源平の風レポート
No.34
本日(5月31日)、京都造形芸大の春秋座で「源平の風」という舞台がありました。片山伸吾・橋本光史(能)茂山逸平・茂山千三郎(狂言)尾上青楓(日舞)という伝統芸能のコラボレーションです。サブタイトルは「元暦元年三月十八日」、これは能「屋島」の義経の語りでの屋島の合戦があった年月日です。しかし悪七兵衛景清の語りの能「景清」では寿永三年三月下旬となっています。
寿永三年四月の後鳥羽天皇即位によって元号が「元暦」に改元されるわけですが、安徳天皇を擁立する平家側は「寿永」の側を使いつづけることから、このような違いが生まれたわけです。更にこういった多角的な視点が現れるのが「景清錣引」「屋島の語」で、前者は平家側から、後者は源氏側から同じ合戦について語られます。屋島の合戦があったのは『平家』『吾妻鏡』では元暦二年二月となっていて、能でのこういった表現はかなり作為的なものと考えていいわけです。
伝統芸能の中から多角的に源平の合戦を捉えるというのは、とても面白い試みでした。しかも、上記のような能、狂言による「那須之語」、そして悪七兵衛景清や能登守教経の活躍を尾上流の舞踊で表現しているのは(しかも景清は長刀を振り回して!)なかなか見れない舞台ですし、とても楽しめました。
一番の見せ場は「屋島」の後場で妄執から逃れられない義経(能)と教経(日舞)が戦う場面でした。『平家』の中ではこの二人は実際に戦うことはないのですが、幽霊(?)として登場する能であるからこそ、こういう無茶(!)が出来るわけです。能登守教経が最期に橋本光史(能)と茂山逸平(狂言)演じる二人の武者を両脇に抱えて、舞台の奈落へと飛び込む場面は驚きでした。音楽も能では地謡や笛、日舞は筑前琵琶・・と分けてあって、教経も義経もいなくなった舞台に響く琵琶の音色がとても良かったです。
明日は平安神宮での薪能に行って来ます。明日は『平家』関連だと「俊成忠度」があります。これも楽しみです。
寿永三年四月の後鳥羽天皇即位によって元号が「元暦」に改元されるわけですが、安徳天皇を擁立する平家側は「寿永」の側を使いつづけることから、このような違いが生まれたわけです。更にこういった多角的な視点が現れるのが「景清錣引」「屋島の語」で、前者は平家側から、後者は源氏側から同じ合戦について語られます。屋島の合戦があったのは『平家』『吾妻鏡』では元暦二年二月となっていて、能でのこういった表現はかなり作為的なものと考えていいわけです。
伝統芸能の中から多角的に源平の合戦を捉えるというのは、とても面白い試みでした。しかも、上記のような能、狂言による「那須之語」、そして悪七兵衛景清や能登守教経の活躍を尾上流の舞踊で表現しているのは(しかも景清は長刀を振り回して!)なかなか見れない舞台ですし、とても楽しめました。
一番の見せ場は「屋島」の後場で妄執から逃れられない義経(能)と教経(日舞)が戦う場面でした。『平家』の中ではこの二人は実際に戦うことはないのですが、幽霊(?)として登場する能であるからこそ、こういう無茶(!)が出来るわけです。能登守教経が最期に橋本光史(能)と茂山逸平(狂言)演じる二人の武者を両脇に抱えて、舞台の奈落へと飛び込む場面は驚きでした。音楽も能では地謡や笛、日舞は筑前琵琶・・と分けてあって、教経も義経もいなくなった舞台に響く琵琶の音色がとても良かったです。
明日は平安神宮での薪能に行って来ます。明日は『平家』関連だと「俊成忠度」があります。これも楽しみです。