ゼミ関係者にたいする御礼と御連絡です。

No.3397

 >永富さん  謝恩会でいただいた薔薇の花は、大切に持ち帰って玄関に飾ってあります。ありがとうございました。記念品をお渡しいただいた服部さんにも宜しくお伝え下さい。
 このゼミにおいて永富さんの果たした役割は、とてつもなく大きいものがあり、小生としても感謝するところ多大なものがあります。卒業されて相対的に近くにおられなくなるのは残念ですが(でも、まあご近所ですよ)、ゼミメンバーであることは変わりなく、今後ともなにとぞ宜しくお願いいたします。
 さらにこれからは、京都文教中学・高校で、永富さんのように賢くて、センスが良く、しかも行動的な生徒をどんどん育ててください。永富さんの教え子が当ゼミを担う時代の来ることを楽しみにしています。

 >高重久美先生  御高著『和歌六人党とその時代』の御上梓、おめでとうございます。また、当方にまで御恵送にあずかり、恐縮いたしております。まことに、ありがとうございました。また、お暇な折、見学会・例会などに御参加下されば幸いです。
 この高重先生の論文集には「後朱雀朝歌会を軸として」という副題が付せられておりますが、われわれ武士論を専攻する者にとっても、摂津源氏に関する詳細な追究におおいに蒙を啓かれるところがあります。古典文学の老舗である和泉書院からの刊行です。

 ☆ 24日の宇治史跡見学会の参加者の確認です。
  元木先生・美川先生・山田先生・植村先生・野口先生・山田さん・長村君・山岡さん・平田さん・門屋君・田 中さん・末松さん
から、参加の申し込みをいただいています。植村先生は神戸学院大学で国文学を教えておられる植村真知子先生で、今回初参加です。永富さんと鈴木君も研究室で参加の御意向をうかがったような気がするので、含めておきますが、そのほかで参加希望を伝えたのに名前がないと言う方がおられましたら、ご面倒をお掛けしますが、メールでお知らせ下さいますようにお願いいたします。

24日の宇治歴史散歩の参加者確定。

No.3405

 宇治歴史散歩の参加者が確定しました。バイトがあって無理なのかなぁと思っていたゼミ代表の山内さんからも申込みがあって、小生も含めて総勢14名と、ほとんど「お疲れ様会」参加者と同数に近くなりました。
 尻池さんは帰省中でしょうか?よかったら、どうぞ。
 宇治の歴史資料館では渡辺貴代さんが紹介してくださったおかげで、白川金色院などの発掘調査を担当された浜中邦弘さんから、直接、お話をうかがえるかも知れません。
 
 ☆ ところで、23日の午後に研究室で24日と27日の見学会資料の印刷をする予定なのですが、もし暇のある方がおられましたら、ぜひ援軍をお願いいたします。

ありがとうございます

No.3416

野口先生>お礼が遅くなりすみません。
教習所をなんとか三月中に終えるべく毎日朝から晩まで車に乗っているため最近家に帰るとパソコンの前にすわる気力がなくてすぐ寝てしまうのです☆
今まで授業がないのをいいことにぼーっと夜更かししたりしてついてしまった怠け癖を四月までにたたきなおすには絶好の機会かもしれません(笑)
ただ忙しすぎて授業のネタづくりがまったく進んでいないのが心配なのですが・・・☆

あらためまして卒業式・謝恩会の日はありがとうございました。
その時の写真が印刷できましたのでまたお渡ししたいと思います。
私自身が「賢くて、センスが良く、しかも行動的」かというとちょっと持ち上げられすぎな気がしますが、一人でも多くの生徒に歴史のおもしろさを教えられるよう頑張ります。



国際熊野学会の設立について

No.3396

すみません。国際熊野学会の設立について,貴掲示板で宣伝させてください。もし,宣伝がダメであれば,削除していただいてもかまいません。

国際熊野学会が2005年3月27日(日)に和歌山県新宮市で設立されます。
国際熊野学会は,宗教,文学,歴史,民俗・風俗,環境,海洋,観光,人材交流・国際交流などのすべての面に渡って,世界遺産としての熊野をインターナショナルに考えていこうという趣旨の下に設立される学会です。
呼びかけ人の代表は明治大学教授の林雅彦氏です。
当日,講演会(元高野山大学教授・日野西真定「山岳霊場としての高野・熊野・大峯山」)と交流会があり,翌日,記念イベントとして熊野三山巡りと熊野川船下りがおこなわれます。
興味のある方は奮って御参加下さい。

なお,詳細は以下の新宮市熊野学情報センター準備室の国際熊野学会事務局にお尋ね下さい。
  郵便番号:647-8555
  住所:和歌山県新宮市春日1-1
  電話番号:0735-23-3369

