ゼミ旅行

No.3333

 皆様、二泊三日のゼミ旅行本当にお疲れ様でした。
 幹事であるにも関わらず、掲示板への書き込みが遅れてしまい本当に申し訳ありません。初めて幹事を務めさせていただき、正直に言っていっぱいいっぱいでした。皆様にもご迷惑をお掛けしたことも多々ありましたが、最後までお付き合いいただき感謝の言葉もありません。本当にありがとうございました。
 私は25日の夜に夜行バスで山本さん、荒木さん、山岡さんと東京に発ちました。しかし気分が高揚し、バスも揺れていたためかなかなか寝付けず、結局ほとんど眠ることが出来ないまま東京駅に着きました。東京駅を出ると見たことのないような高層ビルが立ち並び、おのぼりさん丸出しで「すごい!すごい!」と4人ではしゃぎ、写真をとりまくっていました。その後、いわくつき(?)の「将門塚」に立ち寄って、地下鉄に乗って上野駅に向かいました。上野では西郷さんの像の前で写真を撮ったり、リニューアルオープンした東京国立博物館を見学しました。ここでは『男衾三郎絵巻』や頼朝坐像、有名な一休の肖像画などを目にすることが出来、とても面白かったです。特に『男衾三郎絵巻』は当時の人々の様子が生き生きと描かれていて、武士の姿や当時の醜女がどういう人だったのかを知ることが出来て興味深かったです。頼朝坐像は以前神護寺で見た頼朝の肖像画の印象とはまた違うものがありました。その後、金龍寺では野口先生のかつてのご学友である並木優記さんのもとにお邪魔させていただき、かつての学生がいかに学問に対して貪欲であったかをお聞きして正直とても驚きました。そしてそれが許される時勢であったということもうらやましく思いました。その後、柴又帝釈天や浅草寺に向かい下町の風情を満喫しました。特に日が落ちてライトアップされた雷門やきらびやかな仲見世は圧巻でした。夕食時にはかつてのゼミ生であった八木さんやNHK出版の石浜さんも合流し、楽しい時間を過ごすことも出来ました。
 ゼミ旅行の二日目は、千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館を見学しました。ここでは野口先生のかつての教え子でいらっしゃる山田敬子さんも合流されました。ここは高校時代に大好きだった歴史の資料集の世界を立体化したようで本当に楽しかったです。再現された中世の町並みや武士の館、日記や文書の複製はとても興味深く、大正時代のカフェーも再現されていてまるで宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』のような世界で、タイムスリップしたような気分になりました。そしてその後、千葉市に向かい野口先生の案内のもと千葉氏関連の史跡を巡り、郷土博物館に向かいました。ここでも郷土の方の千葉氏に対する熱い思いを感じることが出来ました。その日の夜は佐伯真一先生も合流され、田中さんに予約していただいたお店で夕食をいただき、宿に帰ってからは有名な電気ブランもいただきましたが……私もビリビリしました(笑)
 三日目は朝から東大の史料編纂所を保立道久先生、高橋慎一朗先生にご案内いただきながら見学をさせていただきました。書庫には、吉川本の『吾妻鏡』など様々な史料を目にすることもでき、とても感動致しました。その後は始めての鎌倉に向かい、鶴岡八幡宮や頼朝墓などを巡りました。

 今回の旅行では始めての幹事を務めさせていただきましたが、私自身、とても貴重な体験をさせていただいたと思っております。本当にありがとうございました。それと同時に今回の体験は自分の不甲斐なさを嫌というほど感じさせられたものでした。自分ではきちんとやっているつもりでも必ず何か抜けていたし、行動も遅い。そしてそのせいで野口先生を始め多くの方々にご迷惑をお掛けしてしまいました。そのことは本当に申し訳なく思っておりますが、自分の欠点を身にしみて感じざるを得なかったことで、その欠点をどのように克服すれば良いかということを考えるきっかけになりました。また、色々な人と話が出来たことも良い思い出です。普段ゼミに来られている方はもちろんのこと、ほとんど会う機会のない方とたくさんお話できたことは、本当に楽しかったです。最後になりましたが、今回のゼミ旅行をずっと影で支えていてくださった八井さん、お邪魔させていただいた金龍寺の並木さん、東京で旅行に合流してくださった八木さん、山田さん、ご夕食で楽しい時間を過ごさせていただいた石浜さん、佐伯真一先生、東大史料編纂所の見学を快く了承してくださった保立道久先生、高橋慎一朗先生、ゼミ旅行に協力してくださった皆様方、本当にありがとうございました。


「御台様」はパーフェクト。

No.3334

 今回のゼミ旅行は今までとは勝手の違う旅行で、人の出入りも激しく、幹事さんはさぞや大変だったと思います。これをまだ2回生の山内さんがテキパキとこなしてくれたのですから、素晴らしい。自分が同じ年齢だった時のことを思い起こすと、まったく脱帽です。先輩方のバックアップもありましたが、本当によくやったと思います。山内さんは「謙遜屋さん」ですが、おおいに自信を持つべし!
 
 今回のゼミ旅行でゼミメンバーから山内さんに奉られたニックネームは「御台様」。いずれ、かならずや惹起されるであろう「承久の乱」に際しては、きっとゼミ結束の大演説で乗り切ってくれることでしょう。山内さんはゼミ旅行のたびに大成長をとげているように思います。
 ちなみに、二日目は佐倉の歴博が先で、それから千葉でしたよ。

幹事さん、本当にお疲れ様でした

No.3335

 野口ゼミの旅行は、参加者が同じ学校にいないこと等などの事情から、普通の大学の
ゼミ旅行に比べても結構大変です。(その辺は兵藤ゼミ幹事も勤めた門屋くんに聞いて
下さい)それに加えて今回のゼミ旅行、勝手は違うし人の出入りは多いし、永富さんと
「これまでになく過酷な幹事」と言っていた位ですので、まだ二十歳の山内さんに何食
わぬ顔でこなされては、私の立つ瀬がありません(笑)幹事というのは、色々な人の手助
けを得て初めて成立するものですし、そうやって手助けをしてくれる人がいる幸せも
痛感しますよね。それだけでも、今回の幹事は大成功だと思いますし、野口先生の仰る
通り十分にテキパキとこなしていたと思います。(大体幹事をしてもらっている段階で
「迷惑」と思うワケがない!)
 明治大学のラグビー部の故北島監督の座右の銘に「前へ」というのがあって、大好き
なのですが、この言葉を私は「何があっても前進することが重要である」という風に
解釈しています。今回の幹事で、山内さんは大きく一歩進めたのではないでしょうか。
謙遜する必要はない。「前へ」ですよ☆

Re: ゼミ旅行

No.3337

 山内さん、ありがとうございます。上の書き込みを拝見して、改めてまこと見事にゼミ旅行を締め括って下さったと感動しました。

 意味もなく「サイドに展開」してばかりの僕のような人間からは、山内さんの「前へ」の突破力は羨ましくさえあります。しかもその若さ(=可能性に溢れている)ですから。
 反省は反省として、この度はその突破力に更に磨きがかかったということで、遠慮なく自信を持っていただければと思います。

Re: ゼミ旅行→御台様へ

No.3344

山内さん、飲み会に遅刻してしまい、すいませんでした。田中さんのおっしゃる通り、野口ゼミは先生の人望故に参加される方が多種多彩なので、大変だと思います。それでもきっと何かいいことがありますよ、きっと。
なお、6月の講演会は堤邦彦先生とのこと。是非参加します。またその際には、よろしくお願いします。というのも、先日、四谷の駅ビル上の喫茶店で3時間近く堤先生とお話させていただきました。面白い本ができそうです。なにやら堤先生には情報参謀がいらっしゃるそうで。京都は面白いところだと改めて認識した次第です。

桃の節句

No.3327

 世間ではインフルエンザが猛威を奮っているようで、佐伯先生も山田啓子さんもご体調を崩されたとの事。ちょうど東京に行っている間は東名高速が凍結するほどの寒さだったので、長時間の見学にお疲れが出たのではないかと心配しておりました。
東京から帰って来ると、家には色々な書類が届いていて、来月の頭までは種々の手続きに追われそうです。来週の勉強会の準備もしなければいけませんし、やる事がたくさんあります。やる事がある方が時間を大事にするので、それもまた良しですが☆
 管理人さんのご配慮あって、壁紙もおひな様。今日は桃の節句ですね。今日は田中家でもちらし寿司と山菜の天ぷらが出ました。勿論お供は、東京から持って帰ってきた電気ブランです(笑)(岩田くんが「ビリビリする」と言っていましたが、そこが『電気』たる所なのですよ) 

