斎、歌川広重に岸田劉生、黒田清輝まで幅広い時代のそれぞれを代表する山水関連の傑作が展示されており、こうして作者名を挙げるだけで酔ってきそうなくらいです。また狩野秀頼高雄観楓図屏風、黒田清輝湖畔など教科書などでおなじみの作品も多数展示されており見所満載な展示です。
ただ残念ながらこの展示は今週日曜までなので興味のある方はお急ぎ下さい。係りの方の話では今回は万博協賛の特別展なので、今後巡回は一切しないそうです。おそらくこれほどの名品が一堂に会する機会も滅多にないと思うので、もし山水に少しでも関心のある方は是非お越し下さい。名古屋まで行くのは面倒かもしれませんが、絶対にそれだけの価値はあると思います。僕はあと二回程行く予定なのでもしご要望があれば案内もしますので是非是非名古屋まで足をお運び下さい。週末の予定をキャンセルしてでも行く価値はあると思いますよ。
本当はもっと早くにお知らせできればよかったのですが、こんな会期末に本当に申し訳ありません。僕もなぜもっと早く行かなかったのか後悔の念でいっぱいです。図録を見ながらなめてた自分を非常に腹立たしくまた恥ずかしく思います。
最後にしつこいようですが本当にいい展示だと思うのでもし少しでも時間に余裕のある方は是非名古屋までお越し下さい。絶対後悔させません。