『歴史に見える義経』の御案内

No.3413

毎日文化センター講座の御案内を再掲します(もう一度くらいする予定です)。

     『歴史に見える義経-判官びいきの背景-』
 平氏追討にあたって、武将としての天才を発揮した源義経は、後に兄頼朝にうとまれ、奥州・平泉で悲劇的な最期を遂げました。義経を愛惜する人々の心情は「判官びいき」を生み出しましたが、それだけに義経については伝説的な部分も多い。講座では、義経の生涯について真実と虚構との別を明らかにしていきます。
 【開講日】第2・4火曜 15:15~16:45
 【会場】毎日文化センター(大阪梅田・毎日新聞ビル2F)
 【講師】京都大学名誉教授・皇學館大学教授 上横手雅敬 
      京都女子大学教授            野口 実
 【内容】4/12,26 義経についてのさまざまな見方(上横手)
     5/10,24 平治の乱後の政情と雌伏期の義経(野口)
     6/14,28 義経の合戦と政治(野口)
     7/12.26 後白河・頼朝・義経(上横手)
     8/ 9,23 逃亡する義経とその支援者たち(野口)
     9/13,27 「判官びいき」とその背景(上横手)
 
 申し込み・お問い合わせ 毎日文化センター (お早めに)
Tel:06-6346-8700
Fax:06-6346-8703
E-mail:info@maibun.co.jp
URL:http://www.maibun.co.jp/
 
☆ 源義経について、その人物、背後の政治・社会情勢について、現在、世界中で一番理解されておられるのが上横手先生だと思います。義経ファン必聴!
 のみならず、史学・国文専攻の方たちにも広くお勧めいたします。

また『義経』です。

No.3400

 この掲示板に書かれた、大河ドラマ『義経』に対するコメントをもとにして、さらにコメントを付したサイトのあるのを見つけて驚くとともに、これはいい加減な発言は出来ないと思い、今日は放送前に今までの放送で気になったことを先に述べておきたいと思います。
 ① 元木先生が講演会で速射砲のように指摘されたように、制作者に中世前期の各層における女性の存在形態に関する認識に欠けるところが大きく、近世・近代的な日本女性のあり方が再生産されている。あるいは、意図的にでしょうか?
 ② 「武士」と「貴族」に対する理解も同様の旧態依然たる認識に基づいていて、それに立脚することによって、実は大変面白くできるはずのストーリーを単純化している。これもまた、あるいは意図的にでしょうか?

 これらは、大河ドラマが国民の歴史認識を形成する上で、あるいは学校教育以上の威力を有している現状を踏まえるならば、いささか問題とせざるを得ません。
 なにしろ、この国では高等学校で自分の国の歴史が必修科目になっていないのですから。
 
 義経の家来については、みなさんの言われるように、桃太郎・三蔵法師や水戸黄門の家来を思い出してしまいます。
 伊勢三郎は、実在が確認できて「侍身分」を有した存在と考えられるますし(拙著『武家の棟梁源氏はなぜ滅んだのか』参照)、金売り吉次のモデルは、当時、列島規模の遠隔地交易に携わっていた摂関家あるいは院の御厩舎人であることが五味文彦氏によって指摘されているのですから(同氏「日宋貿易の社会構造」参照)、ちょっとやり過ぎという印象をもっています。

Re: また『義経』です。

No.3402

こんばんは

>これらは、大河ドラマが国民の歴史認識を形成する上で、あるいは学校教育以上の威力を有している現状を踏まえるならば、いささか問題とせざるを得ません。
とのお話ですが...実際に影響を与えている例を見つけてしまいました。

アルバイトの関係上、同志社香里中の過去問を数年分のぞいていたのですが
 社会の問題で、大河ドラマのタイトルとテーマ・時代と放映年における主な出来事を表に示して、虫食いの穴埋めという形式で出題されていました。
 もちろん、ドラマの内容に関する出題では無いですが、このような形で取り上げられるとなると、小学生や中学生の受験生達もニュース同様に大河ドラマを見なければならない状況だとも言えると思います。

 確かに、大人からみれば「おもしろい問題」ですが、受験する彼らにとってはシャレにならないので難しい所ですね。

 P.S.福岡・佐賀の方で大きな地震があったようですが、野口ゼミ関係者にも震源地近辺にお家があるという方もたくさんおられたと思います。大丈夫でしたか??
 松山市内の友達にきくと、愛媛でもかなり揺れたとの事でした。(NHKでは、80周年記念番組をずっとやっていましたが...)

Re: また『義経』です。

No.3403

なんと、母校がそんな入試問題を・・・(^^;)
社会科の先生方は個性的だったからなぁ。

小学生時代に通っていた塾の先生は「大河ドラマを見て勉強しよう」
なんて言ってたような気がしますが、果たしてちゃんとした歴史認識が
あっての発言だったのかどうかは定かではありません。

香里の歴史の先生にはテレビ番組の歴史認識に電話で抗議した、なんて
誇らしげに言ってた人もいましたが・・・ねっ、門屋くん!(笑)

「ほうじゅうじでん」は困ります。

No.3404

 今日の放送は、「ドラマはドラマ」と雲の上から高みの見物というわけにはいきませんでした。
 ドラマがはじまる前の「解説」?で、「家人と家礼」の説明がはじまり、「おっ、佐藤進一説の紹介」かと思いきや、「家礼には恩賞がないが複数の主人に仕える権利があり、家人は一人の主人しか仕えられないが恩賞がもらえる」というような変な解説がされていたと小生には受け取られたのですが如何でしたか?これは、マズイのではないでしょうか。明らかに嘘でしょう。
 そのうえ、ドラマでは、あの気持ちの悪いナレーションで「ほうじゅうじでん」とやられては堪りません。これから、講演や授業で「法住寺殿(ほうじゅうじどの)」と話すと、かならず「先生、それは『ほうじゅうじでん』と読むのではないですか」という人が出てきて、「いや『ほうじゅうじどの』です」と答えると、疑わしそうな目つきで「でも、大河ドラマでは『ほうじゅうじでん』って言ってましたよ」・・・という場面が想定される訳であります。なにしろ、NHK大河ドラマの権威はたいそうなものなのです。
 ところで、山田先生も同志社香里の御出身でしたよね?