>佐伯先生
 この週末はまた寒くなるようですので、ご自愛ください。

Re: 桃の節句

佐伯真一
No.3338

 田中さん、有り難うございました。おかげさまで回復しました。山田さんのウィルスが、私から行ったものでなければよいのですが…。
 復学前の3月とは、一番いい時期ですよね。学生時代の有り難みを知った上で、それに戻る直前というわけですから…。準備万端しっかり整えて、4月からは新しい環境でばりばり活躍してください。加美先生にも、新しい先生にも、どうぞよろしく。

宗教・文化研究所『研究紀要』18号刊行

No.3323

 京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』第18号が刊行されました。本号には、
 
 拙稿「慈光寺本『承久記』の史料的評価に関する一考察」
 
 <宗教・文化研究所公開講座講演録>
 源健一郎「『平家物語』と風景-清盛の見たもの/清盛を見る者-」
 川合 康「治承・寿永の内乱と伊勢・伊賀平氏-平氏軍制の特徴と鎌倉幕府権力の形成-」
  
などが掲載されています。お近くの所蔵機関(大学)をご確認の上、御覧頂ければ幸いです。

 ☆ なお、当ゼミ機関誌『紫苑』第3号は、目下、山岡瞳編集長のもとで二校校正中です。当初の思惑通り、サークル誌から学術誌への脱皮の段階にさしかかったように思えます。刊行にご期待下さい!!

「幽玄亭」と「平安京閑話」の御紹介

No.3329

 『紀要』・『紫苑』の御紹介のついでのような形にて恐縮ですが、ここでHPサイトと日記blogを紹介させていただきます。

 まず、『幽玄亭』というHPです。ここには、院政期の政治と文化に関する情報がなかなか手際よく整理されていて、以前偶然に発見(美川先生の論文集のタイトルから)したときには驚いたものです。しかも、管理人が一般の方であることに、さらに驚かされました。院政期関係の論文集の紹介や、『六代勝事記』に関する管理人の御見解、さらには『三長記』の現代語訳まで、院政期・鎌倉時代に関心を持つ史学科の学生さんなどにはお勧めの内容です。最近、拙著『坂東武士団の成立と発展』の復刊について宣伝してくださっているという情報を得て、久しぶりに覗かせていただいたところ、近くHPを閉鎖されるとのこと。これは勿体ない話しだと思います。それこそ、復刊ならぬ継続をお願いしたいところです。この書き込みをご覧の皆さんに、ぜひ、御一読をお勧めいたします。
   http://homepage2.nifty.com/yuhgentei/index.htm

 「平安京閑話」は、以前たしか『古代文化』誌上で角田文衞先生が連載されていたエッセー(実質的には研究論文)のタイトルであったと思うのですが、その角田先生をこよなく敬愛する山田邦和先生が、御自身の日記ブログに命名されたものです。すでに歴史のジャンルにおける人気ブログの2位にランキングされており、中村武生先生の「歴史と地理な日々」と首位を争う勢いです。それでなくとも広すぎる山田ワールドがさらに拡張されたという次第。こちらもぜひ御一読ください。
   http://heike.cocolog-nifty.com/kanwa/

 >山田ちさ子様  昨日は「平安京探偵団」開設5周年だったとのこと。おめでとうございます。京都の文化観光振興にたいへん貢献されていると思います(ちょっと手抜きの学生さんたちのレポートにも<笑>)。ちなみに、当家の白ネコ(名前はペ<半濁音>ン)も昨日、9歳の誕生日を迎えました。上総生まれ、下総育ち、なかなか容姿端麗な?雌ネコです。

「平安京閑話」その他

No.3336

野口実先生、みなさま、こんばんは。

私の、たかが風邪ひきに過分のお見舞いのお言葉を頂戴し、恐悦至極に存じます。おかげをもちまして少し回復しました。まだゲホゲホやっておりますが・・・

青山学院大学の入試問題に野口先生の御著書の文章が引用され、その中に私の文章が引用されている、という(他の人が聞いたならばなんのこっちゃらわからないでしょうが)こと、まことに光栄です。もし野口先生のところに入試問題がありましたら、末代までの語りぐさにぜひ見せていただきたいと思います。たとえそうでなくても、来年度の青山の「赤本」が出版された際には必ず購入し、家宝として子々孫々まで伝える所存であります(とはいっても私には子供はいないのですが・・)。

私のブログの題名が、角田先生からのパクリであること、さすがにお見通しで恐れ入ります。しょーもないものではありますが、 時々は覗いてやってくださいませ。

御礼、御礼

No.3347

>野口先生
青山学院大学の入試問題と、京女宗文研『研究紀要』第18号、たしかに拝受いたしました。ありがとうございました。前者を見せていただいて感激はひとかたならず、末代までの誉れでございます。研究紀要所収の御論文「慈光寺本『承久記』の史料的評価に関する一考察」も勉強になりました。軍記物などは、あるひとつの本だけ見ていてもダメで、やはり諸本の比較研究が重要だということがよくわかります。ありがとうございました。

人気blogランキング第1位!祝山田先生

No.3348

 上の御紹介の直後から、山田先生の日記blog「平安京閑話」が人気blogランキング歴史部門のトップに躍り出て、2位以下をどんどん引き離しております。各所で活躍されている山田先生の人気は流石である、と感心させられます。のみならず、「歴史好き」の方々の選択眼の確かさにも、歴史を職業とする者として安堵させられております。
 ただ、気がかりなのは、以前トップの座にあった山田先生のパートナーのblog「平家物語」が、このところ低迷気味であることです。これは平家諸本の解説まであって内容充実。僭越ながら「平安京閑話」とともに当ゼミ推薦blogとさせていただきたいと思います。メンバーの皆さん、いいですよね?
 山田ご夫妻のネット上でのさらなるご活躍を期待するものです。

Re: 宗教・文化研究所『研究紀要』18号刊行

No.3352

 野口先生 
 名前を呼んでいただき、遅ればせながら出てまいりました。

 山田先生のブログのランキングアップは本当に見ものでした。
 どんどん伸びていかれて、絶対抜けないと思っていた首位を追い落とし、堂々首位を守っておられます。すごい。
 私はいつ奥様に抜かれるかとおびえつつ、ほそぼそ更新を続けたいと思います。

 さて先日は角川源義・高田実『源義経』をご紹介下さりありがとうございました。
 さっそく購入して拝読しました。
 野口先生の解題も大変読みやすくありがたかったです。同書への野口先生の思い入れがとても強く感じられ、気持ちのよいことでした。

 お勧めのとおり、角川氏の伝承への視点は大変勉強になります。
 史実としては、鞍馬をめぐる話そのものを認めにくいとされる厳しさも、ほーっという思いでした。
 あえていえば、京都の伝承地への言及がほとんどなかったのが残念なことでした。

歌舞伎鑑賞ツアーのお誘い

末松憲子
No.3314

ご無沙汰しております。末松です。
本日は、来る4月の歌舞伎鑑賞教室へのお誘いです。

4月24日(日)に堤ゼミと共同で観劇会をしませんか?
南座の『歌舞伎鑑賞教室』(桂九雀氏の「南座と歌舞伎」を聞いた後、「櫓のお七」を鑑賞)観劇後、下京散策→飲み会
というコースです。
予算2000円(観劇費のみ含)、11時からの公演です。


今回の散策の企画は、精華大の新カリキュラムで、三年生のゼミ生が企画実行する事になっております。
その為、普段中世を専門とされておられる皆様にはなじみのない所を散策する事になると思います。
以前ゼミで発表させて頂いた時に、今度何か合同企画を、、、という案が出ましたので、提案してみました。
もちろん宗文研の方以外でも参加OKです。
歌舞伎鑑賞教室のみでもOKですよ。
京都にて江戸時代を想像する機会はなかなかありませんので、いかがでしょう?
お返事はこちらの掲示板かメールでお願いします。


田中さん
合格おめでとうございます!



