大通寺の見学について。
No.2725
すでに、山本君からのMLでご存じのことと思いますが、大通寺御住職の御厚意で、11月8日に大通寺の拝観がかなうことになりました。よく、鎌倉時代のことを書いた本にレイアウトされている「源実朝像」のあるお寺です。
萬祥山遍照心院大通寺は、鎌倉幕府三代将軍源実朝の後家・西八条禅尼(本覚尼:1193-1274)が、かつての平家の本拠・西八条の地に、自邸の寝殿を堂として設立した大寺院をルーツとします。
鎌倉時代の京都における朝廷・幕府関係や宗教状況を考える対象として、六波羅と並ぶ意義を有するところだと、小生は認識しています。
この時代の政治史・宗教史に関心のあるメンバーの積極的な参加を期待します。ちなみに、当寺境内には、『十六夜日記』の作者として知られる阿仏尼の墓と伝承される古塚もあります。
参加希望者は、11月1日までに山本陽一郎君(幹事)に連絡してください。山本君のアドレスを知らない京都女子大学の学生さんは、小生に連絡していただいても構いません。
おいおい追加できればと思いますが、とりあえず、参考文献として、以下の3点をあげておくので、よく読んでおいて下さい。
① 角田文衛「右府将軍実朝の妻」(『歴史と人物』14-2、1984年) ※ 角田先生の論文集に収録済みのはずです。
② 細川涼一「源実朝室本覚尼と遍照心院」(脇田晴子ほか編『ジェンダーの日本史 上』東大出版会、1994年)
③ 苅米一志「遁世僧における顕密教の意義」(『年報中世史研究』22、1997年)
③は、この寺の開山長老・廻心房真空について触れています。真空は幕府有力御家人安達氏と関係が深く、高野山金剛心院の五世長老をつとめた人です。したがって、遍照心院は唐招提寺末の律宗寺院として成立しました。
ちなみに、小生は在京幕府勢力の京中警固の役所である「篝屋」成立の問題との関連でも、この遍照心院に関心を寄せています。
なお、11月5日、同志社大学における「文化史特論Ⅱ」の講義テーマは「源実朝の妻と遍照心院」の予定です。
萬祥山遍照心院大通寺は、鎌倉幕府三代将軍源実朝の後家・西八条禅尼(本覚尼:1193-1274)が、かつての平家の本拠・西八条の地に、自邸の寝殿を堂として設立した大寺院をルーツとします。
鎌倉時代の京都における朝廷・幕府関係や宗教状況を考える対象として、六波羅と並ぶ意義を有するところだと、小生は認識しています。
この時代の政治史・宗教史に関心のあるメンバーの積極的な参加を期待します。ちなみに、当寺境内には、『十六夜日記』の作者として知られる阿仏尼の墓と伝承される古塚もあります。
参加希望者は、11月1日までに山本陽一郎君(幹事)に連絡してください。山本君のアドレスを知らない京都女子大学の学生さんは、小生に連絡していただいても構いません。
おいおい追加できればと思いますが、とりあえず、参考文献として、以下の3点をあげておくので、よく読んでおいて下さい。
① 角田文衛「右府将軍実朝の妻」(『歴史と人物』14-2、1984年) ※ 角田先生の論文集に収録済みのはずです。
② 細川涼一「源実朝室本覚尼と遍照心院」(脇田晴子ほか編『ジェンダーの日本史 上』東大出版会、1994年)
③ 苅米一志「遁世僧における顕密教の意義」(『年報中世史研究』22、1997年)
③は、この寺の開山長老・廻心房真空について触れています。真空は幕府有力御家人安達氏と関係が深く、高野山金剛心院の五世長老をつとめた人です。したがって、遍照心院は唐招提寺末の律宗寺院として成立しました。
ちなみに、小生は在京幕府勢力の京中警固の役所である「篝屋」成立の問題との関連でも、この遍照心院に関心を寄せています。
なお、11月5日、同志社大学における「文化史特論Ⅱ」の講義テーマは「源実朝の妻と遍照心院」の予定です。