 ★ 北九州の地震ですが、福岡県の平田さん・笠(旧姓)さんの御実家、佐賀県の田中さんの御親戚やゼミ旅行でお世話になった小城市の方々のことが心配です。
 大丈夫だったでしょうか?

不可!

No.3406

 野口先生、お怒りはごもっとも。家人・家礼の解説は全く話になりません。
 最近は見るたびに腹が立つので、見るものかと思っていたのですが、本日の『義経』、たまたま食事と重なり、最初から見たところが、あの珍妙な「家人」と「家礼(来)」の解説。ドラマの中なら、所詮はフィクションですから多少でたらめも許されますが、今回は冒頭の解説ですから、いい加減な解説は許されないはずです。
 仮に試験で、家人と家礼について本日のように説明した答案があれば、ためらわずに不可をつけます。こんな誤謬がどうしてまかり通るのでしょうか。
 どこの馬の骨やら分からんということになっている義経の従者連中が、どうして主君に対し自立的性格を持った「家礼」なのでしょうか。「家礼」は同盟軍的であるがゆえに、主君から尊重されるのであり、恩賞ももらえないとは、よく言ったものです。 
 大河ドラマの国民に対する影響力を考慮すると、由々しき事態です。
 
 また、鹿ヶ谷事件では、重盛が法皇処罰を言い出すとの事。『平家物語』で周知の挿話をどうして珍妙な形にデフォルメするのか、やはり意味が分かりません。
 今回のような事態を目の当たりにすると、毎回きちんとチェックする必要があると思い直しました。
 それにしても、『義経』、回が進むにつれてだんだんひどくなるようです。
このような無法がまかり通るなら、もう受信料は払いません!!

10時からの再放送

No.3407

 やっと見れました。
 そして「ほうじゅうじでん」には、音速でツッコミを入れました。「清涼殿」「紫宸
殿」の並びだとでも思っているのでしょうか?
 そして時子の「もしも姫が生まれても、私は男として育てます」というような発言には
「んんん??」と。嫌な予感がしてきました。まさか「姫」として生まれてきたり・・・
しませんよね?
 義経周辺の話では、えらく軽装で船に乗り込んだうつぼを見た母が「こんな軽装でいい
の?」と怪しんでいました。更に、うつぼを見送る人たちを見て、平安時代の人たちは手を振るときには前後に振っていたの?と。ぜひ先生に聞いて欲しいそうなので、書いておきました。

 今朝の地震、佐賀県に住む祖母にすぐ連絡をしたところ、幸いにも「こけし」が二つ倒れただけで済んだようです。この地震で祖母が得た教訓は「こけしは高いところに置いておくと危ない」まるで落語のような祖母です。ご心配ありがとうございました。

Re: また『義経』です。

No.3408

 皆様、こんばんは。
 田中さんおっしゃる通り、松坂慶子さん演ずる時子さまのセリフに仰け反りましたね。何を言い出すかと思ったら、「もし姫宮ならば、男の子として育てる」って・・・ オイオイ、このドラマ、それで押し通すつもりじゃねぇだろな・・・
 確かに、安徳が実は男子ではなく女の子だったという「俗説」はありました。出所は『平家物語』(巻3、公卿揃)に、「后が御産の時には御殿の棟より甑<コシキ>を落とす風習がある。皇子誕生の時には南へ、皇女誕生では北へ落とす。それが、安徳誕生の時には最初に北へ落とし、あわてて南へ落とし直した」という記事です。
 無責任な江戸時代の連中はこれを囃し立て、まことしやかに安徳=女性説を言いふらしました。川柳には「檜扇子<ひおうぎ>の 御手を清盛 笏にさせ(女の子の持つ檜扇を、男の子用の笏に無理矢理持ち替えさせた)」、「人の見ぬ 方へ二位殿 ししを遣り(時子は安徳におしっこさせるのに、人の見ていない方にさせた)」などというのが残っています。(いささか品のない話ですみません)。
 でも、それでこのドラマを作ってしまうと、たぶん収拾がつかなくなるでしょうね。でも言い出してしまったからには、まったく意味のないセリフにするわけにもいかないだろうし・・・ どうするんでしょうね?

 ただ、平家の女人がみんなで泥塔を作っていたのは、ちょっと面白かった。モデルは六波羅蜜寺の本堂下から出土した泥塔群(国指定重要有形民俗文化財)かな? 六波羅蜜寺のよりも少し大きめに見えましたがね。ただ、どっちかというと「円塔」(空飛ぶ円盤のような形の土製品で、緑釉をかける)の方がふさわしいような気もするんですが・・・

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野口先生、ご明察の通り、同志社香里高校は私の母校です。

毎週楽しみにしてます

重政 誠
No.3409

ご無沙汰しております。学習院の重政です。
毎週日曜更新のこのコーナー楽しく勉強しながら拝見させていただいております。
数日前、田中さんにもその旨伝えた所なので、今回は初めてコメントを。

嗚呼.....「安元御賀」!青海波を舞うのが維盛と資盛だなんて.....。
成宗とは言わないまでも、せめて隆房あたりでお願いしますよ......。
私、そのあたりの論文をこの前書いたばっかりなので非常に気になりました。
摂関家を押しのけて平家二人で青海波を舞えるほど、平家の権勢が強かったと言う事でしょうか?
『花揃』が使われてたのは面白かったですけどね、変な所でマニアック!