歌舞伎鑑賞ツアー

No.3317

ステキな提案ですね☆
 歌舞伎鑑賞教室は一度行ってみたいと思っていました。が、4月24日は軍記・語り物研究会に行くかもしれないので、予定がまだわかりません。予定が合えば是非、ご一緒させて頂きたいと思います。
 野口ゼミの皆さんも、せっかく京都に南座があるのですから、歌舞伎の観劇もされてはいかがですか?歌舞伎鑑賞教室は入門編ですし、「櫓のお七」はストーリーも分かりやすくて、かなり取っつきやすいと思いますよ。しかも解説あって¥2000で歌舞伎が見られるなんてお得!ああ・・行きたい!

追記
 お祝いありがとうございます☆

Re: 歌舞伎鑑賞ツアーのお誘い

末松憲子
No.3324

田中さん

宣伝ありがとうございます!
軍記・語り物研究会とは強力なライバルですね。
でも、待ってますよ!(笑)
以前言っていた近世をやっているご友人も、良かったら誘って下さい。
京都で近世芸能史をやっている人はあまり知らないので、是非お知り合いになりたいです。

ほかの方も是非おいで下さい!
今のところ四月の中旬頃の締め切り予定でいます。

歌舞伎鑑賞ツアーのお勧め。

No.3330

 この企画は、とても価値のあるものです。小生は残念ながら4月23・24日は江戸に参府の予定があって行けないのですが、合同企画ということにして頂けるというのは実にありがたいことです。当ゼミの芸能史ジャンル研究の中心的存在は門屋君ですが、門屋君もこの日はお江戸で学会参加かも知れません。
 堤先生にはこの6月の公開講座の講師をお願いしていることでもあり、ゼミメンバーには、この機会にぜひ、歌舞伎鑑賞をお勧めいたします。精華大の堤先生のゼミ生の皆さんとも交流を深める絶好のチャンスだと思います。
 末松さんも当ゼミでは、いよいよ古参でありますから、何卒よろしく。

歌舞伎鑑賞ツアー

No.3331

 末松さんご無沙汰しております。ぜひとも参加したい・・・のですが先生も書いてくださったようにお江戸かもしれません。歌舞伎になかなか足を運ぶことのない方にはいい機会だと思いますので、是非行かれてはいかがでしょうか・・・。解説付きで歌舞伎を見れば確実に魅力を感じることができると思います。私自身はチケットがどれるかどうかわからないですが、中村勘三郎襲名披露(7月:大阪松竹座)は是非行きたいと思っておりますので、一緒に行ける仲間がこの機会に増えることを楽しみにしております。末松さんよろしくお願いします。
(ついさっきまで金曜エンタテイメント『涙の襲名完全密着 勘九郎から勘三郎へ!!家族の絆 試練と挑戦 18年全軌跡 』を見ておりました)

十八代目勘三郎襲名披露に関してはこちらのサイトで。
http://www.shochiku.co.jp/play/kanzaburou/index.html

東京下町・歴博・千葉・東大史料ゼミ旅行

No.3310

 そろそろ、ゼミ旅行に参加したメンバーのほとんどが、帰洛されたことと思います。いつもゼミ旅行の幹事さんは、ほんとうに良くやってくれるのですが、今回も、山内さん(後見役・山本君)の活躍は見事なものがありました。
 初日は東博見学の後、浅草・柴又など東京の下町を歩きましたが、小生にとって何よりもうれしかったのは、もう30年も昔、安田元久先生のゼミに参加させていただ時に学習院大学大学院で同学年だった並木優記さんにお目にかかれたことです。並木さんは現在、地下鉄田原町近くの臨済宗金龍寺の御住職。院生の頃は痩身・長髪に最新のファッションで目白の街を闊歩されていたのですが、今は墨染めの法衣に身を包み、なかなかの恰幅のよい優しげなお姿に変身されていました(もっとも、小生とて・・・ですが)。境内にある荷田在満の墓などを御案内いただいた後、本堂で暖かいおもてなしをいただき、また、『学習院史学』に執筆された御高論で御名前を存じ上げていた奥様にもはじめてお目にかかることが出来て、本当に楽しい一時を過ごさせていただきました。
 そのあと、柴又では帝釈天の門前でお団子をほおばり(腹ぺこだった山岡さんが一気に元気を回復したのには驚きました)、寒風ふきすさぶ江戸川べりで国府台古戦場を望見の後、浅草へ。
 仲見世の面白いお土産品を覗きながら、地元の人も顔負けの野口君による名ガイドを聴きながら浅草寺・浅草神社を参詣の後、雷門で待ち合わせて懇親会。御結婚の後、東京にお住まいの八木(現姓・山下)さんや当ゼミ顧問・NHK出版の石浜哲士さんも加わって楽しいひとときを過ごしました。銚子直送の鰯はさすがの味でした。
 二日目は、佐倉の歴博(ここで小生の前任大学のゼミ生、山田敬子さんが合流。また、レストランで高橋一樹先生にお声をかけていただき、ゼミメンバーを紹介できたのは幸運でした)、千葉を見学の後、下総中山駅で佐伯真一先生のお迎えをいただき、御一緒に中山法華経寺・奥の院を見学しました。この寺は『源平闘諍録』を生んだ千葉氏の一流と関係が深く『平家物語』研究の大家である佐伯先生と同じ場に立つことが出来たことに何かの因縁を感じました。それから、また上野で懇親会。その晩は、東京在住のゼミ生の研究仲間が訪ねてくださって遅くまで盛況でした。
 三日目は、池之端のホテルから東大まで歩きましたが、東大構内が工事中のために道に迷い、あわや遅刻と心配しましたが、なんとか10時前に史料編纂所に到着。保立道久先生・高橋慎一朗先生にはまるまる午前中、史料編纂所についての御説明や諸施設の御案内をいただきました。とくに保立先生には、わざわざ資料まで御用意していただいて、本当にありがとうございました。また、お仕事中で恐縮でしたが、久しぶりの山田邦明先生にお目にかかることが出来、さらに保立先生から古文書室の先生方を御紹介いただいたことも嬉しいことでした。
 古文書室にはちょうど百瀬今朝雄先生がお出でになっておられました。学生時代、小生の師である貫達人先生から「史料」に行ったら百瀬先生をお訪ねするように言われていたのですが、それをようやく果たすことが出来、感慨一入でした。
 史料編纂所の入口で記念写真を撮影していたところで、ここで研究をされているゼミ生にもお馴染みの若い研究者の方たちにお目にかかれたり、昼食を学士会館でとることが出来たのも幸いでした。それから鎌倉に行きましたが、さすがに頼朝より長生きしている小生は頼朝の法華堂跡あたりでガックリと疲れ、北条義時法華堂跡まで御案内して、解散ということにさせていただきました。
 
 田中さんからの御提案、門屋君からの御希望もありましたし、参加者(現地で参加された方も)それぞれの御感想を頂ければ幸いであります。

 ☆ そんなわけで、『義経』2月27日放送分は視聴いたしておりませんので、何とも申し上げられません。

 >佐伯真一先生  京都新聞へのコメント、ありがとうございました。小生もまったく同意見です。また、27日、御一緒下さいまして、とても充実したときを過ごすことが出来ました。「無事旅行中」の書き込みにも御礼を申し上げます。なお、例の入試問題は回答にたいへん迷いました。変な気持ちです。

 >戸田靖久様  御案内ありがとうございました。貴会にはこちらのゼミ生が御世話になっておりますが、関学の院生にも武士論専攻の方が多いようなので、当方の例会などにもぜひお出かけ下さるようにお勧め下さい。

 >源健一郎先生 お久しぶりです。今度の平家物語研究会での報告は順序が逆のようで申し訳ないのですが、紀要18号に書いたものの話です。よろしく、御批判下さいますよう、お願い申し上げます。
 4月は23日に平家物語研究会、24日に軍記・語り物研究会がありますので、両方に出席させいていただきたいと考えております。
 田中さん・門屋君は、学部以来の当ゼミ生としてはじめて、ついに完全に学問・研究の世界に踏み込みました。ますますの御教導、よろしくお願い申し上げます。

 >石浜さん NHKブックス3冊拝受いたしました。また、『女性自身』情報をありがとうございました。
 
 ※ どなたか研究室にご用のある方にお願いですが、近藤好和先生の載っている『女性自身』持ってきて見せてください。さすがに買う勇気がありませんので。

 >鈴木君  3月1日がお誕生日だったのですね。おめでとうございます。貴兄のようなしっかりした人物が僅か22歳というところが、人間社会の面白いところだと思います。4月から同志社での御活躍を楽しみにしています。