以上,宣伝でした。

島根県立出雲高校の皆さんへ。

No.3395

 昨日は出張講義「武士の都としての平安京・京都」を、とても熱心に聴いてくださってありがとうございました。伯備線で島根県まで出掛けたのは、じつに約30年ぶりのことだったのですが、みなさんのようなとても将来楽しみな高校生の存在を実感できて、たいへん嬉しく思っています。
 帰りに駅までお付き合いいただいた3人の一年生には、とくに御礼を申し上げます。彼女たちは、とても高校1年生・16歳とは思えない、しっかりした知識をもち、意志も明確で、将来が非常に楽しみです。2年したら京都の大学に進学して、ぜひ当ゼミに遊びに来てほしいものです。
 最後になりましたが、進路指導部の先生ならびに講義を聴講してくださった先生方に、あつく御礼を申し上げます。

先日はありがとうございました。

No.3398

こちらでははじめまして。
あの時の伊藤です。
先日はありがとうございました。
学校の授業とは一味も二味も違う授業が聞けてとても楽しかったです。

今日も、部活の時間に昨日の講義の話を大國さんとしていました。
『5つの鎧が見つかったって書いてあるけど、結局人は埋まってたの?』
という疑問が浮上し、部活中にも関わらず二人で頭を抱えていました。
結局はどうだったのでしょう?

電車の時間さえなければもっとお話をしたかったのですが、残念です。
最近、進路の授業なども増えていて将来について考える事も多かったのですが、先生のアドヴァイスやお話を聞く機会を持つことができて、本当に良かったと思います。
ありがとうございました。

法住寺殿跡出土の武将墓について。

No.3399

 >伊藤千春さん  こんばんは。本当に昨日は時間が無くて残念でしたね。
 ところで、5つの鎧が見つかった武将の墓ですが、じつは昨日配ったプリントの図面に波線で示してあるように、南北に棺が一つ置かれていた痕跡があり、歯も一つだけ残っていたのです。ですから被葬者は一人。この重要なお話をする時間がありませんでした。
 では、その被葬者は誰なのか?そして、どうしてあのような埋葬形態がとられたのか?ということが次の問題になるわけですね。・・・・・どう、思いますか?
 その答、というより、私の考えは、昨日御紹介した『武家の棟梁の条件』(中公新書)に書いてありますから、ご覧になって下さい。講義を聴講してくれた日本史の先生が、学校の図書館にあると仰っていましたよ。
 
 この掲示板には、院政期政治史研究の第一人者である京都大学大学院の先生や業界のカリスマ編集者をはじめとする、その道の「権威」から、今月は大学生だけど来月から中学・高校の先生になるという前途洋々たる「新人」まで、なにしろ今、学問・文化の世界の最前線で活躍している方たちが、ご覧になったり書き込まれたりしていますから、もし進路のことなどで聞きたいことがあったら、遠慮なくドンドン書き込んでアドバイスを求めて下さい。そういえば、伊藤さんは出版・編集に関心があると言っていましたね。
 大國さんや秦さんにも宜しくお伝え下さい。君たちとは本当に良いご縁が出来たと思っています。本当に一人くらい京都の大学に来てほしいものです。

 ところで、高校1年生の伊藤千春さんは、おそらく、この掲示板に書き込んだ人の中で最年少の新記録を樹立されたのだと思います。スゴイ!!

『年報中世史研究』18号。

No.3392

 研究室架蔵の上記の雑誌が行方不明になっています。お心当たりの方、よろしくお願いします。

詳細決定

No.3391

お疲れさま会の詳細が決定しました。
 日時:3月24日(木)18時半~
 場所:京都ダイニング 市場小路 寺町店
   (京都市中京区寺町通四条上ルWITH YOUビルB1
    http://www.star-kyoto.co.jp/shop/i-teramachi/i-teramachi.html
前の書き込み(>>No.3388)から数時間で、「ジャンク」からはちょっと方向が変わりました。が、「小洒落度アップ」はしても、決して「よりジャンク」になった訳ではないのでご安心を(笑)
現在参加者17名の大所帯で、これ以上人数が増えると大変狭くなってしまうそうなので、追加申し込みは先着1名までとさせて頂きます。あと、コース料理を注文しておりますので、当たり前ですがどたキャンもご遠慮下さい。

Re: 詳細決定

末松憲子
No.3393

お疲れ様会の先着一名はもう締め切られましたか?
まだでしたら参加させて下さい。

あれれ?