野口先生、次回の平家物語研究会を楽しみにしております。

完全に、出遅れました

美川圭
No.3410

義経10:00からのBSで見たのですが、出遅れて、冒頭の解説は未見です。

ばかばかしいので、今日借りてきた
名匠山本薩夫監督の『白い巨塔』(田宮二郎主演)のDVDを見始めたら、
とまらなくなり、さっき見終わったところです。
原作は、続編が蛇足ですが、この映画は、財前勝訴で終わります。
はじめて見たのですが、傑作です。原作を凌駕する映画といえましょう。
俳優もすごいです。こんなにすごい俳優が昔はいたのか、と改めて。

ということで、義経評に完全に出遅れました。
というより、ああいう映画を見た後だと、
義経のような学芸会並みのドラマ(小6娘の評)はもういいということで、
今回はコメントなし。

老人の繰言?

No.3411

 美川先生、『白い巨塔』の映画をごらんの由ですが、あれはテレビと異なり、短い時間にストーリーが凝集されているだけに、緊張感と迫力のある作品でしたね。
 田宮はまだ若いのですが、財前のぎらぎらした野心をよく表現していたし、医学部長の狡猾で小役人的ないやらしさを見事に演じた小沢栄太郎、学者馬鹿を絵に描いたような大河内役の加藤嘉は、ともにのちに78年の田宮版のテレビでも同じ役を演じただけに、まさに当たり役でした。
 ただ、里見の田村高広は、善人ではあるが弱弱しい感じで、78年の山本学に及ばなかったように思います。
 しかし、映画の出演者で白眉は、やはり東大船尾教授役の滝沢修でしょう。
 東教授(東野栄治郎、名優だがどうも水戸黄門のイメージがつきまとうようです)の後任をめぐる人事にさいして、東大系のポストを守るためになりふり構わず、耳鼻科学会会長のポストをえさに耳鼻科教授(加藤武)を篭絡しようとする裏工作も平然と行ったかと思えば、財前の医療裁判では今度は国立大学の権威を守るためと称して、突然煮え湯を飲まされた財前の弁護に回る。 
 船尾豹変の背景は、裁判後の大阪空港の場面に見事に描かれておりました。東京に帰る船尾を三拝九拝して見送る医学部長。つまり、船尾は東の後任ポストは奪われたが、財前を弁護することで難波大学医学部そのものを屈服、従属させたことになる・・・。
 滝沢は、何ともえげつない学界ボスを、たなんる悪党ではなく、社会的名士であり、堂々たる貫禄の持ち主として見事に演じておりました。あの姿と、京大の某総長が重なって見えたものです。
 
 昔の大河ドラマは、歌舞伎、時代劇映画(多くは歌舞伎の流れ)といった時代劇の型をもった俳優と、長年新劇で鍛え上げられた俳優が中心でした。だから、ドラマは品格があり、表現も芸術的でした。
 ちなみに滝沢修は、64年の『赤穂浪士』で、子供心にも恐ろしい吉良を演じ、当方恥ずかしながら本当の悪人と思い込んでおりました。それが66年の『源義経』では、まさに威風堂々として、義経には慈父のごとき秀衡を演じ、前のイメージをすっかり忘れさせてくれました。ついでに言えば、72年の『新平家物語』では、まさに権謀術数の後白河。領主制論のイメージを見事に演じきっておりました。
 近年はそういう力量のある俳優が減少してしまったこと、それに中心人物にアイドル・お笑い系の連中を多数起用して、様々な層に迎合しようとする無理が重なって、ドラマとしてのレベル低下は目を覆うばかりです。
 しかし、今回の最大の問題は、脚本のお粗末さ、とくに、清盛中心の原作を無理に義経中心に変えたために、義経周辺の珍妙な話題をかき集めなければならなくなったことも、無理が多いストーリーになった一因でしょうね。
 それに、今回の「解説」の出鱈目さからも分かるように、制作側にまともな歴史知識もないのですから、ドラマに品格とリアリティーが欠如するのも当然でしょう。NHKの杜撰さには呆れるとともに、憤慨を禁じえません。
 『その時歴史が動いた』の制作姿勢といい、あまりに学問を軽視してはいないでしょうか。
 受信料を制作に使わず遊興に使った結果でしょうかね。

義経にもマツケンサンバを

美川圭
No.3412

往年の名画といったら、この人、という元木先生。
白い巨塔劇場版についての詳細な書き込みどうもありがとうございます。

アマゾンの書き込みなどを見ると、この映画はヒットしなかったようで、
これが一つの原因で大映が倒産に向かったとのこと。
田宮二郎の大映内での評判が悪く、宣伝がろくになされなかったとか。
その辺の事情の真偽は、私にはよくわかりません。

でもこの映画(というか山本薩夫の作品が)、社会派作品といわれていますが、
私は非常に良質な娯楽大作だと思います。
人物は、大多数の悪人と、里見のような弱々しい善人とではっきり区分けされてます。
それぞれの人物の内面描写なんて、ほとんどなきに等しい。
そのなかで、田宮が1回目の教授会投票のあとにみせる、ガラスのような弱々しい内面が印象的です。あれ演技に見えません。こちらが田宮の最後を知っているからかもしれないのですが。あれだけの名優のすごい演技のなかにあって、若い田宮の迫力。私のようなクイズ・タイムショックの田宮の印象が強い人間にとっては、衝撃的です。いやあ、語り継がれているだけあります。

うちの家内は、手術や解剖シーンがあまりにリアルでいやだ、と目をそむけました。私は、あれは白黒ゆええがけるので、カラー作品だったら、撮れないんだと妙なところで感心しました。しかしそんなところが拒絶反応をよんだ可能性もあります。

