Re: 軍記と語り物大会
長村祥知
No.374
大津雄一先生、さらに山本幸司先生までとは!!
さすが軍記と語り物大会ですね。
野口先生が国文学の研究会が楽しいと仰っていますが、私も大いに同感です。自分の研究テーマが中世前期の史学史・政治思想史・文化史といったところなので、国文学の成果を大いに吸収したいと考えております。
もちろん歴史の研究会も楽しいので、武士論からも目が離せませんが。今は別々の方向性ですが、いずれ両者を融合した研究がしたいです。まずは最初の一歩(卒論)からですね。全然書けていない・・・
今年は行く余裕がありませんでしたが、来年からは、大会に行きたいです。
もう一言。
野口実
No.375
源先生にもお目にかかりました。それから、このHP、予想以上に多くの方が御覧のようです。
武士論と言えば、『日本史研究』最新号に、高橋昌明『武士の成立 武士像の創出』にたいする元木先生の書評が載っています。必読です。
あぁぁぁぁ曽我物語・・・
No.376
曽我物語のシンポジウム・・・それに行きたかったのですよ!!
『曽我』も色々な切り口がありますから(まあ、何をとっても切り口は色々なのですが)、まだ手をつけるには至りませんがかなり興味があります。更に、そのシンポジウムで私を国文学に引きずり込んだ(笑)恩師(二本松氏)がコメンテーターとして参加されていたのもあって、行きたかったんですけどねえ・・・。また月曜日に感想を聞かせてください。
Re: 軍記と語り物大会
野口実
No.387
長村君には、歴史学ガチガチの研究会で、大いに荘園の構造などを勉強していただきたいのです。若者は本末を大切に・・・とは、小生の勝手な言いぐさです。大津先生の御研究からは学ぶべきもの多大です。同志社のみなさんの大先輩たる佐伯先生も凄い。
今回の大津先生の御報告には、ベンヤミンとかウェーバーら「西洋人」の名が続々と登場。「これが「国」文学かよ」、と腹の中で叫びつつ、なにやら1970年頃の学生時代のような興奮に襲われて、実に面白がって聴いておりました。権力論・暴力論という「武士論」にたいする新鮮な視角を提示していただいた感があります。
二本松先生が田中さんの恩師とは?御報告は東国の在地に密着したお話で、これも在地領主=武士の図式で勉強をはじめた小生には親近感を覚える内容でした。山本先生の御報告は、ゼミの史料購読に
参加した方たちに是非聴いて貰いたいものでした。在地における一族間抗争の背景にある家族関係の諸問題が想定できて、より具体的に当時の社会が理解できたことと思います。そのうち、受け売りのお話をしたいと思いますが。「こういうことが国文学の世界でも議論されているのなら、国文学専攻でも良かったかな」などと(もう一つ別の理由も含めて)一瞬反省したりしております。それで、鈴木彰先生にお願いして「軍記と語り物研究会」の会員にしてもらいました。
今日の田中さんの先輩の琵琶のお話。この手の話は私には実に理解しづらく、「やはり人には得手不得手がある」と自分で納得することにしました。
それにしても、本日、帰りの新幹線は大混みでした。
長村君、資料は後日コピーして差し上げましょう。
田中隊長、諸本の対照の結果、「兵藤本」の記述は史料価値が低かったと言うことになるのでしょうか?
山田ちさ子様、書き込みありがとうございました。当ゼミの管理人の永富さんが平安京探偵団とリンクをはりたいと希望しておられますので、交渉に応じていただけますよう。
二本松氏について
田中裕紀
No.388
二本松氏が立命館の助手だった頃、バイトでされていた(今もですが)予備校の教師(国語担当)の生徒が私でした。高校生相手に「清水寺参詣曼陀羅」なんかを持ってきて絵解きをしたり(しかも結構専門的な内容で)、その後中世に於いて清水参詣がどういう意味合いを持つかを講義があったりとか、中世の参道である松原通から清水寺を参詣する実地踏査をしたり、その帰りに建礼門院が落飾したとされる長楽寺に連れて行ってもらったり(今思うと、あの時から建礼門院とは深い縁があったのかもしれません)・・・あとは、古典の授業のおまけとして、『平家』の諸本関係も教えてもらったりしました。加美先生のゼミに入るように言ったのも、大学院入学と同時に伝承文学研究会に紹介してもらったのも二本松氏でした。私が国文学専攻で軍記を勉強しようと思ったのは二本松氏の影響がかなり強いです・・・というわけで「恩師」と呼ばせて頂いております。同じく二本松氏に予備校で国語を習った姉は全く影響を受けなかったというのに。同じ環境で育ったのに、兄弟というのは不思議なものです。
それにしても二本松氏といい、野口先生といい、加美先生といい・・・本当に、自分の好きなことに関しては「出会い運」が良いようです(^v^)
さて「兵藤本」ですが、もしかしたら兵藤先生が聞き間違えられたのかなーーーーなどと思っております。・・・こうやって『平家』にも諸本が出来ていったのかと思うと嘆息が出ますが(_ _;