No.3394

末松さん、最初から参加になってますよっ!
一応、現在聞いている参加者のお名前を挙げておきます。(集計間違いで16人でした)
野口先生・元木先生・美川先生・山田先生・孝子先生・山田さん
鈴木くん・永富さん・長村くん・山岡さん・山内さん・末松さん
平田さん・鍛冶くん・門屋くん・田中
以上です。「参加の返事をしたのに入ってない」というような事がありましたらご連絡下さい。

Re: 詳細決定

末松憲子
No.3401

あっそうでしたか!
参加可能日をロングメールで送信しなかったので、着いてないかな~?と思ってましたo(^-^)o
では参加でよろしくおねがいしまーす。

卒業しました

No.3386

↓の野口先生の書き込みで出ていますが、三月十五日に京都女子大学を卒業しました。
お祝いのメールやお電話をくださった皆様、ありがとうございました。
もう一昨日になってしまいましたが、この場をお借りしてあらためてお礼を言わせていただきます。
また当日大学でお会いした方々にもお祝いの言葉をかけていたきうれしかったです。ありがとうございました。

高校までの卒業式とは違って卒業式に向けて何か準備や練習をしたりするようなこともなく、なかなか実感がわかなかったのですが、卒業式前日の帰敬式で本願寺にて法名をいただいた際、阿弥陀様に向かって手を合わせると自然とこれまでの四年間がフラッシュバックのように思い出され、気がつけばあっという間ではありましたが、ひとつひとつを振り返るととても充実した四年間だったと思えました。
本当のところ京都女子大学は第1志望の大学ではなく、受験に失敗したコンプレックスから入学当初はあまり大学が好きになれなかったのですが、今振り返るとこの大学にきたからこそ出逢えた人、体験できた事、そして今があるのだと思うとこの大学にご縁をいただけて本当によかったと心から思えるし感謝できるようになりました。
そう思えたのも野口先生をはじめとする、このゼミのメンバーの影響は大きいと思います。またメンバー以外にもゼミを支えてくださる先生方にも感謝いたしております。ありがとうございました。
四月からは社会人としてまた新たなスタートを切り、今までの「学生」という身分のぬるま湯にどっぷり浸かった生活から一変、自分の行動のすべてに責任をもたねばならなくなり、厳しい世間の風にさらされることとなります。。まだまだ未熟で至らぬ点も多くありますがこれからもよろしくお願いいたします。

おまけの話ですが・・・・当日の謝恩会で私は野口先生に花束を贈呈する役を担当することが決まっていたのですが、先生が「花束を持って帰るのは恥ずかしかった・・・」というお話を事前にきいていたので、今回も迷惑では・・・?とちょっと心配でしたが今回はちゃんと持って帰っていただけたようで安心いたしました(笑)


卒業おめでとう

美川圭
No.3387

永富さん、卒業おめでとう。

携帯でやりとりしながら、
ホテル浦島ではじめて?出会えたのが、
昨日のことのようです。

やー、こう書くとかなりやばい話みたいだね。(笑)

冗談はともかく、あのときは本当にお世話になりました。

Re>卒業しました

No.3390

永富絵里子さん、國方茉伊さん、ご卒業おめでとうございます!

卒業文集などでよく書かれる「長いようで短い○年間だった」というフレーズが
ズバリ納得の大学生活だったのではないでしょうか。充実してたって証拠ですね!

俺も2年後にそう言えるように頑張って、青春(?)を謳歌します。

社会人になられると色々大変でしょうが、ムリなされないようにして下さいね。

ありがとうございます

No.3414

お返事が遅くなりすみません。
美川先生>ありがとうございます。
そうですね、ホテル浦島でお会いしたのがはじまりでしたね(笑)
お会いしたときの第1印象は無口で近寄りがたそうな方かと思っていたのですが、夕食後のカラオケになった瞬間ノリノリになった先生をみてなんだかほっとしたのをおぼえています。
あの熊野も今や世界遺産になり、今日も昼間テレビで熊野特集が放映されていました。
ブームに火がつく前にゆっくりとまわれてよかったですよね。
あの時ご一緒した他の先生方もお元気にしておられますでしょうか。
またどうぞよろしくお伝えください。

鍜治くん>すべての事に対して納得がいった大学生活・・・というよりはこれから少しでも納得できるような自分に近づいていけるためのステップアップをしたといったほうが正しいかもしれません。_(^^;)ゞ
やりのこしたことは数えるとキリがないですが、今までやったことをいかして、今からやれること、やりたいことに全力投球していきたいなと思っています。
これからもよろしく☆



Re: 卒業しました

美川圭
No.3419

永富さん>
ホテル浦島ではカラオケはしなかったと思いますが、どうだったでしょうか。
私の職場の先生たちと、部屋でビールを呑みながら、歓談だったのでは。
カラオケはどこでだったかな。
伊勢かなあ。ちょっと記憶が定かではありません。

ところで、
あのときの先生たち、みんな飲み過ぎだと思いますが、元気です。
あまり飲まない私は、いつも割り勘で損をしています。
ちなみに去年の夏も、似たメンバーで熊野に行ったのですが、
台風の影響の雨でたいへんでした。
たしか、あの旅行も帰りがたいへんだったんですよね。
野口先生の車が、海岸線で流されそうになったとか。

「補陀落渡海」!