それから、小川真由美の愛人は、あまりにも薄っぺらで嫌ですね。その後のテレビリメーク(田宮主演)では太地喜和子。どうなんだろう。ここだけはやはり、最近のテレビ版での黒木瞳がいい。たしか原作では医学部出身(中退?)のマダムという設定だったはずです。黒木瞳はあれだけ貧弱な体でしかも知的なのに、演技でエロスを見せられる希有の女優です。小川も太地もむっちりで痴的ではあるが、あまり知的な感じではないので、ここはかないません(といっても太地喜和子の愛人よく覚えていませんが)。

それにしても、この映画を見ると、滝沢修がどれほどすごい俳優かが実感できます。
最後の裁判での証言から大阪空港までの存在感、思わず笑ってしまうほどです。
私、なんども滝沢の舞台をみたのですが、私が未熟だったのか、うまいうまいといわれるほどに、舞台上ではそれを実感できたことがありませんでした。

最後に、義経についてちょっと。
せっかくマツケンが出ているんだから、
毎回、どっかで「突然・マツケンサンバ」を入れると視聴率あがるのにな。
今回でいえば、だれきった義経とうつぼの学芸会シーンの間とか。
あるいは、おざなりの鹿ヶ谷事件の最中に、脈略なく突然とか。

娯楽だったら、もっと視聴者楽しませなけりゃ。
今回は、どのタイミングでマツケンサンバがあるか、
と少なくとも根が不真面目な私は期待します。

実は去年の末の紅白、マツケンサンバだけ見ました。

地震のこと

平田樹理
No.3415

野口先生>ご心配ありがとうございます。
昨日は地震発生から二時間近く実家と連絡がとれなくて心配しましたが、家族・家ともに何事もなかったようです。
ただ、余震はずっと続いているらしく(二十分前にも震度三のものがきたようです)、皆不安気に過ごしています。
九州北部は百余年ほど大規模な地震はなかったので(私自身も地震の体験はほとんどありません)、今回の地震は本当に驚いています。

ゼミ関係者にたいする御礼と御連絡です。

No.3397

 >永富さん  謝恩会でいただいた薔薇の花は、大切に持ち帰って玄関に飾ってあります。ありがとうございました。記念品をお渡しいただいた服部さんにも宜しくお伝え下さい。
 このゼミにおいて永富さんの果たした役割は、とてつもなく大きいものがあり、小生としても感謝するところ多大なものがあります。卒業されて相対的に近くにおられなくなるのは残念ですが(でも、まあご近所ですよ)、ゼミメンバーであることは変わりなく、今後ともなにとぞ宜しくお願いいたします。
 さらにこれからは、京都文教中学・高校で、永富さんのように賢くて、センスが良く、しかも行動的な生徒をどんどん育ててください。永富さんの教え子が当ゼミを担う時代の来ることを楽しみにしています。

 >高重久美先生  御高著『和歌六人党とその時代』の御上梓、おめでとうございます。また、当方にまで御恵送にあずかり、恐縮いたしております。まことに、ありがとうございました。また、お暇な折、見学会・例会などに御参加下されば幸いです。
 この高重先生の論文集には「後朱雀朝歌会を軸として」という副題が付せられておりますが、われわれ武士論を専攻する者にとっても、摂津源氏に関する詳細な追究におおいに蒙を啓かれるところがあります。古典文学の老舗である和泉書院からの刊行です。

 ☆ 24日の宇治史跡見学会の参加者の確認です。
  元木先生・美川先生・山田先生・植村先生・野口先生・山田さん・長村君・山岡さん・平田さん・門屋君・田 中さん・末松さん
から、参加の申し込みをいただいています。植村先生は神戸学院大学で国文学を教えておられる植村真知子先生で、今回初参加です。永富さんと鈴木君も研究室で参加の御意向をうかがったような気がするので、含めておきますが、そのほかで参加希望を伝えたのに名前がないと言う方がおられましたら、ご面倒をお掛けしますが、メールでお知らせ下さいますようにお願いいたします。

24日の宇治歴史散歩の参加者確定。

No.3405

 宇治歴史散歩の参加者が確定しました。バイトがあって無理なのかなぁと思っていたゼミ代表の山内さんからも申込みがあって、小生も含めて総勢14名と、ほとんど「お疲れ様会」参加者と同数に近くなりました。
 尻池さんは帰省中でしょうか?よかったら、どうぞ。
 宇治の歴史資料館では渡辺貴代さんが紹介してくださったおかげで、白川金色院などの発掘調査を担当された浜中邦弘さんから、直接、お話をうかがえるかも知れません。
 
 ☆ ところで、23日の午後に研究室で24日と27日の見学会資料の印刷をする予定なのですが、もし暇のある方がおられましたら、ぜひ援軍をお願いいたします。

ありがとうございます

No.3416

野口先生>お礼が遅くなりすみません。
教習所をなんとか三月中に終えるべく毎日朝から晩まで車に乗っているため最近家に帰るとパソコンの前にすわる気力がなくてすぐ寝てしまうのです☆
今まで授業がないのをいいことにぼーっと夜更かししたりしてついてしまった怠け癖を四月までにたたきなおすには絶好の機会かもしれません(笑)
ただ忙しすぎて授業のネタづくりがまったく進んでいないのが心配なのですが・・・☆

あらためまして卒業式・謝恩会の日はありがとうございました。
その時の写真が印刷できましたのでまたお渡ししたいと思います。
私自身が「賢くて、センスが良く、しかも行動的」かというとちょっと持ち上げられすぎな気がしますが、一人でも多くの生徒に歴史のおもしろさを教えられるよう頑張ります。