ゼミ旅行

No.3313

昨日の朝、夜行バスで京都へ帰って参りました。
幹事の山内さん、山本さん楽しい旅行をどうもありがとうございました。
「不安だ」と言っていた割にてきぱきと予定を進める山内さんをみて頼もしいなと感じましたよ♪「プリンセス」あらため「御台様」の襲名も完了したことですし、これから代表としてぐいぐいゼミを引っ張っていってほしいとおもいます。

京都へ到着し、数時間鈴木家で仮眠をとったあと昼から教習所へ行き車を走らせていたため帰宅した時にはもうふらふらで、とても掲示板に書き込む気力が残っていなかったためレポートが遅くなりすみません。
今からまた教習所へ行かねばならず、時間がないため詳しいレポートはまた帰ってきてから書かせていただくことにします。

22歳☆

No.3316

みなさま>
 ゼミ旅行中で、誕生日を祝ってもらい、感謝の気持ちでいっぱいです。
 3月1日と言うと、卒業式ラッシュの日でもあり、高校の時などは、ほとんど忘れられてしまう日になってしまい、また大学でも春休み突入のために、人に会うことすらありませんでした。それだけにとてもうれしく思いました。
 22歳になりました、特に変わったという自覚は無いのですが、4月からの勤務先から続々と書類が送られてくるようになり、学生生活もこれで終わるんだと、再確認させられています。着る服もいろいろと揃えないとだめなので、お買い物リストをそろそろ作ろうかなと考えています。

 ゼミ旅行では、「途中参加、途中退場」となり、幹事の山内さんにはいろいろと面倒をかけてしまいました。でも、短い時間でしたが、楽しい旅行になりました。↑で永富が書いてますが、行程のダンドリや、メンバーの引率をする姿は、「さすがだな」と感じました。ゼミの今後は安心だと僕は思います。

 僕のゼミ旅行レポートですが☆
 3日目の東大史料編纂所での、画像データベースのサーバ群を見せてもらって、一応専門である僕としてはちょっと背伸びしてしまいました☆
 歴史的な史料の保存について、まだまだ世の中の理解が少ないのではないかと見学して思いました。
 アクシデントに備えて、同じ設備を複数の拠点に設置して共有したり(例えば、京大←→東大間で常時バックアップなど)、史料の電子化についての技術的なノウハウの蓄積が早急に必要だと感じました。予算のつきやすい分野・つきにくい分野と違いはあるでしょうが、史料編纂所のような部署にも地球シミュレータ(http://www.es.jamstec.go.jp/)並の予算があれば、もっともっと研究が進んでいくのではないかと思います。
 史料編纂所では、さまざまなメディアの特性を生かして情報を蓄積されていて、また誰でもが自由にアクセスできるような環境を準備されているその姿勢に、とても共感を覚えました。インターネットを利用した公開は、小中高での総合学習など、研究者以外にも有益な活動だと思います。4月から情報科の教員になりますが、本当の意味での「情報」という点を考えさせられた見学でした。保立先生・高橋先生ありがとうございました。
 
 東大の後、ゼミのみなさんとお別れした、お台場に向かいました。念願の「日本科学未来館」へ行くことが出来ました。展示内容については、僕が解説できるくらいによく知っているものばかりですが、やはり本物を見ることが出来る、触れるという事で、見学している小学生と一緒にはしゃいでいました。
 服のお店のように、ボランティア解説員にべったりと説明されるのが(僕としては)不満だったのと、TRONで有名な坂村先生が関わっているであろうユビキタスの展示は、くどすぎて見て回るのが大変でした。(坂村先生が書かれた、情報科の教科書もくどいです!!)
 宇宙技術・バイテク・情報技術・運輸エネルギーと、スポンサーの違いにより、テーマに応じての展示がばらばらなのが残念でしたが、逆に企業のショールーム並に一つ一つではレベルの高く、普段は映像などで説明される内容が、模型や実験で理解できる場所として、必要な施設だと思いました。

 日本科学未来館の話が多くなってしまいました(^_^;すいません

Re: 東京下町・歴博・千葉・東大史料ゼミ旅行

No.3318

ゼミ旅行お疲れ様でした。
私はついさっき京都に戻ってきました。
幹事の山内さん、「私には無理!」とかいいながらしっかりと幹事をこなせていたと思います。本当にお疲れ様でした。紫苑もあと少しです。山内さんの頑張りを見習って、いい物にしたいと思います!!また、体調が万全ではなかったにもかかわらず、山内さんの補佐に徹した山本さん、お疲れ様です。改めて、お二人にお礼を言いたいと思います。

>野口先生
 東京国立博物館で時間いっぱい見学してしまったため、お昼ご飯を食べることができなかった私にとって、柴又でのお団子は本当に美味しかったです!!

>鈴木さん
 少し遅れましたが、お誕生日おめでとうございます。

女性自身

No.3319

野口先生>いやー、わざわざ御覧頂くまでもありません。

薗田さん>それは、ナイナイの岡村の顔を見てたんじゃあないんですか?

それにしても、カメラマンに「顔が恐い」と言われてしまいました。

できるだけくだらない報告

No.3320

 >永富さん、鈴木くん おかえりなさい。お台場から観覧車やコーヒーゼリーやらの画像を送ってくれてありがとう。
 >門屋くん 採点作業おつかれさまです。きちんとした旅行記はみなさんが書いてくれると思うので、僕はできるだけくだらないことを書きます(「くだらなさ」こそが必要だ!)。

 僕は土曜日の夜からの途中参加でした。京都駅の伊勢丹で、閉店間際の割引のお弁当を手に入れてから新幹線に乗り込みました。格安チケット屋で切符を買ったんですが、土曜の夜ということもあって指定席券しか手に入らず、因って普通に乗車券+自由席券を買うのとあんまり変わらない値段になってしまいました。やはり何事も早めに手を打っておくのが肝要なのでしょうか。
 到着は23:00を越えてしまったため、浅草での宴はもちろんのこと、宿舎の温泉にも入れず(翌朝無駄に早起きして浸かりました)。上野駅前のス●バは23:00で閉店するんですね。まだけっこう賑わっていたのに。浅草の宴で出された鰯が美味しかったと聞いて、うらやましいです。入院以来、肉よりも魚が好きなのです。
 日曜日は佐倉の歴博を見学。いいお天気でしたね。歴博ははじめてで、まずは一通り流して見てみようと思っていたのですが、最後まで流しきる前に体力が尽き、古代カレーに辿り着きました。古代カレーを頬張る間、頭の中には「五穀豊穣」のテロップが流れ続けました。
 印象に残ったのは、ビンザサラ(http://www.suc.com/info/binzasara/binza.htm)のレプリカと、丹波国大山庄の地形を立体的に見せてくださる展示。そこだけで各々五分くらい立ち止まってしまったでしょうか。ビンザサラは一度鳴らしてみたいと思っていたものでした。大山庄の地形の展示といい、千葉の車窓から見える何処までも続く平野といい、どうも地形を眺めるのが好きです。関東平野は、山が近い京都にはない景色ですね。
 中山法華経寺のある千葉県市川市は、従兄弟家族が住む町です。しかし今回が三度目の訪問でした。ほとんど初めてと変わりません。狭い門前道(沿道のおでんを立ち食いしたかったです)を抜けた先に広がる、巨大なお堂と広い境内がとても印象的でした。長村くん、『こころ』で先生とKが訪ねたのは誕生寺でした。すいません。
 その晩は、野口先生、平田さん、鈴木くんのお誕生日をお祝いできましたね。みんなで集まるときに、こんな祝い事が重なるのは本当に嬉しいことです。僕は地味に電気ブランを初体験しました。「びりびりする」というベタな感想を述べてしまいました。
 月曜日の午前中は東大史料編纂所を見学させていただきました。素敵な経験でしたね。史料を前にして発情している方や、書庫内でなぜか波田陽区(http://www.ymzoo.com/movie/archives/cat_gcz_cim.html)のモノマネをしている方がいるなど、怒濤の約二時間でありました。史料編纂所のみなさん、ありがとうございます。
 午後は鎌倉に向かいました。お台場に向かった鈴木くんからは観覧車の画像をいただきましたが、肝心なところその観覧車には乗ったんでしょうか。
 この一年みんなで吾妻鏡を読んできたのですが、その現場をみんなで歩いて回ることができたのが嬉しかったですね。吾妻鏡だけではないですが、今回見てきたこと、歩いてきたことを、また次の勉強に活かしたいと思います。紫芋アイスは食べ損ねましたが(ちょっと寒かったので)、鯵の押し寿司はとても美味しかったです。浅草の鰯の仇を、鎌倉の鯵でとりました(押し寿司は田中さんからのお裾分けだったのですが)。
 その後東京に戻り、お土産(「学問のすゝめ」)を手に入れて、帰路に就きました。なおこの「学問のすゝめ」は通販もしてくれるそうなので、興味のある方はHPをごらんください(http://www.bunsendo-hompo.com/frame/mascomi.html)。餡がとてもおいしかったです。
 帰りも新幹線だったのですが、お弁当も忘れずに手に入れてから乗り込みました。新幹線に乗る楽しみ(?)の四割ほどはお弁当だと思います。
 そういうふうに帰洛しましたが、今回のゼミ旅行を消化するにはもう少し時間が掛かりそうです。充実した三日間でした。