No.3421

 美川先生、カラオケは伊勢旅行の方でしたね。あれは、時間制限があったので、ちょっと消化不良気味でしたが。
 熊野の帰りは台風接近で、海のうねりは映画の特撮みたいでしたし、海岸近くでは新車に潮水を浴びて焦りましたし、翌朝のニュースを見たら、通過したばかりのトンネルが土砂崩れで埋まっていたりしました。
 
 小生が車ごと熊野灘に流されていたら、みなさんからきっと「補陀落渡海」とか言われてバカにされたことでしょうね。

シンポジウム「『福原(和田)京』の謎を解く」参加記

No.3380

 3月13日(日)、兵庫県が計画している県立考古博物館(仮称)のプレ・イベントとして、シンポジウム「『福原(和田)京』の謎を解く」がおこなわれました(於:加古郡播磨町中央公民館)。
 岡田章一(県教育委員会)「福原京を掘る」
 鋤柄俊夫(同志社大学) 「平氏の考古学」
 元木泰雄(京都大学)  「院政と平氏政権」
 高橋昌明(神戸大学)  「福原京と大輪田泊」


同時開催:特別展「春の夜の夢のごとし―平清盛と福原京の考古学―」(播磨町郷土資料館、~3/21)
http://homepage2.nifty.com/h-oonaka/

特に聴衆を瞠目させたのは、元木先生の絶好調ぶり。速射砲のような大河ドラマ批判の連続に、会場が沸きに沸きました。「大河ドラマで建春門院をやっている中江有里、ありゃ何ですか。後白河にペコペコなんかして。某ホームページで議論の結果、建春門院は黒木瞳がやるべきだと意見が一致しました」と語られたのは、本掲示板にとっても御同慶の極みであります。この後、高橋昌明先生によって、元木先生には「学界きってのエンターテイナー」の称号が奉られました。
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  宇治の歴史散歩、いいですね。私も行きたいな・・・

みんなまとめて・・・。.

No.3384

 山田先生、時間がゆるすのなら是非とも御参加下さい。
  
 宇治の歴史散歩は、27日の予行演習として、時間計測が主たる目的だったのですか、元木先生・美川先生、さらに山田先生も御参加下さって、その先生方にコメントをいただき乍ら歩けるとなると、これはたいそう豪華な見学会になりそうです(摂関・院政期の宇治を日本史全体を背景にして語れる研究者としては、これ以上を期待できない最高の顔ぶれです!!)。
 夜の「お疲れ様会」も「ゼミ旅行のお疲れ様会」としてのみならず、「宇治歴史散歩のお疲れ様会」の要素も、ほんの少し加味していただき、ぜひ先生方にもお出でいただきたいと存じます。本日、研究室に偶然集まったメンバーも同意見だったと思います。田中さんからも、連絡要請をいただいておりますので、先生方のご意向をうけたまわりたく、よろしくお願いいたします。渡辺貴代さんもぜひお出で下さい。

 別の所にも書かせていただきましたが、本日は京都女子大学の卒業式でした。昨年はゼミメンバーの廣政さんが短大卒業生の総代をつとめましたが、今年も小生の総合教育演習に出席されていた松原さんが初等教育の代表として登壇されました。松原さんの今後の御活躍を期待しています。

 > 京都女子大学史学科卒業生の皆さん
  本日は、史学科謝恩会にお招き下さり、あつく御礼申しあげます。「史学科」の謝恩会は1980年代に青山学院大学史学科でゼミを担当していた時以来のことです。あのときは、大きな花束を家まで持ち帰るのが恥ずかしくて、ゼミ生に分けてしまいましたが、今回はしっかりと持ち帰らせていただきました。
 皆さまの、今後の御活躍を祈念いたしております。また、京都を離れる方は、御上洛の機会がありましたら、ぜひ当研究室にもお立ちより下さい。また、当掲示板にも御活躍の様子をお知らせ下されば幸いです。 

Re: みんなまとめて・・・

美川圭
No.3385

私の職場も4月から外国語学部に名称変更で、ますます語学中心で、
われわれ文化関係の立場が教員の立場が希薄化しているので、
昨年ぐらいから、学生を募集して、京都などを定期的に歩いています。
まあ、かんたんにいえば、いまさら英語やるより、
歴史とか、文学やったほうが、ずっとおもしろいよ、
と営業活動をしているわけです。
最初から歴史や文化が好きでやってくる学生を相手にしている
文学部なんかでは、考えられないことでしょうね。

ちなみにホームページで御覧になったらわかりますが、
かなり文化関係のスタッフが充実しているんです。
残念ながら、みんな窓際族になりつつありますが。
http://www.setsunan.ac.jp/~kokusai/gakubu/kokusai.html

去年の私の担当は、京都の法住寺殿から六波羅、清水
そして祇園まで、歩きました。
今年は宇治にしようか、と思っていたところなので、
その下調べということになると思います。たいへん助かります。

24日、夜もあいておりますので、
「お疲れ様会」ぜひ参加させてください。

お疲れさま会参加

No.3388

>美川先生
 参加、了解致しました。楽しみにしております。
あと、山田邦和先生からも参加のお申し込みを頂いております☆

>皆さまへ
 毎度の事ながら大所帯ですし、当日に多少の人数変更が利くようにしようかなーと
思っていますので、「オシャレなお店で」という訳には行きそうにありません。
ワイワイガヤガヤとジャンクな感じで行きます☆ので、余り期待しないで下さい(笑)