国際熊野学会の設立について

No.3396

すみません。国際熊野学会の設立について,貴掲示板で宣伝させてください。もし,宣伝がダメであれば,削除していただいてもかまいません。

国際熊野学会が2005年3月27日(日)に和歌山県新宮市で設立されます。
国際熊野学会は,宗教,文学,歴史,民俗・風俗,環境,海洋,観光,人材交流・国際交流などのすべての面に渡って,世界遺産としての熊野をインターナショナルに考えていこうという趣旨の下に設立される学会です。
呼びかけ人の代表は明治大学教授の林雅彦氏です。
当日,講演会(元高野山大学教授・日野西真定「山岳霊場としての高野・熊野・大峯山」)と交流会があり,翌日,記念イベントとして熊野三山巡りと熊野川船下りがおこなわれます。
興味のある方は奮って御参加下さい。

なお,詳細は以下の新宮市熊野学情報センター準備室の国際熊野学会事務局にお尋ね下さい。
  郵便番号:647-8555
  住所:和歌山県新宮市春日1-1
  電話番号:0735-23-3369

以上,宣伝でした。

島根県立出雲高校の皆さんへ。

No.3395

 昨日は出張講義「武士の都としての平安京・京都」を、とても熱心に聴いてくださってありがとうございました。伯備線で島根県まで出掛けたのは、じつに約30年ぶりのことだったのですが、みなさんのようなとても将来楽しみな高校生の存在を実感できて、たいへん嬉しく思っています。
 帰りに駅までお付き合いいただいた3人の一年生には、とくに御礼を申し上げます。彼女たちは、とても高校1年生・16歳とは思えない、しっかりした知識をもち、意志も明確で、将来が非常に楽しみです。2年したら京都の大学に進学して、ぜひ当ゼミに遊びに来てほしいものです。
 最後になりましたが、進路指導部の先生ならびに講義を聴講してくださった先生方に、あつく御礼を申し上げます。

先日はありがとうございました。

No.3398

こちらでははじめまして。
あの時の伊藤です。
先日はありがとうございました。
学校の授業とは一味も二味も違う授業が聞けてとても楽しかったです。

今日も、部活の時間に昨日の講義の話を大國さんとしていました。
『5つの鎧が見つかったって書いてあるけど、結局人は埋まってたの?』
という疑問が浮上し、部活中にも関わらず二人で頭を抱えていました。
結局はどうだったのでしょう?

電車の時間さえなければもっとお話をしたかったのですが、残念です。
最近、進路の授業なども増えていて将来について考える事も多かったのですが、先生のアドヴァイスやお話を聞く機会を持つことができて、本当に良かったと思います。
ありがとうございました。

法住寺殿跡出土の武将墓について。

No.3399

 >伊藤千春さん  こんばんは。本当に昨日は時間が無くて残念でしたね。
 ところで、5つの鎧が見つかった武将の墓ですが、じつは昨日配ったプリントの図面に波線で示してあるように、南北に棺が一つ置かれていた痕跡があり、歯も一つだけ残っていたのです。ですから被葬者は一人。この重要なお話をする時間がありませんでした。
 では、その被葬者は誰なのか?そして、どうしてあのような埋葬形態がとられたのか?ということが次の問題になるわけですね。・・・・・どう、思いますか?
 その答、というより、私の考えは、昨日御紹介した『武家の棟梁の条件』(中公新書)に書いてありますから、ご覧になって下さい。講義を聴講してくれた日本史の先生が、学校の図書館にあると仰っていましたよ。
 
 この掲示板には、院政期政治史研究の第一人者である京都大学大学院の先生や業界のカリスマ編集者をはじめとする、その道の「権威」から、今月は大学生だけど来月から中学・高校の先生になるという前途洋々たる「新人」まで、なにしろ今、学問・文化の世界の最前線で活躍している方たちが、ご覧になったり書き込まれたりしていますから、もし進路のことなどで聞きたいことがあったら、遠慮なくドンドン書き込んでアドバイスを求めて下さい。そういえば、伊藤さんは出版・編集に関心があると言っていましたね。
 大國さんや秦さんにも宜しくお伝え下さい。君たちとは本当に良いご縁が出来たと思っています。本当に一人くらい京都の大学に来てほしいものです。

 ところで、高校1年生の伊藤千春さんは、おそらく、この掲示板に書き込んだ人の中で最年少の新記録を樹立されたのだと思います。スゴイ!!

『年報中世史研究』18号。

No.3392

 研究室架蔵の上記の雑誌が行方不明になっています。お心当たりの方、よろしくお願いします。

詳細決定

No.3391

お疲れさま会の詳細が決定しました。
 日時:3月24日(木)18時半~
 場所:京都ダイニング 市場小路 寺町店
   (京都市中京区寺町通四条上ルWITH YOUビルB1
    http://www.star-kyoto.co.jp/shop/i-teramachi/i-teramachi.html
前の書き込み(>>No.3388)から数時間で、「ジャンク」からはちょっと方向が変わりました。が、「小洒落度アップ」はしても、決して「よりジャンク」になった訳ではないのでご安心を(笑)
現在参加者17名の大所帯で、これ以上人数が増えると大変狭くなってしまうそうなので、追加申し込みは先着1名までとさせて頂きます。あと、コース料理を注文しておりますので、当たり前ですがどたキャンもご遠慮下さい。

Re: 詳細決定

末松憲子
No.3393

お疲れ様会の先着一名はもう締め切られましたか?
まだでしたら参加させて下さい。

あれれ?