 >壁紙が雛祭りに変わっていますね。すばらしい。

おかえりなさいませ

鍜治 利雄
No.3321

≫ゼミ旅行に行かれた皆様
楽しい旅行で何よりです♪
お疲れでしょうから、2,3日休まれてはいかがでしょうか?
またよろしければ土産話お聞かせ下さい!

≫鈴木 潤さん
お誕生日おめでとうございます (*_ _)
早生まれで22歳って事は、高校までは同学年だったのですね!
よろしれば今度世代トークでもw

御礼→インフルエンザにご注意

佐伯真一
No.3322

 ゼミ旅行ご一行の皆様、先日は有り難うございました。
 お名前は存じ上げていますが、お顔は初めて拝見、という方が多く、「OFF会」というのはこういうものなのかもしれない、等と思ったりして…。
 ところで、私、あの翌日からダウンしてしまいまして、医者に行ったら、現在各地で猛威をふるっているインフルエンザB型であるとのことでした。あの晩、既に少し咳が出ていましたので、ことによるとウィルスをばらまいた恐れもないではありません。もし、そうだとすると、誠に申し訳ありませんが、野口先生はじめ、私の周りにいた方で、その後、調子が悪いという方は、お早めに診断を。

ありがとうございました。

No.3325

 皆様お疲れ様でした。掲示板の書き込みが遅れてしまいスイマセン。今回は初めての幹事職(正確には幹事補佐)とあっていろいろな不備な点があり、多くの御迷惑などを野口先生をはじめ、参加してくださったゼミメンバーの方々におかけしたと思います。また今回は従来のゼミ旅行とは違い、いろいろな方々と現地の東京で参加していただきました。浅草では、NHK出版社の石浜さん、中山法華経寺では佐伯先生、また2001年度の野口ゼミに在籍されていた八木さん、聖徳大学での野口先生の教え子である山田さんなど、また浅草では安田元久先生の研究会で野口先生の同期でいらっしゃった金龍寺の並木さんの所にもお邪魔させていただきました。また東大史料編纂所では保立道久先生・高橋慎一朗先生に案内していただきました。幹事としてちゃんと応対できたか甚だ不安ですが、本当に多くの方々に参加・協力していただきました。この場を借りて厚くお礼を申し上げたいと思います。
 自分と幹事である山内さんは本隊として全日程にいましたが、自分は一日目は念願(?)の「将門塚」に行きました。「将門塚」は、高層ビルが生茂る中でポッコリと穴の空いた不思議な空間でした。「新皇」を称して討伐された将門の首塚が、かつてのその反逆の相手であった天皇の子孫である現天皇の皇居付近にあるのは、何か因縁めいたものを感じましたし、未だにその存在(新皇かどうかは別として)を主張しているように感じました。
 また午前から午後にかけてはリニューアルオープンした東京国立博物館に行きました。特に教科書や高校日本史の「武士の生活」でよく出てくる『男衾三郎絵巻』が面白かったです。山岡さんと山内さんが、「あの絵巻には外人がでてくる(山岡さん・山内さん曰く「ファースト・サムライ」)」と言っていたので、よく見てみると、盗賊と思われる中に確かに外人らと思われ、鼻が高く、金髪(?)らしき自分が描いてありました。そう見えなくもありませんでしたが、果たしてどうなのでしょうか?そして午後から浅草の金龍寺にお邪魔させていただいて、いろいろと並木さんや野口先生の学生時代のお話をお聞きしました。特に印象深かったのは、昔の学生は有名な先生の居る大学に潜っていたお話です。土田直鎮や石母田正など自分の世代では伝説の先生方の名前が次々と出てきてびっくりいたしました。
 二日目に行った歴博と千葉郷市立郷土博物館では、千葉氏の歴史と共に野口先生の歴史も勉強(?)することができ、そして念願の「千葉常胤騎馬銅像」にもお会いできました。そして三日目の東大史料編纂所では、保立道久先生と高橋慎一朗先生に案内していただきました。史料編纂所の書庫はまさに圧巻でした。箱に『選択本願念仏集』と書いてあるものや、その他書き出すと限が無いぐらいビックリするものがありました(もちろん『紫苑』も)。当たり前のことですが、あのような書庫の中に居るともっと貪欲に知識を吸収して勉強しなければと思わざる得なくなりました。また昼食時には、高橋先生からいろいろとお話をお聞きできました。
 今回はいろいろスケジュールや連絡の点などでいろいろ不備な点があっていろいろな方々にご協力していただきました。特に鎌倉では、時間があまり無かったのと無理なスケジュールになり、瑞泉寺や勝長寿院などが見れなくなってしまい、参加していただいた皆様に御迷惑をお掛けしました。従来のゼミ旅行とは違い、いろいろな方々にお会いでき、お話することで交流を図るということが、今回のゼミ旅行の主要なテーマの一つでした。皆さんはもちろんのこと、自分にとっても掛け替えの無い貴重な時間を過ごさせていただきました。本当にありがとうございました。

お見舞い申し上げます。付、入試問題

No.3326

 佐伯先生、その後、御体調はいかがでしょうか。お疲れの所、上野までお付き合いいただいたことで、抵抗力を弱めてしまったのかも知れず、申し訳ありません。
 病原菌=「疫神」は西からというのが通り相場でありますので、おそらく当ゼミメンバーは既に免疫力を獲得しているはずです。危ないのは関東で参加された方々なのですが、案の定、山田敬子さんは一昨日38度の発熱の由です。
 今年のインフルエンザは、「酒呑童子(疫神の化現)の会」を主宰されている元木泰雄先生をも40度の高熱で苛むほどの威力がありますから、くれぐれもお気をつけください。そういえば、山田邦和先生も体調を崩しておられるとのことで、お見舞い申し上げます。
 
 ところで、山田邦和先生にこのことをお知らせすれば、すこしは面白がって気分を良くされるのではないかと思うのですが、じつは佐伯先生にお教えいただいた、今年の青山学院大学国際経済学部入試問題「国語」の拙著『武家の棟梁の条件』(あとがき)よりの出題文には、山田先生の御著書(保育社カラーブックス『京都』)からの引用部分が含まれており、そこからの出題もあったのです。
 ともあれ、佐伯先生、山田敬子さん、山田邦和先生のご快復を祈念申し上げます。健康はすべてに優先することです。

 >山本君  おつかれさまでした。「人に歴史あり」風にいえば、小生がはじめて「歴史」を意識したのが、あの千葉の空間でした。今はだいぶ変わってしまいましたが。
 なお、幹事さんご本人からのコメントも、ぜひ宜しく。福山で自動車教習中の尻池さんも・・・。

Re: 東京下町・歴博・千葉・東大史料ゼミ旅行

平田樹理
No.3328

 皆様、ゼミ旅行お疲れ様でした。
山内さんと一泊して夜行バスで帰ったので、昨日の朝に京都に着きました。
眠れないかもと思いましたが、ぐっすり(ぐったり)と休むことができてよかったです。
 今回の旅行では、保立・高橋両先生方に東大史料編纂所の内部をご案内いただけたこと、歴民博を回れたこと、野口先生の解説つきで千葉市立郷土博物館を見学できたことなど、本当にたくさんの貴重な体験をさせていただきました。ありがとうございました。