お疲れさま会決定

No.3377

 火曜日になりましたので、一応締め切らせていただきました。
 集計したところ、24日(木)が一番参加者が多いようですので、この日に決定します。「メールの返信を忘れていた」という方も、予定が合えば参加してくださいませ。
「ゼミ旅行に参加してないのに・・・!」と余計な遠慮をしている方も同様です。
ただし、この場合は3日前くらいまでに連絡をして下さいね。
 卒業式&送別会シーズンですので、思っているお店の予約が取れるかどうか分かりません。また詳細は追ってご連絡致しますが、一応の予定としましては
   3月24日(木) 18時半頃から 四条河原町近辺
で考えております。ご参考までに。
 

宇治歴史散歩も24日とします。

No.3378

 ☆ 今日は京都女子大学の卒業式です。当ゼミのメンバーでは、史学科の永富絵里子さんと短期大学部の國方茉伊さんが御卒業です。おめでとうございます!!

 ところで、「お疲れ様会」が24日に決まりましたので、自動的に宇治歴史散歩も同日に行うことに決定致しました。

 13:00JR六地蔵駅改札口集合 それから徒歩にて浄妙寺跡・宇治陵(摂関家墓域)・松殿別業跡・京極殿別業跡・木幡観音院跡(頼政道近く)・許波多神社を見学の後、電車で宇治に出て、市街地遺跡の現場確認の後、バスまたはタクシーにて、宇治市歴史資料館。その後は、お疲れ様会開始時間との兼ね合いで(平等院・宇治上神社・宇治川合戦関係史跡etc)・・・という日程を考えています。一応、資料を作る予定なので、参加希望者は御連絡下さい。
 
 元木先生・美川先生・渡辺貴代さん、御都合がつけば、よろしくお願い申し上げます。

Re: お疲れさま会決定

No.3381

 宇治見学会、24日の由、確かに承りました。
 ちょうどピンポイントで空いている日に当たりました。
 誠にありがたいことです。喜んで参加させていただきます。
 先日、市内某所で宇治の発掘担当の方々とお会いする機会がありました。これも、何者かが当方を宇治に呼び寄せている予兆かも?
 冗談はともかく、当日は京大の卒様式(仮装大会?)ですので、役職上、急に呼び出されることもありえます。もちろん、どなたかの携帯に連絡しますが、そのときはご容赦ください。
 好天を祈っております。

 ところで義経、敵中元服(なんで長田が支配する内海荘にのこのこ出かけるか?)だの、経典を読んだから「義経」とか、何とも奇妙な演出の連続で、呆れてしまいます。
 先日も「夢の都」に失望したという兵庫県、神戸市関係の方々の怨嗟の声を耳にしましたが、今度の平泉もCGでも使ってもっとそれらしく描けばいいのに。すべてが中途半端な感じです。
 義経の人間像は、オーソドックスな大河ドラマの善人のイメージで、安心できる面はあります。それにしても、家来はよりによってお笑い系ばり(マツケンも含め)で、これではリアリティーを出せという方が無理です。家来の集め方はまさに桃太郎、出来上がった集団は、女性も含めた水戸黄門一行みたいなものですかね。家来はいずれも伝説上の人物だが、中にまともな人物も入れないと、真面目な義経が浮き上がってしまいます。
 平氏一門も、清盛以外は間抜けの集団のようです。無論、史実としてあの段階で、頼朝や牛若を警戒することはなかったのですが、本当に危険視したなら殺害することもできたはず。源氏の御曹司の助命がやんごとなき筋からの圧力だったとでもしておけば、殺したいが殺せない必然性が説明できたのに。また、一門の公卿と並んで家司に過ぎない盛国が座るのもおかしな話。まあ、これは演出上の都合でしょうけれど。
 史実はもちろん、原作まで捻じ曲げて、ちっとも面白くもわかりやすくもならず、おまけに物議までかもす有様には、首を傾げざるを得ません。一言で言えば、脚本家がアホですね。
 間違いが多いと、講演のネタが増えるので宜しいのですが、反面ドラマの人気がなくなると講演の依頼自体が消滅しますので、それはそれで困るのですが・・・。
 ↓で指摘された「ナンバ」歩行については、近藤先生よりご説明をお願いいたします。
  
 

悪口雑言

美川圭
No.3382

24日なら、私も行けます。宇治の歴史散歩、楽しみにしています。
それにしても、義経、元木先生のおっしゃるように、

「脚本家がアホ」につきますね。

自分で創作やフィクションがつくれる才能があると思っているとしたら、
身の程知らずというべきでしょう。努力しても無理なレベルでしょう。
あんな程度の脚本を書いたらみっともないと思うから、
私も脚本を書かないだけなんですが。
「悪貨が良貨を駆逐する」典型です。
でも、これだけみんなが見ているのですから、
これからも話題提供をお願いしたいですね。