No.3394

末松さん、最初から参加になってますよっ!
一応、現在聞いている参加者のお名前を挙げておきます。(集計間違いで16人でした)
野口先生・元木先生・美川先生・山田先生・孝子先生・山田さん
鈴木くん・永富さん・長村くん・山岡さん・山内さん・末松さん
平田さん・鍛冶くん・門屋くん・田中
以上です。「参加の返事をしたのに入ってない」というような事がありましたらご連絡下さい。

Re: 詳細決定

末松憲子
No.3401

あっそうでしたか!
参加可能日をロングメールで送信しなかったので、着いてないかな~?と思ってましたo(^-^)o
では参加でよろしくおねがいしまーす。

卒業しました

No.3386

↓の野口先生の書き込みで出ていますが、三月十五日に京都女子大学を卒業しました。
お祝いのメールやお電話をくださった皆様、ありがとうございました。
もう一昨日になってしまいましたが、この場をお借りしてあらためてお礼を言わせていただきます。
また当日大学でお会いした方々にもお祝いの言葉をかけていたきうれしかったです。ありがとうございました。

高校までの卒業式とは違って卒業式に向けて何か準備や練習をしたりするようなこともなく、なかなか実感がわかなかったのですが、卒業式前日の帰敬式で本願寺にて法名をいただいた際、阿弥陀様に向かって手を合わせると自然とこれまでの四年間がフラッシュバックのように思い出され、気がつけばあっという間ではありましたが、ひとつひとつを振り返るととても充実した四年間だったと思えました。
本当のところ京都女子大学は第1志望の大学ではなく、受験に失敗したコンプレックスから入学当初はあまり大学が好きになれなかったのですが、今振り返るとこの大学にきたからこそ出逢えた人、体験できた事、そして今があるのだと思うとこの大学にご縁をいただけて本当によかったと心から思えるし感謝できるようになりました。
そう思えたのも野口先生をはじめとする、このゼミのメンバーの影響は大きいと思います。またメンバー以外にもゼミを支えてくださる先生方にも感謝いたしております。ありがとうございました。
四月からは社会人としてまた新たなスタートを切り、今までの「学生」という身分のぬるま湯にどっぷり浸かった生活から一変、自分の行動のすべてに責任をもたねばならなくなり、厳しい世間の風にさらされることとなります。。まだまだ未熟で至らぬ点も多くありますがこれからもよろしくお願いいたします。

おまけの話ですが・・・・当日の謝恩会で私は野口先生に花束を贈呈する役を担当することが決まっていたのですが、先生が「花束を持って帰るのは恥ずかしかった・・・」というお話を事前にきいていたので、今回も迷惑では・・・?とちょっと心配でしたが今回はちゃんと持って帰っていただけたようで安心いたしました(笑)


卒業おめでとう

美川圭
No.3387

永富さん、卒業おめでとう。

携帯でやりとりしながら、
ホテル浦島ではじめて?出会えたのが、
昨日のことのようです。

やー、こう書くとかなりやばい話みたいだね。(笑)

冗談はともかく、あのときは本当にお世話になりました。

Re>卒業しました

No.3390

永富絵里子さん、國方茉伊さん、ご卒業おめでとうございます!

卒業文集などでよく書かれる「長いようで短い○年間だった」というフレーズが
ズバリ納得の大学生活だったのではないでしょうか。充実してたって証拠ですね!

俺も2年後にそう言えるように頑張って、青春(?)を謳歌します。

社会人になられると色々大変でしょうが、ムリなされないようにして下さいね。

ありがとうございます

No.3414

お返事が遅くなりすみません。
美川先生>ありがとうございます。
そうですね、ホテル浦島でお会いしたのがはじまりでしたね(笑)
お会いしたときの第1印象は無口で近寄りがたそうな方かと思っていたのですが、夕食後のカラオケになった瞬間ノリノリになった先生をみてなんだかほっとしたのをおぼえています。
あの熊野も今や世界遺産になり、今日も昼間テレビで熊野特集が放映されていました。
ブームに火がつく前にゆっくりとまわれてよかったですよね。
あの時ご一緒した他の先生方もお元気にしておられますでしょうか。
またどうぞよろしくお伝えください。

鍜治くん>すべての事に対して納得がいった大学生活・・・というよりはこれから少しでも納得できるような自分に近づいていけるためのステップアップをしたといったほうが正しいかもしれません。_(^^;)ゞ
やりのこしたことは数えるとキリがないですが、今までやったことをいかして、今からやれること、やりたいことに全力投球していきたいなと思っています。
これからもよろしく☆



Re: 卒業しました

美川圭
No.3419

永富さん>
ホテル浦島ではカラオケはしなかったと思いますが、どうだったでしょうか。
私の職場の先生たちと、部屋でビールを呑みながら、歓談だったのでは。
カラオケはどこでだったかな。
伊勢かなあ。ちょっと記憶が定かではありません。

ところで、
あのときの先生たち、みんな飲み過ぎだと思いますが、元気です。
あまり飲まない私は、いつも割り勘で損をしています。
ちなみに去年の夏も、似たメンバーで熊野に行ったのですが、
台風の影響の雨でたいへんでした。
たしか、あの旅行も帰りがたいへんだったんですよね。
野口先生の車が、海岸線で流されそうになったとか。

「補陀落渡海」!

No.3421

 美川先生、カラオケは伊勢旅行の方でしたね。あれは、時間制限があったので、ちょっと消化不良気味でしたが。
 熊野の帰りは台風接近で、海のうねりは映画の特撮みたいでしたし、海岸近くでは新車に潮水を浴びて焦りましたし、翌朝のニュースを見たら、通過したばかりのトンネルが土砂崩れで埋まっていたりしました。
 
 小生が車ごと熊野灘に流されていたら、みなさんからきっと「補陀落渡海」とか言われてバカにされたことでしょうね。

シンポジウム「『福原(和田)京』の謎を解く」参加記

No.3380

 3月13日(日)、兵庫県が計画している県立考古博物館(仮称)のプレ・イベントとして、シンポジウム「『福原(和田)京』の謎を解く」がおこなわれました(於:加古郡播磨町中央公民館)。
 岡田章一(県教育委員会)「福原京を掘る」
 鋤柄俊夫(同志社大学) 「平氏の考古学」
 元木泰雄(京都大学)  「院政と平氏政権」
 高橋昌明(神戸大学)  「福原京と大輪田泊」


同時開催:特別展「春の夜の夢のごとし―平清盛と福原京の考古学―」(播磨町郷土資料館、~3/21)
http://homepage2.nifty.com/h-oonaka/

特に聴衆を瞠目させたのは、元木先生の絶好調ぶり。速射砲のような大河ドラマ批判の連続に、会場が沸きに沸きました。「大河ドラマで建春門院をやっている中江有里、ありゃ何ですか。後白河にペコペコなんかして。某ホームページで議論の結果、建春門院は黒木瞳がやるべきだと意見が一致しました」と語られたのは、本掲示板にとっても御同慶の極みであります。この後、高橋昌明先生によって、元木先生には「学界きってのエンターテイナー」の称号が奉られました。
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  宇治の歴史散歩、いいですね。私も行きたいな・・・

みんなまとめて・・・。.