幹事の山内さん、補佐役山本さん>本当にお疲れ様でした。いろいろありがとうございました。この場をお借りして、御礼申し上げます。

『紫苑』一号収載の高木論文について

No.3305

突然の投稿,失礼お詫び至します。
私は阪本敏行と申します。現在,日本史研究会・和歌山地方史研究会等に加入し,地方史誌・自治体誌を中心に「熊野別当」に関する多くの論文を10年以上前から書き続けています。
偶然,『紫苑』一号をインターネットで読む機会があり,早速,「熊野別当」のタイトルにひかれて高木論文を読ませていただきました。しかし,内容(失礼ながら学生としては標準以上の評価を与えてもよいと思います)はともかくとして,あまりにも古い文献に頼り切った記載内容(それゆえ事実認識に間違いが多くあります)にガッカリしました。
二年前の,しかも学生さんの論文なので,いまさらここで取り上げることが適切かどうか,疑問点はありますが,熊野別当家の家族問題(湛快・湛快と「たつたはらの女房」の関係)について五来重氏の机上で作り上げられた見解を無批判に踏襲されていること,しかもこの時点で熊野別当や熊野別当家に関する研究が和歌山県を中心にしてかなり進展していたのに,あまり進展が見られないという認識に立っていることに違和感を持ち,一言申し上げておこうと思いました。
もし高木さんへの連絡が可能であれば,しかるべくお取り計らいください。メールアドレスを明記しておきますので,もしご返事を頂けるようでしたら,そこへお願いします。
突然の投稿,失礼しました。

訂正

No.3308

9行の(湛快・湛快と「たつたはらの女房」の関係)→(湛快・湛増と「たつたはらの女房」の関係)に訂正します。申し訳ありません。


訂正

No.3309

またまた訂正です。肝心のメールアドレスが,一字間違っていました。掲示板上で訂正します。
toshi.saka@topaz.ocn.ne.jp

ありがとうございます

No.3312

阪本様
 はじめまして。「紫苑」第一号の編集に携わっておりました京都女子大4回の永富と申します。掲載論文に関してのご指摘ありがとうございます。

「紫苑」はもともとゼミの活動の一環として何か形に残るものを作ろうということで、学生によって原稿執筆から編集、発行までを行っている雑誌です。学生にとっては、普段の講義で出されたレポート以外ではなかなか原稿を「書く」という機会はなく、論文というと大げさだったかもしれません。(モチベーションを高めるために「論文」という形にしました)
 また引用している文献なども最新の研究をふまえたものではなく、王道的なものに頼っている部分も多くあります。私も高木さんも当時2回生で、今振り返ると未熟な面が目に付くのも事実です。
 高木さんにはこちらから坂本様のご指摘の件をお伝えします。また、今後もご指摘・ご批判等がありましたら、掲示板上へ書き込みしていただけるとうれしく思います。

 第一号を発行した当初は正直ここまで多くの研究者の方々に読んでいただける雑誌になるとは思ってもみませんでしたのでとても驚くと同時に幸せなことだと思っております。
 また今月は第三号も出るので、そちらもどうぞよろしくお願いいたします。


※あと訂正は新たなスレッドを立てなくとも、あらかじめ書き込み時に英数字八文字以内でパスワードを設定すると、BBS一番下から行うことが出来ます。ぜひご活用ください。
(今回書き込んでいただいた訂正は最初の親スレッドの下へ移動させていただきました。ご了承ください。)

研究会のご案内

No.3299

 はじめまして。私は関西学院大学院生の戸田靖久と申します。いつも楽しく掲示板を読ませて頂き、いつか投稿したいものだなぁと思っていたのですが、なかなか機会に恵まれずにおりました。ですが今回ようやく投稿するネタができましたので、それに便乗して登場させて頂きます。

 といいますのも、私が世話人を務めております「東アジア恠異学会」の第38回定例研究会を、この度東京の國學院大学で開催する事になりました。そして今回は「シンポジウム 亀卜―未来を語る〈技〉―」と題しまして、亀卜に関する発表を数人の方に担当して頂き、その後でシンポジウムを行う予定です。

 ただ「学際」を「諸学問の際(キワ)」と読みかえ、そして「キワモノ」を積極的に自称する恠異学会(笑)としては、今回亀の生態学や解剖学に詳しい島田尚幸さん(名古屋大学院生)を発表者に迎え、「動物学」の知見を亀卜研究への新たな視点として導入したいと考えてます。

 さらに今回は横山孫次郎が著した『対馬亀卜談』に基づく亀の灼骨実験を公開で行います。国際的な保護条約や動物愛護の観点から、このような実験はこれまで極めて困難でした。しかし、この度は各方面からの承認・許諾を頂きまして、ここに公開実験を行う運びとなりました。これにより亀卜に関する技術の理解に、大変有意義なデータが得られるものと考えています。むろん我々がこの為にどこかで亀を捕ってきたというわけではありませんのでご安心ください(^^;)そしてもちろん「ははか」の枝も使いますし、島田さんにお願いしてマチも彫って頂く予定です。ただ切れ目で占う事はちょっと無理かもしれません。
 このような実験はこれ以後何度も行われる事は恐らくないでしょうから、この掲示板をご覧になっている方で興味のある人は是非ご参加ください。

日時:2005年3月29日(火)10:00~17:00〈予定〉
場所:国学院大学120周年記念2号館2104教室〈予定〉
発表者:
大江篤氏(園田学院女子大学・日本古代史)
島田尚幸氏(名古屋大学大学院・動物管理学)
藤井弘章氏(國學院大学日本文化研究所・民俗学)
浅原達郎氏(京都大学人文科学研究所・中国学)  〈発表順・予定〉

 また詳しいタイムスケジュールや開催要項は、東アジア恠異学会のHPで公開しますし、よろしければこちらの掲示板にも書き込ませていただきます。
 時期が時期だけに日程の調整が難しいとは存じますが、みなさまお誘い合わせの上何卒ご参加くださいますようお願い致します。(なお現時点で参加を希望される方は、恠異学会のメアド⇒kaiigakkai@hotmail.comまでご一報くだされば幸いです)

戸田さんと私

No.3300

 戸田さん、いらっしゃいませ。恠異学会のご宣伝ありがとうございます。

 戸田さんは関西学院での岩田の先輩で、更に遡って京都教育大でも先輩―後輩でありました。
 学部生当時より、東アジアを股にかけた博識で聞こえ、現在は〈東アジア恠異学会〉の世話人として縦横無尽(孤軍奮闘)のご活躍をなさっております。

 恠異学会の初期の業績は一昨年発売の『怪異学の技法』(臨川書店)に収められ、昨年末には大会シンポジウムも開催されるなど、その野心的な成果を順次世に問うてこられています。

訂正

No.3304

いきなり訂正で申し訳ありません。
発表者の大江篤氏の所属は「園田学園女子大学」です。

>岩田くん
過分の紹介痛み入ります。まさに孤軍奮闘ですね。こちらの掲示板も京教大の方が管理されているとの事、いやはやもって頼もしい限りです(笑)

あ、ちなみに私も根っからの「トレッキー」であり、かつ「SWファン」でもあります。この両者は通常、作品論の違いから相容れない場合が多いのですが(トレッキーはSW嫌い、SWファンはスタートレック嫌い)、私は節操がないのでしょうか(笑)
いやいや、余計なことを。

お待ちしておりました♪

No.3311

戸田さん
こんにちは。掲示板へのご登場お待ちしておりました(笑)
怪異学会例会のご案内を毎回いただいておりながらも参加できておらず申し訳ございません。また卒論の締め切り前など暖かい励ましのメッセージもいただきましてとても感謝しております。ありがとうございます。

これから怪異学会の宣伝はもちろん、スタートレックやSWネタでもどんどん掲示板へ参加してくださいね♪(これは本当に宗文研SF同好会が発足しそうですね☆笑)