Re: お疲れさま会決定

No.3383

↓のようなナンバの理解は、間違いとはいえませんが、左右の手足が同時に出るということだけが強調されると、大きな誤解を生みます。ナンバの基本は、専門的にいえば、股関節のか外旋位による二軸動作ということです。詳しくは、現在のナンバ研究の最先端を行くhttp://www.namiashi.com/hihoukan/ このHPや、手近なところでは、吉川弘文館のPR誌『本郷』55号(2005年1月)に掲載された拙稿「歴史的身体運用法」を御覧下さい。

ところで、今週の『義経』では、藤原の子息達が的を射ていましたが、矢が的に刺さっていました。これは征矢を使用しているからですが、的を射るためには、征矢ではなく、的矢を用います。的矢には、鏃ではなく、先端が扁平で的に当たるだけの、平題(いたつき)や神頭(じとう)などを取り付けます。的に矢が刺さっていては、的がいくつあっても足りませんね。

また、秀衡から義経へ送られた白い毛の馬を、「白馬」と表現していましたが、あれは「葦毛」というべきですね。

さらに義経の家人達が、お笑い系なのはともかく、彼等が、出家している弁慶はいいとしても、その他の人々がいずれも烏帽子を被っていないのは、おかしいことです。それでは全員が童です。どのような身分であれ、当時は成人男子ならば、烏帽子を被ったはずです。また、方言の話しも出ていますが、駿河次郎だけ方言(駿河弁)を話すのもおかしい話ですね。

もっといえば、これは今回の『義経』に限らないことですが、秀衡等が狩りの時に被っていた笠を綾藺笠といいますが、それが真ん中でふたつに折れる形でした。しかし、本来の綾藺笠はふたつに折れる形ではありません。円盤状の笠に巾子形(髻を入れるための中央の突起部分)がつくわけです。

当時の会話はいったい如何に…

No.3389

駿河の人間、京の人間、奥州の人間等々が集まると、会話はどんなふうになったのでしょうか。そういったことを言語学的に検証することはできるのでしょうか。誰かやっていないのでしょうかね。
 ちなみに、駿河次郎をやっているうじきつよしはミュージシャン、喜三太をやっている伊藤敦史は俳優です。まあ、すべてがお笑いではないにしても、うじきつよしは「お笑い系」ですかね。人物造形までふくめて、あまりにも単純で、類型化されすぎている、ということでしょう。義経が三蔵法師にしか見えなくて、困っています。

今日の『義経』もよろしく。

No.3368

 この掲示板。ご覧になっている方の範囲(地域も含む)は想像を絶する勢いで広がっております。ゼミ生の郷里の御家族が、この掲示板で京都にいる娘さんの勉学や生活の様子を見て安心して下さっているという話をうかがったこともありますが、小生自身についても、世界中にいる友人たちがこれを見ていてくれるようです。
 そのうちの一人、現在、東京は池袋で税理士事務所を開いているピーター・セラーズ(本人によれば、アラン・ドロン)によく似た高校時代からの親友から、この掲示板についてメールが届きました。
 すなわち、・・・大河ドラマ『義経』にたいする諸先生方によるコメントがじつに面白い。歴史の素人としては義経放送後の掲示板が楽しみである。・・・さらには、「ほりえもん」に頑張ってもらって、義経放送と同時並行で掲示板のやりとりを双方向で流してもらいたい。・・・などという、要望までございました。
 おそらく、多くの「視(聴)者」の方々も同様にお考えのことと思いますので、これまで御登場の先生方、それにNHK関係者の石浜さん、ゼミメンバー諸姉兄、なにとぞ「よしなに」お願い申しあげます。
 そのうち、当掲示板の書き込みからどこぞの大学の入試問題が作成されることになるかも知れませんね。
  わが親友云わく、「掲示板を見る楽しみが又一つ増えた」。

晴れの服装

No.3371

 『義経』のことははじめて書きます。
 今日は藤原秀衡が登場したのですが、その初登場シーンで秀衡が両腕を大きく振ってのしのし現れましたね。個人的な感想と言われればそれまでなのですが、洋服と違って袖が大きい狩衣を着て、腕を大きく振るとなんだかとてもみっともなく見えました。当時の人はあんな歩き方をしたのでしょうか。僅かワンシーンだったのですが、着崩れしないかと心配にもなりました。
 スーツなどの洋服は大きく腕を振って歩いても様になって見えると思うのですが、袖が大きい狩衣や直垂は腕の振りが小さい歩き方のほうがいいのではないかと思いました。陸上選手の末続慎吾さんが取り入れて話題になった「ナンバ」というのが、これに当たるのかどうかはわかりませんが。
http://hc2.seikyou.ne.jp/home/jcfa-osakanisi/taikyokuken/nanba.htm
 今週・来週は各地で卒業式が行われ、和服を着る人も多いと思いますが、どうぞ着崩れにはお気を付けください。卒業式に狩衣や直垂を着る人はいないと思いますが。