No.3384

 山田先生、時間がゆるすのなら是非とも御参加下さい。
  
 宇治の歴史散歩は、27日の予行演習として、時間計測が主たる目的だったのですか、元木先生・美川先生、さらに山田先生も御参加下さって、その先生方にコメントをいただき乍ら歩けるとなると、これはたいそう豪華な見学会になりそうです(摂関・院政期の宇治を日本史全体を背景にして語れる研究者としては、これ以上を期待できない最高の顔ぶれです!!)。
 夜の「お疲れ様会」も「ゼミ旅行のお疲れ様会」としてのみならず、「宇治歴史散歩のお疲れ様会」の要素も、ほんの少し加味していただき、ぜひ先生方にもお出でいただきたいと存じます。本日、研究室に偶然集まったメンバーも同意見だったと思います。田中さんからも、連絡要請をいただいておりますので、先生方のご意向をうけたまわりたく、よろしくお願いいたします。渡辺貴代さんもぜひお出で下さい。

 別の所にも書かせていただきましたが、本日は京都女子大学の卒業式でした。昨年はゼミメンバーの廣政さんが短大卒業生の総代をつとめましたが、今年も小生の総合教育演習に出席されていた松原さんが初等教育の代表として登壇されました。松原さんの今後の御活躍を期待しています。

 > 京都女子大学史学科卒業生の皆さん
  本日は、史学科謝恩会にお招き下さり、あつく御礼申しあげます。「史学科」の謝恩会は1980年代に青山学院大学史学科でゼミを担当していた時以来のことです。あのときは、大きな花束を家まで持ち帰るのが恥ずかしくて、ゼミ生に分けてしまいましたが、今回はしっかりと持ち帰らせていただきました。
 皆さまの、今後の御活躍を祈念いたしております。また、京都を離れる方は、御上洛の機会がありましたら、ぜひ当研究室にもお立ちより下さい。また、当掲示板にも御活躍の様子をお知らせ下されば幸いです。 

Re: みんなまとめて・・・

美川圭
No.3385

私の職場も4月から外国語学部に名称変更で、ますます語学中心で、
われわれ文化関係の立場が教員の立場が希薄化しているので、
昨年ぐらいから、学生を募集して、京都などを定期的に歩いています。
まあ、かんたんにいえば、いまさら英語やるより、
歴史とか、文学やったほうが、ずっとおもしろいよ、
と営業活動をしているわけです。
最初から歴史や文化が好きでやってくる学生を相手にしている
文学部なんかでは、考えられないことでしょうね。

ちなみにホームページで御覧になったらわかりますが、
かなり文化関係のスタッフが充実しているんです。
残念ながら、みんな窓際族になりつつありますが。
http://www.setsunan.ac.jp/~kokusai/gakubu/kokusai.html

去年の私の担当は、京都の法住寺殿から六波羅、清水
そして祇園まで、歩きました。
今年は宇治にしようか、と思っていたところなので、
その下調べということになると思います。たいへん助かります。

24日、夜もあいておりますので、
「お疲れ様会」ぜひ参加させてください。

お疲れさま会参加

No.3388

>美川先生
 参加、了解致しました。楽しみにしております。
あと、山田邦和先生からも参加のお申し込みを頂いております☆

>皆さまへ
 毎度の事ながら大所帯ですし、当日に多少の人数変更が利くようにしようかなーと
思っていますので、「オシャレなお店で」という訳には行きそうにありません。
ワイワイガヤガヤとジャンクな感じで行きます☆ので、余り期待しないで下さい(笑)

お疲れさま会決定

No.3377

 火曜日になりましたので、一応締め切らせていただきました。
 集計したところ、24日(木)が一番参加者が多いようですので、この日に決定します。「メールの返信を忘れていた」という方も、予定が合えば参加してくださいませ。
「ゼミ旅行に参加してないのに・・・!」と余計な遠慮をしている方も同様です。
ただし、この場合は3日前くらいまでに連絡をして下さいね。
 卒業式&送別会シーズンですので、思っているお店の予約が取れるかどうか分かりません。また詳細は追ってご連絡致しますが、一応の予定としましては
   3月24日(木) 18時半頃から 四条河原町近辺
で考えております。ご参考までに。
 

宇治歴史散歩も24日とします。

No.3378

 ☆ 今日は京都女子大学の卒業式です。当ゼミのメンバーでは、史学科の永富絵里子さんと短期大学部の國方茉伊さんが御卒業です。おめでとうございます!!