ゼミ旅行お疲れさまでした

No.3296

 今朝夜行バスで帰ってきたメンバーの到着で、各々のゼミ旅行は終了でしょうか?
毎度の事ながら、今回も本当に盛りだくさんな内容でした。人の出入りも多かったし、
幹事さんも大変だった事と思いますが、とても充実したゼミ旅行だったのではないでしょうか。
 私個人は初日の浅草・柴又コースには参加せず、二日目の佐倉・千葉・中山法華経寺と三日目の東大史料編纂所・鎌倉への参加でした。二日目の見学では、佐倉の歴博も「大人のおもちゃ箱」といった感じでとても面白かったのですが、千葉・中山法華経寺と実際に下総国で千葉氏関連の場所に触れることで、夏のゼミ旅行で勉強した肥前千葉氏と一気に繋がっていく爽快感がありました。中山法華経寺の奥の院(冨木常忍邸宅跡)で日蓮遺文紙背文書の話をしていた翌朝に、史料編纂所でその写真版を見せて頂く嬉しい出来事もありました。あと私にとっては、ホテルがたくさんの小説に登場する不忍池の近くだった事も感慨深い物がありました。本郷は森鴎外を始め、宮沢賢治や夏目漱石といった誰もが知っている作家達の旧居があるエリアで、散策スポットとしても人気があります。朝、不忍池の周りを歩いていると、ホテルからあっという間の所に弁天堂がありました。岡本かの子の『雛妓』という小説に「弁天堂の梵鐘」として登場しますし、たくさんの水鳥を見れば鴎外の『雁』に水鳥に石を投げる場面があります。時間を作って近現代の小説もしっかり読んで、一度浅草辺りからじっくりと散策をしてみたいと思います。
 話し始めればキリがありませんので、私の感じたところだけ書き込みました。また参加された皆さんからのお土産話が、それぞれの目線で書き込まれたら楽しいですよね。
 改めて幹事の山内さん、東京でお会いする時間を作ってくださったり参加していただいた皆さんは勿論、ゼミメンバーの皆さん、お疲れさまでした、そしてありがとうございました。野口先生今回も色々とありがとうございました。どうぞ皆様お疲れが出ませんように。

最後になりましたが・・・
 「合格しました!」と言ってそのまま東京に向かったので、お祝いの言葉をいただいた皆さんにお返事も出来ないままになっていました。掲示板のレスで、メールで、東京で直接お祝いの言葉をいただいた皆さまに、改めてお礼申し上げます。
 昨日二つ目の試験結果が出ました。結果は不合格でした。この結果はとても残念ですが、この春から同志社大学大学院のDCとして頑張っていきたいと思いますので、ご指導よろしくお願い致します。

「山門奏上」です。

No.3297

 >田中さん 「清盛の福原遷都に反対する諸勢力」=「当ゼミの牽引役にして、軍記物語研究のリーダーである田中さんの京都退去を内心憂慮していた小生とメンバー一同」は本心ホッと致しております。大江境でのお仕事とともに、洛北・京中・白河・六波羅の空間での縦横無尽の御活躍を期待しております。
 
 ゼミ旅行では行き先々で多くの皆様にお世話になり、あつく御礼申しあげます。
 目下、帰洛後の事務処理に追われておりますので、詳細は追って。

Re: ゼミ旅行お疲れさまでした

No.3298

 家に帰るまでのゼミ旅行、みなさんそれぞれの締めくくりをなさったでしょうか。あるいはまだ関東周辺で活動中の方もおられるでしょうか。いずれにしても、お疲れさまでした。

 幹事の山内さん、彼女を補佐してくださった山本さん、数々の手配をありがとうございます。浅草から鎌倉まで、無事に過ごせましたね。みんな感謝しています。
 野口先生、今回もご引率ありがとうございます。慣れない土地での具体的で独特な解説をいただくことができました。次は地元・宇治でも何か考えましょう。
 東京大学史料編纂所の保立道久先生、高橋慎一朗先生、お仕事中だった山田邦明先生、所員のみなさん、大勢で押しかけたにもかかわらず大変丁重なおもてなしをいただきまして、本当にありがとうございます。参加者それぞれが大いに触発される素晴らしい経験をさせていただきました。関西にお出での際は、どうぞお立ち寄りください。
 東京・千葉で合流されたみなさん、それぞれの賑わいをゼミ旅行にもたらしてくださってありがとうございます。今後ともどうぞ折に触れてよろしくお願いします。
 田中さん、「合格しました!」にお祝いも申し上げず関東へ行って帰ってきましたが、なにはともあれおめでとうございます。危機感を活力に還元して、またいっちょやっていきましょう。

 僕はゼミ合宿の参加は今回が初めてだったのですが、自他ともにいつもとは違う表情を見ることが出来ましたし、貴重な経験をみなさんと共有することができて、とても有意義でした。ありがとうございます。
 次は来週の論文講読会もよろしくお願いします。

Re: ゼミ旅行お疲れさまでした

No.3301

一昨年、熊野でお会いした源です。今回も充実したゼミ旅行であったようで何よりです。おかえりなさい。源平闘諍録を通じて、千葉氏のことを少々勉強したこともあり、今後皆さんからなされるであろうレポートを楽しみにしています。
さて、すっかり乗り遅れてしまったのですが、田中さん、門屋さん、院試の合格、おめでとうございます。近いうちに、お披露目のためにも関西軍記物語研究会でのご発表をご期待申し上げております! 4月17日の次回例会(京都府大)の案内が田中さんに届くと思いますので、お誘い合わせの上、是非ご参加下さい。新年度には東京(厳密には石川?)から協力な新メンバーに参加して頂けることもあり、ご一緒に新風を吹き込んで頂きたいと念願しております。
ちなみに、門屋さんは、私の勤務先であるIBUのOB、S君(西行を研究)が机を並べることになろうと思います。兵教大MCを修了後、今回念願叶って阪大MCに合格した苦労人です。何卒よろしくご指導下さい。
最後になりましたが、野口先生、本日研究所から『研究紀要』ならびに拙稿抜き刷りをお送り頂きました。ご高配に与り、恐縮に存じます。ありがとうございました。ご旅行のお疲れの出ませんようご自愛下さい。

Re: ゼミ旅行お疲れさまでした

No.3302

 皆様ゼミ旅行お疲れさまでした。二年間住んでいたとはいえ、ゼミ旅行という形で行くなら是非参加したかったというのが本音です。細かく書くと長くなるということなので非常に充実した旅行になったのだろうと思っております。幹事の山内さん・補佐の山本さん本当にお疲れ様でした。あまりお力になれず申し訳ありませんでした。早く土産話を聞きたいものです。
 東京に「初めて行った」方、「そこそこ慣れてる」人、「結構頻繁に行く」人など様々だったかと思いますが、いかがでしたか?掲示板上で感想をずらっと読みたいものです。

源先生>ありがとうございます。ますますがんばりたいと思います。これからもよろしくお願いします。また、阪大での新たな出会いも楽しみにしております。

Re: ゼミ旅行お疲れさまでした

No.3303

昨日戻りました薗田です。関東に残られた方々もみなさま無事に帰り着きましたでしょうか?相変わらず寒い日が続くようですし、体調にはくれぐれも気を付けてお帰り下さいね!
幹事の山内さんと山本さん、宿泊の手配から宴会の準備まで細かく気を遣ってくださり、とても助かりました。大役お疲れ様でした。山内さん、締め切り過ぎていたのに、わがままを受け入れて参加させてくれて、ありがとうございました。ゆっくり休んでくださいね。

さて、三日間歩き通しの旅行でしたが、野口先生をはじめ史料編纂所のみなさまや佐伯先生のレクチャーをいただけて興奮しっぱなしだったのでしょう、疲れを感じさせない旅行でした。
また、田中さんも書いておられますが、中山法華経寺を訪れた次の日に編纂所で日蓮聖人真跡紙背文書の影印本を見せていただけたり、なにかとラッキーな旅行だったと思います。天候にも恵まれましたし。
私のお目当てはお恥ずかしいことに「はじめての鎌倉」だったのですが、想像していたよりも山が迫っている狭い地域であることにまず驚きました。京都と似ているよ、と事前に友人から聞いていたのですが、切り立った崖や空を飛ぶトンビがいかにも海に面した扇状地らしく、やっぱり京都とは違うなぁと思いました。段葛をまっすぐ進み、太鼓橋を横目に見ながら一の鳥居をくぐり、舞殿へ。静が舞ったとされる(実際は回廊で舞ったのだと野口先生が解説されました)のですが、大河ドラマ対策か、新しく張り出した舞台?が舞殿正面に設えてありました。
鶴岡八幡を一通り見たあと、頼朝と義時の墓所、永福寺跡を見に行きました。きれいに整地された墓所・寺跡を想像していたのですが、とくに義時の法華堂跡には草木が茂ってひっそりとしておりました。永福寺跡も、川縁や湿地に生える背の高い植物(葦?)が池の跡を想起させるのですが、とても南北130メートルにも及ぶ伽藍があったとは思えない風景でした。案内板によると永福寺は東を正面とした伽藍とのこと。てっきり伽藍は南向きに作るものだと思っていたのですが、東向きは何を意味するのでしょうか…?案内板には今後整備や調査をされると記されておりましたので、次回はそれを見に行きたいと思います。