本日の『義経』、付、宇治歴史散歩。

No.3372

 本日は突っ込みどころが少なかったのですが、藤原基成を登場させれば、歴史的事実に即した形で、よりストーリーを面白く、分かりやすく展開出来たのではないかと思いました。また、平泉藤原氏の一族と家人が居並ぶ場面では、やはり例の柳の御所跡から出土した折敷墨書を思い出さざるを得ませんでした。きっと、岡田清一先生もそうだったと思います。
 ちなみに、今回の制作者は馬に気を遣っておられるようで、外来種ではないように見えますが、実のところ、もう今では純国産種の馬などはいないのだろうと思います。
 義経は平泉で、妻(佐藤継信・忠信兄弟の姉妹か?)を娶り、子(娘)もなしていますから、かなりよい待遇をうけていたのではないかと考えています。ちなみに、保立道久先生は『義経の登場』において、この娘(源有綱の妻となる)を義経の年齢から「妹」と解しておられますが、その必要はないのではないかと小生は思っています。

 ところで、当ゼミの宇治の歴史散歩ですが、設定された日に御用がなければ、元木先生も参加していただける由。朗報です。これまで、平安時代の宇治については、源氏物語的発想からか、道長・頼通・寛子の時代にのみ関心が向けられていた観がありますが、「権門都市」として完成を見たのは忠実の時代でありましょう。かかる観点からすれば、元木先生は宇治を語るに際して、第一に御登場願うべき研究者なのです。さらに「権門都市」と言えば、美川先生。御都合が宜しければ美川先生も是非とも。

 >岡田清一先生  みやぎ県民大学のテープ起こし原稿に基づく講演録、おそくなりましたが、昨日添付ファイルにて送信させていただきました。

昨日の義経

美川圭
No.3375

昨日の義経、奥州での生活が主でしたが、
あの弁慶をはじめとする義経の家来たち、
いったい、何をしているんでしょうか。
一応、畠をつくって、自給自足らしいのですが、
また、ちょこっと土地の庶民との交流?
もっとほかにやることあるんでは?
たとえば、藤原氏の人々との関係を密にするために、
奔走するとか。
あれでは、まったく下宿の居候です。

それから、奥州藤原氏の雰囲気が希薄です。
まるで関東のどっかの武士団のようです。
何か装束とか、立ち振る舞いとかに特徴はだせないのでしょうか。
このあたりは、私も奥州のことがわかりませんので、
どうのこうのいえませんが。
あの地域の豪族の特徴を出すくふうが必要です。

それから、ドラマ全体にそうなのですが、
季節感が希薄ですね。
とくに東北にきたのに、いつも夏のようです。
京都も冬寒いですが、それに較べると、
やはり一段ときびしい気候なはずです。
そういうことを描くことを、すっかり忘れてしまっているのでは。

うつぼ、という女の子が、京都からやってきましたが、
まるで隣村から来たみたいな雰囲気です。
もっとデイテールというものにこだわらないと、
どうせ奥州での話は90パーセント以上が虚構なのですから、
いくら虚構でも、それらしいリアリテイがうまれません。

あと泰衡が狩りではぐれたそうですが、
そうすると命が危ういんですかね。
何か、別の勢力に命をねらわれているのか。
夜になると寒いので凍えてしまうのか。
その辺がまったく描かれていないので、
これもまったく危機感がありません。
義経が一人で探しにいくようですね。
ここでも、いったい家来はどうなっているのか。
自分で行かずに、家来を派遣してやるほうが、効果的では。
ろくに現地を知らないのに、やみくもに探してもだめで、
そのへんは秀衡の言うとおり。
それでも、義経は超人で、探し出すらしい。

まあ、
泰衡を義経がたすけて、仲良しになるようなストーリーらしいですが、
それだと、なんだか、もう幼稚園のお芝居みたいで。
もうひとひねりを期待しましょう。

>野口先生
ぜひ宇治の歴史散歩、参加させてください。もちろん、予定があえば。
よろしくお願いいたします。

言語学的見地から見た「義経」の疑問

No.3376

何やらたいそうなタイトルをつけてみましたが・・・。
長らくROM(Read Only Member?)してたので、久々にネタ提供します。

僕は歴史学には素人なので、毎回見終わった後に皆さんの掲示板のやりとりを読んでフラッシュバックする、
って感じなのですが、僕の専門分野であった言語学(厳密には英語言語学でしたが・・・)に照らし合わせて
「ん~?」と思うことがあります。それは、登場人物の使う「ことば」。

日本語は、当時の日本の中心であった京都から、同心円状に日本列島に広まって行ったと考えられています。
したがって、現在東北や九州など、京都から遠く離れた地域で使われている言語の源流は、
かつて京都で使われていたものと考えられます。「義経」の時代の京都で使われていた言葉は、
今の「京都弁」とは違うもののはずなのですが、ドラマで京の町衆(って言うのかな??)が
それに近い言葉で話しているのを見ると「ホンマかいな~?」と思ってしまうわけです。
もちろん、ドラマの演出上の理由はあるでしょうけど。