 ところで、「お疲れ様会」が24日に決まりましたので、自動的に宇治歴史散歩も同日に行うことに決定致しました。

 13:00JR六地蔵駅改札口集合 それから徒歩にて浄妙寺跡・宇治陵(摂関家墓域)・松殿別業跡・京極殿別業跡・木幡観音院跡(頼政道近く)・許波多神社を見学の後、電車で宇治に出て、市街地遺跡の現場確認の後、バスまたはタクシーにて、宇治市歴史資料館。その後は、お疲れ様会開始時間との兼ね合いで(平等院・宇治上神社・宇治川合戦関係史跡etc)・・・という日程を考えています。一応、資料を作る予定なので、参加希望者は御連絡下さい。
 
 元木先生・美川先生・渡辺貴代さん、御都合がつけば、よろしくお願い申し上げます。

Re: お疲れさま会決定

No.3381

 宇治見学会、24日の由、確かに承りました。
 ちょうどピンポイントで空いている日に当たりました。
 誠にありがたいことです。喜んで参加させていただきます。
 先日、市内某所で宇治の発掘担当の方々とお会いする機会がありました。これも、何者かが当方を宇治に呼び寄せている予兆かも?
 冗談はともかく、当日は京大の卒様式(仮装大会?)ですので、役職上、急に呼び出されることもありえます。もちろん、どなたかの携帯に連絡しますが、そのときはご容赦ください。
 好天を祈っております。

 ところで義経、敵中元服(なんで長田が支配する内海荘にのこのこ出かけるか?)だの、経典を読んだから「義経」とか、何とも奇妙な演出の連続で、呆れてしまいます。
 先日も「夢の都」に失望したという兵庫県、神戸市関係の方々の怨嗟の声を耳にしましたが、今度の平泉もCGでも使ってもっとそれらしく描けばいいのに。すべてが中途半端な感じです。
 義経の人間像は、オーソドックスな大河ドラマの善人のイメージで、安心できる面はあります。それにしても、家来はよりによってお笑い系ばり(マツケンも含め)で、これではリアリティーを出せという方が無理です。家来の集め方はまさに桃太郎、出来上がった集団は、女性も含めた水戸黄門一行みたいなものですかね。家来はいずれも伝説上の人物だが、中にまともな人物も入れないと、真面目な義経が浮き上がってしまいます。
 平氏一門も、清盛以外は間抜けの集団のようです。無論、史実としてあの段階で、頼朝や牛若を警戒することはなかったのですが、本当に危険視したなら殺害することもできたはず。源氏の御曹司の助命がやんごとなき筋からの圧力だったとでもしておけば、殺したいが殺せない必然性が説明できたのに。また、一門の公卿と並んで家司に過ぎない盛国が座るのもおかしな話。まあ、これは演出上の都合でしょうけれど。
 史実はもちろん、原作まで捻じ曲げて、ちっとも面白くもわかりやすくもならず、おまけに物議までかもす有様には、首を傾げざるを得ません。一言で言えば、脚本家がアホですね。
 間違いが多いと、講演のネタが増えるので宜しいのですが、反面ドラマの人気がなくなると講演の依頼自体が消滅しますので、それはそれで困るのですが・・・。
 ↓で指摘された「ナンバ」歩行については、近藤先生よりご説明をお願いいたします。
  
 

悪口雑言

美川圭
No.3382

24日なら、私も行けます。宇治の歴史散歩、楽しみにしています。
それにしても、義経、元木先生のおっしゃるように、

「脚本家がアホ」につきますね。

自分で創作やフィクションがつくれる才能があると思っているとしたら、
身の程知らずというべきでしょう。努力しても無理なレベルでしょう。
あんな程度の脚本を書いたらみっともないと思うから、
私も脚本を書かないだけなんですが。
「悪貨が良貨を駆逐する」典型です。
でも、これだけみんなが見ているのですから、
これからも話題提供をお願いしたいですね。

Re: お疲れさま会決定

No.3383

↓のようなナンバの理解は、間違いとはいえませんが、左右の手足が同時に出るということだけが強調されると、大きな誤解を生みます。ナンバの基本は、専門的にいえば、股関節のか外旋位による二軸動作ということです。詳しくは、現在のナンバ研究の最先端を行くhttp://www.namiashi.com/hihoukan/ このHPや、手近なところでは、吉川弘文館のPR誌『本郷』55号(2005年1月)に掲載された拙稿「歴史的身体運用法」を御覧下さい。

ところで、今週の『義経』では、藤原の子息達が的を射ていましたが、矢が的に刺さっていました。これは征矢を使用しているからですが、的を射るためには、征矢ではなく、的矢を用います。的矢には、鏃ではなく、先端が扁平で的に当たるだけの、平題(いたつき)や神頭(じとう)などを取り付けます。的に矢が刺さっていては、的がいくつあっても足りませんね。

また、秀衡から義経へ送られた白い毛の馬を、「白馬」と表現していましたが、あれは「葦毛」というべきですね。

さらに義経の家人達が、お笑い系なのはともかく、彼等が、出家している弁慶はいいとしても、その他の人々がいずれも烏帽子を被っていないのは、おかしいことです。それでは全員が童です。どのような身分であれ、当時は成人男子ならば、烏帽子を被ったはずです。また、方言の話しも出ていますが、駿河次郎だけ方言(駿河弁)を話すのもおかしい話ですね。

もっといえば、これは今回の『義経』に限らないことですが、秀衡等が狩りの時に被っていた笠を綾藺笠といいますが、それが真ん中でふたつに折れる形でした。しかし、本来の綾藺笠はふたつに折れる形ではありません。円盤状の笠に巾子形(髻を入れるための中央の突起部分)がつくわけです。

当時の会話はいったい如何に…

No.3389

駿河の人間、京の人間、奥州の人間等々が集まると、会話はどんなふうになったのでしょうか。そういったことを言語学的に検証することはできるのでしょうか。誰かやっていないのでしょうかね。
 ちなみに、駿河次郎をやっているうじきつよしはミュージシャン、喜三太をやっている伊藤敦史は俳優です。まあ、すべてがお笑いではないにしても、うじきつよしは「お笑い系」ですかね。人物造形までふくめて、あまりにも単純で、類型化されすぎている、ということでしょう。義経が三蔵法師にしか見えなくて、困っています。