さて、すっかりお祝いムードに乗り遅れてしまったのですが、門屋さん、田中さん、院試合格おめでとうございます!今後のご活躍とご発展をお祈り申し上げます。薗田邸は同志社のご近所にありますので、ぜひ遊びに来てくださいね。
鈴木君、日付が変わってしまいましたが、お誕生日おめでとうございます。22才に成った感想はいかがなものでしょうか。
そして、近藤先生、『女性自身』掲載おめでとうございます。近所のコンビニで女子高生が先生の記事を熟読していましたよ!これで新たなファン獲得になるかもしれませんね。おっしゃっていたとおり「常磐≒国民的美少女?」よりも「義経≒岡村説」がメインの記事になってなによりでした。

私にとってはじめての野口ゼミ旅行でしたが、たいへん有意義なものでした。たぶんこれが私の卒業旅行になると思いますが、ゼミのみなさんと勉強以外のこともたくさんお話しできて、とても贅沢な経験でした。ありがとうございました。

近藤先生が女性誌に登場!

No.3295

今日、発売の女性誌『女性自身』に近藤先生が登場! 記事の内容は、女性タレントとの浮き名……ではなく、あくまでも大河ドラマ関連の取材です。義経の虚と実に関して、きわめてまっとうに回答されています。いわく、義経は実はナインティナインの岡村であったと……。それにしても、近藤先生の写真より、岡村の写真の方が大きいのは、実物からすると、きわめて遺憾であると、かように思いました。

今宵もしつこく義経を

美川圭
No.3292

今宵も義経を見ました。

創作?殿下乗合事件の結末は、重盛が烏帽子を奪いかえしに、
だれだかわからない「三位殿」の屋敷に殴り込み、その烏帽子をもって帰ってくる簡単なシーンでした。
やるんなら、貴族の屋敷に殴り込んで、平家の烏帽子がどこにあるのか、その捜索シーンをやってほしかったですね。どうしてみつかったのか、あれでは、わからんではないですか。フィクションならフィクションでいいけれど、そこまで責任をもっていただきたい。ちなみに、先週お会いした近藤好和先生によると、烏帽子なんて先週のシーンの様に、簡単にぽかっと頭からとれない由。詳しくは近藤先生に。

それから、「お徳」という婆さんが、夜清盛邸に行き、清盛と話す、というのはご愛敬ですが、「一人で蓮華王院へ」というのに清盛は家来を連れて行きましたね。それはいいとして、私は、当然極秘に法皇に会うと思ったら、なんとそこに義経が。あのねえ、当時の蓮華王院は、一般公開でもされていたんでしょうか。ときの最高権力者の院御所内の御堂に、なんで義経が入れるんだ。もう頭が痛くなります。これも、少なくとも、警備の武士の目をごまかして、密かに侵入するシーンが必要です。フィクションというのは、それなりの設定が必要なんですよ。もう。

だらだらした退屈な、常盤と義経との別れ。あのシーンで泣く視聴者がいるのかな。うちの小6の娘は、「うざいから、早う奥州へ行け、さっき常盤泣いとったのに、もう笑った、俳優ってなんで、ああすぐ表情変えられるんだろう」とかなり辛辣でした。

もう一つおもしろかったのが、最後の「小松谷」の解説。
平重盛の解説であの神護寺の画像が「平重盛像」と出ていました。と娘が「パパねえ、なんであれが重盛ってわかるの。違う人かもしれないでしょう。絵に重盛って書いてあるの」
うーん。先週、大人の見るドラマではない、と言いましたが、子供にもこう見られているということを、NHKさん、ちょっと認識したほうがよいのでは。

Re: 今宵もしつこく義経を

No.3293

 美川先生、こんばんは。昨日は思いがけずお目にかかることができ(於京都コンサートホール)、恐悦至極に存じます。
 義経、あいかわらず突っ込みどころ満載ですね。先週の重盛も、今週の宗盛も、腹がたつと柱を扇でバンバン殴っていました。清盛は立腹すると庭の木を滅多切りにするし・・・ どうも平家の方々、ストレスの発散の仕方に修練が必要のようですな。
 ただひとつ評価するのは、タッキーが奥州平泉の藤原秀衡のことを「奥六郡の長(おさ)」と呼んでいました。ここは、このドラマにしては珍しく、妥当な表現かと思います。(ちなみに私は、奥州藤原氏の平泉政権が創り出した政治体のことを「奥六郡半独立国」または「奥六郡自治邦」とでも名付けるべきだと思っています)。
 それにしても、美川先生の娘さん、さすがは血は争えないもので、凄い感性ですね。末は博士か歴史学者か、将来が楽しみです。

 〈以下、私用です。美川先生、メールアドレスがわかりませんでした。先日申し上げていたことをご連絡したいので、恐れ入りますがメールをください。私のメールアドレスは、↑の「山田邦和」のところをクリックしていただれば出るはずです〉

Re: 今宵もしつこく義経を

No.3294

美川先生からのお呼びなので、烏帽子について一言。

 烏帽子が簡単に脱げないというのは、折烏帽子の場合です。烏帽子は後ろに付いている「風口の緒」という紐を後頭部で結んで頭に固定します。公家がふつうに着用している立烏帽子などはこの方法で、現在の神職の烏帽子でもこの方法です。これに対し、もっぱら武士が用いる折烏帽子は、風口の緒とは別に、頂頭懸(ちょうずがけ)と小結懸(こゆいがけ)というふたつの方法で烏帽子を固定します(風口の緒を補強します)。

 頂頭懸は簡単にいえば顎紐で、軍陣を含めた晴儀で用いられます。現在の大相撲の行司もこれです。小結懸は、髻を結んだ紐の結び余りを烏帽子の後ろに開けた孔から外に出し、そこで結びます。ドラマでも、よくみると折烏帽子の後ろに白い紐がみえますが、それが小結懸の表現です。こうした点も、かつてはいい加減で、最近はちゃんと表現されいているので、感心していましたが、実態は分かっていなかったようです。殿下の乗り合い(?)場面も、この小結懸の折烏帽子でした。髻を結んだ紐でさらに外側から結んでいるわけですから、折烏帽子は頭からはずれても、折烏帽子そのものはなかなか取れないわけです。

 なお、一部の中世史の研究者が、絵巻の表現だけで、立烏帽子も髻に結びつけられているという説を出し、それを継承している人も見かけますが、これは烏帽子の構造がわかってい大変な誤解です。だいたい立烏帽子をどうやって、髻に結びつけるのか、即物的な説明を聞きたいものです。おそらくできないでしょう。

京都女子大学文学部は小松谷にある。

No.3332

 目下、講演録やら校正で大忙しなのですが、仕事だと思って『義経』の再放送を見ました。本編は新築直後であるはずの蓮華王院が現地ロケのために古色蒼然。こういうときにCGを駆使すればよいのにと思ったり致しましたが、とくに問題だったのが最後の「小松谷」の解説。灯籠堂の話など事実であったかのように断定的に述べられていましたが、あれがフィクションであることは国文学では兵藤裕己先生、歴史学では高橋昌明先生もすでに指摘されているところですから、せめて「『平家物語』では」とか「伝えられている」くらいのナレーションにしてほしかったところです。
 ちなみに、あの小松谷正林寺の斜め向いに京都女子大学文学部(J校舎)はあるのです。おそらく、撮影もここから行ったに相違ありません。そのようなわけで、京都女子大学は史学では平家・六波羅、文学では『平家物語』研究のメッカにならなければならない宿命を負わされているのだと小生は考えるのです。