逆に、義経や弁慶、平家の面々はどのような言葉を話していたのだろう?といった興味も湧いてきて、
それはそれで面白いんですけどね(笑)。機会があったら日本語学の本でも読んでみます。

長文(戯言)失礼致しました。

なんだかんだで、やっぱり見てしまう「義経」

No.3379

 以前、新歓コンパ的に開催された陰陽師ツアーで、「陰陽師Ⅱ」を劇場で見ましたが、その時も京都と出雲の国が、数時間の距離で結ばれている錯覚に陥るようなストーリー展開でしたが、今回の義経も似たような感じでした。
 オープニングには、時代考証・風俗考証・建築考証・衣装考証と名前が出ていますが、考証という仕事はどういう内容なのでしょうか。

 高校の時、大河ドラマで御所ことば監修などをされていた堀井令以知先生が社会人講師として授業に来られた事がありました。当時の言葉をそのままテレビでオンエアすると、視聴者が意味が分からなくなるし、役者さんがきっちりとした発音が出来ない時もあったり、状況に応じて現代風にアレンジする必要が出てくる、という話でした。
 
 製作側にもいろいろと訳があるのだと思いますが、議論の必要は大のようですね。

 最初、義経専用掲示板をつくろうかと考えていましたが、ページを分散してしまうと、お客さんが減ってしまうという過去の経験がありますので、このままで行こうかと考えています。(大河ドラマ終了後に、関連した投稿をまとめたページでも作ろうかと考えています)

「東山にJR新駅設置の計画」

No.3359

3月1日付け(だったと思う・・)京都新聞によりますと、JR西日本は京都市内に新駅を設置することを検討しているそうです(昨年9月に京都市議会で請願が採択済み)。
 場所はJR東海道本線と東大路通とが交差する付近です。と、いうことは、京都女子大学から徒歩10分ほどの距離のところだということになります。京女はますます便利となり、野口先生ほか京女関係者の皆様にはご同慶のいたりでございます。
 なお、新駅の名称にはぜひ「法住寺殿駅」を採用していただきたいものだと愚考しておりますので、JR西日本関係者の皆様はご一考くださいませ。

JR新駅の駅名私案。

No.3362

 もしJR新駅が設置されることになると、それは法住寺殿の域内に駅舎が建設されるということになるでしょう。場合によっては発掘調査ということも考えられますね。となれば、いよいよ山田先生の出番ということになります。その際には、ついでに建春門院陵もお願いしたいところです。
 新駅名の候補としては、小生も「法住寺殿」がベストだと思いますが、一歩妥協して「今熊野」もしくは「蓮華王院」、わかりやすく「三十三間堂」というのも考えられます。あるいはズバリ「京都女子大学」。
 最近流行の地名表記法によれば、京都駅の東ですから「東京都」というのも。「西東京市」なんてのがあるくらいですから。
 
 ☆ 山田先生はもとより、元木先生にも御執筆いただいた『古代文化』第57巻第4号(特輯『平家と福原』)は、いよいよ『古代文化』次号ということになりました。目次を掲げると以下のとおり。

   特輯『平家と福原』によせて・・・・・・・・・・・・・・・野口 実
   福原遷都と平氏政権・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・元木泰雄
   『福原京』の都市構造・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山田邦和
   伊勢平氏と屋敷・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・伊藤裕偉
   平家の本拠をめぐって-立地空間の軍事的評価-・・・・・野口 実   
   『平家物語』における遷都
    -『延慶本平家物語』『山門奏状』の本文について-・・・近藤安紀
   <図版解説>兵庫県神戸市 楠・荒田町遺跡・・・・・・・・・岡田章一
  

 >山田先生  16日の研究会の御案内、ありがとうございました。嵯峨のお話はぜひともうかがいたいので、参加の方向で考えております。

 >山田ちさ子様  「平安京探偵団」トップページの最上の場所に広告を掲載してくださり、あつく御礼申しあげます。感謝です。それにいたしましても、「中世の国家と天皇」御発表の後、上等の焼肉で晩餐とのこと。「学問」も「食」も究めた何処かの王家のごとき贅沢な生活ぶりかと存じます。

Re: 「東山にJR新駅設置の計画」

No.3366

地元の今熊野・一橋自治会や商店街、市会議員などの働きかけにより、計画が進行している形です。
地元では新駅『東大路駅(仮称)』というふうに呼んでいます。 建設場所としては、JR東海道本線と東大路通がクロスしている所から、少し山側にかけての部分が候補にあがっています。
駅名については、一橋校区と今熊野校区のど真ん中ですので、『今熊野駅』とするのは、自治会的に反対が出そうな気がします。どこかの町村合併と似たような感じです。

補足...

http://210.235.76.199/utsumi/club/index.php?page=14

団体名その物が『JR東大路駅新設推進の会』でした...。